風之荘「円相」68阿南惟幾 1608
Вставка
- Опубліковано 3 гру 2024
- 8月の放送 阿南惟幾(あなみこれちか)
今回は「日本を平和へと導いた陸軍大臣 阿南惟幾」についてご紹介しました。ちなみに昨年8月の放送は「重光葵」でした。どちらも第二次世界大戦の終わりに深く関わった人物です。※重光葵の放送はこちらから→ • 風之荘「円相」56重光葵
あえて徹底抗戦を唱え、自決という道を選んだ阿南惟幾の決断。この決断が陸軍の暴発を抑え、他国に統治される事なく、今の日本が存在することにつながっているといわれています。さらにすごいのが、奥さんもその意をくみとり、出家されていること。それほどまで、奥さんも阿南を愛し、愛されていたんだろうと思いました。
重光の取材のときもそうだったのですが、やはり終戦に関わった人たちの覚悟というのは我々が計り知れないものだったのだろうと、改めて感じました。
本編でも紹介しましたが、「ポツダム宣言受諾」を決めた御前会議の構成メンバーの6人中3人が大分県出身者。阿南惟幾は竹田市、梅津美治郎(うめづよしじろう)参謀総長は中津市、豊田副武(とよたそえむ)軍令部総長は杵築市の出身です。また重光葵は豊後大野市三重町の生まれです。第二次世界大戦において、日本を平和へと導く重要な役割を果たした人物の多くが大分県出身だというのは誇るべきだと思います。彼らがいたからこそ、今の日本の平和があるといっても過言ではないと思います。
終戦から70年以上が経っていますが、この先も戦争があったという事実ともに、平和な日本の礎を築いた偉大な先人達の意志を伝えていかなければならないと思います。
いつ放送された番組かわかりませんが歴史を知るために良い番組だと思います。
如何に自決し戦争を終わらせようとも戦後、中国や韓国と国交を結んでは一体何のための自決だったのか!
気狂い状態の末期にあらわれた素晴らしい人物だよ。
彼の自決が
あの発狂気狂いを鎮静させた。
という点で評価される人物だ
阿南さんは本土決戦と言いつつ
本当は戦争を終結させるために
まずは日中戦争を終わらせてから
アメリカとの戦争を始めて早めにおわらせようとした。私にとって阿南さんは米内さんと同じく尊敬してる。
生きる少孔明、阿南を走らす。
日中戦争では「どーんと行こうや」って言っては負けてるイメージが強いです。とくに日米開戦前に無理に作戦を強硬したのは痛いところ。
でもどの派閥からも敵視されず、無能な西郷どんみたいな感じで誰からも好かれた好人物だったと思います。
最後はお見事でした。個人的には大好きな人です。
阿南は実戦には役立たずだったようだね😢
日本のいちばん長い日から来た人🙌
日本人の死への絶対的な畏敬、絶対的な赦しが根底にある気がします。 飛躍しすぎなのは分かってますが、欧米の価値観が主流な現代においても死刑制度が廃止されないのは、社会的にとんな悪でも絶対的に赦して敬う方法論なんだなと解釈してます。
日本でいちばん長い日で見ました国会前の庭園にあった副官会館の仮官舎で自裁されたと聞いた時から折り合って通過する際は手を合わせています。
三船敏郎主演の旧作と役所広司主演のもの。いずれも
日本の歴史を知るために 多くの青少年に見ておいてもらいたい。
過去を正しく知ることが、次の 未来の日本の道となる
陛下は鈴木首相に「鈴木が居て、"あなん"が居た。あの頃(二人が陛下に仕えた頃)を懐かしく思う。」と仰せになられたらしい。「陸相を阿南にするように。」ということだったのかもしれない。
まあ適役は概ね彼しかいなかったのでしょうね。
その時、その地位、その責任を理解、決断をした者にしかわからないことであり、後の人々が批判することではない。責任感を持って組織をまとめることに人生をかけ実行した人物だと思う。
今の日本に、このような人物がいれば、また違った日本になっていることでしょう。身近な事で言えば会社にこのような人物がいれば、志を持った仲間ができるような気がします。もちろん利用されることもありますが、この人物であればそんなことはどうでもよく、己の責任を全うするのでしょうね。
蝉の声がいい味出してる
阿南は水際で米軍を叩いてから話し合うといっていたとう証言がある。
RIP
阿南が自決していなければ本当に若手将校が暴発していたかどうかは疑問ですが日本が米ロ英中の共同管理下に置かれた最悪のシナリオはあり得たわけですね。歴史はほんの少しの神のイタズラで結果が変わってしまうことを学ぶ最良の教科書です。
この人を演じられた俳優さんと言えば、1980年のテレビドラマ「歴史の涙」の小林桂樹さんですね。
阿南惟幾が「日本を平和へと導いた」というのは、初めて聞いた。
個人的に阿南コレチカは狂人だと思う。鈴木貫太郎提督こそ終戦工作の功労者でしょ。
@@年金と公立学校と警察を 阿南は陸軍のクーデターをすべてやめろと言っています。そんな人に狂人だというのは酷ではないでしょうか。
偉大な父親の息子は、なぜみんな偉くなるのだろう?
貴重な南方軍衣を着た阿南大将の写真、ありがとうございます‼︎ 🙇♂️
時期的には西部ニューギニアやビアク島で作戦指揮を取っていた頃ですかね?
阿南さんはこの時期に陸軍大臣になったのが運が悪かった。人格的に陸軍向きでは無い。もったいない人物を亡くしてしまった。
二谷英明さんも演じていましたね。
阿南惟幾は歴史上理解することが難しい人ですよね
終戦から自決に至るまでの阿南の行動にはどのような意図があったのか?遺書にある阿南自身の「大罪」とは一体なにを意味するものだったのか?
@たんたん 特攻隊を指揮?
天皇の宸襟を悩ませた⇒切腹。
これだと私は思う。天皇は和平だとわかっていながら、それに反対した(せざるを得なかった)ことに対する「罪」。
三島由紀夫の小説『奔馬』に出てくる「天皇への握りメシ」の挿話と同じかんじがする。忠義のひとつのカタチ。
もちろん三島自身はそんな忠義は持ち合わせたなかったし、阿南自決を意識して書いたのかどうかもわからんけど、非常に似てるというかそっくりそのまんまの精神だと思う。
ちなみに明治新天皇制ができてから、そんな理由で腹切った人は阿南惟幾しかいない。
乃木将軍の殉死は?と思う人がいるかもしれんが、乃木は個人的な目的のために明治帝崩御を利用したと思ってます。
ただ乃木と接点があった阿南は乃木の殉死に影響は受けていたとは思いますが。
奥さんが出家していたのは知らなかった
とにもかくにも当時は、今みたいにSNSで匿名で醜さを争ってる卑怯者はいなかったわけだ。俺含めてな。
阿南大臣の自決で陸軍は治まったって言ったら、天皇では抑えが効かなかったってことになるよね。まあ実際そうだったんだけど。昭和の陸軍がいかに天皇をないがしろにしてたかってことの痛烈な批判ですな。2・26事件しかり、満州事変しかり。いつも自分たちの都合のいいように利用しようとした。または無視した。正しくずっと、「真綿で首を絞め続けた」。
山中狭路
昔僕は戦争は天皇陛下のせいで起き、泥沼化したとばかり教えられてきました。しかし本などで調べると全く逆で、イギリス王室を学んだ陛下ほど平和主義、立憲君主への理解が深い方はいなかったんですよね。天皇機関説だって、陛下は美濃部氏を庇ってますし。軍部のエリート達が自分たちの都合によって陛下を利用した点は多々あったとおもいます、治安維持法もありましたし、表立っては言えないが、軍部には自分たちエリートが指導層となる全体主義を望む隠れ共産、社会主義者がいたのではないか?と僕は推測してます。
もし226事件が成功してたら…皇室は無くなっていたかもしれません。
天皇を蔑ろにしてなかったから
天皇の怒りで
226の将校はぶきを涙ながら
置いた
そりゃ作戦の一部(天皇は認めてくれるだろうという願望みたいなもんで作戦なんていいもんじゃなかったが)で、結局最後の望みが断たれたってことになりましたからね。。ジ・エンドになったんだからそりゃ泣くでしょう。
一応宮城占領計画もありましたが、ビビっちゃってできなかった。
たしかに「蔑ろ」にはしてないんでしょうが、忠義とかとは無縁でした。
@@山中狭路 いや天皇への忠義ありましたよ
直接参加しなかった
北は
そんなの糞食らえてくらいに思ってましたから
彼がいたら
天皇の思いは無視してたでしょうね
忠義と言っても人それぞれというか、まあ曖昧なモノでした。国民の範たるべき軍にしてもはっきりこういうことだって決まっちゃいなかったし。
天皇の意思なんてのを考えることは「不忠」という考え方もありますしねえ。
2・26の青年将校らのそれは、「甘え」みたいなあるんですよね(まあ感じ方も人それぞれか)。
磯部みたいに獄中から天皇を叱りとばすってのも、また一つの忠義であると言えばいえなくもないですね。
東條英機とつい比べてしまう❗️
大陸にいた陸軍はバリバリだったからね
難しいよ
もっと敬意を払ったらどうだ?
賛成ですね、割腹、、どれだけの覚悟がいるか、
本当にそうですよね。。
阿南惟幾陸軍大臣の願いも虚しくかみさんの親族から宮城事件(ポツダム宣言受諾に反対する一部の陸軍が8月14日森赳近衛師団長を殺害して偽の師団長命令出して皇居に押し入り玉音放送レコード盤を奪おうとしたクーデター事件)首謀者出したから、かみさんが出家したのはそれもあるかもしれない。
おそらくは阿南惟幾陸軍大臣の真意はポツダム宣言受諾、いや、鈴木内閣発足から和平であったろうが、表面上継戦唱えとかないと陸軍の中堅幹部から突き上げ食らって辞任せざるを得ず、陸軍は後継の陸軍大臣出さないで軍部大臣現役武官制により終戦するための内閣である鈴木内閣を倒閣に導くから、心にもない本土決戦を唱えたのであろう。
割腹してしまったが世が世なら軍人にならずに大した教育者で政治家だったろう。もっとも戦場の指揮官としては向かない面もあったらしい。
まあ腹芸と真の戦争賛同者なんてわからないだろうから、割腹しなかったら東京裁判で死刑だったろう。
y
僭越ながら阿南陸相を語りなば、1945年(昭和20年)3月9日 - 第12方面軍司令官兼東部軍管区司令官。
8月24日 司令官自室にて拳銃自決。なされた宮城事件という反乱将校を鎮圧して、そして最後すべての職務を全うなさいまして畏れ多くも昭和大帝の宸襟を汚し騒がせた不敬をを深く詫びて、覚悟の自決なさいましたる誠の大和武士。
その為したることの御働きは、まさに阿南陸相をはるかに上回る忠義は、自らの感情に流されず務めである総監部司令官として天皇陛下の奸賊を成敗して、すべての務めを成し遂げられ神上がられました。
まさしく君臣一如の御働き肝胆深く入たりて昭和桜武士と見え候。こわ、それ、潔し良きこともさりながら、わが一任一死大罪を詫び申して一足先にあることによって、のちの部下の死を免れることを望んで覚悟の自決…見事天晴!
故郷播磨の家か国衆国人の大庄屋。
古来、天皇陛下の直臣「おおみたから」という幕末明治維新後まで日本は律令体制において、諸国には、まさに天皇陛下の直臣たる「大庄屋」という「本百姓」は本来の意味の「位」であり聖徳善政の大化の改新以後、日本の近代化をもって官位十二階十七条憲法と律令に基づいた国家鎮護の大改革によって、日本神道の総神主、祭祀の天皇として国家の大権を臣下にお渡しなさいまして、臣下が天皇の大権を輔弼(輔弼)するという、摂政・関白・太政大臣という、天皇へいかうぁ、律令の枠外に置かれ、まさにオテントウサマとして、一斎は臣下にゆだねて、ら国家鎮護、護国として祭政分離、日本神道の総神主にあら洒落まして、まさしく祭祀の天皇として荘厳に御国に君臨なされましたらうや、まさに戦後の天皇陛下も、律令の天応陛下も全く違背せずほどの理想的天皇の御姿である奇跡は畏まり手奉らんほどの天皇力に恐れ入りたてまつります。
今アメリカを盗みそびれて失敗した国際法違反テロ集団、欧州では、非合法政治団体あるいはテロ指定の秘密結社「コミンテルン」そして「第四インターナショナル」なるアメリカの沼地に、名前を隠して潜む共産主義者は…ブラック・ドミニオンパワーとして、アメリカを分裂シヌsんでいるところだ。
かつて日本が終戦時、GHQに隠れていたアメリカ民主党とスターリンとの分捕り合戦のさなか日本は、この隠れた将軍の功績によって若手の軍将校の反乱を封じ込めて宮城五斗陸軍が制圧して天皇陛下を立てて、昭和維新‥・第二のクーデターを画策したはねっ帰りを追い出した英雄であり、速やカニ、玉音放送中の陛下を拉致監禁しようとした企てを未然に防いだ。
この英傑を語らずば何をもってか赤心報国と聖徳善政、仁徳善政の民族の訓戒を語ることができない。
全員直立不動をたもち、起立!
ひとつ、天皇陛下を悪しく敬まわず
ひとつ、天皇陛下を悪しく用い給うな
列をそのまま、一同、皇居遥拝、
国旗掲揚して君が代斉唱
右に習いて一同万歳三唱、天皇陛下万歳三唱
われら臣民一同謹んで皇紀2681年の春弥生のわが世の春を謳歌すべし。
ヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノ
一同…解散・・・働け!
田中大将が東部軍管区司令官で良かった、卑怯者、腰抜けの将官もいる中で叛乱軍隊を鎮圧した田中静壱大将は立派である
マッチポンプだろう。責任逃れも甚だしい。
阿南胸像の揮毫が岸信介なのはなぜなんだか?
違和感と疑念が起こるじゃないかよ!
Rigid militarist!
最後の最後まで戦争継続を主張した人。カイロ宣言が出た時点で、戦争終結に向かえば広島も長崎もなかった。日本の針路を誤った軍人。決して平和へ導いた人ではなかった。個人の性質・人格と、軍人つぃての在り方は別物としてはならない。
hideaki kawai もしそので賛成していれば必ず阿南さんは、殺されていた
内閣に陸軍大臣がいなければ内閣は総辞職し次の内閣は陸軍内閣になり戦争終結はなかったと思う。
鈴木さんがポツダム宣言を黙殺したため原爆はあったのでとても難しいと思います
这人才是真正的千古罪人
大日本帝国万歳🇯🇵
終戦わずか4カ月前に陸軍大臣に就任した阿南が切腹したせいで、本来腹を切るべきだった外道どもにのうのうと生き永らえてもよいというお墨付きを与えてしまったことが大いに問題である。
はっきり言って、認識があさはか過ぎる。
阿南さんは、よくこの時期によく残っていたな!と思える陸軍の逸材ではある。→各学校での成績は凡庸です。
しかしこの番組の表題は過大で有りそのような実績はないです。少しきつい評価かもしれませんが、やはり陸軍の人でしかありません。
>Jinga
へぇ~なんでも知ってるんですねぇ~。上から目線で自分の知識がいつも正しいって思ってる。パターナリズムに毒されたノーテンキなオッサンの典型
阿南の大罪とは、戦争の張本人である天皇の責任を追求できなかったこと。彼は知っていたんだろう、側近中の側近だったから。
そして天皇を守る立場にもあったから、胸中は苦しくてたまらなかったのではないでしょうか。
戦争の張本人は昭和天皇じゃないで
@@じゃがりこぽてと さん・・だれなんでしょうか❔
@@かぐや姫-j3d 正直戦争の張本人を断定することは難しい。というか無理。
ナチスだったらある程度ヒトラーやナチ党の幹部たちに絞れると思うけど、戦前日本に関しては権力が分散しすぎてて、もはや戦争の張本人なんて断定できるもんじゃない。そもそも太平洋戦争の原因は間接的な原因も含めると、日露戦争辺りにまで遡る話もあるし、更に言うなら明治初期にまでさかのぼる見方もある。だから、戦争の張本人、すなわち戦争に至るまでの指導力を担った人なんていない。強いて言うなら、近衛文麿がそれに該当しそうだけど、近衛は近衛で一党独裁の大政翼賛会作ったはいいものの速攻で有名無実化するし。東條英機だって戦争が起きた時の首相だったから戦争指導はしたけど、『戦争の張本人』と言われると微妙やし