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東芝の真空管の赤箱、懐かしい物を見させてもらいました。家業が町の電気屋でした。白黒テレビの販売をしていましたので、修理のためにあんな真空管の箱が修理棚に並んでいたのを懐かしく思い出しました。
真空管の箱はいつみても心が落ち着きますね そういえば昔は町の電気屋さんで真空管売っていたんですね。わたしもラジオをつくって小遣いためて1本づつ毎月買いました
こんなに大きな短波通信機が片手で持てるサイズにまで小さくなった現代。20年前にFT-817、2年前にIC-705が発売された時は驚くばかりでした。本当に凄い!
技術の進歩はすごいですね 軽薄短小なんてありましたね
最近の中国製HFリグも一見BCLラジオみたいな物もあって驚くばかりです。
@@miyazin-shoten 当時の時代を表す『軽薄短小』これ、褒め言葉なんだぜぇえ、週間プレーボーイで読んで俺も勉強したような(笑)
真空管式カーラジオには、バイブレーターという変圧器がついていました。構造は、ブザーの原理で、直流を断続する直流→矩形波にして、トランスで昇圧するシステムで、火花が出るので、入力側と出力側に、厳重はフィルターがついていました。
昔 昭和45年ごろ 真空管アンプでクルマで音楽聴こうと思ってバイブレーターを使ってみようとおもいましたが もうすでに中古でもありませんでした。
大戦中の戦闘機の無線機、増幅素子は真空管のはずだけど、真空管をドライブできる高い電圧ってどうやって作ってたんだろう・・・と素朴な疑問をずっと持っていましたが、この動画のおかげで解決しました。まさかこんな方法で昇圧していたとはビックリです。
しかも隼の無線機は 500Vと150VとB電圧が別々に発電されていて・・よく考えられていますね。 いまなら12VでなんでもOkなのに真空管時代は大変だったんですね
@@miyazin-shoten モーター回して必要な電圧作ってたと思います❗2世代前もかなり大きな音がする発電機回してた記憶があります間違ってたら、すみませんですm(_ _)m
なんと効率の悪いことを・・と思ったら、直流から電圧変換の技術ない頃の変圧装置なんですね。当時なりの試行錯誤、素晴らしい情報ありがとうございました。
やはり半導体時代に入ってから こうした真空管電源は小型軽量の恩恵は大きいですね まあ半導体時代なので真空管は使わないほうがいいのでしょうけど・・・笑
今はトランジスタ、ICで回路作りを行っている為、高圧を触り感電する事もなくなりましたが、当時は真空管回路のB電源を触って感電する事がありました。当時は6C6,6ZP1等を弄ってラジオを作っていました。直流の感電は、交流のそれに比較すると、独特の”味”が有り、体の芯まで痺れる感覚がありましたね。
並三で初めて音が出たときの感激と感電の驚きはいまでも覚えていますね
@@miyazin-shoten さん懐かしい思いでです、6C6,6ZP1等を弄ってラジオを作っていました。並3,並4,超再生受信、レフレックス受信機等、懐かしい言葉ですね。”感電”しながら制作し、完成の後”感激”でしたね。
出来た多と思って感電して落とした事を追い出す
DCモーターのDCコンバーター、昭和50年代くらいまでかつての電電公社でも使ってました 交換機の稼働には+接地の-48vなので、公衆電話やピンク電話の課金信号に+50vが必要でした。交換機は無停電電源とするため大型の鉛蓄電池に充電しながらの動作、浮動電源でした。
これは消防車搭載無線機用なのでで12Vのようです ここから280Vくらいの高圧B電源をとりだせます
昭和43年開局したモノです。新設の中学校に行ったら校内放送器の終段は6CA7。予備に有った古いアンプは807,もう一台は6L6。共に球を抜いてもらってきました。807Aも近くの廃品回収業者店の山の中から見つけて大喜びしたことが有ります。海軍機で使っていたようで白い錨マークがありました。それから60年近くが時が流れ、田舎に残した僕のあの807A、今はいずこに・・・。
やっぱり当時の身近な球は 6L6や807ですね
私が生まれる13年前は、戦時中でした。(永遠の0)の映画を観て当時の若者が厳しい状況に置かれていたのを認識しました。あの時代の貴重なお話ありがとうございました。
当時 スーパーヘテロダインだったのはさすが戦闘機です
いやー貴重な物を見させて頂きました。日本でも時代的には遅れていたのかも知れませんが、ダイナモ内蔵のこんなにも凄い無線機を開発製造されていたんですね。しかし、この様な珍しく凄い物を持参している知人が近くにおられ、しかもプレゼントしていっちゃうと言う間柄に、羨ましさを感じました。何かを想っていると、ひょんな巡り合わせが、たまにありますよね。飛行機の内部も含め、興味深く今回も拝見させて頂きました。
ありがとうございます。近所の先輩には助かっています 実は同時にアンリツの真空管SSGももらいました これもでかくて置き場所ないくらい こんどご紹介しますね
当時の軍用機の発注方法は、・機体・エンジン・無線機・武装(機関砲)は、軍が別々に発注してました。最終組立は三菱・中島などの航空機メーカーがやってましたが。設計の発注も別々でしたので、例えば無線機はそれ単体で機能が完結してないとアカンかったのです。たとえ分電技術があったとしても、エンジンのジェネレーターから電線を引っ張って……と言う設計が出来なかったんです。どんな無線機を積むのか、機体設計側はよく分からないから(分かるのはせいぜい寸法と重さぐらい)。この設計の縦割りが無線のアース処理やノイズ対策の未熟さを生み、「日本機の無線は通じない」と言われる所以になりました。更に後々、レーダーという電力大食いの機材を追加で積む時に大問題になりました。
なるほど まさに縦割り設計 生産体制だったんですね
この電動発電機のことは、ほぼ半世紀前に古本だったか図書館の蔵書だったかで読んだ記憶があります。たしか「ロータリーコンバーター」と紹介されていました。現物を見るのは始めてです。初代クラウンが4気筒1.5Lの時代にパトカー仕様は6気筒4L級のエンジンを積んでいました。一般には「カーチェイスで負けない為」と言われていましたが、個人的には停車時でも電源確保が出来ることが目的であったと思っています。停車中に無線機と拡声器を安定して使用することは、今日考えるほど容易な事ではなっかったと想像します。良い物を見せて頂きました。ありがとうございます。
ご丁寧にありがとうございます。もちろん私も昨日みたばかり・・・びっくりしました。
動画の807はオーディオ仕様ですね。高い周波数であれば、マイカステム下にシールド(遮断)プレートが付いています。 シールドがないと、回り込みおこって自己発信します。高高度だと気圧が低くなって、真空管の作りが悪いと管内の真空維持が難しくなります。当時、高圧電気を作る為、DCをACに変換するので、ブザーの様なバイブレーターで交流や、モーターで回転子を回して交流を作って、トランスを使って昇圧します。今では FETやスイッチングデバイスで簡単に交流に変換できます。問題はコンデンサですね。高耐圧のコンデンサ、大きい、重いです
どうも中学生です。零戦や隼などを聞くとワクワクします。ちなみに好きな飛行機は、疾風と雷電です。動画はとても面白かったです。
ありがとうございます。ジジイ向けの動画にお若い方が興味を示していただけてうれしいです。戦闘機はいつの時代でもかっこよく見えますかね!
興味深く拝見しました。私は現在75歳ですが21歳のころから外航船の通信士をしていました。そのころに乗船した昭和30年代に作られた貨物船の予備送信機並びに受信機の電源は24ボルトのバッテリー駆動のロータリーコンバーターを使用していました。今となってはノイズがどうだったの、また使い勝手はどうだったのかは記憶がありませんが電源を入れるとモーターの回転音がしたのを覚えています。また807は高校生の頃中古のものを二本1000円で友人から譲り受けて7メガヘルツの送信機を作ったのを懐かしく思い出しました。
年齢的にも大先輩だし なによりプロの方ですね。私も無線の師匠が通信兵でした。もうとっくに死んでいませんが。807は多くのOMの心に残る名球でしょうね。
貴重な映像ありがとうございました。
ありがとうございます 古い無線機の資料はなかなか貴重ですよね
軍用機だから頑丈で実用的という事で電動発電機なんですね。807は6L6の高周波用として昭和15年ごろから盛んに作られたらしいので、戦闘機の無線機出力管としてピッタリだったのでしょうね。
たしかに丈夫そうですね。まあ当時はDCーDCコンバーターみたいなものは難しかったんでしょうね。
いつも楽しく拝見しております。MGは昔の電車式ですね。警察/消防無線だとFMですからモーターノイズも問題ないかも知れません。B29のトランシーバーの動画を見ると同様のMGが着いてます。但しコリンズ製で、造りも格段にしっかりしてます。コリンズは傾いていたのが太平洋戦争で持直したようです。因みにゼロ戦はCWで、特攻時、突っ込むまでキーダウンしたと聞きました。
ua-cam.com/video/74ZynoXL1xA/v-deo.html
いやー すごい作りですね これじゃ戦争負けますね
いつも動画で楽しませてもらっています。私40代オーディオ好きな者ですが、コンセントを逆にしたり・・そんなコメント面白かったです。半信半疑で買った高級な電源タップも手放したくなりました。電源タップで10万円は主さんからしたら理解できませんよね。オーディオアンプも動画で見てみたいです。
ありがとうございます これからアンプも力いれていきます
昭和30年代くらいの本の真空管カーラジオの回路図見たことがありますが直流をブザーで断続、交流にして、昇圧してたのを思い出しました、私も戦闘機の無線機は0V1と聞いたことがあります
わたしも昔0-V-1と聞いた記憶があります。しかし最近Webで見る正確な仕様書や回路で ゼロ戦も隼もスパーヘテロダインでした。いろいろ資料を探すととやはり違うようです。噂はいい加減なことも多いので こんど念のため現物を博物館などで調べたいと思います。
昔の無線機って大きいですからね、私もその昔自衛隊(昭和60年頃)の通信科職種でしたのでこんなの見ました。私は多重無線通信手(今は違う名称のようです)でした。守秘義務があるので詳しくは言えませんが、野外通信システムの無線装置はとても大きく数百キロもあり、電源部、送信部、受信部と部分的に交換可能な装置でした。勿論真空管もたくさん使われてて、温まらないと本領発揮してくれず、扱いも熟練の技的なこともありましたよ。その他にも電話交換機が加わるので覚えることがいっぱいで大変。その後デジタル化してとてもコンパクトになり、誰でも扱える比較的簡単な新型機JMRC-C20型に随時変わって行きました。いや~この装置、なんか見てて懐かしかったです。
まさに本物のプロですね! ということは飛行機の上で太平洋戦争当時 こうした無線機を扱うのはかなりスキルがいることだったんでしょうね。ありがとうございます。リアルな情報ほんとうにありがたいです。
低翼面荷重、ショートストロークに改良設計したツインワスプ手本のエンジン、超が二つ付くジュラルミン、沈頭鋲などの軽量な空力性能。飛行性能としての凄さは多く語られて来ましたが、半導体など無かった当時に搭載されていた無線機について触れた記述はほとんど目にした事がない。戦闘機に積んだ管球の無線機や電源など、見事に私の頭の中の霧が晴れました。
ありがとうございます。逆に私は 飛行機のことはよくわからず エンジンや機体のことはまったく知識がないのですが、幸い河口湖にある自動車博物館が知人の方なので 自動車を見に行くついでに よく飛行機をみせてもらっています。 クルマとちがってダイナミックな構造ですね!
こんにちは。そうですよね、直流を電圧上げようとするとトランスも使えないし、もし真空管でやろうと思うと3極管で一旦無理やり交流を作ってトランス付けて、2極管で整流にして、でも3極管が動かないか~?でも、大昔の車のラジオ真空管で鳴っていたような覚えが有ります!戦時中ではこれが最高の技術だったんでしょうね!素晴らしい物を見せていただいてありがとうございました。
クルマのはバイブレーターみたいなもんでしょうか 触るとビリビリのトランプ箱みたいな?
セレンはもう昔懐かしい
昇圧には二種類あり、大型がこのモーター型(ダイナモ型)。もう少し小型がバイブレーターで、ブザーの原理で電流を断続してトランスで昇圧する代物真空管1本サイズの小型もあって無線機に多く使われていた。どちらもノイズが多い。旧軍の無線機はこれらからのノイズ対策が甘く近距離以外はCWは専ら送信用途。松山隊ではノイズ対策を念入りにして実用度を上げていたらしい。万能807はプレート損失も6146と同じ25WでSSBにも使えました。
最近807シングルのアンプで音楽を聴いていますが、隼の球と思うと音楽を聴いていても感慨深いです。S2001のアンプもありますが あまり感激しません。
機上電源・無線機配置図だと、今の車の電源周り・電装アクセサリー配線と変わらないような。戦車兵・歩兵とかの無線隊では、手回し発電無線が確かに存在した記述が在りましたけど。
やっぱり昔からの流れが脈々と現在まできているのでしょうね
名戦闘機パイロットの坂井三郎氏が自伝で、ゼロ戦の無線機の性能そのものは、ノイズが多く使わない事が多かったとの記述が有りました。反対に、アメリカ戦闘機はガンガンこちらの無線機に入力してきて煩いほどで有ったと言っていました。日本製の無線のノイズの多さは解消されなかったのですね。
ということは受信は良かったが送信が悪い(ノイズが多い、あるいは10Wと小さい)ということでしょうか。それは意外でしたね。・・・興味深いです。
お疲れ様です。深く考えた事無かったけど、真空管を動かすには高圧直流電源とヒーター用の低圧電源が必要ですもんね。モバイル機器技術の原点だよね。ユニット式の電動機+発電機使ってたんですね。セレン整流器やシリコンダイオードは戦後だろうけど、その前に低圧直流から高圧電源作るにはインバータの無い時代は発電機か。技術者が苦心の末に考え出したんでしょうね。当然プリント基板ではなく手作り立体配線だし。ほんとに敬服いたします、いいもの見せて頂きました。
ありがとうございます たしかにこのころはいろいろ工夫が必要だったんでしょうね。まあクルマの真空管ラジオもそうですけど トランジスタが世界を変えましたね。
凄いのを引っ張りだされたですね。軽飛行機の無線機 (確かコリンズでした。)を見た事あるのですが2E26、24だったか6146だったか忘れましたが、同じような物がついてました。受信部はトリプルスーパーだった気がします。又、アメリカ軍の背中にしょって歩くトランシーバーを一度、見た事があるのですが、同じ昇圧器がついてました。名前が発電動機と初めて知りました。貴殿の動画は大変勉強になり楽しく見せて頂いてます。
ありがとうございます。わたしも先輩にもらって初めて見たレベルです、昔は苦労していたんですね!
807ですか、懐かしいです。その様なクラブがありました。井上の50メガ機で発信、交信相手は30メーター位のところの高校生でした。その後数年後に八重洲のFT-7とヴァ―チカルアンテナでした、アンテナがショボかったので早朝とかで無ければ拾って貰えませんでした。会社の車に積んで28メガで九州の小林市に飛んだのが最高記録、でも途中で消滅して仕舞いました。それも途中からお休み致しました。家族から邪魔にされてました。
28~50MhzはEスポもあり面白かったですよね
@@miyazin-shoten テレビ工学専門学校で学んだのですが、劣等生で、唯一その時私だけが電話級無線通信士に受かり、優を貰いました。後は可でやっと卒業でした。数学が苦手で三角関数のみ少し理解出来たのみです。劣等性でした。
今日も面白く興味深い話題ありがとうございます。日本も戦時中の資源の乏しい時の技術者の苦労が色々と伝わってきますね。話が変わりますが、真空管と言えば、私が小学校高学年の頃、当時のソビエト連邦から亡命してきたミグ25のジェット戦闘機を詳細に調べたら、当時の最新の戦闘機の核心部にもこの時代に真空管が使われいてこの半導体全盛時代にアメリカが警戒していた戦闘機に驚いたとかホッとしたとか・・・
ミグの話は私も当時覚えています。わたしも親父も揃ってバカにしていたのですが、いまでは強電界やノイズに強いタフな電子機器だったという評価もあるようですね!
真空管は核爆発時における電磁パルスや放射線の影響を受けないという利点があるので当時の軍用無線機では結構使われていたみたいですねその後遮蔽技術が発達しこれらの技術現在雷サージ対策として民需転用されていますまた壊れた原発内部の撮影用にと真空管の一種であるブラウン管が現在着目されていますが(CCDやCMOSではICの一種だから放射線ですぐダメになる)重いのと小型化出来るかが今後の課題だそうです。
【カーラジヲ】 1960年頃、カーラジヲも真空管でしたから B 電源用に高電圧が必要でした。 高電圧を得るのにはバイブレーターが使われていました。 音叉のような物をブザーの原理で振動させ、その先に付けた接点で直流を交流にし、トランスで昇圧してから再び直流にします。 交流から直流を得るのにもダイオードはなかったので、バイブレーターに同期したスイッチで直流を得ていました。 セレン整流器は在りましたが、セレン整流器は逆耐圧が低くて B電圧を得るのには適していませんでした。
それを使って魚を取ったが自分が感電した
飛行館といふのがあるんですね!是非行きたい、ワタクシ秘宝館も好きですが少なくなりました。
秘宝館・・なつかしいですね 社員旅行にいくと女子社員が困る顔を見て喜んだ昭和のセクハラ親父たち・・・ 笑 飛行館は河口湖ですが 自動車もおいてあって毎年行きます
すごいです。戦闘機の場合はわからないのですが戦艦の無線機はエンジンで発電機を回して直流電圧を得ていたそうです。真空管は807が多く使われていたと聞きます。その発電機と807のセットが売られてパチンコ屋で使われていたという話があります。戦後の車載の無線機では「バイブレータ」というのを使用しているものもあります。電磁石の力でスイッチをオンオフしてトランスに電源を供給するものです。機械的な振動を伴うことから故障が多かったそうです。米軍でもバイブレータを使っていたとの事です。
むかしのカーラジオはバイブレーター式のようですね。なお この直流発電機は 消防車の無線用のようです 昭和20年代ですね ゼロ戦も同じだと思います
😮😮😮@@miyazin-shoten
Uncle DougさんかMr Carlson さんのチャネルで、アメリカ50か60年代の車載オーディオ機器を修理するとの動画を見ました。その機器はモーターではなくて真空管で作った高出力オシレーターが交流電を作ってトランスで高電圧を作ってまた整流するという仕組みを用いたそうです。
高出力オッシレーターって・・・なんか怖そうな響きですね。 そういえば 昔のカーラジオバイブレーターみたいな昇圧機って・・・
懐かしいですね、UY807、送信機で使っていました。
もう戦時中にはゼロ戦に積んでいたというはびっくりしました。
中学3年の時真空管を4つ使ったラジオの構造を学んだ。とりわけ整流管の機能に記憶がある。ただB29に体当りした戦闘機がゼロ戦かどうか判断できなかった。体当たりは二回目撃したが、9歳5ヶ月の頃。
4ペンってやつですかね
おお・・・懐かしいST管じゃないですか、、、
ST管はノスタルジックです
807は懐かしいです。昭和37年に電話級で開局しました。送信機は自作で、807、6146、2E26などを使っていました。強烈なTVIに悩まされていました。なので、QSOは深夜です。それでも日本全国とQSOできました。勿論A3でです。
807は自作ハムの方にとっては おそらく過半数使われていたのではないかと思います。SSB時代になってメーカー製リグが主流になると忘れ去れたようですが OMには思い出の球ですね
私も昭和45年に開局しました。パナ6でです。で、今TR1-200を修理しています。
パナ6 TR1200なつかしいですね。 昔は50MHzのAMも盛んでしたね。 わたしもFDAM3持っています
UY-807懐かしいねー。TX88Aの終段に使われてたと思います。私は自作送信機に42と言う電蓄の真空管を使ってました。
わたしも42後継の6AQ5を単球で水晶発振のA1でアマチュア無線はじめましたよ。 いまでも42は私のステレオアンプとして稼働しています。戦後すぐの真空管がいまでも立派になっていますよ我が家では
@@miyazin-shoten お大事になさってください。
@@kazkam3567 ありがとうございます。42は棺桶に入れてもらう予定です 笑)
貴重な無線機の内部を見せてくださり、ありがとうございます。電動発電機が、しかも無線機の中に搭載されているとは驚きました。半導体によるDC-DCコンバータなんて無い時代は、いずれにしても機械的な仕組みが必要だったのですね。ところで戦闘機に搭載されていた受信機が再生式かスーパーヘテロダイン方式だったのかは存じませんが、1機だけではなく多数の戦闘機が群をなして飛行する中で使うには、スーパーヘテロダイン方式が必須だろうと思います。再生式なら妨害を出し合って実用にならないでしょう。
資料や設計図にはスーパーヘテロダインと記載があるようですが 末期の特攻機には・・・なんて話もあるようですね真偽はわかりませんが・ たしかに再生式はかなりビートがでてしまいますね。
最近このUA-camよく拝見しています。いわゆるM-G で直流電動機-直流発電機ですネ。 1980年頃 呉の護衛艦に M-Gのオーバーホールのため出張しました。水中探知器 ソナーの電源もM-Gで 誘導電動機で400Hzの軍用特殊交流電気を発電していました。整備後の負荷試験でよく映画の"ピョ〜ン ピョ〜ン"という音波を出した時 このM-Gに負荷がかかり振動したのを思い出しました。親父が呉で終戦を迎えたので縁があったのでしょうか
そうですか 興味深いお話ですね わたしも数年前単身赴任で広島にいたので いつも呉の大和博物館に行っていました 一日いても飽きないですね
昔パトカーのエンジンルームやトランクルームを見せてもらったらいたるところにボデーアース線が繋いで有って驚いた無線交信時の雑音防止の為と言ってた。
アース処理は難しいですよね 真空管アンプでも定石通りやってもだめで適当にやるとうまくいったり・・・・
黒いモジュレーターは昔の米軍の航空機に積まれた真空管受信機等でも搭載されていましたね。
電圧変換で電子式以前はM-G(モーター・ジェネレーター)が当たり前でしたね、国鉄73型電車も停車して無音になると軽やかに回るM-Gの音が聞こえた時代でした。近年聞こえたのは箱根登山鉄道モハ1型だったかな。
そうですね。電車や汽車は重さを気にしなくていいので 発電動機の形式はどうでもいいのでしょうけど 飛行機はグラム単位の軽量化が求められていたので 設計や製造に神経をつかったと思います。
昭和55年くらいに当時勤めていた先の業務用無線機屋さんの倉庫で150MHz帯の5Wの真空管式車載器を見ました。先輩の話だと「真空管は振動でヒーターが切れたり、抜けたりするので真空管を横にしてシールドケースで抜け止め防止をして搭載したんだよ」と聞きました。2B29や2B94は10W機が多かったです。5w機はもう一回りプレート損失の小さなMT管でした。電源確保用に12Vの電動発電機を積んでいました。
たしかにシールドケースは本来の目的よりも車の場合 抜け止めありそうですね
飛行機が好きで中学生のころ模型屋を始めた、無線機は作らなかったがアンプどまり、始まりは鉱石ラジオ凄い無線機積んでいたのか、隼は従弟が乗っていた、叔父木は大和の電探士として乗るはずが置いてきぼりなったらしい
もう戦争を経験した人たちもだんだん少なくなってしまいますね・・・
良いものを見せてもらったなあ。FT101とかなぁ。それよりも当時(戦中から戦後すぐ)の無線機はDC 12Vを真空管を動かすには、直流電動機で直流発電機で発電するしか方法がなかったと思う。DC 12Vは今も使われている蓄電池(鉛蓄電池)でなぁ。それから真空管を使うために電圧を上げるためになぁ。これは戦闘機も同じだと思うなあ。戦闘機には無線電信士も乗っていたと思う。特攻機はもしかしたら操縦する人が電信機も使っていたかもしれんなあ。特攻機は最後の時に電鍵を押し切りにして電波を出しつばないして、空母等に突撃。電波が止まった時に特攻機は目標に当たったか、それとも撃ち落とされたかはわからんが特攻機がなくなったということだなあ。こうしたことを私は無線の受験雑誌で読んでいた。今はなくなっているがなあ。私も無線が好きでなぁ。、アマチュア無線をやっていたからなあ。好きな道は徹底的に勉強したなぁ。真空管の807は話には聞いていた。それと1960年頃の無線機は警察や消防、後はタクシー無線もなぁ。特にこの頃はタクシーも儲かっていた。市役所に勤めるよりもタクシーの運転手の方が稼いでいた。そんな時代もあった。当然に無線にも力を入れていた。それでも真空管が詰まった送受信器。故障が多くてしょっちゅう故障していたと聞いた。一つの無線機の会社が100台の無線機があると飯が食える時代だったとか言っていたなあ。とにかく送信管なんかすぐにダメになったと聞いていたなぁ。タクシーは使う頻度も大きくてなぁ。タクシー無線は1954年に一番最初始めたと思ったが違うかもしれない。この頃には電力会社も多重通信の初期のものを使い始めたりしてなあ。もっともテレビ放送の中継用に使い始めたのがNTTだと思うがなぁ。まだテレビも全国網にはなってなかったかもしれんしなあ。昭和30年前後は無線界にも面白い時代ではないかと思ってなぁ。
真空管からトランジスタの移行・・・なんでも過渡期はおもしろいもんでしょうね
50年ほど前、隣の親父が町議に立候補したんですが、その時選挙カーに使用したアンプは真空管式で、電源はバイブインバーターでした。でもあれってすぐ接点が焼けちゃうんで、USプラグ式で簡単に交換できるようになってました。うちに一個どこかに有るはずなんですが。
それは貴重ですね。真空管カーラジオもその方式ですね
当時は上官の前では零式鑑上戦闘機れいしきかんじょうせんとうきなんて言っていたんでしょうね。当時英語ご法度の時代でしたから。ゼロはふつうに使っていたようですね。昭和35年頃プラモデルが流行ってましたね。グラマン、メッサーシュミットなどあったような記憶がありますけど。買ってきて組み立てた思いでがあります。10cmの位の小さなものから色々ありました。
プレートの陽極 グリッドの格子も久々にみました。敵性言語だったんですね。 笑 そういえば最近プラモデルも組み立てる子供が少ないでしょうね ゲーム機があるし おもしろいおもちゃも何でもあるし・・ゲルマラジオなんて見向きもされないのは悲しいですね
個人的に知り合った旧海軍の方、3人に直接聞いた範囲では「ゼロ戦」と読んでいたと伺っています。
おやじさまはなんか弱電計測やってました訳わからないから2台目出来なかったでした今考えると凄い親父でした
こんにちは自家用のヒルマン真空管式ラジオでした バイブレーター式の電源使ってると父が申してました私はメカ詳しくないのですが 弟がタクシー無線ジャンク買ってきてハムバンドに改造したこれはモーター式の発電機ついてると言ってました 昭和40年代初めの頃だったと思います父も通信兵でした 支那に駐屯したと申してました
たしかに現在70歳くらいのひとは この発電は知っている人が多いようですね・・・やっぱり私などまだまだ若造ですね
面白かった!
ありがとうございます アンテナ編もありますのでよければ見てください!
電動発電機ですね!ちょっと前までの鉄道でも架線から電圧下げるのにも電動発電機が載ってたみたいですね〜
そのようですね。AC100Vの機材もおおいですもんね
パワー半導体の技術が未熟だった頃の電車(国鉄電車が代表例)の補助電源として、電動発電機が使用されていました。動力源として取り入れてた、直流600Vなり、1500Vなりで(交流電化の場合は降圧・整流して)電動機を回して、それを動力として、クーラーやコンプレッサーを駆動する三相交流200Vや、照明などを駆動する単相交流100V、それを整流して制御機器を駆動する直流100Vを造り出していました。
面白かったですよ。凄いことをしていたんですね。
たしかに当時はDC-DCコンバーターもなく ダイオードもセレンの時代ですものね
無線機の中に発電電動機いわゆるロータリーコンバーターが入ってたなんて驚きです半導体の無かった時代の昔の鉄道変電所はロータリーで低圧の直流750V作ってたんですけどね
しかしよくこれでノイズに影響されないもんかと感心しました。
直近まで勤めていた工場でつい10年ほど前まで入力3相AC210V60HZ出力3相AC210v400Hzの電動発電機を使用していました。効率が悪かったので、私が全部VVVFインバーターに更新して省エネとブラシ交換の不要化をしました。
航空機関連の会社でしょうか?
807は、立派な"玉"ですわ。懐かし過ぎますね。出力はA3で10wでプレ-トはトップですね。一般的には、DC-ACコンバ-タはバイブレ-タを昇圧していましたね。基本原理は今も同じです。それにしても、造りは凄いですね。ノイズ対策が気になります。ご紹介ありがとうございました。
コメントありがとうございます たしかにノイズもあるのですが 回転音もうるさいそうです 笑
バイブレータ懐かしい。見たことが有ります。部品単体で見ただけですけど。昔のオムロンのタイマーは、モーターだったよね。
DC-ACコンバーターですね。
コンバーターではなくDC-ACインバーターですね。
@@cloudnine3880 ACの整流はしていませんね
へぇ…電動発電機にこんな小さな物が…高電圧を半導体で制御できた時代はもっと後なので、それまでは電車の交直変換に使われていました。非常に大きなものです。まだ現役で動いてる電車があると思いますよ
小ささもあるのですがゼロ戦やつばさではB電源なので500V この150Mhzで300Vくらいとれるのがすごいです。
この夏に航空博物館行ってきました。アンテナは詳しくチェックして来ましたが、さすがに無線機の電源までは注意が及びませんでした。流石ですねえ!
河口湖の飛行館ですか? たしか夏だけでしたね。
@@miyazin-shoten そうですそうです。自動車館は通年みたいでしたが、飛行機館は夏だけですね。体育館みたいな建物にレストアした旧軍機が所狭しと並んでいて楽しいところですね。昨年はあのレシプロ最速機 彩雲が目玉展示でしたね。復元が楽しみですが生きているうちに出来るでしょうか?
@@masayoshimorimoto5443 クルマも最近は通年ではなくなりました 夏だけです。なんか博物館の人にきいたら レストアラーは自分の寿命以上のオーダーをもっているそうです 笑
昔、タクシー無線が真空管式だった頃もこんな感じの無線機だったような・・・。クレイの昔のスーパーコンピュータの電源もモーター+発電機だったと聞いたことがあります。重いフライホイールを付けることで短時間の停電にも耐えたとか。
この無線機は消防車のものですが12V入力なので多分TAXIに近いかもしれませんね。2E26だしクラスも同じくらいでしょう・・・ ちなみにむかし日産のシビリアンというバスには停車時のエアコン用動力としてサニーのA12エンジンを別に積んでいました
DVDは何本か購入したことがあります、ほぼ毎年8月になると行ってます初期のころはただビデオをDVDにコピーした手作り感満載のものでしたがだんだんチャプターがついたり画質が良くなってきたのはいいんですがお値段も良くなってきてしまったので手が出しにくくなってしまいましたね、丸い直流変圧器って奥の突き当たりのショーケースの下のほうにおいてあります、うちにも昔あったんですがモーターと発電機を同軸にむずんでおいて発電するインバーターですね、うちのは1A出力で電球つけて遊んでました、効率は悪いですが面白かったですね、
そうですか! わたしもDVD最初のころのもっていますが 手作り感ほんとにありましたね。 また来年行こうおもいます。ただ私は無線機興味あるのですが 飛行機はあまり興味なくて・・・笑)
@@miyazin-shoten 父が生前は戦後米軍の基地で無線機のなにやら引き受けてたらしく戦中戦後の電子機器の知識はなみなみならぬものがありましたね、秋葉原も常連でしたようですし、その後車の修理関係に転職してました、晩年は解体屋のアルバイトしてました、飛行機舘にはぜひつれていきたかったのですが・・・・・
@@pa3143ここは 夏休みだけ開館というのがすこし残念ですが・・・・
なつかしい発電動機ですね。昭和50年代までは電子式インバータではなく発電動機を見かけました。それは、船の通信室です。船の発電機が停止したとき24Vのバッテリーでモーターを回してその発電電圧で無線機を動作させます。受信機は24Vで動作しますが、A1送信機は球ですから24Vでは動作しないので大きな発電動機がついてました。動画の内蔵型を巨大にしたものです。
船ですか・・・たしかに空も海も一緒ですね・・・しかも昭和50年代まで使われていたんですか・・・ 発電動機・・まさに読んで字のごとくですね
目から鱗状態です。なんとなく低電圧のB電源で使ってたのかなと思っていましたが、直流変圧器と聞いても???のままでした。まさか発電機だったとは。
そうなんですよね。わたしもゼロ戦てDC-DCコンバーターかと思ったら 当時はそんなのないですね 笑
戦時中のDC-DCコンバータは(400Hz)バイブレータ(ブザー回路の様な物)DC24Vを断続し変圧器で400Vに昇圧、パルスなので整流器を使わずトランスの2次側をいきなり電解コンで平滑してDC電圧を作っています、耳を澄まして装置に近寄るとブーと唸っています、もう一つはDC24Vのモーターで高圧が発生する発電機を駆動してDC数百ボルトを発生させる電源が有ります、ゼロ戦の絵から見るに後者の方式の様に見えます。
この本は隼のようです。 また隼のWEBサイトでみると入力は12V、 807用に500V B電源の低圧側が150V程度のようですね。
@@miyazin-shoten 現代と比べるに 素材に乏しいなりに 装置を実現させてるのですね。
新中央工業は戦前に南部麒次郎が経営した中央工業が戦後に改組された企業。中央工業時代からの業務を引き継ぎ、警察・自衛隊・海上保安庁など官公庁むけの銃器や防衛関連製品の製造をおこなっていたそうです。制式拳銃のニューナンブも作っていたそうです。現在はミネベアミツミだそうです。
情報ありがとうございます
中学生のころにジャンク屋さんでアルバイトしていて小指くらいの真空管がびっしり入っていてこれじゃ日本は負けたはずだと思っていたけど皮ケースに真空管が2本だったかな、膝にはめる電鍵とセットになった無線機を見て日本も頑張っていたんだな。と思いました。
真空管に見る日本史ですね!
当時携帯ラジオはミニ真空管が使われていた、電池を沢山入れないといけない、捨てなければ良かった
アメリカのカーラジオはリレーで発振してトランスで昇圧してから整流管使っているけれど、こっちのほうが簡単でいいですね。
日本のクルマも古いのはこのバイブレータ式のようですが やはりあまり電力(電流)が取りにくかったようですね。でもこの変圧器はかなり大きくて重いです!
申し訳ありませんあり得ない!の卒倒組です機内はものすごいエンジン音と風切り音だったと思いますそのような環境でノイズの中からパイロットが信号や暗号を聞き分けるとはすごいことだとつくづく思いますところで先日のスプリアスの話にも繋がりますがアマチュア無線はこのような無線機で実験や交信が楽しめるようになって欲しいと思います
むしろエンジン音がすごいので 発電機の音が気にならなかったりして 笑いやー ほんと こうした古い無線機で実験できるようにしてほしいですね。もちろん通常の交信用はスプリアスもばっちりして・・だけど実験用でたとえば10W以下であれば こうした古い無線機や 自作機など許可していもいいと思いますね。どうせ余生は短いジジイたちなのですから
MGとは・・・w実習の時のDC200vだか作るのに、実習室の後ろで爆音でモータージェネが回ってた記憶がありますが・・・そのミニチュア版なんですね。電車だとまだ現役でMGは残ってると思いますが、扱うのはやはり大容量で、しかも古い車両だけですもんね。確かに、筐体の中にMG入ってるのは驚くかと・・・w 隼の無線機全体でどれ位の重量だったんでしょうかね?
かなり重いでしょうね ビス一本リベット一個削減していたのに 結構重量食っちゃったんでしょうね
ゼロ戦や隼につられました・・・杉原商会に出ていたジャンクの仲間に近い話ですね。面白い話でした。
なんか アンプの視聴者の方とちがい戦記マニアの方が多く一気に視聴数が最高記録です。ありがたいのですが コメント内容が難しくわからない人が多かったです。加えてこの飛行機のいい加減なイラストにつられた人が多かったみたいです。 杉原商会・・・ありましたね なつかしいです
杉原商会 懐かしい。高校時代にOTLアンプ用に6336を買いました。1万円だったと思う。今でも使わずに持っています。秋葉原で6336に巻く、バネのような形をした放熱板を買いました。板じゃなくでワイヤーですけど。
私も真空管タクシー無線機持ってますほぼこんな感じでもって この直流発電機も乗ってました めちゃうるさいですよ 現在屋根裏で埃被ってます (笑
たしかにタクシーもこの消防無線も150MCくらいで同じようなもんですね
B29実働保存機の受信機はAR8600がついています。
昔、ゼロ戦などには0-V-1などの受信機を積んでいたとか載っていましたよ。
最近Webで見るとかなり詳細に仕様が載っていますね。ゼロ戦も隼もスパーヘテロダインでした。私も以前 誰に聞いたか再生式と思いっていましたが いろいろ資料をみると違うようです。あとゼロ戦の電線は銅線に紙巻とかいう話がまことしやかに流れていましたが これも設計図でみるときちんと合成樹脂にパラフィン紙となっていて これを紙と勘違いしていたようです。 河口湖の飛行館にもよくいきますが こんど横浜に通信機博物館もあるので見に行こうとおもっています。 やはり自分で確認することが一番だと思います。 百聞は一見にしかず・・今回よくわかりました。
@@miyazin-shoten 「横浜旧軍無線通信資料館」の「96式空3号無線電信機」のところを見ると、『受信機:長波帯2-V-2のオートダイン、短波帯高周波1段、周波数変換部付加のスーパーヘテロダイン方式(8球)』とありました。長波帯の再生式親受信機に対して短波帯を長波の中間周波数に変換して突っ込んでいたので、再生式という言われ方をしてるのではないでしょうか。写真はあれど操作方法が不明なので想像ですが。あっでもこれは艦攻用で戦闘機用じゃないですしそもそも海軍機で、宮甚さんのお話の隼のとは違いますが。
@@Kazuyuki_Iwakami_JK1NWD その説もおもしろく興味ありますね。 横浜旧軍無線通信資料館 一度いってみたいです
飛行機の上部のワイヤーって、アンテナだったんですね。てっきり筐体保持用のワイヤーと思ってました。それと後半の無線機の中のヒューズケースが今でも使われている形状なので、比較的新しいものかと思いました。
たしかにゼロ戦って、ものすごく軽量化されていてワイヤーで補強されていても不思議じゃないかんじですね 笑後半の無線機は消防、警察用でおそらく昭和30年代だと思います 真空管もmTですから
807が隼に乗っていたとは知らなかった。これ終段にしてスクリーングリッド変調でHFで遊んでいた頃を思い出した。有難う。
おそらく隼も807Aのハイシング変調で 同じような回路だったのでは?
アメ玉、使っていたのか、情けない
@@kotanuki1205 日本の軍球といえばRHシリーズとか「ソラ」が有名ですね。
西堀さんの開発し、芸者さんが作った真空管、戦場では多種類の真空管では補給がたいへんというので、単一種類で勝負だったのです。さすがに807には勝てなかったのか、終段はマルナナなんですよね。空飛ぶソラは戦後の雑誌にたくさん登場するのですが、現物は見たことがなかったです。
@@kotanuki1205 「ソラ」はドイツの万能球FM2A05Aの日本版として軍から強要されて一ヶ月で開発されたそうです。西堀さん凄いなぁ…
もう40年位前に町の小さな工場でオルタに取り付けてAC100Vが取り出せるキットの製作してた事あります。
40年前だとそろそろ半導体コンバーターが一般化してきたころですね
真空管は機会が無かったら使用した事が無かったけど、面白いお話でした。Trも無い時代のDC-DC変換なんてどうやったのかと思ったら、発電機とは思い切った作りですね~
わたしも発動発電機の存在はしっていましたが まさか500VのB電圧とは恐れ入りました
貴重な内容、ありがとうございました❢(*^^*)
こちらこそご丁寧にありがとうございます
こんにちは。昭和中期では、電動発電機自体は普通の物だったのではないでしょうか。昭和50年代に大須アメ横にて中古のDC12V→AC100Vの物を見かけましたし、昭和50年頃の機械の図鑑を見るとエレベーターの直流電動機を動かすために、三相誘導モーター→直流の物を用いていました。そういえば、依佐美送信所も三相→直流と直流変換してから直流→高周波にしてましたね。東海道新幹線の50Hz60Hz変換も以前は電動発電機で行っていたようですよ。
はい普通のものだったと思います。現物を見たことのない方々にお見せしたり 懐かしがってもらうのが本動画の趣旨です
大須は良く行ったジャンクや巡り
真空管807は、トリオの送信機・TX88Dに使われていたと記憶する。TX88Dが全盛のころアマチュア無線免許をとり、HFではなく、パナ6で開局。
TX88D、パナ6の二台とも 現役稼働で持っています!
dでなくAです。
こんにちは、貴重な無線機を見せて頂き、有難う御座います。若い時に働いた会社の創業者は、戦中に無線機を軍に納入していたようです。創業者が会社に来たとき、話しする事が出来たので聞いてみた!戦中の無線機の受信機は?「今で言う五球スーパーですよ、真空管回路は解りますか? 中には高周波一段付いたもの有りました」「特に移動機は、故障が多かった 役に立たなかったと思う」「信頼出来る無線機を持たせられなかったのが、心残りです」涙流していたので、これ以上聞けなかった!創業者は奢らす、偉ぶらす、涙流しながら話し、涙を拭って「戦争は駄目だよ~美化しては駄目だよ~」一礼して退散した。
いいお話ですね! 技術者の鏡ですね
あの線は無線のアンテナか、しかも前についてる。其処からあとは話についていけませんでした。
長さが必要なので 前から張っているのでしょうね
ハナタレ小僧でした。楽しく拝見しました。
あはは 失礼しました。 ご興味をもっていただいて有難いです
いやー、面白かったです!大東亜戦争当時の通信機・無線技術史については、CQ誌の連載 ● 無線通信と日本海軍第7回 超長波通信の実戦配備と日本海軍の通信 JA2IIN 中西 信次OMの解説が面白いですよ。当時、ゼロ戦の無線機は必ずしも(米国に比べ)性能がいいものではなく、司令官からの指示が上手く伝わらず配下の僚機を多数失ってしまった…。等の歴史を知ることが出来ます。こうした先人のご苦労の上に今の世界一とも言われる日本の通信技術があるのですね。(携帯関係では抜かれてますが。。)当時の海軍通信隊の苦労が忍ばれます…。しかし、発電機を無線機自体に組み込む発想にはびっくりですね!(笑)当時は大真面目だった訳ですが。。
CQ誌にも載っていましたか・・・たしかにCQ誌はもはや60~80歳向け雑誌ですもんね。わかります。それにしても真空管の無線機で戦っていた当時のパイロットの苦労も並大抵のものではなかったでしょうね
もっと凄いと思うのが太平洋の真ん中でどうやって空母まで帰っていたんでしょう今の常識で考えれば明らかな自殺行為それともADF的なものが合ったんでしょうかね
@@tomiokazama5685 当時戦闘機のパイロットは極限状態で皆勘に頼っていたという記述をみたことがあります。
@@tomiokazama5685 さん ADFなど当然ありません。空母からの無線による誘導と後はパイロットの勘です。この装備で、海外まで飛んでいたことが驚きです(無論、空母なのですが)コンパスくらいは付いていますがね。
@@takesihara4852 考えたらそんな自ら電波なんか出すわけないですよね、昔のひとは鳥の能力もそなえていたとか?
私もS45年に初度開局致しましたトリオのDラインでの開局でしたでも、807の響きは、懐かしいですね😃ありがとうございましたm(_ _)m
昭和45年ごろのアマチュア無線の機械は百花繚乱という感じでたのしかったですね。まだこのころは簡単な自作送信機や受信機も出ていて、わたしも5球―スーパーに単球のCW送信機を作っていました。その後はメーカー製の既製品ばかりになって・・・・
@@miyazin-shoten 有り難うございましたm(_ _)m私も、既製品ばかりになりましたね❗😁やはり、聞きにくいところがあり(そこが魅力とされる方々もいらっしゃいますが)私は、CWに走りました❗😁懐かしいです〜❗
コメントを見て判りました、はやぶさ≠つばさなんですね。直流変圧器って名づけがすごい直流発電機にびっくり。ノイズ対策は大変だったのでしょう。開戦当初はスーパーで末期は物資不足で再生式になったのかも。マイクはカーボン式でSPはマグネティック型だったのでしょうか・・・ノスタルジックをかき立てられますが・・・英霊のご冥福をお祈り致します
すいません つい友人の名前呼んじゃって…編集しなおそうと思ったら視聴数がうなぎ上りになってしまって 受け狙いの再アップに思われそうなのでやめました 笑 たしかに特攻隊の機体は0-V-1? いや無線機なしだったかもしれませんね・・ 今思うと二十歳そこそこのガキが 何の疑いも持たずに国のために死んでいったのを思うといたたまれないですね。私はこのところ毎年靖国神社に行っています(ついでにゼロ戦みてきますけど)
@@miyazin-shoten さん 私の身内も靖国に祀られております。まさか、ここでこうした戦史にまつわるお話が出てくるとは思いませんでしたが、無線の歴史から近現代史を学び直すのも学校教育で刷り込まれた自虐史観の見直しにもつながっております。遊就館はいいですね。平和の尊さを考えさせられるのと同時に御英霊への感謝の念が湧いてまいります。
@@takesihara4852 遊就館・・でしたね 私も必ず行きます。 死んだうちの親父も弟が海軍で戦死しているので子供のころから毎年連れていかれました。親父は俺が死んだら弟とそこで待ち合わせているので お前の代までは靖国神社に行ってくれと言い残されたので・・・ そういえば 遊就館の機体は河口湖の飛行館の館長さんの寄贈ですね。
回転式変圧?器。少し前まで新幹線変電所の50→60が有名でした電源?さえ確保できれば何でも出るので車両内部電源にも使われる
私は二式単戦「鍾馗」や五式戦が好きですo(^^;)そういえば零戦とかはキャノピーの後ろから、隼と鍾馗はキャノピーよりも前からアンテナ線を張ってますが、やっぱり理由があるんでしょうか?
私も詳しくないのですが、周波数は3~4Mhzだったと思うので 波長は80m位あると思います 1/4としても20mくらいになるので できるだけ長く取りたかったのではないかと思います。ただそれでも不足でコイルなどを使っていたのではないかと・・・。
こんにちは、多分、絵のゼロ戦は常陸製作所、日本海軍長距離偵察機、三人搭乗席の或る51型零戦を改良した偵察通信航空隊のゼロ戦です。茨城県古河市の常陸製作所の製造、太平洋戦争末期です。
3人乗りなんて有ったのびっくり
@@大森カモシカ 太平洋戦争末期に開発されたので、10機も無いかな、無線機も電信電話、特攻隊のゼロ戦だけは多かれますね。郵便輸送や偵察機でしたので、郵便物は空から学校や広場に袋で落下させる為、複数の搭乗員を必要です。当時は複葉機でパイロットが女性、小娘飛行隊、紅の豚を歌う、歌手の加藤登紀子さんが終戦直後、予科練小娘飛行隊員だった。時には昔の話しをの詩、
昭和25年頃の選挙で、807ppのアンプをバッテリー駆動の発電機で使ってましたよ。コンバーターとかいってました。
当時はDC-DCコンバーターではなく、ヒーターとB電圧を別々に取り出す方法の無線機や アンプのように家電的にAC100Vをつくって普通に稼働させる方法等があったと思いますよ。またクルマの真空管ラジオなどは変則的な方法でした。
ええええオルタネーターにはブラシは有ってもコミュテーター(銅の円筒を切り分けたもの)はないですね。私は戦後なんで大阪日本橋の塚本商店なんかで米軍のお下がりモータージェネレーターを買ったことがあります。モーターで回して発電するというより、他の方式だとかいう説明だった。
ワーゲンビートルの6Vダイナモみたいなもの くらいの認識しかありません
旧陸軍の通信機に付属した手回し発電機は、直流130v,12vの出力だったなあ~
受信機ですかね 送信機するとなると終段は807クラスなので400~500Vは欲しいところですね。
@@miyazin-shoten 可搬型送受信機用のモノだった様です。最前線から指揮所への通信が用途だったのでは?と思います。送受信機自体は一球だったと記憶しています。
@@sakukobayasi 1球ですか・・・一球入魂ですね
放射線測定器は今でもコックロフト=ワルトン回路を使ってますね
ホンダさんは陸軍の6号無線機発電用エンジンを自転車に補助エンジンとして付けたのが始まりらしいですよ
そうでしたね! 当時は原付メーカーの群雄割拠で 払下げのエンジンがもてはやされたようですね
昔の戦闘機の無線機設備には詳しくはありませんが、日本でも戦前にはスーパーが実用化していたので当時の最先端戦闘機にスーパーが搭載されていても可笑しくないですね。戦前のDXer J5CCもスーパー使っていた様ですし。但し、特攻隊機には無線機が付いていなかったと言う話も聞きます。もしかして、物資不足の終盤には1-V-1とかも有ったのかも?B29には既にオートアンテナチューナーが搭載されていた様です。今回は飛行機マニアの方がコメントしてるみたいですね!
それはありえるかもしれませんね。そうだとしたら 物資不足のおり人命より真空管の本数が重かったというのは悲しいですね。当時20歳そこそこのガキが国の命令で 本気で命をかけたことを思うと・・・ 現職閣僚は全員 せめてあと10年は靖国神社に参拝してほしいです。そうそう、今回は飛行機のイラストですこし視聴数上がったみたいです。あと電車系の人も多いようです。
この造りからすると、今のIC化超小型はインスタントラーメンのようです。安くて旨いが、ただそれだけで目を見張る感動が無さすぎ。オーディオのスピ‐カ-も同じ感じですね。
たしかにICがインスタントラーメンとは言いえて妙って感じですねスピーカーもデカい箱に圧倒されてロク半一本なんての良かったです
@@miyazin-shoten 十分な時間と予算を投じて作られたモノには、一般の利益目的で作られたモノとは次元が違います。プロ仕様には、静特性では見えない特性が存在しますね。時代を超えて価値のあるモノは、オークションでも高値で売買されています。nagra SN、STUDER 730、JBL LE8Tなど歴史に残りますね。
@@renonkkk この無線機も、びっくりするのはパネルや部品を外したねじが また戻すときぴったり吸い付くように入るのは感動ものでした。やわな作りだとシャシーがしなって苦労します。
@@miyazin-shoten ビスの造りからして違うのですね。nagra SNもそうです。
この電源どっかで見たような・・・と思ったらRF誌の特集本で兵器の解説してる漫画家の方が書いてましたわ(内容は零戦のクルシ-とチハ?戦車無線機でしたが)。
あっそうですか この電源は昔の消防車に使われていた電源で たぶん戦車も同じでしょうね。重いです
こんにちは、ゼロ戦の電源、当初は油紙に炭素粉を加えたマンガン電池です、21型零戦は開発が進み蓄電池型のコンデンサタイプに為りましたので、ミカンの皮を使い金属反応で起電を挿せたらしい、製法は理科実験と同じマンガン乾電池式でしたよ、直列6気筒エンジンの隼でしたので、発電機を装備が出来たかと、特攻隊零戦にはマンガン乾電池式を複数装備し交換したらしい、12Vが出来ずに苦労したらしいですよ、埼玉県羽生陸軍航空機 隼疾風隊の記録にて、隼、製造は中島製作所 群馬県太田市現在の富士重工跡地です。
私は飛行機はまったく詳しくないのですが 河口湖で そういえば隼のエンジンのところに熱田(おそらく愛知機械の熱田工場?)の直列エンジンがおいてありましたね なんだか逆さまのエンジンでヘンテコだと思った記憶がありました。 やっぱり飛行機もクルマも 愛知機械と中島飛行機(スバルやP)ですね!
@@miyazin-shoten 空手家の大山倍達さんが最年少時代のゼロ戦22型の後期で、特攻隊予備軍で羽生陸軍航空機飛地から、飛ぶ予定が車輪故障で出兵を留められ終戦に為った様です。中島製作所から三菱重工に替わる前に常陸製作所から古河市で宮甚さんの絵、ゼロ戦が製造され三輝、3枚プロペラに変更改良型に為るかと想います。51型零戦、三人搭乗席のゼロ戦、伯父が厚木陸軍航空隊 厚木基地ですので、東芝の真空管、宮甚さんはその真空管を渡した方が当時の関係者かと、想います。私達は祖父母がブラジル開拓者日系ですので、祖父がシベリア鉄道開拓団満洲から四川省です。
モーターダイナモで変圧って、どうやって回転数を一定(安定化?)にしてたのだろう?
電動発動なので回転数はあまり変動しないのでは?
どうやって定電圧にするのかと言う事ですか?詳しくは知らないけど、「分巻き」と言う構造じゃないかな。電圧とか電流によって、発電機の磁界を加減して定電圧特性や定電流特性を持たせる。磁界を使った負帰還回路と言う事じゃなかな。
2分21秒と15分20秒のカルト的なオーディオマニアのディスり方が最高です。もっと言ってください。
ありがとうございます。こうしたディスりを交えた動画は 必ず評価が下がるので面白いです。でも おもしろいもので こうしたディスりをするほどカルト的オーディオマニアは視聴するケースが多いです。やっぱり心の片隅で疑問もあるのでしょうね。
@@miyazin-shoten オーディオ以外にも電気楽器(電子ではない)の世界にも、この手の眉唾話は沢山あります。3アマ程度持っていれば「こりゃ嘘だ」とわかる様な話を眉間に皺寄せて滔々と語る機械音痴が結構います。私も自分のFBにはその「欺瞞」をディスるカキコをしています。
東芝の真空管の赤箱、懐かしい物を見させてもらいました。家業が町の電気屋でした。白黒テレビの販売をしていましたので、修理のためにあんな真空管の箱が修理棚に並んでいたのを懐かしく思い出しました。
真空管の箱はいつみても心が落ち着きますね そういえば昔は町の電気屋さんで真空管売っていたんですね。わたしもラジオをつくって小遣いためて1本づつ毎月買いました
こんなに大きな短波通信機が片手で持てるサイズにまで小さくなった現代。
20年前にFT-817、2年前にIC-705が発売された時は驚くばかりでした。本当に凄い!
技術の進歩はすごいですね 軽薄短小なんてありましたね
最近の中国製HFリグも一見BCLラジオみたいな物もあって驚くばかりです。
@@miyazin-shoten 当時の時代を表す『軽薄短小』これ、褒め言葉なんだぜぇえ、週間プレーボーイで読んで俺も勉強したような(笑)
真空管式カーラジオには、バイブレーターという変圧器がついていました。
構造は、ブザーの原理で、直流を断続する直流→矩形波にして、
トランスで昇圧するシステムで、火花が出るので、入力側と出力側に、
厳重はフィルターがついていました。
昔 昭和45年ごろ 真空管アンプでクルマで音楽聴こうと思ってバイブレーターを使ってみようとおもいましたが もうすでに中古でもありませんでした。
大戦中の戦闘機の無線機、増幅素子は真空管のはずだけど、真空管をドライブできる高い電圧ってどうやって作ってたんだろう・・・と素朴な疑問をずっと持っていましたが、この動画のおかげで解決しました。
まさかこんな方法で昇圧していたとはビックリです。
しかも隼の無線機は 500Vと150VとB電圧が別々に発電されていて・・よく考えられていますね。 いまなら12VでなんでもOkなのに真空管時代は大変だったんですね
@@miyazin-shoten
モーター回して必要な電圧作ってたと思います❗
2世代前もかなり大きな音がする発電機回してた記憶があります
間違ってたら、すみませんですm(_ _)m
なんと効率の悪いことを・・と思ったら、直流から電圧変換の技術ない頃の変圧装置なんですね。
当時なりの試行錯誤、素晴らしい情報ありがとうございました。
やはり半導体時代に入ってから こうした真空管電源は小型軽量の恩恵は大きいですね まあ半導体時代なので真空管は使わないほうがいいのでしょうけど・・・笑
今はトランジスタ、ICで回路作りを行っている為、高圧を触り感電する事もなくなりましたが、当時は真空管回路のB電源を触って感電する事がありました。
当時は6C6,6ZP1等を弄ってラジオを作っていました。
直流の感電は、交流のそれに比較すると、独特の”味”が有り、体の芯まで痺れる感覚がありましたね。
並三で初めて音が出たときの感激と感電の驚きはいまでも覚えていますね
@@miyazin-shoten さん
懐かしい思いでです、
6C6,6ZP1等を弄ってラジオを作っていました。並3,並4,超再生受信、レフレックス受信機等、懐かしい言葉ですね。
”感電”しながら制作し、完成の後”感激”でしたね。
出来た多と思って感電して落とした事を追い出す
DCモーターのDCコンバーター、昭和50年代くらいまでかつての電電公社でも使ってました 交換機の稼働には+接地の-48vなので、公衆電話やピンク電話の課金信号に+50vが必要でした。交換機は無停電電源とするため大型の鉛蓄電池に充電しながらの動作、浮動電源でした。
これは消防車搭載無線機用なのでで12Vのようです ここから280Vくらいの高圧B電源をとりだせます
昭和43年開局したモノです。新設の中学校に行ったら校内放送器の終段は6CA7。予備に有った古いアンプは807,もう一台は6L6。共に球を抜いてもらってきました。807Aも近くの廃品回収業者店の山の中から見つけて大喜びしたことが有ります。海軍機で使っていたようで白い錨マークがありました。それから60年近くが時が流れ、田舎に残した僕のあの807A、今はいずこに・・・。
やっぱり当時の身近な球は 6L6や807ですね
私が生まれる13年前は、戦時中でした。(永遠の0)の映画を観て当時の若者が厳しい状況に置かれていたのを認識しました。あの時代の貴重なお話ありがとうございました。
当時 スーパーヘテロダインだったのはさすが戦闘機です
いやー
貴重な物を見させて頂きました。
日本でも時代的には遅れていたのかも知れませんが、ダイナモ内蔵のこんなにも凄い無線機を開発製造されていたんですね。
しかし、この様な珍しく凄い物を持参している知人が近くにおられ、しかもプレゼントしていっちゃうと言う間柄に、羨ましさを感じました。
何かを想っていると、ひょんな巡り合わせが、たまにありますよね。
飛行機の内部も含め、興味深く今回も拝見させて頂きました。
ありがとうございます。近所の先輩には助かっています 実は同時にアンリツの真空管SSGももらいました これもでかくて置き場所ないくらい こんどご紹介しますね
当時の軍用機の発注方法は、
・機体
・エンジン
・無線機
・武装(機関砲)
は、軍が別々に発注してました。最終組立は三菱・中島などの航空機メーカーがやってましたが。
設計の発注も別々でしたので、例えば無線機はそれ単体で機能が完結してないとアカンかったのです。
たとえ分電技術があったとしても、エンジンのジェネレーターから電線を引っ張って……と言う設計が出来なかったんです。
どんな無線機を積むのか、機体設計側はよく分からないから(分かるのはせいぜい寸法と重さぐらい)。
この設計の縦割りが無線のアース処理やノイズ対策の未熟さを生み、「日本機の無線は通じない」と言われる所以になりました。
更に後々、レーダーという電力大食いの機材を追加で積む時に大問題になりました。
なるほど まさに縦割り設計 生産体制だったんですね
この電動発電機のことは、ほぼ半世紀前に古本だったか図書館の蔵書だったかで読んだ記憶があります。
たしか「ロータリーコンバーター」と紹介されていました。
現物を見るのは始めてです。
初代クラウンが4気筒1.5Lの時代にパトカー仕様は6気筒4L級のエンジンを積んでいました。一般には「カーチェイスで負けない為」と言われていましたが、個人的には停車時でも電源確保が出来ることが目的であったと思っています。
停車中に無線機と拡声器を安定して使用することは、今日考えるほど容易な事ではなっかったと想像します。
良い物を見せて頂きました。ありがとうございます。
ご丁寧にありがとうございます。もちろん私も昨日みたばかり・・・びっくりしました。
動画の807はオーディオ仕様ですね。高い周波数であれば、マイカステム下にシールド(遮断)プレートが付いています。 シールドがないと、回り込みおこって自己発信します。高高度だと気圧が低くなって、真空管の作りが悪いと管内の真空維持が難しくなります。当時、高圧電気を作る為、DCをACに変換するので、ブザーの様なバイブレーターで交流や、モーターで回転子を回して交流を作って、トランスを使って昇圧します。今では FETやスイッチングデバイスで簡単に交流に変換できます。問題はコンデンサですね。高耐圧のコンデンサ、大きい、重いです
どうも中学生です。
零戦や隼などを聞くとワクワクします。ちなみに好きな飛行機は、疾風と雷電です。
動画はとても面白かったです。
ありがとうございます。ジジイ向けの動画にお若い方が興味を示していただけてうれしいです。戦闘機はいつの時代でもかっこよく見えますかね!
興味深く拝見しました。私は現在75歳ですが21歳のころから外航船の通信士をしていました。そのころに乗船した昭和30年代に作られた貨物船の予備送信機並びに受信機の電源は24ボルトのバッテリー駆動のロータリーコンバーターを使用していました。今となってはノイズがどうだったの、また使い勝手はどうだったのかは記憶がありませんが電源を入れるとモーターの回転音がしたのを覚えています。また807は高校生の頃中古のものを二本1000円で友人から譲り受けて7メガヘルツの送信機を作ったのを懐かしく思い出しました。
年齢的にも大先輩だし なによりプロの方ですね。私も無線の師匠が通信兵でした。もうとっくに死んでいませんが。
807は多くのOMの心に残る名球でしょうね。
貴重な映像ありがとうございました。
ありがとうございます 古い無線機の資料はなかなか貴重ですよね
軍用機だから頑丈で実用的という事で電動発電機なんですね。807は6L6の高周波用として昭和15年ごろから盛んに作られたらしいので、戦闘機の無線機出力管としてピッタリだったのでしょうね。
たしかに丈夫そうですね。まあ当時はDCーDCコンバーターみたいなものは難しかったんでしょうね。
いつも楽しく拝見しております。MGは昔の電車式ですね。警察/消防無線だとFMですからモーターノイズも問題ないかも知れません。B29のトランシーバーの動画を見ると同様のMGが着いてます。但しコリンズ製で、造りも格段にしっかりしてます。コリンズは傾いていたのが太平洋戦争で持直したようです。因みにゼロ戦はCWで、特攻時、突っ込むまでキーダウンしたと聞きました。
ua-cam.com/video/74ZynoXL1xA/v-deo.html
いやー すごい作りですね これじゃ戦争負けますね
いつも動画で楽しませてもらっています。
私40代オーディオ好きな者ですが、コンセントを逆にしたり・・そんなコメント面白かったです。
半信半疑で買った高級な電源タップも手放したくなりました。
電源タップで10万円は主さんからしたら理解できませんよね。
オーディオアンプも動画で見てみたいです。
ありがとうございます これからアンプも力いれていきます
昭和30年代くらいの本の真空管カーラジオの回路図見たことがありますが直流をブザーで断続、交流にして、昇圧してたのを思い出しました、私も戦闘機の無線機は0V1と聞いたことがあります
わたしも昔0-V-1と聞いた記憶があります。しかし最近Webで見る正確な仕様書や回路で ゼロ戦も隼もスパーヘテロダインでした。いろいろ資料を探すととやはり違うようです。噂はいい加減なことも多いので こんど念のため現物を博物館などで調べたいと思います。
昔の無線機って大きいですからね、私もその昔自衛隊(昭和60年頃)の通信科職種でしたのでこんなの見ました。私は多重無線通信手(今は違う名称のようです)でした。守秘義務があるので詳しくは言えませんが、野外通信システムの無線装置はとても大きく数百キロもあり、電源部、送信部、受信部と部分的に交換可能な装置でした。勿論真空管もたくさん使われてて、温まらないと本領発揮してくれず、扱いも熟練の技的なこともありましたよ。その他にも電話交換機が加わるので覚えることがいっぱいで大変。その後デジタル化してとてもコンパクトになり、誰でも扱える比較的簡単な新型機JMRC-C20型に随時変わって行きました。いや~この装置、なんか見てて懐かしかったです。
まさに本物のプロですね! ということは飛行機の上で太平洋戦争当時 こうした無線機を扱うのはかなりスキルがいることだったんでしょうね。ありがとうございます。リアルな情報ほんとうにありがたいです。
低翼面荷重、ショートストロークに改良設計したツインワスプ手本のエンジン、超が二つ付くジュラルミン、沈頭鋲などの軽量な空力性能。飛行性能としての凄さは多く語られて来ましたが、半導体など無かった当時に搭載されていた無線機について触れた記述はほとんど目にした事がない。戦闘機に積んだ管球の無線機や電源など、見事に私の頭の中の霧が晴れました。
ありがとうございます。逆に私は 飛行機のことはよくわからず エンジンや機体のことはまったく知識がないのですが、幸い河口湖にある自動車博物館が知人の方なので 自動車を見に行くついでに よく飛行機をみせてもらっています。 クルマとちがってダイナミックな構造ですね!
こんにちは。そうですよね、直流を電圧上げようとするとトランスも使えないし、もし真空管でやろうと思うと
3極管で一旦無理やり交流を作ってトランス付けて、2極管で整流にして、でも3極管が動かないか~?
でも、大昔の車のラジオ真空管で鳴っていたような覚えが有ります!戦時中ではこれが最高の技術だったんでしょうね!
素晴らしい物を見せていただいてありがとうございました。
クルマのはバイブレーターみたいなもんでしょうか 触るとビリビリのトランプ箱みたいな?
セレンはもう昔懐かしい
昇圧には二種類あり、大型がこのモーター型(ダイナモ型)。もう少し小型がバイブレーターで、ブザーの原理で電流を断続してトランスで昇圧する代物真空管1本サイズの小型もあって無線機に多く使われていた。どちらもノイズが多い。旧軍の無線機はこれらからのノイズ対策が甘く近距離以外はCWは専ら送信用途。松山隊ではノイズ対策を念入りにして実用度を上げていたらしい。万能807はプレート損失も6146と同じ25WでSSBにも使えました。
最近807シングルのアンプで音楽を聴いていますが、隼の球と思うと音楽を聴いていても感慨深いです。S2001のアンプもありますが あまり感激しません。
機上電源・無線機配置図だと、今の車の電源周り・電装アクセサリー配線と変わらないような。
戦車兵・歩兵とかの無線隊では、手回し発電無線が確かに存在した記述が在りましたけど。
やっぱり昔からの流れが脈々と現在まできているのでしょうね
名戦闘機パイロットの坂井三郎氏が自伝で、ゼロ戦の無線機の性能そのものは、ノイズが多く使わない事が多かったとの記述が有りました。
反対に、アメリカ戦闘機はガンガンこちらの無線機に入力してきて煩いほどで有ったと言っていました。日本製の無線のノイズの多さは解消されなかったのですね。
ということは受信は良かったが送信が悪い(ノイズが多い、あるいは10Wと小さい)ということでしょうか。それは意外でしたね。・・・興味深いです。
お疲れ様です。
深く考えた事無かったけど、真空管を動かすには高圧直流電源と
ヒーター用の低圧電源が必要ですもんね。モバイル機器技術の原点
だよね。ユニット式の電動機+発電機使ってたんですね。
セレン整流器やシリコンダイオードは戦後だろうけど、その前に
低圧直流から高圧電源作るにはインバータの無い時代は発電機か。
技術者が苦心の末に考え出したんでしょうね。
当然プリント基板ではなく手作り立体配線だし。
ほんとに敬服いたします、いいもの見せて頂きました。
ありがとうございます たしかにこのころはいろいろ工夫が必要だったんでしょうね。まあクルマの真空管ラジオもそうですけど トランジスタが世界を変えましたね。
凄いのを引っ張りだされたですね。軽飛行機の無線機 (確かコリンズでした。)を見た事あるのですが2E26、24だったか6146だったか忘れましたが、同じような物がついてました。受信部はトリプルスーパーだった気がします。又、アメリカ軍の背中にしょって歩くトランシーバーを一度、見た事があるのですが、同じ昇圧器がついてました。名前が発電動機と初めて知りました。貴殿の動画は大変勉強になり楽しく見せて頂いてます。
ありがとうございます。わたしも先輩にもらって初めて見たレベルです、昔は苦労していたんですね!
807ですか、懐かしいです。その様なクラブがありました。井上の50メガ機で発信、交信相手は30メーター位のところの高校生でした。その後数年後に八重洲のFT-7とヴァ―チカルアンテナでした、アンテナがショボかったので早朝とかで無ければ拾って貰えませんでした。会社の車に積んで28メガで九州の小林市に飛んだのが最高記録、でも途中で消滅して仕舞いました。それも途中からお休み致しました。家族から邪魔にされてました。
28~50MhzはEスポもあり面白かったですよね
@@miyazin-shoten テレビ工学専門学校で学んだのですが、劣等生で、唯一その時私だけが電話級無線通信士に受かり、優を貰いました。後は可でやっと卒業でした。数学が苦手で三角関数のみ少し理解出来たのみです。劣等性でした。
今日も面白く興味深い話題ありがとうございます。
日本も戦時中の資源の乏しい時の技術者の苦労が色々と伝わってきますね。
話が変わりますが、真空管と言えば、私が小学校高学年の頃、当時のソビエト連邦から亡命してきたミグ25のジェット戦闘機を詳細に調べたら、当時の最新の戦闘機の核心部にもこの時代に真空管が使われいてこの半導体全盛時代にアメリカが警戒していた戦闘機に驚いたとかホッとしたとか・・・
ミグの話は私も当時覚えています。わたしも親父も揃ってバカにしていたのですが、いまでは強電界やノイズに強いタフな電子機器だったという評価もあるようですね!
真空管は核爆発時における電磁パルスや放射線の影響を受けないという利点があるので
当時の軍用無線機では結構使われていたみたいですね
その後遮蔽技術が発達しこれらの技術現在雷サージ対策として民需転用されています
また壊れた原発内部の撮影用にと真空管の一種であるブラウン管が現在着目されていますが
(CCDやCMOSではICの一種だから放射線ですぐダメになる)
重いのと小型化出来るかが今後の課題だそうです。
【カーラジヲ】
1960年頃、カーラジヲも真空管でしたから B 電源用に高電圧が必要でした。
高電圧を得るのにはバイブレーターが使われていました。
音叉のような物をブザーの原理で振動させ、その先に付けた接点で直流を交流にし、トランスで昇圧してから再び直流にします。
交流から直流を得るのにもダイオードはなかったので、バイブレーターに同期したスイッチで直流を得ていました。
セレン整流器は在りましたが、セレン整流器は逆耐圧が低くて B電圧を得るのには適していませんでした。
それを使って魚を取ったが自分が感電した
飛行館といふのがあるんですね!是非行きたい、ワタクシ秘宝館も好きですが少なくなりました。
秘宝館・・なつかしいですね 社員旅行にいくと女子社員が困る顔を見て喜んだ昭和のセクハラ親父たち・・・ 笑 飛行館は河口湖ですが 自動車もおいてあって毎年行きます
すごいです。
戦闘機の場合はわからないのですが戦艦の無線機はエンジンで発電機を回して直流電圧を得ていたそうです。
真空管は807が多く使われていたと聞きます。
その発電機と807のセットが売られてパチンコ屋で使われていたという話があります。
戦後の車載の無線機では「バイブレータ」というのを使用しているものもあります。
電磁石の力でスイッチをオンオフしてトランスに電源を供給するものです。
機械的な振動を伴うことから故障が多かったそうです。
米軍でもバイブレータを使っていたとの事です。
むかしのカーラジオはバイブレーター式のようですね。
なお この直流発電機は 消防車の無線用のようです 昭和20年代ですね ゼロ戦も同じだと思います
😮😮😮@@miyazin-shoten
Uncle DougさんかMr Carlson さんのチャネルで、アメリカ50か60年代の車載オーディオ機器を修理するとの動画を見ました。その機器はモーターではなくて真空管で作った高出力オシレーターが交流電を作ってトランスで高電圧を作ってまた整流するという仕組みを用いたそうです。
高出力オッシレーターって・・・なんか怖そうな響きですね。 そういえば 昔のカーラジオバイブレーターみたいな昇圧機って・・・
懐かしいですね、UY807、送信機で使っていました。
もう戦時中にはゼロ戦に積んでいたというはびっくりしました。
中学3年の時真空管を4つ使ったラジオの構造を学んだ。とりわけ整流管の機能に記憶がある。ただB29に体当りした戦闘機がゼロ戦かどうか判断できなかった。体当たりは二回目撃したが、9歳5ヶ月の頃。
4ペンってやつですかね
おお・・・懐かしいST管じゃないですか、、、
ST管はノスタルジックです
807は懐かしいです。昭和37年に電話級で開局しました。送信機は自作で、807、6146、2E26などを使っていました。強烈なTVIに悩まされていました。なので、QSOは深夜です。それでも日本全国とQSOできました。勿論A3でです。
807は自作ハムの方にとっては おそらく過半数使われていたのではないかと思います。SSB時代になってメーカー製リグが主流になると忘れ去れたようですが OMには思い出の球ですね
私も昭和45年に開局しました。パナ6でです。で、今TR1-200を修理しています。
パナ6 TR1200なつかしいですね。 昔は50MHzのAMも盛んでしたね。 わたしもFDAM3持っています
UY-807懐かしいねー。TX88Aの終段に使われてたと思います。私は自作送信機に42と言う電蓄の真空管を使ってました。
わたしも42後継の6AQ5を単球で水晶発振のA1でアマチュア無線はじめましたよ。 いまでも42は私のステレオアンプとして稼働しています。戦後すぐの真空管がいまでも立派になっていますよ我が家では
@@miyazin-shoten お大事になさってください。
@@kazkam3567 ありがとうございます。42は棺桶に入れてもらう予定です 笑)
貴重な無線機の内部を見せてくださり、ありがとうございます。
電動発電機が、しかも無線機の中に搭載されているとは驚きました。半導体によるDC-DCコンバータなんて無い時代は、いずれにしても機械的な仕組みが必要だったのですね。
ところで戦闘機に搭載されていた受信機が再生式かスーパーヘテロダイン方式だったのかは存じませんが、1機だけではなく多数の戦闘機が群をなして飛行する中で使うには、スーパーヘテロダイン方式が必須だろうと思います。再生式なら妨害を出し合って実用にならないでしょう。
資料や設計図にはスーパーヘテロダインと記載があるようですが 末期の特攻機には・・・なんて話もあるようですね真偽はわかりませんが・ たしかに再生式はかなりビートがでてしまいますね。
最近このUA-camよく拝見しています。いわゆるM-G で直流電動機-直流発電機ですネ。
1980年頃 呉の護衛艦に M-Gのオーバーホールのため出張しました。水中探知器 ソナーの電源もM-Gで 誘導電動機で400Hzの軍用特殊交流電気を発電していました。整備後の負荷試験でよく映画の"ピョ〜ン ピョ〜ン"という音波を出した時 このM-Gに負荷がかかり振動したのを思い出しました。親父が呉で終戦を迎えたので縁があったのでしょうか
そうですか 興味深いお話ですね わたしも数年前単身赴任で広島にいたので いつも呉の大和博物館に行っていました 一日いても飽きないですね
昔パトカーのエンジンルームやトランクルームを見せてもらったらいたるところにボデーアース線が繋いで有って驚いた
無線交信時の雑音防止の為と言ってた。
アース処理は難しいですよね 真空管アンプでも定石通りやってもだめで適当にやるとうまくいったり・・・・
黒いモジュレーターは昔の米軍の航空機に積まれた真空管受信機等でも搭載されていましたね。
電圧変換で電子式以前はM-G(モーター・ジェネレーター)が当たり前でしたね、国鉄73型電車も停車して無音になると軽やかに回るM-Gの音が聞こえた時代でした。
近年聞こえたのは箱根登山鉄道モハ1型だったかな。
そうですね。電車や汽車は重さを気にしなくていいので 発電動機の形式はどうでもいいのでしょうけど 飛行機はグラム単位の軽量化が求められていたので 設計や製造に神経をつかったと思います。
昭和55年くらいに当時勤めていた先の業務用無線機屋さんの倉庫で150MHz帯の5Wの真空管式車載器を見ました。
先輩の話だと「真空管は振動でヒーターが切れたり、抜けたりするので真空管を横にしてシールドケースで抜け止め防止をして搭載したんだよ」と聞きました。
2B29や2B94は10W機が多かったです。
5w機はもう一回りプレート損失の小さなMT管でした。
電源確保用に12Vの電動発電機を積んでいました。
たしかにシールドケースは本来の目的よりも車の場合 抜け止めありそうですね
飛行機が好きで中学生のころ模型屋を始めた、無線機は作らなかったがアンプどまり、始まりは鉱石ラジオ
凄い無線機積んでいたのか、隼は従弟が乗っていた、叔父木は大和の電探士として乗るはずが置いてきぼりなったらしい
もう戦争を経験した人たちもだんだん少なくなってしまいますね・・・
良いものを見せてもらったなあ。FT101とかなぁ。それよりも当時(戦中から戦後すぐ)の無線機はDC 12Vを真空管を動かすには、直流電動機で直流発電機で発電するしか方法がなかったと思う。DC 12Vは今も使われている蓄電池(鉛蓄電池)でなぁ。それから真空管を使うために電圧を上げるためになぁ。これは戦闘機も同じだと思うなあ。
戦闘機には無線電信士も乗っていたと思う。特攻機はもしかしたら操縦する人が電信機も使っていたかもしれんなあ。特攻機は最後の時に電鍵を押し切りにして電波を出しつばないして、空母等に突撃。電波が止まった時に特攻機は目標に当たったか、それとも撃ち落とされたかはわからんが特攻機がなくなったということだなあ。
こうしたことを私は無線の受験雑誌で読んでいた。今はなくなっているがなあ。
私も無線が好きでなぁ。、アマチュア無線をやっていたからなあ。好きな道は徹底的に勉強したなぁ。
真空管の807は話には聞いていた。それと1960年頃の無線機は警察や消防、後はタクシー無線もなぁ。特にこの頃はタクシーも儲かっていた。
市役所に勤めるよりもタクシーの運転手の方が稼いでいた。そんな時代もあった。
当然に無線にも力を入れていた。それでも真空管が詰まった送受信器。故障が多くてしょっちゅう故障していたと聞いた。一つの無線機の会社が100台の無線機があると飯が食える時代だったとか言っていたなあ。
とにかく送信管なんかすぐにダメになったと聞いていたなぁ。タクシーは使う頻度も大きくてなぁ。
タクシー無線は1954年に一番最初始めたと思ったが違うかもしれない。この頃には電力会社も多重通信の初期のものを使い始めたりしてなあ。
もっともテレビ放送の中継用に使い始めたのがNTTだと思うがなぁ。まだテレビも全国網にはなってなかったかもしれんしなあ。
昭和30年前後は無線界にも面白い時代ではないかと思ってなぁ。
真空管からトランジスタの移行・・・なんでも過渡期はおもしろいもんでしょうね
50年ほど前、隣の親父が町議に立候補したんですが、その時選挙カーに使用したアンプは真空管式で、電源はバイブインバーターでした。でもあれってすぐ接点が焼けちゃうんで、USプラグ式で簡単に交換できるようになってました。
うちに一個どこかに有るはずなんですが。
それは貴重ですね。真空管カーラジオもその方式ですね
当時は上官の前では零式鑑上戦闘機れいしきかんじょうせんとうき
なんて言っていたんでしょうね。
当時英語ご法度の時代でしたから。
ゼロはふつうに使っていたようですね。
昭和35年頃プラモデルが流行ってましたね。グラマン、メッサーシュミットなどあったような記憶がありますけど。買ってきて組み立てた思いでがあります。10cmの位の小さなものから色々ありました。
プレートの陽極 グリッドの格子も久々にみました。敵性言語だったんですね。 笑 そういえば最近プラモデルも組み立てる子供が少ないでしょうね ゲーム機があるし おもしろいおもちゃも何でもあるし・・ゲルマラジオなんて見向きもされないのは悲しいですね
個人的に知り合った旧海軍の方、3人に直接聞いた範囲では「ゼロ戦」と読んでいたと伺っています。
おやじさまはなんか弱電計測やってました
訳わからないから2台目出来なかったでした
今考えると凄い親父でした
こんにちは
自家用のヒルマン真空管式ラジオでした バイブレーター式の電源使ってると父が申してました
私はメカ詳しくないのですが 弟がタクシー無線ジャンク買ってきてハムバンドに改造した
これはモーター式の発電機ついてると言ってました 昭和40年代初めの頃だったと思います
父も通信兵でした 支那に駐屯したと申してました
たしかに現在70歳くらいのひとは この発電は知っている人が多いようですね・・・やっぱり私などまだまだ若造ですね
面白かった!
ありがとうございます アンテナ編もありますのでよければ見てください!
電動発電機ですね!
ちょっと前までの鉄道でも架線から電圧下げるのにも電動発電機が載ってたみたいですね〜
そのようですね。AC100Vの機材もおおいですもんね
パワー半導体の技術が未熟だった頃の電車(国鉄電車が代表例)の補助電源として、電動発電機が使用されていました。
動力源として取り入れてた、直流600Vなり、1500Vなりで(交流電化の場合は降圧・整流して)電動機を回して、それを動力として、クーラーやコンプレッサーを駆動する三相交流200Vや、照明などを駆動する単相交流100V、それを整流して制御機器を駆動する直流100Vを造り出していました。
面白かったですよ。凄いことをしていたんですね。
たしかに当時はDC-DCコンバーターもなく ダイオードもセレンの時代ですものね
無線機の中に発電電動機いわゆるロータリーコンバーターが入ってたなんて驚きです
半導体の無かった時代の昔の鉄道変電所は
ロータリーで低圧の直流750V作ってたんですけどね
しかしよくこれでノイズに影響されないもんかと感心しました。
直近まで勤めていた工場でつい10年ほど前まで入力3相AC210V60HZ出力3相AC210v400Hzの電動発電機を使用していました。
効率が悪かったので、私が全部VVVFインバーターに更新して省エネとブラシ交換の不要化をしました。
航空機関連の会社でしょうか?
807は、立派な"玉"ですわ。懐かし過ぎますね。出力はA3で10wでプレ-トはトップですね。
一般的には、DC-ACコンバ-タはバイブレ-タを昇圧していましたね。基本原理は今も同じです。
それにしても、造りは凄いですね。ノイズ対策が気になります。ご紹介ありがとうございました。
コメントありがとうございます たしかにノイズもあるのですが 回転音もうるさいそうです 笑
バイブレータ懐かしい。見たことが有ります。部品単体で見ただけですけど。昔のオムロンのタイマーは、モーターだったよね。
DC-ACコンバーターですね。
コンバーターではなくDC-ACインバーターですね。
@@cloudnine3880 ACの整流はしていませんね
へぇ…電動発電機にこんな小さな物が…
高電圧を半導体で制御できた時代はもっと後なので、それまでは電車の交直変換に使われていました。
非常に大きなものです。
まだ現役で動いてる電車があると思いますよ
小ささもあるのですがゼロ戦やつばさではB電源なので500V この150Mhzで300Vくらいとれるのがすごいです。
この夏に航空博物館行ってきました。アンテナは詳しくチェックして来ましたが、さすがに無線機の電源までは注意が及びませんでした。流石ですねえ!
河口湖の飛行館ですか? たしか夏だけでしたね。
@@miyazin-shoten そうですそうです。自動車館は通年みたいでしたが、飛行機館は夏だけですね。体育館みたいな建物にレストアした旧軍機が所狭しと並んでいて楽しいところですね。昨年はあのレシプロ最速機 彩雲が目玉展示でしたね。復元が楽しみですが生きているうちに出来るでしょうか?
@@masayoshimorimoto5443 クルマも最近は通年ではなくなりました 夏だけです。
なんか博物館の人にきいたら レストアラーは自分の寿命以上のオーダーをもっているそうです 笑
昔、タクシー無線が真空管式だった頃もこんな感じの無線機だったような・・・。クレイの昔のスーパーコンピュータの電源もモーター+発電機だったと聞いたことがあります。重いフライホイールを付けることで短時間の停電にも耐えたとか。
この無線機は消防車のものですが12V入力なので多分TAXIに近いかもしれませんね。2E26だしクラスも同じくらいでしょう・・・ ちなみにむかし日産のシビリアンというバスには停車時のエアコン用動力としてサニーのA12エンジンを別に積んでいました
DVDは何本か購入したことがあります、
ほぼ毎年8月になると行ってます初期のころはただビデオをDVDにコピーした手作り感満載のものでしたが
だんだんチャプターがついたり画質が良くなってきたのはいいんですがお値段も良くなってきてしまったので
手が出しにくくなってしまいましたね、
丸い直流変圧器って奥の突き当たりのショーケースの下のほうにおいてあります、うちにも昔あったんですが
モーターと発電機を同軸にむずんでおいて発電するインバーターですね、うちのは1A出力で電球つけて遊んでました、
効率は悪いですが面白かったですね、
そうですか! わたしもDVD最初のころのもっていますが 手作り感ほんとにありましたね。 また来年行こうおもいます。ただ私は無線機興味あるのですが 飛行機はあまり興味なくて・・・笑)
@@miyazin-shoten 父が生前は戦後米軍の基地で無線機のなにやら引き受けてたらしく
戦中戦後の電子機器の知識はなみなみならぬものがありましたね、
秋葉原も常連でしたようですし、その後車の修理関係に転職してました、晩年は解体屋のアルバイトしてました、飛行機舘にはぜひつれていきたかったのですが・・・・・
@@pa3143ここは 夏休みだけ開館というのがすこし残念ですが・・・・
なつかしい発電動機ですね。昭和50年代までは電子式インバータではなく発電動機を見かけました。
それは、船の通信室です。船の発電機が停止したとき24Vのバッテリーでモーターを回して
その発電電圧で無線機を動作させます。受信機は24Vで動作しますが、A1送信機は球ですから
24Vでは動作しないので大きな発電動機がついてました。動画の内蔵型を巨大にしたものです。
船ですか・・・たしかに空も海も一緒ですね・・・しかも昭和50年代まで使われていたんですか・・・ 発電動機・・まさに読んで字のごとくですね
目から鱗状態です。なんとなく低電圧のB電源で使ってたのかなと思っていましたが、直流変圧器と聞いても???のままでした。まさか発電機だったとは。
そうなんですよね。わたしもゼロ戦てDC-DCコンバーターかと思ったら 当時はそんなのないですね 笑
戦時中のDC-DCコンバータは(400Hz)バイブレータ(ブザー回路の様な物)DC24Vを断続し変圧器で400Vに昇圧、パルスなので整流器を使わずトランスの2次側をいきなり電解コンで平滑してDC電圧を作っています、耳を澄まして装置に近寄るとブーと唸っています、もう一つはDC24Vのモーターで高圧が発生する発電機を駆動してDC数百ボルトを発生させる電源が有ります、ゼロ戦の絵から見るに後者の方式の様に見えます。
この本は隼のようです。 また隼のWEBサイトでみると入力は12V、 807用に500V B電源の低圧側が150V程度のようですね。
@@miyazin-shoten 現代と比べるに 素材に乏しいなりに 装置を実現させてるのですね。
新中央工業は戦前に南部麒次郎が経営した中央工業が戦後に改組された企業。中央工業時代からの業務を引き継ぎ、警察・自衛隊・海上保安庁など官公庁むけの銃器や防衛関連製品の製造をおこなっていたそうです。
制式拳銃のニューナンブも作っていたそうです。
現在はミネベアミツミだそうです。
情報ありがとうございます
中学生のころにジャンク屋さんでアルバイトしていて小指くらいの真空管がびっしり入っていてこれじゃ日本は負けたはずだと思っていたけど皮ケースに真空管が2本だったかな、膝にはめる電鍵とセットになった無線機を見て日本も頑張っていたんだな。と思いました。
真空管に見る日本史ですね!
当時携帯ラジオはミニ真空管が使われていた、電池を沢山入れないといけない、捨てなければ良かった
アメリカのカーラジオはリレーで発振してトランスで昇圧してから整流管使っているけれど、
こっちのほうが簡単でいいですね。
日本のクルマも古いのはこのバイブレータ式のようですが やはりあまり電力(電流)が取りにくかったようですね。でもこの変圧器はかなり大きくて重いです!
申し訳ありません
あり得ない!の卒倒組です
機内はものすごいエンジン音と風切り音だったと思います
そのような環境でノイズの中からパイロットが信号や暗号を聞き分けるとはすごいことだとつくづく思います
ところで
先日のスプリアスの話にも繋がりますが
アマチュア無線はこのような無線機で実験や交信が楽しめるようになって欲しいと思います
むしろエンジン音がすごいので 発電機の音が気にならなかったりして 笑
いやー ほんと こうした古い無線機で実験できるようにしてほしいですね。もちろん通常の交信用はスプリアスもばっちりして・・だけど実験用でたとえば10W以下であれば こうした古い無線機や 自作機など許可していもいいと思いますね。どうせ余生は短いジジイたちなのですから
MGとは・・・w
実習の時のDC200vだか作るのに、実習室の後ろで爆音でモータージェネが回ってた記憶がありますが・・・そのミニチュア版なんですね。
電車だとまだ現役でMGは残ってると思いますが、扱うのはやはり大容量で、しかも古い車両だけですもんね。
確かに、筐体の中にMG入ってるのは驚くかと・・・w 隼の無線機全体でどれ位の重量だったんでしょうかね?
かなり重いでしょうね ビス一本リベット一個削減していたのに 結構重量食っちゃったんでしょうね
ゼロ戦や隼につられました・・・杉原商会に出ていたジャンクの仲間に近い話ですね。面白い話でした。
なんか アンプの視聴者の方とちがい戦記マニアの方が多く一気に視聴数が最高記録です。ありがたいのですが コメント内容が難しくわからない人が多かったです。加えてこの飛行機のいい加減なイラストにつられた人が多かったみたいです。 杉原商会・・・ありましたね なつかしいです
杉原商会 懐かしい。高校時代にOTLアンプ用に6336を買いました。1万円だったと思う。今でも使わずに持っています。
秋葉原で6336に巻く、バネのような形をした放熱板を買いました。板じゃなくでワイヤーですけど。
私も真空管タクシー無線機持ってます
ほぼこんな感じでもって この直流発電機も乗ってました めちゃうるさいですよ 現在屋根裏で埃被ってます (笑
たしかにタクシーもこの消防無線も150MCくらいで同じようなもんですね
B29実働保存機の受信機はAR8600がついています。
昔、ゼロ戦などには0-V-1などの受信機を積んでいたとか載っていましたよ。
最近Webで見るとかなり詳細に仕様が載っていますね。ゼロ戦も隼もスパーヘテロダインでした。私も以前 誰に聞いたか再生式と思いっていましたが いろいろ資料をみると違うようです。あとゼロ戦の電線は銅線に紙巻とかいう話がまことしやかに流れていましたが これも設計図でみるときちんと合成樹脂にパラフィン紙となっていて これを紙と勘違いしていたようです。 河口湖の飛行館にもよくいきますが こんど横浜に通信機博物館もあるので見に行こうとおもっています。 やはり自分で確認することが一番だと思います。 百聞は一見にしかず・・今回よくわかりました。
@@miyazin-shoten 「横浜旧軍無線通信資料館」の「96式空3号無線電信機」のところを見ると、『受信機:長波帯2-V-2のオートダイン、短波帯高周波1段、周波数変換部付加のスーパーヘテロダイン方式(8球)』とありました。長波帯の再生式親受信機に対して短波帯を長波の中間周波数に変換して突っ込んでいたので、再生式という言われ方をしてるのではないでしょうか。写真はあれど操作方法が不明なので想像ですが。
あっでもこれは艦攻用で戦闘機用じゃないですしそもそも海軍機で、宮甚さんのお話の隼のとは違いますが。
@@Kazuyuki_Iwakami_JK1NWD その説もおもしろく興味ありますね。 横浜旧軍無線通信資料館 一度いってみたいです
飛行機の上部のワイヤーって、アンテナだったんですね。てっきり筐体保持用のワイヤーと思ってました。
それと後半の無線機の中のヒューズケースが今でも使われている形状なので、比較的新しいものかと思いました。
たしかにゼロ戦って、ものすごく軽量化されていてワイヤーで補強されていても不思議じゃないかんじですね 笑
後半の無線機は消防、警察用でおそらく昭和30年代だと思います 真空管もmTですから
807が隼に乗っていたとは知らなかった。これ終段にしてスクリーングリッド変調でHFで遊んでいた頃を思い出した。有難う。
おそらく隼も807Aのハイシング変調で 同じような回路だったのでは?
アメ玉、使っていたのか、情けない
@@kotanuki1205
日本の軍球といえばRHシリーズとか「ソラ」が有名ですね。
西堀さんの開発し、芸者さんが作った真空管、戦場では多種類の真空管では補給がたいへんというので、単一種類で勝負だったのです。さすがに807には勝てなかったのか、終段はマルナナなんですよね。
空飛ぶソラは戦後の雑誌にたくさん登場するのですが、現物は見たことがなかったです。
@@kotanuki1205
「ソラ」はドイツの万能球FM2A05Aの日本版として軍から強要されて一ヶ月で開発されたそうです。西堀さん凄いなぁ…
もう40年位前に町の小さな工場でオルタに取り付けてAC100Vが取り出せるキットの製作してた事あります。
40年前だとそろそろ半導体コンバーターが一般化してきたころですね
真空管は機会が無かったら使用した事が無かったけど、面白いお話でした。
Trも無い時代のDC-DC変換なんてどうやったのかと思ったら、発電機とは思い切った作りですね~
わたしも発動発電機の存在はしっていましたが まさか500VのB電圧とは恐れ入りました
貴重な内容、ありがとうございました❢(*^^*)
こちらこそご丁寧にありがとうございます
こんにちは。
昭和中期では、電動発電機自体は普通の物だったのではないでしょうか。昭和50年代に大須アメ横にて中古のDC12V→AC100Vの物を見かけましたし、昭和50年頃の機械の図鑑を見るとエレベーターの直流電動機を動かすために、三相誘導モーター→直流の物を用いていました。
そういえば、依佐美送信所も三相→直流と直流変換してから直流→高周波にしてましたね。
東海道新幹線の50Hz60Hz変換も以前は電動発電機で行っていたようですよ。
はい普通のものだったと思います。現物を見たことのない方々にお見せしたり 懐かしがってもらうのが本動画の趣旨です
大須は良く行ったジャンクや巡り
真空管807は、トリオの送信機・TX88Dに使われていたと記憶する。TX88Dが全盛のころアマチュア無線免許をとり、HFではなく、パナ6で開局。
TX88D、パナ6の二台とも 現役稼働で持っています!
dでなくAです。
こんにちは、貴重な無線機を見せて頂き、有難う御座います。
若い時に働いた会社の創業者は、戦中に無線機を軍に納入していたようです。
創業者が会社に来たとき、話しする事が出来たので聞いてみた!
戦中の無線機の受信機は?「今で言う五球スーパーですよ、
真空管回路は解りますか? 中には高周波一段付いたもの有りました」
「特に移動機は、故障が多かった 役に立たなかったと思う」
「信頼出来る無線機を持たせられなかったのが、心残りです」
涙流していたので、これ以上聞けなかった!
創業者は奢らす、偉ぶらす、涙流しながら話し、涙を拭って
「戦争は駄目だよ~美化しては駄目だよ~」
一礼して退散した。
いいお話ですね! 技術者の鏡ですね
あの線は無線のアンテナか、しかも前についてる。其処からあとは話についていけませんでした。
長さが必要なので 前から張っているのでしょうね
ハナタレ小僧でした。楽しく拝見しました。
あはは 失礼しました。 ご興味をもっていただいて有難いです
いやー、面白かったです!大東亜戦争当時の通信機・無線技術史については、CQ誌の連載 ● 無線通信と日本海軍第7回 超長波通信の実戦配備と日本海軍の通信
JA2IIN 中西 信次OMの解説が面白いですよ。当時、ゼロ戦の無線機は必ずしも(米国に比べ)性能がいいものではなく、司令官からの指示が上手く伝わらず
配下の僚機を多数失ってしまった…。等の歴史を知ることが出来ます。こうした先人のご苦労の上に今の世界一とも言われる日本の通信技術があるのですね。(携帯関係では
抜かれてますが。。)当時の海軍通信隊の苦労が忍ばれます…。しかし、発電機を無線機自体に組み込む発想にはびっくりですね!(笑)当時は大真面目だった訳ですが。。
CQ誌にも載っていましたか・・・たしかにCQ誌はもはや60~80歳向け雑誌ですもんね。わかります。それにしても真空管の無線機で戦っていた当時のパイロットの苦労も並大抵のものではなかったでしょうね
もっと凄いと思うのが太平洋の真ん中でどうやって空母まで帰っていたんでしょう
今の常識で考えれば明らかな自殺行為
それともADF的なものが合ったんでしょうかね
@@tomiokazama5685 当時戦闘機のパイロットは極限状態で皆勘に頼っていたという記述をみたことがあります。
@@tomiokazama5685 さん ADFなど当然ありません。空母からの無線による誘導と後はパイロットの勘です。この装備で、海外まで飛んでいたことが驚きです(無論、空母
なのですが)コンパスくらいは付いていますがね。
@@takesihara4852 考えたらそんな自ら電波なんか出すわけないですよね、
昔のひとは鳥の能力もそなえていたとか?
私もS45年に初度開局致しました
トリオのDラインでの開局でした
でも、807の響きは、懐かしいですね😃
ありがとうございましたm(_ _)m
昭和45年ごろのアマチュア無線の機械は百花繚乱という感じでたのしかったですね。まだこのころは簡単な自作送信機や受信機も出ていて、わたしも5球―スーパーに単球のCW送信機を作っていました。その後はメーカー製の既製品ばかりになって・・・・
@@miyazin-shoten
有り難うございましたm(_ _)m
私も、既製品ばかりになりましたね❗😁
やはり、聞きにくいところがあり(そこが魅力とされる方々もいらっしゃいますが)私は、CWに走りました❗😁
懐かしいです〜❗
コメントを見て判りました、はやぶさ≠つばさなんですね。直流変圧器って名づけがすごい直流発電機にびっくり。ノイズ対策は大変だったのでしょう。開戦当初はスーパーで末期は物資不足で再生式になったのかも。マイクはカーボン式でSPはマグネティック型だったのでしょうか・・・ノスタルジックをかき立てられますが・・・英霊のご冥福をお祈り致します
すいません つい友人の名前呼んじゃって…編集しなおそうと思ったら視聴数がうなぎ上りになってしまって 受け狙いの再アップに思われそうなのでやめました
笑 たしかに特攻隊の機体は0-V-1? いや無線機なしだったかもしれませんね・・ 今思うと二十歳そこそこのガキが 何の疑いも持たずに国のために死んでいったのを思うといたたまれないですね。私はこのところ毎年靖国神社に行っています(ついでにゼロ戦みてきますけど)
@@miyazin-shoten さん 私の身内も靖国に祀られております。まさか、ここでこうした戦史にまつわるお話が出てくるとは思いませんでしたが、無線の歴史から
近現代史を学び直すのも学校教育で刷り込まれた自虐史観の見直しにもつながっております。遊就館はいいですね。平和の尊さを考えさせられるのと同時に
御英霊への感謝の念が湧いてまいります。
@@takesihara4852 遊就館・・でしたね 私も必ず行きます。
死んだうちの親父も弟が海軍で戦死しているので子供のころから毎年連れていかれました。親父は俺が死んだら弟とそこで待ち合わせているので お前の代までは靖国神社に行ってくれと言い残されたので・・・
そういえば 遊就館の機体は河口湖の飛行館の館長さんの寄贈ですね。
回転式変圧?器。少し前まで新幹線変電所の50→60が有名でした
電源?さえ確保できれば何でも出るので車両内部電源にも使われる
私は二式単戦「鍾馗」や五式戦が好きですo(^^;)
そういえば零戦とかはキャノピーの後ろから、隼と鍾馗はキャノピーよりも前からアンテナ線を張ってますが、やっぱり理由があるんでしょうか?
私も詳しくないのですが、周波数は3~4Mhzだったと思うので 波長は80m位あると思います 1/4としても20mくらいになるので できるだけ長く取りたかったのではないかと思います。ただそれでも不足でコイルなどを使っていたのではないかと・・・。
こんにちは、多分、絵のゼロ戦は常陸製作所、日本海軍長距離偵察機、三人搭乗席の或る51型零戦を改良した偵察通信航空隊のゼロ戦です。茨城県古河市の常陸製作所の製造、太平洋戦争末期です。
3人乗りなんて有ったのびっくり
@@大森カモシカ 太平洋戦争末期に開発されたので、10機も無いかな、無線機も電信電話、特攻隊のゼロ戦だけは多かれますね。郵便輸送や偵察機でしたので、郵便物は空から学校や広場に袋で落下させる為、複数の搭乗員を必要です。当時は複葉機でパイロットが女性、小娘飛行隊、紅の豚を歌う、歌手の加藤登紀子さんが終戦直後、予科練小娘飛行隊員だった。時には昔の話しをの詩、
昭和25年頃の選挙で、807ppのアンプをバッテリー駆動の発電機で使ってましたよ。コンバーターとかいってました。
当時はDC-DCコンバーターではなく、ヒーターとB電圧を別々に取り出す方法の無線機や アンプのように家電的にAC100Vをつくって普通に稼働させる方法等があったと思いますよ。またクルマの真空管ラジオなどは変則的な方法でした。
ええええオルタネーターにはブラシは有ってもコミュテーター(銅の円筒を切り分けたもの)はないですね。
私は戦後なんで大阪日本橋の塚本商店なんかで米軍のお下がりモータージェネレーターを買ったことがあります。
モーターで回して発電するというより、他の方式だとかいう説明だった。
ワーゲンビートルの6Vダイナモみたいなもの くらいの認識しかありません
旧陸軍の通信機に付属した手回し発電機は、直流130v,12vの出力だったなあ~
受信機ですかね 送信機するとなると終段は807クラスなので400~500Vは欲しいところですね。
@@miyazin-shoten
可搬型送受信機用のモノだった様です。最前線から指揮所への通信が用途だったのでは?と思います。
送受信機自体は一球だったと記憶しています。
@@sakukobayasi 1球ですか・・・一球入魂ですね
放射線測定器は今でもコックロフト=ワルトン回路を使ってますね
ホンダさんは陸軍の6号無線機発電用エンジンを自転車に補助エンジンとして付けたのが始まりらしいですよ
そうでしたね! 当時は原付メーカーの群雄割拠で 払下げのエンジンがもてはやされたようですね
昔の戦闘機の無線機設備には詳しくはありませんが、日本でも戦前にはスーパーが実用化していたので当時の最先端戦闘機にスーパーが搭載されていても可笑しくないですね。戦前のDXer J5CCもスーパー使っていた様ですし。
但し、特攻隊機には無線機が付いていなかったと言う話も聞きます。もしかして、物資不足の終盤には1-V-1とかも有ったのかも?
B29には既にオートアンテナチューナーが搭載されていた様です。
今回は飛行機マニアの方がコメントしてるみたいですね!
それはありえるかもしれませんね。そうだとしたら 物資不足のおり人命より真空管の本数が重かったというのは悲しいですね。当時20歳そこそこのガキが国の命令で 本気で命をかけたことを思うと・・・ 現職閣僚は全員 せめてあと10年は靖国神社に参拝してほしいです。
そうそう、今回は飛行機のイラストですこし視聴数上がったみたいです。あと電車系の人も多いようです。
この造りからすると、今のIC化超小型はインスタントラーメンのようです。安くて旨いが、ただそれだけで目を見張る感動が無さすぎ。オーディオのスピ‐カ-も同じ感じですね。
たしかにICがインスタントラーメンとは言いえて妙って感じですね
スピーカーもデカい箱に圧倒されてロク半一本なんての良かったです
@@miyazin-shoten 十分な時間と予算を投じて作られたモノには、一般の利益目的で作られたモノとは次元が違います。プロ仕様には、静特性では見えない特性が存在しますね。時代を超えて価値のあるモノは、オークションでも高値で売買されています。nagra SN、STUDER 730、JBL LE8Tなど歴史に残りますね。
@@renonkkk この無線機も、びっくりするのはパネルや部品を外したねじが また戻すときぴったり吸い付くように入るのは感動ものでした。やわな作りだとシャシーがしなって苦労します。
@@miyazin-shoten ビスの造りからして違うのですね。nagra SNもそうです。
この電源どっかで見たような・・・と思ったらRF誌の特集本で兵器の解説してる漫画家の方が書いてましたわ(内容は零戦のクルシ-とチハ?戦車無線機でしたが)。
あっそうですか この電源は昔の消防車に使われていた電源で たぶん戦車も同じでしょうね。重いです
こんにちは、ゼロ戦の電源、当初は油紙に炭素粉を加えたマンガン電池です、21型零戦は開発が進み蓄電池型のコンデンサタイプに為りましたので、ミカンの皮を使い金属反応で起電を挿せたらしい、製法は理科実験と同じマンガン乾電池式でしたよ、直列6気筒エンジンの隼でしたので、発電機を装備が出来たかと、特攻隊零戦にはマンガン乾電池式を複数装備し交換したらしい、12Vが出来ずに苦労したらしいですよ、埼玉県羽生陸軍航空機 隼疾風隊の記録にて、隼、製造は中島製作所 群馬県太田市現在の富士重工跡地です。
私は飛行機はまったく詳しくないのですが 河口湖で そういえば隼のエンジンのところに熱田(おそらく愛知機械の熱田工場?)の直列エンジンがおいてありましたね なんだか逆さまのエンジンでヘンテコだと思った記憶がありました。
やっぱり飛行機もクルマも 愛知機械と中島飛行機(スバルやP)ですね!
@@miyazin-shoten 空手家の大山倍達さんが最年少時代のゼロ戦22型の後期で、特攻隊予備軍で羽生陸軍航空機飛地から、飛ぶ予定が車輪故障で出兵を留められ終戦に為った様です。中島製作所から三菱重工に替わる前に常陸製作所から古河市で宮甚さんの絵、ゼロ戦が製造され三輝、3枚プロペラに変更改良型に為るかと想います。51型零戦、三人搭乗席のゼロ戦、伯父が厚木陸軍航空隊 厚木基地ですので、東芝の真空管、宮甚さんはその真空管を渡した方が当時の関係者かと、想います。私達は祖父母がブラジル開拓者日系ですので、祖父がシベリア鉄道開拓団満洲から四川省です。
モーターダイナモで変圧って、どうやって回転数を一定(安定化?)にしてたのだろう?
電動発動なので回転数はあまり変動しないのでは?
どうやって定電圧にするのかと言う事ですか?
詳しくは知らないけど、「分巻き」と言う構造じゃないかな。電圧とか電流によって、発電機の磁界を加減して定電圧特性や定電流特性を持たせる。
磁界を使った負帰還回路と言う事じゃなかな。
2分21秒と15分20秒のカルト的なオーディオマニアのディスり方が最高です。もっと言ってください。
ありがとうございます。こうしたディスりを交えた動画は 必ず評価が下がるので面白いです。でも おもしろいもので こうしたディスりをするほどカルト的オーディオマニアは視聴するケースが多いです。やっぱり心の片隅で疑問もあるのでしょうね。
@@miyazin-shoten オーディオ以外にも電気楽器(電子ではない)の世界にも、この手の眉唾話は沢山あります。3アマ程度持っていれば「こりゃ嘘だ」とわかる様な話を眉間に皺寄せて滔々と語る機械音痴が結構います。
私も自分のFBにはその「欺瞞」をディスるカキコをしています。