実はチート級の戦闘力だったウツケ時代の信長がヤバ過ぎた【桶狭間の戦い】

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  • Опубліковано 8 жов 2024
  • 長篠の戦い→ • 【AI実写】信長の壮大な罠!実際の長篠の戦い...

КОМЕНТАРІ • 190

  • @kitaro3840
    @kitaro3840 12 днів тому +73

    このチャンネルマジで好き。最近の楽しみの1個。

    • @やすくん-r1w
      @やすくん-r1w 11 днів тому +7

      面白いんだけど、この声の妙な心地よさに寝落ちしちゃう

    • @surinngo4129
      @surinngo4129 11 днів тому +1

      マジ?

    • @法王様
      @法王様 8 днів тому +2

      ユキムラチャンネルと正反対のテンポがまたそれが良い🙌

  • @とらとらとら-e9v
    @とらとらとら-e9v 5 днів тому +14

    信長の凄いところは裏切りが当たり前の戦国にあって、2万5千の今川軍に対して家来たちは逃げずに信長と共に戦った、信長がいかに信頼され一目置かれていたかということ…

  • @JTR8500
    @JTR8500 12 днів тому +82

    下手なNHKの時代考証番組より遥かに良い。

  • @オムライスとジャムトースト

    尾張統一から桶狭間の戦いの勝利まで簡潔にまとめられ、わかりやすかったです

  • @柊-b2y
    @柊-b2y 11 днів тому +11

    長篠の戦いを見た時に桶狭間も作って欲しいと思いましたが早速来るとは
    分からないことは分からないというスタンスが良いですね
    「信長、青春の戦い」良いフレーズです

  • @ポン酢しょうゆ君
    @ポン酢しょうゆ君 12 днів тому +9

    バトルヒステリーさんは正しい最新の情報を教授して下さる事が誠に嬉しい!新しい事を知れることほど楽しいことは無い!

  • @ダメ男チャンネル
    @ダメ男チャンネル 9 днів тому +4

    このチャンネルを初めて見ました。ありがとうございます。

  • @shinanotikuma
    @shinanotikuma 11 днів тому +7

    おススメに出てきて見入ってしまいました。チャンネル登録させて頂きました。
    自分は桶狭間にて生まれ育った者です、この地域小高い山谷が数多くあるんですよね
    信長はウツケ時代にそんな地形を熟知していたと思いますね。
    運はあったにせよ、信長の戦略的作戦勝ちと思います。

  • @おびたん-d4f
    @おびたん-d4f 11 днів тому +7

    語り口が絶妙で、聞き入ってしまいます😊。
    桶狭間の勝利は信長の頭には、大高城攻撃時点できまっていたと思います。これは信長の絶妙な誘導の結果で義元の討死以外は事前にきまっていたと感じます。
    相手の嫌がるところに、付け城を築き、相手の布陣が崩れるのを待つ作戦で信長の代表的な戦術の一つです。
    これ以降、信長の付け城作戦が炸裂し、美濃、近江、武田、毛利全てこの作戦を用いて撃破してます。
    今川義元は大高城が織田の城に囲まれた事で救援せざるを得ず、海沿いだと知多半島に閉じ込められ、内陸は織田要塞の点在する危険地帯を進まなければなりません。そして内陸を選択し歴史通りの結果となったと思います。
    ワンチャン義元が勝つとすれば、大高救援部隊と刈谷に陣取り、別働隊で瀬戸方面から迂回して撹乱して、美濃と挟み撃ちにするくらいでしょうか

  • @ねこパン-w3p
    @ねこパン-w3p 9 днів тому +7

    信長公記派としては非常に落ち着いてストーリーを追える動画。
    昨今は奇襲から急襲だとか、上洛ではなく国境を決める戦だったとか幅広い考察が面白いですね。
    大名が戰場にて裏切りや暗殺でもないのにその場で首を取られるなんて全国の大名は何が起こったのかと震撼したでしょうね。

  • @teratorii
    @teratorii 5 днів тому +4

    テンポが良くて聞き入ってしまう

  • @motoyasushimizu7107
    @motoyasushimizu7107 12 днів тому +14

    尾張統一や桶狭間、美濃攻略位までのガンガン行く信長、格好良い。主人公感があります。

    • @nitro2525k
      @nitro2525k 10 днів тому

      その後も最前線でガンガン行くのが信長

    • @土方歳二
      @土方歳二 5 днів тому

      初め弱いのが劉備を主人公とする三国時代に通ずるね 結局この人も人望で成り立ってたし

  • @ジャガーマン-t4l
    @ジャガーマン-t4l 12 днів тому +14

    将軍としての信長って資質的には本営で作戦指導する総帥タイプってよりは、自身の直接指揮が通る規模の親衛隊率いて感覚的に戦う陣頭の猛将タイプですよねぇ

  • @marishira001
    @marishira001 6 днів тому +2

    面白い動画でした。ドラマもいろいろ見、いろんな記述も読み、桶狭間にも実際に行ってみたりしたりしました。そんなわたしですがこの動画はテンポもよく、画像もきれいで一気に全部見てしまいました。出色の出来ですね。ほかの動画も見てみたいと思います。

  • @sowa9959
    @sowa9959 12 днів тому +12

    信長のうつけの部分が最もいい方向へ動いた戦いでしたね。

    • @tevalleyluckman8746
      @tevalleyluckman8746 12 днів тому

      三郎「うつけでなくば天下は取れぬわ!」

  • @toki8606
    @toki8606 10 днів тому +32

    桶狭間の戦いが無ければ、徳川家康は独立できず、長く太平の世を築いた徳川幕府も無かったのです

    • @湯乃吉
      @湯乃吉 3 дні тому

      そんな事分からないだろ(笑)

    • @bufferin8915
      @bufferin8915 3 дні тому +2

      ↑えぇ…?織田と豊臣の台当無ければ、どう考えても無理な様な…

    • @user-lp9dw7272
      @user-lp9dw7272 3 дні тому

      @@toki8606
      長く続いた戦国時代を終わらせるために信長・秀吉・家康が立ち上がった
      古い世襲豪族を破り武士以外から刀狩り、荘園以来の荒地から太閤検地、名主に土地を与え開墾奨励、治安回復の為私的報復の禁止と御前仇討ち、武士の狼藉刃傷事件排除と試し切り禁止の生類憐みの令の徳川幕府は一体の社会作り。

    • @ひで-s6e
      @ひで-s6e День тому

      その時は無理でも歴史の修正によりいずれ天下を納めることになるであろう

  • @oceanblue1061
    @oceanblue1061 11 днів тому +3

    戦国時代にハマっている時と同じ感情で動画を観ていました!とても面白かったです!大河内城の戦いや姉川の戦いも観てみたいです!

  • @railstar9226
    @railstar9226 12 днів тому +14

    余りにも有名な戦いですが、魅力的な動画で思わず2度見してしまいました。
    もっとも、貴チャンネルのどの動画も繰り返し見たくなるものばかりなのですが。今川 義元公の画像もいかにもお公家さん風ではなく、文武両道に秀でた精悍な名将という感じで良かったです。この戦いは喩えていえば、選抜で優勝し、夏の大会も断トツの優勝候補であった私立今川学園が、1回戦で1年生投手を擁する無名の県立尾張高校にまさかの完封負けを喫したようなもの。順当に勝ち上がって、2回戦で斎藤 道三公率いる強豪の「美濃高校亅との激突があったかも知れないと思うと義元公の早々の退場は実に惜しまれます。

  • @BlackCity24
    @BlackCity24 10 днів тому +2

    とても勉強になりました、面白かったです。
    信頼出来る資料が有りません。
    が逆にとても信頼出来ます
    一番事実に近いと安心して見てます。

  • @たこやきイズム
    @たこやきイズム 11 днів тому +5

    別の説では今川義元を尾張の戦場に誘き寄せて、城、砦攻略に兵力分散させて、勝利に酔う今川本陣を占領した城、砦に逃げるには遠い場所を狙って奇襲を仕掛けて勝利したというのも有りますね。
    この説だと、今までの通説の信長の戦術に義元が負けたのでは無く、信長の戦略に義元が負けた事になりますね。

  • @millione41
    @millione41 12 днів тому +46

    義元が京かぶれのダメ君主だった説は、後世の創作だと思います。

    • @bluestar_1213
      @bluestar_1213 11 днів тому +14

      ゲームの信長の野望の今川義元の顔画像も、昔は公家風の悪人顔だったのが、最近はイケメンになってるので、評価が変わってきてるんでしょうね。

    • @tillc8092
      @tillc8092 9 днів тому +2

      @@bluestar_1213  戦国大戦のイケメンだけど怪しくてうるさい今川親子すき

    • @通りすがりの赤い人
      @通りすがりの赤い人 7 днів тому +5

      義元が公家風なのは歴史公証的に正しく、彼が室町幕府の上級武家だったというだけの話なんですよw
      もともと室町幕府の礼法では極一部の限られた名門武家にだけは公家風に装い、輿に乗り「屋形(やかた)」を号することを認めていました。
      居館を「屋形」と呼び、家臣が「お屋形様」と呼んでよいのは屋形号を許された武家だけで、たとえば義昭奉戴以前の信長は屋形号を許されてませんので単に「殿(との)」としか呼ばれません。

    • @bluestar_1213
      @bluestar_1213 7 днів тому +3

      @@通りすがりの赤い人 甲斐武田も屋形号をもってましたよね?でも信玄に公家風なイメージはない(晴信の頃も)から、義元の公家趣味(衣装やお歯黒など)は個人的な趣味?w
      まぁ実際に見たわけではないですが......

    • @luckystrike2945
      @luckystrike2945 6 днів тому

      「義元が京かぶれのダメ君主」なんて説は聞いた事が無い。「氏真」では?
      義元公は本来、公家方の血筋や。てか、「将軍職」に就けるのは源氏嫡流であり、源氏 及び 平氏は皇家出身。
      武田家も徳川家も、元を辿れば源氏の流れ。即ち、「公家の血筋」や。

  • @MDK-ch9bh
    @MDK-ch9bh 3 дні тому +2

    臨場感が伝わって良かった

  • @知財僧侶
    @知財僧侶 4 дні тому +1

    桶狭間(田楽狭間)の戦いは、最近の分析では運が良かった訳ではなく、今川が攻めて来る前から今川侵攻を想定した幾度と無い2人1組の領内の情報網運用の演習を何ヶ月間も行っていた事や、六角家など他家からの援軍が来ていた事などが近年分かっています。
    これら複数の要因から局地戦の兵数と地の利を活かした情報網の優位性から、奇跡的な勝利ではなく今川家侵攻を何ヶ月も前から想定し準備を整えていた信長の計画的勝利だったと思います。

  • @shobei9595
    @shobei9595 6 днів тому +1

    じゅうよう。こっちが勉強になりました!ありがとうございます!

  • @HumanoidDamian
    @HumanoidDamian 4 дні тому +3

    毛利新助はその後も信長の馬廻を務め、信長の嫡男である信忠付きとなり、本能寺の変で信忠に殉じた。服部小平太は信長の死後は羽柴秀吉に仕え、大名にまで昇りつめたが、秀次事件に連座して切腹した。

  • @げきしんしらぬい
    @げきしんしらぬい 9 днів тому +22

    まあ今川は熱田が欲しかっただけやろ。海湾利権は美味しい。

  • @ローラン-j4q
    @ローラン-j4q 12 днів тому +16

    ローマ内戦とか、3世紀の危機とかをお願いします。

  • @RioClipper-hv8vg
    @RioClipper-hv8vg 12 днів тому +21

    信長って日本人最高の英雄だよなあ

    • @にいにい-u7q
      @にいにい-u7q 12 днів тому +1

      そう、そして大谷翔平が信長にチャレンジしてる。

  • @takashi3495
    @takashi3495 6 днів тому +1

    素晴らしいクオリティ!
    是非天王寺砦の戦いも描いて欲しい!

  • @月村猛
    @月村猛 12 днів тому +14

    義元存命中はあの信玄が今川にも駿河にも手を出せなかったのに、桶狭間のために信長の引き立て役にされてかわいそ過ぎる(´・ω・`)>義元

    • @山田有鮮
      @山田有鮮 10 днів тому +5

      信長が優秀なのは疑う余地もないけれど、義元も戦歴を見てもほぼミスらしいミスがない名将ですしね

  • @yuta2010able
    @yuta2010able 11 днів тому +4

    こういった映像が皆無の歴史モノに映像生成出来るAIには意義があるし、ここからまた発展性もあるね。

  • @ああ-p1l6t
    @ああ-p1l6t 11 днів тому +25

    今川方の手をことごとく封じられた挙げ句に電撃的に尾張統一をされてしまった今川義元は、信長を一流の英雄と認めたうえで、動 員力1万5000をはるかに超える2万5000の無理な動員で、全力で信長に立ち向かっていき、最後は旗本同志の決戦に敗れ散った。
    決して舐めプで敗れたわけではありませんでした

    • @tevalleyluckman8746
      @tevalleyluckman8746 10 днів тому +10

      義元はかなり優秀な男だったからね。
      結果として相手が悪かったというしかない。

    • @TheF6fhellcat
      @TheF6fhellcat 10 днів тому +6

      私の持ってる書籍では、自身5000に対し今川軍25000では籠城したところで絶対に勝ち目はない いちかばちかで本陣のみを目指して突撃するしかなかったとあります
      逆に後方を警戒して1万程度であれば、籠城した方が有利と思わせた可能性もあります
      舐めプどころか万全を期した結果、逆にやられたというのが戦の不可思議なところ
      クラウセヴィッツなら「これぞ戦場の霧」と言ったかもしれませんね

    • @tevalleyluckman8746
      @tevalleyluckman8746 10 днів тому +8

      @@TheF6fhellcat それほどの強運に恵まれた人物が不世出級の天才児と言うのは凄い話ですね。
      「歴史の神に選ばれた」という事なのでしょうか?

  • @虚空蔵-c1e
    @虚空蔵-c1e 11 днів тому +4

    今なら桶狭間からの本能寺を映画化したら世界的なヒットになりえる

  • @hikagami
    @hikagami 4 дні тому +1

    信長誕生から桶狭間までを長編ドラマにしてほしいわ

  • @ふらりっぴ
    @ふらりっぴ 11 днів тому +12

    信長は討ち取った大将首には礼儀正しく接したと信じている。
    勝頼の首を前にして勝頼を褒め称え、そして、勝頼の不運を嘆いたという逸話はもともと信長のエピソードだった。
    最近のTVで家康のエピソードにしてしまっているものを見た。
    以前、大谷吉継の鼻水入りのお茶を飲んだのを秀吉のエピソードにしているものもあった。
    TVなんてものは「どうせ昔のことだからどうだっていい」と思っているとしか思えない。歴史好きならTVは観ないほうが良い。

  • @ピューマ仲村
    @ピューマ仲村 12 днів тому +4

    近代のノルマンディー上陸作戦とか見てみたいです

  • @メンバーサイドワン
    @メンバーサイドワン 2 дні тому +1

    2:57 たわけが!我こそが弾正忠である!
    え?弾正忠は、かなり後に、畿内を平定した後に正式に貰ったヤツでは?
    その頃は上総介じゃないの??

  • @nagatoshi777
    @nagatoshi777 6 днів тому +2

    確かに信玄は義元亡き後の今川本拠の駿河を容赦無く攻め取って滅亡させている。後継者である太郎義信の妻の実家を、北条とも敵対するのを覚悟で攻め入るのは、思いつきではできない。
    桶狭間で最も利を得たのは武田であり、何か決定的な役割を武田が担っていたとしても不思議ではない。

  • @Nis-vl6xg
    @Nis-vl6xg 12 днів тому +20

    尾張平定戦時、信長は子飼いの兵を素早く使って攻めた。が、実弟信勝に限らず殆どの競争相手は先ず配下の武将に兵を集める様にふれを出し兵が集まってから戦に臨んだ。
    多くの場合 信長の競争相手は準備不足のママ攻め立てられ星を落とした。
    多くの書にこの時の信長の勝利要因は配下の武将を頼るのでは無く自分の命令にのみ従う小屋の者を飼い、信長独裁を実現する為に銭儲けに勤しんだ。としていますね。
    ハッキリと書かれている書物を読んだ事は有りませんが、信長自身が商売やビジネスをして利益を上げて小屋の者を維持していたのではないでしょうか?
    そうでないと所得税も消費税も無い時代に関所廃止や楽市楽座(はもう少し後の政策かな?)等の減税を行いながら政策自由度を実現した財政の説明が付きません。

    • @通りすがりの赤い人
      @通りすがりの赤い人 12 днів тому +6

      尾張時代の信長の財政を支えたのは東海~近畿の海運を扼する津島ですよ。津島と信長の関係は生涯変わることなく、その家臣の中堅どころに津島衆がいます。
      もともと織田氏は尾張の人ではなく斯波氏が尾張守護を任じられたために越前から尾張に同行し根付いた一族で、その基盤が無かったためにあの手この手で勢力の基盤を確保していきました(斯波氏黙認のもとで国衙領などの横領を繰り返した)が信長の属する弾正忠家は傍系の傍系(守護代家臣筋)であったために土地ではなく物流の経路を掌握することで勢力の伸長をはかりました。
      ちなみに結構誤解されていますが関所廃止や楽市楽座といった信長の施策は信長の領国一円で行われたのではなく、必要に応じて特定の地域でのみ実施されています。

    • @Nis-vl6xg
      @Nis-vl6xg 11 днів тому +3

      @@通りすがりの赤い人
      オオ!そうなのか
      それで織田家にはその津島からどういう仕組みで銭が入っていたのですか?
      何等かの所得税みたいな仕組みですか?
      不定期な「今年は幾ら納めろ」みたいなやり方だとお互いフラストレーションが高まる様な気もするのだけど織田家は津島の収入を把握して「売り上げが○○だから納めるのは××ね」みたいにしてたのですか?

    • @tevalleyluckman8746
      @tevalleyluckman8746 11 днів тому +4

      若い時から常備軍の発想を持っていたとは、やはり天才ですね。

    • @nitro2525k
      @nitro2525k 10 днів тому +1

      @@tevalleyluckman8746 常備軍うんぬんという話は、ほぼ創作やぞ

    • @tevalleyluckman8746
      @tevalleyluckman8746 10 днів тому

      @@nitro2525k そうか!私もまだまだ勉強不足だな。ありがとう。

  • @にいにい-u7q
    @にいにい-u7q 12 днів тому +7

    今川ってこのやらかしが二度目なのを知って伝統芸なのかなと思いました。今川義忠(祖父)の二の舞になるとは・・・・。

  • @山田有鮮
    @山田有鮮 10 днів тому +1

    語りがうまくて、いつも楽しませてもらっています!明確に記録がないことが、この信長の出撃が「計画的ではない」ことの証のようにも思える。勝利した後であれば国内への宣伝のためにも盛った話であれ詳細に記録を残して広めそうなものだけどそういった動きがあまりないことから、せめて一戦しておかないと示しがつかないので出てみたが位置を正確に補足できておらず、見つけた部隊も雨の中で疲弊してるだろうから、支隊の一つだけでもとりあえずつぶしておこうと突撃したらうっかり本隊だったという話は、案外真実に近いのではない思う。

  • @anaisno1
    @anaisno1 5 днів тому +1

    信長は石山合戦でも最前線で戦ってますからね…武闘派ですな

  • @ペンギンクミマヌ
    @ペンギンクミマヌ 10 днів тому +1

    めっちゃ神話レベルの古代か現代のような戦闘機、ミサイルが出てくるような時代を取り上げて欲しいです。

  • @バランタイン12
    @バランタイン12 12 днів тому +1

    大坂冬の陣夏の陣、ヘースティングスの戦い、ナポレオンのロシア遠征をお願いします。

  • @橋田良彦-p2o
    @橋田良彦-p2o 9 днів тому +2

    今川方の本隊侍大将の墓になんと武田菱が彫られているのです。桶狭間山にも行きましたが当たり前の陣構え。6000の本隊の侍大将は武田の草だったのかもしれません。家に入り込みその家の人間に成り切る。山に駆け上がる信長軍は丸見えの筈。武田信玄が一策弄した感がありますね❗️❤

  • @三島-i1d
    @三島-i1d 11 днів тому +1

    わかりやすー、

  • @takangy9021
    @takangy9021 4 дні тому +1

    信長は、うつけ時代、野山を駆け巡り、桶狭間の地形を熟知していたのでしょう。
    党首、自ら戦いに討っていく姿に、部下を引き付けたのでしょう、ここから、日本の戦国時代は彼中心に流れていくのです。
    時代のキーポイントですね。以後、信長、秀吉、家康の時代に入っていくのです。

  • @黒い綿棒-q5r
    @黒い綿棒-q5r 5 днів тому +1

    素晴らしいと思いますよ!

  • @nerirosso-d4d
    @nerirosso-d4d 8 днів тому +1

    内容もそうだけど、AIってまじですげえな

  • @高松宮よっしー
    @高松宮よっしー День тому

    将軍の次は、信長を製作してほしい!

  • @knife3ver11
    @knife3ver11 12 годин тому

    桶狭間の戦いって本当にあったのかな?地形的に名古屋から安城、岡崎、豊橋、静岡とず〜っと平野なんですよね。
    しかも鯛が届けられたとなると海に近かったことになるので
    東海市とか東浦町、高浜市辺りになってくる。
    高台がないことはないが余りにも見通しが良過ぎる😅

  • @866083
    @866083 12 днів тому +4

    15:54ズブリw

  • @toriaezunoakanto
    @toriaezunoakanto 12 днів тому +6

    ノッブイケメソ過ぎて

  • @unithouse1
    @unithouse1 11 днів тому

    ノッブ「いままでワシを描いてくれたフィクションの中で一番かっこいいのう(ウットリ」
    桶狭間以前の信長を描いたドラマが、二十年前にあったのを思い出す。キムタクが信長を演っていた。

  • @ヤマモトユウマ-d9k
    @ヤマモトユウマ-d9k 4 дні тому

    桶狭間合戦は、信長殿と義元殿の知恵比べだったという説を聞いたことがあります。
    尾張の奥深くまでおびきだし、各砦に兵を配置し、兵を分散させることで今川本陣を手薄にさせた。雨が降ったことは偶然だったかも?
    気象予報士のような人がいた可能性もありますけどね。平幹次郎さんではありません笑。

  • @茂一村上
    @茂一村上 10 днів тому

    最近の桶狭間の戦いは信長が今川義元を誘き出す為の信長の誘導作戦だったという説が有りますね📝

  • @user-lp9dw7272
    @user-lp9dw7272 3 дні тому

    あれ?吉川英治「太閤記」や山岡荘八「徳川家康」は?どちらも桶狭間は詳細に記載、小説なれど静岡・愛知の各ゆかりの寺などの資料を調べているが…

  • @ユニコーンの種馬
    @ユニコーンの種馬 5 днів тому

    敦盛
    じんかん50年といったらもっと良かったのだけど、おおむぬ高評価です

  • @MO-bc3jm
    @MO-bc3jm 5 днів тому

    雨天を予想して柳川と言う部下が働いていたはずです。

  • @鳥居万字郎
    @鳥居万字郎 12 днів тому

    アジアは好きなんだけどたまにはローマとか大英帝国の話もみたいですね。特にイギリスが無敵艦隊を打ち破った話がみたいです

  • @katochanp1959
    @katochanp1959 11 днів тому +3

    土田午前(どだごぜん)

  • @しょうちゃんなおたろう
    @しょうちゃんなおたろう 12 днів тому

    ぜひミッドウェー海戦お願いします

  • @yoshirinn7777
    @yoshirinn7777 11 днів тому +1

    父、信秀の葬式でのエピソード。信長公記にも載っていて有名ですが、実は著者の太田牛一はこの頃はまだ信長に仕えておらず、実際には見ていないんですね。だから、かなり話が盛られている可能性があります。
    ただ、信長公記以上に信頼性の高い記録が無いのも事実です。

  • @OM-xc2ij
    @OM-xc2ij 11 днів тому +3

    義元左文字……

  • @mokugyo129jp
    @mokugyo129jp 7 днів тому

    桶狭間の戦いは、武田信玄が義元の金山欲しさの戦略で、信長に勝たせたと聞いております。梁田政綱は信玄から派遣され信長に情報提供の役割をさせ、信長には城から出て戦うように進言したとの話です。織田家単独では勝てない戦でもあるので、信憑性かあるなと思いました。

  • @アバズレーエフ
    @アバズレーエフ 12 днів тому +4

    いっそ神話時代とかどうです?三韓征伐とか

  • @土方歳二
    @土方歳二 5 днів тому

    天が選んだ男だ・・・かっこいいな

  • @レスター-d6t
    @レスター-d6t 11 днів тому

    新説では信長が大高、鳴海両城は義元をおびき出す餌に使われ義元がのこのこ出て来たところを始めから急襲するつもりだったと言われています

    • @nitro2525k
      @nitro2525k 10 днів тому

      義元が2万を超える大軍を動員したのは信長も想定外で、内心「ミスった」とおもってそうw

  • @リセマラ太郎-f9m
    @リセマラ太郎-f9m 10 днів тому

    ついに桶狭間きましたね!信長って信秀の第一子じゃないんだよね…結果的には嫡男になったけど。桶狭間だけでなくその前の家督争いもやってくださるという😊😊

  • @herchunhechun
    @herchunhechun 4 дні тому

    2万5千人・・・うんこと飯の対策が大変

  • @いかれぽんち-t6s
    @いかれぽんち-t6s 12 днів тому +7

    大河ドラマで今川義元やってほしいわ

    • @泰英岡田
      @泰英岡田 12 днів тому +6

      あるいは「センゴク外伝桶狭間戦記」アニメ化を…。今川義元再評価のきっかけになった名作で、お師匠とボンの凸凹コンビは最高でした。

    • @kankkunen88
      @kankkunen88 11 днів тому +3

      おもしろいドラマになるわね  信長がみとめた本来の天才

    • @ねこパン-w3p
      @ねこパン-w3p 9 днів тому +1

      一年持たんがなw

  • @弾正少弼-b6m
    @弾正少弼-b6m 7 днів тому +1

    今川義元の評価をもっと見直すべきだと思う。寄親・寄子制は当時としては画期的な制度だし、今川仮名目録もまた高評価されるべき法。

  • @ケルン-z6y
    @ケルン-z6y 11 днів тому

    試験に出るどうでしょうを思い出した。

  • @浜田篤-v4g
    @浜田篤-v4g 11 днів тому

    なかなか引き込まれてしまいます

  • @1136845792402
    @1136845792402 4 дні тому

    普通に考えて、5千の兵で2万5千に挑もうとは思わないでしょう。
    信長は、戦の博才に長けて居たのでしょうね。
    それと同時に部下の人心を掴んで居たのだと思います。

  • @ikuonishida7372
    @ikuonishida7372 11 днів тому

    本編とは関係ないかもですが、信長が木村拓哉(映画「レジェンド&バタフライ」では実際に主演)か岡田准一に見えてしまうのは、AIまでもがそういう風にイメージしてしまうからなんでしょうかね。

  • @toyo156
    @toyo156 11 днів тому +3

    チート級の強さなら今川でしょ

  • @練野菜
    @練野菜 6 днів тому

    偶然が重なった?確かに信長にとって幸運に恵まれたのは事実だろう。が信長が何かしらの策を練っていたと思う。槍の長さが今川軍とは違ったとの説を見た。どこまで検証されたかは定かではないが、織田軍の努力は何かしらあったと思う。

  • @866083
    @866083 12 днів тому +1

    1:12瓜(スイカ)・・・・・・・・(西瓜って書くなあw)

  • @zoo5418
    @zoo5418 2 дні тому

    桶狭間はジャンケンで決まった

  • @illmatic1994a
    @illmatic1994a 10 днів тому

    動画は素晴らしい出来だと思いますが、歴史学者たちの間では「偶発的な正面衝突説」が主流ですよね。
    今川軍は隊を分散していたため、義元の本隊は5千程度。
    その義元本隊と信長の本隊が偶発的に正面衝突した結果、兵力にほとんど差が生じなかったと考えられています。

  • @jsdksfk
    @jsdksfk 11 днів тому

    徳川家康とは仲が良かったというし、内通していたのかもな

  • @猫ちゃん大王
    @猫ちゃん大王 11 днів тому

    (*'▽')観ていて、面白かった!!!桶狭間は、家の近所なんで何とも言えない感じがしたよ。

  • @t.k4686
    @t.k4686 11 днів тому

    桶狭間山説でないんすね。
    桶狭間の窪地説取ってますね。

  • @風魔忍者ぶきみ丸
    @風魔忍者ぶきみ丸 11 днів тому

    利口だと判ると、命が幾つ有っても足りない時代、うつけの振りをする信長であった。
    ハムレットも敵を油断させる為に狂人の芝居をした。

  • @musasiizumu
    @musasiizumu 7 днів тому

    今川義元だけは麻呂風でなきゃ…

  • @Unityan
    @Unityan 12 днів тому +1

    将来は黒人の侍を召抱えそう

  • @damm123
    @damm123 5 днів тому

    10:37誰かコレでラップ作って

  • @末岡久雄
    @末岡久雄 12 днів тому +8

    今川義元が攻めたきたのは、尾張統一ではなく知多半島の利権を巡る戦いだったとされていますね。
    信長も大軍を目にしては城に籠って、向こうから攻めてくる事は無いだろうと、義元は高を括ってた様に思えます。

    • @tevalleyluckman8746
      @tevalleyluckman8746 12 днів тому

      義元がそのつもりで兵を動かしたならば、籠城策は常識だった。
      だからこそ信長は打って出たのだと思う。

    • @末岡久雄
      @末岡久雄 11 днів тому

      @@tevalleyluckman8746
      その意味では奇襲作戦成功って所ですね。

    • @tevalleyluckman8746
      @tevalleyluckman8746 11 днів тому

      @@末岡久雄
      奇襲の基本は定石を捨てる事にあります。
      襲われる側にとって「まさか?!」が奇襲なのですから。

    • @nitro2525k
      @nitro2525k 10 днів тому

      今川義元がせめてきたんじゃなくて、信長が鳴海城を攻めていて、それを救援するために義元が出陣という典型的な後詰決戦。義元のすごいところは、信長に対処できないほどの大軍を動員したところ。

    • @tevalleyluckman8746
      @tevalleyluckman8746 10 днів тому +1

      @@nitro2525k 全体の構図を見ると、義元は誘引されたようなものですな。

  • @名月-w8w
    @名月-w8w 6 днів тому +1

    美濃のマムシ斎藤道三、信長に会った時自分の馬鹿息子がつくづく嫌になった。美濃一国を信長に進呈したい。又美濃の濃姫👸との結婚に。この二人は本能寺にて炎🔥の中運命をともにした。

  • @sideforest36
    @sideforest36 6 днів тому

    AIを駆使しまくっとるな

  • @bonokiss798
    @bonokiss798 День тому

    偶然の粗い作戦⁉️⁉️
    桶狭間の勝利は、そんなことでは無い
    確かに偶然にもいっときの積乱雲と雷、豪雨が味方したが、今川本陣は、雨が降ると泥濘地に変わる場所であったことは、信長は知り尽くしていた。しかも礼の者達の差し入れは酒や肴、ちまきに魚まで酒を混ぜて、兵士を酔わせてたと観る。
    この知恵は濃御前と藤吉郎
    又、追放した前田利家は藤吉郎と連絡を取り、地元の漁師、農民、老若男女を大量に集め、ムシロ旗やフンドシ旗を多数作り、地元民に擬勢をさせ、精鋭の前衛部隊20000を引き付けて分散させていた。
    この為、信長は今川本軍だけと戦える事となり、手勢2000で5000の本陣を豪雨の中、奇襲する事が出来た。
    尚、前哨の丸根砦や鷲津砦は、わざと負けさせて犠牲にさせた。
    コレは信長の計算に入っていて義元を油断させる為だった。
    だが、丸根砦指揮官の知恵者、佐久間大学を失ったのは信長にとって大きな痛手だったと思う。
    恐らく、攻められ脱出する手筈が失敗に終わり、大学は討死を覚悟し、信長の為に命を捧げたと解釈
    丸根を攻めた松平元康は、丸根を完全包囲して脱出口が無かったのだろうと推測してます。

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f 12 днів тому

    うつけ説をとると信長公記はプロットが破綻してしまいます。首巻の纏まりの無さは異常で牛一の頭が不調になった後の加筆では?

  • @薬局社長の知恵袋
    @薬局社長の知恵袋 11 днів тому

    安倍龍太郎の、信秀が亡くなる前後に、廃嫡されていた.という説についてどう思われますか?廃嫡されていたら葬式での逸話が納得いく。

    • @nitro2525k
      @nitro2525k 10 днів тому +1

      葬式での逸話が創作ってだけじゃね

  • @川村充昌
    @川村充昌 10 днів тому

    桶狭間
    実際に、現場へ行った際、何時もの薄気味悪さを、感じました
    実は、今回だけで無く、何回も、経験
    その場所が、殺人事件の現場
    戦時中の空襲場所
    明治村にも、同じ事感じました
    苦笑い
    正直、霊感は、無いです
    苦笑い
    しかし、感じるのです
    桶狭間も、その一つ
    以上

  • @kthtmtd5934
    @kthtmtd5934 12 днів тому +1

    信長の魅力って子供の頃から文武に秀でた優等生タイプじゃなくて破天荒な言動でうつけ呼ばわりされていたのが大きいのではないでしょうか。後の様々な功績もありますが日本人はギャップ萌えだからね(笑)

    • @nitro2525k
      @nitro2525k 10 днів тому

      史実を追おうと文武に秀でた優等生タイプぽいんだけどね。周囲の風評を気にする委員長タイプっていうか

  • @足利尊氏-q7b
    @足利尊氏-q7b 11 днів тому +1

    岡部元信は、確か駿河へ帰国する途中で刈谷城を数百で攻略した強者。最期は、髙天神城の戦いで壮絶な死を遂げたそうですね。マイナー武将だけど、もっと高い評価をしてほしいと思います。
    桶狭間ときたので、いつか西の桶狭間と呼ばれた沖田畷の戦いもやってほしいですね。

  • @みぃ-z2k5d
    @みぃ-z2k5d 11 днів тому

    信長が若いころ『うつけ』と呼ばれたのは
    彼と彼の父信秀の策によるもの
    織田本家や周辺大名に
    『織田弾正忠家は役立たずだから勝手に滅びるだろう』
    と思わせておいて
    太平の世を作るための力を蓄える期間を確保し
    弾正忠の本来の役目を果たせるように
    城主の立場では出来ないことを
    領内の情報収集や人脈の形成を
    信秀が信長にやらせて
    信長に家督を継がせたんでないでしょうか
    熱田神宮のご神体は三種の神器の一つである剣の本体だし
    弾正忠は今で言う
    警視総監と最高裁判長と検察庁長官を足した役職
    平清盛の時代の検非違使みたいなもの
    だから
    それを理解していた
    秀吉は明がスペインに侵略される前に朝鮮に出兵したし
    家康はそれを理解していない豊臣残党を大坂夏の陣で破り
    家光の時代に島原の乱を起こした人たちを殲滅した
    そして
    信長の夢は実現した

  • @MrYoshichan
    @MrYoshichan 11 днів тому +1

    敦盛と言うなら「人間五十年・・・」は「じんかん」と読むことをお勧めします。

    • @サトウり
      @サトウり 9 днів тому

      にんげんです。虚偽の情報に騙されないで

    • @ごんごんちゃん-c3e
      @ごんごんちゃん-c3e 9 днів тому

      じんかんではなかった?
      どちらにせよ、意味としては、天部(帝釈天や毘沙門天など)の寿命と比べたら、50年という歳月は夢や幻みたいなもん。生まれてきたら絶対死ぬ。
      という内容だったかと。
      個人的解釈では、人生は短くて儚いので、悔いなく生きろ。的な

  • @aru4518
    @aru4518 11 днів тому +1

    このタイミングで上洛するのは不可能でしょうが、明らかに城攻めではないのに5倍もの大軍を準備する理由がありません
    城攻めには3倍以上の兵力が必要と考えると、那古野城、清州城を落として織田家の吸収を図ったと考えるのが順当では?
    武田、北条、今川の三国同盟直前には今川は武田の本拠地、躑躅ヶ崎館に攻め込んでいます
    今川家というのは非常に好戦的な集団なんですが、なぜそんなヌルイ事しか考えていないと言い切れるのでしょう?
    武田、北条も三国同盟が成立すると領国拡大にいそしんでますが、狭い地域の支配権をめぐってと言われる根拠は?
    上洛の証拠がないと決定づけられるのでしたら、その主張も非常に浅いです
    教科書に採用された桶狭間奇襲の話は江戸時代の創作小説から引用されていますが、田楽狭間という存在しない隘路に義元は本陣が設置したように描かれています
    ですが桶狭間山という戦場を一望できる場所に信長の全戦力5千規模の部隊で本陣を守っていたという新説もあります
    有り得ないとの事で様々な歴史学者から否定されましたが、信長が2千でその山頂に待ち受ける義元5千に奇襲などではなく、正面から強襲をかけたという記録がございます
    雹が降ったという記述もありますが、どのタイミングでは明言されてはいなかったため江戸時代の創作物でも信長の迂回行軍を隠すために役立ったと動画でも言及していますが
    当時のメインウェポンは弓です さらに戦国時代は飛び道具での死傷者が8割近くを占めています
    家康が天下統一する直前、槍合わせなどそうそう起こらないと明言されている文書も残るぐらいです
    今川本陣攻撃の際、偶々雹が降って今川方が飛び道具が一切撃てなくなったところが真実ではないでしょうか
    数が少ない信長は突っ込むしかなく、数が多く高台の利の義元は射撃で容易に撃ち減らせるばすが、氷のツブテが降ってくれば狙いすらも儘なりません
    その混乱に乗じたからこそ、信長が勝てたのでは?