【悲惨な惨状】戦国時代の大失敗な合戦5選!残念すぎる戦略ミス!歴史解説!
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- Опубліковано 16 вер 2024
- 戦国時代の合戦は、勝つこともあれば負けることもあるもの。相手や状況にもよりますが、互いに戦略を探りつつ勝つための方策を考えていたのでしょう。
ところが歴史をひも解いてみれば、「これは負けるべくして負けてるよな~」と言わざるを得ない残念な合戦もあります。今回は大失敗のおかげで敗北してしまった戦いを5つ紹介してみたいと思います。
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#歴史,#日本の歴史,#合戦
伊達政宗の父親は晴宗ではなく、輝宗のはず…
晴宗は、伊達政宗の祖父では?
お二方、共に正解ですよ😊
今山合戦に出てくる大友親貞って大友氏の系譜に出てこない謎人物なんですよね
そしてこの対龍造寺戦は結局大友方優勢で進むわけで…つまりこの合戦はだいぶ怪しい
ぐいぐい来る足軽さんのほうが好きです!
2つ目の石田三成のやつは映画化されましたね笑笑 確か「のぼうの城」でしたっけ?
甲斐姫可愛いかったなあ
9:02伊達晴宗は政宗の祖父では?
城主成田長泰は、忍城の戦いの時には既に故人。
守城側の大将は、城代の成田泰季と嫡子の『のぼう様』こと成田長親でしょ
大敗と聞いて沖田畷が入るかと思った。
あれは島津が強すぎたからで龍造寺側に大きな落ち度はないから選外ですかね。
戦術勝ちしてたからね龍造寺は
歴史の失敗から学ぶのは大事ですね
19:44字幕の義明が15代将軍になってる😅
いつも見ています😂😊🎉
歴史のタラレバ話し好きです
いつものようにグイグイ来てくだされい‼️
「何らかの目標を達成するために戦争を行う」という前提にたてば、ある意味最低だったのは、戦国時代のはじまりともいわれる応仁の乱かもしれません。(応仁の乱を「合戦」と呼ぶのは正しくはないかもしれませんが。)
当時の人にすら「原因がわからん」と評され、達成する目標も不明瞭にもかかわらず戦闘が長期間続き、京都をはじめ各地を荒廃させ戦乱をもたらすなど、
「誰も得せず誰も達成する目標がないのに戦いだけが続き、その後長期に渡って全国規模で大混乱が起きた」とか、「最悪」以外に言いようがない気がします。
足軽さん、動画に誤字やら女性の声に読み間違え結構多いこのチャンネルでほぼミス無いのちゃんと歴史が好きなんだろうなって思えて高評価。文字と声もっと頑張れw
ぐいぐいな足軽さんが一番!
留守政景に留守番させなかったからだよ
第一次国府台の戦い…故事で言う「宋襄の仁」そのもの…
足軽さん、最高(*`ω´)b
忍城の戦いは解説の通りじゃ小説は盛り上がらないし映画にもならなかっただろうね。その辺を脚色して物語を作るのが作家の力量何だろうね。
油断は禁物ですね('ω')
インパール作戦のように「作戦前から負けるのが分かってた」戦いはさすがにないですね('ω')
インパールは勝つ可能性も十分とは言えないが有ったんだよ、イギリスがもうダメだと思う場面も有った。
元々が速攻戦だから速攻に失敗した後は勝ち目は無くなったけど。
インパール作戦は「見込みが甘い」とかいろいろ欠点はあったけど、「負けるのがわかってた」戦いではないっすね。
インパール作戦は単に、「見込みが甘いうえ、不利になっても上層部がgdgdで、打ち切るのが遅すぎて大打撃を受けた」だけです。それはそれで十分悪いですが。
なおもし太平洋戦争でそう言える例を求めるなら、終戦間際のいくつかの戦闘、たとえば「本土決戦のための時間稼ぎ」としての意図が強かった沖縄戦の緒戦、そして未遂に終わった決号作戦あたりでしょう。
ただし、「戦争の何らかの目的を満たすため、個々の戦闘における敗北は前提で時間稼ぎをする」こと自体は十分ありえますし、上記の作戦や戦闘もそう言えなくはないかもしれません。
終戦間際の日本の場合、その「目的」そのものに大きな誤りがあるとか、その「目的」が不明瞭という問題もありますが。
少なくとも途中までは順調に進んでインパール陥落手前まで迫ってますからね。
陸軍航空隊が転戦し英軍の兵站線が復活した時点で軍の命令通りに撤退すれば、あんな結末にはならなかったのですが…
牟田口は断固として撤退を拒否し、限界を超えても尚も包囲を続けさせたので将兵はボロボロ、そんな状況でようやく歩いて撤退させようにも生きて帰れる保障などどこにもなく。
油断して酒盛りしたり指揮系統が統一されてなかったり敗因も結構有るもんやしな~
大友宗麟は、キリスト教に入信して
完全に駄目になり家臣は離れました
今山の戦いも甘すぎました。
今山合戦はあまりにも再検証案件だしこの後の対龍造寺戦は勝ってますので
@@matukawatositane
いや最初から宗麟は良くない
父親殺して大名になり
キリスト教入信は家臣の反発を高めた。
@@ナックル星人 二階崩れは義鑑サイドも悪いし、家臣の反発言うけどそもそもキリスト教入信は隠居後なわけで、そして耳川敗戦後に隠居してた宗麟引っ張り出してきたのはその家臣団やで
家臣の美人妻を無理やり奪って側室にしたのでも家臣から信頼を失いました。
@@ある-v2p それは毛利側の軍記物語、陰徳太平記出典なので
忍城の戦いはさぞかし城兵達、大笑いしただろうなぁ。
巨額の金かけて堤防作って水攻めしようとしたけど水はたまらないし、その水で溺れるんだから、爆笑ものだよ。
将軍家の血統は女系は全然絶えてないだろ!
三成が鳥取城の水攻めに憧れてた説
水責めは太田城と備中高松城だよ