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自分が深名線に乗ったのが1985年と1989年でキハ22とキハ40のオレンジ塗装車でした。深名線でキハ54にも乗りたかった…。
国鉄時代に乗車されたんですね。JRになってからは2エンジンのキハ53がメインの運用になり、時折キハ54や白になったキハ40が入っていたようです。廃止間際には苗穂運転所から応援車がやってきて、キハ48も参戦してました。
白樺駅と蕗の台駅が出てきたので貴重ですね。画質も素晴らしい。この2駅の動画がまだありましたら、ぜひUPしてください。よろしくお願いします。
何もない場所なのに、かつては駅があって駅員がいて集落もあったという蕗の台と白樺。その場に立つと、いったいどうやって暮らしていたのだろうという素朴な疑問がわいてきます。両駅跡には廃線後も含めて数回しか行ってないので、他に撮った映像があったかどうか、あまり期待しないで下さい。
お早うございます。深名線はキハ53のイメージですが、小雨そぼ降る初夏の田園を行く白地に緑のディーゼルカーも、風景に溶け込みますね。優しいBGMも、いい感じです。白樺の林を走る列車はもういないけど、我々の心の中でいつまでも、走り続けることでしょう。
おはようございます。当時、私はまだ列車と徒歩での移動でしたので、単独ではなかなか広範囲に撮影することはできませんでした。そんな中、二人の友人が車を駆使して、それぞれに様々な場所で撮影してくれたのは本当にありがたかったです。
@@matunokura6028 様。機動性と融通性が、まさに自動車の特徴であり、長所ですね。北海道のローカル線が、自動車とは違った個性と魅力とを発揮出来ればよいのですが。
@@米田さとし 様機動性のお陰で撮影場所と撮影時間帯が一気に広がり、融通性のお陰で宿泊場所の心配をしなくて済むようになりました(笑)し、悪天候でも撮影のチャンスが増えました。特に珍しい列車を追いかける時には圧倒的な強みになりますが、調子こくと旭日章を拝まされる羽目になるので、ちゃんと道交法を遵守し、また無断立入には注意しなくてはいけませんね。
@@matunokura6028 様。お早うございます。宿泊場所の心配が無くなったって…ひょっとして蔵さん、自らハンドルを握られてからは車中泊の達人となられたのですか?まさか冬季の車中泊までは無かったでしょうね?凍死以前に、暖房目的で終夜エンジンをかけてると、確実に排気ガスが車内に逆流し、一酸化炭素の充満状態に至りますから。殊に北海道みたく積雪の壁に包囲されるシチュエーションなら尚更。私は九州・長崎旅行でも、レンタカーによる道の駅ハシゴ車中泊ドライブの経験があります。どの道の駅もすぐ隣にコンビニが無いのが案外不便。(その点、道の駅がセ◯マと「セット」になってる北海道は素晴らしい)一番困ったのは、最終の晩に大雨に祟られ、車の天井に轟く爆音総攻撃で、朝まで一睡も出来なかったこと。そのせいで、昼下がりの長崎空港の待合室で爆睡し、あと数秒で帰阪のLCCに置いてけぼりにされるところでした。
@@米田さとし 様達人と称されるほどは車中泊をしておりません。寝袋持参で冬季は雪の少ない白糠や音別で、エンジンで暖を取って夜を明かしたことはありますが、終夜エンジンをかけっぱなしではなく、一度切ってから寝て、夜中に寒くて目が覚めたらまた少しだけかけて、という断続的使用でした。天候にはそれなりに気を遣っていましたから、豪雪・豪雨での車中泊はありません。連泊はせいぜい2泊でしたね。気が張っていたのか、目覚ましをかけて寝坊したことはありません。コンビニよりもトイレの有無が最重要でした。
もう二度と戻ることの無い光景。自分は見たことも乗ったことも行ったことも無いですが、素晴らしい路線ですね。勿体ないですが、復活したところで、鉄オタしか来ないのが現実。現実は悲しかな。
深名線は季節ごとに素晴らしい風景を見せてくれました。それだけ沿線には人が住んでいないということですけどね・・・。冬の積雪と寒さは半端ありません。
サハリンです。私は、平成7年に深名線でキハ40に乗りました、では本題について話たいと思います、よろしくおねがいします、深名線に来た人にとっては、キハ53に目当てがほとんどで、いざキハ40に当たったとたん、みんなガッカリしていました、でもキハ40での深名線での旅はかなり魅力があります、深名線ではキハ53を導入前に入っており、キハ22と一緒にいました、キハ40に乗っていると10年ぐらい前に戻った感じでした、ワンマン改造と塗装に目をつぶれば国鉄時代にと変わらないですね、線路の悪い深名線では、DT44Àの空気バネの力を発揮して、乗り心地は、キハ53と54のコイルバネよりは、格段に良かったですね、本当に雲泥の差です、やはりキハ40といえばDMF15HSÁの音で勾配の多い深名線では重たそうな音を鳴らしながら行くのが魅力的でしたね。
私も深名線でキハ40がやってくるとガッカリした派でした。一番最初に訪れたのは平成6(1994)年の6月で二日間に渡り撮影しましたが、初日は3輌ともキハ40で調子が狂いました。でも二日目にはみんなキハ53に戻っていたのでホッとしたものです。ただ、深名線のキハ40の運用は雪のない時期限定なので、或る意味貴重だったと云えるのかもしれません。最終年にはキハ54も運用に入っていましたが、もう形式にこだわっていられる状態ではありませんでした。ua-cam.com/video/23-OJhX82dc/v-deo.html
冬に乗車したときは、キハ40で、運転士さんが、不安そうな顔をして運転してたのを思いだします
おそらく、マジで不安だったのだと思います。2基エンジンのキハ53ですら立ち往生をしたことがありますから、ましてや1基エンジンのキハ40では大丈夫かいなと心配にならない方がおかしいです。
何気にグランドシビックとハチロクが写っている!
この頃のキハ40やキハ54は生き生きとした表情に見えるが気のせいかな?
気のせいではないと思います。ついでに私も生き生きしていました。
@@matunokura6028 他にもそう思っている方がいらっしゃったんですね。JR北海道の経営状況がやばいのを身に感じているからなのでしょうね。
@@もとのぶチャンネル 様キハ183系なんかもう外観がボロボロだそうで。
自分が深名線に乗ったのが1985年と1989年でキハ22とキハ40のオレンジ塗装車でした。深名線でキハ54にも乗りたかった…。
国鉄時代に乗車されたんですね。JRになってからは2エンジンのキハ53がメインの運用になり、時折キハ54や白になったキハ40が入っていたようです。廃止間際には苗穂運転所から応援車がやってきて、キハ48も参戦してました。
白樺駅と蕗の台駅が出てきたので貴重ですね。
画質も素晴らしい。
この2駅の動画がまだありましたら、ぜひUPしてください。
よろしくお願いします。
何もない場所なのに、かつては駅があって駅員がいて集落もあったという蕗の台と白樺。その場に立つと、いったいどうやって暮らしていたのだろうという素朴な疑問がわいてきます。両駅跡には廃線後も含めて数回しか行ってないので、他に撮った映像があったかどうか、あまり期待しないで下さい。
お早うございます。
深名線はキハ53のイメージですが、小雨そぼ降る初夏の田園を行く白地に緑のディーゼルカーも、風景に溶け込みますね。優しいBGMも、いい感じです。
白樺の林を走る列車はもういないけど、我々の心の中でいつまでも、走り続けることでしょう。
おはようございます。当時、私はまだ列車と徒歩での移動でしたので、単独ではなかなか広範囲に撮影することはできませんでした。そんな中、二人の友人が車を駆使して、それぞれに様々な場所で撮影してくれたのは本当にありがたかったです。
@@matunokura6028 様。
機動性と融通性が、まさに自動車の特徴であり、長所ですね。
北海道のローカル線が、自動車とは違った個性と魅力とを発揮出来ればよいのですが。
@@米田さとし 様
機動性のお陰で撮影場所と撮影時間帯が一気に広がり、融通性のお陰で宿泊場所の心配をしなくて済むようになりました(笑)し、悪天候でも撮影のチャンスが増えました。特に珍しい列車を追いかける時には圧倒的な強みになりますが、調子こくと旭日章を拝まされる羽目になるので、ちゃんと道交法を遵守し、また無断立入には注意しなくてはいけませんね。
@@matunokura6028 様。
お早うございます。
宿泊場所の心配が無くなったって…ひょっとして蔵さん、自らハンドルを握られてからは車中泊の達人となられたのですか?まさか冬季の車中泊までは無かったでしょうね?凍死以前に、暖房目的で終夜エンジンをかけてると、確実に排気ガスが車内に逆流し、一酸化炭素の充満状態に至りますから。殊に北海道みたく積雪の壁に包囲されるシチュエーションなら尚更。
私は九州・長崎旅行でも、レンタカーによる道の駅ハシゴ車中泊ドライブの経験があります。どの道の駅もすぐ隣にコンビニが無いのが案外不便。(その点、道の駅がセ◯マと「セット」になってる北海道は素晴らしい)一番困ったのは、最終の晩に大雨に祟られ、車の天井に轟く爆音総攻撃で、朝まで一睡も出来なかったこと。そのせいで、昼下がりの長崎空港の待合室で爆睡し、あと数秒で帰阪のLCCに置いてけぼりにされるところでした。
@@米田さとし 様
達人と称されるほどは車中泊をしておりません。寝袋持参で冬季は雪の少ない白糠や音別で、エンジンで暖を取って夜を明かしたことはありますが、終夜エンジンをかけっぱなしではなく、一度切ってから寝て、夜中に寒くて目が覚めたらまた少しだけかけて、という断続的使用でした。天候にはそれなりに気を遣っていましたから、豪雪・豪雨での車中泊はありません。連泊はせいぜい2泊でしたね。気が張っていたのか、目覚ましをかけて寝坊したことはありません。コンビニよりもトイレの有無が最重要でした。
もう二度と戻ることの無い光景。
自分は見たことも乗ったことも行ったことも無いですが、素晴らしい路線ですね。勿体ないですが、復活したところで、鉄オタしか来ないのが現実。現実は悲しかな。
深名線は季節ごとに素晴らしい風景を見せてくれました。それだけ沿線には人が住んでいないということですけどね・・・。冬の積雪と寒さは半端ありません。
サハリンです。私は、平成7年に深名線でキハ40に乗りました、では本題について話たいと思います、よろしくおねがいします、深名線に来た人にとっては、キハ53に目当てがほとんどで、いざキハ40に当たったとたん、みんなガッカリしていました、でもキハ40での深名線での旅はかなり魅力があります、深名線ではキハ53を導入前に入っており、キハ22と一緒にいました、キハ40に乗っていると10年ぐらい前に戻った感じでした、ワンマン改造と塗装に目をつぶれば国鉄時代にと変わらないですね、線路の悪い深名線では、DT44Àの空気バネの力を発揮して、乗り心地は、キハ53と54のコイルバネよりは、格段に良かったですね、本当に雲泥の差です、やはりキハ40といえばDMF15HSÁの音で勾配の多い深名線では重たそうな音を鳴らしながら行くのが魅力的でしたね。
私も深名線でキハ40がやってくるとガッカリした派でした。一番最初に訪れたのは平成6(1994)年の6月で二日間に渡り撮影しましたが、初日は3輌ともキハ40で調子が狂いました。でも二日目にはみんなキハ53に戻っていたのでホッとしたものです。ただ、深名線のキハ40の運用は雪のない時期限定なので、或る意味貴重だったと云えるのかもしれません。
最終年にはキハ54も運用に入っていましたが、もう形式にこだわっていられる状態ではありませんでした。
ua-cam.com/video/23-OJhX82dc/v-deo.html
冬に乗車したときは、キハ40で、運転士さんが、不安そうな顔をして運転してたのを思いだします
おそらく、マジで不安だったのだと思います。2基エンジンのキハ53ですら立ち往生をしたことがありますから、ましてや1基エンジンのキハ40では大丈夫かいなと心配にならない方がおかしいです。
何気にグランドシビックとハチロクが写っている!
この頃のキハ40やキハ54は生き生きとした表情に見えるが気のせいかな?
気のせいではないと思います。ついでに私も生き生きしていました。
@@matunokura6028 他にもそう思っている方がいらっしゃったんですね。JR北海道の経営状況がやばいのを身に感じているからなのでしょうね。
@@もとのぶチャンネル 様
キハ183系なんかもう外観がボロボロだそうで。