Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
よくここまで調べられましたね。ありがとうございました。私は、元自衛官で陸大の自衛隊版である陸自幹部学校で学びました。私も歴史が好きだったので、陸軍の歴史である陸軍大学校についても知っています。陸自では、義務教育である幹部上級課程AOCを卒業すると受験資格が得られ、4回受験ができます。私は1回で合格できたのでエリートだったのかもしれませんね(笑)筆記試験の内容は変わっているものの、面接は変わっていませんね。ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます。幹部学校を卒業されてるとは凄いですね!陸上自衛隊でも幹部上級過程の面接が変わっていないとは驚きです。とても貴重な教えをいただきました。こちらこそありがとうございます。
ある意味、防衛大学校卒業の幹部よりは、優秀では?
赤い字幕がものすごく見づらい。
わかる
同じく
@@Bomb_Alice さ
老眼が入ると特に:
@@Bomb_Alice はじめまして。
興味深い情報を整理まとめ解説 ありがとうございます。BGM音量もう少しだけ絞っていただけると聞きやすくなるなと感じました。
ご視聴ありがとうございます。この時期の動画はご指摘の通りBGM音量が大きかったため、最近アップしている動画は音量を下げて調節をしておりますので、今後ともご視聴をいただければ幸甚の至りです。
東條さんは若い兵士には優しい人だったらしく彼が連隊長時代に新兵として入隊した曽祖父が訓練視察に来た東條連隊長に意見したら「元気があってよろしい!」と扇子を記念品にくれたと手記にあった。
本当の目下には優しい人ですよ。ただ、有能なライバルと見ると、目の色を変えてきますよ。
興味深い動画ありがとうございます。これは陸大本科についてですよね。できますれば専科課程も採り上げて下さい。楽しみにしております。
陸軍中野学校についても解説してほしいな。
私の祖父は陸軍士官学校を出て、連隊長の副官(大尉)を勤めて終戦を迎えたが、士官学校も兵学校も平たくいえば「中間管理職」を養成する学校だと言っていました。階級でいえば少佐か中佐どまり。それに対して大学校は、受験すること自体が上官の推薦を必要とするため、将来の将官、とくに中央の幕僚たらんとする見込みがなければ受験できなかったそうです。純粋に、学力的には東大や京大に入るのと同じくらい優秀でなければ合格できなかったそうですが、反面、師団以上の部隊を動かす戦術教育オンリーになっていて、視野の狭い高級軍人しか育たなかったとも'(当時から)言われていたそうです。そして大学校卒業時の成績順に昇進し、上位成績者は大本営勤務の大将を目指せたが、下位成績者は戦地部隊の司令官か、中央であっても少将か中将どまりだったとか。外国から名将扱いされる人は、やはり多くが海外(特に欧米)で駐在武官を経験し、国際的な視野を身に付けた人たちのような気がします。なので陸海軍省教育部などは、大学校の学生を東大や京大で学ばせるカリキュラム改定を何度も具申したこともあるようですが、却下されたそうです。そういえば重光葵が東京裁判中に書いた日記の中に「戦前戦中、東条英機には何度も不快な思いをさせられてきたが、拘置所で虚心に話をしてみると、頭の回転は早いし、物事の要点を掴む要領はたいしたものだ。ただ悲しいかな、彼には国際的な感覚と国際的な一般常識が欠けていた。それが今の日本の悲劇を招いたといっても過言ではない。もし彼がそれらを兼ね備えていたら、ここまでの悲劇には至らなかっただろう」と記していたし、木戸幸一日記にも「陸海軍大学校の教育は軍事面に偏り過ぎていた。その弊害をもろに受けて育ったのが東条英機だろう」とありましたね。
面白いです!
ありがとうございます!
石原莞爾がカッコ良すぎる
陸軍大学校の動画配信ありがとうございました。やはり、石原莞爾閣下と東條元総理の話は出てきましたね!確かに、情報収集などの諜報活動を学ぶ科目があれば、情報軽視や精神論などの点はなかったでしょう。
東條英機の教官時代は、とても丸い人だったんだな。関東軍を仕切るようになった時の関東軍内、首相・陸相兼務時代の陸軍内では、苦い顔だけでは済まなかった。
昇進する毎に責務が増すからしょうがない。
@@supremegarbage9796 さんへ元々激動の時代のリーダーには向かない、官僚気質の人。決定事項にこだわり状況が変わっても臨機応変ができない。序列・体面・慣例を重視し過ぎるし、慕ってくる者を大事にするは良いんだけれど、媚びる人阿る人まで大事にして、敵対派閥に所属していたことがある人材だったり、逆らわれたり対立して一旦嫌った人は有能・必要でもなかなか引き上げて使うという事ができなかった。有能なリーダーを支える事務方トップとかやり手経営者を支える番頭的な仕事を任せていれば有能さを発揮したとは思う。
陸軍士官は士官学校の卒業成績は非公開で陸大の入学有無で出世が決まり海軍では兵学校の卒業成績が出世が決まり海大の入学有無に対して出世に影響は無かった。
古川薫『天辺の椅子』という、児玉源太郎の伝記小説を読むと、陸大創立の頃の話が出てきます。お雇い外国人のメッケルは厳しい態度で将校候補生を育成し、見込みがない人間は辞めさせたそうです。ちなみに陸軍の通訳が常につきました。動画にある、兵站や情報の不十分な教育は、のちの歴史から見れば確かにその通りで、小説のなかでは軍人と政治について教えなかったことが後世誤りだったとも指摘しています。また、動画にある「陸地測量部」は、内務省から陸軍に移管された経緯から、武官ではなく文官が働いていました。そこを描いた小説に、新田次郎『剣岳点の記』があり、2009年映画化もされました。
実はそうではない。メッケル自身が二流の参謀将校だった。本当は、フォン・デア・ゴルツという人を日本に派遣してくれるというお話だったが、当時のドイツ帝国の陸軍参謀総長のモルトケが、日本にはメッケルを派遣し、ゴルツはトルコに派遣されました。彼は気に入らない将校を片っ端から、退学させていました。児玉源太郎や他の陸軍の将軍たちが、優秀と折り紙をつけた将校たちを次々と退学させたのです。陸大のドイツ戦術教官という地位で、お雇い外国人として、日本の将軍たちより高給取りで暮らしている我儘勝手な将校でした。あまりに鼻っ柱が強いので、児玉源太郎が窘めた位でした。彼は帰国した後、昇進しますが、少将止まり。前述のゴルツは元帥に昇進し、次のドイツ帝国参謀総長候補まで行き、第一次世界大戦まで活躍しました。
石原を抑えて陸大主席卒業だった鈴木率道の解説動画を作ってもらえると嬉しいです。皇道派の小畑の子飼で一緒に失脚して航空畑に移ったので資料に乏しいのです。
確か、今村均の次の作戦課長だった人だと思う。その時の参謀本部の課長だった東条英機と5期差があったにもかかわらず(しかも、東条は大佐、鈴木は中佐)、堂々と議論したというお話がありますね。
明治維新に功績のあった藩に関係した方から優先されたようです。親父のおじさんが士官学校で山下大将と同期で仲が良かったそうですが陸軍大学に入ろうとしたら維新に功績のあった藩のものが優先するといわれてはいれなかったようです。成績は上だったようですが。会津藩とか冷遇されたのでは。よくわかりませんが。
北朝鮮みたい
坂の上の雲の主人公の1人の秋山好古は騎兵で陸大一期生を卒業して最後は陸軍三長官の教育総監に成ったが好古は陸軍に入る前は小学校教員をしており教育に対してはエキスパートだった。
そして軍を退役したあとは郷里の中学の校長
@@asaichban9842 秋山好古は故郷の北予中学校の校長になって生徒から日露戦争の話や陸軍大将の軍服を見せて欲しいと言われても断り、リベラリストの教育をして教員や生徒の不祥事は校長の責任で有ると示し、当時の中学校は教員、生徒の無断欠席、遅刻が当たり前に多かったが好古が欠席した教員に代わって教鞭を取りその姿に教員や生徒は真面目になり無断欠席や遅刻が無くなった。
最後の参謀総長・梅津将軍のゆっくり解説もお願いします。
奇抜なエピソードが出るたびにあーあの人かってなる
戦争中は 陸大での師団長・司令官より 無天の師団長のほうを部下の士官・下士官兵は信頼したとか陸大出は中央の軍官僚であって 野戦の指揮をあんまりしたことがないため無天であれば 中央とは無縁で 隊付で 満州事変~日中事変は大隊長~連隊長そして太平洋戦争では兵団長・師団長ずっと前線ではないだろうが 野戦の経験は豊富でしたからね 手堅く戦闘を行い無茶はしません
結局は中央を陸大組で固めたのが全てですね。陸士なんて53期〜の戦死率は6割超ですし、そりゃうまくいくわけがない。
石原はいしわらと読んでいただきたかったですねぇ。ゆっくりの変換が大変なのはわかるが
面白くて魅入ってしまった。ヤベー、今日やる事がたくさんあるのに…
陸大を卒業しても、卒業席次が10番位でないと、海外留学やその後の出世は見込めないようですね。壱学年50名位だとすると、40番台になってくると、大佐で予備役になる可能性があります。常に真ん中よりも上位、それも10番位でないと、中将以上のポストは望めないですね。
今の自衛隊も学歴至上主義という点では変わらないですね。しかも実戦が無い分より学業が重視され減点方式で出世が決まるから皆保守的になって組織は硬直して、社員(隊員)気質が民間企業とあんま変わらないみたいです(体育会系特有のしごきは戦前から継承されてますが)
大学のレポートも全部「所見なし」で卒業できたらどんなにいいことかww
そうですよね(笑)
歴史にもしもの様な仮定は禁句だが石原莞爾、栗林忠道、樋口季一郎、らが前線では無く国内で午前会議のメンバーだったら歴史は変わっていただろうか?
テーマは非常に興味があるのに…喋り方がこれじゃあ…消してしまった😵💧
バックグランド音楽が大きいと聞きにくいです。バックグランド音楽はわき役だから低いおとがいいです。
東条という首相の器でない人物が戦争指導してくれたおかげでこんなにいい世の中になったと思いたい。
どこが良い世の中なんだよ底辺ジジイ良くなるどころか悪化してるじゃねえか
恩賜の軍刀は陸大卒業席次5番まで。6番はダメ。5番までだと、例外はもちろんあったが、ほぼ大将までの出世は確約される。したがって、5番と6番では、たった一つのランクの差で出世は天地の差となったとやら。さる本の受け売りだが、東條は卒業時成績5番で、同じ5番がもう一人いた。東條はエンピツなめなめガリ勉するが、片方は「石原型」で普段勉強などしない。教官会議でどちらを5番にするか協議した結果「勉強しないよりする奴の方が5番だ」と東條を軍刀組に決めた。このやり方が「日本の将来を決めた」と(笑)。2・26の村中孝次は、連隊命令でいやいや陸大を受験し、同士青年将校への義理でわざと落第解答を提出して不合格に。ただ、二度目はそうもいかず、とうとう泣く泣く?合格してしまった。
もう少し字を大きくしてほしいです
当時の日本陸軍が第一次世界大戦で敗北したドイツ流を墨守していることに誰も疑問に感じなかったところが怖いですね。そして、そのドイツが優勢だと思い込み、同盟関係を構築した。しかし、やっていたことは"お役所仕事"だったということですね。情報を軽視するということよりも、作戦の実行前に都合の悪い情報が来ると、練り上げた作戦ができなくなるから情報は無視する.......で、見事に大失敗。永田という統制派の総帥が暗殺された事件のときにその場にいながら己の軍刀を取りに出て行った参謀氏(後日自殺したそうです。)の行動は端からみて不可解ですが、ふつうに考えると、一般人よりも非常事態、緊急事態に接したときの軍人の行動が優れているはずですが、不都合な情報、テロ.......にどう対処するのかというところでみせる学歴エリートの典型なのかも知れない......そんな気がします。
今の自衛隊で言えば、幹部候補生学校の上部組織 幹部学校(佐官以上の教育機関)か❓
軍人と学歴とどの様な関係が在るの 分からん
ターニャ デグレチャフ‼️
当時の常識が劣等で間違ってるから石原の方が「常識的」なのにね。
動画でも指摘されている通り欠陥があったのだろうけど、全体としてはとても実践的且つ応用を鍛える教育をしてたんだね。
そろそろ、戦犯の客観的考察が出来る時代であるのにもかかわらず、ウクライナのような文明国家でも紛争が起こってしまったなぁ😖
こんな日本のエリートたちが、結局日本を潰してしまった。
内容は良いのに字幕が凄い見づらいのが残念すぎる
BGMがうるさい・・真剣に観れません‥せっかく良い内容アップしているのに惜しい・・
学閥ってそういうんじゃねーから
曲はジャズ何でしたか。曲名も教えて下さいお願いします。祖父はW2でパブア ニーギニアから帰って来た。内地にいた頃は軍の隊長の命令分を代筆し工場に検査しについて行ったハブリガよく金を持っていた❓️😨🤷と聞いたが祖母👵から❓️😨🤷戦記好きの友人に話したら、お付きの下っぱでも袖の下をもらえた…恥👎️軽蔑する‼️と言ったが友人は、お付きの下っぱでも袖の下をもらえた。その当時な当たり前……😱恥ずかしい👎️
ご視聴いただきありがとうございます!【BGM】OtoLogic「In That Mood」otologic.jp/free/bgm/jazz01.html
面白い内容のはずやけど、字の色が悪くて非常に読みにくく見るの止めました。残念です。
いし「わ」らかんじ。ね。
日本軍も独系 蒋介石軍も独系 いい勝負だ
試験が出来ても常識がなかったんだね〜残念!!
よくここまで調べられましたね。ありがとうございました。
私は、元自衛官で陸大の自衛隊版である陸自幹部学校で学びました。
私も歴史が好きだったので、陸軍の歴史である陸軍大学校についても知っています。
陸自では、義務教育である幹部上級課程AOCを卒業すると受験資格が得られ、4回受験ができます。
私は1回で合格できたのでエリートだったのかもしれませんね(笑)
筆記試験の内容は変わっているものの、面接は変わっていませんね。
ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございます。幹部学校を卒業されてるとは凄いですね!陸上自衛隊でも幹部上級過程の面接が変わっていないとは驚きです。とても貴重な教えをいただきました。こちらこそありがとうございます。
ある意味、防衛大学校卒業の幹部よりは、優秀では?
赤い字幕がものすごく見づらい。
わかる
同じく
@@Bomb_Alice さ
老眼が入ると特に:
@@Bomb_Alice はじめまして。
興味深い情報を整理まとめ解説 ありがとうございます。BGM音量もう少しだけ絞っていただけると聞きやすくなるなと感じました。
ご視聴ありがとうございます。この時期の動画はご指摘の通りBGM音量が大きかったため、最近アップしている動画は音量を下げて調節をしておりますので、今後ともご視聴をいただければ幸甚の至りです。
東條さんは若い兵士には優しい人だったらしく彼が連隊長時代に新兵として入隊した曽祖父が訓練視察に来た東條連隊長に意見したら「元気があってよろしい!」と扇子を記念品にくれたと手記にあった。
本当の目下には優しい人ですよ。ただ、有能なライバルと見ると、目の色を変えてきますよ。
興味深い動画ありがとうございます。
これは陸大本科についてですよね。できますれば専科課程も採り上げて下さい。楽しみにしております。
陸軍中野学校についても解説してほしいな。
私の祖父は陸軍士官学校を出て、連隊長の副官(大尉)を勤めて終戦を迎えたが、士官学校も兵学校も平たくいえば「中間管理職」を養成する学校だと言っていました。階級でいえば少佐か中佐どまり。それに対して大学校は、受験すること自体が上官の推薦を必要とするため、将来の将官、とくに中央の幕僚たらんとする見込みがなければ受験できなかったそうです。
純粋に、学力的には東大や京大に入るのと同じくらい優秀でなければ合格できなかったそうですが、反面、師団以上の部隊を動かす戦術教育オンリーになっていて、視野の狭い高級軍人しか育たなかったとも'(当時から)言われていたそうです。そして大学校卒業時の成績順に昇進し、上位成績者は大本営勤務の大将を目指せたが、下位成績者は戦地部隊の司令官か、中央であっても少将か中将どまりだったとか。外国から名将扱いされる人は、やはり多くが海外(特に欧米)で駐在武官を経験し、国際的な視野を身に付けた人たちのような気がします。
なので陸海軍省教育部などは、大学校の学生を東大や京大で学ばせるカリキュラム改定を何度も具申したこともあるようですが、却下されたそうです。
そういえば重光葵が東京裁判中に書いた日記の中に
「戦前戦中、東条英機には何度も不快な思いをさせられてきたが、拘置所で虚心に話をしてみると、頭の回転は早いし、物事の要点を掴む要領はたいしたものだ。ただ悲しいかな、彼には国際的な感覚と国際的な一般常識が欠けていた。それが今の日本の悲劇を招いたといっても過言ではない。もし彼がそれらを兼ね備えていたら、ここまでの悲劇には至らなかっただろう」
と記していたし、木戸幸一日記にも
「陸海軍大学校の教育は軍事面に偏り過ぎていた。その弊害をもろに受けて育ったのが東条英機だろう」
とありましたね。
面白いです!
ありがとうございます!
石原莞爾がカッコ良すぎる
陸軍大学校の動画配信ありがとうございました。
やはり、石原莞爾閣下と東條元総理の話は出てきましたね!
確かに、情報収集などの諜報活動を学ぶ科目があれば、情報軽視や精神論などの点はなかったでしょう。
東條英機の教官時代は、とても丸い人だったんだな。
関東軍を仕切るようになった時の関東軍内、首相・陸相兼務時代の陸軍内では、苦い顔だけでは済まなかった。
昇進する毎に責務が増すからしょうがない。
@@supremegarbage9796 さんへ
元々激動の時代のリーダーには向かない、官僚気質の人。
決定事項にこだわり状況が変わっても臨機応変ができない。
序列・体面・慣例を重視し過ぎるし、慕ってくる者を大事にするは良いんだけれど、媚びる人阿る人まで大事にして、敵対派閥に所属していたことがある人材だったり、逆らわれたり対立して一旦嫌った人は有能・必要でもなかなか引き上げて使うという事ができなかった。
有能なリーダーを支える事務方トップとかやり手経営者を支える番頭的な仕事を任せていれば有能さを発揮したとは思う。
陸軍士官は士官学校の卒業成績は非公開で陸大の入学有無で出世が決まり海軍では兵学校の卒業成績が出世が決まり海大の入学有無に対して出世に影響は無かった。
古川薫『天辺の椅子』という、児玉源太郎の伝記小説を読むと、陸大創立の頃の話が出てきます。お雇い外国人のメッケルは厳しい態度で将校候補生を育成し、見込みがない人間は辞めさせたそうです。ちなみに陸軍の通訳が常につきました。動画にある、兵站や情報の不十分な教育は、のちの歴史から見れば確かにその通りで、小説のなかでは軍人と政治について教えなかったことが後世誤りだったとも指摘しています。また、動画にある「陸地測量部」は、内務省から陸軍に移管された経緯から、武官ではなく文官が働いていました。そこを描いた小説に、新田次郎『剣岳点の記』があり、2009年映画化もされました。
実はそうではない。メッケル自身が二流の参謀将校だった。本当は、フォン・デア・ゴルツという人を日本に派遣してくれるというお話だったが、当時のドイツ帝国の陸軍参謀総長のモルトケが、日本にはメッケルを派遣し、ゴルツはトルコに派遣されました。彼は気に入らない将校を片っ端から、退学させていました。児玉源太郎や他の陸軍の将軍たちが、優秀と折り紙をつけた将校たちを次々と退学させたのです。陸大のドイツ戦術教官という地位で、お雇い外国人として、日本の将軍たちより高給取りで暮らしている我儘勝手な将校でした。あまりに鼻っ柱が強いので、児玉源太郎が窘めた位でした。彼は帰国した後、昇進しますが、少将止まり。前述のゴルツは元帥に昇進し、次のドイツ帝国参謀総長候補まで行き、第一次世界大戦まで活躍しました。
石原を抑えて陸大主席卒業だった鈴木率道の解説動画を作ってもらえると嬉しいです。
皇道派の小畑の子飼で一緒に失脚して航空畑に移ったので資料に乏しいのです。
確か、今村均の次の作戦課長だった人だと思う。その時の参謀本部の課長だった東条英機と5期差があったにもかかわらず(しかも、東条は大佐、鈴木は中佐)、堂々と議論したというお話がありますね。
明治維新に功績のあった藩に関係した方から優先されたようです。親父のおじさんが士官学校で山下大将と同期で仲が良かったそうですが陸軍大学に入ろうとしたら維新に功績のあった藩のものが優先するといわれてはいれなかったようです。成績は上だったようですが。会津藩とか冷遇されたのでは。よくわかりませんが。
北朝鮮みたい
坂の上の雲の主人公の1人の秋山好古は騎兵で陸大一期生を卒業して最後は陸軍三長官の教育総監に成ったが好古は陸軍に入る前は小学校教員をしており教育に対してはエキスパートだった。
そして軍を退役したあとは郷里の中学の校長
@@asaichban9842 秋山好古は故郷の北予中学校の校長になって生徒から日露戦争の話や陸軍大将の軍服を見せて欲しいと言われても断り、リベラリストの教育をして教員や生徒の不祥事は校長の責任で有ると示し、当時の中学校は教員、生徒の無断欠席、遅刻が当たり前に多かったが好古が欠席した教員に代わって教鞭を取りその姿に教員や生徒は真面目になり無断欠席や遅刻が無くなった。
最後の参謀総長・梅津将軍のゆっくり解説もお願いします。
奇抜なエピソードが出るたびにあーあの人かってなる
戦争中は 陸大での師団長・司令官より 無天の師団長のほうを部下の士官・下士官兵は信頼したとか
陸大出は中央の軍官僚であって 野戦の指揮をあんまりしたことがないため
無天であれば 中央とは無縁で 隊付で 満州事変~日中事変は大隊長~連隊長そして太平洋戦争では兵団長・師団長
ずっと前線ではないだろうが 野戦の経験は豊富でしたからね 手堅く戦闘を行い無茶はしません
結局は中央を陸大組で固めたのが全てですね。
陸士なんて53期〜の戦死率は6割超ですし、そりゃうまくいくわけがない。
石原はいしわらと読んでいただきたかったですねぇ。ゆっくりの変換が大変なのはわかるが
面白くて魅入ってしまった。
ヤベー、今日やる事がたくさんあるのに…
陸大を卒業しても、卒業席次が10番位でないと、海外留学やその後の出世は見込めないようですね。壱学年50名位だとすると、40番台になってくると、大佐で予備役になる可能性があります。常に真ん中よりも上位、それも10番位でないと、中将以上のポストは望めないですね。
今の自衛隊も学歴至上主義という点では変わらないですね。しかも実戦が無い分より学業が重視され減点方式で出世が決まるから皆保守的になって組織は硬直して、社員(隊員)気質が民間企業とあんま変わらないみたいです(体育会系特有のしごきは戦前から継承されてますが)
大学のレポートも全部「所見なし」で卒業できたらどんなにいいことかww
そうですよね(笑)
歴史にもしもの様な仮定は禁句だが石原莞爾、栗林忠道、樋口季一郎、らが前線では無く国内で午前会議のメンバーだったら歴史は変わっていただろうか?
テーマは非常に興味があるのに…喋り方がこれじゃあ…消してしまった😵💧
バックグランド音楽が大きいと聞きにくいです。バックグランド音楽はわき役だから低いおとがいいです。
東条という首相の器でない人物が戦争指導してくれた
おかげでこんなにいい世の中になったと思いたい。
どこが良い世の中なんだよ底辺ジジイ
良くなるどころか悪化してるじゃねえか
恩賜の軍刀は陸大卒業席次5番まで。6番はダメ。5番までだと、例外はもちろんあったが、ほぼ大将までの出世は確約される。したがって、5番と6番では、たった一つのランクの差で出世は天地の差となったとやら。さる本の受け売りだが、東條は卒業時成績5番で、同じ5番がもう一人いた。東條はエンピツなめなめガリ勉するが、片方は「石原型」で普段勉強などしない。教官会議でどちらを5番にするか協議した結果「勉強しないよりする奴の方が5番だ」と東條を軍刀組に決めた。このやり方が「日本の将来を決めた」と(笑)。2・26の村中孝次は、連隊命令でいやいや陸大を受験し、同士青年将校への義理でわざと落第解答を提出して不合格に。ただ、二度目はそうもいかず、とうとう泣く泣く?合格してしまった。
もう少し字を大きくしてほしいです
当時の日本陸軍が第一次世界大戦で敗北したドイツ流を墨守していることに誰も疑問に感じなかったところが怖いですね。そして、そのドイツが優勢だと思い込み、同盟関係を構築した。しかし、やっていたことは"お役所仕事"だったということですね。
情報を軽視するということよりも、作戦の実行前に都合の悪い情報が来ると、練り上げた作戦ができなくなるから情報は無視する.......で、見事に大失敗。永田という統制派の総帥が暗殺された事件のときにその場にいながら己の軍刀を取りに出て行った参謀氏(後日自殺したそうです。)の行動は端からみて不可解ですが、ふつうに考えると、一般人よりも非常事態、緊急事態に接したときの軍人の行動が優れているはずですが、不都合な情報、テロ.......にどう対処するのかというところでみせる学歴エリートの典型なのかも知れない......そんな気がします。
今の自衛隊で言えば、幹部候補生学校の上部組織 幹部学校(佐官以上の教育機関)か❓
軍人と学歴とどの様な関係が在るの 分からん
ターニャ デグレチャフ‼️
当時の常識が劣等で間違ってるから石原の方が「常識的」なのにね。
動画でも指摘されている通り欠陥があったのだろうけど、全体としてはとても実践的且つ応用を鍛える教育をしてたんだね。
そろそろ、戦犯の客観的考察が出来る時代であるのにもかかわらず、ウクライナのような文明国家でも紛争が起こってしまったなぁ😖
こんな日本のエリートたちが、結局日本を潰してしまった。
内容は良いのに字幕が凄い見づらいのが残念すぎる
BGMがうるさい・・真剣に観れません‥せっかく良い内容アップしているのに惜しい・・
学閥ってそういうんじゃねーから
曲はジャズ何でしたか。
曲名も教えて下さいお願いします。
祖父はW2でパブア ニーギニアから帰って来た。
内地にいた頃は軍の隊長
の命令分を代筆し工場に
検査しについて行った
ハブリガよく金を持っていた❓️😨🤷と聞いたが
祖母👵から❓️😨🤷
戦記好きの友人に話したら、お付きの下っぱでも
袖の下をもらえた…
恥👎️軽蔑する‼️と
言ったが友人は、お付きの下っぱでも袖の下をもらえた。その当時な当たり前……😱恥ずかしい👎️
ご視聴いただきありがとうございます!
【BGM】
OtoLogic「In That Mood」
otologic.jp/free/bgm/jazz01.html
面白い内容のはずやけど、字の色が悪くて非常に読みにくく見るの止めました。
残念です。
いし「わ」らかんじ。ね。
日本軍も独系 蒋介石軍も独系 いい勝負だ
試験が出来ても常識がなかったんだね〜残念!!