【緑のふるさと協力隊OBインタビュー④】越智勇気さん【17期・長野県栄村派遣】役場職員を辞めて、現代版マタギを目指す生き方! 大学では文化人類学を研究し、大学院・修士まで。
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- Опубліковано 6 лют 2025
- 2010年~1年間、緑のふるさと協力隊・17期隊員として、長野県栄村に派遣された越智勇気さんのお話を伺いました。
1987年生まれの越智さん。
大学では、文化人類学を研究。
当時は、大学4年になる年で、1年休学しての協力隊応募。
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<なぜ、応募したのか!?>
直前のフィールド調査で、「自分は何も知らない」ことに気づかされた。
「田舎の人の暮らしをもっと知ってみたい」と思っていたら、研究室にチラシが来た。
それを見て、「まず1年行ってみたら、それをネタに卒論も書けそう!」
「面白そう!」と思った。
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<実際に派遣されてみてどんな1年を過ごしたのか!?>
長野県栄村では、「単純な労働力」として扱われることが多かった。
ズッキーニや加工用トマトの畑での農作業。
黒毛和牛の牛舎でのお手伝い。
きのこ栽培のお手伝い、など。
だたっぴろい畑で、汗だくになりながら作業をしたり。
牛のお世話をしながら、「肉ってこういう風につくられていたんだ」と知ったり。
豪雪地帯なので、冬は、室内でキノコ栽培のお手伝い。
場所を変える作業が大変で、かなりの重労働だったり。
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合わせて、民俗学が研究テーマだったので、お祭りや「みなさんが信じているもの」として、獅子舞に関わらせてもらったり。
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地域に溶け込みながら、家、車は用意されている環境で、お金を使うところもなく、月5万円でも十分暮らしていける暮らしを、楽しんだ。
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<1年経ってどんな変化を感じていましたか?>
都会では知れなかったことを知れた。
確実に、自分の住んでいる世界が広がったし、自分について、知ることもできた。
それまでの自分の中での考えと、ここでの暮らしに基づく考え方と、どちらも違うけれど、どちらもある、そんな感じ。
豪雪地帯だからこそ、人より自然の方が強い。
自然には敵わないとわかっているから、自然の時間に合わせて生活したり、仕事したりしている。
都会とは違う時の流れ、生き方を感じた。
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<その後、どんな風に過ごしてきたのですか?>
当初は、「福岡に戻って、この経験を生かせれば」と思っていたが。
2011年3月11日、総括研修のエキサイトふるさとの最中に、東日本大震災があった。
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みんなで代々木で津波の映像を見ながら過ごしていたら、テレビのテロップに「栄村 震度6弱」と流れた。
荷物はまだ置いたままだったので、急いで村に戻って、そこから10日ほど、復旧作業のお手伝いをした。
復学の予定もあったので、福岡に戻ったが、その前後で、
「1年過ごしただけじゃ、ここで被災した人たちに寄り添うことができない」
「もっと手伝えばよかった」
という後悔にも似た、ショック、「何もできなかった」という経験として、自分を責める気持ちが湧いてくるようになった。
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大学に戻って、勉強をしていても、
「栄村に行かなければ、でも、、、行きたくない」
そんな、『栄村PTSD』状態の日々が続いた。
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そんな中、普通に働くことが自分の中で想像できなかった。
大学を卒業しても、就職せずに、1年ぶらぶら。
知り合いが就職した会社のインターンに行ったりして過ごしたが、どうもピンとこない。
そんなときに、
「もっとちゃんと勉強して、自分の持っているもので、人のお役に立てるようにした方がいいんじゃないか」
と思うようになった。
そして、大学院に進学した。
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大学院に行って、1年経って、栄村から1通のお便りが来た。
そこには、「栄村で復興支援員をやりませんか?」と書かれていた。
地域おこし協力隊の枠組みを活用して、復興支援に当たるそのお仕事。
現場にも行って、説明も受けて、応募したら、合格したので、大学院には籍を置きながら、働くことになった。
(録画の後に伺ったら、通算6年、大学院に籍を置きながら、修士論文を提出して、卒業したそうです)
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復興支援員として働きながら、地域に溶け込み、当時の副村長や周りの方から、
「来年度の役場職員募集、受けてみたらどうか?」
と言われ、役場職員になり、8年間勤めて、うち2年間は国交省に出向したりもして、2024年役場を退職。
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<栄村に戻ってきた理由、今も栄村に住んでいる理由>
大学時代に勉強をしていて、
「生きるために生きたい」
と思った。
金銭的価値のために働くのではなく、生きるための暮らし。
それが今も、栄村には残っている。
自然に働きかけ、何でも自分でつくる。
獣たちも自分で獲ってくる。
水が、家の裏から湧いている家もある。
そんな暮らしや生き方が、どうやったら実行できるようになるのか。
どういう想いで、日々、生きているのか。
そういう暮らしをしている人たちに興味があって、今も、栄村に住んでいる。
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<今後の展望>
「生きるために生きる」を実践したい。
現場版マタギになるためにはどうしたらいいのかを考えている。
マタギは、山の管理、獣を獲って、それを売ったり、魚を捕って金銭的価値に変えてきた人たち。
まずは、自分たちの持っている山を知り尽くしていないといけない。
川も知り尽くしている必要がある。
自然とどう向き合っていくのか。
そうして、生活を成り立たせている人たちがいる。
そういう方々と関わりながら、狩猟や、山をメインにした暮らしをつくることに奮闘していきたい。
まずは、自分で山野管理ができるようにしていきたい。
そうした中から、山菜も、取る人が減っているが、取ってくればみんな喜んでくれる。
熊も、昔は、クマノイ、クマの胆嚢が高価な漢方だったり、皮も毛皮として、1枚30万円で売れたりした。
今、自分で皮をなめして、熊皮の財布を作り始めた。
かつては捨てるところがなく、すごく価値があったものが、今は何も価値がなくなってしまったものがたくさんある。
それがすごく悔しいし、どうにかできないかと思っている。
そうしたチャレンジをしながら、現代の中でどう生きていくか、暮らしを成り立たせていきたい。
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<改めて、「緑のふるさと協力隊」の1年とは!?>
自分の価値観・世界観を広げることができる1年。
都会の自分と田舎の自分を比べられる、世界を広げられる可能性がそこにはある。
地域おこし協力隊は、仕事として、高い要求を求められることも多いと聞く。
緑のふるさと協力隊は、ある意味、浮いた身分で、1年間、がっつりと、田舎の暮らしを楽しめる。
すごくいい制度だと思う。
自治体もどんどん取り入れていけば、うまく自分たちの地域を盛り上げることができるんじゃないかと思う。
地域おこし協力隊とは違った面白さ、旨味がある。
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<緑のふるさと協力隊を検討している方へのメッセージをどうぞ!>
楽しいので、迷ったら、とりあえず、どこかに行ってみればいいのではないかと思う。
悩んでいるんだったら、とりあえず、飛び込んでみる。
軽い気持ちでやってみると、今後の人生にも、必ず、生かせると思う。
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「まず、やってみる」
「飛び込んでみる」
「そして、楽しむ」
「あとは、そこから考える」
そんなスタンスの越智さんの、軽やかな足取りが、すごく心地よいインタビューでした。
話しの随所に、「面白かったからOK!」というような越智さんの発言が聞かれました。
「面白さ」が越智さんの価値観の一つなのかなと感じています。
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今は、田舎ならではの百姓的生き方をされている越智さん。
今後の、「現代版マタギ」としての生き方にも注目です。
貴重なお話をありがとうございました!
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※note【公式】緑のふるさと協力隊 by NPO法人地球緑化センター※
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