チャン族(羌族)は日本に来たか【日本人のルーツシリーズ】

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  • Опубліковано 27 чер 2024
  • 今回は現在の中国の少数民族「チャン族(羌族)」について語っていきます。チベット人をルーツとしたチャン族は、四川で古蜀文明を興し、中原まで進出して神代の王朝や夏王朝を建国したとも言われます。チベット・ビルマ語派の最大勢力といえるチャン族が日本に来た可能性はあるでしょうか?
    ■関連動画
    • 長江文明を担ったハニ族,イ族は日本にきたか?...
    • 日本と呉の交流、呉服の渡来について【日本の古...
    ■参考書籍
    ・徐朝龍「長江文明の発見」:amzn.to/3W4LGd2
    ・宮本一夫「神話から歴史へ」:amzn.to/3XFQdUg
    ・岡本隆司「江南の歴史 もうひとつの中国史」:amzn.to/45IaLh0
    ■参考文献
    ・中国の少数民族(チャン族)の旅-35
    ameblo.jp/ofuk-286s/entry-104...
    ・チャン人、秦人は中華の源の一つ
    www.peoplechina.com.cn/wenhua/...
    ・彝族(イ族)
    www.chinaviki.com/china-cultu...
    ・タングート
    ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%...
    ・西夏
    ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%...
    ・西夏文字
    ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%...
    ・チベット人の高地適応はデニソワ人由来
    natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/art...
    ・チベット人におけるデニソワ人由来の高地適応関連遺伝子の歴史
    sicambre.seesaa.net/article/2...
    ■クレジット
    ・VOICEVOX:ずんだもん
    ・creative commons
    creativecommons.org/licenses/...
    ・イラストAC,写真AC,動画AC
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КОМЕНТАРІ • 85

  • @satoshitanaka7655
    @satoshitanaka7655 Місяць тому +7

    羌族が日本人に似ていると言っても、特別に日本人にのみ似ているわけでもなく、中国人にも似た人は多くいますね。
    それから、動画はかなり手間がかかっているように見え素晴らしいですね。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +5

      同じモンゴロイドだし、東アジアに住んでいて核ゲノムも近い訳ですが、韓国人も中国人も少し見た目は違うかなと思います。UA-camで見ても、違いを感じることが多いです。
      それに比べると雲南の少数民族は、何か日本人に似ている気がします。実際に会った訳ではないのですけど。照葉樹林文化圏だからでしょうか。

  • @user-qv5iq7ge1z
    @user-qv5iq7ge1z Місяць тому +9

    遺伝子から見る民族の移動は面白いですね。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +2

      ありがとうございます。古人骨の時代ごとの遷移は、意外に分かり易くて、自分でも驚くことがあります。

    • @user-qv5iq7ge1z
      @user-qv5iq7ge1z Місяць тому +3

      私は、国の移り変わりでいつも見ていたので、遺伝子まではあまり見ていませんでした。他のも見させていただくと、民族の移り変わりがもう少し分かりそうだと思いましたので。少し色々な動画を拝見させていただきます。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +3

      @@user-qv5iq7ge1z ただ、以前の動画は特に弥生系渡来人(O1b2)がもともと日本にいたという考えで作っていたので、違和感があるかも知れないです。

    • @user-qv5iq7ge1z
      @user-qv5iq7ge1z Місяць тому +3

      私だと、民族の移動と国の成り立ちで見ていたので。
      5万年前に中東辺りで①北方と②東方に移動した民族があり。
      4万年前に東南アジアで②A-北に今の中国沿いに行く民族と、②B-北東に離島浅瀬を通った民族があり。②B民族が最初に日本南東部に上陸。②A-は北方に徐々に行き、①-5万年前に分かれているみんぞくのうち、途中で①A-東に移動した民族と交わりながら、東に行き日本に上陸。また、①B-そのまま北方に行った民族が、東進しアメリカ大陸へと行く前に一部がマンモスを追いかけ①C-北から南に入り日本に上陸した。
      というのが縄文人かな?と考えているのですが。
      その後は、渡来人が主には③黒潮交易で中国南東部~東南アジアの民族が合流し、九州・四国・関西などに上陸し融合。
      また、縄文人が半島に上陸し定住。④中国北東部から来た中国系と融合し、弁韓や百済となり交流。
      というのではないかなと思っていたのですが、どうなのでしょうか。
      また韓国の血筋はあまり関係なく、元は燕国が滅亡し出来た衛氏朝鮮の下級民、エベンキ系のワイ族。これが衛氏朝鮮滅亡で南下し、日本系に助けられ出来たのが辰韓で新羅に。
      衛氏朝鮮は漢に滅ぼされ、漢四郡が出来ましたが、その中で衛氏朝鮮では上級民だったフヨ族が成り上がったのが高句麗。
      唐が半島を攻め、新羅は百済や高句麗との協力、百済滅亡であっさりと唐に従属し、百済文化を簒奪、百済人を奴隷にしたりして血が融合。また、唐との戦いで疲弊した高句麗を裏切り奇襲し高句麗文化を簒奪、フヨ族を奴隷にしたりして血が入り。
      その後、女真族や契丹族も入り込んできて混血。最後にモンゴルに占領され支配され、新モンゴルの血が濃くなったのが、今の韓国の祖先だと思うのですが、どうなのでしょうかね。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +3

      韓国は何故か日本に関係する縄文時代の核ゲノムを分析して、縄文系の遺伝子が入っていることが分かり、古墳時代のDNAを調査して、古墳の主が縄文人だったことが分かり、、という具合で、O1b2の古人骨調査などをして欲しいのですが、それはしないで遼河文明の紅山文化の人々が朝鮮人の祖だと信じようとしています。
      核ゲノムではアドミクスチャー分析という、あまり洗練されていない方法で混血の状況を分析するのですが、この方法はどれが一番近いかまでしか分からず、大雑把に言って中国東北部の民族と縄文人の混血であることがわかる程度です。
      ワイ族はDNAでいうとツングース系でYハプロC2の人々ですが、実はmtDNAは韓国人にも日本人にも多いD4で、東アジア一帯にとても多いmtDNAです。
      縄文人がアカホヤ大噴火で朝鮮半島に渡りますが、そこで最初に接触した大陸系の人々がツングース系で女系はみんなD4*の遺伝子を持って帰ってきています。縄文系のmtDNAであるM7aが沿海州にいるので、混血したのは間違いないと思います。C2は沿海州に多いので、縄文時代の初期から交流があると思います。その割にC2自身はあまり日本に来ていませんが。
      韓国人はN系統が多い、という特徴もあるのですが、これは「元」に蹂躙されて遺伝子が大分変わったように思います。紅山文化よりもその影響が大きいように感じます。でも、韓国は歴史時代のDNAを調べていないので、朝鮮半島は南も北も遺伝子解析の空白地帯なんです。古人骨が残りにくい東南アジアの方が進んでいるくらいです。

  • @user-qo4dn1zz6f
    @user-qo4dn1zz6f Місяць тому +19

    日本と周辺国家の歴史は大きく変わるでしょう!稲作は中国から日本と言われてきましたが、研究者によると稲作技術は日本の方が優れていたらしい。中国から来たのなら中国の方が進歩的でしょう。それが全く逆!最近、7000年前に発生した大噴火、これにより縄文人はアジア周辺に移動、その時に稲作を中国に持って行ったのではないかとも言われだしている。今後の研究成果が楽しみです。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +9

      水田をやる、となってからの日本の水田は中国の学者も驚くくらい、先進的なものらしいですね。長江流域は広大な湿地なので、苦労せず水田稲作できてしまうんじゃないか、と思います。菜畑遺跡などの小区画水田は日本発祥でもおかしくないと思いますね。長江流域はアカホヤ噴火以前から交流があって、水田稲作は知っていたと思います。
      一方、陸稲は日本から長江にいってもおかしくないですね。アカホヤ大噴火の直後、河姆渡遺跡で中国の水田、玉器、うるしなど長足の進歩があって、コメは雑種でしたが、熱帯ジャポニカが混じっていました。

    • @user-qo4dn1zz6f
      @user-qo4dn1zz6f Місяць тому +5

      @@MIDORI-TV603 中国大陸では“種の直播”だったが、日本では“苗を育てて植える”やり方だそうです。これとんでもない歴史事実になりますね!

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +1

      @@user-qo4dn1zz6f 日本では直播と苗から育てる方法の2種類が伝わって来たのではなかったでしたっけ?

    • @user-jb8gt9xe8b
      @user-jb8gt9xe8b 20 днів тому +2

      支那に暮らして居ましたが、支那米は大米と言いインディカ米、日本はジャポニカ米
      種が全く違うので、どうやって支那から伝わるの

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  19 днів тому +1

      @@user-jb8gt9xe8b そうなんですか。長江流域の遺跡ではジャポニカ主体でインディカも混じっていたようです。
      長江沿いにはa-hの遺伝子があるのですが、朝鮮にはb以外全てあり、日本にはa,b,cしかありません。だから日本のコメは長江から直接来たと言われています。インディカ米は見た目で分かるので、おいしいコメを選んで持ってきたのかも知れません。

  • @user-ci6ge6wf9g
    @user-ci6ge6wf9g Місяць тому +7

    現在は、遺伝子の移動や考古学を下地とした文献との擦り合わせで、かなり鮮明に見えるものがあるのですね。
    羌族がO2だとすると、山東半島に移動した羌族が海洋国家となり、徐福船団として日本に来た可能性も考えれるのでしょうか?

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +2

      大分DNAデータが集積されてきたので、これから色々分かってくると思います。徐福が連れてきた子供たちは羌族なんじゃないか?という話もありますね。DNAと歴史資料を合わせて解明するのは、まだ難しい所もありますけれど。

    • @user-ci6ge6wf9g
      @user-ci6ge6wf9g Місяць тому +2

      @@MIDORI-TV603
      ご返答ありがとうございます。
      古人骨の遺伝子による移動を、深く掘り下げ検証しているチャンネルは少ないので、応援しています。
      古代史もテクノロジーの進化により、エキサイティングな時代に突入して興味深いですね。

    • @toreatsung66
      @toreatsung66 18 днів тому

      羌族のO2は元々漢人で、政治関係のため、20世紀から無理やり羌族になった

  • @toreatsung66
    @toreatsung66 18 днів тому +2

    チベトのD系統はD1a1aだけでなく、D1a2aもいます。
    D1a2aは東チベト大勢います、ほぼカム(康巴)チベト人、例えば有名人の丁真珍珠さん

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  18 днів тому +1

      なるほど。
      D1a2aがどこから来たかのかが不思議ではありますけれど。

  • @user-rj9dm6hc2e
    @user-rj9dm6hc2e 26 днів тому +2

    ありがとうございます!

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  25 днів тому +1

      ありがとうございます。お役にたてましたら幸いです。

  • @user-yh3jo3bc5t
    @user-yh3jo3bc5t Місяць тому +8

    チベットとか、キルギスとか、中央アジアの少数民族の顔って日本人そっくり.一部は日本に来ていたのかも。(あるいは逆向き移動もありえるかも)

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +4

      そうですね。最近はチベット人やその系統の少数民族を見ていますが、キルギス人がなぜ日本人に似ているのか、いずれ調べてみたいですね。

    • @2i215
      @2i215 Місяць тому +1

      キルギス人と言えば、石破茂さんのそっくりさんがいたとかで話題になってましたね

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +1

      なんであんなに似ているんでしょうね。仕事でキルギスに住んでいた日本人もやはり日本人に似ている」といいますからね。

  • @bokichi62
    @bokichi62 Місяць тому +4

    太公望が笑いそう、周代から春秋の斉は羌族の国で春秋戦国時代に田氏(陳)に乗っ取られた斉の田氏が斉田さんw。羌族を辿ると結局は匈奴にたどり着くんだよな〜隋唐、夏は漢民族’(夏華人)だけど殷は商に土着した遊牧民なんだよ。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому

      斉は姜斉のあと、田斉に乗っ取られますが、その後も羌族は住んでいそうですね。殷は、あの遼河文明を担ったYハプロN系統の人々が南下して建てた王朝ですよね。
      羌族はモンゴル方面にも行きますが、YハプロNが西に移動してヨーロッパにたどり着いたのは、モンゴル族に入ったからかも知れませんね。
      モンゴル族、チベット族の一部、羌族、YハプロNは結局一緒になって西に大移動したんじゃないか、と思います。

  • @恙恙
    @恙恙 Місяць тому +4

    女性の服飾を観る限りインドの影響の濃い人達なのでしょうね😊

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +3

      長江文明の晴れ着がベースにあって、現代になって華やかになったのかな、と思っています。インドの影響はありますかね?南インドのドラヴィダ語族と関係があったら面白いですね。

    • @恙恙
      @恙恙 Місяць тому +2

      @@MIDORI-TV603 全くの私見ですが北の方の刺繍に見られるモチーフとは異なる入れ墨風の紋様が多く見えました😊
      処でビキニライン風に紋様が無いのは何が起源なんでしょうね?😅

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +1

      多分、歴代の中国の王朝の影響を受けていると思います。特に「清」の満州族で女性でも馬に乗るのに適したチャイナドレスは、中国やその付近の色々な民族衣装に影響を与えていると思います。

  • @takashitagu8123
    @takashitagu8123 Місяць тому +8

    甲骨文字で知られている甲骨は、人間の肩甲骨だったとは(゚o゚;。しかも、チャン族の生け贄!

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +6

      初めて知った時はさすがに驚きました。敵と見做したら、徹底的にやっつけるのが大陸流なんでしょうね。殷を建国したと言われるYハプロN系統は、ずっと昔から山東省付近にいますが、殷の滅亡後、西に向かって大移動してヨーロッパまで行っています。さすがに黄河文明から追い出されたんでしょうね。

  • @user-pv4mi2co1g
    @user-pv4mi2co1g Місяць тому +4

    ミトコンドリアも調べて日本人がどのように作られたか知りたいな

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +3

      ミトコンドリアDNAは、Y-DNAがもう少しちゃんと動くようになってから、ですけれど、中国は限られたY-DNAしか調べていないので、他のデータを使ってその民族のデータを作る必要がありますね。でも、近い将来やってみたいと考えています。

  • @JIRO-FX3150
    @JIRO-FX3150 Місяць тому +5

    最近、春秋戦国時代の呉からやってきたのが、古墳人なのではって思うようになったのですが、これについても調べていただけると嬉しいです。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +2

      春秋戦国時代に渡来した人々は、山東半島と長江流域の間あたりが怪しいですね。呉人を招いた動画は以前作ったことがあります。
      ua-cam.com/video/YDfW_gf1Lfk/v-deo.html
      チャン族の次は呉人や百越も調べてみたいですね。
      呉は遺伝子が良く分からないため、呉人のDNAを特定する所から始める必要がありますね。O1b1, O1a, あたりは日本では発見されていないですし。mtDNAで追っていく手もありますけど、考えてみます。

    • @takashitagu8123
      @takashitagu8123 Місяць тому +3

      @@MIDORI-TV603 楽しみにしております😀

  • @udamedame
    @udamedame Місяць тому +3

    シーサパンナの高い山に棚田を作って生活しているこれらの人々の中には、文字を持たず口伝で民族の歴史が伝えられています。元々は中原で生活していたが、北方から民族が押し寄せてきた。そこで生活していた民族を支配しようとしたので、西と東に逃げた。追っ手が来ないように、人の住めないような高いヤマで生活するようになった。東に逃げた方は、呉や越の支配されるところとなり、呉の滅亡、越の滅亡、楚の滅亡などのたびに倭国へ難民として異動した。ミャオ(苗)族とも言われるので、水田農業の技術は持っていたので、倭国の地で実力発揮ですね。これが弥生時代の着火点にも関わっています。もともと文字を持たない農民達による難民なので、支配するとかの話にはなりません。水田民が来たので、化学反応で、倭国の地に住人にも農法は伝わりました。
    同じ民族が、西と東に別れたので、基本的には食生活や文化は、かなり似ています。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +2

      YハプロN系統の殷の時代には、かなり酷いことがあったと想像しています。長江民族の民は黄河文明で農耕していますが、殷が滅亡した後、南に逃げていることを考えると、自分の意志でいった訳ではないかも知れませんね。YハプロN系統は、殷が滅亡した頃にモンゴルからハンガリーやフィンランドに大移動して、中国にはあまり残っていないようですね。
      日本にどの民族が来たのか、色々な民族が渡来したかも知れませんけれど、難民はやはり船を持っていないので、ほとんど南に行ったのだと思います。そのせいかYハプロO系統は、東南アジアで高頻度ですね。
      風俗は不思議なほど似ていますが、氷河期は簡単に行き来できましたし、縄文時代から穀物が無ければ必要なさそうな高床式倉庫があるのはその証ですね。

  • @yoochanfam
    @yoochanfam Місяць тому +5

    中国の甲骨の起源は日本の神代文字が起源との説も出てきているので、文字の起源が大陸かどうかも分からないと思います。
    ”日本の古墳時代になれば・・・”という解説ありましたが、韓半島南には日本独自の前方後円墳が存在しますので、逆に韓半島の一部は日本の文化圏と言った方がいいと思います。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +3

      日本や長江文明の文字は漢字の部首に近いので、そのパーツを組み合わせて漢字になった、という説はアリだと思います。
      朝鮮半島の南半分は白村江までは日本人が住んでいたと思います。たんだん、大陸の人も増えましたが。
      チャン族の件は、はにわやDNAのことを考えると、日本の古墳時代ごろの渡来かな、と思うのですが、斉が滅亡してから日本に来るまでは、朝鮮半島にいたかも知れない、という意味です。大月氏もチャン族だと言われているくらいですから。

  • @user-uv5xf9gp2x
    @user-uv5xf9gp2x 29 днів тому +1

    現代の様々な事例で見ると、発明が大陸としても日本で工夫を重ねて師匠を凌ぐに至るということがザラにあると。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  28 днів тому

      長江文明が質の点でどうか、というのは、なかなか良く分からないですね。棚田は天水田ですし。
      灌漑水田の質の高さは日本のほうが高そうです。

  • @ryouichihirakawa5290
    @ryouichihirakawa5290 Місяць тому +2

    数字の読み方が日本と同じで唐時代からだそうです。

  • @yasakaKeiji
    @yasakaKeiji Місяць тому +2

    山に登ったシュメール人と認識してます

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому

      チャン族がいた領域は広いので、背景にシュメール人がいてもおかしくはないかも知れないですね。

  • @Milepoch
    @Milepoch Місяць тому +4

    〇〇は日本に来たか、日本人は〇〇に行ったか、双方向
    実はあいつらのルーツも日本人説

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +1

      そもそもD1a1は日本のD1a2の兄弟です。大陸は基層にYハプロD1a1がいるので、チャン族は遠い兄弟ですよ。
      日本から行ったのはアカホヤ噴火で朝鮮半島に避難したYハプロC1a1とD1a2です。彼らは朝鮮半島を超えて大陸まで行った可能性があります。YハプロC1a1は日本固有と言われていますが、現代人だと遼河文明付近に2人、上海に1人います。
      大陸から弥生時代あたりに日本に来て、水田稲作で人口が増え、大陸に再度進出した民族は多いかも知れませんね。今の所、O1b2やO-M117はそんな風に見えます。

  • @satotakashi1057
    @satotakashi1057 24 дні тому +1

    米文化と小麦文化って其々に異なる環境圏の植物ですしね

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  24 дні тому

      コメ文化と小麦文化は大分違いますよね。やはり湿度や天気の差が大きい気がします。

  • @akiranara9392
    @akiranara9392 Місяць тому +1

    日本の始まりは約4万年前です。「チャン族(羌族)」が来たか?というよりも同系統か?という事であり、また巷間の「縄文人の祖先は?」という言い方はもう止めましょう。
    縄文人は2代目で、祖先は日本列島の祖人Sojinです。始まりを旧石器時代、後期旧石器時代という不適切な用語を放置しているために、その期間についてもそもそも世界とは合わず、英語に訳すれば誤解を招くものです。縄文、飛鳥、江戸、明治などの和語の時代名と全く合わない不適切で、長々と「後期旧石器人」などと言って教室で議論もし難く、重要な始まり時代が軽視されているのが大問題です。
    最新ブログ、X、Facebook 日本人はどこから?
    ➀始まり祖人は南方先住諸族とDNA近縁 モンゴロイドでないインマレイ系
    ②人類の豪州への早い渡海拡散と沿岸暮らしが参考。 東ジャワ東岸から北上のBルートはワジャック―港川人骨、知的洞窟絵、古遺跡群が豊富で注目
    ③約4万年前、北部九州への家族の筏渡海から、沖縄へ南下、北海道へ北上し、それらの痕跡は世界レベルで豊富充実 
    ④「最初のアメリカ人」は、西海岸の海民から。定説だったシベリア民は新進入? 青森・陸奥平野(当時)―道東北上の祖人の関わり(縄文、Ainuではない)可能性に注目
    教室は周回遅れ、世界に日本の発信をー祖代研 詳細 sunda-wind.net

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +2

      チャン族はYハプロはD1a1などで、日本人と兄弟関係と思いますが、核ゲノムで見るとかなり違います。核ゲノムは住んでいた場所により変化していくので。ただD1a1はあまり渡来していないので、チベットビルマ語派のO-M117がどこから来たか、を探そうと考えています。

  • @ryouichihirakawa5290
    @ryouichihirakawa5290 Місяць тому +1

    数字の読み方が、チベット、日本と同じで唐時代からだそうです。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +2

      チベットと日本で数字の読みが一緒なのですね。客家も数字の読みが一緒だったと思います。

  • @segawatakayoshi9074
    @segawatakayoshi9074 Місяць тому +1

    水は高いところから低いところに流れるこれは真理でありこれに逆らうことはかなわない。だが人はこの真理を無視して自分の都合の良い考察を押したがる。水は高いところから、文明は発展している国から低い国へ。人は多くの人口を抱えた国から外へである。少数民族から人が外へ流れるのは民族を維持できないくらいの災害、国難が生まれた時そして民族は消滅する。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому

      弥生時代は大陸から日本に渡来したのがほとんどなので、その時代は日本の方が低かったでしょうね。現在はどうでしょう...

  • @user-qd4bt3qt1s
    @user-qd4bt3qt1s Місяць тому +1

    うーん。。。少し違うのが、羌族を殷をいじめてたというのは違いますね。元々婦好は現代だとわかってるのが、羌族です。
    羌族自体内部でも、内紛が起きてたのがわかります。
    また、秦の始皇帝まで皇帝号はなく、王または皇、帝の号ですので、そこはお間違えなく。
    あと、きちんというと、チャン族という呼称はきちんと民国政府及び、人民共和国の公式声明または戸籍だと、羌族ではないですね。
    イ族、チベット族、ミャオ族を含めた羌族という位置分類の雲南省での固有の羌族文化を守ってた人達を「チャン族」として戸籍謄本に書かれます。これは結構お金の部分にはなりますが、中国では少数民族優遇政策を行ってるための実情となります。なぜなら、チャン族及び各地方の農民籍以外の都心部につての無い部族が商売をしやすくするための政策です。
    そのため、チャン族自体は日本には来てません。羌族は来てます。渡来人として。また、羌族の分類に入れられるのはやはり客家も羌族に入れられます。この客家も独自の信仰文化があり、独自の文字を使いながら多数の科挙出身者を出してます。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому

      なるほど、皇と帝は別の号なんですね。了解しました。
      羌族は主に四川や雲南にいる人々と、中国に入って斉を建国した人々に分かれますね。モンゴルにもいるようですし、奥が深い民族ですね。
      客家も羌族なんですね。客家は日本語と関係がありそうなので、調べて動画にしたいと考えています。秦氏は羌族で良かったでしょうか。一度、朝鮮半島に国を作り、その後、渡来した人々と考えています。

    • @user-qd4bt3qt1s
      @user-qd4bt3qt1s Місяць тому +1

      @@MIDORI-TV603
      えーと、秦氏に関してもこちらは前期、後期の渡来があって、前期に羌族、及びその他難民の渡来と、後期は百済系難民の合流もあり当時として最大の30万の氏族となった部分もあります。
      倭漢氏もそのころに渡来して各部族に、わけて統治しないと反乱おきたので豪族単位で今の震災の個割みたいに避難民をわけた痕跡あります。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому +2

      なるほど、30万人は多いですね。秦氏は一万人くらい、朝鮮半島からの亡命者は日本から船を出して5千人くらい、と、昔調査した時に見積もりました。渡来人は沢山来たといってもO2系統は20%程度なので、相対的にはそこまで多い印象ではないですね。古墳時代になぜあれほどゲノムが変わってしまったのか、と思います。
      秦氏はもっと調査して、近いうちに動画にしたいと考えています。

  • @user-pi3ox8wt4e
    @user-pi3ox8wt4e 24 дні тому +1

    殷は元倭国なり、だったけ、じゃないの。殷もチャン族も同じハプログループDじゃあないの ?

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  24 дні тому +1

      Yハプロでは兄弟みたいなものですが、核ゲノムでは大分違っている気がしますね。殷はN系統やQ系統で倭国とはあまり関係がないような、、
      多分、縄文時代に長江と日本はよく交易をしていたんだと思います。だから、縄文時代に本来必要のない高床式倉庫があるんだと思います。

  • @user-vt7kz9ut5f
    @user-vt7kz9ut5f Місяць тому +1

    彼らの絵文字解るよ。

    • @MIDORI-TV603
      @MIDORI-TV603  Місяць тому

      巴蜀文字は漢字がベースなので、読めそうな気がしますね。私は読めそうで読めません。