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実朝は兄である頼家が御家人達の手によって失脚させられるのを見て、自分はなるべく御家人の争いに巻き込まれたくないと、そういう性格になったと思ってました。
頼家と実朝。単なる性格の違いと捉えて済ませがちなところを、生育環境の違いから分析されていて、なるほど~、と納得する部分が多々ありました。有難うございます^^
包括的にとても分かりやすく比較されていて、納得できました。確かに、二人の生まれた時代は、10歳の年の差もあり、いろいろ状況が違いますよね。頼朝の戦う姿を記憶としてとどめているのと、話に聞いているのでは全く意識が違うし、その結果として目指す政権の有り様も変わってきますね。実朝にとっては、父は物心ついてからはいない状態であったからこそ、和田義盛や後鳥羽上皇に亡き父の面影を見たのかもしれません。武士としての父を知る頼家は、己もそれに倣い戦うことを当然としていたのに対し、実朝は父亡き後、京文化と触れ合うことによって自身のアイデンティティを得ようとしたのでしょう。
武の頼家、文の実朝
大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」では、実朝は男性しか愛せないと、なってましたね。なるほど、生育環境の違いでこうなったのかと、さらに納得です
実朝は、昔風にいえば、ふ○なり な印象があります。爺ちゃんの追放劇をみて、とどめは、マブダチ、和田義盛が、義時に挑発され、嵌められて誅殺されてしまう。実朝は、恐怖したでしょうね。その後、政治には、口出しせず、雅な世界に。奥さんに対しては、優しい人だったと思いたいですね✨
実朝も鎌倉殿として独り立ちし始めた頃に和田合戦ですからね。。恐怖でしかなかったと思います。吾妻鏡の記述しか手がかりはありませんが、奥さんとも2人で桜を見に行ったり、子どもはできなかったものの生涯に渡って交流はあったみたいですね!
お顔は頼家が母親似、実朝が父親似ぽいですね。
確かに、実朝と頼朝は木像の感じも似ていますね。
動画をアップされた今日、鎌倉に帰ってきました(8年ちょっと前まで、市民だったのでw)。若宮大通や妙本寺、頼朝墓、義時墓(自体はない)、大江広元墓、高時腹切りやぐら、伝政子墓などに歩き回り、足が棒状態です💦
鎌倉市民なのですね。羨ましい…自分もこれだけ動画を作っているので、鎌倉に足を運んで色々と想像を巡らせたいのですが時間が取れず…修禅寺を訪れたきりで止まってしまっています…
幕府と朝廷との交渉を考えると、貴族文化に通じている方が有利。実朝は、それも考えていたと思う。
ドラマでは、実朝は、徳川三代 家光、同様 あまり女性には、性的興味が無いようなえがきかたをしてますね。今風にいえば、ジェンダー でしょうか。
無性愛者という感じですかね。家光は男色家であったという話がありますが、泰時や和田朝盛に興味を示す男色家として描かれてしまうのか、気になります。
@@rekishock 個人的には頼朝や頼家と同様に無意識に他人を信じることができず、正室の西八条禅尼に対する態度も政略結婚故に本心を出せなくなってる説を推したいですねー本当に男色を好むなら太郎と配置換えになった阿野時元に対しても同じような反応を見せないのはおかしいですし、和田殿に惹かれるのは裏表のない馬k場数の豊富さ、太郎に対してはかつての小四郎と同じ理想家の甘ちゃん故ではないかと思います……
ドラマ上の演出にはなりますが、時政に騙されて畠山重忠討伐のきっかけを作ってしまったりしていますからね。他人を信じることができないというのはありそうです。和田義盛や北条泰時との絡みについては吾妻鏡でも多数ありますので、別途動画にまとめる予定です!男色の気はなさそうですね…
自分も実朝に家光を重ねてしまいました。で、戦国の空気を吸った秀忠が頼家。生まれ育った時代背景もよく似ている。ただ、生まれながらの将軍という立場は秀忠より家光に近い。北条をはじめとする御家人はもう、鎌倉幕府というシステムを手にし将軍もその一部として、コントロールできる人物を欲するようになっていたので、頼家、実朝も早晩消される運命だったんでしょうね。徳川は鎌倉、室町の失敗に学んで生まれた政権でもあるので、将軍家の権力基盤は源家とは比較にならなかったのは確かですが
ジェンダーは単に社会的役割周りの性別を示す単語なので「セクシャルマイノリティ」とかその辺の表現の方が正確かも
御恩と奉公のお陰で常に力の有る有力御家人がずらりと居るから片身も狭いし、下手な事をすれば暗殺されるし、江戸幕府の様な距離感だったらどんなに気楽かと思いますね。
そもそも坂東武士団は頼朝の源氏将軍家の譜代の家来では無いですからね…
昔、男色はタブー視されるものではなく、わりとポピュラーなものだったみたいですね。古くは、人類が誕生した、20万年前とか、15万年前には、東アフリカで活動していたとも?サピエンス全史の、ハラリさんが書いていますが、その時、すでに男色あった!と言われても、そうなんだ、と納得してしまいます。ハラリさんも、男同士で結婚してました。ホモ・サピエンス というくらいだから、やっぱ ホモ か!←違うでしょ😅。日本の女神さま、イザナミノミコトの前は、男の神様ばかりだから、男色はあったかも?アマテラスは、男の神様で、男色をしていた!なんてはなしもあるし。ところで、女同士は、なんというのですか?やっぱ 女色 というのかな('_'?)。女同士はあまりききませんから、男色に比べて、珍しいかったのかな?
女同士は、古くは、貝合わせ なんて言いましたよね。最近は、男同士は 薔薇 女同士は 百合 なんていますよね。男同士に比べて、女同士は少ないかどうかわかりませんが、もし少ないとしたら、女の性は、お金になるから勿体ない!かな?
実朝は兄である頼家が御家人達の手によって失脚させられるのを見て、自分はなるべく御家人の争いに巻き込まれたくないと、そういう性格になったと思ってました。
頼家と実朝。単なる性格の違いと捉えて済ませがちなところを、生育環境の違いから分析されていて、なるほど~、と納得する部分が多々ありました。有難うございます^^
包括的にとても分かりやすく比較されていて、納得できました。確かに、二人の生まれた時代は、10歳の年の差もあり、いろいろ状況が違いますよね。頼朝の戦う姿を記憶としてとどめているのと、話に聞いているのでは全く意識が違うし、その結果として目指す政権の有り様も変わってきますね。実朝にとっては、父は物心ついてからはいない状態であったからこそ、和田義盛や後鳥羽上皇に亡き父の面影を見たのかもしれません。武士としての父を知る頼家は、己もそれに倣い戦うことを当然としていたのに対し、実朝は父亡き後、京文化と触れ合うことによって自身のアイデンティティを得ようとしたのでしょう。
武の頼家、文の実朝
大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」では、実朝は男性しか愛せないと、なってましたね。なるほど、生育環境の違いでこうなったのかと、さらに納得です
実朝は、昔風にいえば、ふ○なり な印象があります。
爺ちゃんの追放劇をみて、とどめは、マブダチ、和田義盛が、義時に挑発され、嵌められて誅殺されてしまう。
実朝は、恐怖したでしょうね。その後、政治には、口出しせず、雅な世界に。
奥さんに対しては、優しい人だったと思いたいですね✨
実朝も鎌倉殿として独り立ちし始めた頃に和田合戦ですからね。。
恐怖でしかなかったと思います。
吾妻鏡の記述しか手がかりはありませんが、奥さんとも2人で桜を見に行ったり、子どもはできなかったものの生涯に渡って交流はあったみたいですね!
お顔は頼家が母親似、実朝が父親似ぽいですね。
確かに、実朝と頼朝は木像の感じも似ていますね。
動画をアップされた今日、鎌倉に帰ってきました(8年ちょっと前まで、市民だったのでw)。
若宮大通や妙本寺、頼朝墓、義時墓(自体はない)、大江広元墓、高時腹切りやぐら、伝政子墓などに歩き回り、足が棒状態です💦
鎌倉市民なのですね。羨ましい…
自分もこれだけ動画を作っているので、鎌倉に足を運んで色々と想像を巡らせたいのですが時間が取れず…修禅寺を訪れたきりで止まってしまっています…
幕府と朝廷との交渉を考えると、貴族文化に通じている方が有利。実朝は、それも考えていたと思う。
ドラマでは、実朝は、徳川三代 家光、同様 あまり女性には、性的興味が無いようなえがきかたをしてますね。
今風にいえば、ジェンダー でしょうか。
無性愛者という感じですかね。
家光は男色家であったという話がありますが、泰時や和田朝盛に興味を示す男色家として描かれてしまうのか、気になります。
@@rekishock 個人的には頼朝や頼家と同様に無意識に他人を信じることができず、正室の西八条禅尼に対する態度も政略結婚故に本心を出せなくなってる説を推したいですねー
本当に男色を好むなら太郎と配置換えになった阿野時元に対しても同じような反応を見せないのはおかしいですし、和田殿に惹かれるのは裏表のない馬k場数の豊富さ、太郎に対してはかつての小四郎と同じ理想家の甘ちゃん故ではないかと思います……
ドラマ上の演出にはなりますが、時政に騙されて畠山重忠討伐のきっかけを作ってしまったりしていますからね。他人を信じることができないというのはありそうです。
和田義盛や北条泰時との絡みについては吾妻鏡でも多数ありますので、別途動画にまとめる予定です!男色の気はなさそうですね…
自分も実朝に家光を重ねてしまいました。で、戦国の空気を吸った秀忠が頼家。生まれ育った時代背景もよく似ている。ただ、生まれながらの将軍という立場は秀忠より家光に近い。北条をはじめとする御家人はもう、鎌倉幕府というシステムを手にし将軍もその一部として、コントロールできる人物を欲するようになっていたので、頼家、実朝も早晩消される運命だったんでしょうね。徳川は鎌倉、室町の失敗に学んで生まれた政権でもあるので、将軍家の権力基盤は源家とは比較にならなかったのは確かですが
ジェンダーは単に社会的役割周りの性別を示す単語なので「セクシャルマイノリティ」とかその辺の表現の方が正確かも
御恩と奉公のお陰で常に力の有る
有力御家人がずらりと居るから
片身も狭いし、
下手な事をすれば暗殺されるし、
江戸幕府の様な距離感だったら
どんなに気楽かと思いますね。
そもそも坂東武士団は頼朝の源氏将軍家の譜代の家来では無いですからね…
昔、男色はタブー視されるものではなく、わりとポピュラーなものだったみたいですね。
古くは、人類が誕生した、20万年前とか、15万年前には、東アフリカで活動していたとも?サピエンス全史の、ハラリさんが書いていますが、その時、すでに男色あった!と言われても、そうなんだ、と納得してしまいます。ハラリさんも、男同士で結婚してました。
ホモ・サピエンス というくらいだから、やっぱ ホモ か!←違うでしょ😅。
日本の女神さま、イザナミノミコトの前は、男の神様ばかりだから、男色はあったかも?アマテラスは、男の神様で、男色をしていた!なんてはなしもあるし。
ところで、女同士は、なんというのですか?やっぱ 女色 というのかな('_'?)。
女同士はあまりききませんから、男色に比べて、珍しいかったのかな?
女同士は、古くは、貝合わせ なんて言いましたよね。
最近は、男同士は 薔薇 女同士は 百合
なんていますよね。男同士に比べて、女同士は少ないかどうかわかりませんが、もし少ないとしたら、女の性は、お金になるから勿体ない!かな?