#山月記

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 7 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 3

  • @竜涎香-g9o
    @竜涎香-g9o 2 місяці тому +1

    芭蕉の「古池や」とともに、日本人が最も多く知っているであろう子規の
    「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」
    は漱石の
    「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」
    を踏まえたもの。
    「俳句とはこうしたものなのだよ」
    という添削だったもしれません。
    子規が大陸で大喀血して、東京にもどるまで、四国松山に赴任していた漱石のもとに二月近く滞在していた時に、漱石が詠みました。
    子規はこの後奈良に寄りますから、期間はあまり離れてはいませんね。
    「俳句の革新」は成したと見た子規は、最後の大仕事として千年の伝統を持つ和歌(短歌)の改革に手を付けます。あと3年しかありません。
    「再び歌よみに与ふる書」で
    「貫之は下手な歌よみにて、古今集は下らぬ集にて有之候」と極端な表現に走ったのは、やはり持ち時間が少ないという焦りからだと思います。
    余裕があれば「万葉集にかえれ」とか実朝の「金塊和歌集は万葉風で優れている」と主張して、時の判断に委ねれば良かったことですから。
    「新古今」については「やや優れたり」としているものの
    定歌には「自分の歌についてはろくなもの無之」としているのは
    「駒とめて袖打ちはらふ陰もなし佐野の渡りの雪の夕暮れ」
    こそ和歌の精華だと考える私には不満があります。
    根岸(駅は鶯谷)の子規庵は空襲で焼けての復元ですが、近所にある中村不折住居跡の「書道博物館」とともに、あのラブホテル街の中で異彩を放っています。
    昔、この博物館で青山繁晴さん(今度の総裁選に出馬するそうです)と出くわしたことがあります。
    まだ、中村家個人所有の時代で、現在の立派な記念館もなく本館のみで、訪れる人も稀でしたから奇遇でした。
    「菫ほどな小さき人」をコンセプトにみつはしちかこさんが
    「小さな恋のものがたり」の主人公チッチ(小山ちい子でしたっけ。恋人のノッポのサリーの本名は流石に覚えていません)を造形しました。
    「ノッポ」という言葉は最近聞きませんね。その前の「半鐘泥棒」はもはやタヒ語かもしれません。
    組合の標語で
    「じっと手を…見飽きた」
    というのがありました。
    啄木の浸透度も相当高いですね。
    ちなみに日本で一番読まれた小説は漱石の「こゝろ」か太宰治の「人間失格」だそうです。
    百田尚樹さんの「永遠のゼロ」がこれに続きます。
    「五七五」「七七」と続いていくのは「俳諧」でも良いのですが、もともとこの形式は「連歌」と呼ばれ、そのうちの趣味性の高いものを「俳諧連歌」略して「俳諧」と呼びました。
    ですから、本能寺前の光秀の
    「時(土岐)はいま雨がしたしる(天が下治る)五月かな」
    「水上まさる末の松山」
    「花落つる流れの末を塞き止めて」
    は連歌ではあっても俳諧ではありません。

    • @竜涎香-g9o
      @竜涎香-g9o 2 місяці тому +1

      さっきふと「定歌」になってしまっていたことに気づきました。

    • @3-hy8dy
      @3-hy8dy  2 місяці тому

      いつも大変お世話になっております。引き続きよろしくお願いいたします。