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芭蕉の「古池や」とともに、日本人が最も多く知っているであろう子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」は漱石の「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」を踏まえたもの。「俳句とはこうしたものなのだよ」という添削だったもしれません。子規が大陸で大喀血して、東京にもどるまで、四国松山に赴任していた漱石のもとに二月近く滞在していた時に、漱石が詠みました。子規はこの後奈良に寄りますから、期間はあまり離れてはいませんね。「俳句の革新」は成したと見た子規は、最後の大仕事として千年の伝統を持つ和歌(短歌)の改革に手を付けます。あと3年しかありません。「再び歌よみに与ふる書」で「貫之は下手な歌よみにて、古今集は下らぬ集にて有之候」と極端な表現に走ったのは、やはり持ち時間が少ないという焦りからだと思います。余裕があれば「万葉集にかえれ」とか実朝の「金塊和歌集は万葉風で優れている」と主張して、時の判断に委ねれば良かったことですから。「新古今」については「やや優れたり」としているものの定歌には「自分の歌についてはろくなもの無之」としているのは「駒とめて袖打ちはらふ陰もなし佐野の渡りの雪の夕暮れ」こそ和歌の精華だと考える私には不満があります。根岸(駅は鶯谷)の子規庵は空襲で焼けての復元ですが、近所にある中村不折住居跡の「書道博物館」とともに、あのラブホテル街の中で異彩を放っています。昔、この博物館で青山繁晴さん(今度の総裁選に出馬するそうです)と出くわしたことがあります。まだ、中村家個人所有の時代で、現在の立派な記念館もなく本館のみで、訪れる人も稀でしたから奇遇でした。「菫ほどな小さき人」をコンセプトにみつはしちかこさんが「小さな恋のものがたり」の主人公チッチ(小山ちい子でしたっけ。恋人のノッポのサリーの本名は流石に覚えていません)を造形しました。「ノッポ」という言葉は最近聞きませんね。その前の「半鐘泥棒」はもはやタヒ語かもしれません。組合の標語で「じっと手を…見飽きた」というのがありました。啄木の浸透度も相当高いですね。ちなみに日本で一番読まれた小説は漱石の「こゝろ」か太宰治の「人間失格」だそうです。百田尚樹さんの「永遠のゼロ」がこれに続きます。「五七五」「七七」と続いていくのは「俳諧」でも良いのですが、もともとこの形式は「連歌」と呼ばれ、そのうちの趣味性の高いものを「俳諧連歌」略して「俳諧」と呼びました。ですから、本能寺前の光秀の「時(土岐)はいま雨がしたしる(天が下治る)五月かな」「水上まさる末の松山」「花落つる流れの末を塞き止めて」は連歌ではあっても俳諧ではありません。
さっきふと「定歌」になってしまっていたことに気づきました。
いつも大変お世話になっております。引き続きよろしくお願いいたします。
芭蕉の「古池や」とともに、日本人が最も多く知っているであろう子規の
「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」
は漱石の
「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」
を踏まえたもの。
「俳句とはこうしたものなのだよ」
という添削だったもしれません。
子規が大陸で大喀血して、東京にもどるまで、四国松山に赴任していた漱石のもとに二月近く滞在していた時に、漱石が詠みました。
子規はこの後奈良に寄りますから、期間はあまり離れてはいませんね。
「俳句の革新」は成したと見た子規は、最後の大仕事として千年の伝統を持つ和歌(短歌)の改革に手を付けます。あと3年しかありません。
「再び歌よみに与ふる書」で
「貫之は下手な歌よみにて、古今集は下らぬ集にて有之候」と極端な表現に走ったのは、やはり持ち時間が少ないという焦りからだと思います。
余裕があれば「万葉集にかえれ」とか実朝の「金塊和歌集は万葉風で優れている」と主張して、時の判断に委ねれば良かったことですから。
「新古今」については「やや優れたり」としているものの
定歌には「自分の歌についてはろくなもの無之」としているのは
「駒とめて袖打ちはらふ陰もなし佐野の渡りの雪の夕暮れ」
こそ和歌の精華だと考える私には不満があります。
根岸(駅は鶯谷)の子規庵は空襲で焼けての復元ですが、近所にある中村不折住居跡の「書道博物館」とともに、あのラブホテル街の中で異彩を放っています。
昔、この博物館で青山繁晴さん(今度の総裁選に出馬するそうです)と出くわしたことがあります。
まだ、中村家個人所有の時代で、現在の立派な記念館もなく本館のみで、訪れる人も稀でしたから奇遇でした。
「菫ほどな小さき人」をコンセプトにみつはしちかこさんが
「小さな恋のものがたり」の主人公チッチ(小山ちい子でしたっけ。恋人のノッポのサリーの本名は流石に覚えていません)を造形しました。
「ノッポ」という言葉は最近聞きませんね。その前の「半鐘泥棒」はもはやタヒ語かもしれません。
組合の標語で
「じっと手を…見飽きた」
というのがありました。
啄木の浸透度も相当高いですね。
ちなみに日本で一番読まれた小説は漱石の「こゝろ」か太宰治の「人間失格」だそうです。
百田尚樹さんの「永遠のゼロ」がこれに続きます。
「五七五」「七七」と続いていくのは「俳諧」でも良いのですが、もともとこの形式は「連歌」と呼ばれ、そのうちの趣味性の高いものを「俳諧連歌」略して「俳諧」と呼びました。
ですから、本能寺前の光秀の
「時(土岐)はいま雨がしたしる(天が下治る)五月かな」
「水上まさる末の松山」
「花落つる流れの末を塞き止めて」
は連歌ではあっても俳諧ではありません。
さっきふと「定歌」になってしまっていたことに気づきました。
いつも大変お世話になっております。引き続きよろしくお願いいたします。