北米植民地戦争とアメリカ独立/ロスチャイルド家のはじまり|茂木誠

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КОМЕНТАРІ • 80

  • @maomao96363
    @maomao96363 2 роки тому +81

    アメリカ独立戦争に資金提供したソロモン商会については、次の次の動画でお話しします。

  • @user-sv1tl8rv3c
    @user-sv1tl8rv3c 2 роки тому +49

    こうやってみるとアメリカ🇺🇸成立までの植民地とイギリスやフランスなどの関係を考えると、綺麗事と綺麗事じゃないことの両方がありますよね。
    現在のウクライナ🇺🇦紛争を考えると、ウクライナはアメリカとイギリスの植民地状態にも見えますが、これもおんなじような感覚で利権の争いをやってる感じがします。普通の日本人🇯🇵の感覚と違うことに注意が必要ですね。👍🐱🐯🧸🐏🐇

    • @kazumasaotu6016
      @kazumasaotu6016 2 роки тому +7

      大学入試なんかの試験は遥か昔に終えてしまった私ですが、現代の大学入試の特に歴史の問題は、いろいろな正解がありそうな部分は、あえて出題しないのかな? 特に官立の大学は。

    • @jackal7123
      @jackal7123 2 роки тому

      ゼレンスキ―大統領はユダヤ教徒という事実を知るだけでウロ紛争の実態が垣間見えてます。ウクライナもロシアもビザンツ帝国からの伝統であるキリスト教東方正教会系の国なのに、ウクライナ大統領はユダヤ教徒って所に違和感があり捲りなんですよ。一応、政教分離の建前はあるので「選挙で選ばれた大統領」なのでしょうが、本当にウクライナ人が選挙したのか?という疑問は消えません。
      まぁ、奇妙な得票数ジャンプで有名なバイデン大統領の動向観てたらウロ紛争の黒幕は米国というよりも明らかに所謂DSですよね。ウロ紛争やらかす為にトランプ大統領を是が非でも落選させる必要があったと考えるなら、バイデンジャンプに加えて数々の醜態晒したのも腑に落ちますからね。

    • @_Taka_JP
      @_Taka_JP 2 роки тому +7

      @@kazumasaotu6016
      「いろいろな正解がありそうな部分」ではなくて、「アメリカ人にとってヤバそうな部分」は出題されません。

  • @user-fq1up7xc8z
    @user-fq1up7xc8z 2 роки тому +29

    毎度、素晴らしい講義を有難うございます。茂木先生の講義時間が、他の先生より少々短く、残念です。むすび大学を代表する小名木先生と茂木先生の講義時間の充実を、お願いします。

  • @user-uf7pn4tj1e
    @user-uf7pn4tj1e 2 роки тому +41

    いつもなが茂木先生の講話、
    素晴らしいです!
    ありがとうございます。

  • @大空ひとり旅
    @大空ひとり旅 2 роки тому +30

    人はどこへ向かうのか?
    未来を変えるには
    過去から学ぶこと
    大切ですね。
    ありがとうございます😊

  • @hirobkk
    @hirobkk Рік тому +5

    分かり易くて素晴らしい講義、声も聴き易くてかっこいい声

  • @sunsun2181
    @sunsun2181 2 роки тому +20

    茂木先生だ! これは見たい!!

  • @tatsuoozeki6840
    @tatsuoozeki6840 2 роки тому +11

    アメリカに長く住んで居て,茂木先生のアメリカ歴史の話は大変興味があり、フランスが絡んだ歴史を教えていただき有難うございます。New Orleansに行った時、フランスがアメリカの歴史ん関連があったことは少し知っていましたが、良いお話しです。

    • @iyuwakito5642
      @iyuwakito5642 2 роки тому

      ❌歴史ん お話し
      ⭕歴史に お話

  • @ヤマネ光秀
    @ヤマネ光秀 2 роки тому +6

    アメリカの成り立ちがとても楽しくよくわかります。
    わたしの世代は完全に受験用の勉強だったので、暗記型でした。
    歳とって学び直すと本当に楽しくわかりやすく、いつも楽しみにしています。

  • @rick8505
    @rick8505 2 роки тому +15

    この辺りの時代が個人的には一番面白いと感じています。大学生時、マッキンダーだったかマハンの本を読み、フランスがマザラン、コルベールの重商主義シーパワー拡大路線を継続していたらその後の近代史はまるで違うものになっていただろうとの地政学的見方に興奮したのをよく覚えています。

  • @村田綾-u1c
    @村田綾-u1c Рік тому +2

    茂木先生のお話は分かりやすく、勉強になります。ありがとうございます。

  • @sumyoshi
    @sumyoshi 2 роки тому +3

    茂木先生の本領発揮って感じの講義。すばらしい♪ 先生、応援しております。

  • @花が咲く美しい日本
    @花が咲く美しい日本 2 роки тому +3

    茂木先生の本を買いました息子と一緒に読むか 思って買ったんですけど息子より私がもっと面白いですねいつもありがとうございますこれからもよろしくお願いします先生 本当にありがとうございますおかげさまでいろんな勉強を学び 学びます。

  • @シャーロックホームズ-b8t
    @シャーロックホームズ-b8t 2 роки тому +7

    待ってました!茂木せんせい

  • @トワスト総研
    @トワスト総研 2 роки тому +26

    めっちゃ良いところで終わった
    続き待ち遠しい

  • @danm4462
    @danm4462 2 роки тому +4

    メチャクチャ面白い‼️

  • @_Taka_JP
    @_Taka_JP 2 роки тому +9

    「ロスチャイルド家はリスクを分散させた」という理解の仕方って、かなり好意的な見方だと感じました。
    両軍の情報を一手に握っていたら、両軍から利用出来ますよね?
    これって現代でも全く同じですよね。
    戦争が「プロレス」「八百長」と言われる理由が、これです。

  • @takakama326
    @takakama326 4 місяці тому

    ホント茂木さんの解説は分かりやすい、ホワイトボードの字も絵も凄く上手いし

  • @user-zc6jd8dp1r
    @user-zc6jd8dp1r 2 роки тому +5

    茂木先生の話を聞くにはもぎせかチャンネルではないということが最近やっと解りました

  • @ちゃんクー-l3r
    @ちゃんクー-l3r 7 місяців тому

    歴史は流れが分からないと理解出来ませんね先生の講義は大変分かりやすいですお声もはっきりとして聞きやすい素敵なお声です。

  • @田舎のごんたろう
    @田舎のごんたろう 2 роки тому +16

    こう言う歴史を知れば日本がどういう国か理解できます、根本的に違う感性なんですね、判って対応するのとお花畑の感性で対応するのは雲泥の差ですね、なんとか外相にこう言う講義聴い頂きたいですね、あ、端からダメですかぁ。

  • @takeshi3616
    @takeshi3616 Рік тому +9

    どうして、この茂木先生の講義はこんなに説得力が抜群なのだろうか?聞いていて、私のストレス軽減になる。気持ちいい!何だろう、聴き入ってしまう!

  • @ymulberry2682
    @ymulberry2682 2 роки тому +38

    茂木先生がまずかっこいい(o^^o)

  • @nanatsumugi
    @nanatsumugi 2 роки тому +7

    今回も面白くてわかりやすかったです。いろんな出来事がまるで玉突きのよう。そこにユダヤが二重螺旋のように絡み合ってるんですね。ちなみに。高校の世界史はアンシャンレジームあたりで3月になってしまいました😭

  • @Kukita_
    @Kukita_ 2 роки тому +4

    続きが気になる終わり方!歴史に基づいたユダヤ人のたどる道。国を追われた因縁が負の連鎖でどんどん積もり積もっていく。

  • @犬走りヘ太郎
    @犬走りヘ太郎 2 роки тому +6

    カタカナに平仮名の振り仮名するのかわいいw
    ろすちゃいるどけ w

  • @酒井結衣-p3y
    @酒井結衣-p3y Рік тому

    この話も面白すぎて痺れた!歴史って線になって繋がってますね~。面白い。

  • @keakakapo2973
    @keakakapo2973 2 роки тому +16

    イギリスは、“本国が狭い、寒い、ショボい”に笑ってしまいました🤣🤣🤣

  • @yamasakuranokiki
    @yamasakuranokiki 2 роки тому +10

    革命の輸出なんかすると反動がありますよ―。
    と言っても懲りない人たちがいる…。

  • @necomee2622
    @necomee2622 2 роки тому +9

    日本も戦に負けて、植民地になり、重税を課せれ外国の商人の下にあると言う事ですか?

    • @user-ri6ci4jt4q
      @user-ri6ci4jt4q 2 місяці тому +1

      先の敗戦後の統治政策で日本国民の愛国心、弱め、深く思考しない、戦う意志弱め策略、既成マスコミ利用して、平和憲法護持すれば。平和が持続されると。お花畑思考の国民が出来たか?。日本攻めたい国家には、ネギ背負った鴨鳥に映るだろう。鴨ネギ汁が素早く出来上がるか
      ?。😢😮😅。

  • @th-di1gr
    @th-di1gr 2 роки тому

    茂木先生解り易い話し方聞き易い声が素晴らしい

    • @th-di1gr
      @th-di1gr 2 роки тому

      お勉強楽しい感謝!

  • @イナカッペ
    @イナカッペ 3 місяці тому

    歴史は苦手でしたが好きになりそう。ありがとうございます。

  • @cremia_soft
    @cremia_soft 2 роки тому +9

    現在に至るまでフランスはアフリカで植民地時政策を実行しておりますので、やはりフランスもしょぼい国なのかもしれません。
    CFAフランがECOに変わってもフランスの搾取は変わらない。

  • @weirdohsrodd
    @weirdohsrodd 2 роки тому +4

    大学当時、米国史を専攻していました。
    先生の様な話はま〜無かったですよ。関連国やインディアンを相対的にみる事も全く無かったですね。
    要するにアメリカに都合の良い話バカリ、アメリカ人は言うんだなって事が勉強になりました(笑い)

  • @亀治郎-m8z
    @亀治郎-m8z Місяць тому

    分かりやすくていいですね!Paris2024の開会式(7月26日)のアトラクション&イベントに如何わしさというか公開など憚れるほどの内容がバンバン詰め込まれていましたが、その背景が浮き彫りになってくるような筋立てですね。①マリー・アントワネットの斬首に歌わせる ②ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のパロディ ③青白い馬etc.

  • @mamakikieneko
    @mamakikieneko 2 роки тому +3

    あの方々のお金儲けの仕方は桁が違いすぎですよね。作戦は国を相手にするので儲けは莫大!

  • @修行僧-y6v
    @修行僧-y6v 2 роки тому +5

    ユダヤ人って頭いいんだなぁ

  • @佐藤秀-w4m
    @佐藤秀-w4m 2 роки тому +7

    茂木誠先生、証拠と実名を付けて歴史を分析しても「信じない人」はいます。人間は理性的認識より感情を優先するようです、特に特定の「宗教」や「思想」にしがみついている人達は、立派な肩書きや社会的に立場があるにも関わらず感情を優先しています。更に歴史的な事実を無視して同じ志向の仲間を集めてスクラムトライを狙っています。人間の脳は2000年間進化していません、進化論は破綻しています、神による創造説も怪しいです。😆

  • @asa01053
    @asa01053 2 роки тому +5

    日本もオランダ、フランス、イギリス、アメリカ、いまはチャイナと政府の関係によって変わりますね。

  • @tomohitonagai2090
    @tomohitonagai2090 2 роки тому +3

    ルイ、ジアナ
    へ~!!のっけからビックリ

  • @marron_do8781
    @marron_do8781 2 роки тому +2

    「レヴェナント」って映画で毛皮を集めてるの出てきたの思い出しました!

  • @user-sv6bk8kd4k
    @user-sv6bk8kd4k 2 роки тому +2

    それでニューヨークの自由の女神像はフランスからプレゼントされたのですね。

  • @愛する国日本
    @愛する国日本 Рік тому +2

    なるほど、だからユダヤ人はグローバリズムが都合いいわけか。今のEUはまさにユダヤ人にとって理想だね。

  • @kharada999
    @kharada999 2 роки тому +3

    公文書館のものだからと言って、必ずしも証拠とは成りえません。人が作成したものだからです。
    往々にして、作成者に都合よく書かれている場合があり、それらが、事実を記しているかの検証は必要です。

  • @ロビンZ
    @ロビンZ 2 роки тому +2

    スファラディはスペインに追い出された人々。
    アシュケナジーはドイツに追い出された人々。

  • @user-hs6oz7dn2g
    @user-hs6oz7dn2g 2 роки тому +2

    やはりエルサレムでしょう。聖書のまんまですよね。

  • @yT-eh3pz
    @yT-eh3pz Рік тому

    最近、毎日お風呂でむすび大学。

  • @musashino_103hi
    @musashino_103hi 2 роки тому +3

    啓蒙思想が広まったことでユダヤ人への差別が減っていったが、ナショナリズムの勃興によってユダヤ人への差別が復活していく。
    自国第一主義の弊害ですよね。

    • @猫月-v7x
      @猫月-v7x Рік тому

      ナチスドイツが生まれたワイマール憲法はユダヤ人が作ったんだから、「自由」「平等」を全面に押し出しすぎると危険ですね。
      日本国憲法はワイマール憲法をほぼ丸写ししたものなので、戦後に学生運動が盛んになり、日本赤軍が産まれたのも納得。

  • @cookiesch.
    @cookiesch. 2 роки тому

    フランス系の入植地のケベックも英国との戦いに破れたが人々は残った。フランス語や文化も残された。今でもケベックの車のナンバープレートには「私は忘れない」と言う標語が入っている。

  • @applesoda6308
    @applesoda6308 2 роки тому +2

    ユダヤ人は基本的にナショナリズムが大嫌いなんですよね。(ただしイスラエル建国後のイスラエル人は超ナショナリストになりましたが・・)ディアスポラ中のユダヤ人は国境を失くすイデオロギーを提唱したり推進したりします。共産主義もナショナリズムを否定する思想なのでユダヤ人が推進したし、国境やナショナリズムを否定するグローバリストにはユダヤ人が非常に多く、私財まで投与するソロスは戦争を起こしてでもグローバリズムを広げようとします。そういうグローバルユダヤを嫌う白人が過激化するとネオナチ指定を受けます。国境を失くしてナショナリズムを地球上から消し去りたいグローバルユダヤは、逆にナショナリズムを刺激する羽目になると思いますが、キャンセルカルチャーで弾圧して逃げ切るつもりなのでしょうか・・・。

  • @鈴木宜雄
    @鈴木宜雄 2 роки тому

    ユダヤ人の戦費用立ては〜米国南北戦争や日露戦争で負けた方からも回収出來たのでしょうか?

  • @smh-Know-the-truth-of-desire
    @smh-Know-the-truth-of-desire 2 роки тому +2

    フランスはフェアトレードだったのに負けたのか

  • @nobuko-w3r
    @nobuko-w3r 2 роки тому

    先生のお話しの途中で フランスが入った処で、画面が黒く、中心をグルグル円が回り出しました!残念!!!これぞ、陰謀‼️

  • @Aランチ-d9m
    @Aランチ-d9m 2 роки тому

    フレンチ・インディアン戦争は、明治維新の構図に似てる。

  • @youichik8631
    @youichik8631 Рік тому

    先の大戦で 大勝です

  • @vegan2layer
    @vegan2layer 2 роки тому +2

    妄想であれ真実であれ、陰謀論は物語として面白いのでポチった

  • @jiropushkin3563
    @jiropushkin3563 2 роки тому

    ニューヨーク発:
    40年近く前娘が小学生のとき、うちの娘と同じクラスにロスチャイルド家の娘がいた。PTAの会合の後、雨が降ってタクシーがなかなか来ずロスチャイルド母子と一緒にやっと来たタクシーに乗り彼女らのアパートに行き、その後家に帰った。タクシー代払うといわれたけど、いらんと断った。ロスチャイルドにタクシー代おごってやったのはわしくらいなもんや。
    下の幼稚園にトランプの次男がいた。幼稚園児だのにリムジンで学校への送り迎えをやっていて顰蹙を買ってた。日本人はトランプが好きみたいだけど、あいつは東洋人蔑視で日本人が何かいっても返事もしなかった。大統領になってからは表向きお友達のフリしてるけど。

  • @soltycake4357
    @soltycake4357 2 роки тому +1

    英仏は 北アメリカでも日本でも 対立させ屋さんなのですね

  • @コニワク
    @コニワク Рік тому

    ローマ帝国からのJメンバー

  • @誠一-n8x
    @誠一-n8x Рік тому

    ほとんど暴力団の縄張り争い仁義なき戦い、アウトレージの世界観ですね。

  • @とほかみえみため江戸日本橋

    フレンチ・インディアン戦争
    (フレンチ・インディアンせんそう、英: French and Indian War、1754年 - 1763年)は、七年戦争のうち、北アメリカを舞台に繰り広げられた一連の戦闘である。イギリス領アメリカ植民地とヌーベルフランスが主な戦場となり、いずれも、本国からの援助を得て戦闘が行われた。1756年、この戦争は北アメリカの地域紛争から世界的な戦争となった。カナダでは、一部の歴史家がこの戦争を単に七年戦争と呼ぶが、フランス系カナダ人はしばしば、この戦争のことをラ・ゲール・ド・ラ・コンケットLa Guerre de la Conquête(征服戦争)と表現する。
    ヨーロッパでは、北アメリカで行われたこの戦争に関して、特に決まった呼び名はない。この名はイギリス人入植者の、2つの主な敵、フランス王国の軍、フランス軍と同盟を結んだ様々なインディアンの部族のことである。しかしグレートブリテン王国(イギリス)もまたインディアンと同盟を結んでいた。しかし、イギリス側からの視点でフランスがインディアンと同盟していたと見るため、「フランス及びインディアンとの戦争(French and Indian War)」と呼ばれる。この戦争は、従来の植民地戦争とは違い、欧州の戦争に先立つ植民地での衝突で火ぶたが切られた。
    戦場は主にヌーベルフランスと、バージニア植民地からノバスコシアに至るまでのイギリス人入植地との境界に沿って行われた。戦争の発端は、アレゲニー川と、モノンガヘラ川が合流する場所(現在のペンシルベニア州ピッツバーグ)で起きた紛争だった。この紛争は1754年5月、ジュモンヴィルグレンの戦いにおいて、バージニア民兵隊の指揮官、ジョージ・ワシントンが、フランスの巡回兵を待ち伏せして起こした暴動に発展した。1755年、1756年そして1757年の、ペンシルベニアとニューヨーク植民地における作戦はことごとく失敗した。失敗の原因は、同盟を管理する上でのまずさ、内輪もめ、そしてフランスとインディアン同盟の攻撃が功を奏したためであった。1755年の、ノバスコシアと(フランス人入植地の)アカディアの境界で起きたボーセジュールの戦いは、イギリスがアカディア人をこの地から追い出した結果、アカディア人の抵抗が起きたものである。
    1757年、イギリスにとって惨憺たる敗戦が続いた。ルイブールへの遠征の失敗に続き、ウィリアム・ヘンリー砦の戦いでは、インディアンによりイギリス兵にかなりの残虐行為がなされた。イギリス本国政府は評価を落とし、ウィリアム・ピットが首相に返り咲いた。ピットは植民地の軍事力を大幅に増やし、一方フランスは、ヌーベルフランスの限られた戦力の援助のために、護送船団を出すのには乗り気でなく、代わりに、ヨーロッパの戦争で、プロシャとその同盟国に対する軍事力を結集するのを優先させた。1758年から1760年の間、イギリス軍はヌーベルフランスの中心地ケベックの陥落に成功し、1760年9月、ついにモントリオールを攻略した。
    この結果、イギリスは第二次百年戦争ともいえる北米植民地戦争の参戦国で最も大きな発展を遂げることとなった。フランスはミシシッピ川以西のルイジアナを同盟国のスペインに割譲した。これは、スペインが敗戦によりフロリダをイギリスに割譲した、その代償だった。スペインは、イギリスにフロリダを割譲した見返りに、キューバのハバナを手に入れた。カリブ海から北のフランスの植民地は、サンピエール島とミクロン島[注 1]だけになった。これにより、イギリスは、北アメリカ東半分の植民地勢力の支配を固めた。

    • @とほかみえみため江戸日本橋
      @とほかみえみため江戸日本橋 2 роки тому

      その後の北米植民地
      1763年のパリ条約後の北アメリカ。ピンクがイギリス領、黄色が、1762年のフォンテーヌブロー条約後にスペインが手に入れた領土である。
      この戦争はヨーロッパの大国(イギリス、フランス、スペイン)の経済、政治、そして行政面と社会面での関係を変えた。これらの国の植民地や入植者、そして原住の人々は、彼らが領有した土地に住んだ。フランスとイギリスはこの戦争でかなりの経費を使い、これが後々長期にわたり重大な問題となった。
      イギリスはヌーベルフランスとアカディアを支配下に置いた。約8万人の人口があり、その大部分はフランス語を話すカトリック信者だった。1755年に始まったアカディア人の追放は、最終的にはヨーロッパや南の方の植民地からの入植者を受け入れ可能にした。イギリスは、北アメリカの植民地のあちこちに彼らを入植させたが、多くはヨーロッパに戻り、また一部はニューオーリンズに行った、そこではフランス語が使えると期待したからだ。また一部の者は、フランス領ギアナやフォークランド諸島など、さまざまな地域に入植者として送られた。後者の方はうまく行かなかった。また、サントドミンゴのような場所へ移住した者、ハイチ革命の後でニューオーリンズへ入植した者もいて、独自のケイジャン文化をはぐくんだ。ルイジアナの人口は、現在のケイジャンの人口の入植によるところが大きい。ケイジャンとは、フランス語のアカディアンがカディアンとなり、そしてケイジャンとなったものである[90]。
      現在のニューオーリンズに伝わるケイジャン料理
      和平条約の後、ジョージ3世が国王宣言を10月7日に行った。これは新しくイギリス領となった土地の区分と行政の概略で、このうちの一部は、現在のカナダの行政とインディアンの関係に引き継がれている。インディアンにはアパラチア山脈の西部を居住地とするといった条項があり、西の境界の入植者の勢いが高まっていたこともあり[91]、この境界線はどう見ても一時的な足枷であった[92]。この声明には、カトリック信者のカナダ人の、公民としての参加を妨げる条項もあった[93]。1774年のケベック法による和解で、これらの諸問題は処理されたが、宗教に関しては、13植民地の多数のプロテスタントが、カトリックを大きく上回っていた。
      印紙条例に目を通すボストンの人々
      この戦争には経費が掛かった。特にピットの在任時には出費が多く1億4千万ポンドにも上り、その半分はアメリカ植民地の防御に費やされた。七年戦争により、イギリスの国債はほぼ2倍となった。国王は債務を支払うための財源として、植民地に新しい税をかけることにした。イギリス人は、この負担は植民地も引き受けるべきだと考えた。このため、13植民地に対し、1764年に砂糖法が施行された。これは砂糖のみならず、コーヒーやワインも対象となり、その後対個人の税である印紙法も施行された。[94][95] この新税の導入に対して、大規模かつ徹底した抗議行動が起こり、このため軍が出動し、総督府は何とか無事に仕事を遂行できた。これらの課税条例は最終的にアメリカ独立戦争の発端となった[96] 一方で、この戦争でフランスとの植民地獲得競争での優位を確実にしたイギリスは、植民地貿易の利潤をよりいっそう蓄積することが可能となった。このことは1760年代以降のイギリス産業革命を促した、数ある要因のなかのひとつになっている[97]。
      多くのインディアンにとって、北アメリカでのフランスの軍事力が失われたことは、強力な同盟の消失を意味し、イギリス支配でそれが埋め合わされたことは、彼らにとって最大の追い立てが始まることであった[98]。オハイオ領土は特に、法的、あるいは非合法いずれの入植地も攻撃されやすかった。ブラドックとフォーブズが、この地へ軍事用の道路を作ったからだった[99]。スペインはルイジアナの領土を手に入れたが(1769年まで正式な領土ではなかった)、戦争の反響が穏やかなのはここだけだった。イギリスがフロリダを手に入れると、ここの部族は西へと移動した。彼らはイギリス人と仕事をしたくなかったのだ。また、チョクトー族とクリーク族の、長い間の仇敵同士の反目を当時イギリスが利用したのである[100]。フロリダの支配が変わることで、この地の、カトリックのスペイン人入植者もまた移動した。大部分はキューバへ行った。彼らはサン・オーガスティンの行政のすべての記録を携えていた、しかし洗礼を受けたヤマシー族はメキシコの湾岸に入植しなおした[101]。
      フランス革命におけるバスチーユ牢獄の襲撃
      フランスは北アメリカの所有に関しては比較的わずかな価値しか認めず、砂糖を多く産出して利益が上がるアンティル諸島に関しては特に価値を見出しており、ここをどうにかして保持しようとした。条約締結代表のセザール・ガブリエル・ド・ショワゾーは、パリ条約ではかなりのことをしたと考えており、哲学者のヴォルテールは、ルイ15世はたかだか数エーカーの雪を失っただけだと書いた[102]。しかしフランスにとって、戦争での財政負担は王国の力を弱め、これが1789年のフランス革命の遠因となった[98]。この当時の啓蒙主義により、絶対王政への不信感が民衆の間に広まって行き、晩年のルイ15世統治下のフランスでは、オーストリア継承戦争からこの戦争および七年戦争の戦費と、ヴェルサイユ宮殿での豪奢な生活などによって財政事情がきわめて悪化した。ルイ16世の時代に入ると、アメリカ独立戦争支援のための出費があり、フランスの尽力で、アメリカはヨークタウンの戦いで独立をかちとった[103][104][105]。このため財政は継続して逼迫し、これを打開するため新税を導入しようとして全国三部会が招集されたことがフランス革命勃発のきっかけとなっている[103][104][105]。
      ジョージ・ワシントン(1776年) チャールズ・ウィルソン・ピール作
      北部にあったフランスの脅威が去り、イギリスは沿岸部の防衛をアメリカ植民地の民兵に委託した、そうすうることで、カリブ海に軍を送れたからだ。また、イギリスの軍事力はカナダのフランス植民地への抑止力であり、それがなくなったため、逆にアメリカ植民地の独立を招いたのだった。また、フランス系カナダ人の権限をかなり認めた1774年のケベック法施行も、イギリス系アメリカ人にとっては脅威となり、これも独立戦争の一因と考えられている[95][106][107]。
      1778年のアメリカ独立戦争時、フランスはイギリスに対してアメリカと同盟を結び、北アメリカに戻ってきた。この時フランスはイギリスに勝利し、これを歴史家のアルフレッド・ケイヴは「フランスは…モンカルムの仇討ちを果たしたのだ」と述べている[108]。