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相手が自分の気持ちをわかってくれないように、自分も同じように相手の気持ちそのままを理解できるわけじゃないんだよね。そこがわかるようになって初めて「ああそれは仕方の無いことなんだ」となんだか腑に落ちて治癒に向かっていきました。他人にわかってもらおうとする労力を自分をねぎらう事に向けたら見方が更に変わりました。私の場合ですが。
他人に理解してもらうことは、事柄にもよりますが、エネルギーは相当使いますね。その,エネルギーを自分の労りに使うことは冷静に現状を観る事ができそうです。素晴らしい❤
素晴らしい気づきです👏
患者さんの精神的苦痛が何処にあるかを想像しながら会話してくれる先生は良き先生だと思います。
他の人が当たり前に出来るのに、自分の能力ではどうしても出来ない苦しみとか、その事で他人から蔑まれたり、受け入れてもらえない苦しみとかは分かってもらえるのかな?とか思ってしまう。
最近先生の動画を見ていたら医師へ抱く期待度が変わりました。あらゆる医師に対して医師だって人間だしそんな自分と変わらないのかもと思って。医師を理想化しなくなりました。主治医にも過度に求めなくなりました。そう思えたら次は自分への過度な負荷もやめてもいいのかもと思えて。生きるのが楽になれた気がします。まさにラーニングゾーンにいれたらいいかもと思えるようになってます。
うつになり休職するとなったとき、「親マンション持ってないの?」「いい人いないの?旦那さん捕まえて養ってもらいなよ」など主治医に言われたことがあります。医学部に入れるほどの恵まれた環境にいたからそういうこと軽く言えるんだろうなぁと思いました。
その医師は、そういう環境にいたからはではなく、違う環境でもおかしいこと言う気質なのでは…。
若いときや辛いときは自分と同じ様な人、同じ様な境遇の人を求めてた気がします。同じなら分かってもらえると思いこんでました。ただ、そういうもんでもないし、そんな人はなかなか居ない、自分とは異なる人と付き合って生きていくもんなんだと大人になって分かりました。
「わかってもらいたい」というより「助けてほしい」んですよねー だからプロの手が必要 ✨動画ありがとうございました😊🙏
自分の親が自分の弱さを受け入れてくれる、一緒にいて安心出来るってガチャには当たって欲しかったのはある。
私は、父親がNGな人だった為に母親から愛されて此れ迄生きて来ました。その愛は台風のごとき消え去りまして、悩み悲しんだ時に1人の精神科医に告げられた内容は貴方の母親も同じ認識を持って生きて来られた人 だと言われました。全てを忘れ1から始めるには大変で…精神科医に依存する事を辞めました。
うちの親は、精神的な理解はほぼしてくれませんでしたが、経済面でとても助けてくれました。精神を患った娘のことを「理解」はできないが、せめて金銭面では不自由をさせないようにと考えていたようでした。若い頃はそれを「金さえ出せば自分たちの無理解が許されると思ってるな」と思っていましたが、今はとても感謝しています。精神疾患の私にはとても稼げないような額を、入院費として何度も出してくれましたから。いまでも、彼らの心ない言葉で傷つきますが、「弱さを受け入れる」ということは、こういうことでもあったのかなと思いました。
タイトルは益田先生が患者さん(または視聴者)に言われることを想定してつけたものなのに、そういう意図を汲めてない人があまりにも多すぎることに驚いています…だからこそ精神疾患なのだけど…本当に他人のメンタルケアを仕事にするってすごいことですよね。心から尊敬しています。
分かるほうが問題なんじゃないのかな。分からないから意見の違いを許容出来るのであって、分かる当事者同士だと自分の意見を唯一無二の真実だと主張して殴り合ってしまいそう。
つまり先生は、患者の苦労を全て判るほど苦労はしてないけど、それなりに生きて来て得た精神的な経験値と、医師としての専門性を持って、患者さんに出来るだけ寄り添おうとしてくれているんですよね?「何が分かるんですか?」と言われれば、(発達障害者の経験した苦労なんてほぼ定型である先生方には想像を超える部分がある訳だから)全ては分からない、と認めてらっしゃる笑良いお医者様だと思います。医師はマラソンで言えば水を差し出したりアドバイスもする伴走者かもしれない。5分とかだけど😅で、患者ランナーは自分の足で走らないといけない訳です。その感覚を持っている事が自立かと。この感覚、追い詰められた精神状態の時は失ってて、つい医師にすがってしまう。これを医師が振り解くのは、乱暴じゃダメだし、且つ何とか自分の足で走らせないとならない訳だから、先生も疲れるでしょうね。私は今は担当医師には正直に感情を吐露する様にしています、知り合いに愚痴る感じで。特別に深い信頼関係とか、そんなに築かなくてもいいかと。無理です他人なんだもの。その方が医師も話し易いみたい。期待が邪魔して、こうなるまで一年近くかかった💧
少し違いますが私にとってとてもタイムリーな話です。うつの友人に似たようなことを言われました。友人の一つ一つの選択が本人をいずれ追い込むことになる事が多く、さすがに眼をつぶれない出来事があり自分の意見を言ったら、彼女の不満が溢れてきました。それがとても理不尽で、彼女にとって良い友人とは、彼女の話を一緒に泣きながら聞いてくれる、辛い経験を沢山してきた人なんだそうです。今彼女の病状が悪い事にも同時に気付きました。
これくらいはっきりわからないって言ってもらった方が、話しやすい「貴方の気持ちわかるよ」って言われたら、「僕の気持ちがわかって溜まるか」ってイライラしちゃう
めちゃわかりますそれ
@@otonasalon あるあるなんですかね?共感ありがとうございます!
@@LowLess_ 相談した時に、「貴方の気持ちはわからないけれど、少しでもその気持ちに寄り添いたい」って言われた時は嬉しかったなぁ
@@magicalvia とてもいい言葉選びですね!素敵だと思います!
福祉の力を借りてですが、一応自立した生活を送り、調子の良い悪いの波はあっても近頃は自分で対応できつつあります。2週間に一回通院するのは、私にとってお守りみたいなものです。信頼できる主治医と数年前に出会って、診察のたびにその時に応じたアドバイスや薬の処方をしてもらい、安心感を得ています。これからもっと信頼関係を深く保ち、通院を続けていきたいです。
同じ人間じゃないんだから、100%分かる訳ないと思う。それは一卵性の双子であっても価値観とか物事の感じ方は違うんだし。だからこそ相手に対しての思いやりを持つ事が最低限必要だと思う。それは医師だからとかじゃなくて、全員だと私は思ってます。
苦労していない人はいないと思う。究極、他人の苦労は分からないと思う。それはいいけど、安易に他人に「甘えるな、もっと頑張れ、現実はこんなもんじゃないんだ」とかいう人は苦手。貴方は誰なんだ、という気持ちになる。それと同時に落ち込む(そういう類の言葉を聴いて、「なにくそ!と奮起してみろよ」と言われたことがあったけど、そうはならなかった)。
(宿題)助けて欲しいモードだと助けてくれない気がする。もういいや自分でどうにかするわってモードになると見える景色がかわりますよね。これが自立なんでしょうね。そういうときの精神科医への質問は、人対人で心地いい感覚がありました。質問すると必ず自分とは違う視点で答えてくれる、私にはこれがお得感ありで面白かったです。
益田先生は言語化するのが本当に上手で尊敬します。やっぱり頭のいい人はすごいなぁと思います笑タイトルのようなことを思う気持ちもよくわかります。だって実際5分診療で時間も限られてるしそこで深いった話もなかなかできない。所詮人のことなどわかるはずもないとそう思ってしまうことも理解できます。私もうつ病で不安がすごかったですが、それを主治医が的確な言葉を投げかけてくれて救われたと思うことは正直なかったです。助けてほしい聞いてほしい分かってほしいと自立していないかもですがそんなふうに思ってしまうのも分かります。ですが、もっと違うように捉えるのも必要かなと思います。5分だとしても自分のことを気にかけてくれる時間があるという事実、そして少しでも言葉をかけてくれる事実、それを感謝しなければならないと深く思います。それは精神科だけではなく、そういう機関だから診てくれて当たり前と思わず自分のために動いてくれる人がいるということを有り難く感じると心が軽くなります。嬉しくなります。益田先生もそうです、精神疾患患者のために日々奮闘してくれてる先生がいることがとても支えになります。分かる分からないじゃなくて分かろうとしてくれる人がいる、気にかけて言葉をかけてくれる人がいる、それに感謝することはとても大事なことだと思います。分かってくれないと嘆いても現実良くなっていきません。結局は自分でどうにかしていかなきゃならないなら、少しでも手を貸してくれている人に反発してる場合ではないのかなと思います。これからどうよくなってくか、このまま薬を飲んでいって大丈夫なのか、先生にもわからないかもしれませんがそういった不安に思ってることを聞いてきました。言っても分からないと言われるかもしれないと思わず、不安なことは何でも聞いてみるといいと思います。
人はみんな違うので全く同じこと理解してほしいとは思わないけど、なんかときどきすごいこと(上から目線とか?)を弱った患者に追い打ちかけるみたいに言うお医者さんもいるみたいで精神科はなかなか敷居が高いなと思ってしまう。
主治医にまるっきり頼る、というよりも自分で考察し調べたり勉強したり実践していく中で服薬や軽いアドバイスなどが欲しくなった時に力を借りる、という形で落ち着いていますね結局は自分自身が問題を理解し内的に変化していかないと治療が進まないというのが根本にある気がします
精神科医が苦労をしてきたか否かで治療が変わる事はあると思います。順風満帆な人生の中で医師になった場合は患者さんの苦労を分からないで治療をすると思います。医学的知識だけでは治療は不可能だと感じます。患者さんは傷付いているので他人の気持ちを察する力があると感じます。医師が自分をどう捉えているかを感じ取る力が冴えていると感じます。この医師に話しても分かってもらえない、だけど、あの医師に話すと分かってもらえたという違いを感じ取るので、主治医を選ぶ事が重要になります。自分の治療が好転するか否かに掛かってくる大きな決断を患者さんはしていらっしゃいます。ただ、短い会話をして薬の処方箋を出してもらって帰るだけなら、回復はしないと思います。精神科医に話す事とアドバイスを貰える事と次回の診察まで頑張って生きる事が出来なければ精神科医の存在は無意味となると思います。患者さんにとって貴重な時間が精神科医との診察時間となっていると思います。お得か損かは、患者さんが感じ取る事だと思います。お得だと感じる患者さんは回復も早いと感じます。自分が精神的に自立するために頑張れる環境とは、主治医と患者さんとの信頼関係、患者さんと御家族への安全な医療の提供だと思います。益田先生、解説ありがとうございました。
精神科医って大変だと思うけど・・・。私には絶対できません。
お仕事として淡々と科学的分析して下さる医師なら良いのですが、道徳的説教カマして仕事した気になる方も……それってアナタの趣味でしょ😂って言いたくなるモラ夫医師を引き当てちまった
人から「苦労をしていないあなたに何が分かるんですか?」って言われてしまうのって、相手は苦しさを吐露したいのに、それをさせないこちら側のコミュニケーションがあるのではないだろうか。
それはそう。優しく「理解する意思」「共感する意思」そういう姿勢を見せれば言われることはほぼ無い。
宿題】自立している時に精神科医に求めるものは、自分の認知が歪んだ時に軌道修正してもらうこと。もう一つは、次の診察までに得た気付きを医師が壁打ち役となり、傾聴してくれること。この2点です。
一人ひとりの辛さは様々な状況から起きてるから、精神科受診してすぐに解決はありえない。だから、自分の味方になってくれそうな人をとにかく増やして少しずつ前進するしかない。子どものことで悩みスクールカウンセラーと定期的に話しているが、1年経てやっと気づいたことは、このカウンセリングは、親が思考を整理するためだということ。初めは何も解決しないじゃんと思っていたが、物事はそんなに早く解決なんてしないし。少しずつ周りに頼りながらと思えました。
精神科医以外の、今まで周りにいた人たちって、益田先生がよくおっしゃる「森の外」にいる我々が、自分の家庭のことや親に抱く感情のことを話してもまったく信じないとか、否定するとか、こちらの感情について説教するとかしません?なので、私はむしろ「自分みたいなマイノリティは基本的に他人に分かってもらうのは無理だ」というのを大前提として暮らしてます。なので、まず一般人に対して分かってもらおうとして話すことはしません。精神科医に対しては、「この人は親にこういう感情を持っている」「この人は親からされてきたことでこういう価値観になっている」と患者が述べたことは、とりあえず事実だという前提で話を聞くはずでは?という仮説を持っています。なぜなら生育環境とか関係なく、そもそも「病気が、感情を起こさせる」なんてことはあるわけだから、精神の病気を診る立場の人が「親がそんなこと言う訳ないでしょ」なんてあしらって、説教してたら治療どころか診断もおぼつかないはずなんで。なので、こっちが抱く感情と同じ感情を実際に体験してくれる訳ではないんだけれど、そう思ってるんだね、という風に前提条件として飲んでくれて、その次の話をするというのに付き合ってくれるのが精神科医じゃないかと思ってます。他人に理解されにくい系の感情や価値観を他人に話すのは嫌だから、普段は話さないようにして暮らしてますが、診察では必要だから渋々(?)言う訳です。話した結果、否定してこないので、自己開示嫌いの私でも案外気持ちが楽ですね。それだけでも価値あるかも。そして問題解決法として薬を使うのか、気持ちの整理をするのか、CBTを取り入れるのか、医師ならではのメニューを提示してくれる人でもありますよね。患者さんが苦しんでる原因を見立てて、苦しくなくなるための最適解の仮説を出してくれるというか。そういう作業には、患者と医師の生育環境や家庭環境の違いなんて関係なくて、ひたすら医学の知識が必要なだけなんで、主治医がお金持ちのボンボンだろうが、こっちと段違いに頭が良かろうが、どうでもいいかなと思ってます。と、私は楽観的ですが、あまりにも医師と違う環境すぎて患者さんの言ってることが分からないこととかあるんでしょうかね?臨床医って色々な患者さんと接するので、恵まれたご家庭の方としかお付き合いのない職業の方よりも、世間がバラエティに富んでいることをご存知だと思いますけどね?あと、自分が精神科のお世話になるメインの理由はADHDの投薬なんですが、ADHDで起こる困り事の工夫についてのヒントをもらうのに、精神科医を使うことがあります。ネットや本でも色々探してますが、しっくりこない、うまくいかない時は他の患者さんがやってた方法とかの情報があればいいなと。まぁ、発達に強いという触れ込みの医師ではなく、ADHDの臨床経験は多くはなさそうなので、なんか聞ければラッキーくらいで期待せず聞く(笑)って感じです。
精神科をそんなふうに利用すると聞いて、目から鱗ですどう利用するか😕人に言えないような疑問とかを聞く?ちょっとした成果を報告?分からないけど、そうするかもしれません
非常に興味深い内容でした♪哲学・社会学・心理学・宗教・歴史・医学などが絡み合う展開に腹落ちした感があります。体験・経験・学習・実習を絡み合わせて行くことで、イマジネーションが鍛えられて気づきの質が高まることを実感できたかも❤
益田先生の動画で学ぶ→疑問をAIに聞くを繰り返していたら、50歳にしてようやく自立しました。診察に行くのは散歩と眠剤のため。それも大切なこと。
正直な先生はなかなかいません。向き合ってくれて感謝してます
僕も今は、正解を探しているうちは自立できていないと考えています。有りものを組み合わせて工夫し、完璧ではない結果を受け入れて、やりくりする事が生きるという事なのかな、と考えるようになりました。生きていると、問題の質が変わったり、処理しきれないほど大量の問題に遭遇したりするので、一時的な出来事なら、相談して薬を処方してもらう、永続的な出来事なら、学んで自己変化して問題じゃなくする(状況ではなく自分を変える)という事なのかなぁと自己変化をし始めています。サイン会をキッカケに「こころの治療メソッド」を読み始めた影響だと思います。トーク会は活字よりも分かり易いので、とても助かりました。
人生は、山登り、レールの上と同じという お話は共感しました。焦って登れば上手くいかないし、無理に決められたレールの上を皆と足並み揃える事に頑張れば上手くいかないと思いました。山もレールも、ゴールがいくつもあって どの道を選ぶか、どこでしっかり休憩を取るか宿泊期間を取るか、計画を立てて、無理をしないで、他者のペースに巻き込まれないで、遠回りでも、遅くても、ゴールに辿り着く事だけに集中して前を向いて進む事だと思いました。予定外の事も想定外の事も、山登りも、レールの上も、人生も同じく、起きますから、慌てない事、困った時は助けを借りる事、助けて貰えたら恩返しする事、1人では頑張れない事は沢山あるのだから、お互いに助け合う事を学び合いながら共存して 共に 与えられた環境の中で 無理をしないで生きる事が、人生なのだと感じます。病気の治療中は、同じ闘病仲間から励まされたり相手を励ましたりする事で 暗闇の中に一筋の光を見つけらる事もあると思います。闘病仲間でも 相性が悪ければ、お互いに近づかない事も、治療の効果になると思います。良かった事も悪かった事も、全ては人生の学びとして、自分の力に変えていく事が出来ると感じます。医師は患者さんから学び、患者さんは医師から学び、お互いにプラスになる関係が、安心出来る医療だと思います。益田先生、解説動画 ありがとうございました。
このコメ欄みるだけでも精神科医の大変さわかる😂
おつかれさまです😊ありがとうございます♪
わたしにとって精神科医とは、脳疾患を抱えて人より生きにくい自分が、世間で頑張って、ダメになったら避難できる、しかも多くを語らずとも必ず味方になってくれる、安全基地だと思っていますよ。時間と場所が限られているからこそ、わたしが相手に無理な負担をかける危険性も少ないし、何よりアトムやアンパンマンに帰る場所があるように、脳の修理をしてくれます。帰れる安全基地がある、とわかっているからこそ、自分はまた挑戦できる、と自分を信じていられるのは間違いありません。13年、伴走してくださった主治医は亡くなって、とても寂しいけれど、3年かけて3人通過して、やっと安心して話を聴いてもらいたい医師を見つけました。13年の主治医とは別人だけど、安全基地の設置は叶いました。脳疾患の苦しみと困難さをより知っているのは、やはり家族ではなく精神科医だと、何度も思わされています。どんな分野でも、専門知識をもち毎日修練を積んでいる専門家の仕事は、美しく、感動的です。
病院にも通ってるし益田先生の動画もたくさん観て勉強しているのに双極が全然なおらずに、逆に年々増している気がします😢
既存の概念やレールのみを信じるのではなく、自分の力で新しい価値観を生み出す力が重要だと感じました。
【宿題】今、親と同居してて結婚前提で付き合ってる彼氏もいて精神疾患を患ってから、色々考えてる時に成功体験の一つとして自立して一人暮らししたいという自立心が生まれました。彼氏もそうみたいで、最近本気で話し合いました。私がここまで至ることができたのは益田先生の動画やチャットGPTはもちろん、精神科のカウンセリングを利用して一緒にどうしていけばいいか考えました!(今抱えている問題の優先順位等も考えながら)おかげで解決?しています!ちょっと文章ぐちゃぐちゃかもだし、宿題になってるかわかんないけど書いてみました😊
医師になる人が高い問題解決能力を持っているのはわかるけど、「ゾーンに入りやすい」ってどういう意味なのかさっぱりわからない
自立ってなんだろう?と昔からずっと思ってます。経済力?精神力?物理的?全部?精神疾患を抱えると全部の自立は非常に難しくなります。健康な人でも普通にクリアすることは難しいです。精神科医には、患者の自立をサポートしてくれる形であるとうれしいです。自立って人生の宿題みたいなものと思っています。ちなみに精神科医は並大抵の精神力では絶対になれないと感じています。
率直に先生がテーマにしてくれることでよくわかります。主治医にもそういう気持ちを持ったこともありますが、お医者さんには同調やわかってよ!という気持ちではなく、私としては他人は所詮人の気持ちを全部汲み取ることは医者だからできるわけでもないので、手助け(お薬やカウンセリング)でお手伝いをしていただいてると思うようになりました。
わかってしまったら先生も患者になるだろ。
宿題違う視点からの考え方を教えてもらうために行っていることを意識すれば、お得なのかなと思いました。主治医の意見やアドバイスを聞き入れる素直さが、大事なんだと思います。
実際、益田先生のユーチューブを見て知識がたまってきたら、「なるほど、仕方ないことなのか」と納得できるようになった。水の中でもがいていたけど、やっと水面で一息つけるようになった。そして医師を正に精神科知識の多いおじさん的に感じるようになり、自分の苦しさを議題にして話せる場所に診察室が変わった。自分の苦しさは変わらず続いているけど。
この動画に限った事では無いですが、回答困難な疑問に向き合って頂ける事素晴らしいと感じます断定はするけど可能性は限定しない話し方に先生の人間性と言うか患者との親和性と言うか何かを感じます
トライアンドエラーの蓄積量が圧倒的に違う一般的な人は深いトラウマ、ちょっとした悩みなど多くて20種類くらい先生は毎日そんな患者さんを見てきた、治してきた経験と実績が有るから自信を持って寄り添う事が出来るんだと思います。
あなたに私の何がわかるんですかって言う人は内心、「喜びも苦しみも悲しみも、全てを共有し合いたい」「少なくとも私の全てを理解してほしい」って他者に望んでる人だと思う。でも、そんなことは不可能。少しでいいから苦しみを理解してくれと寄りかかるのは場合によっては問題ないけど、全体重をかけるようにしたら相手は当然引くし、受け止めきれず押し返してくる場合もある。最初はそういう反応をされてショックを受けると思うけど、少しずつ慣れていって、「ああ、全ての苦しみを共有し合うのは無理なんだな」と良い意味で受容できるようになればいいと思う。自分はそうやって良い意味で諦められて、他人にそこまで期待せず、自分の好きなように生きられるようになった。
こんばんは。主治医はこだわりのある人ですが。一人暮らしするときに力になつてくれ、今もサポート受け味方だと思います。自立が完全にできてるわけではないですが。将来的に薬やびようきのメカニズムなどおしえてもらおうと思います。
医学部に受かって卒業して医師国家試験に受かるだけでも相当苦労しているのでは?と思います。
宿題:仕事や家庭でストレスを感じた時、心の負担が大きくなる前に精神科やメンタルクリニックを利用すると、早期に対処できて気持ちが楽になるかもしれません。セルフケアやメンタルヘルスの知識をさらに深めるために、500円で専門家のアドバイスをもらうこともお得なように感じます。精神科やメンタルクリニックは、病気になってから行く場所というイメージを持ちやすいですが、心のメンテナンスとしても良いように思いました。
私たちは難関を抱えている。だから医師にも分からない。そうですよね。そして自分で歩こうと決めた後であれば精神科も有用なのかも知れないですね。通院ドロップアウトした私に何か言える立場じゃないかも知れないですけど。
益田先生が言う自立をした人間ってどんな人ですか?(どういう意味)自分は子供の頃から周りに自立した人が居ないのでどんな感じなのかよく分からないです一人で生きていける力があれば自立ですか?
お互いに何かしら理解できる部分があるからこそ、自分って人間が誰かと話をしたりっていう行動するんだと思う。苦労とか困難って言葉が出て来る時点でもうすでにすべて、人間の様々な豊かな感情や気持ちが凝縮されている気がする。仏教でもよく人生の困難さ、苦労を受け入れて自分の心を見つめ直すみたいなことを言っていますね。現代にも十分通じることだと私は思います。たとえ、もし自分が感じている人生の困難さを上手く受け入れることができなかったとしても、不器用でも諦める道を選んだとしても、他の道に行くという選択の困難を乗り越えた先に何か希望が見えたらいいですよね。相手の訴えていることがどういうことなのか、しっかり長い時間をかけて考えた末にわからないことも時にはあるってことが、私にも大変よくわかります。益田さん、これからも心から応援していますね*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭*🤍益田さん、今日もほんとうにどうもありがとうございました*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭*🤍ありがとう🤍
私の場合、自分の病気を理解し、それと同時に過去から現在の自身と向き合い弱さを認め、過去の自分を許すことで、少し前へ進めました。でも、それでもなお苦しい日がある。それになれるまで何度も自分と向き合う。そのうえで、自分は今こうゆうふうに感じるようになってきましたが、先生はどう思いますか?と尋ねて医師目線ての意見を聞いて自分が今どの立ち位置にいるのか知りたいです。結局、病気を治せるのは自分自身だと思うけど、その過程で、医師や家族のアドバイスが必要。それが自分の求める言葉じゃなかったとしても自分のものにして学んでいきたい。
「経験を大きくしたり小さくしたり、加工したり」益田先生の頭の中では、そうなっているのですね。共感力の高い人もいれば、そうでない人もいる。そんなふうに考えられる人ばかりではないですね。それは、医師ばかりでなく患者側にも言えること。その考え方は、他者を理解する上で私にも活用出来そうです。
私が行っている精神科の先生は何か困り事を相談しても「まぁみんなそうだよ」で済ませる世間話してるんじゃないんだから、ちゃんと診察してほしい
難しい😓です…助けたい🆘けど、助けられ無いと言う、状況…
進みたい方向性(仕事する、障害年金で生活する、意欲的になりたい、痛みをとりたいなど)を決めて、現状報告とともに要求する。そしたらリスクとリターンを計算して医師が薬を選別、増減したり、アドバイスしてくれたりするのではないでしょうか。方向性を決めるまでがめちゃくちゃ時間かかるし、それが一番大変かも。
医学的知識・症例を沢山診てる視点から、分かることを伝えてもらって、患者の気づきや安心に変われば、それで良いです😊ただ、医師が個人としての意識にとらわれた時に、患者側を巻き込むことがない防御対策はしていただきたいです。上手く言えませんが。。医師の役割・提供されるものって、途中から私の捉え方も違ってるかもって思って変わりました。(それは、「期待」じゃなくて、認識の違いというか)社会復帰や社会と関わる時期(≒自立?)になると、人付き合い・社会性が高い医師の方が、意思疎通がしやすそうだから、私は良いかな〜て思います。低くてもアドバイスの視点が、医師だから言えることだと、前に進めそう。精神科医は必要な存在ですが、精神科医の中でもばらつきがあるのも現実なのかも〜てなんとなく思います😢
全く同じ環境の人、同じ病気でも人によって感じ方や考え方は多かれ少なかれ絶対あるので、私は誰かに全てを分かってもらおうとは思わないかな。他人をどうこうよりもどうやったら昨日より"自分は楽しい"か、昨日より今日少しでも症状が良くなるか考えたいところ。お医者さんはあくまでお薬をくれるところ。お薬はお医者さんしか出せないので。お医者さんに言って相談できた自分を褒める。
他人の苦しみは例え自分も経験していたしても、理解するには想像するしか方法はないです。5 分診療をふるにいかすには患者も知識を蓄えないとならぬのです。しかし病気を抱えている身には大変な労力です。時間が足りないのは日本の良くできている皆保険医療制度の大きな欠点ですね。
精神科医は脳の誤作動を調整してくれるだけ。自分の運命に納得できる理屈は自分自身で構築するしかないのだ。
私の中で自立とは、どんな相手でも敬意を持って接する人、柔軟性を持つ視野の広い人ってイメージだったけど大多数の大人は視野が狭く偏った考え方してる人が多い印象ですね😅だから、悩んで助けに来た患者さんへ薬とアドバイスでより良い選択肢を提供するお仕事と思いますた😮
そんなこと思わないですよー😂そういう意見もあるのね。
山登りの例は良い例えですね
ゾーンに入るのに、私は汗をかくのが効きます。血のめぐりが良くなって、体が温まると、整います。主治医の先生が、貧血から精神疾患を招いた、と聞いたので心の具合も、体の調子が影響してると思います
タイトルでくっそワロタw
さすがに煽りすぎよね笑
益田先生自身言われたことありそう()
精神科医に対しては、「俺の話を聞け!」という気持ちはありますが、自分の気持ちまで分かってもらおうとは思いませんが、とにかく話を聞いてもらいたい気持ちはあります。
私は、自立出来ているかは分かりませんが…今のドクターが、私を一女性と見てくださって(変な意味ではありません)自分のリスクを顧みず妊娠、出産を背中を押してくださったことに大変感謝しています。今の私は娘の存在がなければこれほど安定した精神状態を保てないと思っています。(赤ちゃんの時の生活は戦争ですが)精神科の先生というよりは、子育ての先輩として人生の先輩といったかんじで…お話伺っています。
嘘をつかないのは良いこと
面白い。真理を言っているような。人は楽に一度の変化で一気に解決しようとするけど、日々の積み重ねが一番の近道であって。ブッダも同じような事言ってましたね。
精神科医は他の科より大変ですよ~😱💦先生がメンタルやられないか?心配しちゃいます😢
医者は患者の気持ちは理解できなくても解決する方法は知ってるので限られた時間でその情報を引き出すために、自分の状態を伝える準備をする通院はプレゼン発表のようなものだと思ってます
わからないかもしれないけど、寄り添ってくれる。これ以上に大事なことは無いと思うけど。偉そうに文句いってる人は、他人の気持ちが自分のことのようにわかるとでも言う気なのかな?
話をして気付きを得ることができるレンタル相談相手のような使い方がよきかなと
私は逆に他人の弱さや恵まれなさを理解したくないです。理解しろ、配慮しろと言う側は相手のことを理解したり、配慮出来てるのかな?とも思うからです。お互い様ですよ。
私は、話を聴いてくれて、頷いてくれる場所が、あるだけでもいいと思う。精神科の先生も人間。魔法使いでもなんでもない。本当に、解らないものは、解らない。逆に、解ったように綺麗事を言う方が、あとから考えたら、残酷だと思う。
真の自立をしてるかはわからないけど、私はうまく精神科を利用できる域にまで来たのではないかなと思います。言われてみればお得ですよね、通うのがしんどい時もあるけど、これからもうまく利用していきたいです。
精神科の医師に何が分かるのか?あまり考えたことがない。医師は客観的に私を観ているのだと思う。薬は助け。結局自分のことは自分で決めるしかない。受診すると気持ちが軽くなり、また歩いていけそうな気がする。
いじめられたことくらい誰にでもあると思ってたわ
精神科の先生は、生活をサポートしたり、問題を解決をしてくれる役割の人ではないと思っています。症状を診断して薬を出してくれる人と思っています。ただ、努力しても状況を改善する手立てがない人に、怒る医者の人がいたので、お金払って来てがっかりしました。
これは医療従事者・福祉関係に携わる人の課題の1つ人によっては上から目線になってしまう人もいる絶望の中生きている病人相手だから思いやりを持って欲しいなあと思います。どうしてもビジネスライクになってしまう
はじめまして 増田先生いつも楽しく拝見してます 私もコメントして見よう思います 私は自立しているとは思うのですけど 主治医の先生には期待してないし 薬にも期待していません。増田先生どう思いますか?
わかってないなあ苦労じゃなくて才能ガチャ成功で決まるのが許せないのよ
才能もそうだし、子供時代に安心出来る家庭環境や、信頼出来る人間関係で過ごせられるかってガチャも結構大きいと思う。
苦労と思うのは自己犠牲的な感情が多いからじゃないかな。
色々と拝見させて頂いて、勉強になり。ありがとうございます。可能でしたらリクエストしたのですが、イジメを受けた経験を思い返した時に感じた違和感なのですが、イジメが起きている現場の光景を思い返した時に、イジメで攻撃している人、傍観したり笑ってみている人、イジメを受けている人の脳の状態が異常があったんじゃないか?と感じました。イジメで攻撃している人、傍観したり笑ってみている人には脳内麻薬のような理性が弱まる脳内物質の分泌があったんじゃないか?イジメを受けている人はパニックになるような判断能力が落ちる問題が起きていたんじゃないか?という現場の全員が異常すぎてストップできないなにか?があるように恐怖がある感じで引っかかっています。もしも可能でしたら、よろしくお願いいたします。
泥臭く、していくしかないし、山登りは誰でもきつさはあるし、レールも、そうだなと分かった気がします。問題解決するって、問題に気付いて、しっかり向き合って行動することで。それは、つらいので、ネガティブになったら楽観して、乗り越えるのかなと思いました。そのうち慣れるのかな、と思います。
ぼくは主治医に何度言っても全く退院させてもらえなかったから、そのときは「権力者!」とか大声で叫んでいた いまでもまるで子ども扱いだ 新しく問題が起きたこともあり自立しているとはいえないけれど、ときおり個と個として向き合って(くれて)いるように感じる それは確実に歩みを進めているのだ
ガチャ成功している少し残念です
ここでいう「自立」って、どういう状態を指しているんでしょうか?多分、益田ドクターの言うことですから、「不安やトラウマに支配されず、自分の意志で学習して成長する状態」を指すのだと思いますが……私は今3ヶ月に一回、クリニックの外で学んだことをアウトプットする場として通院しています言いたいことは絞ってなるべくまとめるようにしていますが、3ヶ月も毎日勉強し続けたことを5分でなんて話しきれないんですよね……主治医は1聴いたら過去の患者の話をそこから繋げて10わかるみたいな感じなので、それでも不足ないとは思いますが、、どうしても駆け足なので、もう少し聞いてほしいなと思ってしまいます
プラレールみたいな感じでしょうか。所々で自分で修正していけますね。
サムネの題は、しがみつく心理なので、これは医学より依存とか嗜癖行為で考えないと、お互いに平行線になるし、こういう発言を医者またはご自身以外のひとたちに発言しなければ、心の平穏が保てないことが問題にしておかないと、精神科医がつぶされることや精神科医から攻撃されなくなることとかが、いじめられなくなるということであるので、益田先生がおっしゃるかたちとはわたしは違うと思います。よってこの発言は、精神科医だけではなく、自助会の当事者に対しても、あなたたちはこんな苦労をしたことがないのになにがわかるのにもなるので、わたしはとらえ方を変えないと堂々巡りが結果的に現状を大きく変わることにはならないから、こころの傷が深くならないというとらえ方でこころの痛みを防げるという成功体験にもなるのでね。
益田先生へ宿題ですか。自立することを自覚できるときは、寛解かメンタルクリニックに来なくなる場合があるから、お得とかの問題にならないと思います。まず、自立の定義ですが、関わる親の精神的負担や経済的負担なとがきれたり、関わる親の介護の面倒の保障ができることが自立と考えるなら、この自立を望む限り、患者さんは心を守るために、自傷行為や関係性トラウマの被害者モードで、トラウマに支配されることが多くなるので、自立という段階にいけないと思います。2つ目、ご自身に、安全基地や他人をしんじても
問題解決の過程は定型者と変わらない。しかし疲労困憊で寝込みます。それだと生まれてきて良かったを感じることなく問題解決だけの人生で終わります。森の外の人間として生きるとき、中の論理はそんなに必要ですか?複雑な人間関係も捨てたし環境整えて社会を傍観しながら生きてるだけだから悩みはないです。ただとにかくひとより疲れやすいのです。
今の先生に思うのは理解してくれなくていいから先生が悪い時に限って謝らないで上から凄んでくるから人間としてむり苦手😂ww医者としての知識は凄いのにほんと人の話聞いてないから先生の勝手な思いのままおわる😂
私の場合は、精神科の先生は習い事の先生的な感じでしょうか。ずっと独学でやってきたけど、上手くいかないので専門家に教えを乞いに行くような。自分では分からない自分の歪さ、おかしな癖を教えてもらい、それは個性としてOKなのか、直した方がいいのか、客観的な意見をいただく場所という感じ。
あまりにも共感力ない人が多いからわかってほしいなんて思わなくなりました。手帳のために精神科に行っているだけなので他人事のように困りごとは話します。人との関係は知人までで十分です。働いていないのでボランティアして交流するぐらいで孤独感は消えます。友達関係になってしまうと共感力のなさに失望してしまうのでいらないです。
精神科医に苦労はつきもの なんでこのタイトルか疑問ですね。😮
大丈夫😂?? 少なくとも私の主治医はかなり苦労してきたはず。
自分の症状が大したことがないせいか漢方を処方されて様子見判断されます。
知識として社会の底辺の事情は、ある程度知っておいた方が良いかもなって思います。派遣で働いてたと言っても、工場の派遣は只の下請け会社だった時期があります(小泉父による)。つまり派遣先が一件だけ。それを説明しても、私がおかしな事を言ってるのか本当なのか判断しかねる様子でした。更に年齢を言っても信じてくれず免許証を見せたけども、保険証を提出してるのに嘘を言う意味ないし。遺跡発掘の仕事をしてたと言っても、失礼ですがそれは職業ですか?って、これは仕方ないけども、初対面の人にそんなん言われたのは初めてやし。失礼ですが学歴は?だって何を判断してるのかなって少し疑う。これらは全部一人の医者。ASDと診断されたのは別の所。この病院では門前払いされただけ。これだけなら別に腹は立たなかったけども、扉は開けっ放しで女性の助手のような人がずっと見てるし。躰デカいだけで危険人物と思われたんかなって。可愛い系男子 当時40歳やのに。声を荒らげたりしてないし最初から開けてたし。その後も追い返したい一心かって思うような扱いでした。
最近バズり意識してますね!
そういう人じゃない
相手が自分の気持ちをわかってくれないように、自分も同じように相手の気持ちそのままを理解できるわけじゃないんだよね。
そこがわかるようになって初めて「ああそれは仕方の無いことなんだ」となんだか腑に落ちて治癒に向かっていきました。他人にわかってもらおうとする労力を自分をねぎらう事に向けたら見方が更に変わりました。
私の場合ですが。
他人に理解してもらうことは、事柄にもよりますが、エネルギーは相当使いますね。
その,エネルギーを自分の労りに使うことは冷静に現状を観る事ができそうです。
素晴らしい❤
素晴らしい気づきです👏
患者さんの精神的苦痛が何処にあるかを想像しながら会話してくれる先生は良き先生だと思います。
他の人が当たり前に出来るのに、自分の能力ではどうしても出来ない苦しみとか、その事で他人から蔑まれたり、受け入れてもらえない苦しみとかは分かってもらえるのかな?とか思ってしまう。
最近先生の動画を見ていたら医師へ抱く期待度が変わりました。あらゆる医師に対して医師だって人間だしそんな自分と変わらないのかもと思って。医師を理想化しなくなりました。主治医にも過度に求めなくなりました。そう思えたら次は自分への過度な負荷もやめてもいいのかもと思えて。生きるのが楽になれた気がします。まさにラーニングゾーンにいれたらいいかもと思えるようになってます。
うつになり休職するとなったとき、「親マンション持ってないの?」「いい人いないの?旦那さん捕まえて養ってもらいなよ」など主治医に言われたことがあります。
医学部に入れるほどの恵まれた環境にいたからそういうこと軽く言えるんだろうなぁと思いました。
その医師は、そういう環境にいたからはではなく、違う環境でもおかしいこと言う気質なのでは…。
若いときや辛いときは自分と同じ様な人、同じ様な境遇の人を求めてた気がします。
同じなら分かってもらえると思いこんでました。
ただ、そういうもんでもないし、そんな人はなかなか居ない、
自分とは異なる人と付き合って生きていくもんなんだと
大人になって分かりました。
「わかってもらいたい」というより「助けてほしい」んですよねー だからプロの手が必要 ✨動画ありがとうございました😊🙏
自分の親が自分の弱さを受け入れてくれる、一緒にいて安心出来るってガチャには当たって欲しかったのはある。
私は、父親がNGな人だった為に母親から愛されて此れ迄生きて来ました。その愛は台風のごとき消え去りまして、悩み悲しんだ時に1人の精神科医に告げられた内容は貴方の母親も同じ認識を持って生きて来られた人 だと言われました。全てを忘れ1から始めるには大変で…精神科医に依存する事を辞めました。
うちの親は、精神的な理解はほぼしてくれませんでしたが、経済面でとても助けてくれました。
精神を患った娘のことを「理解」はできないが、せめて金銭面では不自由をさせないようにと考えていたようでした。
若い頃はそれを「金さえ出せば自分たちの無理解が許されると思ってるな」と思っていましたが、今はとても感謝しています。
精神疾患の私にはとても稼げないような額を、入院費として何度も出してくれましたから。
いまでも、彼らの心ない言葉で傷つきますが、「弱さを受け入れる」ということは、こういうことでもあったのかなと思いました。
タイトルは益田先生が患者さん(または視聴者)に言われることを想定してつけたものなのに、そういう意図を汲めてない人があまりにも多すぎることに驚いています…だからこそ精神疾患なのだけど…
本当に他人のメンタルケアを仕事にするってすごいことですよね。心から尊敬しています。
分かるほうが問題なんじゃないのかな。
分からないから意見の違いを許容出来るのであって、
分かる当事者同士だと自分の意見を唯一無二の真実だと主張して殴り合ってしまいそう。
つまり先生は、患者の苦労を全て判るほど苦労はしてないけど、それなりに生きて来て得た精神的な経験値と、医師としての専門性を持って、患者さんに出来るだけ寄り添おうとしてくれているんですよね?
「何が分かるんですか?」と言われれば、(発達障害者の経験した苦労なんてほぼ定型である先生方には想像を超える部分がある訳だから)全ては分からない、と認めてらっしゃる笑
良いお医者様だと思います。
医師はマラソンで言えば水を差し出したりアドバイスもする伴走者かもしれない。5分とかだけど😅
で、患者ランナーは自分の足で走らないといけない訳です。その感覚を持っている事が自立かと。
この感覚、追い詰められた精神状態の時は失ってて、つい医師にすがってしまう。これを医師が振り解くのは、乱暴じゃダメだし、且つ何とか自分の足で走らせないとならない訳だから、先生も疲れるでしょうね。
私は今は担当医師には正直に感情を吐露する様にしています、知り合いに愚痴る感じで。
特別に深い信頼関係とか、そんなに築かなくてもいいかと。無理です他人なんだもの。
その方が医師も話し易いみたい。期待が邪魔して、こうなるまで一年近くかかった💧
少し違いますが私にとってとてもタイムリーな話です。うつの友人に似たようなことを言われました。友人の一つ一つの選択が本人をいずれ追い込むことになる事が多く、さすがに眼をつぶれない出来事があり自分の意見を言ったら、彼女の不満が溢れてきました。それがとても理不尽で、彼女にとって良い友人とは、彼女の話を一緒に泣きながら聞いてくれる、辛い経験を沢山してきた人なんだそうです。今彼女の病状が悪い事にも同時に気付きました。
これくらいはっきりわからないって
言ってもらった方が、話しやすい
「貴方の気持ちわかるよ」って言われたら、「僕の気持ちがわかって溜まるか」ってイライラしちゃう
めちゃわかりますそれ
@@otonasalon あるあるなんですかね?
共感ありがとうございます!
@@LowLess_
相談した時に、「貴方の気持ちはわからないけれど、少しでもその気持ちに寄り添いたい」って言われた時は嬉しかったなぁ
@@magicalvia とてもいい言葉選びですね!
素敵だと思います!
福祉の力を借りてですが、一応自立した生活を送り、調子の良い悪いの波はあっても近頃は自分で対応できつつあります。2週間に一回通院するのは、私にとってお守りみたいなものです。信頼できる主治医と数年前に出会って、診察のたびにその時に応じたアドバイスや薬の処方をしてもらい、安心感を得ています。これからもっと信頼関係を深く保ち、通院を続けていきたいです。
同じ人間じゃないんだから、100%分かる訳ないと思う。それは一卵性の双子であっても価値観とか物事の感じ方は違うんだし。
だからこそ相手に対しての思いやりを持つ事が最低限必要だと思う。それは医師だからとかじゃなくて、全員だと私は思ってます。
苦労していない人はいないと思う。
究極、他人の苦労は分からないと思う。
それはいいけど、安易に他人に「甘えるな、もっと頑張れ、現実はこんなもんじゃないんだ」とかいう人は苦手。
貴方は誰なんだ、という気持ちになる。
それと同時に落ち込む(そういう類の言葉を聴いて、「なにくそ!と奮起してみろよ」と言われたことがあったけど、そうはならなかった)。
(宿題)助けて欲しいモードだと助けてくれない気がする。もういいや自分でどうにかするわってモードになると見える景色がかわりますよね。これが自立なんでしょうね。そういうときの精神科医への質問は、人対人で心地いい感覚がありました。
質問すると必ず自分とは違う視点で答えてくれる、私にはこれがお得感ありで面白かったです。
益田先生は言語化するのが本当に上手で尊敬します。やっぱり頭のいい人はすごいなぁと思います笑
タイトルのようなことを思う気持ちもよくわかります。
だって実際5分診療で時間も限られてるしそこで深いった話もなかなかできない。所詮人のことなどわかるはずもないとそう思ってしまうことも理解できます。
私もうつ病で不安がすごかったですが、それを主治医が的確な言葉を投げかけてくれて救われたと思うことは正直なかったです。
助けてほしい聞いてほしい分かってほしいと自立していないかもですがそんなふうに思ってしまうのも分かります。
ですが、もっと違うように捉えるのも必要かなと思います。
5分だとしても自分のことを気にかけてくれる時間があるという事実、そして少しでも言葉をかけてくれる事実、それを感謝しなければならないと深く思います。
それは精神科だけではなく、そういう機関だから診てくれて当たり前と思わず自分のために動いてくれる人がいるということを有り難く感じると心が軽くなります。嬉しくなります。
益田先生もそうです、精神疾患患者のために日々奮闘してくれてる先生がいることがとても支えになります。
分かる分からないじゃなくて分かろうとしてくれる人がいる、気にかけて言葉をかけてくれる人がいる、それに感謝することはとても大事なことだと思います。
分かってくれないと嘆いても現実良くなっていきません。結局は自分でどうにかしていかなきゃならないなら、少しでも手を貸してくれている人に反発してる場合ではないのかなと思います。
これからどうよくなってくか、このまま薬を飲んでいって大丈夫なのか、先生にもわからないかもしれませんがそういった不安に思ってることを聞いてきました。言っても分からないと言われるかもしれないと思わず、不安なことは何でも聞いてみるといいと思います。
人はみんな違うので全く同じこと理解してほしいとは思わないけど、なんかときどきすごいこと(上から目線とか?)を弱った患者に追い打ちかけるみたいに言うお医者さんもいるみたいで精神科はなかなか敷居が高いなと思ってしまう。
主治医にまるっきり頼る、というよりも自分で考察し調べたり勉強したり実践していく中で服薬や軽いアドバイスなどが欲しくなった時に力を借りる、という形で落ち着いていますね
結局は自分自身が問題を理解し内的に変化していかないと治療が進まないというのが根本にある気がします
精神科医が苦労をしてきたか否かで治療が変わる事はあると思います。順風満帆な人生の中で医師になった場合は患者さんの苦労を分からないで治療をすると思います。医学的知識だけでは治療は不可能だと感じます。患者さんは傷付いているので他人の気持ちを察する力があると感じます。医師が自分をどう捉えているかを感じ取る力が冴えていると感じます。この医師に話しても分かってもらえない、だけど、あの医師に話すと分かってもらえたという違いを感じ取るので、主治医を選ぶ事が重要になります。自分の治療が好転するか否かに掛かってくる大きな決断を患者さんはしていらっしゃいます。ただ、短い会話をして薬の処方箋を出してもらって帰るだけなら、回復はしないと思います。精神科医に話す事とアドバイスを貰える事と次回の診察まで頑張って生きる事が出来なければ精神科医の存在は無意味となると思います。患者さんにとって貴重な時間が精神科医との診察時間となっていると思います。お得か損かは、患者さんが感じ取る事だと思います。お得だと感じる患者さんは回復も早いと感じます。自分が精神的に自立するために頑張れる環境とは、主治医と患者さんとの信頼関係、患者さんと御家族への安全な医療の提供だと思います。益田先生、解説ありがとうございました。
精神科医って大変だと思うけど・・・。
私には絶対できません。
お仕事として淡々と科学的分析して下さる医師なら良いのですが、道徳的説教カマして仕事した気になる方も……それってアナタの趣味でしょ😂って言いたくなるモラ夫医師を引き当てちまった
人から「苦労をしていないあなたに何が分かるんですか?」って言われてしまうのって、
相手は苦しさを吐露したいのに、それをさせないこちら側のコミュニケーションがあるのではないだろうか。
それはそう。優しく「理解する意思」「共感する意思」そういう姿勢を見せれば言われることはほぼ無い。
宿題】
自立している時に精神科医に求めるものは、自分の認知が歪んだ時に軌道修正してもらうこと。
もう一つは、次の診察までに得た気付きを医師が壁打ち役となり、傾聴してくれること。
この2点です。
一人ひとりの辛さは様々な状況から起きてるから、精神科受診してすぐに解決はありえない。だから、自分の味方になってくれそうな人をとにかく増やして少しずつ前進するしかない。子どものことで悩みスクールカウンセラーと定期的に話しているが、1年経てやっと気づいたことは、このカウンセリングは、親が思考を整理するためだということ。
初めは何も解決しないじゃんと思っていたが、物事はそんなに早く解決なんてしないし。少しずつ周りに頼りながらと思えました。
精神科医以外の、今まで周りにいた人たちって、益田先生がよくおっしゃる「森の外」にいる我々が、自分の家庭のことや親に抱く感情のことを話してもまったく信じないとか、否定するとか、こちらの感情について説教するとかしません?
なので、私はむしろ「自分みたいなマイノリティは基本的に他人に分かってもらうのは無理だ」というのを大前提として暮らしてます。なので、まず一般人に対して分かってもらおうとして話すことはしません。
精神科医に対しては、「この人は親にこういう感情を持っている」「この人は親からされてきたことでこういう価値観になっている」と患者が述べたことは、とりあえず事実だという前提で話を聞くはずでは?という仮説を持っています。
なぜなら生育環境とか関係なく、そもそも「病気が、感情を起こさせる」なんてことはあるわけだから、精神の病気を診る立場の人が「親がそんなこと言う訳ないでしょ」なんてあしらって、説教してたら治療どころか診断もおぼつかないはずなんで。
なので、こっちが抱く感情と同じ感情を実際に体験してくれる訳ではないんだけれど、そう思ってるんだね、という風に前提条件として飲んでくれて、その次の話をするというのに付き合ってくれるのが精神科医じゃないかと思ってます。
他人に理解されにくい系の感情や価値観を他人に話すのは嫌だから、普段は話さないようにして暮らしてますが、診察では必要だから渋々(?)言う訳です。話した結果、否定してこないので、自己開示嫌いの私でも案外気持ちが楽ですね。それだけでも価値あるかも。
そして問題解決法として薬を使うのか、気持ちの整理をするのか、CBTを取り入れるのか、医師ならではのメニューを提示してくれる人でもありますよね。患者さんが苦しんでる原因を見立てて、苦しくなくなるための最適解の仮説を出してくれるというか。そういう作業には、患者と医師の生育環境や家庭環境の違いなんて関係なくて、ひたすら医学の知識が必要なだけなんで、主治医がお金持ちのボンボンだろうが、こっちと段違いに頭が良かろうが、どうでもいいかなと思ってます。と、私は楽観的ですが、あまりにも医師と違う環境すぎて患者さんの言ってることが分からないこととかあるんでしょうかね?臨床医って色々な患者さんと接するので、恵まれたご家庭の方としかお付き合いのない職業の方よりも、世間がバラエティに富んでいることをご存知だと思いますけどね?
あと、自分が精神科のお世話になるメインの理由はADHDの投薬なんですが、ADHDで起こる困り事の工夫についてのヒントをもらうのに、精神科医を使うことがあります。ネットや本でも色々探してますが、しっくりこない、うまくいかない時は他の患者さんがやってた方法とかの情報があればいいなと。まぁ、発達に強いという触れ込みの医師ではなく、ADHDの臨床経験は多くはなさそうなので、なんか聞ければラッキーくらいで期待せず聞く(笑)って感じです。
精神科をそんなふうに利用すると聞いて、目から鱗です
どう利用するか😕人に言えないような疑問とかを聞く?ちょっとした成果を報告?分からないけど、そうするかもしれません
非常に興味深い内容でした♪哲学・社会学・心理学・宗教・歴史・医学などが絡み合う展開に腹落ちした感があります。
体験・経験・学習・実習を絡み合わせて行くことで、イマジネーションが鍛えられて気づきの質が高まることを実感できたかも❤
益田先生の動画で学ぶ→疑問をAIに聞く
を繰り返していたら、50歳にしてようやく自立しました。
診察に行くのは散歩と眠剤のため。それも大切なこと。
正直な先生はなかなかいません。向き合ってくれて感謝してます
僕も今は、正解を探しているうちは自立できていないと考えています。
有りものを組み合わせて工夫し、完璧ではない結果を受け入れて、
やりくりする事が生きるという事なのかな、と考えるようになりました。
生きていると、問題の質が変わったり、
処理しきれないほど大量の問題に遭遇したりするので、
一時的な出来事なら、相談して薬を処方してもらう、
永続的な出来事なら、学んで自己変化して問題じゃなくする(状況ではなく自分を変える)
という事なのかなぁと自己変化をし始めています。
サイン会をキッカケに「こころの治療メソッド」を読み始めた影響だと思います。
トーク会は活字よりも分かり易いので、とても助かりました。
人生は、山登り、レールの上と同じという お話は共感しました。
焦って登れば上手くいかないし、無理に決められたレールの上を皆と足並み揃える事に頑張れば上手くいかないと思いました。山もレールも、ゴールがいくつもあって どの道を選ぶか、どこでしっかり休憩を取るか宿泊期間を取るか、計画を立てて、無理をしないで、他者のペースに巻き込まれないで、遠回りでも、遅くても、ゴールに辿り着く事だけに集中して前を向いて進む事だと思いました。予定外の事も想定外の事も、山登りも、レールの上も、人生も同じく、起きますから、慌てない事、困った時は助けを借りる事、助けて貰えたら恩返しする事、1人では頑張れない事は沢山あるのだから、お互いに助け合う事を学び合いながら共存して 共に 与えられた環境の中で 無理をしないで生きる事が、人生なのだと感じます。病気の治療中は、同じ闘病仲間から励まされたり相手を励ましたりする事で 暗闇の中に一筋の光を見つけらる事もあると思います。闘病仲間でも 相性が悪ければ、お互いに近づかない事も、治療の効果になると思います。良かった事も悪かった事も、全ては人生の学びとして、自分の力に変えていく事が出来ると感じます。医師は患者さんから学び、患者さんは医師から学び、お互いにプラスになる関係が、安心出来る医療だと思います。益田先生、解説動画 ありがとうございました。
このコメ欄みるだけでも精神科医の大変さわかる😂
おつかれさまです😊
ありがとうございます♪
わたしにとって精神科医とは、脳疾患を抱えて人より生きにくい自分が、世間で頑張って、ダメになったら避難できる、しかも多くを語らずとも必ず味方になってくれる、安全基地だと思っていますよ。
時間と場所が限られているからこそ、わたしが相手に無理な負担をかける危険性も少ないし、何よりアトムやアンパンマンに帰る場所があるように、脳の修理をしてくれます。帰れる安全基地がある、とわかっているからこそ、自分はまた挑戦できる、と自分を信じていられるのは間違いありません。13年、伴走してくださった主治医は亡くなって、とても寂しいけれど、3年かけて3人通過して、やっと安心して話を聴いてもらいたい医師を見つけました。13年の主治医とは別人だけど、安全基地の設置は叶いました。
脳疾患の苦しみと困難さをより知っているのは、やはり家族ではなく精神科医だと、何度も思わされています。
どんな分野でも、専門知識をもち毎日修練を積んでいる専門家の仕事は、美しく、感動的です。
病院にも通ってるし益田先生の動画もたくさん観て勉強しているのに双極が全然なおらずに、逆に年々増している気がします😢
既存の概念やレールのみを信じるのではなく、自分の力で新しい価値観を生み出す力が重要だと感じました。
【宿題】
今、親と同居してて結婚前提で付き合ってる彼氏もいて精神疾患を患ってから、色々考えてる時に成功体験の一つとして自立して一人暮らししたいという自立心が生まれました。彼氏もそうみたいで、最近本気で話し合いました。
私がここまで至ることができたのは益田先生の動画やチャットGPTはもちろん、精神科のカウンセリングを利用して一緒にどうしていけばいいか考えました!(今抱えている問題の優先順位等も考えながら)
おかげで解決?しています!
ちょっと文章ぐちゃぐちゃかもだし、宿題になってるかわかんないけど書いてみました😊
医師になる人が高い問題解決能力を持っているのはわかるけど、「ゾーンに入りやすい」ってどういう意味なのかさっぱりわからない
自立ってなんだろう?と昔からずっと思ってます。
経済力?精神力?物理的?全部?
精神疾患を抱えると全部の自立は非常に難しくなります。
健康な人でも普通にクリアすることは難しいです。
精神科医には、患者の自立をサポートしてくれる形であるとうれしいです。
自立って人生の宿題みたいなものと思っています。
ちなみに精神科医は並大抵の精神力では絶対になれないと感じています。
率直に先生がテーマにしてくれることでよくわかります。主治医にもそういう気持ちを持ったこともありますが、お医者さんには同調やわかってよ!という気持ちではなく、私としては他人は所詮人の気持ちを全部汲み取ることは医者だからできるわけでもないので、手助け(お薬やカウンセリング)でお手伝いをしていただいてると思うようになりました。
わかってしまったら先生も患者になるだろ。
宿題
違う視点からの考え方を教えてもらうために行っていることを意識すれば、お得なのかなと思いました。主治医の意見やアドバイスを聞き入れる素直さが、大事なんだと思います。
実際、益田先生のユーチューブを見て知識がたまってきたら、「なるほど、仕方ないことなのか」と納得できるようになった。水の中でもがいていたけど、やっと水面で一息つけるようになった。そして医師を正に精神科知識の多いおじさん的に感じるようになり、自分の苦しさを議題にして話せる場所に診察室が変わった。
自分の苦しさは変わらず続いているけど。
この動画に限った事では無いですが、
回答困難な疑問に向き合って頂ける事素晴らしいと感じます
断定はするけど可能性は限定しない話し方に先生の人間性と言うか患者との親和性と言うか何かを感じます
トライアンドエラーの蓄積量が圧倒的に違う
一般的な人は深いトラウマ、ちょっとした悩みなど多くて20種類くらい
先生は毎日そんな患者さんを見てきた、治してきた経験と実績が有るから自信を持って寄り添う事が出来るんだと思います。
あなたに私の何がわかるんですかって言う人は内心、「喜びも苦しみも悲しみも、全てを共有し合いたい」「少なくとも私の全てを理解してほしい」って他者に望んでる人だと思う。でも、そんなことは不可能。少しでいいから苦しみを理解してくれと寄りかかるのは場合によっては問題ないけど、全体重をかけるようにしたら相手は当然引くし、受け止めきれず押し返してくる場合もある。最初はそういう反応をされてショックを受けると思うけど、少しずつ慣れていって、「ああ、全ての苦しみを共有し合うのは無理なんだな」と良い意味で受容できるようになればいいと思う。自分はそうやって良い意味で諦められて、他人にそこまで期待せず、自分の好きなように生きられるようになった。
こんばんは。
主治医はこだわりのある人ですが。
一人暮らしするときに力になつてくれ、今もサポート受け味方だと思います。
自立が完全にできてるわけではないですが。
将来的に薬やびようきのメカニズムなどおしえてもらおうと
思います。
医学部に受かって卒業して医師国家試験に受かるだけでも相当苦労しているのでは?と思います。
宿題:仕事や家庭でストレスを感じた時、心の負担が大きくなる前に精神科やメンタルクリニックを利用すると、早期に対処できて気持ちが楽になるかもしれません。セルフケアやメンタルヘルスの知識をさらに深めるために、500円で専門家のアドバイスをもらうこともお得なように感じます。
精神科やメンタルクリニックは、病気になってから行く場所というイメージを持ちやすいですが、心のメンテナンスとしても良いように思いました。
私たちは難関を抱えている。だから医師にも分からない。
そうですよね。そして自分で歩こうと決めた後であれば精神科も有用なのかも知れないですね。
通院ドロップアウトした私に何か言える立場じゃないかも知れないですけど。
益田先生が言う自立をした人間ってどんな人ですか?(どういう意味)
自分は子供の頃から周りに自立した人が居ないのでどんな感じなのかよく分からないです
一人で生きていける力があれば自立ですか?
お互いに何かしら理解できる部分があるからこそ、自分って人間が誰かと話をしたりっていう行動するんだと思う。苦労とか困難って言葉が出て来る時点でもうすでにすべて、人間の様々な豊かな感情や気持ちが凝縮されている気がする。仏教でもよく人生の困難さ、苦労を受け入れて自分の心を見つめ直すみたいなことを言っていますね。現代にも十分通じることだと私は思います。たとえ、もし自分が感じている人生の困難さを上手く受け入れることができなかったとしても、不器用でも諦める道を選んだとしても、他の道に行くという選択の困難を乗り越えた先に何か希望が見えたらいいですよね。相手の訴えていることがどういうことなのか、しっかり長い時間をかけて考えた末にわからないことも時にはあるってことが、私にも大変よくわかります。
益田さん、これからも心から応援していますね*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭*🤍益田さん、今日もほんとうにどうもありがとうございました*ଘ(੭*ˊᵕˋ)੭*🤍ありがとう🤍
私の場合、自分の病気を理解し、それと同時に過去から現在の自身と向き合い弱さを認め、過去の自分を許すことで、少し前へ進めました。でも、それでもなお苦しい日がある。それになれるまで何度も自分と向き合う。そのうえで、自分は今こうゆうふうに感じるようになってきましたが、先生はどう思いますか?と尋ねて医師目線ての意見を聞いて自分が今どの立ち位置にいるのか知りたいです。
結局、病気を治せるのは自分自身だと思うけど、その過程で、医師や家族のアドバイスが必要。それが自分の求める言葉じゃなかったとしても自分のものにして学んでいきたい。
「経験を大きくしたり小さくしたり、加工したり」
益田先生の頭の中では、そうなっているのですね。共感力の高い人もいれば、そうでない人もいる。そんなふうに考えられる人ばかりではないですね。
それは、医師ばかりでなく患者側にも言えること。
その考え方は、他者を理解する上で私にも活用出来そうです。
私が行っている精神科の先生は何か困り事を相談しても「まぁみんなそうだよ」で済ませる
世間話してるんじゃないんだから、ちゃんと診察してほしい
難しい😓です…助けたい🆘けど、助けられ無いと言う、状況…
進みたい方向性(仕事する、障害年金で生活する、意欲的になりたい、痛みをとりたいなど)を決めて、現状報告とともに要求する。そしたらリスクとリターンを計算して医師が薬を選別、増減したり、アドバイスしてくれたりするのではないでしょうか。
方向性を決めるまでがめちゃくちゃ時間かかるし、それが一番大変かも。
医学的知識・症例を沢山診てる視点から、分かることを伝えてもらって、患者の気づきや安心に変われば、それで良いです😊
ただ、医師が個人としての意識にとらわれた時に、患者側を巻き込むことがない防御対策はしていただきたいです。上手く言えませんが。。
医師の役割・提供されるものって、途中から私の捉え方も違ってるかもって思って変わりました。
(それは、「期待」じゃなくて、認識の違いというか)
社会復帰や社会と関わる時期(≒自立?)になると、人付き合い・社会性が高い医師の方が、意思疎通がしやすそうだから、私は良いかな〜て思います。低くてもアドバイスの視点が、医師だから言えることだと、前に進めそう。
精神科医は必要な存在ですが、精神科医の中でもばらつきがあるのも現実なのかも〜てなんとなく思います😢
全く同じ環境の人、同じ病気でも人によって感じ方や考え方は多かれ少なかれ絶対あるので、私は誰かに全てを分かってもらおうとは思わないかな。他人をどうこうよりもどうやったら昨日より"自分は楽しい"か、昨日より今日少しでも症状が良くなるか考えたいところ。お医者さんはあくまでお薬をくれるところ。お薬はお医者さんしか出せないので。お医者さんに言って相談できた自分を褒める。
他人の苦しみは例え自分も経験していたしても、理解するには想像するしか方法はないです。
5 分診療をふるにいかすには患者も知識を蓄えないとならぬのです。
しかし病気を抱えている身には大変な労力です。
時間が足りないのは日本の良くできている皆保険医療制度の大きな欠点ですね。
精神科医は脳の誤作動を調整してくれるだけ。自分の運命に納得できる理屈は自分自身で構築するしかないのだ。
私の中で自立とは、どんな相手でも敬意を持って接する人、柔軟性を持つ視野の広い人ってイメージだったけど
大多数の大人は視野が狭く偏った考え方してる人が多い印象ですね😅
だから、悩んで助けに来た患者さんへ薬とアドバイスでより良い選択肢を提供するお仕事と思いますた😮
そんなこと思わないですよー😂
そういう意見もあるのね。
山登りの例は良い例えですね
ゾーンに入るのに、私は汗をかくのが効きます。血のめぐりが良くなって、体が温まると、整います。主治医の先生が、貧血から精神疾患を招いた、と聞いたので心の具合も、体の調子が影響してると思います
タイトルでくっそワロタw
さすがに煽りすぎよね笑
益田先生自身言われたことありそう()
精神科医に対しては、「俺の話を聞け!」という気持ちはありますが、自分の気持ちまで分かってもらおうとは思いませんが、とにかく話を聞いてもらいたい気持ちはあります。
私は、自立出来ているかは分かりませんが…
今のドクターが、私を一女性と見てくださって(変な意味ではありません)自分のリスクを顧みず妊娠、出産を背中を押してくださったことに大変感謝しています。今の私は娘の存在がなければこれほど安定した精神状態を保てないと思っています。(赤ちゃんの時の生活は戦争ですが)
精神科の先生というよりは、子育ての先輩として人生の先輩といったかんじで…お話伺っています。
嘘をつかないのは良いこと
面白い。真理を言っているような。
人は楽に一度の変化で一気に解決しようとするけど、日々の積み重ねが一番の近道であって。ブッダも同じような事言ってましたね。
精神科医は他の科より大変ですよ~😱💦
先生がメンタルやられないか?心配しちゃいます😢
医者は患者の気持ちは理解できなくても解決する方法は知ってるので
限られた時間でその情報を引き出すために、自分の状態を伝える準備をする
通院はプレゼン発表のようなものだと思ってます
わからないかもしれないけど、寄り添ってくれる。
これ以上に大事なことは無いと思うけど。偉そうに文句いってる人は、他人の気持ちが自分のことのようにわかるとでも言う気なのかな?
話をして気付きを得ることができるレンタル相談相手のような使い方がよきかなと
私は逆に他人の弱さや恵まれなさを理解したくないです。
理解しろ、配慮しろと言う側は相手のことを理解したり、配慮出来てるのかな?とも思うからです。
お互い様ですよ。
私は、話を聴いてくれて、頷いてくれる場所が、あるだけでもいいと思う。精神科の先生も人間。魔法使いでもなんでもない。本当に、解らないものは、解らない。逆に、解ったように綺麗事を言う方が、あとから考えたら、残酷だと思う。
真の自立をしてるかはわからないけど、私はうまく精神科を利用できる域にまで来たのではないかなと思います。言われてみればお得ですよね、通うのがしんどい時もあるけど、これからもうまく利用していきたいです。
精神科の医師に何が分かるのか?
あまり考えたことがない。
医師は客観的に私を観ているのだと思う。薬は助け。結局自分のことは自分で決めるしかない。
受診すると気持ちが軽くなり、また歩いていけそうな気がする。
いじめられたことくらい誰にでもあると思ってたわ
精神科の先生は、生活をサポートしたり、問題を解決をしてくれる役割の人ではないと思っています。
症状を診断して薬を出してくれる人と思っています。
ただ、努力しても状況を改善する手立てがない人に、怒る医者の人がいたので、お金払って来てがっかりしました。
これは医療従事者・福祉関係に携わる人の課題の1つ
人によっては上から目線になってしまう人もいる
絶望の中生きている病人相手だから思いやりを持って欲しいなあと思います。
どうしてもビジネスライクになってしまう
はじめまして 増田先生いつも楽しく拝見してます 私もコメントして見よう思います 私は自立しているとは思うのですけど 主治医の先生には期待してないし 薬にも期待していません。増田先生どう思いますか?
わかってないなあ
苦労じゃなくて才能ガチャ成功で決まるのが許せないのよ
才能もそうだし、子供時代に安心出来る家庭環境や、信頼出来る人間関係で過ごせられるかってガチャも結構大きいと思う。
苦労と思うのは自己犠牲的な感情が多いからじゃないかな。
色々と拝見させて頂いて、勉強になり。ありがとうございます。
可能でしたらリクエストしたのですが、イジメを受けた経験を思い返した時に感じた違和感なのですが、イジメが起きている現場の光景を思い返した時に、イジメで攻撃している人、傍観したり笑ってみている人、イジメを受けている人の脳の状態が異常があったんじゃないか?と感じました。
イジメで攻撃している人、傍観したり笑ってみている人には脳内麻薬のような理性が弱まる脳内物質の分泌があったんじゃないか?
イジメを受けている人はパニックになるような判断能力が落ちる問題が起きていたんじゃないか?
という現場の全員が異常すぎてストップできないなにか?があるように恐怖がある感じで引っかかっています。
もしも可能でしたら、よろしくお願いいたします。
泥臭く、していくしかないし、山登りは誰でもきつさはあるし、レールも、そうだなと分かった気がします。
問題解決するって、問題に気付いて、しっかり向き合って行動することで。
それは、つらいので、
ネガティブになったら楽観して、
乗り越えるのかなと思いました。
そのうち慣れるのかな、と思います。
ぼくは主治医に何度言っても全く退院させてもらえなかったから、そのときは「権力者!」とか大声で叫んでいた いまでもまるで子ども扱いだ 新しく問題が起きたこともあり自立しているとはいえないけれど、ときおり個と個として向き合って(くれて)いるように感じる それは確実に歩みを進めているのだ
ガチャ成功している
少し残念です
ここでいう「自立」って、どういう状態を指しているんでしょうか?
多分、益田ドクターの言うことですから、「不安やトラウマに支配されず、自分の意志で学習して成長する状態」を指すのだと思いますが……
私は今3ヶ月に一回、クリニックの外で学んだことをアウトプットする場として通院しています
言いたいことは絞ってなるべくまとめるようにしていますが、3ヶ月も毎日勉強し続けたことを5分でなんて話しきれないんですよね……
主治医は1聴いたら過去の患者の話をそこから繋げて10わかるみたいな感じなので、それでも不足ないとは思いますが、、
どうしても駆け足なので、もう少し聞いてほしいなと思ってしまいます
プラレールみたいな感じでしょうか。所々で自分で修正していけますね。
サムネの題は、しがみつく心理なので、これは医学より依存とか嗜癖行為で考えないと、お互いに平行線になるし、こういう発言を医者またはご自身以外のひとたちに発言しなければ、
心の平穏が保てないことが問題にしておかないと、
精神科医がつぶされることや精神科医から
攻撃されなくなることとかが、いじめられなくなるということであるので、益田先生がおっしゃるかたちとはわたしは違うと思います。
よってこの発言は、精神科医だけではなく、自助会の当事者に対しても、あなたたちはこんな苦労をしたことがないのになにがわかるのにもなるので、
わたしはとらえ方を変えないと堂々巡りが結果的に現状を大きく変わることにはならないから、こころの傷が深くならないというとらえ方でこころの痛みを防げるという成功体験にもなるのでね。
益田先生へ宿題ですか。
自立することを自覚できるときは、寛解かメンタルクリニックに来なくなる場合があるから、お得とかの問題にならないと思います。
まず、自立の定義ですが、
関わる親の精神的負担や経済的負担なとがきれたり、
関わる親の介護の面倒の保障ができることが自立と考えるなら、この自立を望む限り、患者さんは心を守るために、自傷行為や関係性トラウマの被害者モードで、トラウマに支配されることが多くなるので、自立という段階にいけないと思います。
2つ目、ご自身に、安全基地や他人をしんじても
問題解決の過程は定型者と変わらない。しかし疲労困憊で寝込みます。それだと生まれてきて良かったを感じることなく問題解決だけの人生で終わります。
森の外の人間として生きるとき、中の論理はそんなに必要ですか?複雑な人間関係も捨てたし環境整えて社会を傍観しながら生きてるだけだから悩みはないです。ただとにかくひとより疲れやすいのです。
今の先生に思うのは
理解してくれなくていいから
先生が悪い時に限って謝らないで上から凄んでくるから人間としてむり苦手😂ww
医者としての知識は凄いのにほんと人の話聞いてないから先生の勝手な思いのままおわる😂
私の場合は、精神科の先生は習い事の先生的な感じでしょうか。ずっと独学でやってきたけど、上手くいかないので専門家に教えを乞いに行くような。
自分では分からない自分の歪さ、おかしな癖を教えてもらい、それは個性としてOKなのか、直した方がいいのか、客観的な意見をいただく場所という感じ。
あまりにも共感力ない人が多いからわかってほしいなんて思わなくなりました。手帳のために精神科に行っているだけなので他人事のように困りごとは話します。人との関係は知人までで十分です。働いていないのでボランティアして交流するぐらいで孤独感は消えます。友達関係になってしまうと共感力のなさに失望してしまうのでいらないです。
精神科医に苦労はつきもの なんでこのタイトルか疑問ですね。😮
大丈夫😂?? 少なくとも私の主治医はかなり苦労してきたはず。
自分の症状が大したことがないせいか漢方を処方されて様子見判断されます。
知識として社会の底辺の事情は、ある程度知っておいた方が良いかもなって思います。派遣で働いてたと言っても、工場の派遣は只の下請け会社だった時期があります(小泉父による)。つまり派遣先が一件だけ。それを説明しても、私がおかしな事を言ってるのか本当なのか判断しかねる様子でした。更に年齢を言っても信じてくれず免許証を見せたけども、保険証を提出してるのに嘘を言う意味ないし。遺跡発掘の仕事をしてたと言っても、失礼ですがそれは職業ですか?って、これは仕方ないけども、初対面の人にそんなん言われたのは初めてやし。失礼ですが学歴は?だって何を判断してるのかなって少し疑う。これらは全部一人の医者。ASDと診断されたのは別の所。この病院では門前払いされただけ。これだけなら別に腹は立たなかったけども、扉は開けっ放しで女性の助手のような人がずっと見てるし。躰デカいだけで危険人物と思われたんかなって。可愛い系男子 当時40歳やのに。声を荒らげたりしてないし最初から開けてたし。その後も追い返したい一心かって思うような扱いでした。
最近バズり意識してますね!
そういう人じゃない