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クラシックに出てれば日本競馬の歴史は変わっていたかもしれない最高傑作の競走馬
母父としても優秀でしたよねサンデー マルゼンとか最高 キングロとは合わなかったなあ・・・アジュディケーティングとはまだ合ったか・・・そうでもないか
当時の日本や海外の新聞、雑誌記事、著書を見るとちゃんと書いてましたよね。「ニジンスキーの最高傑作は日本にいた」「もしアメリカに残っていたら、シアトルスルーの無敗どころか三冠すらなかっただろう」
ニジンスキーの仔が日本で走ること自体凄いことなのに、その馬がたまたま最高傑作級だったんだよな
当時の馬場状態でこの時計凄い。
日本の伝説の馬!中野渡騎手「ダービーに出させてくれレースの邪魔はしない大外枠でいいから」名言。
“賞金はいらない”も言っていたそうだね
「大外枠でいい。賞金もいらない。他の馬の邪魔はしない。この馬の能力を確かめるだけでいい。だから、マルゼンスキーを走らせてやって欲しい。そうすればどの馬が一番強いのか分かる。」
TTGが負けるとマズイので有馬記念な出させてもらえなかったという怪しい噂が当時の競馬ファンの間で囁かれたとか。それ程当時外国種牡馬の産駒が珍しかった日本競馬界に与えたインパクトが強かったマルゼンスキー。ちなみに生産者の橋本さんは牛の生産では海外にも名前が知られている方であのオリンピックメダリスト橋本聖子さんのお父上です。
まぁ実際引退していなかったら、あの二頭の素晴らしい接戦の5馬身先くらいでマルゼンスキーがゴールしてそうですね。
@@才也電卓 5馬身は言い過ぎだろうけど絶対勝っていたと思う
個人的に歴代最強の馬だと思う。
幻の三冠馬と言われるフジキセキやアグネスタキオンも凄かったが、それ以上にマルゼンスキーの走りは重賞でのレースとは思えないほど実力差がありすぎ。
ニジンスキー最高傑作がなぜか日本で走っていたという奇跡
主戦の中野渡騎手はマルゼンスキー引退後、スピード感覚が狂ってしまって、逃げては潰れるレースを繰り返したとか。いかにずば抜けた強さ、速さを備えていたかが窺えるエピソードだと改めて思います。
@Takafumi Suzuki 競馬ゲーム「ウイニングポスト」の発売元の光栄(現コーエーテクモゲームス)から出ていた本にそんな記述がありました。絶版になって久しいですが。
有名な話ですよね。競馬好きと言うよりは詳しい人は知ってる話ですよね!新しく知り合った競馬好きにこの話をして知ってたら、おっ!ちゃんと知識あるなって線引きしてますね(笑)
たらればと色々思う事はあるが、確実に言い切れると思うのはあの時代、この馬が現役の時代において無双であり最強であったと言う事だ。
生まれてく時代と国が違かったのか
ニジンスキーの最高傑作
ラムタラ「せやな」
@@キングクラウン 繁殖実績が物語ってる
@@雪-z2r5s ノーザンダンサーの2×4とか馬が走ったのすら奇跡なのに、当時ノーザン祭りだった日本で種牡馬成功するなんて無理
@@んんんんん-h3e サンデーサイレンスの子孫祭りの日本でサンデー系種牡馬が成功してる以上その理屈は通用しない。せめてG1馬を1頭くらい出さんと
@@slay4385前提から全部話すと、そもそも当時の日本では3×4(いわゆる奇跡の血量)でも活躍馬がほとんどいないし、忌避されていた(つまり当時主流のノーザン系牝馬にラムタラは付けられなかった)。さらに、サンデーは社台、ラムタラは日高。以上の2つから繁殖の質は歴然。さらに言えば、マルゼンスキーはそもそも日本で走った馬だし、サンデーサイレンスは日本の芝に合ったスピード血統だったんだろう。それに比べてラムタラは欧州で走った馬で、日本でも走る根拠はない。実際ガリレオ産駒なんか輸入されて日本で調教されても全く走ってない。ただ、もしこれらの条件が全てクリアされて、欧州で上質な繁殖牝馬を宛てがわれたとしても、この血統背景から見て成功を収める確率は低いだろうな。
持ち込み馬ゆえ3冠レースに出られない不運を被りましたがスーパーカーの異名を得たマルゼンスキー号が残した蹄跡は今も色褪せませんね。
最強馬なんて人それぞれで答えなんか出ないんやけど、最強馬って言われても誰も否定できない馬やね。
タラレバでしかないけど、それでも否定する根拠が余りにも見つからなすぎる
今から思うとこの馬の凱旋門賞が見たかったな
個人的にはブリーダーズカップかなぁ凱旋門だと斤量が重い
@@ガロードラン-s2b つーかアメリカ血統やから通用せんやろ
余裕を出し過ぎてハナ差の府中3歳Sはともかく、他はもうレースになっていない。少なくとも10年以上は先のレベルで走ってる馬だった。
ダート1200で10馬身てw
大外でも良い。出走させてくれと言ったがマル外の為にダービー出走がかなわなかった。マル外であってもクラッシクに出れるようになったのもマルゼンスキーが居たからこそ。
史上最強馬❗名古屋市尾頭橋のウィンズでこのマルゼンスキーの映像見てると先輩方(笑)が後ろで語ってましたね(笑)
日本のセクレタリアト!伝説の馬。
何でこんな良血馬がこの時代の日本なんかに着たのか
競走馬時代が消化不良気味の良血馬そりゃ日高の古い牝系と合うわ
日本短波賞で力を弱めて他馬に追いつかれて中野さんから「コラッ!」ってマルゼンスキーに叱った話があったね
何気に産駒が長距離こなしてしまうっていう所が余計に評価を上げたよね。
こなすどころか3000と3200のG1でレコード出しちゃった子孫いるからもうヤバい
子のホリスキーが菊花賞レコード、それを破ったのが孫のライスシャワーその後ビワハヤヒデに破られて意向長らく奪還出来なかったが、曾孫のトーホージャッカルがレコード奪還産駒ではサクラチヨノオーとニシノスキーが1600の朝日杯3歳S勝者だけどスズカコバンが2200宝塚記念、サクラチヨノオーが2400東京優駿、ホリスキーとレオダーバンが3000菊花賞、障害ではダイカツストームが4100mの中山大障害を大差勝ちと中・長距離でも結果を出しただけに2500の有馬もいけたんじゃないかと思ってしまいますね。
橋本聖子の親父が、偶然にもアメリカに行って高額セリ落としでって言う物語になるストーリー
初めて見た…ヒシスピードすごいな…あんな接戦をえんじていたとは
のちの菊花賞馬プレストウコウを子供扱い。クラシック出してあげたかったな
6頭立ての朝日杯とか、未来永劫ないよね。
そもそも日本のG1は少頭数ってないね
馬券買わなくても楽しめるレースですな😺まさにプロのサラブレッド。!
参議院議員の橋本聖子さんはスピードスケートの選手で世界で活躍した方。マルゼンスキーを自身の弟のように可愛がっていたそうです。所説ありますが、マルゼンスキーが亡くなり、亡骸を棺に入れるときに「橋本聖子さんが獲得したメダルを棺に入れた」というエピソードがあります。このときに入れたメダルは銅メダルか金メダルかでハッキリとしていないそうなのですが、個人的に「生涯負けることの無かったマルゼンスキーに対して、銅メダルを送るなんてことはできない」として、金メダルを入れたのではないかと考えます。どちらにしてもリスペクトを感じる心温まるとてもアツいエピソードで、さらにマルゼンスキーを好きになりました。
この馬は別格だな何か違う生き物に見えるw
もしアメリカに残っていればシアトルスルーの無敗の三冠は無かった。橋本氏ではなく吉田氏がセリ落としてたら、社台の馬としてレベルの高い牝馬との配合でもっと強い子を沢山残せていた。色々なもしに夢がある馬ですよね。
君の強さは語り継がれているよ
今こんな馬いたらwwww
最強馬の一頭。この馬と互角に闘えるのはクリフジかルドルフか、あるいは3歳のブライアンか、神が降臨した時のツインターボくらいだろう。
ディープやオペやオルフェや覚醒した後のススズは?
@@キングクラウン 時代が違う馬と比べたりする人よくおるけどナンセンス過ぎて冷める
夢の第11レースにこの馬も入れようぜ
プレストウコウが日本短波賞(ラジオNIKKEI賞)で負けるにしてもちぎられてさえいなければ…マルゼンスキーとプレストウコウのこの一戦が、この世代のクラシックホースの立場に大きな影響を与えたことは間違いない。種牡馬実績に関しても言わずもがなである。
これはまさにスーパーカーですわw
日本競馬史上真の最強馬と言い切っていいと思う
俺も賛成
8戦で着差の合計61てwwwwwwwww
しかも手加減とうっかり失速(でも7馬身差)を含んでるのが
@@エィホゥ もっと言えば全力で走ったレースは1度も無いという…
マルゼンスキーに関してはこの戦績やからこそかっこ良いってのがある実際三冠取ってないけど満場一致で取ってるであろうと予想される馬ってだけで伝説
マルゼンスキーの1歳上の世代にトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスといわゆるTTGがいたから対決が見たかったような見なくないような
しかも出走予定だった有馬記念はテンポイントが勝ったレースで序盤からテンポイントとトウショウボーイがハナ争いしていたマッチレースでしたからね
この馬の最大の悲運は「日本で生まれてしまった事」だったのかもひょっとしたら凱旋門賞でも余裕で勝ち負けする実力があったかもしれない馬が、当時の規定ではクラシックにも出走できない日本で競争生活を送らざるを得なかったのだから
すまん、挙げ足取りたくて取りたくて我慢ならなかった。生まれたのはアメリカ
@@oii8577 あれ?マルゼンスキーって持込馬だったと記憶していたのだが...当時の規定で持込馬もマル外扱いの為、クラシックや天皇賞に出走不可だったと
@@bsaamizu722 その通り!俺が間違ってた!
@@oii8577母馬はアメリカで買われたが日本に連れ帰ってから産まれたから日本生産馬
また視聴してしまった。まさに日本のセクレタリアート
調教師時代の中野渡さんと福島のパブで話したことがあります。脚曲がりだったので、とにかくパンクが怖くて追えなかったそうです。
ほんとに脚部不安だったんですねたらればですが、本来の全力のマルゼンスキーの強さを見てみたかったです
府中でちょっと気を抜いて肝を冷やしたので、朝日杯だけは全力で追ったと読んだ事があります。
@@タックマン-i6g 結果「ハナ差」からの「大差勝ち」だからね、異常すぎる
Jリーグ開幕時の助っ人外国人と日本人みたいですね。
野球で言うとヤクルトのホーナーみたいな馬、すごさを知らしめて太く短く散っていった。時代が違えば、三冠馬になっていたかも。
アメリカの同世代にシアトルスルー。その下の世代もジョンヘンリー、アファームド、アリダー。欧州に買われていてもライバルとなるのはザミンストレル、アレッジド。どこでデビューしても厳しい戦いしかなかった訳だけど、一番過酷になるだろうアメリカで走る姿を見てみたかった。
アメリカで走ってたら、マルゼンスキーはイージーゴアみたいな人気者になりそうそしてシアトルスルーは引退後日本に…
アメリカで走ってたら、シアトルスルーと三冠を分け合っていただろうね。
確か何年か前に井崎先生が歴代最強馬で名前を挙げていましたよね
丁度規制の入った10数年の間に生まれてしまったが故に。。。。規制が〇外だけのままならクラシックで走れたのになぁ
一概には言えないですけど、それでも日本競馬史上5本の指に入る名馬だと思います。私がすごいと思うのは、勝ったレースの着差だけではなく、あの際どかった府中3歳Sの勝負根性。産駒のサクラチヨノオーのダービー、サクラエイコウオーの弥生賞を見るとそっくりな直線のたたき合い。大差じゃなくとも並んでも抜かせない勝負根性も持っていたと思われるレースでした。さらに8戦は外国産馬ゆえの制限のため短距離が多かったが、産駒と母父としても菊花賞馬、ダービー馬とむしろ長距離適性の高い産駒が出ている。当然本馬も長距離適正もあったものと思われ、出走していたらどうなっていたのかと、考えてしまう。スピードが凄いうえに、競り合っても抜かせない勝負根性、距離の融通性、芝・ダート問わない馬場適正、戦績だけでは計れない、今のヘナチョコG1馬レベルとは違う、ものすごい怪物だった。
適性
本当すごかった!ニジンスキー血統最高に近い強さでした!
ラムタラ「俺じゃないん?」
G1朝日杯しか勝っていないのに、常に史上最強馬として名を連ねる、こんな馬他にはいない。
日本の20世紀の最強馬なら1位かな。20世紀の名馬だと人気やG1勝利数とか他にも色々要素が絡んで来るから。強さだけの比較なら1番かも知れない。逃げてさらに突き放すというのがね、並みの逃げ馬には出来ないよね。
マルゼンスキーの晩年を早来の橋本牧場で見学させてもらったんだよな。確か船ゆすりしてたなぁ、、、
服部は中野渡に対して「俺のところの馬を出したんだから、タイムオーバーになるような大差は勘弁してくれ
タイムオーバーになったとしても罰則は勘弁してあげてほしい程の実力差
@@星崎まりも 「なにか止まった」からの7馬身差の1着ですからねw
オープン戦で、タイムオーバーになるから…と出走回避する他馬の調教師たちに、『タイムオーバーにはしないから出てくれ』と頼んだとかw
俺が聞いたのは逆でしたね。他馬の調教師が「出走してあげるからタイムオーバーにしないでくれ」ってみたいなことを言ってたらしいw
どっちもえげつないエピソードで草
「進軍ラッパ」で知られた服部正利調教師ですね。
走り方が、他馬と全然違うんだよな。
8戦で61馬身差。しかも、1.脚部不安から仕上げられたのは朝日杯だけ2.ありえないほどナメて騎乗したら接戦になった3.出走馬が少なくて不成立になりそうだったレースに管理馬を出走させてレースを成立させてくれた調教師のために、他馬をタイムオーバーにしないように気をつけて走った4.ゴール板を勘違いして、後続に追いつかれて、そこから7馬身差つけた「本当はもっと差がついたはず」と思わせるエピソードがわんさかある。周りとの差があるという意味では歴代最強馬だと思っています。
持ち込み馬にクラシック出走権が無かった時代、ニシノフラワーやビワハヤヒデやフサイチコンコルドやキングカメハメハとかもこの時代で走っていたらクラシックに出走出来なかった事を考えるとこれだけの馬ですし本当に不運でした。
この時代にフサイチコンコルドがいたら音速(笑)の末脚という名実況は誕生しなかったわけか…
この馬が日本で走っていたことが、マルゼンスキーにとっては不幸かもしれないが、日本競馬にとっては繁殖そして影響力ともにプラスになった
スペシャルウィークがいなくても牝系から消えることはないやろな
生まれた時代が違えば日本競馬の歴史を塗り替えたかもしれない歴代最強の馬と個人的に思ってる
マルゼンスキー賞とかあったかも
生まれた時代すら早すぎた馬
1986年とかに生まれていたらそれこそ無双していたかもね
ウマ娘で知りました。本家はカッコよくて強い馬ですね!
マルゼンスキーが最近にいたらディープインパクトがどうこう言ってる場合じゃなかったかもなw
友希那&日菜推しバンドリ好き ディープ最強って言ってる人はマルゼンスキーを知らない人、サイレンススズカを最強の逃げ馬って言ってる人もマルゼンスキーを知らない人。この馬の逃げはディープでも追いつけないと思うね。本気で走ってたら、100%の状態で走ってたら事故ってだと思うけどね。
Man e それなですよね、この前友人に競馬知ってると言われ僕は競馬昔から見てたのでオォ知ってると言ったらキタサンブラック強いよなとか言って来てはぁ?てなりました笑笑マルゼンスキー知ってる?って聞くと弱そうとか言ってました、マジで素直に死んで欲しいw
ティルいんきゃ 「キタサンブラック強いよな。」は別にその時点でキレる要素ないでしょ。ニワカも歓迎しないとコンテンツとして終わっていっちゃうよ
レコードタイムという一つの物差しはあるにせよ、各世代に最強はいる。記録や記憶。直接対決ができない以上、語るは個人の夢である。貴方に夢の記憶があるのなら、私にも夢を語る自由があるでしょう。酒の肴に···
マルゼンスキーは脚質が逃げだったんじゃなくて誰も追い付けなかったから逃げる格好になっただけとかもう別の生き物扱いじゃないか
ニジンスキーの馬体ってディープっぽいな血統が凄すぎるw
有馬に出る予定だったけど、最終追い切りで屈腱炎発症(2度目)して引退だもんなあ。評価の物差しに一番なれそうだったヒシスピードも4歳限りで引退してるし、個人的にはクラシックよりもトウショウボーイとテンポイントの叩き合いのあのレースに出走してるところを本当に見たかった。
色々運が悪すぎたよね全てのタイミングが悪かった強さと引き換えに運を持って行かれた名馬
逃げ馬というか、絶対的なスピードが違って周りがついて来れなかった感じだな。そういう面ではサイレンススズカに似たところがあるかな〜。
そうですね、逃げ馬というか単なる「馬なり」で誰もついてこれなかった。そんな感じに見えますね。
なお3歳時のサイレンススズカ
この時代の外国産馬って圧倒的だったよな。
この血統、この走りなら、20世紀の日本最強馬だったかも…エルコン、ナリブーに匹敵する強さだと思います。
ちなみりマルゼンスキーとナリタブライアンは朝日杯の勝ち時計が共に1.34.4
エルコン入れるならススズもだね
競馬が発展した時代の馬と張り合えるのやべぇよ
@@hitoshiishikawa1736 ナリタブライアンより馬場が良くないだろうにそれでも三冠馬と張り合うタイムとかやばいね
@@えび-j9m 14年更新されなかったからね
世界のトップホースになれる馬が当時の日本にうっかり来てしまった感。
思いだしたがダビスタでは足元Cだったような?
この日本競馬史上(恐らく)最高能力サラブレッドスーパースターマルゼンスキーと同級生皐月賞馬ハードバージは余りにも対照的な生涯でした。沢木耕太郎や山際淳二スポーツノンフィクョン作品よりも劇的ドラマチックな両馬かと思います。
ダビスタの大逃げ馬見てるみたい。強い!
手綱をしごいて…抑えております。どっちなのか?
asikekanotu 笑
ニジンスキー足長いなー
府中歳ステークス時と、朝日杯3歳ステークスの勝負服が違うのですが、馬主が変わったのですか?競馬素人の疑問です。何故?
府中3歳の時は貸し服ですね。橋本善吉さん、馬主になられたばかりで勝負服の登録は申請中だったのでしょうね。同様のケース、今もたまに見掛けます。
思い出美化するのも仕方ない位の強さだね。順位が低いのは、クラシック出走経験もないし、当時の4歳で引退してるからその後どうなるか判断できないってのもあるんだろう。ただ、個人的にはもう少し上でもとは思うが、今のG1馬とかを下に見るのは違うかな。
マルゼンスキーより唯一強いかもと思うのは伝説馬クリフジだけ。
何でこの馬が32位なの?低すぎじゃない?
古馬と対戦していなくて真の実力が見えていないからでしょう。この馬なら古馬と戦っても勝っていたなんてのは後からいくらでも言える。
最後のレース古馬と対戦してるね
強すぎる
32位とは低評価やね…競走成績なんか考えたら5指に入るよ。
これヒシスピードも中々強くない?w
有名なエピソードですが、この時中野渡騎手は完全に油断していて、しかもいつも調教ですら一杯に追われることがなかったため、マルゼンスキーの反応が鈍くて辛勝になっただけです。そこで中野渡騎手は力が違うことを見せつけるために、次の朝日杯ではマルゼンスキーがヒシスピードを13馬身ちぎってみせて、ヒシスピードの小島太騎手(現調教師)が「ありゃあバケモンだあ」と呆れたように言ったそうです。
脚元が弱く調教ですら目一杯追った事がなかったそうですが、前走のような事がないよう朝日杯の時だけは目一杯追ったそうです。
春の段階で後のダービー馬と菊花賞馬を府中1800で捻り潰せるくらいには強い。
脚元不安といえばオースミタイクーンもいた。調教はプールと馬なり、やっても15-15がやっと。それでもオープンまで勝ち上がった良血馬。マルゼンとは格が違うけど。
日本で走った馬の中では、サンデーサイレンス産駒が出る前までは、最強馬だったと思う。オープン馬と500万くらいの格差があった感じ。もっとかな?(笑)
これ見たらウマ娘のマルゼンの二つ名取得の難しさが納得だわ
マルゼンスキーが国産馬だったら?と思うとどんな競馬史になっていたのでしょうね。競馬にタラレバはないけど…
マルゼンスキー経由したニジンスキーのクロスは良く走る
マルゼンスキー様、フォルキャップ🧢に奇跡のチカラを!
生まれがもう少し早ければ、余裕でクラシックレースに出れたんだろうな。未完の黒船とでも呼びたい。
マイペース=ハイペース?いや、まわりが遅いだけですっていう近年ではサイレンススズカ並みのスピードモンスターでしょ♪
ヒシスピード『出てこないでよ(´・ω・`)』
こんだけの大差で勝ちまくってたのなら、傑出度ならマジで歴代最強なんじゃね? てか走るレースないから海外に行けばよかったんじゃ
次の年は凱旋門賞目標に海外行く予定だったんですよ
ヒシ〇〇って昔からいるんだねえ
札幌競馬場ってこの時代 芝コースがなかった時でしたね もっと昔は左回りだったような?
競馬の世界にタラレバはあれだけどそれでもクラシックや海外G1に参戦してたらどれだけ勝ってたんだろうか
それこそ10勝は下らない
産駒はかなりいたきがするが思い出せない。
菊花賞馬ホリスキーやダービー馬のサクラチヨノオーとか宝塚記念勝ったスズカコバンとかいますが、自分が競馬を観始めた年が遅かったのでどちらかというとライスシャワー、ウイニングチケット、メジロブライト、スペシャルウィークなどの母の父としての印象が強かったです。
レオダーバン
この時代に海外に行くっていう発想があれば。。。凱旋門賞馬になってたかもしれないね。。。?
脚部不安を常に抱えた馬だったと言うから、実際には難しかったのでは。
ヒシ冠この頃から居たんだね
ヒシは三代目だからね。このヒシスピードは、ヒシアマゾンの阿部雅一朗氏の父親の持ち馬ですよ。
Ifの世界だから何とも言えないがサイレンススズカ・ルドルフ・ディープ・オルフェ・・・どれも日本競馬界最強馬になる可能性はあった馬だよな
賞金はいらないからダービーに出走を懇願していたような?違うかな?
その通りですよ❗😃
5:04 ここ「あーあーあーあー笑」って言ってる人いて草
クラシックに出てれば日本競馬の歴史は変わっていたかもしれない最高傑作の競走馬
母父としても優秀でしたよね
サンデー マルゼンとか最高 キングロとは合わなかったなあ・・・アジュディケーティングとはまだ合ったか・・・そうでもないか
当時の日本や海外の新聞、雑誌記事、著書を見るとちゃんと書いてましたよね。
「ニジンスキーの最高傑作は日本にいた」
「もしアメリカに残っていたら、シアトルスルーの無敗どころか三冠すらなかっただろう」
ニジンスキーの仔が日本で走ること自体凄いことなのに、その馬がたまたま最高傑作級だったんだよな
当時の馬場状態でこの時計凄い。
日本の伝説の馬!中野渡騎手「ダービーに出させてくれレースの邪魔はしない大外枠でいいから」名言。
“賞金はいらない”
も言っていたそうだね
「大外枠でいい。賞金もいらない。
他の馬の邪魔はしない。
この馬の能力を確かめるだけでいい。
だから、マルゼンスキーを
走らせてやって欲しい。
そうすれば
どの馬が一番強いのか分かる。」
TTGが負けるとマズイので有馬記念な出させてもらえなかったという怪しい噂が当時の競馬ファンの間で囁かれたとか。それ程当時外国種牡馬の産駒が珍しかった日本競馬界に与えたインパクトが強かったマルゼンスキー。ちなみに生産者の橋本さんは牛の生産では海外にも名前が知られている方であのオリンピックメダリスト橋本聖子さんのお父上です。
まぁ実際引退していなかったら、あの二頭の素晴らしい接戦の5馬身先くらいでマルゼンスキーがゴールしてそうですね。
@@才也電卓 5馬身は言い過ぎだろうけど絶対勝っていたと思う
個人的に歴代最強の馬だと思う。
幻の三冠馬と言われるフジキセキやアグネスタキオンも凄かったが、それ以上にマルゼンスキーの走りは重賞でのレースとは思えないほど実力差がありすぎ。
ニジンスキー最高傑作がなぜか日本で走っていたという奇跡
主戦の中野渡騎手はマルゼンスキー引退後、スピード感覚が狂ってしまって、逃げては潰れるレースを繰り返したとか。
いかにずば抜けた強さ、速さを備えていたかが窺えるエピソードだと改めて思います。
@Takafumi Suzuki
競馬ゲーム「ウイニングポスト」の発売元の光栄(現コーエーテクモゲームス)から出ていた本にそんな記述がありました。
絶版になって久しいですが。
有名な話ですよね。競馬好きと言うよりは詳しい人は知ってる話ですよね!新しく知り合った競馬好きにこの話をして知ってたら、おっ!ちゃんと知識あるなって線引きしてますね(笑)
たらればと色々思う事はあるが、確実に言い切れると思うのはあの時代、この馬が現役の時代において無双であり最強であったと言う事だ。
生まれてく時代と国が違かったのか
ニジンスキーの最高傑作
ラムタラ「せやな」
@@キングクラウン 繁殖実績が物語ってる
@@雪-z2r5s ノーザンダンサーの2×4とか馬が走ったのすら奇跡なのに、当時ノーザン祭りだった日本で種牡馬成功するなんて無理
@@んんんんん-h3e サンデーサイレンスの子孫祭りの日本でサンデー系種牡馬が成功してる以上その理屈は通用しない。せめてG1馬を1頭くらい出さんと
@@slay4385前提から全部話すと、そもそも当時の日本では3×4(いわゆる奇跡の血量)でも活躍馬がほとんどいないし、忌避されていた(つまり当時主流のノーザン系牝馬にラムタラは付けられなかった)。さらに、サンデーは社台、ラムタラは日高。以上の2つから繁殖の質は歴然。さらに言えば、マルゼンスキーはそもそも日本で走った馬だし、サンデーサイレンスは日本の芝に合ったスピード血統だったんだろう。それに比べてラムタラは欧州で走った馬で、日本でも走る根拠はない。実際ガリレオ産駒なんか輸入されて日本で調教されても全く走ってない。
ただ、もしこれらの条件が全てクリアされて、欧州で上質な繁殖牝馬を宛てがわれたとしても、この血統背景から見て成功を収める確率は低いだろうな。
持ち込み馬ゆえ3冠レースに出られない不運を被りましたが
スーパーカーの異名を得たマルゼンスキー号が残した蹄跡は
今も色褪せませんね。
最強馬なんて人それぞれで答えなんか出ないんやけど、最強馬って言われても誰も否定できない馬やね。
タラレバでしかないけど、それでも否定する根拠が余りにも見つからなすぎる
今から思うとこの馬の凱旋門賞が見たかったな
個人的にはブリーダーズカップかなぁ
凱旋門だと斤量が重い
@@ガロードラン-s2b つーかアメリカ血統やから通用せんやろ
余裕を出し過ぎてハナ差の府中3歳Sはともかく、他はもうレースになっていない。
少なくとも10年以上は先のレベルで走ってる馬だった。
ダート1200で10馬身てw
大外でも良い。出走させてくれと言ったがマル外の為にダービー出走がかなわなかった。マル外であってもクラッシクに出れるようになったのもマルゼンスキーが居たからこそ。
史上最強馬❗名古屋市尾頭橋のウィンズでこのマルゼンスキーの映像見てると先輩方(笑)が後ろで語ってましたね(笑)
日本のセクレタリアト!伝説の馬。
何でこんな良血馬がこの時代の日本なんかに着たのか
競走馬時代が消化不良気味の良血馬
そりゃ日高の古い牝系と合うわ
日本短波賞で力を弱めて他馬に追いつかれて中野さんから「コラッ!」ってマルゼンスキーに叱った話があったね
何気に産駒が長距離こなしてしまうっていう所が余計に評価を上げたよね。
こなすどころか3000と3200のG1でレコード出しちゃった子孫いるからもうヤバい
子のホリスキーが菊花賞レコード、それを破ったのが孫のライスシャワー
その後ビワハヤヒデに破られて意向長らく奪還出来なかったが、曾孫のトーホージャッカルがレコード奪還
産駒ではサクラチヨノオーとニシノスキーが1600の朝日杯3歳S勝者だけど
スズカコバンが2200宝塚記念、サクラチヨノオーが2400東京優駿、ホリスキーとレオダーバンが3000菊花賞、
障害ではダイカツストームが4100mの中山大障害を大差勝ちと中・長距離でも結果を出しただけに
2500の有馬もいけたんじゃないかと思ってしまいますね。
橋本聖子の親父が、偶然にもアメリカに行って高額セリ落としでって言う物語になるストーリー
初めて見た…
ヒシスピードすごいな…あんな接戦をえんじていたとは
のちの菊花賞馬プレストウコウを子供扱い。クラシック出してあげたかったな
6頭立ての朝日杯とか、未来永劫ないよね。
そもそも日本のG1は少頭数ってないね
馬券買わなくても楽しめるレースですな😺まさにプロのサラブレッド。!
参議院議員の橋本聖子さんはスピードスケートの選手で世界で活躍した方。マルゼンスキーを自身の弟のように可愛がっていたそうです。
所説ありますが、マルゼンスキーが亡くなり、亡骸を棺に入れるときに「橋本聖子さんが獲得したメダルを棺に入れた」というエピソードがあります。
このときに入れたメダルは銅メダルか金メダルかでハッキリとしていないそうなのですが、個人的に「生涯負けることの無かったマルゼンスキーに対して、銅メダルを送るなんてことはできない」として、金メダルを入れたのではないかと考えます。
どちらにしてもリスペクトを感じる心温まるとてもアツいエピソードで、さらにマルゼンスキーを好きになりました。
この馬は別格だな何か違う生き物に見えるw
もしアメリカに残っていればシアトルスルーの無敗の三冠は無かった。
橋本氏ではなく吉田氏がセリ落としてたら、社台の馬としてレベルの高い牝馬との配合でもっと強い子を沢山残せていた。
色々なもしに夢がある馬ですよね。
君の強さは語り継がれているよ
今こんな馬いたらwwww
最強馬の一頭。この馬と互角に闘えるのはクリフジかルドルフか、あるいは3歳のブライアンか、神が降臨した時のツインターボくらいだろう。
ディープやオペやオルフェや覚醒した後のススズは?
@@キングクラウン
時代が違う馬と比べたりする人よくおるけどナンセンス過ぎて冷める
夢の第11レースにこの馬も入れようぜ
プレストウコウが日本短波賞(ラジオNIKKEI賞)で負けるにしてもちぎられてさえいなければ…
マルゼンスキーとプレストウコウのこの一戦が、この世代のクラシックホースの立場に大きな影響を与えたことは間違いない。種牡馬実績に関しても言わずもがなである。
これはまさにスーパーカーですわw
日本競馬史上真の最強馬と言い切っていいと思う
俺も賛成
8戦で着差の合計61てwwwwwwwww
しかも手加減とうっかり失速(でも7馬身差)を含んでるのが
@@エィホゥ もっと言えば全力で走ったレースは1度も無いという…
マルゼンスキーに関してはこの戦績やからこそかっこ良いってのがある
実際三冠取ってないけど満場一致で取ってるであろうと予想される馬ってだけで伝説
マルゼンスキーの1歳上の世代にトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスといわゆるTTGがいたから対決が見たかったような見なくないような
しかも出走予定だった有馬記念はテンポイントが勝ったレースで
序盤からテンポイントとトウショウボーイがハナ争いしていたマッチレースでしたからね
この馬の最大の悲運は「日本で生まれてしまった事」だったのかも
ひょっとしたら凱旋門賞でも余裕で勝ち負けする実力があったかもしれない馬が、
当時の規定ではクラシックにも出走できない日本で競争生活を送らざるを得なかったのだから
すまん、挙げ足取りたくて取りたくて我慢ならなかった。
生まれたのはアメリカ
@@oii8577
あれ?マルゼンスキーって持込馬だったと記憶していたのだが...
当時の規定で持込馬もマル外扱いの為、クラシックや天皇賞に出走不可だったと
@@bsaamizu722 その通り!俺が間違ってた!
@@oii8577母馬はアメリカで買われたが日本に連れ帰ってから産まれたから日本生産馬
また視聴してしまった。まさに日本のセクレタリアート
調教師時代の中野渡さんと福島のパブで話したことがあります。脚曲がりだったので、とにかくパンクが怖くて追えなかったそうです。
ほんとに脚部不安だったんですね
たらればですが、本来の全力のマルゼンスキーの強さを見てみたかったです
府中でちょっと気を抜いて肝を冷やしたので、朝日杯だけは全力で追ったと読んだ事があります。
@@タックマン-i6g 結果「ハナ差」からの「大差勝ち」だからね、異常すぎる
Jリーグ開幕時の助っ人外国人と日本人みたいですね。
野球で言うとヤクルトのホーナーみたいな馬、すごさを知らしめて太く短く散っていった。時代が違えば、三冠馬になっていたかも。
アメリカの同世代にシアトルスルー。その下の世代もジョンヘンリー、アファームド、アリダー。欧州に買われていてもライバルとなるのはザミンストレル、アレッジド。どこでデビューしても厳しい戦いしかなかった訳だけど、一番過酷になるだろうアメリカで走る姿を見てみたかった。
アメリカで走ってたら、マルゼンスキーはイージーゴアみたいな人気者になりそう
そしてシアトルスルーは引退後日本に…
アメリカで走ってたら、シアトルスルーと三冠を分け合っていただろうね。
確か何年か前に井崎先生が歴代最強馬で名前を挙げていましたよね
丁度規制の入った10数年の間に生まれてしまったが故に。。。。
規制が〇外だけのままならクラシックで走れたのになぁ
一概には言えないですけど、それでも日本競馬史上5本の指に入る名馬だと思います。
私がすごいと思うのは、勝ったレースの着差だけではなく、あの際どかった府中3歳Sの勝負根性。
産駒のサクラチヨノオーのダービー、サクラエイコウオーの弥生賞を見るとそっくりな直線のたたき合い。
大差じゃなくとも並んでも抜かせない勝負根性も持っていたと思われるレースでした。
さらに8戦は外国産馬ゆえの制限のため短距離が多かったが、
産駒と母父としても菊花賞馬、ダービー馬とむしろ長距離適性の高い産駒が出ている。
当然本馬も長距離適正もあったものと思われ、出走していたらどうなっていたのかと、考えてしまう。
スピードが凄いうえに、競り合っても抜かせない勝負根性、距離の融通性、芝・ダート問わない馬場適正、
戦績だけでは計れない、今のヘナチョコG1馬レベルとは違う、ものすごい怪物だった。
適性
本当すごかった!
ニジンスキー血統最高に近い強さでした!
ラムタラ「俺じゃないん?」
G1朝日杯しか勝っていないのに、常に史上最強馬として名を連ねる、こんな馬他にはいない。
日本の20世紀の最強馬なら1位かな。
20世紀の名馬だと人気やG1勝利数とか他にも色々要素が絡んで来るから。強さだけの比較なら1番かも知れない。逃げてさらに突き放すというのがね、並みの逃げ馬には出来ないよね。
マルゼンスキーの晩年を早来の橋本牧場で見学させてもらったんだよな。確か船ゆすりしてたなぁ、、、
服部は中野渡に対して「俺のところの馬を出したんだから、タイムオーバーになるような大差は勘弁してくれ
タイムオーバーになったとしても罰則は勘弁してあげてほしい程の実力差
@@星崎まりも 「なにか止まった」からの7馬身差の1着ですからねw
オープン戦で、タイムオーバーになるから…と出走回避する他馬の調教師たちに、
『タイムオーバーにはしないから出てくれ』と頼んだとかw
俺が聞いたのは逆でしたね。
他馬の調教師が「出走してあげるからタイムオーバーにしないでくれ」ってみたいなことを言ってたらしいw
どっちもえげつないエピソードで草
「進軍ラッパ」で知られた服部正利調教師ですね。
走り方が、他馬と全然違うんだよな。
8戦で61馬身差。しかも、
1.脚部不安から仕上げられたのは朝日杯だけ
2.ありえないほどナメて騎乗したら接戦になった
3.出走馬が少なくて不成立になりそうだったレースに管理馬を出走させてレースを成立させてくれた調教師のために、他馬をタイムオーバーにしないように気をつけて走った
4.ゴール板を勘違いして、後続に追いつかれて、そこから7馬身差つけた
「本当はもっと差がついたはず」と思わせるエピソードがわんさかある。周りとの差があるという意味では歴代最強馬だと思っています。
持ち込み馬にクラシック出走権が無かった時代、ニシノフラワーやビワハヤヒデやフサイチコンコルドやキングカメハメハとかもこの時代で走っていたらクラシックに出走出来なかった事を考えるとこれだけの馬ですし本当に不運でした。
この時代にフサイチコンコルドがいたら音速(笑)の末脚という名実況は誕生しなかったわけか…
この馬が日本で走っていたことが、マルゼンスキーにとっては不幸かもしれないが、日本競馬にとっては繁殖そして影響力ともにプラスになった
スペシャルウィークがいなくても牝系から消えることはないやろな
生まれた時代が違えば日本競馬の歴史を塗り替えたかもしれない歴代最強の馬と個人的に思ってる
マルゼンスキー賞とかあったかも
生まれた時代すら早すぎた馬
1986年とかに生まれていたらそれこそ無双していたかもね
ウマ娘で知りました。本家はカッコよくて強い馬ですね!
マルゼンスキーが最近にいたらディープインパクトがどうこう言ってる場合じゃなかったかもなw
友希那&日菜推しバンドリ好き
ディープ最強って言ってる人はマルゼンスキーを知らない人、サイレンススズカを最強の逃げ馬って言ってる人もマルゼンスキーを知らない人。この馬の逃げはディープでも追いつけないと思うね。本気で走ってたら、100%の状態で走ってたら事故ってだと思うけどね。
Man e それなですよね、この前友人に競馬知ってると言われ僕は競馬昔から見てたのでオォ知ってると言ったらキタサンブラック強いよなとか言って来てはぁ?てなりました笑笑マルゼンスキー知ってる?って聞くと弱そうとか言ってました、マジで素直に死んで欲しいw
ティルいんきゃ 「キタサンブラック強いよな。」は別にその時点でキレる要素ないでしょ。
ニワカも歓迎しないとコンテンツとして終わっていっちゃうよ
レコードタイムという一つの物差しはあるにせよ、各世代に最強はいる。記録や記憶。直接対決ができない以上、語るは個人の夢である。貴方に夢の記憶があるのなら、私にも夢を語る自由があるでしょう。酒の肴に···
マルゼンスキーは脚質が逃げだったんじゃなくて誰も追い付けなかったから逃げる格好になっただけとかもう別の生き物扱いじゃないか
ニジンスキーの馬体ってディープっぽいな
血統が凄すぎるw
有馬に出る予定だったけど、最終追い切りで屈腱炎発症(2度目)して引退だもんなあ。
評価の物差しに一番なれそうだったヒシスピードも4歳限りで引退してるし、個人的にはクラシックよりも
トウショウボーイとテンポイントの叩き合いのあのレースに出走してるところを本当に見たかった。
色々運が悪すぎたよね
全てのタイミングが悪かった
強さと引き換えに運を持って行かれた名馬
逃げ馬というか、絶対的なスピードが違って周りがついて来れなかった感じだな。
そういう面ではサイレンススズカに似たところがあるかな〜。
そうですね、逃げ馬というか単なる「馬なり」で誰もついてこれなかった。
そんな感じに見えますね。
なお3歳時のサイレンススズカ
この時代の外国産馬って圧倒的だったよな。
この血統、この走りなら、20世紀の日本最強馬だったかも…
エルコン、ナリブーに匹敵する強さだと思います。
ちなみりマルゼンスキーとナリタブライアンは朝日杯の勝ち時計が共に1.34.4
エルコン入れるならススズもだね
競馬が発展した時代の馬と張り合えるのやべぇよ
@@hitoshiishikawa1736 ナリタブライアンより馬場が良くないだろうにそれでも三冠馬と張り合うタイムとかやばいね
@@えび-j9m 14年更新されなかったからね
世界のトップホースになれる馬が当時の日本にうっかり来てしまった感。
思いだしたがダビスタでは足元Cだったような?
この日本競馬史上(恐らく)最高能力サラブレッドスーパースターマルゼンスキーと同級生皐月賞馬ハードバージは余りにも対照的な生涯でした。沢木耕太郎や山際淳二スポーツノンフィクョン作品よりも劇的ドラマチックな両馬かと思います。
ダビスタの大逃げ馬見てるみたい。強い!
生まれた時代すら早すぎた馬
手綱をしごいて…抑えております。
どっちなのか?
asikekanotu
笑
ニジンスキー足長いなー
府中歳ステークス時と、朝日杯3歳ステークスの勝負服が違うのですが、馬主が変わったのですか?
競馬素人の疑問です。何故?
府中3歳の時は貸し服ですね。
橋本善吉さん、馬主になられたばかりで勝負服の登録は申請中だったのでしょうね。
同様のケース、今もたまに見掛けます。
思い出美化するのも仕方ない位の強さだね。順位が低いのは、クラシック出走経験もないし、当時の4歳で引退してるからその後どうなるか判断できないってのもあるんだろう。
ただ、個人的にはもう少し上でもとは思うが、今のG1馬とかを下に見るのは違うかな。
マルゼンスキーより唯一強いかもと思うのは伝説馬クリフジだけ。
何でこの馬が32位なの?低すぎじゃない?
古馬と対戦していなくて真の実力が見えていないからでしょう。
この馬なら古馬と戦っても勝っていたなんてのは後からいくらでも言える。
最後のレース古馬と対戦してるね
強すぎる
32位とは低評価やね…
競走成績なんか考えたら5指に入るよ。
これヒシスピードも中々強くない?w
有名なエピソードですが、この時中野渡騎手は完全に油断していて、しかもいつも調教ですら一杯に追われることがなかったため、マルゼンスキーの反応が鈍くて辛勝になっただけです。そこで中野渡騎手は力が違うことを見せつけるために、次の朝日杯ではマルゼンスキーがヒシスピードを13馬身ちぎってみせて、ヒシスピードの小島太騎手(現調教師)が「ありゃあバケモンだあ」と呆れたように言ったそうです。
脚元が弱く調教ですら目一杯追った事がなかったそうですが、前走のような事がないよう朝日杯の時だけは目一杯追ったそうです。
春の段階で後のダービー馬と菊花賞馬を府中1800で捻り潰せるくらいには強い。
脚元不安といえばオースミタイクーンもいた。調教はプールと馬なり、やっても15-15がやっと。それでもオープンまで勝ち上がった良血馬。マルゼンとは格が違うけど。
日本で走った馬の中では、サンデーサイレンス産駒が出る前までは、最強馬だったと思う。
オープン馬と500万くらいの格差があった感じ。
もっとかな?(笑)
これ見たらウマ娘のマルゼンの二つ名取得の難しさが納得だわ
マルゼンスキーが国産馬だったら?と思うとどんな競馬史になっていたのでしょうね。競馬にタラレバはないけど…
マルゼンスキー経由したニジンスキーのクロスは良く走る
マルゼンスキー様、フォルキャップ🧢に奇跡のチカラを!
生まれがもう少し早ければ、余裕でクラシックレースに出れたんだろうな。
未完の黒船とでも呼びたい。
マイペース=ハイペース?
いや、まわりが遅いだけです
っていう近年ではサイレンススズカ並みのスピードモンスターでしょ♪
ヒシスピード『出てこないでよ(´・ω・`)』
こんだけの大差で勝ちまくってたのなら、傑出度ならマジで歴代最強なんじゃね? てか走るレースないから海外に行けばよかったんじゃ
次の年は凱旋門賞目標に海外行く予定だったんですよ
ヒシ〇〇って昔からいるんだねえ
札幌競馬場ってこの時代 芝コースがなかった時でしたね もっと昔は左回りだったような?
競馬の世界にタラレバはあれだけどそれでもクラシックや海外G1に参戦してたらどれだけ勝ってたんだろうか
それこそ10勝は下らない
産駒はかなりいたきがするが思い出せない。
菊花賞馬ホリスキーやダービー馬のサクラチヨノオーとか宝塚記念勝ったスズカコバンとかいますが、自分が競馬を観始めた年が遅かったのでどちらかというとライスシャワー、ウイニングチケット、メジロブライト、スペシャルウィークなどの母の父としての印象が強かったです。
レオダーバン
この時代に海外に行くっていう発想があれば。。。凱旋門賞馬になってたかもしれないね。。。?
脚部不安を常に抱えた馬だったと言うから、実際には難しかったのでは。
ヒシ冠この頃から居たんだね
ヒシは三代目だからね。このヒシスピードは、ヒシアマゾンの阿部雅一朗氏の父親の持ち馬ですよ。
Ifの世界だから何とも言えないがサイレンススズカ・ルドルフ・ディープ・オルフェ・・・どれも日本競馬界最強馬になる可能性はあった馬だよな
賞金はいらないからダービーに出走を懇願していたような?違うかな?
その通りですよ❗😃
5:04 ここ「あーあーあーあー笑」って言ってる人いて草