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先日平泉を旅しましたが、少し積もっている雪景色がまた美しかったです。心が浄化されていく感じがしました🙌
昔、大河ドラマの「炎立つ」という奥州藤原三代の話を見ていました。視聴率は良くなかったらしいけど、私は毎週すごく楽しみにしていました。懐かしいです。
自分も当時観てました‼︎どハマりして、日曜の本放送+土曜の再放送迄観るほどでした
私も好きで見てました!面白かったのに。ドラマ見た後、家族旅行で中尊寺金色堂行ったのも良い思い出です。
@@katz299 渡辺謙が一人二役やっていました。確か藤原経清、泰衡
1993年あたりの作品ですよね…当時は今ほど戦国幕末化しておらず、太平記…琉球…応仁の乱…吉宗…と色々な時代を扱ってた😂
自然ミイラとしては保存状態がかなりいいですよね。しかも泰衡の額の五寸釘の跡までわかるって怖いですね。
サムネのミイラ…と同じような格好で、うちのお母さんが昼寝してたな😪…。
うちの場合は、家内が同じような格好で寝てるな…食後の食器山積みで…😓。
@@hiroki578 奥さんも大変なんですね、家事が😅。しかし、ミイラと同じポーズはキツいですかね、お互い。
@@健利石原 さん そうですね、キツイですね。ですが、寝姿とミイラ見たとき、笑ってしまいました。(ミイラ、すまん。…家内とミイラどちらに詫びるか迷った)。
笑
すみません!!コメントに、大爆笑🤣🤣🤣
秀郷流という京の藤原氏の血を引き、地元の実力者たる清原氏の親戚関係になることも繁栄を支えたと思う今では清原氏も生粋の蝦夷じゃなくて都から来た一族との混血って言われてるらしい…ちなみに黄金とミイラ、古代エジプトを連想させる祟りがあるとこまで共通してる物凄い偶然
藤原四代の覚え方きもひやすき→きよひらも→もとひらひ→ひでひらやす→やすひら
懐かしいですね。平泉はいい所です。行ったことの無い方は是非。ミイラの調査の記録映像もみれます。資料館もコンパクトですがいい。秀衡の着物は大きかった印象があります。藤原泰衡の首級の刀傷は逃亡中に裏切りにあいつけられたものでは?頼朝に首は持っていっただろうからニセ首だったのでは?泰衡として弔えなかったので忠衡にして後々ばれて罪に問われない様にしたと推測してます。頼朝によって焼かれなかったら凄かったでしょう。
+ヒロシ 田部井様平泉はボーイスカウト時代第1回日本ベンチャー大会の時訪ねました。平泉から隣の水沢(日本ボーイスカウト連盟初代総長・後藤新平生誕地)へサイクリングで行きました、行程の景色も良かったです。藤原泰衡は平泉から脱出中家臣の河田次郎に裏切られて討たれ、河田次郎が泰衡の首級を頼朝に差し出したら頼朝は激怒し即座に処刑するよう命じたそうです、頼朝は父・義朝が家臣の長田忠致の裏切りで暗殺されたトラウマから主君を裏切る家臣を絶対に許さなかったのです。
@@古澤修-b1m 様へ。だいぶ前に勉強したので結構忘れてました。いろいろ丁寧に有難うございます。ユーチューブの投稿は基本テキストを見ないので。もしその話が歴史的事実なら、首級が返され正式に埋葬できそうですね。名前を忠衡にする必要もなくなります。頼朝は義経の首を要求し、いざ塩漬けの首級が届くと涙をこぼした話が伝わってます。近年、鎌倉幕府に関する歴史本を何冊か読んだのですが、歴史的事実を確認するにはかなり資料が少ないですね。現在放映されている大河は北条氏が政権を独占していくものですが、御家人たちの争いの本当の姿はわからないことだらけです。面白い投稿有難うございます、又別の投稿での意見交換楽しみにしてます。
@@古澤修-b1m 様へ。本格派の投稿を多くして貰い、本当に読んでて楽しかったです。実は泰衡の首級、忠衡の名前についてもう一つ仮説を推測してました。泰衡は藤原氏を呆気なく滅亡させた。4代当主から外し、忠衡が秀衡の遺言を守ったので供養してあった首を4代当主として残した。 以上です。
@@ヒロシ田部井 様色々と返信コメント頂きありがとうございます。興味深い仮説ですね、私も調べてみた所忠衡には生存説があって遠くは能登の地に忠衡の子孫とされる氏族が存在しているそうです。義経と同様生存説がある事から、義経を裏切った泰衡の首級を秀衡の遺言を守り義経を守ろうとした忠衡の首級として供養したという仮説の裏付けにもなりそうです。
@@古澤修-b1m 様へ。いろいろお調べ頂き感謝です。歴史の謎は、明らかになっても不明のままでも楽しめますね。本当に有難う御座います。 只今 昼休憩中です。
BGMがすごく好きです🥰今回も面白い動画ありがとうございます‼️
金色堂は長年修理の手が付けられず、それこそボロボロになっていたんですよね。もし大雪で倒壊していたら藤原四代のミイラもどうなっていたか判らず、昭和の大修理は本当にギリギリだった感があります。
修理までの苦難はNHKの『プロジェクトX』で取り上げられてました。又金色堂の特集番組で内部にカメラが入り、凄い細工が施されていて、ため息しかでませんでした。国営放送恐るべし。
昭和の大規模修理前にも幾度かの修復の跡がありましたけど漆を塗って埋めただけの酷い状態でした。一応金色堂には風雨雪避けの鞘堂はありましたがただ屋根と壁で覆っただけで温湿度調整ができなかったため昭和の大修理後は温湿度調整ができる新鞘堂に移されてますね。(「おくのほそ道」にも記述のある旧鞘堂は現存しています)
@@古澤修-b1m 様へ。詳しい投稿期待していたので、有り難いです。待ってました。又、別の投稿での意見交換楽しみにしてます。
NHKの番組で金色堂は、お堂の後ろから日光が入り、まさに浄土から仏像チームが来迎したように見えたかもしれないとのこと。しかし、後ろが山ではダメでしょうが。兵庫の小野市に「浄土寺」がありますが、ここも後ろから夕日?が入り、阿弥陀軍団がご来光に包まれます。あ、それから「義経・弁慶」に興味のある人は、このUA-camにも有りますが、FM田辺が制作した「弁慶記」全60話があります。面白いから聞いてみてください。なんでも弁慶の出身地は、和歌山の田辺だそうで。よう知らんけどね。
大河ドラマ「炎立つ」なかなか面白かったです。
霊夢の『原と清が多すぎよ』ってつっこむの好き(笑)😂😂😂
中学3年の時、修学旅行で平泉・中尊寺へ行きました。金色堂も見学しましたが、興味を持ったのは藤原秀衡公のミイラから分析した復元像です。😮発端は、歴史漫画で金色堂に収めている奥州藤原氏3代のミイラのうち、秀衡公の復元像の写真で興味を持ちました。そして、復元像で『実物の秀衡公に会うことができた😭』と受け止めました。だが、担任や他の教員、クラスメイトを含む学生は全く興味が無かったのがショックでした。それは、復元した秀衡公の復元像をスルーしたからです。😢
10:41 頼朝のせいで当時は京都の次に大規模な都市の平泉が今は7000人位しかいない町になった。
全部大泉のせい
中尊寺歌碑 手触(たふ)れ得ね舎利の宝塔 大盗は礼(らい)して没(き)ゆる(抜粋)宮沢賢治 ※大盗は頼朝のこと?
平泉の金色堂やミイラさんにまさる物はありませんが、えさし藤原の郷も中々でした。作りものではありますが、当時の屋敷や着衣や生活の様子が再現されています。中でも、等身大人形はリアルで…恐ろしささえ感じました。弁慶さんが使っていたであろう再現太刀は重かったなぁ…義経様は140センチ台だからもっと小さいだろ…と、思いました😏
昔行った事ある。何故か見学中気分不快に襲われ、寺を出たら治った。それ以来自分とは相性悪いと判断して行かないようにしている。
平泉は自転車で観光するのに良いところだったなあ各所を廻るのに自転車の速度域がちょうどいい温泉もあるし道の駅も充実してた
駅前にレンタサイクルがあり、(誰でも乗れるようにするためか)サイズはやや小さめですが、それで高館や中尊寺までアプローチできます🚴あそこは電車は1時間に1本。バスはあったかさえ記憶にないので、車か自転車くらいしか交通手段がないなのでレンタサイクルはありがたい存在
私も利用しました。
義経が北海道に渡り、数百年後にHTBが出来てスーパースター大泉洋が出てきて頼朝になる。
小林製薬の糸ようじ。
五月雨を 降り残してや 光堂 (松尾芭蕉)(「おくのほそ道」より)奥州藤原氏の御遺体(+お首)の調査は中尊寺金色堂の復元修復作業の際に行われ、金色堂の復元が完了した後は別の場所へ埋葬する予定だったのだが「ご遺体(+お首)あっての金色堂だ!」と地元住民の反対に遭って元の金色堂に納められることになったそうな、ご遺体(+お首)は地元住民の信仰の対象でもあったのです。奥州藤原氏のご遺体には内臓と男性器が摘出除去されており、ねずみに齧られたのではなく鋭利な刃物で切開された形跡があった事、防腐効果のある漆の樹液が塗られていた事から自然にミイラ化したのではなく古代エジプトと同じく人工的にミイラ加工されたというのも判明しています。
大変詳しい投稿有難うございます。勉強になったし読んでて楽しかったです。内蔵を取り除いたり表面に溶剤で保護したのは凄いですね。エジプトはマニュアル化してますが、どういった経緯でその知識を得たのか気になります。是非又何処かの歴史投稿で意見交換楽しみにしてます。
完全に地元ってわけじゃないが同じ岩手出身でも、ここまで詳しく知らなかったからもっとちゃんと地元の歴史とか知りたいなぁと思った。世界遺産になったから、よけいにね。
もののけ姫のアシタカもエミシの末裔と言われ、砂金で米を買おうとしてたな。
五月雨を 降り残してや 光堂
大河ドラマの「炎立つ」を見たら良くわかります。主人公を渡辺謙が演じてました。
42年前に修学旅行で行っただよ、ミイラの動画を視せられた後に昼飯、その昼飯も何故かナイフとフォーク使って食べるハンパな食事だったよ、
うひひひひひひ!😂😂😂😂😂すみません…笑ってしまた。先生、デリカシーなさ過ぎですね😓
@@ilovebjork790 様 やっぱそう思いますか?当時の先輩姉さんから前情報を聞いていてアネさん曰く「あんなモン見せた後に食事ってなんなんだろ?」とボヤいてました。まぁ、今思えばそうそう出来る体験じゃ無いからと思ってはいますが、、、、それでもやっぱシュールだよなぁ~
金がザクザク採れて小笠原満男とか八重樫東とか菊池雄星とか大谷翔平とか佐々木朗希とか生み出す岩手ってヤバない?
凄いアスリートばかりですね。結果を出すアスリートは、一癖ある人が多いが、気性のやさしい人物たち。私個人は野球ファンですが大震災のとき小笠原選手が自分になにができるか?問いかけながら被災地に行って淡々とサインしながら励ます姿に日本代表選手に見えなくて感動してました。
過去には総理大臣も4人も出てますよ
奥州▪奥州藤原氏か…清衡・基衡・秀衡に関しては一大王国として君臨されました…領国経営に力を注ぎ。①中央政府との繋がりを強める、東国の源氏と西国の平氏との関係を深める。②アジア諸国等との情報・交易を深める③武力と領国を護る体制は…揺るぎない体制で有った。④信仰する仏教は…かなり力を入れる。⑤奥州の各地には産業の育成に力を入れる。*①~⑤については…源頼朝は既に東国を手に入れるが、領国の経営には奥州の力が必要で有った。策士藤原秀衡の死去によって、家臣たちが分裂する。内乱が起き、義経は殺害される…頼朝の奥州平定が実現する、(奥州平定の前に平氏の討伐)義経が平氏を倒し。西国の有力な港・海賊の民との連携を深める・情報ルートを手に入れる。奥州の地を手に入れることは領国経営の参考に成りました。頼朝の死去後は北条政子、時政⇒義時⇒泰時よって磐石に成りました
世界遺産に登録された時に中尊寺金色堂を家族で見に行ったが、空調設備の整った建物の中にあったので、暫く黄金を眺め涼んでいたのを覚えている😅ミイラが保管されている事を初めて知りました。鎌倉殿の13人で滅ぼされてしまった時に史実なのになぜかショックだった💦でも主がコロコロ変わっても黄金の建物が今も尚、現存している事に改めて感心してしまいました。
無量光院跡は現在は水たまりのある空き地…みたいな見た目なので、「どうしてここを世界遺産に含めようという動きがある?これでなるんだったら、ウチの近所の城址公園だってなるわ😅」と思ってしまったのですが、宇治の平等院に遜色ない建物がかつてあった…事を知ると、考えが改まる気がします
奥羽山脈を隔てて太平洋側は源氏寄りで日本海側は平家寄り。岩手県と秋田県の歴史史跡を見比べるとそのような傾向があり、近代まで続いたように思います。皆さんはどう思いますか?
+ATA133PC1様戊辰戦争で太平洋側は倒幕藩,日本海側は佐幕藩が多かったのもこれが関連しているのでしょうか?
金色堂初めて行った時に、ガラスケースに入ってるのを見て展示物かと思ってしまいました。行く前までは金閣寺のような金ぴかのお堂が山の中に颯爽と建ってるのを想像して行っただけに、ある意味衝撃でした。
そら国宝第一号を野晒しに出来ないやろそれはそうと、平泉に隣接する奥州市の江刺藤原の郷という歴史テーマパーク(元は大河ドラマのオープンセットとして建てられた)には、金色堂のレプリカが颯爽と建ってるから両方を見るのがオススメ
金鶏山には奥州藤原氏が黄金の鶏を埋蔵したと言う伝説がありますね。実は新聞でその鶏の写真が載ったことがありました。と言うことはすでに発見された?と言うことですね。探しに行った人が不審な死を遂げるので、祟りがあると言われていました。
大河ドラマの原作になった高橋克彦著「炎立つ」自分の悩みなんか小さいと思わせてくれる小説です。全5巻でボリューミーですが(^_^;)
日本は今も鹿児島で金が採掘されていますよ。菱刈金山とか
日本本土の最古の金山は青森にあり、その技術で岩手から沢山の金が算出されましたが、技術が未熟な為、金が枯渇する原因になりました。金が無くなると兵を養える米が無くなり、武力により東北は制圧されました。
下北半島の恐山には金が沢山埋まっていると聞いたけど
修学旅行でいったけどそこまでは知らなかった‥‥
藤原氏のミイラを国立科学博物館で3体とも見たのですが、現在保管してるのは中尊寺なのですか?
9月に国立博物館行きましたが展示してませんでした。普通研究以外は地元で厳重に保管します。重要なモノは大体時代をつけたレプリカです。ツタンカーメンのミイラは調査以外は王墓の石棺で眠りについてました。
私も昔、博物館で見ました。レプリカではなく本物でした(ちゃんとそう書いてありましたし、学芸員さんに中尊寺は今は空っぽと説明して貰いましたし)。近くにタロジロとハチもいました。人気も無くひっそりとガラスケースに入っていたんですよね。
@@pikakechanc4373 様へ。いい情報有難うございます。そうすると国立博物館内で保管・研究ということですね。金色堂の内部ではなく、別の保管場所を地元に作るのが一般的だと思いました。数年前行った時はタロとハチの二匹でした。たしか科学博物館のガラスケースでした。 追伸科学博物館には、ジロ・ハチ・甲斐犬です。訂正します。尚、ハチのトレードマークのおれた耳は立ってます。
@@ヒロシ田部井 様見たのは随分と昔です。その後地元に帰られたかもしれませんし、東京が気に入って留まっているかは分かりません。ただ、調べ中だったのかも知れません。その時はジロも一緒にいたんですよね、結構大きなワンコだったので感動したのを覚えています。
@@pikakechanc4373 様へ。タロとジロは今は離れ離れでジロは北海道にいると記憶してます。犬ゾリひく犬たちはたくましいので少し小さく感じました。毛のフカフカ感が剥製だと難しいかも知れません。科学博物館に多くの動物たちの剥製あるのでオススメです。日本で亡くなったパンダの剥製もあります。ランランは多摩動物園にいます。私個人の意見は、特別な事情がなければ、地元にあるべきモノは地元にです。公開するしないは別として。 訂正タロが北海道、ジロが科学博物館でした。失礼しました。
原と清が多すぎ・・・ツボりますね🤣
金色堂はガラス越しでしか見れませんが、昭和大修理前までは中に入れました螺鈿の貝を剥がして、お土産にしたさうです拙宅にも5~6個あります
なお今でも鹿児島で金は取れる模様
金山は佐渡が全国的に有名
前九年…盛岡市の地区にあったな
うちの辺りの車は平泉ナンバーです。平泉行く度に「無量光院跡とかもっとのこってたらよかったな」と思ってしまいます。
金150kg、24kで44cmの立方体ぐらいか。
ハスはやめて!
確かにハスコラを俺も思い出してしまった😱
集合体恐怖症?😓
@@遠山芳 んー微妙に違いますね。イクラとか平気ですし。ただあのハスコラの画像だけはどうしても無理。あとハスコラの画像を思い出してしまうのでハスの画像も無理です。
@@相沢祐一-r6p 様ここで「ハスコラって何?」と聞くのはあまりにも酷いと思うので、聞かない事にします😅
@@遠山芳 様。いえいえお構いなく。ハスコラというのはちょっと前にネットで流れてたコラボ画像です。自分は「検索してはいけない~」の動画で偶然見てしまったのです。ハスのあの穴が開いて種が埋まっている部分を人間の身体にはめ込んだ画像で、まるで恐怖映画の謎のウィルスにかかったような実に気味悪いコラボ画像なのです。しばらくの間、脳裏から離れないほど不気味でした。検索すれば出てくるでしょうが、絶対にお勧めしません。イクラとかが食べれなくなるかもです。
藤原ただひら 義経と一緒に 函館までは逃げてるぞ
清原清衡清原清原って言い間違えてしまう
奥州藤原氏のミイラで検索してみたら思ってたよりだいぶグロかった
そりゃ、エジプトみたいに包帯でグルグル巻きになんてしないから😅まんま剥き出しですね。即神仏なんかもそうですね。
エジプトのミイラにはマニュアルがあります。王族は丁寧。その他はそれなりに。日本の場合は遺体としてある程度残ったということですね。日本の土壌だと溶けて残らないです。古墳の石棺にいれても、フタが割れたりして土砂・雨水などがはいり奈良時代ぐらいの地方豪族らしきものでも骨らしき白い小さなモノが残るくらいです。
@@ヒロシ田部井 様ご遺体(+お首)を調査した時、内臓と男性器が摘出除去されており(内臓が真っ先に腐敗して白骨化を早める)、ねずみに齧られたのではない鋭利な刃物で切開された痕跡があったことと内臓のあった内側に防腐効果のある漆の樹液が塗られていた事から、人工的にミイラ加工されていた事が判明しています。即身仏も五穀・十穀絶ちの後樹皮や栗の渋皮を食べて防腐効果のあるタンニンを摂取し入定前の仕上げとして漆の樹液を呑んだ(?!)そうです。
おかげで見なくてすみました。ありがとうございます。
@@user-tpgbnww 様へ。なるほど、良い情報有り難う御座います。何かに入れてあるのは知ってました。ちゃんとした『棺桶』ですね。漆も遺体を守ったのですね。凄い、遺体処理・保管物により今の姿、でもその技術は継承されなかったのですね。私のいっている『土壌』の部分は日本・中国でも石棺に入れても割れて遺体は分解されてしまう、ということ。湿度の影響も大きいです。私が発掘調査のバイトで経験した7世紀〔奈良〕頃のモノは石棺らしき破片・僅かな骨粉・僅かな金属片だけです。〔関東ローム層〕。中国の砂漠地帯なんか布に包まれたシンプルな埋葬でもミイラになります。
義経ジンギスカン説でチンギスカン(ジンギスカン)の孫のフビライがマルコポーロの伝言だけでなく、祖父の義経で中尊寺金色堂を知っていて、元寇を決意した説になるけどな
ジンギスカンは出生地は不明ですが出生年の記録は残っており、年齢からいって義経と同一人物説は無理だと判明しています。
いったことあるよ
奥六郡なんぞ草も生えぬ雪国、年貢さえ納められていればそれで良いのじゃ
そうやって蝦夷と住み分けてくれればいいのに、人の欲が奥六郡を地獄に…
ミイラにしなかったのかな⁉️
+上原隆則様調査の結果ミイラにしていた事が判明しています。(内臓と男性器が摘出除去されていた、ねずみに齧られたのではない鋭利な刃物による切開痕があった、体の内側に防腐効果のある漆の樹液が塗られていた)
奥州藤原氏は秀衡は義経を養子のように溺愛して支えていて、秀衡の息子の泰衡が裏切って秀衡死後に義経攻撃したんだよな。泰衡の兄弟たちは秀衡の遺言を守って義経を担ぎ上げて頼朝鎌倉幕府倒しの準備をしていたのにな。
まあどっちみち頼朝がほぼ全国を制覇した後では鎌倉幕府打倒は無理だっただろうけど。
、無駄な時間を取らすんじゃねえ!
頼朝さまも自分の弟の首を望むのだから無茶苦茶な心を持っていたのかな
先日平泉を旅しましたが、少し積もっている雪景色がまた美しかったです。
心が浄化されていく感じがしました🙌
昔、大河ドラマの「炎立つ」という
奥州藤原三代の話を見ていました。視聴率は良くなかったらしいけど、私は毎週すごく楽しみにしていました。懐かしいです。
自分も当時観てました‼︎どハマりして、日曜の本放送+土曜の再放送迄観るほどでした
私も好きで見てました!面白かったのに。
ドラマ見た後、家族旅行で中尊寺金色堂行ったのも良い思い出です。
@@katz299 渡辺謙が一人二役やっていました。
確か藤原経清、泰衡
1993年あたりの作品ですよね…当時は今ほど戦国幕末化しておらず、太平記…琉球…応仁の乱…吉宗…と色々な時代を扱ってた😂
自然ミイラとしては保存状態がかなりいいですよね。しかも泰衡の額の五寸釘の跡までわかるって怖いですね。
サムネのミイラ…と同じような格好で、うちのお母さんが昼寝してたな😪…。
うちの場合は、家内が同じような格好で寝てるな…食後の食器山積みで…😓。
@@hiroki578 奥さんも大変なんですね、家事が😅。しかし、ミイラと同じポーズはキツいですかね、お互い。
@@健利石原 さん
そうですね、キツイですね。
ですが、寝姿とミイラ見たとき、笑ってしまいました。(ミイラ、すまん。…家内とミイラどちらに詫びるか迷った)。
笑
すみません!!コメントに、大爆笑🤣🤣🤣
秀郷流という京の藤原氏の血を引き、地元の実力者たる清原氏の親戚関係になることも繁栄を支えたと思う
今では清原氏も生粋の蝦夷じゃなくて都から来た一族との混血って言われてるらしい…
ちなみに黄金とミイラ、古代エジプトを連想させる
祟りがあるとこまで共通してる
物凄い偶然
藤原四代の覚え方
きもひやす
き→きよひら
も→もとひら
ひ→ひでひら
やす→やすひら
懐かしいですね。平泉はいい所です。行ったことの無い方は是非。ミイラの調査の記録映像もみれます。資料館もコンパクトですがいい。秀衡の着物は大きかった印象があります。藤原泰衡の首級の刀傷は逃亡中に裏切りにあいつけられたものでは?頼朝に首は持っていっただろうからニセ首だったのでは?泰衡として弔えなかったので忠衡にして後々ばれて罪に問われない様にしたと推測してます。頼朝によって焼かれなかったら凄かったでしょう。
+ヒロシ 田部井様
平泉はボーイスカウト時代第1回日本ベンチャー大会の時訪ねました。平泉から隣の水沢(日本ボーイスカウト連盟
初代総長・後藤新平生誕地)へサイクリングで行きました、行程の景色も良かったです。
藤原泰衡は平泉から脱出中家臣の河田次郎に裏切られて討たれ、河田次郎が泰衡の首級を頼朝に差し出したら
頼朝は激怒し即座に処刑するよう命じたそうです、頼朝は父・義朝が家臣の長田忠致の裏切りで暗殺されたトラウマから
主君を裏切る家臣を絶対に許さなかったのです。
@@古澤修-b1m 様へ。
だいぶ前に勉強したので結構忘れてました。いろいろ丁寧に有難うございます。ユーチューブの投稿は基本テキストを見ないので。
もしその話が歴史的事実なら、首級が返され正式に埋葬できそうですね。名前を忠衡にする必要もなくなります。頼朝は義経の首を要求し、いざ塩漬けの首級が届くと涙をこぼした話が伝わってます。
近年、鎌倉幕府に関する歴史本を何冊か読んだのですが、歴史的事実を確認するにはかなり資料が少ないですね。現在放映されている大河は北条氏が政権を独占していくものですが、御家人たちの争いの本当の姿はわからないことだらけです。面白い投稿有難うございます、又別の投稿での意見交換楽しみにしてます。
@@古澤修-b1m 様へ。
本格派の投稿を多くして貰い、本当に読んでて楽しかったです。
実は泰衡の首級、忠衡の名前についてもう一つ仮説を推測してました。泰衡は藤原氏を呆気なく滅亡させた。4代当主から外し、忠衡が秀衡の遺言を守ったので供養してあった首を4代当主として残した。
以上です。
@@ヒロシ田部井 様
色々と返信コメント頂きありがとうございます。
興味深い仮説ですね、私も調べてみた所忠衡には生存説があって遠くは能登の地に忠衡の子孫とされる
氏族が存在しているそうです。
義経と同様生存説がある事から、義経を裏切った泰衡の首級を秀衡の遺言を守り義経を守ろうとした
忠衡の首級として供養したという仮説の裏付けにもなりそうです。
@@古澤修-b1m 様へ。
いろいろお調べ頂き感謝です。歴史の謎は、明らかになっても不明のままでも楽しめますね。本当に有難う御座います。
只今 昼休憩中です。
BGMがすごく好きです🥰
今回も面白い動画ありがとうございます‼️
金色堂は長年修理の手が付けられず、それこそボロボロになっていたんですよね。もし大雪で倒壊していたら藤原四代のミイラもどうなっていたか判らず、昭和の大修理は本当にギリギリだった感があります。
修理までの苦難はNHKの『プロジェクトX』で取り上げられてました。又金色堂の特集番組で内部にカメラが入り、凄い細工が施されていて、ため息しかでませんでした。国営放送恐るべし。
昭和の大規模修理前にも幾度かの修復の跡がありましたけど漆を塗って埋めただけの酷い状態でした。
一応金色堂には風雨雪避けの鞘堂はありましたがただ屋根と壁で覆っただけで温湿度調整ができなかったため
昭和の大修理後は温湿度調整ができる新鞘堂に移されてますね。
(「おくのほそ道」にも記述のある旧鞘堂は現存しています)
@@古澤修-b1m 様へ。
詳しい投稿期待していたので、有り難いです。待ってました。又、別の投稿での意見交換楽しみにしてます。
NHKの番組で金色堂は、お堂の後ろから日光が入り、まさに浄土から仏像チームが来迎したように見えたかもしれないとのこと。しかし、後ろが山ではダメでしょうが。兵庫の小野市に「浄土寺」がありますが、ここも後ろから夕日?が入り、阿弥陀軍団がご来光に包まれます。あ、それから「義経・弁慶」に興味のある人は、このUA-camにも有りますが、FM田辺が制作した「弁慶記」全60話があります。面白いから聞いてみてください。なんでも弁慶の出身地は、和歌山の田辺だそうで。よう知らんけどね。
大河ドラマ「炎立つ」なかなか面白かったです。
霊夢の『原と清が多すぎよ』ってつっこむの好き(笑)😂😂😂
中学3年の時、修学旅行で平泉・中尊寺へ行きました。
金色堂も見学しましたが、興味を持ったのは藤原秀衡公のミイラから分析した復元像です。😮
発端は、歴史漫画で金色堂に収めている奥州藤原氏3代のミイラのうち、秀衡公の復元像の写真で興味を持ちました。
そして、復元像で『実物の秀衡公に会うことができた😭』と受け止めました。
だが、担任や他の教員、クラスメイトを含む学生は全く興味が無かったのがショックでした。
それは、復元した秀衡公の復元像をスルーしたからです。😢
10:41 頼朝のせいで当時は京都の次に大規模な都市の平泉が今は7000人位しかいない町になった。
全部大泉のせい
中尊寺歌碑 手触(たふ)れ得ね舎利の宝塔 大盗は礼(らい)して没(き)ゆる(抜粋)宮沢賢治 ※大盗は頼朝のこと?
平泉の金色堂やミイラさんにまさる物はありませんが、えさし藤原の郷も中々でした。作りものではありますが、当時の屋敷や着衣や生活の様子が再現されています。中でも、等身大人形はリアルで…恐ろしささえ感じました。弁慶さんが使っていたであろう再現太刀は重かったなぁ…義経様は140センチ台だからもっと小さいだろ…と、思いました😏
昔行った事ある。何故か見学中気分不快に襲われ、寺を出たら治った。それ以来自分とは相性悪いと判断して行かないようにしている。
平泉は自転車で観光するのに良いところだったなあ
各所を廻るのに自転車の速度域がちょうどいい
温泉もあるし道の駅も充実してた
駅前にレンタサイクルがあり、(誰でも乗れるようにするためか)サイズはやや小さめですが、それで高館や中尊寺までアプローチできます🚴
あそこは電車は1時間に1本。バスはあったかさえ記憶にないので、車か自転車くらいしか交通手段がない
なのでレンタサイクルはありがたい存在
私も利用しました。
義経が北海道に渡り、
数百年後にHTBが出来て
スーパースター大泉洋が出てきて
頼朝になる。
小林製薬の糸ようじ。
五月雨を 降り残してや 光堂 (松尾芭蕉)(「おくのほそ道」より)
奥州藤原氏の御遺体(+お首)の調査は中尊寺金色堂の復元修復作業の際に行われ、金色堂の復元が完了した後は
別の場所へ埋葬する予定だったのだが「ご遺体(+お首)あっての金色堂だ!」と地元住民の反対に遭って
元の金色堂に納められることになったそうな、ご遺体(+お首)は地元住民の信仰の対象でもあったのです。
奥州藤原氏のご遺体には内臓と男性器が摘出除去されており、ねずみに齧られたのではなく鋭利な刃物で切開された
形跡があった事、防腐効果のある漆の樹液が塗られていた事から自然にミイラ化したのではなく古代エジプトと
同じく人工的にミイラ加工されたというのも判明しています。
大変詳しい投稿有難うございます。勉強になったし読んでて楽しかったです。内蔵を取り除いたり表面に溶剤で保護したのは凄いですね。エジプトはマニュアル化してますが、どういった経緯でその知識を得たのか気になります。是非又何処かの歴史投稿で意見交換楽しみにしてます。
完全に地元ってわけじゃないが同じ岩手出身でも、ここまで詳しく知らなかったからもっとちゃんと地元の歴史とか知りたいなぁと思った。世界遺産になったから、よけいにね。
もののけ姫のアシタカもエミシの末裔と言われ、砂金で米を買おうとしてたな。
五月雨を 降り残してや 光堂
大河ドラマの「炎立つ」を見たら良くわかります。主人公を渡辺謙が演じてました。
42年前に修学旅行で行っただよ、ミイラの動画を視せられた後に昼飯、その昼飯も何故かナイフとフォーク使って食べるハンパな食事だったよ、
うひひひひひひ!😂😂😂😂😂すみません…笑ってしまた。
先生、デリカシーなさ過ぎですね😓
@@ilovebjork790 様 やっぱそう思いますか?
当時の先輩姉さんから前情報を聞いていてアネさん曰く「あんなモン見せた後に食事ってなんなんだろ?」とボヤいてました。まぁ、今思えばそうそう出来る体験じゃ無いからと思ってはいますが、、、、それでもやっぱシュールだよなぁ~
金がザクザク採れて小笠原満男とか八重樫東とか菊池雄星とか大谷翔平とか佐々木朗希とか生み出す岩手ってヤバない?
凄いアスリートばかりですね。結果を出すアスリートは、一癖ある人が多いが、気性のやさしい人物たち。私個人は野球ファンですが大震災のとき小笠原選手が自分になにができるか?問いかけながら被災地に行って淡々とサインしながら励ます姿に日本代表選手に見えなくて感動してました。
過去には総理大臣も4人も出てますよ
奥州
▪奥州藤原氏か…清衡・基衡・秀衡に関しては一大王国として君臨されました…領国経営に力を注ぎ。
①中央政府との繋がりを強める、東国の源氏と西国の平氏との関係を深める。
②アジア諸国等との情報・交易を深める
③武力と領国を護る体制は…揺るぎない体制で有った。
④信仰する仏教は…かなり力を入れる。
⑤奥州の各地には産業の育成に力を入れる。
*①~⑤については…源頼朝は既に東国を手に入れるが、領国の経営には奥州の力が必要で有った。策士藤原秀衡の死去によって、家臣たちが分裂する。内乱が起き、義経は殺害される…頼朝の奥州平定が実現する、(奥州平定の前に平氏の討伐)義経が平氏を倒し。西国の有力な港・海賊の民との連携を深める・情報ルートを手に入れる。奥州の地を手に入れることは領国経営の参考に成りました。頼朝の死去後は北条政子、時政⇒義時⇒泰時よって磐石に成りました
世界遺産に登録された時に中尊寺金色堂を家族で見に行ったが、
空調設備の整った建物の中にあったので、暫く黄金を眺め涼んでいたのを覚えている😅
ミイラが保管されている事を初めて知りました。
鎌倉殿の13人で滅ぼされてしまった時に史実なのになぜかショックだった💦
でも主がコロコロ変わっても黄金の建物が今も尚、現存している事に改めて感心してしまいました。
無量光院跡は現在は水たまりのある空き地…みたいな見た目なので、「どうしてここを世界遺産に含めようという動きがある?これでなるんだったら、ウチの近所の城址公園だってなるわ😅」と思ってしまったのですが、宇治の平等院に遜色ない建物がかつてあった…事を知ると、考えが改まる気がします
奥羽山脈を隔てて太平洋側は源氏寄りで日本海側は平家寄り。
岩手県と秋田県の歴史史跡を見比べるとそのような傾向があり、近代まで続いたように思います。
皆さんはどう思いますか?
+ATA133PC1様
戊辰戦争で太平洋側は倒幕藩,日本海側は佐幕藩が多かったのもこれが関連しているのでしょうか?
金色堂初めて行った時に、ガラスケースに入ってるのを見て展示物かと思ってしまいました。行く前までは金閣寺のような金ぴかのお堂が山の中に颯爽と建ってるのを想像して行っただけに、ある意味衝撃でした。
そら国宝第一号を野晒しに出来ないやろ
それはそうと、平泉に隣接する奥州市の江刺藤原の郷という歴史テーマパーク(元は大河ドラマのオープンセットとして建てられた)には、金色堂のレプリカが颯爽と建ってるから両方を見るのがオススメ
金鶏山には奥州藤原氏が黄金の鶏を埋蔵したと言う伝説がありますね。
実は新聞でその鶏の写真が載ったことがありました。
と言うことはすでに発見された?
と言うことですね。
探しに行った人が不審な死を遂げるので、祟りがあると言われていました。
大河ドラマの原作になった高橋克彦著「炎立つ」
自分の悩みなんか小さいと思わせてくれる小説です。全5巻でボリューミーですが(^_^;)
日本は今も鹿児島で金が採掘されていますよ。
菱刈金山とか
日本本土の最古の金山は青森にあり、その技術で岩手から沢山の金が算出されましたが、技術が未熟な為、金が枯渇する原因になりました。金が無くなると兵を養える米が無くなり、武力により東北は制圧されました。
下北半島の恐山には金が沢山埋まっていると聞いたけど
修学旅行でいったけどそこまでは知らなかった‥‥
藤原氏のミイラを国立科学博物館で3体とも見たのですが、現在保管してるのは中尊寺なのですか?
9月に国立博物館行きましたが展示してませんでした。普通研究以外は地元で厳重に保管します。重要なモノは大体時代をつけたレプリカです。ツタンカーメンのミイラは調査以外は王墓の石棺で眠りについてました。
私も昔、博物館で見ました。
レプリカではなく本物でした(ちゃんとそう書いてありましたし、学芸員さんに中尊寺は今は空っぽと説明して貰いましたし)。近くにタロジロとハチもいました。人気も無くひっそりとガラスケースに入っていたんですよね。
@@pikakechanc4373 様へ。
いい情報有難うございます。そうすると国立博物館内で保管・研究ということですね。金色堂の内部ではなく、別の保管場所を地元に作るのが一般的だと思いました。
数年前行った時はタロとハチの二匹でした。たしか科学博物館のガラスケースでした。
追伸
科学博物館には、ジロ・ハチ・甲斐犬です。訂正します。尚、ハチのトレードマークのおれた耳は立ってます。
@@ヒロシ田部井 様
見たのは随分と昔です。その後地元に帰られたかもしれませんし、東京が気に入って留まっているかは分かりません。ただ、調べ中だったのかも知れません。その時はジロも一緒にいたんですよね、結構大きなワンコだったので感動したのを覚えています。
@@pikakechanc4373 様へ。
タロとジロは今は離れ離れでジロは北海道にいると記憶してます。犬ゾリひく犬たちはたくましいので少し小さく感じました。毛のフカフカ感が剥製だと難しいかも知れません。科学博物館に多くの動物たちの剥製あるのでオススメです。日本で亡くなったパンダの剥製もあります。ランランは多摩動物園にいます。
私個人の意見は、特別な事情がなければ、地元にあるべきモノは地元にです。公開するしないは別として。
訂正
タロが北海道、ジロが科学博物館でした。失礼しました。
原と清が多すぎ・・・ツボりますね🤣
金色堂はガラス越しでしか見れませんが、昭和大修理前までは中に入れました
螺鈿の貝を剥がして、お土産にしたさうです
拙宅にも5~6個あります
なお今でも鹿児島で金は取れる模様
金山は佐渡が全国的に有名
前九年…盛岡市の地区にあったな
うちの辺りの車は平泉ナンバーです。平泉行く度に「無量光院跡とかもっとのこってたらよかったな」と思ってしまいます。
金150kg、24kで44cmの立方体ぐらいか。
ハスはやめて!
確かにハスコラを俺も思い出してしまった😱
集合体恐怖症?😓
@@遠山芳 んー微妙に違いますね。イクラとか平気ですし。ただあのハスコラの画像だけはどうしても無理。あとハスコラの画像を思い出してしまうのでハスの画像も無理です。
@@相沢祐一-r6p 様
ここで「ハスコラって何?」と聞くのはあまりにも酷いと思うので、聞かない事にします😅
@@遠山芳 様。いえいえお構いなく。
ハスコラというのはちょっと前にネットで流れてたコラボ画像です。自分は「検索してはいけない~」の動画で偶然見てしまったのです。ハスのあの穴が開いて種が埋まっている部分を人間の身体にはめ込んだ画像で、まるで恐怖映画の謎のウィルスにかかったような実に気味悪いコラボ画像なのです。しばらくの間、脳裏から離れないほど不気味でした。検索すれば出てくるでしょうが、絶対にお勧めしません。イクラとかが食べれなくなるかもです。
藤原ただひら 義経と一緒に 函館までは逃げてるぞ
清原清衡清原清原って言い間違えてしまう
奥州藤原氏のミイラで検索してみたら思ってたよりだいぶグロかった
そりゃ、エジプトみたいに包帯でグルグル巻きになんてしないから😅まんま剥き出しですね。即神仏なんかもそうですね。
エジプトのミイラにはマニュアルがあります。王族は丁寧。その他はそれなりに。
日本の場合は遺体としてある程度残ったということですね。日本の土壌だと溶けて残らないです。古墳の石棺にいれても、フタが割れたりして土砂・雨水などがはいり奈良時代ぐらいの地方豪族らしきものでも骨らしき白い小さなモノが残るくらいです。
@@ヒロシ田部井 様
ご遺体(+お首)を調査した時、内臓と男性器が摘出除去されており(内臓が真っ先に腐敗して白骨化を
早める)、ねずみに齧られたのではない鋭利な刃物で切開された痕跡があったことと内臓のあった内側に
防腐効果のある漆の樹液が塗られていた事から、人工的にミイラ加工されていた事が判明しています。
即身仏も五穀・十穀絶ちの後樹皮や栗の渋皮を食べて防腐効果のあるタンニンを摂取し入定前の仕上げとして
漆の樹液を呑んだ(?!)そうです。
おかげで見なくてすみました。ありがとうございます。
@@user-tpgbnww 様へ。
なるほど、良い情報有り難う御座います。何かに入れてあるのは知ってました。ちゃんとした『棺桶』ですね。漆も遺体を守ったのですね。凄い、遺体処理・保管物により今の姿、でもその技術は継承されなかったのですね。
私のいっている『土壌』の部分は日本・中国でも石棺に入れても割れて遺体は分解されてしまう、ということ。湿度の影響も大きいです。私が発掘調査のバイトで経験した7世紀〔奈良〕頃のモノは石棺らしき破片・僅かな骨粉・僅かな金属片だけです。〔関東ローム層〕。中国の砂漠地帯なんか布に包まれたシンプルな埋葬でもミイラになります。
義経ジンギスカン説でチンギスカン(ジンギスカン)の孫のフビライがマルコポーロの伝言だけでなく、祖父の義経で中尊寺金色堂を知っていて、元寇を決意した説になるけどな
ジンギスカンは出生地は不明ですが出生年の記録は残っており、年齢からいって義経と同一人物
説は無理だと判明しています。
いったことあるよ
奥六郡なんぞ草も生えぬ雪国、年貢さえ納められていればそれで良いのじゃ
そうやって蝦夷と住み分けてくれればいいのに、人の欲が奥六郡を地獄に…
ミイラにしなかったのかな⁉️
+上原隆則様
調査の結果ミイラにしていた事が判明しています。
(内臓と男性器が摘出除去されていた、ねずみに齧られたのではない鋭利な刃物による切開痕があった、
体の内側に防腐効果のある漆の樹液が塗られていた)
奥州藤原氏は秀衡は義経を養子のように溺愛して支えていて、秀衡の息子の泰衡が裏切って秀衡死後に義経攻撃したんだよな。泰衡の兄弟たちは秀衡の遺言を守って義経を担ぎ上げて頼朝鎌倉幕府倒しの準備をしていたのにな。
まあどっちみち頼朝がほぼ全国を制覇した後では鎌倉幕府打倒は無理だっただろうけど。
、無駄な時間を取らすんじゃねえ!
頼朝さまも
自分の弟の首を望むのだから
無茶苦茶な心を持っていたのかな