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本当に谷沢さんの話し、話術は素晴らしいです!!いつまでも聞いていたいです!有難う御座います!!!
65歳の私には今日の話は本当に嬉しい限りです。当時谷沢さん、鈴木孝政さん、張本さんからリアルタイムで聞いたのを憶えています。若松さんとは、本当にライバル感たっぷりでお互いにドーム球場ができるまで野球を続けようとか、谷沢さんが昭和55年に2回目の首位打者とった時は固め打ちが連日続くのをみて、若松さんはもう追いつけないと諦めたとか、張本さんが追いつくとは思わなかったと本当に悔しがっていたし、前夜は寝付けない谷沢さんと孝政さんが飲み明かし、孝政さんに激励されたと、当時私はやはり千葉県人同志仲が良いんだなって思いました。王さんは当時2割9分が数年続いて中々3割打てない谷沢さんに「3割を目標にしたら駄目だ。3割打ちたかったら、せめて3割5分を目標にしないと❗️」と叱咤激励したと。王さんのファースト連続ベスト9をストップさせたのは谷沢さんですから、まさに王さんに対する恩返しですね。最後に荒川尭さんの話を聞けたのは嬉しくて感激しました。二人は早稲田のAY砲で、神宮球場の活躍が懐かしいです。ドラフト前には連日お二人+太田幸司さんの特集が報道されていました。当時の週間ベースボールの切り抜きを今も大事にしてます。荒川尭さんとは本塁打一本差でしたが、大学平均打率が.360でしたからやはり谷沢さんは神宮のヒーローでした。今回は谷沢さん自身から沢山聴けて最高でした‼️
谷沢さんの打撃分析の凄さ、また聞く人が非常に解かりやすいように説明されてると思います。あとエピソードなどで他の選手へのリスペクトが感じられる話し方は素晴らしいなと思います。
谷沢さん、いつも本当に素晴らしいお話をありがとうございます。谷沢さんのソフトな語り口で名選手のリアルな姿を目の前で見ているような迫力のあるお話を聞けて本当に嬉しいです。
谷沢さん、今回もありがとうございます。やはり谷沢さんと同い年の若松さんがトップに出てきたのが一番嬉しかったです!王さんと張本さんのお話も興味深く聞けました。1976年というと私はまだ幼稚園生でしたが父がドラゴンズファンで、谷沢さんが首位打者を取った時、非常に喜んでいたのを、おぼろけながらも覚えています。張本さんとの首位打者争いの過程には、多くのドラマがあったのですね。またいろいろなお話、楽しみにしております!
谷沢さんは本当に対戦相手やライバルをリスペクトしてますね!そうゆうふうに話せるって素晴らしいと感じます!谷沢さんまだまだいろんなお話しをお聞きしたいですょ!頑張って下さい
谷沢さんはシーズンオフのプロ野球ニュースでクイズをやっていてそれに出演されているのを見たことがあります。不正解を出された時に悪びれる風も無く、天真爛漫な笑顔をされていてその人間性にいっぺんに魅了されてしまいました。もう引退されてからのことだと思います。また40年ほど前、田舎から東京に出張した折、渋谷駅で偶然拝見しました。なんか背の高い人が向こうから来るなと思っていたら谷沢さんでした。一瞬の出来事だったのでただすれ違っただけですが、こうして思えば私にとって街中で出会った唯一のプロ野球選手が谷沢さんです。これからもお元気で。
谷沢さんが油の乗ってみえた時期に、私は小学生で野球小僧でした。巨人ファンでしたが、谷沢さんの柔らかい打ち方に憧れていました。谷沢さんの次は篠塚さんに憧れました、同じような柔らかさだったと記憶にあります。谷沢さん応援してます!
谷沢さんのファンです。小遣いを貰うと柏の谷沢スポーツに野球道具買いに行ってた小学生時代が懐かしいです。
谷沢さんと若松さんは同じ1985年に2000本安打を達成されましたよね。月刊ドラゴンズに2000本を目指す二人として並んで写っている写真が印象的でした。怪我で休みながらも何とかシーズン終盤ギリギリ間に合って2000本達成されて本当に良かったと思いました。中学生の頃の思い出として鮮明に残ってます。
谷沢さん、若松選手をあげてくれてありがとうございます!小さいころから若松一本のおやじです、あの小さな体で、シャープなスウィングからヒットを遼さん、そしてホームランも打てるパワー、こんな選手はもう出てこないんじゃ!
谷沢さんの現役時代、私も中日ドラゴンズを応援していました。大変懐かしいお話を聞かせて頂きありがとうございます。早速チャンネル登録しました。これからも応援しています。
谷沢さんの巨人寄りでない解説が好きでした、地上波で野球が当然の様に見れた頃が懐かしいな
小学生の頃、中日ドラゴンズが京都西京極球場で試合する時は、京都山科東急インを常宿にしてたのですが、その時に谷沢さんにサインを頂いたのを覚えてます。物凄く気さくに応じてくれました、やはり谷沢さんの人間性が滲みでてます。
谷沢さん、若松さん、張本さん、お三方は子供の頃の憧れで、左バッターだった私のお手本でした。まさに私にとっての3人の強打者です。強いライナーを飛ばす、左右に打ち分ける、チャンスに強い、三振が少ない、ホームランも打てる。真の強打者の条件を兼ね備えたお三方です。王さんはもちろんホームラン王として別格ですが、谷沢さんから若松さん、張本さんの話が出て、非常にうれしくなりました。是非お三方の野球談議、バッティング理論が聞きたいです。
懐かしい。当時は各チームに代表的な野手がいた。私は今52才。巨人は王 張本。中日は高木、谷沢。ヤクルトは若松 大杉。広島は山本、衣笠。大洋は松原 山下。阪神は掛布 藤田。巨人ファンだったから相手の強打者が出てくるとドキドキして見てたんだよなー。
若松さんはそんなに多弁じゃないし寡黙だし言葉は少ないけど、聞き上手だし和やかな雰囲気ですよね
谷沢さん こんばんは。今回は貴重なお話が聞けて嬉しかったです。若松さんも張本さんも首位打者争いのライバルでしたね。次回の配信も楽しみにしております。
昭和の名選手の様々なお話が聞けて非常に嬉しいです。若松さんは長い間通算打率(4000打席以上)で日本人選手1位でしたね。そして最近それを抜いたのも若松選手の背番号1を受け継いだ青木選手というのも感慨深いですね。張本さんのバッティングは過去の映像でしか見た事ないですが、おっしゃられた通りテイクバックがほとんど無く、それでいて500本以上もの本塁打を打たれたのは余程全身の力とバネが凄かったのだと感じます。王さんは言わずと知れた世界の王さん。そして過去のレジェンド選手たちも王さんに試合中に話しかけられて自信をつけた選手も多いみたいです。そういった人柄も含めて素晴らしい方だと思います。荒川尭さんの話しも聞けて嬉しかったです。怪我が無ければどれほどの選手になっていたのかと考える選手の1人でもあります。長文コメント失礼しました、また昔のプロ野球についての話しが聞けると嬉しいです。
谷沢さんは他の方のエピソードを話されることが本当に上手だと感じます。若松さん、張本さん、王さん、荒川さん。以前の堀内さんも。特に直接話法で、「谷沢な、おまえが〜」というようにエピソードを紹介されるとき、その光景が鮮やかに浮かんでくるほどです。引き続きアップをお待ちしています。
私は当時中2でしたが、確か最後は、センター前ヒット。東京の新聞でも大きく扱われていました。
谷沢さんと若松さんのコラボが見たいです!お願いします!若松さんを引っ張り出してwください!
谷澤さんが怪我から復帰して首位打者タイトル獲得から、中日が1982年優勝した頃が、プロ野球が一番面白く最高でした!当時、NHKで巨人戦放送時には急いで帰宅(巨人戦チケット購入は困難)、TVにくらい付いてみており、谷澤さんの活躍が今でも鮮明に覚えております。
矢沢さん、お元気ですか?私は、小学生の頃、柏駅前にありました矢沢スポーツで少年野球で使用していたアンダーシャツにサインを頂いた者で、いまは、もう50歳になりました。当時は、オフシーズンでたしか高島屋でサイン会があり、もしかしたら、矢沢さんがご実家に戻られているのではと思い、伺った記憶があります。矢沢さんに会えたときはすごく大きな方と記憶していて、とても優しく接してしただきました。本当にありがとうございました。2、3年前にも柏駅でお見かけしましたが、大きくてダンディーな方でした。いつまでもお元気で私にとっては柏市の誇りです。 お父様にそっくりになられましたね。
若松さんは優しいし人柄がものすごくいいですよね。谷沢健一と若松さん、堀内恒夫さんは竹馬の友だしライバルだけど、互いにリスペクトしていましたよね。若松さんと谷沢健一さんはチームは違っても親友でしたからね。若さんともコラボしてほしいです
◇3割5分打って、「チームへの貢献度は低かった」という謙遜心が谷沢さんの人間性ですね。◇張本さんがセ・リーグに来て、初めてちゃんとバッティングをテレビで観て驚愕したのが、三塁手が一歩も動けない「三塁キャンバスを抜く打球」。あそこへの打球、『イチローの全安打分布図』見ると~”ない”んですよね。張本さんの”狙い撃ち”したあの打撃技術は超一流でした。あれに似た打球が打てたのは、篠塚さんが最後か。【球界のオーパーツ】技術。
80年代のプロ野球の隆盛の一翼を担った名打者の矢沢さん。星野さんが逝去されたり、段々その時代の生き証人が少なくなってきて残念ですがYou Tubeを熱心にやっている高木豊さんしかり、生の言葉でお聞きできること嬉しい限りです。私は巨人ファンでしたが昔、後楽園で矢沢さんにも大島さんにも良く打たれていた記憶があります。
王さん、かなり谷沢さんを気に掛けているのが、会話から感じられます。
自分にとっての中日の41番は、浅尾選手でも勝野選手でもなく谷沢選手ですね。 生活の中で41を見ると、ついつい谷沢選手を思い出します。
現役時代の谷沢さんは、相手投手がどこに投げても打たれるイメージがありましたよね。1980年の首位打者を取ったときなんか、特にすごかったですね。投手は投げる球、コースがなかったと思います。
一本足打法とツイスト打法?は、構えは違えど、軸足をしっかりさせることとインパクトの瞬間にCの字を作ることは共通するのですね。ライバルと成績を争いながら、でも、敬意を表して、その打者の師匠の考え方に言及する語りが、とても爽やかで、楽しく視聴できました。
谷沢さんファンだったので 興味深い話し楽しみに聞いています有り難う御座います 私は大学時代 名古屋で星ヶ丘自動車学校で谷沢さんとはの同窓生でした 何度か教習所でお会いしました 私より後にきて先に卒業されました 今もよくする自慢話です 今後もごかつやく楽しみにしています
引退すると発表した後の消化試合の大洋戦、門田投手から、打った現役最後のホームラン、フォークボールを左手一本でナゴヤ球場のライトスタンド最上段につきささった、あの当たりは、凄かったまだ3年できたはず
こんばんは谷沢様、ツイスト打法若松さんの神髄ですね、運動のプラマイの法則、マイナスを意識して力を与えれば加速します。走りも。走攻守揃った若松谷沢選手、巨人軍に欲しい逸材でしたね
恐竜打線の四番打者・谷沢健一!大島、宇野、モッカと長距離砲がいた中での四番は印象深い。谷沢氏がいた当時の中日は投手に小松、郭源治、都裕次郎、牛島和彦など好投手がいて豪快な野球だった。落合監督時代の強さとは質の違う強さだった。
今夜は初めて長時間ですね!全員谷沢様同様左打者。谷沢様と若松さんは同級生で監督辞任後、一時期「プロ野球ニュース」仲間でしたね。正に「小さな大打者」でした(続く)。
谷沢さん、西武で打撃コーチになられたお話しをお願いいたします。1993年は西武の左打者の層が薄く左打者の打率向上や現役時代のチームメートだった鈴木康友さんの育成も含めて西武は目的を本当に考えてたと思います。
谷沢さん、若松さん現役時代は地上波全盛期で2人共男前でしたね!同世代では星野仙一さん、田淵幸一さん、山本浩二さんもいましたね!
門田博光も
昭和のプロ野球、ライバルは王さん張本さん若松さんは昭和のプロ野球選手で素晴らしい活躍でした、谷沢さんが初めて首位打者獲得した1976年、本当に嬉しかったと思います、怪我は仕方ないとして復活して1980年にも首位打者獲得して感無量ですね、実際あの頃は自分よりレベルの高い長所を盗んで成長する事ですね、自分も中学生の頃は野球部に3年間やりましたが駄目でした、運動神経が鈍い等はありました、ボウリングならパーフェクト達成しましたが、馬鹿にされたりいばらの道を歩み、レッスンは受けず自己流で身につけて、レベルの高いボウラーの長所を盗んだりしてレベルアップして行きました、平成のプロ野球選手なら松井秀喜さん、イチローさんですね、令和なら村上選手が昨年最年少で三冠王と56本塁打素晴らしいです、今年もコンスタントに打って本塁打を量産出来ると思います。実際、やるからには苦労して頑張るしかありません。様々なエピソードを聞いて参考になりました。
最後のダブルジヘッダー、いつまでも、覚えています。3打数2安打ではだめで、4打数3安打打たないと、首位打者は取れない、それで獲得したのは、すばらしいです。
谷沢さんの最初の首位打者は、張本さんの「セパ両リーグでの首位打者」を阻止することになった。江藤慎一さんただ一人の記録だった。そのあと内川選手が両リーグの首位打者を記録した。記録が生まれるたびに過去の記録が取りざたされる=過去の名選手が思い出される。
王さんが巻藁を切ってみると切り口が水平になっていたそうで、ダウンで振っても腰の回転があるのでミートの瞬間はレベルになっていると気が付いたそうです。逆にレベルを意識すると、アッパーの切り口になり、巻藁を途中までしか切れなかったそうです。ですからあの縦振り、極端なダウンスイングは、レベルにミートする為のものだったのだそうです。
中西太さんも人柄がいいよね
(続き)最後は言わずと知れた王さん。三冠王を確か初めて二年連続達成されましたからね。V9時代に。40歳で引退されたのも「もう王貞治のバッティングが出来なくなった…」というのには後のVTRにて拝見しました。3名様とも凄いビッグネームでしたね!!
この逸話好きですね、若松さんは当時巨人のレジー・スミスがあんなに広角に打てるなんて信じられない、ぜひメジャーでやらせてみたいと褒めてた。矢沢さんにはあのバッティングフォームは日本のピッチャーへの対処法として参考になるとコメントしてたの思い出しました。
昭和51年❨1976年❩、私のような田舎の人間は毎晩ナイターで巨人戦を中継を見てので、張本勲さんは日本ハムからトレードで巨人に来て芸術的安打を打ちまくって、130試合でセリーグの最多安打の最高記録をマークしながら、首位打者の最小近差の1毛差❨1/10000❩で谷澤健一さんに首位打者を取られた時はショックでした。父親は巨人ファンであったが、旧東映の張本、大杉のファンだったので朝、新聞を見て信じられない様子でした。張本勲さん、今でもあの年の首位打者だけは死ぬほど欲しかったと思います。 しかし、張本勲さん、もう44年前のことなので、谷澤健一さんを日曜日の関口宏のサンデーモーニングショーのゲストに呼んで欲しいですね。私は県立高校の弱小野球部でしたが、いろいろとプロ野球選手の研究をした結果、谷澤健一さんのダウンスイングでボールをミートした後にワンハンドフォロースローはたいへん参考になりました。ちなみに、私は右打者です。張本勲さん、若松勉さん、谷澤健一さん3人とも記憶に残る名3番打者ですね。それはともかく、谷澤健一さんも不運はありました。昭和59年❨1984年❩ 前半戦は中日がコテンパンに巨人を叩いてほぼ優勝確定かと思ったら、ペイントゲームの終盤に山内一弘監督のまずい采配で、広島が優勝したが、あの年は篠塚選手と熾烈な首位打者争いをしていたが、中日の優勝がほぼ駄目になった時から、谷澤健一さんのモチベーションも落ちて篠塚選手に首位打者を取られて、MVPのうわさもあったが、優勝出来なかったので水の泡となってしました。中日の選手は優勝したかっただろうと思います。本当に外様の山内監督を入れて中日を滅茶苦茶にしたと思います。結果論だが、生え抜きの高木守道監督の方がずっと良かった気がしますね。張本勲、イチロー→首位打者7回谷澤健一、若松勉→首位打者2回
荒川博さんのお話初めて伺いました。実は私たまに相撲を取って入賞したりしていますが、現在は合気道をやっています(現在2段)道場では荒川さんや王さんのことをよく知る人もいらっしゃって、真剣切りの話を伺います。合気道は身体の使い方ですね。野球をやっていた時より今の方が身体が大きくなっています。またお話聞かせてください。腰塚雄壽
私は半世紀以上ドラゴンズのファンです。谷澤さんが何故ドラゴンズのコーチ、監督になれなかったのかがわかりません。残念です。
白井オーナーが落合信者だからです。
星野仙一が谷沢さんを嫌っていたからです。
やはり私の中で背番号41番のイメージは絶対谷沢さんですね!
谷沢さんは素晴らしい実績も残し態度も紳士ですが、その谷沢さんが雲の上の存在と言う王さんとは改めて空前絶後の選手だったのがわかります。
刺激を受けるライバルが居るから頑張れる‼解るな~。これ生きる上でも大事な事ですよね?谷沢さん‼
張本さんは色々言われてますが、記録を超えたのはイチローだけ。凄い人に変わりはないですね。
王さんは、本当に人のことを見てるなあ、後輩掛布さんが、巨人戦でヒットを打って一塁に来たとき王さんがそのばバッティングはだれに習ったんだい?と聞かれた
若松さんは、首位打者は2回で谷沢さんと同じだが、3割以上12回は、神様川上さんと一緒だし、常に3割2.3分を打っていたのが凄い
谷沢さん。幼少の頃中日のスターといえば谷沢さんでした。谷沢さんが監督をなさらなかった理由は存じあげませんが、1度でもいいですから監督としての御姿を拝見したかったです。星野監督時代に大島さんや宇野さん、大豊さん、山崎さんのようなホームラン王が他球団に行くことを防げたのは谷沢さんしかいなかったと当時は感じておりました。(ファン目線です、すいません)こんな馬鹿げたトレードによって打てる選手を育てることが出来ない、上手く継承できていない原因であると勝手に感じております。今打てる強打者の日本人選手が中日にはいません。若松さんを育てた中西さんのように、谷沢さんも育てて欲しかったです。
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逆に谷沢さんは、1976年首位打者とるまで3割は一回もなし(意外だった)、そこから、生涯打率3割にもってくんですから、それもある意味凄い、1980には、369で二回目の首位打者、若松さんがコンスタント型なのに、対し谷沢さんは、一気集中固め打ち型
谷沢さんがおっしゃる通り素人目にも王さんの打球はすごかった、ファールの打球でも他の選手と違っていました。荒川さんの息子さんがいたことは知っていましたが、六大学で19本塁打は知りませんでした、入団時にゴタゴタして暴漢に襲われて目を悪くされて引退したということを何かで読んだことがありますが、それがなければ阪神岡田さん以上の選手だったんですね。
言及されています高橋慶彦選手ですが、入団は昭和50年で、谷沢さんと張本さんが首位打者争いされた昭和51年にはまだ2年目でした。レギュラーにはなっていません。33試合連続安打は昭和54年のことになります。
ウエダテルヒサ S54ですか。私の記憶違いでした。54年の私は小山田先生と出会えて希望の光が見え始めた頃ですね。
昭和51年、最後の最後まで首位打者争いがもつれて最後に矢沢さんが逆転したシーズンは覚えています。張本さんは次の年は若松さんに僅差で敗れて結局史上二人目の両リーグ首位打者の誕生はならなかったのですよね。とんでもなくハイレベルの戦いで見ていても楽しかったです!
谷沢さん田尾さん若松さん掛布さん篠塚さんハイアベレージの左打者多かったなぁ。今のドラゴンズは三割六分なんて夢の話しで二割六分もなかなか打てず悲しいです。
谷沢さんは同い年の藤田平さんをどのように見ていましたか?藤田平さんのバッティングの特徴は何ですか?
谷沢さんに監督して欲しかった。
谷沢さんは同い年の若松勉さんや福本豊さんをどのように見ていましたか?また福本豊さんの守備や走塁を実際に見た感想は?
今から35年ぐらい前、当時小学生だった自分は巨人ファンでした。テレビ中継で中日戦を見る度に谷沢さんがスタンドにポンポン放り込む姿が印象的で未だに記憶にはっきり残っています。
谷沢さんは解説の名人です❣️とてもわかり易いです。高木豊にも教えてやって下さい😂
貴重なエピソードありがとうございます✨ツイストは、そんなに前からあったんですね❗️阿部慎之助氏で有名になりましたね
1976は長嶋巨人の破竹の勢いでしたね。週刊ベースボールは開幕からの小林の力投、西本、新浦の力投、王のホームラン、そして末次の逆転満塁サヨナラホームラン。中でも移籍してきた張本の頑張りは素晴らしく、首位打者確実と巨人ファンの僕も確信。最後の最後に中日谷沢さんが抜いたと。唖然としましたね世間も。谷沢すげえな思いましたよ。
昔 神宮球場で若松の試合前バッティング練習見て、同じプロでもこんなに違うのかと驚愕しました
中西コーチが若松さんに中暁生さんのバッティングフォームの分解写真を見せて教えたらしい、若松さん、中さんは、体型が似ているから、中西さんは、阪神で掛布さん、真弓さんも育ててます
王さんは、球界屈指の非力、腕相撲は、土井選手に負けていた、しかし発達した下半身と圧倒的なスイングスピードを身につけホームランを量産
多い中での右打者落合選手の311、ミスターの305もさすがです
若松さん…ヤクルト打線が角さんをつかまえたの思いだしますね〰張本さんは、オロナミンCのポスターのイメージしかないです。王さんは756号をニュースでみたの思いだします。すごい活気でした。荒川さんは、野球教室で実際見たことあります。優しそうな感じでした。
谷沢さん、フジテレビ解説者時代、南野陽子主演の輝きたいの!に本人役で出てましたよね?セリフも結構ありましたよ(笑)。南野陽子ちゃんは可愛かったですか?
南野陽子さんは清楚な活動的な女優になるきっかけのドラマだと感じました。強く印象に残ってます。ドラマの中では、所ジョージさんが上役の設定でしたね。
知らなかった!原田知世と南野陽子は好いですね
猛打賞で逆転首位打者になった時覚えてます🎵ってかあの頃から野球知ったんで僕にとっては巨人といえばOH砲だったんであの張本さん抜いたのは嬉しく思います ホームラン確かに増えましたよね😃怪我の功名ですかね🎵
同僚田尾さんのお名前は挙がるんじゃないかと思ってましたけどねーチーム内で切磋琢磨し合う身近なライバルの印象です
谷沢さんは的確な解説をするのが魅力だが地上波のドラゴンズ戦(東海テレビ)の中継に最近出演しないのが残念である。せいぜい、CS・JSPORTSの中継(東海テレビ制作)に出演するぐらいだがたまには地上波でも解説してほしい。
東海地区の地上波は若い解説者に任せていますよ。CS、BS、JSPORTSで充分ですよ。
@@谷沢健一-o8i そういう事だったのですね。返信ありがとうございます。
千葉の誇り
若松さんは、小柄でしたが、パワフルな打撃でしたね。ツイストという下半身を逆に捻る打撃法があることに驚きました。谷沢さんの説明が素人にも分かりやすく勉強になりました。中西さんのツイスト打法は、他では、真弓さん、岡田さんの打ち方でしょうか?1976年の首位打者が初めての3割というのも意外でした。また、単打ばかりでチームへの貢献度が低い事を自ら語る部分が正直でいいですね。王さんの素振りと試合打席のスイング軌道が違うのは、何故でしょうか?素振りと打席の軌道が違う事はよくある事ですか?毎回、面白いお話ありがとうございます。
tesujin999 阪神時代の真弓君はツイスト打法を時々見せていたのを記憶してます。岡田君はどうだったかな。私が3割に固執したのは、夏場になると打率を落として結局,280、,290止まりでした。76年は“目標は,350”と公言。ひたすらヒットを積み上げて行きましたよ。ただ、契約更改で貢献度が低いと言われ年俸も大して上がらなかった。でも打撃スタイルが小さくなっていましたね。その後アキレス腱が悲鳴を上げてほぼ2年間休みましたが、今となっては良い反省期間を与えてくれたと思います。
確かにスイング軌道が違いますが、試合では特に好投手にタイミングを崩されますから、素振りのようにはスイングできない。どう対応するかを優先します。私も同様に素振りの時は、シャープな体のキレ(素振りをした時にフラつかない下半身)に伴って、バットのヘッドが鋭く振れるよう一人静かな場所で練習します。突然夜中に閃いてバットを振る事も。その時のスイングは、レベルでは無いのです。ダウン気味に振らないとヘッドのスピードが生まれない。つまり、引き手の脇が空いてしまうとバットのヘッドが遠回りしてしまう。特に王さんの素振りは極端にステップ足の親指に向かって振っていました。当時のバットは940g程ありましたから、グリップから指2本分短く持って振り込みましたよ。長文で失礼しました。
アッパー気味にボールの上をこするように打つと速いゴロが打てるからヒットになりやすい。だから芯を外しそうと思った瞬間に無理やりこするように打つ。と、内川選手も言ってましたね。
K W 私はそんな芸当は出来なかった。たまたま、こすったような打球になった事は随分ありますが芯を外す意識でヒットを打つなんて無理でした。ボールがバットに当たる瞬間まで見るなんて私はできなかった。
@@谷沢健一-o8i 横浜に移籍してチームメイトになった内川から「試合ではどうせ芯をはずされるから、芯をはずして安打を打つ練習をしている」という話を聞いてたまげた中根さんのこの話を聞いた立浪さんもまたたまげてました
@@不肖-u5d さんへ内川選手の右打ちは内外しかりバットの芯で打つ事など度外視してましたね。どんな形でも走者を進める、綺麗なヒットなど求めてないようでした。
榎本喜八さんのバッキーさんとの対決動画を見てびっくりしたんですが、谷沢さん的にどのように見えるかきいてみたいです。
ヤクルト青木君のような構えですね。構えから身体を捻って割り(バネ)を作り、バットの出方が早いですね。このビデオは初めて拝見しました。
なるほど青木選手!摺足なのも興味深いです。只者ではない雰囲気を感じます。
みなさんのコメント見てますと、同世代で友達になれそうな方々ばかりです😅懐かしい話しで話し方も上手くてあっという間でした小学生から野球してて高校までやりましたが才能がなくて大学時代は観るだけでした私から見たら矢沢さんも雲の上の方ですので矢沢さんがUA-camされてるの今朝知ったので即登録しましたいや〜良い時代ですね(笑)
谷沢さん歳取りましたねー…現役時代思い出します!
3割5分と簡単に言うけど凄い数字。
3-1でAV下がるという世界….350残すには毎試合2本目標にしながら実現しないと突破出来ないレベル内野安打の足が必須ですけど谷沢さんは足の負傷から首位打者👏金本さん前田さんは世代が同じならランクインでしょうか❔
いつも楽しく拝見させていただいてます。影響された3人の打者はまったく偉大なる打者。そろって左の強打者。同時期に活躍された阪神の藤田平選手もいたでしょう。若松選手との首位打者争いに至っては1980年に369で首位打者になった頃の話しかと思います。あとは荒川選手は長野県の両親から荒川さんが養子に迎え入れてます。大洋のドラフトを拒否して暴漢に襲われた荒川事件が残念でしたね。のちにヤクルトに行って視力障害で引退したことが思い出されます。
掛布さんは少し年代が違うのかな?張本さんは扇打法とかスプレー打法とか言われて不思議な打ち方をする人でした。振り出すときバットのヘッドが体から離れてしまうんです。これではヘッドは下がるし、慣性モーメントは大きくなって高めの速球には普通は振り遅れます。しかし、腕力があり体幹も強かったのとおそらく視力もよかったのかもしれません。移籍してすぐ慣れないセリーグで高打率を残しました。王さんとOH法を組みモチベーションが高かったんだと思います。(あの落合さんも移籍したシーズンは本塁打が50本から27本に激減しましたからね。)黒手袋の張本、赤手袋の柴田。懐かしい話です。
昔のヘルメット重厚な感じだかっこいいねー
王シフトで極端に狭くした一・二塁間をゴロで抜いていくって、考えてみたら二塁手は名手 高木守道でしょう?どんだけ速い打球なんだ!
若松さんは、ゲストで出たんですか?
家が安部球場の近くだったから良く早稲田の練習見に行ったけど、ライトにホームランだと谷沢さん、レフトにホームランだと荒川さんがフリーバッティングで凄い当たり飛ばしてた。まあレフトへは小田さんも打ってたけど。凄かったなあ。
高橋慶彦が33試合連続安打の日本新記録を打つまでは阪急の長池の32試合連続安打が日本記録だった!
コンスタント型なのに、対し谷沢さんは、一気集中固め打ち型
慶彦の連続試合安打は79年ですよ^_^でも76年の張本谷沢の首位打者争いは覚えてますよ😃ハリーは最後まで優勝かかってたから休めませんでしたね
「今の言葉で言うとツイスト」ってところ、「ツイスト打法」自体はここ10年くらいの言葉ですけど、踊りの「ツイスト」が流行ったのはずいぶん昔なので、なんとなく違和感w
阪神の掛布は、谷沢さんより若く同世代ではないので、谷沢さんのライバルにならなかったのは分かりますが、カープの山本浩二や衣笠がライバルでなかったのは意外でした。やはり、右打者で、谷沢さんとはタイプが違ったので、ライバルという存在ではなかったのでしょうか。
よくぞこのような手で、、、と絶句し、泣いたという
谷沢さんは同じ年の門田博光さんをどのように見ていましたか?実際にバッティングを見た感想は?
あれだけ足を上げては打てません。軸足の強さが要求される。私も山内監督の時に足を上げて打ちました。S 59年の成績が物語っています。門田君は引退するまで同じ形ですから下半身が強靭だったかと。当時の南海には野村さんがおりましたから、鏡を見るように参考にしたのでは。
アキレス腱の断裂をしても、良く同じスタイルを続けられたと感心しますね。私はスタンスの幅を狭くする事で回転力を上げましたから大幅にチェンジしました。
@@谷沢健一-o8i 門田さんもアキレス腱やったんですね凄い
凄い形相で谷沢さんにムキになって負け惜しみを言っている張本さんの顔が目に浮かびます。(^o^)
ルース選手の記録を塗り替えたのは715本ですね。
水島新治さんのあぶさん第一巻であぶさんと、南海に一緒に入った大伴という選手が出てくるが、シーズン途中で目の病気で引退するというストーリー、荒川堯さんがモデルになったんじゃないか、という気がしてならない
本当に谷沢さんの話し、話術は素晴らしいです!!いつまでも聞いていたいです!有難う御座います!!!
65歳の私には今日の話は本当に嬉しい限りです。当時谷沢さん、鈴木孝政さん、張本さんからリアルタイムで聞いたのを憶えています。若松さんとは、本当にライバル感たっぷりでお互いにドーム球場ができるまで野球を続けようとか、谷沢さんが昭和55年に2回目の首位打者とった時は固め打ちが連日続くのをみて、若松さんはもう追いつけないと諦めたとか、張本さんが追いつくとは思わなかったと本当に悔しがっていたし、前夜は寝付けない谷沢さんと孝政さんが飲み明かし、孝政さんに激励されたと、当時私はやはり千葉県人同志仲が良いんだなって思いました。王さんは当時2割9分が数年続いて中々3割打てない谷沢さんに「3割を目標にしたら駄目だ。3割打ちたかったら、せめて3割5分を目標にしないと❗️」と叱咤激励したと。王さんのファースト連続ベスト9をストップさせたのは谷沢さんですから、まさに王さんに対する恩返しですね。最後に荒川尭さんの話を聞けたのは嬉しくて感激しました。二人は早稲田のAY砲で、神宮球場の活躍が懐かしいです。ドラフト前には連日お二人+太田幸司さんの特集が報道されていました。当時の週間ベースボールの切り抜きを今も大事にしてます。荒川尭さんとは本塁打一本差でしたが、大学平均打率が.360でしたからやはり谷沢さんは神宮のヒーローでした。今回は谷沢さん自身から沢山聴けて最高でした‼️
谷沢さんの打撃分析の凄さ、また聞く人が非常に解かりやすいように説明されてると思います。
あとエピソードなどで他の選手へのリスペクトが感じられる話し方は素晴らしいなと思います。
谷沢さん、いつも本当に素晴らしいお話をありがとうございます。谷沢さんのソフトな語り口で名選手のリアルな姿を目の前で見ているような迫力のあるお話を聞けて本当に嬉しいです。
谷沢さん、今回もありがとうございます。やはり谷沢さんと同い年の若松さんがトップに出てきたのが一番嬉しかったです!王さんと張本さんのお話も興味深く聞けました。1976年というと私はまだ幼稚園生でしたが父がドラゴンズファンで、谷沢さんが首位打者を取った時、非常に喜んでいたのを、おぼろけながらも覚えています。張本さんとの首位打者争いの過程には、多くのドラマがあったのですね。またいろいろなお話、楽しみにしております!
谷沢さんは本当に対戦相手や
ライバルをリスペクトしてますね!
そうゆうふうに話せるって素晴らしいと
感じます!谷沢さんまだまだいろんなお話しを
お聞きしたいですょ!頑張って下さい
谷沢さんはシーズンオフのプロ野球ニュースでクイズをやっていて
それに出演されているのを見たことがあります。
不正解を出された時に悪びれる風も無く、天真爛漫な笑顔をされていて
その人間性にいっぺんに魅了されてしまいました。もう引退されてから
のことだと思います。
また40年ほど前、田舎から東京に出張した折、渋谷駅で偶然拝見しました。
なんか背の高い人が向こうから来るなと思っていたら谷沢さんでした。
一瞬の出来事だったのでただすれ違っただけですが、こうして思えば
私にとって街中で出会った唯一のプロ野球選手が谷沢さんです。
これからもお元気で。
谷沢さんが油の乗ってみえた時期に、私は小学生で野球小僧でした。
巨人ファンでしたが、谷沢さんの柔らかい打ち方に憧れていました。
谷沢さんの次は篠塚さんに憧れました、同じような柔らかさだったと記憶にあります。
谷沢さん応援してます!
谷沢さんのファンです。小遣いを貰うと柏の谷沢スポーツに野球道具買いに行ってた小学生時代が懐かしいです。
谷沢さんと若松さんは同じ1985年に2000本安打を達成されましたよね。月刊ドラゴンズに2000本を目指す二人として並んで写っている写真が印象的でした。怪我で休みながらも何とかシーズン終盤ギリギリ間に合って2000本達成されて本当に良かったと思いました。中学生の頃の思い出として鮮明に残ってます。
谷沢さん、若松選手をあげてくれてありがとうございます!小さいころから若松一本のおやじです、あの小さな体で、シャープなスウィングからヒットを遼さん、そしてホームランも打てるパワー、こんな選手はもう出てこないんじゃ!
谷沢さんの現役時代、私も中日ドラゴンズを応援していました。大変懐かしいお話を聞かせて頂きありがとうございます。早速チャンネル登録しました。これからも応援しています。
谷沢さんの巨人寄りでない解説が好きでした、地上波で野球が当然の様に見れた頃が懐かしいな
小学生の頃、中日ドラゴンズが京都西京極球場で試合する時は、京都山科東急インを常宿にしてたのですが、その時に谷沢さんにサインを頂いたのを覚えてます。物凄く気さくに応じてくれました、やはり谷沢さんの人間性が滲みでてます。
谷沢さん、若松さん、張本さん、お三方は子供の頃の憧れで、左バッターだった私のお手本でした。まさに私にとっての3人の強打者です。強いライナーを飛ばす、左右に打ち分ける、チャンスに強い、三振が少ない、ホームランも打てる。真の強打者の条件を兼ね備えたお三方です。王さんはもちろんホームラン王として別格ですが、谷沢さんから若松さん、張本さんの話が出て、非常にうれしくなりました。是非お三方の野球談議、バッティング理論が聞きたいです。
懐かしい。当時は各チームに代表的な野手がいた。私は今52才。巨人は王 張本。中日は高木、谷沢。ヤクルトは若松 大杉。広島は山本、衣笠。大洋は松原 山下。阪神は掛布 藤田。巨人ファンだったから相手の強打者が出てくるとドキドキして見てたんだよなー。
若松さんはそんなに多弁じゃないし寡黙だし言葉は少ないけど、聞き上手だし和やかな雰囲気ですよね
谷沢さん こんばんは。今回は貴重なお話が聞けて嬉しかったです。若松さんも張本さんも首位打者争いのライバルでしたね。次回の配信も楽しみにしております。
昭和の名選手の様々なお話が聞けて非常に嬉しいです。
若松さんは長い間通算打率(4000打席以上)で日本人選手1位でしたね。そして最近それを抜いたのも若松選手の背番号1を受け継いだ青木選手というのも感慨深いですね。
張本さんのバッティングは過去の映像でしか見た事ないですが、おっしゃられた通りテイクバックがほとんど無く、それでいて500本以上もの本塁打を打たれたのは余程全身の力とバネが凄かったのだと感じます。
王さんは言わずと知れた世界の王さん。そして過去のレジェンド選手たちも王さんに試合中に話しかけられて自信をつけた選手も多いみたいです。そういった人柄も含めて素晴らしい方だと思います。
荒川尭さんの話しも聞けて嬉しかったです。怪我が無ければどれほどの選手になっていたのかと考える選手の1人でもあります。
長文コメント失礼しました、また昔のプロ野球についての話しが聞けると嬉しいです。
谷沢さんは他の方のエピソードを話されることが本当に上手だと感じます。若松さん、張本さん、王さん、荒川さん。以前の堀内さんも。特に直接話法で、「谷沢な、おまえが〜」というようにエピソードを紹介されるとき、その光景が鮮やかに浮かんでくるほどです。引き続きアップをお待ちしています。
私は当時中2でしたが、確か最後は、センター前ヒット。東京の新聞でも大きく扱われていました。
谷沢さんと若松さんのコラボが見たいです!お願いします!若松さんを引っ張り出してwください!
谷澤さんが怪我から復帰して首位打者タイトル獲得から、中日が1982年優勝した頃が、プロ野球が一番面白く最高でした!当時、NHKで巨人戦放送時には急いで帰宅(巨人戦チケット購入は困難)、TVにくらい付いてみており、谷澤さんの活躍が今でも鮮明に覚えております。
矢沢さん、お元気ですか?
私は、小学生の頃、柏駅前にありました矢沢スポーツで少年野球で使用していたアンダーシャツにサインを頂いた者で、いまは、もう50歳になりました。
当時は、オフシーズンでたしか高島屋でサイン会があり、もしかしたら、矢沢さんがご実家に戻られているのではと思い、伺った記憶があります。矢沢さんに会えたときはすごく大きな方と記憶していて、とても優しく接してしただきました。本当にありがとうございました。
2、3年前にも柏駅でお見かけしましたが、大きくてダンディーな方でした。いつまでもお元気で私にとっては柏市の誇りです。
お父様にそっくりになられましたね。
若松さんは優しいし人柄がものすごくいいですよね。
谷沢健一と若松さん、堀内恒夫さんは竹馬の友だしライバルだけど、互いにリスペクトしていましたよね。
若松さんと谷沢健一さんはチームは違っても親友でしたからね。
若さんともコラボしてほしいです
◇3割5分打って、
「チームへの貢献度は低かった」という謙遜心が谷沢さんの人間性ですね。
◇張本さんがセ・リーグに来て、
初めてちゃんとバッティングをテレビで観て驚愕したのが、
三塁手が一歩も動けない「三塁キャンバスを抜く打球」。
あそこへの打球、『イチローの全安打分布図』見ると~”ない”んですよね。
張本さんの”狙い撃ち”したあの打撃技術は超一流でした。
あれに似た打球が打てたのは、篠塚さんが最後か。【球界のオーパーツ】技術。
80年代のプロ野球の隆盛の一翼を担った名打者の矢沢さん。星野さんが逝去されたり、段々その時代の生き証人が少なくなってきて残念ですがYou Tubeを熱心にやっている高木豊さんしかり、生の言葉でお聞きできること嬉しい限りです。私は巨人ファンでしたが昔、後楽園で矢沢さんにも大島さんにも良く打たれていた記憶があります。
王さん、かなり谷沢さんを気に掛けているのが、会話から感じられます。
自分にとっての中日の41番は、浅尾選手でも勝野選手でもなく谷沢選手ですね。 生活の中で41を見ると、ついつい谷沢選手を思い出します。
現役時代の谷沢さんは、相手投手がどこに投げても打たれるイメージがありましたよね。
1980年の首位打者を取ったときなんか、特にすごかったですね。
投手は投げる球、コースがなかったと思います。
一本足打法とツイスト打法?は、構えは違えど、軸足をしっかりさせることとインパクトの瞬間にCの字を作ることは共通するのですね。
ライバルと成績を争いながら、でも、敬意を表して、その打者の師匠の考え方に言及する語りが、とても爽やかで、楽しく視聴できました。
谷沢さんファンだったので
興味深い話し楽しみに聞いています有り難う御座います 私は大学時代 名古屋で星ヶ丘自動車学校で谷沢さんとはの同窓生でした 何度か教習所でお会いしました 私より後にきて先に卒業されました 今もよくする自慢話です 今後もごかつやく楽しみにしています
引退すると発表した後の消化試合の大洋戦、門田投手から、打った現役最後のホームラン、フォークボールを左手一本でナゴヤ球場のライトスタンド最上段につきささった、あの当たりは、凄かったまだ3年できたはず
こんばんは谷沢様、ツイスト打法若松さんの神髄ですね、運動のプラマイの法則、マイナスを意識して力を与えれば加速します。走りも。走攻守揃った若松谷沢選手、巨人軍に欲しい逸材でしたね
恐竜打線の四番打者・谷沢健一!大島、宇野、モッカと長距離砲がいた中での四番は印象深い。谷沢氏がいた当時の中日は投手に小松、郭源治、都裕次郎、牛島和彦など好投手がいて豪快な野球だった。落合監督時代の強さとは質の違う強さだった。
今夜は初めて長時間ですね!全員谷沢様同様左打者。谷沢様と若松さんは同級生で監督辞任後、一時期「プロ野球ニュース」仲間でしたね。正に「小さな大打者」でした(続く)。
谷沢さん、西武で打撃コーチになられたお話しをお願いいたします。
1993年は西武の左打者の層が薄く左打者の打率向上や現役時代のチームメートだった鈴木康友さんの育成も含めて西武は目的を本当に考えてたと思います。
谷沢さん、若松さん現役時代は地上波全盛期で2人共男前でしたね!同世代では星野仙一さん、田淵幸一さん、山本浩二さんもいましたね!
門田博光も
昭和のプロ野球、ライバルは王さん張本さん若松さんは昭和のプロ野球選手で素晴らしい活躍でした、谷沢さんが初めて首位打者獲得した1976年、本当に嬉しかったと思います、怪我は仕方ないとして復活して1980年にも首位打者獲得して感無量ですね、実際あの頃は自分よりレベルの高い長所を盗んで成長する事ですね、自分も中学生の頃は野球部に3年間やりましたが駄目でした、運動神経が鈍い等はありました、ボウリングならパーフェクト達成しましたが、馬鹿にされたりいばらの道を歩み、レッスンは受けず自己流で身につけて、レベルの高いボウラーの長所を盗んだりしてレベルアップして行きました、平成のプロ野球選手なら松井秀喜さん、イチローさんですね、令和なら村上選手が昨年最年少で三冠王と56本塁打素晴らしいです、今年もコンスタントに打って本塁打を量産出来ると思います。
実際、やるからには苦労して頑張るしかありません。
様々なエピソードを聞いて参考になりました。
最後のダブルジヘッダー、いつまでも、覚えています。3打数2安打ではだめで、4打数3安打
打たないと、首位打者は取れない、それで獲得したのは、すばらしいです。
谷沢さんの最初の首位打者は、張本さんの「セパ両リーグでの首位打者」を阻止することになった。江藤慎一さんただ一人の記録だった。そのあと内川選手が両リーグの首位打者を記録した。記録が生まれるたびに過去の記録が取りざたされる=過去の名選手が思い出される。
王さんが巻藁を切ってみると切り口が水平になっていたそうで、ダウンで振っても腰の回転があるのでミートの瞬間はレベルになっていると気が付いたそうです。逆にレベルを意識すると、アッパーの切り口になり、巻藁を途中までしか切れなかったそうです。ですからあの縦振り、極端なダウンスイングは、レベルにミートする為のものだったのだそうです。
中西太さんも人柄がいいよね
(続き)最後は言わずと知れた王さん。三冠王を確か初めて二年連続達成されましたからね。V9時代に。40歳で引退されたのも「もう王貞治のバッティングが出来なくなった…」というのには後のVTRにて拝見しました。3名様とも凄いビッグネームでしたね!!
この逸話好きですね、若松さんは当時巨人のレジー・スミスがあんなに広角に打てるなんて信じられない、ぜひメジャーでやらせてみたいと褒めてた。矢沢さんにはあのバッティングフォームは日本のピッチャーへの対処法として参考になるとコメントしてたの思い出しました。
昭和51年❨1976年❩、私のような田舎の人間は毎晩ナイターで巨人戦を中継を見てので、張本勲さんは日本ハムからトレードで巨人に来て芸術的安打を打ちまくって、130試合でセリーグの最多安打の最高記録をマークしながら、首位打者の最小近差の1毛差❨1/10000❩で谷澤健一さんに首位打者を取られた時はショックでした。父親は巨人ファンであったが、旧東映の張本、大杉のファンだったので朝、新聞を見て信じられない様子でした。張本勲さん、今でもあの年の首位打者だけは死ぬほど欲しかったと思います。
しかし、張本勲さん、もう44年前のことなので、谷澤健一さんを日曜日の関口宏のサンデーモーニングショーのゲストに呼んで欲しいですね。
私は県立高校の弱小野球部でしたが、いろいろとプロ野球選手の研究をした結果、谷澤健一さんのダウンスイングでボールをミートした後にワンハンドフォロースローはたいへん参考になりました。ちなみに、私は右打者です。
張本勲さん、若松勉さん、谷澤健一さん3人とも記憶に残る名3番打者ですね。それはともかく、谷澤健一さんも不運はありました。昭和59年❨1984年❩ 前半戦は中日がコテンパンに巨人を叩いてほぼ優勝確定かと思ったら、ペイントゲームの終盤に山内一弘監督のまずい采配で、広島が優勝したが、あの年は篠塚選手と熾烈な首位打者争いをしていたが、中日の優勝がほぼ駄目になった時から、谷澤健一さんのモチベーションも落ちて篠塚選手に首位打者を取られて、MVPのうわさもあったが、優勝出来なかったので水の泡となってしました。中日の選手は優勝したかっただろうと思います。本当に外様の山内監督を入れて中日を滅茶苦茶にしたと思います。結果論だが、生え抜きの高木守道監督の方がずっと良かった気がしますね。
張本勲、イチロー→首位打者7回
谷澤健一、若松勉→首位打者2回
荒川博さんのお話初めて伺いました。実は私たまに相撲を取って入賞したりしていますが、現在は合気道をやっています(現在2段)道場では荒川さんや王さんのことをよく知る人もいらっしゃって、真剣切りの話を伺います。合気道は身体の使い方ですね。野球をやっていた時より今の方が身体が大きくなっています。またお話聞かせてください。腰塚雄壽
私は半世紀以上ドラゴンズのファンです。谷澤さんが何故ドラゴンズのコーチ、監督になれなかったのかがわかりません。残念です。
白井オーナーが落合信者だからです。
星野仙一が谷沢さんを嫌っていたからです。
やはり私の中で背番号41番のイメージは絶対谷沢さんですね!
谷沢さんは素晴らしい実績も残し態度も紳士ですが、その谷沢さんが雲の上の存在と言う王さんとは改めて空前絶後の選手だったのがわかります。
刺激を受けるライバルが居るから頑張れる‼解るな~。これ生きる上でも大事な事ですよね?谷沢さん‼
張本さんは色々言われてますが、記録を超えたのはイチローだけ。
凄い人に変わりはないですね。
王さんは、本当に人のことを見てるなあ、後輩掛布さんが、巨人戦でヒットを打って一塁に来たとき王さんがそのばバッティングはだれに習ったんだい?と聞かれた
若松さんは、首位打者は2回で谷沢さんと同じだが、3割以上12回は、神様川上さんと一緒だし、常に3割2.3分を打っていたのが凄い
谷沢さん。幼少の頃中日のスターといえば谷沢さんでした。
谷沢さんが監督をなさらなかった理由は存じあげませんが、1度でもいいですから監督としての御姿を拝見したかったです。
星野監督時代に大島さんや宇野さん、大豊さん、山崎さんのようなホームラン王が他球団に行くことを防げたのは谷沢さんしかいなかったと当時は感じておりました。(ファン目線です、すいません)こんな馬鹿げたトレードによって打てる選手を育てることが出来ない、上手く継承できていない原因であると勝手に感じております。今打てる強打者の日本人選手が中日にはいません。若松さんを育てた中西さんのように、谷沢さんも育てて欲しかったです。
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逆に谷沢さんは、1976年首位打者とるまで3割は一回もなし(意外だった)、そこから、生涯打率3割にもってくんですから、それもある意味凄い、1980には、369で二回目の首位打者、若松さんがコンスタント型なのに、対し谷沢さんは、一気集中固め打ち型
谷沢さんがおっしゃる通り素人目にも王さんの打球はすごかった、ファールの打球でも他の選手と違っていました。荒川さんの息子さんがいたことは知っていましたが、六大学で19本塁打は知りませんでした、入団時にゴタゴタして暴漢に襲われて目を悪くされて引退したということを何かで読んだことがありますが、それがなければ阪神岡田さん以上の選手だったんですね。
言及されています高橋慶彦選手ですが、入団は昭和50年で、谷沢さんと張本さんが首位打者争いされた昭和51年にはまだ2年目でした。レギュラーにはなっていません。33試合連続安打は昭和54年のことになります。
ウエダテルヒサ S54ですか。私の記憶違いでした。54年の私は小山田先生と出会えて希望の光が見え始めた頃ですね。
昭和51年、最後の最後まで首位打者争いがもつれて
最後に矢沢さんが逆転したシーズンは覚えています。
張本さんは次の年は若松さんに僅差で敗れて結局史上二人目の
両リーグ首位打者の誕生はならなかったのですよね。
とんでもなくハイレベルの戦いで見ていても楽しかったです!
谷沢さん
田尾さん
若松さん
掛布さん
篠塚さん
ハイアベレージの左打者多かったなぁ。
今のドラゴンズは三割六分なんて夢の話しで二割六分もなかなか打てず悲しいです。
谷沢さんは同い年の藤田平さんをどのように見ていましたか?藤田平さんのバッティングの特徴は何ですか?
谷沢さんに監督して欲しかった。
谷沢さんは同い年の若松勉さんや福本豊さんをどのように見ていましたか?また福本豊さんの守備や走塁を実際に見た感想は?
今から35年ぐらい前、当時小学生だった自分は巨人ファンでした。テレビ中継で中日戦を見る度に谷沢さんがスタンドにポンポン放り込む姿が印象的で未だに記憶にはっきり残っています。
谷沢さんは解説の名人です❣️
とてもわかり易いです。
高木豊にも教えてやって下さい😂
貴重なエピソードありがとうございます✨
ツイストは、そんなに前からあったんですね❗️
阿部慎之助氏で有名になりましたね
1976は長嶋巨人の破竹の勢いでしたね。週刊ベースボールは開幕からの小林の力投、西本、新浦の力投、王のホームラン、そして末次の逆転満塁サヨナラホームラン。
中でも移籍してきた張本の頑張りは素晴らしく、首位打者確実と巨人ファンの僕も確信。
最後の最後に中日谷沢さんが抜いたと。唖然としましたね世間も。
谷沢すげえな思いましたよ。
昔 神宮球場で若松の試合前バッティング練習見て、同じプロでもこんなに違うのかと驚愕しました
中西コーチが若松さんに中暁生さんのバッティングフォームの分解写真を見せて教えたらしい、若松さん、中さんは、体型が似ているから、中西さんは、阪神で掛布さん、真弓さんも育ててます
王さんは、球界屈指の非力、腕相撲は、土井選手に負けていた、しかし発達した下半身と圧倒的なスイングスピードを身につけホームランを量産
多い中での右打者落合選手の311、ミスターの305もさすがです
若松さん…ヤクルト打線が角さんをつかまえたの思いだしますね〰
張本さんは、オロナミンCのポスターのイメージしかないです。
王さんは756号をニュースでみたの思いだします。すごい活気でした。
荒川さんは、野球教室で実際見たことあります。優しそうな感じでした。
谷沢さん、フジテレビ解説者時代、南野陽子主演の輝きたいの!に本人役で出てましたよね?セリフも結構ありましたよ(笑)。南野陽子ちゃんは可愛かったですか?
南野陽子さんは清楚な活動的な女優になるきっかけのドラマだと感じました。強く印象に残ってます。ドラマの中では、所ジョージさんが上役の設定でしたね。
知らなかった!
原田知世と南野陽子は好いですね
猛打賞で逆転首位打者になった時覚えてます🎵ってかあの頃から野球知ったんで僕にとっては巨人といえばOH砲だったんであの張本さん抜いたのは嬉しく思います ホームラン確かに増えましたよね😃怪我の功名ですかね🎵
同僚田尾さんのお名前は挙がるんじゃないかと思ってましたけどねー
チーム内で切磋琢磨し合う身近なライバルの印象です
谷沢さんは的確な解説をするのが魅力だが地上波のドラゴンズ戦(東海テレビ)の中継に最近出演しないのが残念である。
せいぜい、CS・JSPORTSの中継(東海テレビ制作)に出演するぐらいだがたまには地上波でも解説してほしい。
東海地区の地上波は若い解説者に任せていますよ。
CS、BS、JSPORTSで充分ですよ。
@@谷沢健一-o8i そういう事だったのですね。返信ありがとうございます。
千葉の誇り
若松さんは、小柄でしたが、パワフルな打撃でしたね。
ツイストという下半身を逆に捻る打撃法があることに驚きました。
谷沢さんの説明が素人にも分かりやすく勉強になりました。
中西さんのツイスト打法は、他では、真弓さん、岡田さんの打ち方でしょうか?
1976年の首位打者が初めての3割というのも意外でした。
また、単打ばかりでチームへの貢献度が低い事を
自ら語る部分が正直でいいですね。
王さんの素振りと試合打席のスイング軌道が違うのは、何故でしょうか?
素振りと打席の軌道が違う事はよくある事ですか?
毎回、面白いお話ありがとうございます。
tesujin999 阪神時代の真弓君はツイスト打法を時々見せていたのを記憶してます。岡田君はどうだったかな。
私が3割に固執したのは、夏場になると打率を落として結局,280、,290止まりでした。
76年は“目標は,350”と公言。ひたすらヒットを積み上げて行きましたよ。
ただ、契約更改で貢献度が低いと言われ年俸も大して上がらなかった。
でも打撃スタイルが小さくなっていましたね。その後アキレス腱が悲鳴を上げてほぼ2年間休みましたが、今となっては良い反省期間を与えてくれたと思います。
確かにスイング軌道が違いますが、試合では特に好投手にタイミングを崩されますから、素振りのようにはスイングできない。どう対応するかを優先します。
私も同様に素振りの時は、シャープな体のキレ(素振りをした時にフラつかない下半身)に伴って、バットのヘッドが鋭く振れるよう一人静かな場所で練習します。突然夜中に閃いてバットを振る事も。
その時のスイングは、レベルでは無いのです。ダウン気味に振らないとヘッドのスピードが生まれない。つまり、引き手の脇が空いてしまうとバットのヘッドが遠回りしてしまう。
特に王さんの素振りは極端にステップ足の親指に向かって振っていました。
当時のバットは940g程ありましたから、グリップから指2本分短く持って振り込みましたよ。長文で失礼しました。
アッパー気味にボールの上をこするように打つと速いゴロが打てるからヒットになりやすい。
だから芯を外しそうと思った瞬間に無理やりこするように打つ。
と、内川選手も言ってましたね。
K W 私はそんな芸当は出来なかった。たまたま、こすったような打球になった事は随分ありますが芯を外す意識でヒットを打つなんて無理でした。
ボールがバットに当たる瞬間まで見るなんて私はできなかった。
@@谷沢健一-o8i
横浜に移籍してチームメイトになった内川から
「試合ではどうせ芯をはずされるから、芯をはずして安打を打つ練習をしている」という話を聞いてたまげた中根さんのこの話を聞いた立浪さんもまたたまげてました
@@不肖-u5d さんへ
内川選手の右打ちは内外しかりバットの芯で打つ事など度外視してましたね。どんな形でも走者を進める、綺麗なヒットなど求めてないようでした。
榎本喜八さんのバッキーさんとの対決動画を見てびっくりしたんですが、谷沢さん的にどのように見えるかきいてみたいです。
ヤクルト青木君のような構えですね。構えから身体を捻って割り(バネ)を作り、バットの出方が早いですね。このビデオは初めて拝見しました。
なるほど青木選手!摺足なのも興味深いです。只者ではない雰囲気を感じます。
みなさんのコメント見てますと、同世代で友達になれそうな方々ばかりです😅
懐かしい話しで話し方も上手くて
あっという間でした
小学生から野球してて高校までやりましたが
才能がなくて大学時代は観るだけでした
私から見たら矢沢さんも雲の上の方です
ので
矢沢さんがUA-camされてるの今朝知ったので即登録しました
いや〜良い時代ですね(笑)
谷沢さん歳取りましたねー…現役時代思い出します!
3割5分と簡単に言うけど凄い数字。
3-1でAV下がるという世界…
.350残すには毎試合2本目標にしながら実現しないと突破出来ないレベル
内野安打の足が必須ですけど谷沢さんは足の負傷から首位打者👏
金本さん前田さんは世代が同じならランクインでしょうか❔
いつも楽しく拝見させていただいてます。影響された3人の打者はまったく偉大なる打者。そろって左の強打者。同時期に活躍された阪神の藤田平選手もいたでしょう。若松選手との首位打者争いに至っては1980年に369で首位打者になった頃の話しかと思います。あとは荒川選手は長野県の両親から荒川さんが養子に迎え入れてます。大洋のドラフトを拒否して暴漢に襲われた荒川事件が残念でしたね。のちにヤクルトに行って視力障害で引退したことが思い出されます。
掛布さんは少し年代が違うのかな?
張本さんは扇打法とかスプレー打法とか言われて不思議な打ち方をする人でした。
振り出すときバットのヘッドが体から離れてしまうんです。これではヘッドは下がるし、慣性モーメントは大きくなって高めの速球には普通は振り遅れます。
しかし、腕力があり体幹も強かったのとおそらく視力もよかったのかもしれません。移籍してすぐ慣れないセリーグで高打率を残しました。王さんとOH法を組みモチベーションが高かったんだと思います。(あの落合さんも移籍したシーズンは本塁打が50本から27本に激減しましたからね。)
黒手袋の張本、赤手袋の柴田。懐かしい話です。
昔のヘルメット重厚な感じだかっこいいねー
王シフトで極端に狭くした一・二塁間をゴロで抜いていくって、考えてみたら二塁手は名手 高木守道でしょう?どんだけ速い打球なんだ!
若松さんは、ゲストで出たんですか?
家が安部球場の近くだったから良く早稲田の練習見に行ったけど、ライトにホームランだと谷沢さん、レフトにホームランだと荒川さんがフリーバッティングで凄い当たり飛ばしてた。まあレフトへは小田さんも打ってたけど。凄かったなあ。
高橋慶彦が33試合連続安打の日本新記録を打つまでは阪急の長池の32試合連続安打が日本記録だった!
コンスタント型なのに、対し谷沢さんは、一気集中固め打ち型
慶彦の連続試合安打は79年ですよ^_^
でも76年の張本谷沢の首位打者争いは覚えてますよ😃ハリーは最後まで優勝かかってたから休めませんでしたね
「今の言葉で言うとツイスト」ってところ、「ツイスト打法」自体はここ10年くらいの言葉ですけど、踊りの「ツイスト」が流行ったのはずいぶん昔なので、なんとなく違和感w
阪神の掛布は、谷沢さんより若く同世代ではないので、谷沢さんのライバルにならなかったのは分かりますが、カープの山本浩二や衣笠がライバルでなかったのは意外でした。
やはり、右打者で、谷沢さんとはタイプが違ったので、ライバルという存在ではなかったのでしょうか。
よくぞこのような手で、、、と絶句し、泣いたという
谷沢さんは同じ年の門田博光さんをどのように見ていましたか?実際にバッティングを見た感想は?
あれだけ足を上げては打てません。軸足の強さが要求される。
私も山内監督の時に足を上げて打ちました。S 59年の成績が物語っています。門田君は引退するまで同じ形ですから下半身が強靭だったかと。
当時の南海には野村さんがおりましたから、鏡を見るように参考にしたのでは。
アキレス腱の断裂をしても、良く同じスタイルを続けられたと感心しますね。私はスタンスの幅を狭くする事で回転力を上げましたから大幅にチェンジしました。
@@谷沢健一-o8i
門田さんもアキレス腱やったんですね
凄い
凄い形相で谷沢さんにムキになって負け惜しみを言っている張本さんの顔が目に浮かびます。(^o^)
ルース選手の記録を塗り替えたのは715本ですね。
水島新治さんのあぶさん第一巻であぶさんと、南海に一緒に入った大伴という選手が出てくるが、シーズン途中で目の病気で引退するというストーリー、荒川堯さんがモデルになったんじゃないか、という気がしてならない