Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
私は阿波野投手と同じ歳ですが10.19の試合を観ていて、同じ歳の阿波野投手が投げている姿を観て、鳥肌が立ち、阿波野投手の姿に感動し尊敬の念をいだきましたラインを跨げず立ち止まる姿は今でも脳裏に焼き付けていますあの日から阿波野投手ファンになりました後に我がベイスターズに来て98年の優勝、日本一に貢献してくれて感謝しかありません!
10、19 当時、高校生で修学旅行でしたが欠席した。 😂
中間テストの勉強を放り出してテレビにかじりついてた。スポーツ観てて人生で一番感動した日。
あの頃の阿波野投手は往年の稲尾、杉浦投手みたいな大エースでした。チームの勝利ために孤軍奮闘される姿には本当にしびれましたね。
10.19は野球ファンなら決して忘れませんよ。ありがとう阿波野投手
この試合ダブルヘッター2試合とも現地(川崎球場)で見ていました。一生の思い出です。一試合目はそれほど混んで居ませんが、2試合目始まる頃には立ち見も出るほど注目されました。ニュースステーションが番組内で生放送にしていたようです。今でも入場券大切に持っています。
10.19の第一試合での最後の打者を抑えた時の帽子取りながらのガッツポーズがカッコ良かった。
司会の女性、もっと当時の事勉強してきてから、聞かないと。阿波野さんは優しいから一から説明してくれてるけど。阿波野さんの記憶力の良さに感心する。
長い間バファローズを応援してますが、阿波野さんが一番印象深かく、尊敬している選手でした。いつかバファローズの指導者で復帰されることを心から望んでおります。
阿波野さんの活躍は本当に素晴らしかったです😊特に88シーズンは本当によく投げましたね💦
プロ野球選手として究極の経験ですよねぇ阿波野さん自身の言葉で聞けて良かった
熱い!私は阿波野氏と同学年で翌日は頭が真っ白だった記憶があります。視聴率40%は令和でも伝説です。
コーチやめたらUA-cam出まくりだ阿波野好きには堪らん近鉄ファンだったからかも知れないけど、10.19は、巨人対中日の10.8より異様な盛り上がりだったよなあの時の阿波野の顔が忘れられん
あれはホント悔しかったけど、阿波野選手を責める人は誰もいなかったよな
加藤哲郎が責めてた🎉
当時は、悔しかったけど、10.19があったから近鉄ファンと堂々と言えたのかもしれない…。それに、このダブルヘッダーは、翌年の優勝への物語の前編ともいえる。
阿波野投手 今だともっと選手寿命は長かったと思う。しかしそれを補って余りある素晴らしい記憶を貴方は残してくれました。ホントにカッコよかった。
仰木監督、中西ヘッドコーチ、権藤投手コーチ監督コーチ陣も凄い
権藤投手コーチは仰木監督と喧嘩別れ!😭ただ、その権藤博サンが長生き!❤️仰木サンは短命!🔥
誰もが認める日本一の打撃コーチと投手コーチ。名伯楽2人いるチームが近鉄だけ
阿波野さんめっちゃ腰低くて人柄がにじみ出てるな
当時の事を知ってる人がインタビュアーしないとダメですよ。阿波野さんに見透かされてます。
阿波野さん、かっこいいなあ
近鉄ファンでした。阿波野さんは今でも英雄です。感謝しかありません。
野茂さんも英雄ですね。
88年の10.19、89年のリーグ制覇、あの時のダブル左腕エースは球界1だった。
1試合目の梨田の決勝タイムリーは泣けたなー
しかもそれが、プロ最終打席というドラマチックな演出。
阿波野の先発時は試合前から『勝てる』とウキウキしてた。往年の名投手と同じ位、安心感が持てるエースだった。いつまでも元気に野球界に携わってほしい。
近鉄ファンでした。88年、ロッテとのダブルヘッダー、8回に高沢さんから本塁打を打たれた時は泣きました。プロ野球を見て涙を流したのは、阿波野さんだけです
イテマエ打線、ブライアントも、もちろんだけどやっぱり一年投げきった、阿波野なんですよね、88、89,87,が凄ごかった、チームを牽引した、自分は野茂より、阿波野です
生粋のジャイアンツファンだけど、阿波野さんは大好きだった!見ていて壊れちゃうんじゃないかと思いながらも、阿波野さんは粋に感じて投げてたように見えて、かっこよかったなー✨✨今も好きな選手🥰
ヒゲ生やしたゴロツキ軍団のなかで頑張る阿波野は新鮮でした。あと日ハム西崎との投げ合いも
長くプロ野球をみているが、あの10,19を越える試合は未だにない。正に死闘
10.19の試合後に出てくる涙を見せないように顔をタオルで隠して球場を出てくる阿波野投手、そして翌年、見事に雪辱を果たした優勝までの奇跡的なブライアントの連続HRなど、忘れる事ができない名投手。昨年まで中日の最強投手陣構築までお疲れ様でした。
もし自分がダルビッシュ有投手や大谷翔平投手や佐々木朗希投手のような力量のある投手だったとしても、この10.19の阿波野さんの様な立ち位置に立たされたら、間違いなくゲロ吐いてる(汗)マウンド上で気を失って倒れてるかも知れない。僅かプロ入り2年目でこんな凄まじい重責背負わされて…阿波野さんの精神力の逞しさに感服します!
阿波野若いな、全然変わらない。
某先発投手のせいかTVで取り上げられる事が減っていった名勝負の10.19を語ってもらえるのは有難い
阿波野さんに惚れてしまった顔してるね。俺も惚れた。
金村さんのような、笑いを誘う話はなかったが、阿波野さん自身の言葉が聞けてよかった。この年は、ブライアントも途中だった?し、野茂や石井も、まだいないんだよね。よくやったよね近鉄。ニュースステーションに、中継されゲームセットまで、ずっとみていた。
阿波野は、勝利数をはじめ、通算記録だけを見ると大投手とは言えないかも知れないが、一度たりとも死球での、つまらぬ乱闘騒ぎを起こしていないという事は、さすがだと思う。正に“真のエース”だと思う。
10•19があったから次の年の優勝がより劇的に。阿波野投手がいたから優勝出来た🏅。
あの頃の近鉄の投手って阿波野さんか吉井さんしか知らんかった。あと小野和義さんか。(小野和幸は西武<中日の人)
いや、マジで優勝できて良かったよね
近鉄ファンの誇りです。あなたは永遠に。
この頃の近鉄は強かったけど、戦力的にはやはり西武の方が一枚上手だったように思える。その中であれだけ西武を追い詰めたのは、近鉄に力以上の何かが味方したのだろう。
ダブルヘッダー自体今ほぼないですから…。凄い時代ですがホントにお疲れ様でした。ロッテも維持を見せてあれだけの熱戦になりました!!
完投22って化物ですね…
阿波野さんぜひともこの話題、他のチャンネルゲストでしゃべってもらいたい!いろんな聞き手組み合わせで楽しみたいです。聞き手は大切!
デーブチャンネルの愛甲編で10.19のロッテ側の心理や金ヤン監督と仰木監督のバトル等で明暗分かれたこと言ってるね。この時代をリアルで見ていた自分は光栄だったな...
阿波野さんはいつも淡々と話されていますが、今のNPBであれだけのことをやれる投手は本当にいないと思います。しかも、あの西武の打線相手にして、エース級(郭泰源、渡辺久、工藤)との投げ合いをしてたなんて凄すぎです!左ピッチャーで常時140キロ後半のストレートで球威もあってスクリューも投げて、コントロール抜群!阿波野投手以降、左の先発で19勝した方はいるんでしょうか。もっと評価されるべきかと思います。
13:42 1989年10・19。違う😢1988年やで〜!昭和63年。。。実質昭和最後の年!
結局日本一には一度もなれず近鉄は消滅してしまったが10.19はプロ野球史上最高の試合だった思う。こんな試合した球団って昔も今もないんじゃないかな。
阿波野さんやっぱり入団から3年間、投げすぎちゃったのが、後々響いたんですよね…投手陣豊富な球団で大切に使われれば、もっと記録を残されていたかも。だからこそ近鉄に来てくれてありがとうという言葉しかでない。
最強の左腕阿波野短命だったけど入団一年目から15勝→14勝→19勝と3年間は凄かった。伊原さんに潰されましたね
プロ野球界の荒木飛呂彦さんでもある不老な阿波野さん貴重なお話ありがとうございました
史上に残る名試合!名シーンの主役当事者の証言回想なのに何かもったいない、持ちぐされ感というか・・・聞き手進行役は大切。阿波野さんには他のチャンネル動画でこのテーマ語り継いでほしいです!
ロッテ戦前の阪急戦に阿波野投手は星野投手と投げ合ってたのラジオで聞いてた。石嶺のツーランが、本当に悔しかった!
ボークで駄目になっちゃった感じがします、あの牽制球でボークなら他の左腕投手でも怪しい人はいるし。
将来のある投手を、チームが勝つ為に、執拗なクレームで「イップス」にして、潰した某コーチ。清原をぶん殴った事でも有名。デーブ大久保なんかより、遥かに悪質。
ロッテ戦で園川投手にも同じ事をしていましたね。
西山雄二 今の時代なら、ユニフォームは着れませんね。やる事なす事が、時代錯誤。勝ち方にも、方法やルールがある。日本シリーズでシングルヒットで、一塁から長駆生還させた高度な判断も、こうした夜郎自大な行為で、チャラにしてしまう。
半田さん 調べたら40才常勝西武メンバー、1人もあげられないとは 残念阿波野さんナイス半田さんめちゃ焦り「一緒に」などとわけわからんこと発して
デーブさんのちゃんねるでの阿波野さんと全然違うwww
10・19第一試合で佐藤純一選手は三塁をオーバーランしてアウトになるも梨田昌孝選手が勝ち越しタイムリー。13年後、佐藤選手は球審として代打逆転満塁サヨナラホームランによる大阪近鉄のリーグ優勝を目の当たりにしました。
しかも梨田昌孝は、プロ最終打席というオプション付き。
10.19ほど今でも伝説のダブルヘッダーは無い!俺も当時は小学生で、パ・リーグなのに平日でテレビ📺でやるなんてレアだなって思って観てました。これを観て感動して、近鉄ファンになりました。
当時のパリーグは時間制限があった影響でこの試合では近鉄が優勝出来なかった。関西エリアのテレビ(ABC)、ラジオ(ABC·MBS·OBC)中継がありテレビではABCテレビ単独中継から全国放送(ニュースステーションでも急遽生中継!)されるほど注目されていました。関東エリアでもラジオは、TBS、ニッポン放送、遅れて文化放送で中継!ラジオ日本はわかりません。ロッテの有藤道世監督の抗議が長引かなければ時間制限なければ近鉄優勝の可能性はあったのではないかと思いました。現在、近鉄は消滅しましたが優勝するけど日本一がないのは残念です。当時の西武も強かった中、阿波野投手は、入団2年目かなり大変だったですよね!
完投22ってはんぱないですね
たまたまだけど先にデーブのチャンネルでのゲスト出演のトークと更に別のチャンネルでのパンチ佐藤とのダブルゲストのトーク見てたので随分お行儀の良い真面目な受け答えだなと逆に笑えてしまった
エース阿波野(^^ゞ
ダブルヘッダー復活かものYahooトピで真っ先に近鉄vsロッテ戦を思い出しました
この⚾️2試合のDVD発売されたら買います😀
司会の方、当時のことを知らない人にはあの時の感動が伝わらない進め方です。もっと、勉強してください。
辻、平野、秋山、清原、でストラーデ、石毛、伊藤・・・。あのころの近鉄ファンとしては、聞いてるだけで怖い。
気づいてたら点取られてるイメージ秋山四球から盗塁→清原進塁打→デストラーデ犠牲フライなんじゃ1点ぐらい取り返したるわブライアント石井鈴木貴久大振りで3者連続三振「ガッハッハ相手が上手だったからしゃーない」こらアカンわだった時代
1992かな、ベストナインが西武から8人出てたな。外野が佐々木と高橋智だけ、あとは西武だった。たぶん史上最多。
デストラーデは、平成と共にやって来た。
プロデビューからの序盤のイメージが強くて、五年め以降から苦戦していた記憶があまりなかったです。4年目までに投げすぎちゃたのかな~
関東人にの阿波野が近鉄に入団を決めたのは・・・大人の事情とか
10.19の前は13日で15試合…オグリビーとか明らかに疲れきってましたよね。あまり語られないけど、直前の阪急戦で阿波野さんが石嶺さんにホームランを打たれて負けた試合が痛かった。
西武は更にDHデストラーデですね。
1988年時はバークレオ。
巨人に入っていたら、中継ぎでさんざん登板させられ、肩壊して、目立つことなくひっそりと、トレード要因になり、引退していたと思います。近鉄にいけて、人生がよく展開したのも、人徳があり、大変厚い御加護をお陰様に頂いていたからかもしれませんね。
一戦目のロッテの先輩ピッチャーのせいで中々地上波で放送できない
仰木監督が佐藤に冷たい言葉を掛けなければ…
13:44運命のダブルヘッダーと文章がありますが、ロッテとのダブルヘッダーは1988年じゃないんですかね?1989のダブルヘッダーは西武戦で10.12ですし。
ダブルヘッダー第一試合、9回ツーアウト満塁、1点取られたら優勝が消えるあんなに青白い顔して投げる投手は見たことない
阿波野さん西崎さんが良きライバルとして比較された時代、清原は西崎をカモに、阿波野を苦手にしていた。阿波野西崎比較論を聞かれた清原が、Number誌上のインタビューで「西崎さんはストレート一本で力と力の対決になります。阿波野さんはあの手この手で討ち取ろうとされて来ますので、頭や技術の体験なります。」とのたまった。その次の西武戦。阿波野さんはインコースのストレート一本で清原から3つの三振を奪い、涼しい顔で制裁を加えました笑阿波野さんのクロスファイアを打ちこなせる右バッターはそうそういなかったし、清原自身もインコースの速い球は苦手でしたしね。今までプロ野球を見てきて、一番カッコいいと思ってるシーンです。
イイじゃん、掛布さんだって千葉の人が阪神に入りミスタータイガースまでになったんだから自信もっていいと思う。逆に阪神選手が情けないよね 近鉄もそうだが関西のチームなのに関西以外や関東の無名な青年にエースとか4番とかスター性を持っていかれるのはwwプロとはそういうもんだよ。地元だから地元の球団に行くべきとかいうクソな声はいらないプロなんだから。
女子MCさん、スラスラ言えなきゃ。
プロとは言え、最後の有藤監督の抗議はいただけなかった。良い選手だと思っていたのに、あれで、ダメな監督になったちゃったもんな…
有藤監督の抗議は仰木監督が火を着けたらしいです。
@@野郎80年 火を着けたも何も、あの時のプレーで抗議した有藤は正真正銘のマヌケ。二塁走者の古川が阿波野の牽制に慌てて二塁に戻ったものの脚が離れてしまい、そのタイミングで大石がタッチしただけなのに「大石が押したから脚が離れた」と、審判に文句を付けたんだから。ちなみに、阿波野、大石、古川の全員が亜大OB。
プレーを見直せセカンドの大石のタッチも大概やって
@@銭形警部-c4g おいおい!しっかりしぃや!大概も何も、阿波野の牽制球が高いとこへ逸れて、それを背が低い大石が必死でジャンプして捕って、着地したら、そこにたまたま足離れた古川の背中にグローブで“タッチした形”になっただけやがな!中学生が観ても解るで!おっちゃんは、あの時のビデオテープまだ持っとるから、出来る事やったら貸したりたいぐらいやで!苦笑
13:45、1989年じゃありません、1988年です。 これだけ歴史的な試合なので間違えないで下さい。
背番号14の投手ってなんか儚く美しい印象がある。戦死した沢村、短命だったけど誰もが知る山口、悲運のエース津田。そして短命だったけど強い印象を残した阿波野、今中。 阿波野の14番を佐野が付けたときはなんでよりによって佐野なんだよって思ったね。 14って沢村、山口、津田、今中、阿波野の様な悲壮感と美しさを持ったピッチャーが背負う番号。 間違ってもハゲデブに14番を与えてはダメだ。
今のような、CS制度がある限り、10.19のようなシーズン終盤の興奮を、味わう事が出来ない…。CSは、間違いなくペナントレースの価値を下げる弊害です。
それを言うなら、FA制度が始まってから一気に加速した”年棒の異常な高騰”をどうにかしないと、どうしようもないよ。経営側からすると、少しでも“興行”を増やして、選手に払うゼニを捻出しないといけないからね。
DH デストラーデ
汚点は有藤やろう‼️
半田さん可愛いすぎるわ😍💓
タラレバになりますが、もしあのロッテ戦に勝って日本シリーズに出てたら近鉄は中日に楽勝で日本一になってたと思います、だって中日の監督が口だけヘタレでしたからね「近鉄が唯一日本一になれなかった」という西本さんが背負う十字架を取り除けたと思うと残念です、と当時の巨人ファンだった自分言ってますw 何だかんだとあの頃のプロ野球は熱かったですね、最近のはちょっと冷めすぎじゃないですか?
近鉄が日本一に一番近かったのは1979年だと思いますね。9回裏無死満塁…痛いよなあ。佐々木恭介が簡単にカーブを見逃してしまったことに、後々あのシーンをもう一度やりたいとか口にする。あと石渡はバント下手すぎ。江夏は全部見えてたからね。石渡のバントの構えに入るのがもう0.5秒遅かったら成功してたかもと思うんだが。江夏はカーブのサインでカーブのまま握り直さずにカーブを投げてスクイズをウエストした。捕手の水沼が余裕に取ってることからすっぽ抜けなんかじゃないわな。石渡のクズの言い訳でしかないわ。
@@koichioyama3086 太田幸司がドラフト1位で、仰木彬がコーチとして入団した昭和45年からの近鉄ファンのおっちゃんがエエ事教えたるわ。佐々木が今でも悔やんどる、あの見逃した二球目の球はカーブとちゃうで。真ん中から外角寄りのストレートや。で、とにもかくにも、ノーアウト一、三塁で、吹石が二盗して、二、三塁にして、平野が歩かされたんがマズかったんや。一、三塁のままやったら、江夏も、昔から勝負弱い恭介なんかとちごて、バリバリのガッツ男の平野と勝負せんといかんかったからな。平野やったら、あの根性で「何とかしてた」やろな。外野フライでもゲッツーでも、一点は入ってたで。とにかく、あの場面では、恭介、石渡では、江夏には到底、歯が立たんわ。
@@oimihimitasumiho さん当時のカープは若手中心に変化球でウエストする練習を日南キャンプからやってたそうですね。当時はスクイズなどのバントをウエストする時は変化球でウエストすればキャッチャーが取れないという理由から変化球の握りからストレートの握りに変えてウエストするのが主流で変化球の握りのまま外すには相当練習しないとできないと当時の解説者達が異口同音で仰ってました。ある意味カープの練習の賜物であると同時にカープベンチと江夏-水沼バッテリーのファインプレーとも言えましたね。
私は阿波野投手と同じ歳ですが10.19の試合を観ていて、同じ歳の阿波野投手が投げている姿を観て、鳥肌が立ち、阿波野投手の姿に感動し尊敬の念をいだきました
ラインを跨げず立ち止まる姿は今でも脳裏に焼き付けています
あの日から阿波野投手ファンになりました
後に我がベイスターズに来て98年の優勝、日本一に貢献してくれて感謝しかありません!
10、19 当時、高校生で修学旅行でしたが欠席した。 😂
中間テストの勉強を放り出してテレビにかじりついてた。
スポーツ観てて人生で一番感動した日。
あの頃の阿波野投手は往年の稲尾、杉浦投手みたいな大エースでした。
チームの勝利ために孤軍奮闘される姿には本当にしびれましたね。
10.19は野球ファンなら決して忘れませんよ。ありがとう阿波野投手
この試合ダブルヘッター2試合とも現地(川崎球場)で見ていました。一生の思い出です。一試合目はそれほど混んで居ませんが、2試合目始まる頃には立ち見も出るほど注目されました。ニュースステーションが番組内で生放送にしていたようです。今でも入場券大切に持っています。
10.19の第一試合での最後の打者を抑えた時の帽子取りながらのガッツポーズがカッコ良かった。
司会の女性、もっと当時の事勉強してきてから、聞かないと。
阿波野さんは優しいから一から説明してくれてるけど。阿波野さんの記憶力の良さに感心する。
長い間バファローズを応援してますが、阿波野さんが一番印象深かく、尊敬している選手でした。いつかバファローズの指導者で復帰されることを心から望んでおります。
阿波野さんの活躍は本当に素晴らしかったです😊
特に88シーズンは本当によく投げましたね💦
プロ野球選手として究極の経験ですよねぇ
阿波野さん自身の言葉で聞けて良かった
熱い!私は阿波野氏と同学年で翌日は
頭が真っ白だった記憶があります。
視聴率40%は令和でも伝説です。
コーチやめたらUA-cam出まくりだ
阿波野好きには堪らん
近鉄ファンだったからかも知れないけど、10.19は、巨人対中日の10.8より異様な盛り上がりだったよな
あの時の阿波野の顔が忘れられん
あれはホント悔しかったけど、阿波野選手を責める人は誰もいなかったよな
加藤哲郎が責めてた🎉
当時は、悔しかったけど、
10.19があったから近鉄ファンと堂々と言えたのかもしれない…。それに、このダブルヘッダーは、翌年の優勝への物語の前編ともいえる。
阿波野投手 今だともっと選手寿命は長かったと思う。
しかしそれを補って余りある素晴らしい記憶を貴方は残してくれました。ホントにカッコよかった。
仰木監督、中西ヘッドコーチ、権藤投手コーチ
監督コーチ陣も凄い
権藤投手コーチは仰木監督と喧嘩別れ!😭
ただ、その権藤博サンが長生き!❤️
仰木サンは短命!🔥
誰もが認める日本一の打撃コーチと投手コーチ。名伯楽2人いるチームが近鉄だけ
阿波野さんめっちゃ腰低くて人柄がにじみ出てるな
当時の事を知ってる人がインタビュアーしないとダメですよ。阿波野さんに見透かされてます。
阿波野さん、かっこいいなあ
近鉄ファンでした。
阿波野さんは今でも英雄です。感謝しかありません。
野茂さんも英雄ですね。
88年の10.19、89年のリーグ制覇、あの時のダブル左腕エースは球界1だった。
1試合目の梨田の決勝タイムリーは泣けたなー
しかもそれが、プロ最終打席というドラマチックな演出。
阿波野の先発時は試合前から『勝てる』とウキウキしてた。往年の名投手と同じ位、安心感が持てるエースだった。いつまでも元気に野球界に携わってほしい。
近鉄ファンでした。88年、ロッテとのダブルヘッダー、8回に高沢さんから本塁打を打たれた時は泣きました。プロ野球を見て涙を流したのは、阿波野さんだけです
イテマエ打線、ブライアントも、もちろんだけどやっぱり一年投げきった、阿波野なんですよね、88、89,87,が凄ごかった、チームを牽引した、自分は野茂より、阿波野です
生粋のジャイアンツファンだけど、阿波野さんは大好きだった!
見ていて壊れちゃうんじゃないかと思いながらも、阿波野さんは粋に感じて投げてたように見えて、かっこよかったなー✨✨
今も好きな選手🥰
ヒゲ生やしたゴロツキ軍団のなかで頑張る阿波野は新鮮でした。あと日ハム西崎との投げ合いも
長くプロ野球をみているが、あの10,19を越える
試合は未だにない。
正に死闘
10.19の試合後に出てくる涙を見せないように顔をタオルで隠して球場を出てくる阿波野投手、そして翌年、見事に雪辱を果たした優勝までの奇跡的なブライアントの連続HRなど、忘れる事ができない名投手。
昨年まで中日の最強投手陣構築までお疲れ様でした。
もし自分がダルビッシュ有投手や大谷翔平投手や佐々木朗希投手のような力量のある投手だったとしても、この10.19の阿波野さんの様な立ち位置に立たされたら、間違いなくゲロ吐いてる(汗)マウンド上で気を失って倒れてるかも知れない。僅かプロ入り2年目でこんな凄まじい重責背負わされて…阿波野さんの精神力の逞しさに感服します!
阿波野若いな、全然変わらない。
某先発投手のせいかTVで取り上げられる事が減っていった名勝負の10.19を語ってもらえるのは有難い
阿波野さんに惚れてしまった顔してるね。俺も惚れた。
金村さんのような、笑いを誘う話はなかったが、阿波野さん自身の言葉が聞けてよかった。
この年は、ブライアントも途中だった?し、野茂や石井も、まだいないんだよね。よくやったよね近鉄。
ニュースステーションに、中継されゲームセットまで、ずっとみていた。
阿波野は、勝利数をはじめ、
通算記録だけを見ると大投手とは
言えないかも知れないが、
一度たりとも死球での、
つまらぬ乱闘騒ぎを起こしていないと
いう事は、さすがだと思う。
正に“真のエース”だと思う。
10•19があったから次の年の優勝がより劇的に。阿波野投手がいたから優勝出来た🏅。
あの頃の近鉄の投手って阿波野さんか吉井さんしか知らんかった。あと小野和義さんか。(小野和幸は西武<中日の人)
いや、マジで優勝できて良かったよね
近鉄ファンの誇りです。あなたは永遠に。
この頃の近鉄は強かったけど、戦力的にはやはり西武の方が一枚上手だったように思える。
その中であれだけ西武を追い詰めたのは、近鉄に力以上の何かが味方したのだろう。
ダブルヘッダー自体今ほぼないですから…。凄い時代ですがホントにお疲れ様でした。ロッテも維持を見せてあれだけの熱戦になりました!!
完投22って化物ですね…
阿波野さんぜひともこの話題、他のチャンネルゲストでしゃべってもらいたい!いろんな聞き手組み合わせで楽しみたいです。聞き手は大切!
デーブチャンネルの愛甲編で10.19のロッテ側の心理や金ヤン監督と仰木監督のバトル等で明暗分かれたこと言ってるね。この時代をリアルで見ていた自分は光栄だったな...
阿波野さんはいつも淡々と話されていますが、今のNPBであれだけのことをやれる投手は本当にいないと思います。
しかも、あの西武の打線相手にして、エース級(郭泰源、渡辺久、工藤)との投げ合いをしてたなんて凄すぎです!
左ピッチャーで常時140キロ後半のストレートで球威もあってスクリューも投げて、コントロール抜群!
阿波野投手以降、左の先発で19勝した方はいるんでしょうか。もっと評価されるべきかと思います。
13:42 1989年10・19。
違う😢1988年やで〜!
昭和63年。。。実質昭和最後の年!
結局日本一には一度もなれず近鉄は消滅してしまったが10.19はプロ野球史上最高の試合だった思う。こんな試合した球団って昔も今もないんじゃないかな。
阿波野さんやっぱり入団から3年間、投げすぎちゃったのが、後々響いたんですよね…投手陣豊富な球団で大切に使われれば、もっと記録を残されていたかも。だからこそ近鉄に来てくれてありがとうという言葉しかでない。
最強の左腕阿波野
短命だったけど入団一年目から15勝→14勝→19勝と3年間は凄かった。
伊原さんに潰されましたね
プロ野球界の
荒木飛呂彦さん
でもある
不老な阿波野さん
貴重なお話ありがとうございました
史上に残る名試合!名シーンの主役当事者の証言回想なのに何かもったいない、持ちぐされ感というか・・・聞き手進行役は大切。阿波野さんには他のチャンネル動画でこのテーマ語り継いでほしいです!
ロッテ戦前の阪急戦に阿波野投手は星野投手と投げ合ってたのラジオで聞いてた。石嶺のツーランが、本当に悔しかった!
ボークで駄目になっちゃった感じがします、あの牽制球でボークなら他の左腕投手でも怪しい人はいるし。
将来のある投手を、チームが勝つ為に、執拗なクレームで「イップス」にして、潰した某コーチ。清原をぶん殴った事でも有名。デーブ大久保なんかより、遥かに悪質。
ロッテ戦で園川投手にも同じ事をしていましたね。
西山雄二 今の時代なら、ユニフォームは着れませんね。やる事なす事が、時代錯誤。勝ち方にも、方法やルールがある。日本シリーズでシングルヒットで、一塁から長駆生還させた高度な判断も、こうした夜郎自大な行為で、チャラにしてしまう。
半田さん 調べたら40才
常勝西武メンバー、1人もあげられないとは 残念
阿波野さんナイス
半田さんめちゃ焦り
「一緒に」などとわけわからんこと発して
デーブさんのちゃんねるでの阿波野さんと全然違うwww
10・19第一試合で佐藤純一選手は三塁をオーバーランしてアウトになるも梨田昌孝選手が勝ち越しタイムリー。
13年後、佐藤選手は球審として代打逆転満塁サヨナラホームランによる大阪近鉄のリーグ優勝を目の当たりにしました。
しかも梨田昌孝は、プロ最終打席というオプション付き。
10.19ほど今でも伝説のダブルヘッダーは無い!
俺も当時は小学生で、パ・リーグなのに平日でテレビ📺でやるなんてレアだなって思って観てました。
これを観て感動して、近鉄ファンになりました。
当時のパリーグは時間制限があった影響でこの試合では近鉄が優勝出来なかった。
関西エリアのテレビ(ABC)、ラジオ(ABC·MBS·OBC)中継がありテレビではABCテレビ単独中継から全国放送(ニュースステーションでも急遽生中継!)されるほど注目されていました。
関東エリアでもラジオは、TBS、ニッポン放送、遅れて文化放送で中継!ラジオ日本はわかりません。
ロッテの有藤道世監督の抗議が長引かなければ時間制限なければ近鉄優勝の可能性はあったのではないかと思いました。
現在、近鉄は消滅しましたが優勝するけど日本一がないのは残念です。
当時の西武も強かった中、阿波野投手は、入団2年目かなり大変だったですよね!
完投22ってはんぱないですね
たまたまだけど
先にデーブのチャンネルでのゲスト出演のトークと
更に別のチャンネルでのパンチ佐藤とのダブルゲストのトーク見てたので
随分お行儀の良い真面目な受け答えだなと
逆に笑えてしまった
エース阿波野(^^ゞ
ダブルヘッダー復活かもの
Yahooトピで真っ先に
近鉄vsロッテ戦を思い出しました
この⚾️2試合のDVD発売されたら買います😀
司会の方、当時のことを知らない人にはあの時の感動が伝わらない進め方です。もっと、勉強してください。
辻、平野、秋山、清原、でストラーデ、石毛、伊藤・・・。
あのころの近鉄ファンとしては、聞いてるだけで怖い。
気づいてたら点取られてるイメージ
秋山四球から盗塁→清原進塁打→デストラーデ犠牲フライ
なんじゃ1点ぐらい取り返したるわ
ブライアント石井鈴木貴久
大振りで3者連続三振
「ガッハッハ相手が上手だったからしゃーない」
こらアカンわだった時代
1992かな、ベストナインが西武から8人出てたな。外野が佐々木と高橋智だけ、あとは西武だった。たぶん史上最多。
デストラーデは、平成と共にやって来た。
プロデビューからの序盤のイメージが強くて、五年め以降から苦戦していた記憶があまりなかったです。4年目までに投げすぎちゃたのかな~
関東人にの阿波野が近鉄に入団を決めたのは・・・大人の事情とか
10.19の前は13日で15試合…オグリビーとか明らかに疲れきってましたよね。あまり語られないけど、直前の阪急戦で阿波野さんが石嶺さんにホームランを打たれて負けた試合が痛かった。
西武は更にDHデストラーデですね。
1988年時はバークレオ。
巨人に入っていたら、中継ぎでさんざん登板させられ、肩壊して、目立つことなくひっそりと、トレード要因になり、引退していたと思います。近鉄にいけて、人生がよく展開したのも、人徳があり、大変厚い御加護をお陰様に頂いていたからかもしれませんね。
一戦目のロッテの先輩ピッチャーのせいで中々地上波で放送できない
仰木監督が佐藤に冷たい言葉を掛けなければ…
13:44運命のダブルヘッダーと文章がありますが、ロッテとのダブルヘッダーは1988年じゃないんですかね?1989のダブルヘッダーは西武戦で10.12ですし。
ダブルヘッダー第一試合、9回ツーアウト満塁、1点取られたら優勝が消える
あんなに青白い顔して投げる投手は見たことない
阿波野さん西崎さんが良きライバルとして比較された時代、清原は西崎をカモに、阿波野を苦手にしていた。阿波野西崎比較論を聞かれた清原が、Number誌上のインタビューで「西崎さんはストレート一本で力と力の対決になります。阿波野さんはあの手この手で討ち取ろうとされて来ますので、頭や技術の体験なります。」とのたまった。
その次の西武戦。阿波野さんはインコースのストレート一本で清原から3つの三振を奪い、涼しい顔で制裁を加えました笑
阿波野さんのクロスファイアを打ちこなせる右バッターはそうそういなかったし、清原自身もインコースの速い球は苦手でしたしね。
今までプロ野球を見てきて、一番カッコいいと思ってるシーンです。
イイじゃん、掛布さんだって千葉の人が阪神に入りミスタータイガースまでになったんだから自信もっていいと思う。逆に阪神選手が情けないよね 近鉄もそうだが関西のチームなのに関西以外や関東の無名な青年にエースとか4番とかスター性を持っていかれるのはwwプロとはそういうもんだよ。地元だから地元の球団に行くべきとかいうクソな声はいらないプロなんだから。
女子MCさん、スラスラ言えなきゃ。
プロとは言え、最後の有藤監督の抗議はいただけなかった。良い選手だと思っていたのに、あれで、ダメな監督になったちゃったもんな…
有藤監督の抗議は仰木監督が火を着けたらしいです。
@@野郎80年
火を着けたも何も、
あの時のプレーで抗議した有藤は
正真正銘のマヌケ。
二塁走者の古川が阿波野の牽制に慌てて二塁に戻ったものの
脚が離れてしまい、そのタイミングで大石がタッチしただけ
なのに「大石が押したから脚が離れた」と、
審判に文句を付けたんだから。
ちなみに、阿波野、大石、古川の全員が
亜大OB。
プレーを見直せ
セカンドの大石のタッチも大概やって
@@銭形警部-c4g
おいおい!しっかりしぃや!
大概も何も、阿波野の牽制球が高いとこへ逸れて、
それを背が低い大石が必死でジャンプして捕って、
着地したら、そこにたまたま足離れた古川の背中に
グローブで“タッチした形”になっただけやがな!
中学生が観ても解るで!
おっちゃんは、あの時のビデオテープまだ持っとる
から、出来る事やったら貸したりたいぐらいやで!
苦笑
13:45、1989年じゃありません、1988年です。 これだけ歴史的な試合なので間違えないで下さい。
背番号14の投手ってなんか儚く美しい印象がある。戦死した沢村、短命だったけど誰もが知る山口、悲運のエース津田。そして短命だったけど強い印象を残した阿波野、今中。 阿波野の14番を佐野が付けたときはなんでよりによって佐野なんだよって思ったね。 14って沢村、山口、津田、今中、阿波野の様な悲壮感と美しさを持ったピッチャーが背負う番号。 間違ってもハゲデブに14番を与えてはダメだ。
今のような、CS制度がある限り、10.19のようなシーズン終盤の興奮を、味わう事が出来ない…。
CSは、間違いなくペナントレースの価値を下げる弊害です。
それを言うなら、FA制度が始まってから
一気に加速した”年棒の異常な高騰”をどうにか
しないと、どうしようもないよ。
経営側からすると、少しでも“興行”を
増やして、選手に払うゼニを捻出しないと
いけないからね。
DH デストラーデ
汚点は有藤やろう‼️
半田さん可愛いすぎるわ😍💓
タラレバになりますが、もしあのロッテ戦に勝って日本シリーズに出てたら近鉄は中日に楽勝で日本一になってたと思います、だって中日の監督が口だけヘタレでしたからね「近鉄が唯一日本一になれなかった」という西本さんが背負う十字架を取り除けたと思うと残念です、と当時の巨人ファンだった自分言ってますw 何だかんだとあの頃のプロ野球は熱かったですね、最近のはちょっと冷めすぎじゃないですか?
近鉄が日本一に一番近かったのは1979年だと思いますね。9回裏無死満塁…痛いよなあ。佐々木恭介が簡単にカーブを見逃してしまったことに、後々あのシーンをもう一度やりたいとか口にする。あと石渡はバント下手すぎ。江夏は全部見えてたからね。石渡のバントの構えに入るのがもう0.5秒遅かったら成功してたかもと思うんだが。江夏はカーブのサインでカーブのまま握り直さずにカーブを投げてスクイズをウエストした。捕手の水沼が余裕に取ってることからすっぽ抜けなんかじゃないわな。石渡のクズの言い訳でしかないわ。
@@koichioyama3086
太田幸司がドラフト1位で、
仰木彬がコーチとして入団した
昭和45年からの近鉄ファンの
おっちゃんがエエ事教えたるわ。
佐々木が今でも悔やんどる、
あの見逃した二球目の球はカーブとちゃうで。
真ん中から外角寄りのストレートや。
で、とにもかくにも、ノーアウト一、三塁で、
吹石が二盗して、二、三塁にして、
平野が歩かされたんがマズかったんや。
一、三塁のままやったら、
江夏も、昔から勝負弱い恭介なんかとちごて、
バリバリのガッツ男の平野と勝負せんといかん
かったからな。
平野やったら、あの根性で「何とかしてた」やろな。
外野フライでもゲッツーでも、一点は入ってたで。
とにかく、あの場面では、
恭介、石渡では、江夏には到底、歯が立たんわ。
@@oimihimitasumiho さん
当時のカープは若手中心に変化球でウエストする練習を日南キャンプからやってたそうですね。当時はスクイズなどのバントをウエストする時は変化球でウエストすればキャッチャーが取れないという理由から変化球の握りからストレートの握りに変えてウエストするのが主流で変化球の握りのまま外すには相当練習しないとできないと当時の解説者達が異口同音で仰ってました。ある意味カープの練習の賜物であると同時にカープベンチと江夏-水沼バッテリーのファインプレーとも言えましたね。