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子ども向けの漫画を成人も読み始めたというよりも漫画を読んでた子どもが成人しても読み続けたって感じじゃ
漫画家も少年・少女漫画家から、青年・成人漫画家に転身したりな。読者と共に掲載雑誌も対象を拡げて拡大していったと。購買層がお小遣い貰ってた子供から自分で稼げる大人になったら、昔の名作を豪華版や特別編集で再出版したりとね。
正解
多様性って一つに何でもぶち込むんじゃなくて、多くの人が分担して多彩なジャンルを描くことなんだなと日本のマンガは教えてくれている。
多様性希求のアプローチがそもそも粗雑拙劣で、そのことを認めたがらないから欧米の多様性は、ここまで歪んで変な輩がしゃしゃってくるような異様なものに堕しているんじゃあねえかな…理想を語る際に、調子外れの音程音量でミュージカルやりたがるような、現を抜かした連中が「あ、これ私にも出来る!」なんて思ったときには、大体ろくなことは起きないもんだしな…
十何人も桃太郎が出てくる小学校学芸会で自分の子供の名乗りの時だけ盛り上がる親、自分の子供が目立てばそれでいい多様性誤解するとこうなるよね。運動会で手を繋いでゴールを要求するけど本音はどうなのかな…?
万人受けしなくてもいい読者がいるからジャンルが多様化した、
@@kiyoshisato7390 それなんだよね学芸会が嫌な子もいるし運動が苦手な子もいるほとんどの子供は好きな子が好きな役をやればいいし、運動が得意な子供が一着をとればいいって思ってるよその延長線上で、演劇が好きになら俳優や女優に憧れ、運動なら自分の思うスポーツに熱中するゲームが好きな子供はゲームに関わる仕事がしたいと思うし、漫画が好きなら漫画家を目指すそういう子供のもつ多様性ってのは大人が思ってるよりも複雑だし、あれだこれだと大人が決めるものでもない
海外が右開きになったのは、ドラゴンボールのイタリア版出版に際して、イタリアの出版社に鳥山明さんが手紙を書いて、右開きの理由を事細かく説明したことが始まりらしい。
本当に歴史を積み重ねてありとあらゆるジャンルあるからな。ファンタジー、科学、宗教、食・音楽・などの文化、歴史。漫画読んでるとき本当に幸せ。漫画家はリスペクトされるべき存在だよ。
アメコミって『キャラがリアル(等身大米人)』『表情が一辺倒』『起承転結が唐突』『動きの線と移動経路』『元となった作品のif展開作品』って感じですかね総じて思うのはアメコミって日本で言うところの『同人誌』なんすよね新しい作品はあまり生み出されず、過去作のifリメイクばっかり、その中で名作もあるのかも知れんけど、同じ作品ばかりじゃ飽きるよねあと最近はポリコレの影響で風刺で『米のマンガは全て虹色、日本のマンガは1作1作が別々の色で虹色以上の種類がある』って感じの絵があったよねただ、虹色って絵具に例えると虹色を全て混ぜると、黒になるのよね。全部乗せで混ぜ混ぜで全部黒いのよ米の作品って日本のは2~3色合わせた色なんよね、だからそれぞれ違った色が出来上がるんよ
だいたいの事はすでに手塚治虫が書いているというのが恐ろしい。
あと星新一ね
逆。
アニメーターが安月給なのも手塚治虫のせい
その漫画の神様もやらなかったことをやった石ノ森章太郎先生、二人が活躍していなければ日本の漫画はたぶん何十年も進化が遅れた。
彼が唯一無二のジャンル性教育「アポロの唄」愛を知らず育った少年挫折や葛藤を重ね成長を遂げる少女漫画のメルモも良かったが
60年前、小学校の体育館でアニメ映画の鑑賞会があって毎年『白蛇伝』見てたわ。TV放映されてたスーパージェッターなんか日本の売れっ子SF作家がチーム組んで原作脚本を担当してたし手塚アニメの音楽担当が冨田勲だったり。昔から日本の漫画もアニメもスゴかった。
なんか忘れてないか?アメリカと日本の漫画で圧倒的な違い、漫画文化の普及の圧倒的な差を産んだこと。漫画雑誌がない。ジャンプとかサンデーとか週刊月刊誌がない。マーベルには、カタログ的な雑誌はあるよ、でも、複数の漫画を集めて定期的にかつ日本のように頻繁に(ほぼ日常的に)発刊している雑誌がない。コンビニとかで売ってる雑誌はない。これは多種多様な漫画に触れる機会が日本の方が圧倒的に多い。流通の問題は動画内では取り上げてあって、そこに気づいたのは、お見事だけど、アメコミは、専用のショップか本屋で買うしかない。駅のキヨスクとかコンビニとかじゃ買えないのよ。ポリコレを叩くのは最近の流行りだが、根本が違いすぎるのね。
そう言えば石ノ森先生は仮面ライダーのテレビドラマは子供が楽しむ様に作って、自身が描く漫画は小学生や中学生等の文字を読める様になった子供の為に作りましたと文庫版の漫画に書いてあったのを思い出しました
>紙芝居らしさを残すように、挿絵の割合が多く取られた小説ラノベじゃんそんなところにルーツがあったとは
うーん、江戸時代の貸本の黄表紙とかがルーツだと思うよ。
ラノベはアニメシナリオだと思ってたよw
俺の読んでた頃のラノベって一場面ポンっと入ってるくらいだったけど今絵本みたいになってんの?
ビックサイトに3日間で入りきれないくらい、絵が上手い人いるんだよな...
日本のマンガを説明するのに「手塚治虫」の名前が出ないのはどうなんだろう? 私自身のマンガの神様は藤子不二雄(両先生まとめて)ですが、現在に続くマンガのフォーマットは手塚先生に拠るもの、と言っても過言ではないです(伊達に「神様」なんて呼ばれていない)。マンガに悲劇的ラストを導入したり、映画的なカメラワークを取り入れて「紙に描かれた映画」を作り上げ、その奥深いストーリーと革命的作劇法は世のマンガ少年達を奮起させ、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫などの巨匠を輩出しました。擬音(オノマトペ)を「描き文字」で表現したり(静かな場所を表現するのに「シーン」と描き込んだのは手塚が元祖)、コマ割りを複雑にしてスピード感を表現したり(これについては石ノ森が元祖という説もある)、いちいち書くのが面倒なくらい数々の功績を残しています。アニメに関してもディズニーのフルアニメーションに対するリミテッドアニメーションの技法を確立したり、(自分がアニメを作りたいばかりに)低予算で制作を請け負って関係各所に多大なる迷惑をかけたりと、数々の「功罪」を残しています。偉業とワガママで人々を振り回すのが「神様」というものなら、手塚治虫は立派に「神様」と呼べると思いますね。もっとも手塚自身は神様と呼ばれることを喜ばなかったでしょうけど。
手塚治虫先生を漫画の「神様」と呼ぶようになったのは実は藤子不二雄両先生からで、A先生の「まんが道」では手塚先生を再三「漫画の神様」と表現していますし、F先生の手塚先生に対する心酔ぶりは有名ですね。私の子供の頃(昭和50年代)までは手塚先生は「漫画の王様」と言われていました。今振り返って見ると、この動画で述べられているほとんどを手塚先生が創造した、と言っても過言では無いことを顧みると、やはり「王様」よりは「神様」がふさわしいかも。
手塚自身は、自分を神様と言ったことも(多分)肯定したこともないが、漫画の神様が憑いてる的なことは肯定してたと思う自伝的作品でもそういう描写あり
北斎漫画と言う世界に先駆けて触手プレイと言う特殊性癖を世界に発信した先駆者!
ポリティカルコレクトネスを行ったとしても、それをしろと強要してきた人や団体が読んだり買ってくれる保証もない。何処かとは言わないが、自分達が創る作品は“誰に向けてのものか”を改めて考えてほしいな。
あと、欧米は「元々王侯貴族の家系だった層や一部の富裕層にしか識字率や学問を学べる場や機会が与えられず、庶民に対して新聞や書物が普及する下地もなかなか発達しなかった」というのもあるよな。日本は江戸時代には寺子屋で「漢字は全てではない」にせよ「読み書き・そろばん(計算)」を学べたし、現代の新聞の雛型とも言える「瓦版」が庶民に普及していたし、現代で言えば文庫本に相当する「絵草紙(代表的な作品としては「東海道中膝栗毛」や「南総里見八犬伝」等)」等が売られていたし、「買えない人」に向けて「貸本屋」という商売というか職業もあった。つまり「識字率や出版及び出版された物の庶民への浸透率」が欧米よりも先んじていた事もその要因の一つなんだよ。だから欧米は駄目駄目なんだよな。識字率の髙さから「物語の生み出し手」が多く生まれて行った。それが今に繋がっている訳だよ。
つまり「識字率というか読み書きというかある程度の教養を(庶民の反発を恐れて余計な知恵を付けさせない様に)一部の層が独占していた時期が長過ぎてた」から欧米では日本程の娯楽の多様性を生み出す土壌が余計に無い、という訳だよ。それと家を継げない貴族の次男三男とかが生計を立てる為に「写本(既存の書物を手書きで書き写す事)や手紙等の代筆や別の貴族家の子供の家庭教師的な事」を行っていた、というのもあるよな。日本では「活版印刷を応用した出版」が行われていて、家を継げない武士の次男三男とかは「代筆や写本」の代わりに「内職」や「親戚とか知り合い筋や商人の食客(居候)や用心棒」や「剣術道場の道場主や師範代」や「寺子屋の先生(「寺」と入っている様に僧侶も教えていた筈なんだけど時代劇では武士というか浪人的な先生しか出て来ないよね)」とかをしていた。「学校制度や学問教育施設の成立」については欧米の方が先んじていたけれども日本には「庶民にも門戸を開いていた『寺子屋』」があったのは大きな差なんだよ。「寺子屋」よりも高度な学問教育施設については日本の方が遅れていたと思うし、「それ」は「一部の階級層向け」と限定されていたものだったけど、「寺子屋」という「教育の場(施設)」が「身分の差を問わず門戸を開かれていた事」はかなりのイニシアティブとして現在にまで影響を及ぼしているんだと思うよ。
やっぱり手塚治虫さんをはじめとした「トキワ荘」に集まった漫画家達の功績が大きいよ。手塚さんや赤塚さん等の男性漫画家が少女漫画も描いて女性漫画家も現れて女性による女性向けの漫画や女性が男性向けの漫画を描いたりしていく事で多様性に拍車がかかった。「青年というか成人向けの漫画誌発刊」とかも日本だからこそ生まれた。「漫画やアニメは子供向け」という考えは日本にもかつてはあったけれど欧米では余りにも固定観念に囚われ過ぎていたから駄目なんだよ。日本ではそんな固定観念に囚われ過ぎずに「大人が見ても鑑賞に値するものを作って見せる」という意欲を持って制作にあたった人が居たから今日があるんだよ。ホテルにおいて「コンシェルジェ」という「宿泊客に対する細やかなサービスを行う役職」が生まれたのは欧米だけど、その根底にはどちらかというと「チップ文化」や「より儲けたい魂胆」からで、「利用するお客様視点のもの」からではないから「日本のおもてなし精神」には敵わないというか、「隙間的な需要の開拓」が出来ないんだよ固定観念に囚われ過ぎて。「発想の転換が出来ない」とも。「日本の漫画・アニメ・ゲーム」はそれが出来たから「ジャパニメーション」が世界を席巻出来ているんだよな。
トキワ荘を取り壊したのはもったいなかった今だったら都が買い取って記念館にしただろうけど当時はまだそこまで価値が理解されてなかった
もんだいは漫画やアニメの翻訳なんですよね。日本語の複雑な語彙を他国に翻訳しようとしてもその国に「無い言語や表現」を意訳しないといけない所が難しい。
ネット公開時に生成AIとリンクさせて、画像の端に自動翻訳された字幕が浮かぶ仕様にすれば宜しいのでは内科医・・・WOKEの恣意的な「誤訳」に対抗するためには、テクノロジーを味方につけた先手先手の手配りで悪企みを差し込まれる隙を埋め続けなくてはならない!
言葉がそのまま輸出されるようになる、マンガでしか使われないような言葉が世界の共通認識に。
洋画などの翻訳だと、そのまま翻訳されるんじゃなくて、違う表現使われたりもするからな。ニュアンスを汲み取った表現やら、日本人向けに改変されてしまうことが多い。
意訳ってやつやな
視野が狭くて創造力の乏しい海外のポリコレ勢に日本の漫画/アニメの多様性は想像つかないんだろうね。条件がそろうと性別が変わってしまうのなんて可愛いもので、今放映されているのが巨大ロボットと男性主人公のホモアニメだったりで多様性には事欠かない
14:29トーハンの子会社所属。発送の現場で働いています。最近聞いた話……大手の日販・トーハン以外にも、書籍取次会社はいくつか(ググったら小規模なものが十数社)、存在していたらしいのですが、最近、コロナ明けの影響か知らんけど、その小規模取次の中のかなりの数の会社が、休業や廃業してしまい、版元(出版社)が他の取次に頼まねばならなくなり、その分、ウチで扱う商品の量が増えて、しばらくは残業が多くなる、とのこと。仕事が増えるのは、会社の経営的には良いことなのでしょうが、小規模とはいえ同業他社が多数廃業というのは出版業界全体としては衰退を意味すると考えれば、あまり良いことでもないのかも……?詳しいことはわかりませんが。
子供向け漫画だけじゃあないぞ。伝説の雑誌ガロも存在していたんだ。そして日本には手塚治虫先生をはじめ、白戸三平先生やつげ義春先生、石森正太郎先生、さいとうたかお先生、桑田次郎先生、水木しげる先生、藤子不二雄先生、横山光輝先生等多くの天才たちが切磋琢磨したからこその漫画の発展があったのだ。
別に揚げ足取りではありません。 X 石森正太郎 〇 石ノ森章太郎 X さいとうたかお 〇 さいとうたかを
@@桜吹雪-p9w揚げ足とりじゃ(以下略)石ノ森章太郎 → 石森章太郎昭和生まれのマンガ少年にとっては、後年改名しても、イメージ的に石森なんですよね(異論は認める)♪
@@実藤忠彦 石ノ森に反応したんですね。どちらかと言えば正太郎を訂正したかったんですけど。昭和世代にとっての正太郎は金田正太郎でしょう。
ジャンルの幅広さは本当に凄いと思います。人気のあるジャンルは確かに動画に挙がっているようなものだけど、例えば一つの職業・業界にスポット当てた乃至主人公の職業がストーリーに密接に関わっている類の漫画でも、漫画になってない職業・業界の方が少ないくらいかと。
今はまだ日本が強いけど、中国、韓国を中心に日本的なアニメ・コミックの土壌はちゃんと形成されてる。中国発のアニメが日本で放映されたりもする、きっとこれからもっと多様なジャンルや日本人じゃ思いつかなかったような事が出てくることを期待してます。一番のダークホースはメキシコだと思ってる。メキシコはすごいぞ、日本の美少女イラストが至る所にあってそれが受け入れられて、しかもそれを描こうともしてる。南米発の日本的なアニメとかコミックとかめっちゃ見てみたい。
習近平・中国共産党「そんなふざけた作品が我々の目に入って来たら叩き潰すけどね(^^)」
中韓に土壌?他国をリスペクトできない国に日本の漫画は抜かれる事はないでしょう。自己主張ばかりで他人を思いやる心がないと結局上辺だけの薄っぺらさを見透かされる。日本の新幹線をパクっても、システムまでパクれない中国漫画もそれと一緒。それができるなら、もうとっくに共産党は無くなってるw中国のアニメ?それはテレビ局が乗っ取られるから放送してるだけ実際人気もないでしょ
田河水泡「のらくろ」シリーズなど戦前にも漫画の名作はあった。それでも手塚治虫という天才があらわれたことは、日本の漫画界に幸いであった。
日本のマンガのタッチは浮世絵がベースになったって話好き
アニメや漫画を好きなのはオタクで変ってのが当たり前だった時代を生きてたから未だに公言できないでいる
俺は二十年前位に開き直った。
腐女子とか隠れて生きていく者よ…
@@ぽんきちです 男のオタクとは違う世界ですよね、同情もしますし、言いたい事も分かりますが周りの理解が低いですよね。
@@ぽんきちですまぁ二次創作腐は本来の作品と違う目線で見てる訳だから、大っぴらにはできないよね。
誰かが言ってたけど、日本語自体がマンガ的なんだって表意文字の漢字が絵で、表音文字のフリがな(ひらがなカタカナ)が吹き出しのセリフ
錯乱坊と書いてチェリーと読ませる。こんなんどうやって英語に落とし込めと言うのか…
フェミニズムはわかるけど、それで可愛らしい格好ができないのは変だよね。男女関係無く、かっこいい格好でも可愛い格好でも好きにすればいいじゃないか。
女性を女性らしく描けないなんて衝撃。そう描くと性差別に当たるという建前なんだろうが日本漫画が売れるということは、まあつまりはそういう事なんだろう。声高な一部に迎合したが為に大多数の求めるものを殺している、と。
欧米も日本みたいにR15やX指定(18禁)の規制で売ればそこまでジャンルを絞らせる必要性無さそうなんだけどな?(;´・ω・)
日本の場合、映画産業の資金不足で、映画製作の才能溢れる人材が、マンガ界へ流れた。という話を聞いたことがあります。
絵も書ける物語の創作者が儲かるので漫画家に成ってるのも大きい。また絵が描けない人は原作者になる。
たしか市川崑監督はアニメ出身だった
もうひとつ理由があると思う映画産業は 大きな資金が必要なため またメディアや芸能界と関係が深いため 外国勢力に支配されてしまっている . . . . 北南在日-朝鮮、米国、チャイナ、国際金融資本つまり表現の自由がない
映画は GHQや大手メディアによって規制されたが、漫画への規制は緩かった。子供向けだと米国が考えたためだろう。つまり日本人に漫画を見させておけば頭が悪くなるから好都合だと米国は考えた。たぶん日本のゲーム産業も同じだと思われる。だから独自の発展を遂げることができた。カレラに規制されていたらそれは不可能だった(潰されていた)。 戦後日本の産業で発展したもの(後に潰されたものも含む)と発展できなかったものを考えると GHQ米国の規制→国内で利権が生まれた→発展が阻害される という道筋が見えるような希ガス
黒澤明なんてもろに画家だったんだから後の映画不況時代に生きていたらまちがいなく漫画家になっていたはず
日本最初の少年漫画雑誌は明治38年発行。戦前の漫画なら「のらくろ」などがあり、紙芝居は昭和の初めに登場し戦前においても流行しました。ポリコネ批判にかくれた洗脳の可能性があると懸念します。
アメコミは多様性じゃなくただの虹色に統一で、多様なジャンルから好きな色を選べってのが多様性だと思うんだけどね
アメコミ食堂は虹色全部盛りの「多様丼」一種類だけしか置いて無くて、日本の食堂は寿司、カレー、ラーメン、オムライス、お子様定食、焼肉、天丼…メニューに無くても店主に頼めば作って貰えます。てな位に自由度があるので。さて多様性とは何でしょうか?
当人たちは虹色だと思ってるんだろうけど、全部の色を入れた時に出来上がるのは漆黒なんだよなぁ~
アメコミ読んだ事ありますか?私が読んだ物ではそこまで多様性を重視しているものは無かったです。勿論そういう作品があるのも知っていますが、それは主語が大きいのではないかと...
『マトリックス』は撮影時のカメラワークは日本のマンガのコマ割りを参考にしたって聞いたことがある
昭和三十年代前半頃は、貸本屋がまだ有ったと記憶してます。書架にズラリ並んだハードカバーの漫画本は今の漫画喫茶を彷彿させるものが有りました。あの漫画本達は何処え行ってしまったのだろうか。今、その漫画本を片っ端から読破してみたい衝動にかられる。
歌舞伎って原典だから本当に漫画やアニメの決まりポーズの連続で楽しすぎる。衣装もスゴい。なので本当に漫画やアニメが好きなら3階に10倍オペラグラス持って行ってみて欲しい。古典ほどゲスいし。
日本の漫画出版社が海外で漫画・シナリオ学校とか作ったら面白いことになりそう。
中国とか韓国の漫画もあるけど、なんか『日本の振り』してるように感じる。
日本の振り… パクリより適切な表現
両国とも日本のパクリ的な感じがなぁ。。ただ、半島と違って、大陸は自国の産業戦略化を目論んでいそうで薄気味悪い。日本のアニメ界は両国からの作品輸入を増やしてきているが、かつて鉱工業のような産業がどんなことになったか、歴史を振り返っておくといい気がするな。
@@あい-e4d2q いや、パクりというか、ごめん日本の振りという言い方が悪かったかも。トムジェリとか、スポンジボムとか、パワーパフガールズとか、日本っぽく感じないんだ。ディズニーはディズニーっぽさがある。アメコミはアメコミっぽさがある。そういう独自性みたいなものが分からない。日本のそこら辺のアニメと区別がつかない。まだジブリや、新海監督とかの方が、独自性があるな。今は日本のアニメに乗っかってるな、という感想をいだいてしまいます。韓国よりは中国の方がまだちょっと面白いかも?
両国とも、自国の文明が世界最古だと宣う限り敵にはならないでしょう
コマ割りによるモーション表現と視線誘導は明らかに手塚治虫の功績だよなぁ手塚以降の漫画家はその技法を取り込んで発展させている
仮名と漢字をチャンポンで使い、漢字も音読み訓読みと複雑に読み分けるのも、日本人のセンスを鍛えた一因ではないかと思う。
そもそもアメリカのコミック業界は分業制っていうのがあるんよな。だから、自由度が下がってしまう。もちろん分業制の利点もあるのだけれど、作品としての自由度を妨げてしまう欠点もある。
それと出版社が著作権を握っているとか。出版社の意向でストーリーが作られ、それに合わせて作家らが集められる。作家に思い入れがないから熱量が無い。何十年も同じキャラクターを使い回すので世界観がぶれまくり。フルカラーで発行されるから高値になるし、新たな読者が手に取りにくい。ハリウッドの大作映画と同じで、視聴者・読者が置いてきぼり。
私は7歳位にキン肉マンを教えて貰ったのが最初です今年7月にアニメが放送開始されますし、40代後半になっても漫画は読んでますし大好き。
あー……昔々、海外に住んでてたまに帰ってくる親戚がうちに来て、「なんか漫画貸して」と言われて貸すと貪るように読んでたわwそして読み終わると「完結してないじゃん!!」と理不尽に怒られたw(冗談交じりに残念そうに)種類は少ないし、あっても高いしで、簡単に読めないんだってさ。すまんかったw
元々千年近く前には鳥獣人物戯画を描いたくらいですがら
携帯漫画は縦スクロールものだが、絵巻物は横スクロールしながら坊さんとかが絵説き話してた
なるほど、元々手先が器用で細かい作業が得意な日本人。今やハリウッドを追い越す勢い。戦争に負けてもタダでは起き上がらない不屈の精神。ハリウッド映画は今は衰退してます。私が凄いなと思うのはベルばらなんですよ。フランスを舞台に日本の漫画家が描いている事。カッコイイ。
日本の漫画 アニメの基本は手塚治虫でしょう
日本の漫画に文句言ってた人、日本漫画、見てんじゃん。この令和の時代にまだ、何世紀か前の事、言ってる人いるんだね😅見なきゃいいじゃん!って思うのは私だけ?だいたい、ここまで賞賛の声が多いのに非難するべきって意味がわからん。そんなこと言ってる人が非難される立場だって理解してるのかしら?
やはり大人も漫画を読むようになった最初のきっかけは、鉄人28号や鉄腕アトムだと思いますね。
大人向けの劇画もすぐに誕生したけどね
戦前の紙芝居・貸本・乙女詩集なども漫画の原型。
アメコミも70年代はシルモトルームが推していた所為でバンピレラを始めとして結構面白いモノが手に入ったんだけどなァ。コーベンやニーニュ辺りは日本人にも受けていたし……結局X-MENが大売れしたのがヒーロー物一辺倒になる途を決めちゃったな。あの神風みたいなブームが無ければアメコミも方向性模索したかも知れないが、当時は「アメコミ復活!!!」ってんで、そんな懸念は持たなかったんだろね
敗戦のおかげで漫画が発展したというのはどうだろう? 戦時中に規制されたものが元に戻ったというならともかく。浮世絵のような大衆絵画が存在したこと考えればその土台はかなり前からあったといえる。鳥獣戯画に象徴される動物の擬人化、風刺、川柳(絵画ではないが・・・)などにも風刺の土台は見て取れる。宗教的に寛容で、表現に対する規制がさほど厳しくなく自由な気運の中で文化がはぐくまれてきた江戸時代の存在が大きいのでは? ストーリーの多様さ複雑さも江戸時代の読み物の流行、それに挿絵がついてイメージを刺激するといった具合に、絵(漫画)に対す大衆の欲求は大きくなってきたはず。寺子屋を通じで識字率が異常に高かったことも多いに貢献しているだろうし。敗戦だけにこじつけるのはおかしい。なんといっても、手塚治虫が日本に生まれたことが大きい。彼が活躍し始めたのが戦後の日本だったことがそう見える理由だろう。あらゆるジャンルを描き映画的手法を取り入れて躍動感あふれるコマワリを作り上げ、世界中の文学をも漫画化していた。動画の中で語られていた日本漫画の特徴のすべてが彼によって始まっているといっても過言ではない。
週刊漫画雑誌で多種多様な漫画家さんの作品を読めたのは、今にして思えば幸せだった。空想科学雑誌なんかでいろいろ想像していたこともあった気がする。あと、新聞の4コマ漫画とかかな。それにしても半世紀以上経過したのか。
「自由の国アメリカ」の自由って何だろう🤔生きづらいなぁ…
自由っていうのは制限の中で出来ることって考えるべきだと思うなぁ……アメリカは縛りが中国並みになってきてる気がする
@@人の子-b6u 縛れてないやつだ…大変だなあ…
突き詰めると、敵対者を打倒して勝ち取る権利ってことなんじゃないかな?で、逆に言うと、敵がいないと主張するお題目の自由が成り立たなくなるという、無意識の考えから来るのが現在の惨状なのではないかな?
アメリカって実は宗教的にも社会階層的にも人種的にもガチガチに縛られて、全然自由じゃないって海外にバレてきたからなあ。「自由」って帝国主義や貴族、カトリックなんかの支配者からの脱出だったんだけど、いつの間にか自分たちが世界の支配者になり、ガッチガチのプロテスタント的思想に縛られててもまた脱出するわけにもいかず、アガアガしてる人が大半な気がしてます。(LGBTで大揉めしてたり、宗教で政党決まったり、中絶できない州があったり、各地に(NYでさえも)閉鎖的な大規模宗教コミュニティが点在してたり、進化論否定してたり色々)
アメリカの自由は、己の自由(他人は気にしない)だから、声がデカいとか、チカラがある者以外は生き辛い
日本はお手軽なエンタメとして漫画が根付いてるし、子供から大人まで幅広いジャンルで購読層を分けた漫画雑誌が充実してるそしてその中でも競争があって、結果として面白い漫画が次々生み出されていく訳よ
なぜ日本の漫画が大人も読めるかというと、戦後、映画好きな若者が映画を作るのにはまだ貧しくて、安価に自己表現できるツールとして漫画を選らんだからなんだ。
漫画に限らず、多くの物で「市場経済」による淘汰が「より求められる物へ」の方向で働いていて、過剰な思想統制が入った「金太郎飴」(差異が少ない)的なものでは立ち打ち不可能。
絵日記って漫画の練習だったのかもしれない・・・?
漫画は道徳の教科書じゃないんよエンタメなんよ
道徳の授業に使える位、質の高い漫画もあるよ。
アメコミこそAIに描かせるべきだよな
海外……日本でめっちゃ昔から商売してるハーレクインさんはフランスじゃなくて海外だったのか
後、子供が子供だけで自由に買えると言うのもでかい
バイデンが大統領になってからポリコレ、フェミが大いに活躍したよね。11月にトランプが再選すればおかしな事象はなくなると思うんだけど。バイデン再選だとアメリカはエライ事に。
この話題なら貸し本というシステムについての言及は必要だと思う
第二次世界大戦勝利者だったら...手塚治虫はどんな漫画描いていただろう?
トップクラスの漫画はパクリとかないのが日本の漫画のいいとこだよね
人と違う物を、との思いがジャンルの広がりを可能にしたし、読者も漫画を通して知らない世界を知る事が出来る。二次創作で読者が描く側の楽しみも知っているし、即売会なんて市場も存在している。トップから裾野の層の厚さも、漫画が文化と呼ばれる由縁。故に原作者である漫画家には最大限の尊敬を各位には求めたい所。金儲けしか頭にない輩は潰れてどうぞ。
「ちはやふる」の作者 末次由紀さんの作品にトレパクがあった事は本人が認めた
すべての物語はパクリからはじまるのでマルパクリでないならもう独創と言っていいと思う。
人形浄瑠璃→アニメ歌舞伎→特撮
ポリコレが多様性だとは考えていません。多様性は人種などといったものだけでなく、個人の個性を尊重するべきものですが、ポリコレは規制する事で「個人が行う事が出来る」事まで規制していますから。
米帝の漫画作家は、何をしてるって感じだよな、一人が良いか、複数で書き繋ぐのが、良いのか?、こればっかはね。画力とかもね。同じなのでも、主要作家と、時代次第で変化ってのは、してないのかなぁって、規制も良し悪しで、販売場所って、リアル店舗だと、きつかろうが、それぐらいは、有るかなぁってね。
日本で大人向けの劇画が発達したのは貸本屋向けの漫画を大人が手軽に読めたからでしょう。さいとうたかおも貸本漫画出身だし
中国や韓国も絵柄がそっくりで英語専門のマンガをだしてアメリカ進出してますね。
少年マンガや少女コミックが大人にも耐えうる作品が多かった故に、それらの読者が大人になっても読み続けた流れもある。しかし、50年代〜60年代に「貸本屋」とともに登場した大人向けの「劇画」マンガは大人の週刊誌にも掲載されるようになり、「マンガ」は子供向けだけじゃなくなった。大人の週刊誌に掲載されて、ドラマや映画にもなった有名な作品のひとつに「子連れ狼」がある。
アメリカは一つの作品に全てを押し込めて自由が制限される。日本は多様な作品に散りばめている。同性愛とか半世紀前には普通にあった。
ポリコレ的には日本の漫画はレギュレーションを大きく逸脱している、ズルいって思っていそう。
コマ割りなら遊戯王が凄かった思い出
米国は規制に従ったけど、日本は戦って勝ち取ったからな…
ゴルゴ13を作ったさいとうたかおさんが劇画を作ろうとしたら相当反対されたらしい。
アメリカのことを世界というな!
日本はイデオロギーよりも商業主義だから消費者が雑誌を買ってくれるか?買わないか?の単純な原理から成り立ってる、だからどんなに有名でどんなに人気が有る漫画家でも駄作を創れば見向きもされない、極めてシビアな世界で育んで来たから日本の漫画家は面白いし多用性がある、キャラもアメリカのフェミが批判するけど現実味が無いからウケるのでありアメコミのキャラは劇画タッチだから批判しやすいんだと思う。
日本で漫画業界が発展した理由として、再生紙で週刊雑誌を作った事もあるよね。
ジャンルはありとあらゆるものがあるわいな介護漫画とかもあるしイブニングでやってたヘルプマン
天明頃の黄表紙の流行、文化文政頃の合巻本の流行も忘れないで下さい。山東京伝や曲亭馬琴は私の好きな作家です。
伊達に数多の屍を築いているわけじゃないのだな。(クリエイターさん的な意味で)
少年・青年漫画は、どんどん翻訳されているのに、少女漫画はあまり翻訳されてないらしい。里中万智子氏や萩尾望都氏、山岸涼子氏とか!!もっと宣伝して行って良いと思うな。
日本の場合、1万のジャンルがあれば需要はともかく趣味もの含めて儲からなくても1万の作品がでてくる状態なのだが。欧米は権利を持ってる誰かが勝手にジャンルを10決めて作品にそれを必ず盛り込め!みたいな前提で企画作品化してるっぽいからな。このコンセプトの時点で面白い作品ができるとは思えんのだがな
実際にはフェミニズムって差別する事になってると思う
18禁作品みたいにポリティカルコネクトフリー(規制なし)シールでも用意して何ら作品の改定なく売ってますコーナーに並べるとかすればいいのだ。
金がないというより物資が無いんだよ。資本家は金は持ってた。アメリカが日本に向けた小麦だって日本は買ってたんだぜ。ただじゃないからな。
おおむね同意だが「手塚治虫」がスルーされてるのに違和感を感じました。
別に戦後、子供向けだったワケではないですよ。有名作品も多々あるので調べてみてくだい
クール・ジャパンバブルもいい加減このままだと弾ける気がするけどね。漫画等の絵柄はかなり日本的になってる海外の作家も多い
大人が読み始めたんじゃなくて大人になっても読み続けたが正解かと
アメリカとかでもスパイダーマンとかいい作品あるけどねえ。
日本は古くから鳥獣戯画から続いてらけどアメリカはアメコミだからつまらんわな
マリとシンゴはキハラ先生によるLGBTQQIAAPPO2S話なのニャ
女性を女性らしく描けない←ほんとこれもう逆に差別的だろって感じで草「性的搾取しない為!」てのは分かるけど、女性らしさを搾取する気マンマンなの?て思うし、オタクなんて刺されば女も男も人外も機械なんかにも勝手にエロ(以外にも魅力)感じてにっこりするんよなぁ
小学校の学級文庫に入っていた「火の鳥」全巻のせいで結構な数の生徒の性癖が破壊された記憶が。手塚ファンの先生による布教か手塚治虫の名前だけで読ますに入れたか知らんが 小3には早すぎるだろうあれは😂
文化庁の役人の皆様へ、「葬送のフリーレン」を潰さないで下さい。
日本の漫画史を語る場合、手塚治虫とトキワ荘に触れないなんてあり得ないだろうな。
作者が自由に作品を書かないと面白い作品はできないだろうに。欧米でそれができないことが驚きだ。
子ども向けの漫画を成人も読み始めた
というよりも
漫画を読んでた子どもが成人しても読み続けたって感じじゃ
漫画家も少年・少女漫画家から、青年・成人漫画家に転身したりな。読者と共に掲載雑誌も対象を拡げて拡大していったと。
購買層がお小遣い貰ってた子供から自分で稼げる大人になったら、昔の名作を豪華版や特別編集で再出版したりとね。
正解
多様性って一つに何でもぶち込むんじゃなくて、
多くの人が分担して多彩なジャンルを描くことなんだなと
日本のマンガは教えてくれている。
多様性希求のアプローチがそもそも粗雑拙劣で、そのことを認めたがらないから欧米の多様性は、
ここまで歪んで変な輩がしゃしゃってくるような異様なものに堕しているんじゃあねえかな…
理想を語る際に、調子外れの音程音量でミュージカルやりたがるような、現を抜かした連中が
「あ、これ私にも出来る!」なんて思ったときには、大体ろくなことは起きないもんだしな…
十何人も桃太郎が出てくる小学校学芸会で
自分の子供の名乗りの時だけ盛り上がる親、
自分の子供が目立てばそれでいい
多様性誤解するとこうなるよね。
運動会で手を繋いでゴールを要求するけど
本音はどうなのかな…?
万人受けしなくてもいい読者がいるからジャンルが多様化した、
@@kiyoshisato7390
それなんだよね
学芸会が嫌な子もいるし運動が苦手な子もいる
ほとんどの子供は好きな子が好きな役をやればいいし、運動が得意な子供が一着をとればいいって思ってるよ
その延長線上で、演劇が好きになら俳優や女優に憧れ、運動なら自分の思うスポーツに熱中する
ゲームが好きな子供はゲームに関わる仕事がしたいと思うし、漫画が好きなら漫画家を目指す
そういう子供のもつ多様性ってのは大人が思ってるよりも複雑だし、あれだこれだと大人が決めるものでもない
海外が右開きになったのは、ドラゴンボールのイタリア版出版に際して、イタリアの出版社に鳥山明さんが手紙を書いて、右開きの理由を事細かく説明したことが始まりらしい。
本当に歴史を積み重ねてありとあらゆるジャンルあるからな。ファンタジー、科学、宗教、食・音楽・などの文化、歴史。
漫画読んでるとき本当に幸せ。漫画家はリスペクトされるべき存在だよ。
アメコミって『キャラがリアル(等身大米人)』『表情が一辺倒』『起承転結が唐突』『動きの線と移動経路』『元となった作品のif展開作品』って感じですかね
総じて思うのはアメコミって日本で言うところの『同人誌』なんすよね
新しい作品はあまり生み出されず、過去作のifリメイクばっかり、その中で名作もあるのかも知れんけど、同じ作品ばかりじゃ飽きるよね
あと最近はポリコレの影響で風刺で『米のマンガは全て虹色、日本のマンガは1作1作が別々の色で虹色以上の種類がある』って感じの絵があったよね
ただ、虹色って絵具に例えると虹色を全て混ぜると、黒になるのよね。全部乗せで混ぜ混ぜで全部黒いのよ米の作品って
日本のは2~3色合わせた色なんよね、だからそれぞれ違った色が出来上がるんよ
だいたいの事はすでに手塚治虫が書いているというのが恐ろしい。
あと星新一ね
逆。
アニメーターが安月給なのも手塚治虫のせい
その漫画の神様もやらなかったことをやった石ノ森章太郎先生、
二人が活躍していなければ日本の漫画はたぶん何十年も進化が遅れた。
彼が唯一無二のジャンル
性教育「アポロの唄」
愛を知らず育った少年
挫折や葛藤を重ね
成長を遂げる
少女漫画のメルモも良かったが
60年前、小学校の体育館でアニメ映画の鑑賞会があって毎年『白蛇伝』見てたわ。
TV放映されてたスーパージェッターなんか日本の売れっ子SF作家がチーム組んで原作脚本を担当してたし手塚アニメの音楽担当が冨田勲だったり。
昔から日本の漫画もアニメもスゴかった。
なんか忘れてないか?アメリカと日本の漫画で圧倒的な違い、漫画文化の普及の圧倒的な差を産んだこと。
漫画雑誌がない。
ジャンプとかサンデーとか週刊月刊誌がない。マーベルには、カタログ的な雑誌はあるよ、でも、複数の漫画を集めて定期的にかつ日本のように頻繁に(ほぼ日常的に)発刊している雑誌がない。コンビニとかで売ってる雑誌はない。これは多種多様な漫画に触れる機会が日本の方が圧倒的に多い。流通の問題は動画内では取り上げてあって、そこに気づいたのは、お見事だけど、アメコミは、専用のショップか本屋で買うしかない。駅のキヨスクとかコンビニとかじゃ買えないのよ。
ポリコレを叩くのは最近の流行りだが、根本が違いすぎるのね。
そう言えば石ノ森先生は仮面ライダーのテレビドラマは子供が楽しむ様に作って、自身が描く漫画は小学生や中学生等の文字を読める様になった子供の為に作りましたと文庫版の漫画に書いてあったのを思い出しました
>紙芝居らしさを残すように、挿絵の割合が多く取られた小説
ラノベじゃん
そんなところにルーツがあったとは
うーん、江戸時代の貸本の黄表紙とかがルーツだと思うよ。
ラノベはアニメシナリオ
だと思ってたよw
俺の読んでた頃のラノベって一場面ポンっと入ってるくらいだったけど今絵本みたいになってんの?
ビックサイトに3日間で入りきれないくらい、絵が上手い人いるんだよな...
日本のマンガを説明するのに「手塚治虫」の名前が出ないのはどうなんだろう? 私自身のマンガの神様は藤子不二雄(両先生まとめて)ですが、現在に続くマンガのフォーマットは手塚先生に拠るもの、と言っても過言ではないです(伊達に「神様」なんて呼ばれていない)。マンガに悲劇的ラストを導入したり、映画的なカメラワークを取り入れて「紙に描かれた映画」を作り上げ、その奥深いストーリーと革命的作劇法は世のマンガ少年達を奮起させ、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫などの巨匠を輩出しました。擬音(オノマトペ)を「描き文字」で表現したり(静かな場所を表現するのに「シーン」と描き込んだのは手塚が元祖)、コマ割りを複雑にしてスピード感を表現したり(これについては石ノ森が元祖という説もある)、いちいち書くのが面倒なくらい数々の功績を残しています。
アニメに関してもディズニーのフルアニメーションに対するリミテッドアニメーションの技法を確立したり、(自分がアニメを作りたいばかりに)低予算で制作を請け負って関係各所に多大なる迷惑をかけたりと、数々の「功罪」を残しています。
偉業とワガママで人々を振り回すのが「神様」というものなら、手塚治虫は立派に「神様」と呼べると思いますね。もっとも手塚自身は神様と呼ばれることを喜ばなかったでしょうけど。
手塚治虫先生を漫画の「神様」と呼ぶようになったのは実は藤子不二雄両先生からで、A先生の「まんが道」では手塚先生を再三「漫画の神様」と表現していますし、F先生の手塚先生に対する心酔ぶりは有名ですね。
私の子供の頃(昭和50年代)までは手塚先生は「漫画の王様」と言われていました。
今振り返って見ると、この動画で述べられているほとんどを手塚先生が創造した、と言っても過言では無いことを顧みると、やはり「王様」よりは「神様」がふさわしいかも。
手塚自身は、自分を神様と言ったことも(多分)肯定したこともないが、漫画の神様が憑いてる的なことは肯定してたと思う
自伝的作品でもそういう描写あり
北斎漫画と言う世界に先駆けて触手プレイと言う特殊性癖を世界に発信した先駆者!
ポリティカルコレクトネスを行ったとしても、それをしろと強要してきた人や団体が読んだり買ってくれる保証もない。
何処かとは言わないが、自分達が創る作品は“誰に向けてのものか”を改めて考えてほしいな。
あと、欧米は「元々王侯貴族の家系だった層や一部の富裕層にしか識字率や学問を学べる場や機会が与えられず、庶民に対して新聞や書物が普及する下地もなかなか発達しなかった」というのもあるよな。日本は江戸時代には寺子屋で「漢字は全てではない」にせよ「読み書き・そろばん(計算)」を学べたし、現代の新聞の雛型とも言える「瓦版」が庶民に普及していたし、現代で言えば文庫本に相当する「絵草紙(代表的な作品としては「東海道中膝栗毛」や「南総里見八犬伝」等)」等が売られていたし、「買えない人」に向けて「貸本屋」という商売というか職業もあった。つまり「識字率や出版及び出版された物の庶民への浸透率」が欧米よりも先んじていた事もその要因の一つなんだよ。だから欧米は駄目駄目なんだよな。識字率の髙さから「物語の生み出し手」が多く生まれて行った。それが今に繋がっている訳だよ。
つまり「識字率というか読み書きというかある程度の教養を(庶民の反発を恐れて余計な知恵を付けさせない様に)一部の層が独占していた時期が長過ぎてた」から欧米では日本程の娯楽の多様性を生み出す土壌が余計に無い、という訳だよ。それと家を継げない貴族の次男三男とかが生計を立てる為に「写本(既存の書物を手書きで書き写す事)や手紙等の代筆や別の貴族家の子供の家庭教師的な事」を行っていた、というのもあるよな。日本では「活版印刷を応用した出版」が行われていて、家を継げない武士の次男三男とかは「代筆や写本」の代わりに「内職」や「親戚とか知り合い筋や商人の食客(居候)や用心棒」や「剣術道場の道場主や師範代」や「寺子屋の先生(「寺」と入っている様に僧侶も教えていた筈なんだけど時代劇では武士というか浪人的な先生しか出て来ないよね)」とかをしていた。「学校制度や学問教育施設の成立」については欧米の方が先んじていたけれども日本には「庶民にも門戸を開いていた『寺子屋』」があったのは大きな差なんだよ。「寺子屋」よりも高度な学問教育施設については日本の方が遅れていたと思うし、「それ」は「一部の階級層向け」と限定されていたものだったけど、「寺子屋」という「教育の場(施設)」が「身分の差を問わず門戸を開かれていた事」はかなりのイニシアティブとして現在にまで影響を及ぼしているんだと思うよ。
やっぱり手塚治虫さんをはじめとした「トキワ荘」に集まった漫画家達の功績が大きいよ。手塚さんや赤塚さん等の男性漫画家が少女漫画も描いて女性漫画家も現れて女性による女性向けの漫画や女性が男性向けの漫画を描いたりしていく事で多様性に拍車がかかった。「青年というか成人向けの漫画誌発刊」とかも日本だからこそ生まれた。「漫画やアニメは子供向け」という考えは日本にもかつてはあったけれど欧米では余りにも固定観念に囚われ過ぎていたから駄目なんだよ。日本ではそんな固定観念に囚われ過ぎずに「大人が見ても鑑賞に値するものを作って見せる」という意欲を持って制作にあたった人が居たから今日があるんだよ。ホテルにおいて「コンシェルジェ」という「宿泊客に対する細やかなサービスを行う役職」が生まれたのは欧米だけど、その根底にはどちらかというと「チップ文化」や「より儲けたい魂胆」からで、「利用するお客様視点のもの」からではないから「日本のおもてなし精神」には敵わないというか、「隙間的な需要の開拓」が出来ないんだよ固定観念に囚われ過ぎて。「発想の転換が出来ない」とも。「日本の漫画・アニメ・ゲーム」はそれが出来たから「ジャパニメーション」が世界を席巻出来ているんだよな。
トキワ荘を取り壊したのはもったいなかった
今だったら都が買い取って記念館にしただろうけど当時はまだそこまで価値が理解されてなかった
もんだいは漫画やアニメの翻訳なんですよね。
日本語の複雑な語彙を他国に翻訳しようとしてもその国に「無い言語や表現」を意訳しないといけない所が難しい。
ネット公開時に生成AIとリンクさせて、画像の端に自動翻訳された字幕が浮かぶ仕様にすれば宜しいのでは内科医・・・
WOKEの恣意的な「誤訳」に対抗するためには、テクノロジーを味方につけた先手先手の手配りで悪企みを差し込まれる隙を埋め続けなくてはならない!
言葉がそのまま輸出されるようになる、マンガでしか使われないような言葉が世界の共通認識に。
洋画などの翻訳だと、そのまま翻訳されるんじゃなくて、違う表現使われたりもするからな。
ニュアンスを汲み取った表現やら、日本人向けに改変されてしまうことが多い。
意訳ってやつやな
視野が狭くて創造力の乏しい海外のポリコレ勢に日本の漫画/アニメの多様性は想像つかないんだろうね。
条件がそろうと性別が変わってしまうのなんて可愛いもので、今放映されているのが巨大ロボットと男性主人公のホモアニメだったりで多様性には事欠かない
14:29
トーハンの子会社所属。発送の現場で働いています。
最近聞いた話……
大手の日販・トーハン以外にも、書籍取次会社はいくつか(ググったら小規模なものが十数社)、存在していたらしいのですが、最近、コロナ明けの影響か知らんけど、その小規模取次の中のかなりの数の会社が、休業や廃業してしまい、版元(出版社)が他の取次に頼まねばならなくなり、その分、ウチで扱う商品の量が増えて、しばらくは残業が多くなる、とのこと。
仕事が増えるのは、会社の経営的には良いことなのでしょうが、小規模とはいえ同業他社が多数廃業というのは出版業界全体としては衰退を意味すると考えれば、あまり良いことでもないのかも……?
詳しいことはわかりませんが。
子供向け漫画だけじゃあないぞ。伝説の雑誌ガロも存在していたんだ。
そして日本には手塚治虫先生をはじめ、白戸三平先生やつげ義春先生、石森正太郎先生、さいとうたかお先生、桑田次郎先生、水木しげる先生、藤子不二雄先生、横山光輝先生等多くの天才たちが切磋琢磨したからこその漫画の発展があったのだ。
別に揚げ足取りではありません。
X 石森正太郎 〇 石ノ森章太郎
X さいとうたかお 〇 さいとうたかを
@@桜吹雪-p9w揚げ足とりじゃ(以下略)
石ノ森章太郎 → 石森章太郎
昭和生まれのマンガ少年にとっては、後年改名しても、イメージ的に石森なんですよね(異論は認める)♪
@@実藤忠彦 石ノ森に反応したんですね。どちらかと言えば正太郎を訂正したかったんですけど。昭和世代にとっての正太郎は金田正太郎でしょう。
ジャンルの幅広さは本当に凄いと思います。人気のあるジャンルは確かに動画に挙がっているようなものだけど、例えば一つの職業・業界にスポット当てた乃至主人公の職業がストーリーに密接に関わっている類の漫画でも、漫画になってない職業・業界の方が少ないくらいかと。
今はまだ日本が強いけど、中国、韓国を中心に日本的なアニメ・コミックの土壌はちゃんと形成されてる。
中国発のアニメが日本で放映されたりもする、きっとこれからもっと多様なジャンルや日本人じゃ思いつかなかったような事が出てくることを期待してます。
一番のダークホースはメキシコだと思ってる。
メキシコはすごいぞ、日本の美少女イラストが至る所にあってそれが受け入れられて、しかもそれを描こうともしてる。
南米発の日本的なアニメとかコミックとかめっちゃ見てみたい。
習近平・中国共産党「そんなふざけた作品が我々の目に入って来たら叩き潰すけどね(^^)」
中韓に土壌?
他国をリスペクトできない国に
日本の漫画は抜かれる事はないでしょう。
自己主張ばかりで他人を思いやる心がないと
結局上辺だけの薄っぺらさを見透かされる。
日本の新幹線をパクっても、システムまでパクれない中国
漫画もそれと一緒。
それができるなら、もうとっくに共産党は無くなってるw
中国のアニメ?
それはテレビ局が乗っ取られるから放送してるだけ
実際人気もないでしょ
田河水泡「のらくろ」シリーズなど戦前にも漫画の名作はあった。それでも手塚治虫という天才があらわれたことは、日本の漫画界に幸いであった。
日本のマンガのタッチは浮世絵がベースになったって話好き
アニメや漫画を好きなのはオタクで変ってのが当たり前だった時代を生きてたから未だに公言できないでいる
俺は二十年前位に開き直った。
腐女子とか隠れて生きていく者よ…
@@ぽんきちです 男のオタクとは違う世界ですよね、同情もしますし、言いたい事も分かりますが周りの理解が低いですよね。
@@ぽんきちですまぁ二次創作腐は本来の作品と違う目線で見てる訳だから、大っぴらにはできないよね。
誰かが言ってたけど、日本語自体がマンガ的なんだって
表意文字の漢字が絵で、表音文字のフリがな(ひらがなカタカナ)が吹き出しのセリフ
錯乱坊と書いてチェリーと読ませる。こんなんどうやって英語に落とし込めと言うのか…
フェミニズムはわかるけど、それで可愛らしい格好ができないのは変だよね。
男女関係無く、かっこいい格好でも可愛い格好でも好きにすればいいじゃないか。
女性を女性らしく描けないなんて衝撃。そう描くと性差別に当たるという建前なんだろうが日本漫画が売れるということは、まあつまりはそういう事なんだろう。声高な一部に迎合したが為に大多数の求めるものを殺している、と。
欧米も日本みたいにR15やX指定(18禁)の規制で売れば
そこまでジャンルを絞らせる必要性無さそうなんだけどな?(;´・ω・)
日本の場合、映画産業の資金不足で、映画製作の才能溢れる人材が、マンガ界へ流れた。という話を聞いたことがあります。
絵も書ける物語の創作者が儲かるので漫画家に成ってるのも大きい。また絵が描けない人は原作者になる。
たしか市川崑監督はアニメ出身だった
もうひとつ理由があると思う
映画産業は 大きな資金が必要なため またメディアや芸能界と関係が深いため 外国勢力に支配されてしまっている
. . . . 北南在日-朝鮮、米国、チャイナ、国際金融資本
つまり表現の自由がない
映画は GHQや大手メディアによって規制されたが、漫画への規制は緩かった。子供向けだと米国が考えたためだろう。つまり日本人に漫画を見させておけば頭が悪くなるから好都合だと米国は考えた。たぶん日本のゲーム産業も同じだと思われる。
だから独自の発展を遂げることができた。カレラに規制されていたらそれは不可能だった(潰されていた)。
戦後日本の産業で発展したもの(後に潰されたものも含む)と発展できなかったものを考えると GHQ米国の規制→国内で利権が生まれた→発展が阻害される という道筋が見えるような希ガス
黒澤明なんてもろに画家だったんだから後の映画不況時代に生きていたらまちがいなく漫画家になっていたはず
日本最初の少年漫画雑誌は明治38年発行。戦前の漫画なら「のらくろ」などがあり、紙芝居は昭和の初めに登場し戦前においても流行しました。ポリコネ批判にかくれた洗脳の可能性があると懸念します。
アメコミは多様性じゃなくただの虹色に統一で、多様なジャンルから好きな色を選べってのが多様性だと思うんだけどね
アメコミ食堂は虹色全部盛りの「多様丼」一種類だけしか置いて無くて、日本の食堂は寿司、カレー、ラーメン、オムライス、お子様定食、焼肉、天丼…メニューに無くても店主に頼めば作って貰えます。てな位に自由度があるので。さて多様性とは何でしょうか?
当人たちは虹色だと思ってるんだろうけど、全部の色を入れた時に出来上がるのは漆黒なんだよなぁ~
アメコミ読んだ事ありますか?私が読んだ物ではそこまで多様性を重視しているものは無かったです。勿論そういう作品があるのも知っていますが、それは主語が大きいのではないかと...
『マトリックス』は撮影時のカメラワークは日本のマンガのコマ割りを参考にしたって聞いたことがある
昭和三十年代前半頃は、貸本屋がまだ有ったと記憶してます。
書架にズラリ並んだハードカバーの漫画本は今の漫画喫茶を彷彿させるものが有りました。
あの漫画本達は何処え行ってしまったのだろうか。
今、その漫画本を片っ端から読破してみたい衝動にかられる。
歌舞伎って原典だから本当に漫画やアニメの決まりポーズの連続で楽しすぎる。衣装もスゴい。なので本当に漫画やアニメが好きなら3階に10倍オペラグラス持って行ってみて欲しい。古典ほどゲスいし。
日本の漫画出版社が海外で漫画・シナリオ学校とか作ったら面白いことになりそう。
中国とか韓国の漫画もあるけど、なんか『日本の振り』してるように感じる。
日本の振り… パクリより適切な表現
両国とも日本のパクリ的な感じがなぁ。。ただ、半島と違って、大陸は自国の産業戦略化を目論んでいそうで薄気味悪い。
日本のアニメ界は両国からの作品輸入を増やしてきているが、かつて鉱工業のような産業がどんなことになったか、歴史を振り返っておくといい気がするな。
@@あい-e4d2q
いや、パクりというか、ごめん日本の振りという言い方が悪かったかも。
トムジェリとか、スポンジボムとか、パワーパフガールズとか、日本っぽく感じないんだ。
ディズニーはディズニーっぽさがある。
アメコミはアメコミっぽさがある。
そういう独自性みたいなものが分からない。
日本のそこら辺のアニメと区別がつかない。
まだジブリや、新海監督とかの方が、独自性があるな。
今は日本のアニメに乗っかってるな、という感想をいだいてしまいます。
韓国よりは中国の方がまだちょっと面白いかも?
両国とも、
自国の文明が世界最古だと宣う限り
敵にはならないでしょう
コマ割りによるモーション表現と視線誘導は明らかに手塚治虫の功績だよなぁ
手塚以降の漫画家はその技法を取り込んで発展させている
仮名と漢字をチャンポンで使い、漢字も音読み訓読みと複雑に読み分けるのも、日本人のセンスを鍛えた一因ではないかと思う。
そもそもアメリカのコミック業界は分業制っていうのがあるんよな。だから、自由度が下がってしまう。もちろん分業制の利点もあるのだけれど、作品としての自由度を妨げてしまう欠点もある。
それと出版社が著作権を握っているとか。出版社の意向でストーリーが作られ、それに合わせて作家らが集められる。作家に思い入れがないから熱量が無い。何十年も同じキャラクターを使い回すので世界観がぶれまくり。フルカラーで発行されるから高値になるし、新たな読者が手に取りにくい。
ハリウッドの大作映画と同じで、視聴者・読者が置いてきぼり。
私は7歳位にキン肉マンを
教えて貰ったのが最初です
今年7月にアニメが放送開始されますし、40代後半になっても漫画は読んでますし大好き。
あー……
昔々、海外に住んでてたまに帰ってくる親戚がうちに来て、「なんか漫画貸して」と言われて貸すと貪るように読んでたわw
そして読み終わると「完結してないじゃん!!」と理不尽に怒られたw(冗談交じりに残念そうに)
種類は少ないし、あっても高いしで、簡単に読めないんだってさ。すまんかったw
元々千年近く前には鳥獣人物戯画を描いたくらいですがら
携帯漫画は縦スクロールものだが、絵巻物は横スクロールしながら坊さんとかが絵説き話してた
なるほど、元々手先が器用で細かい作業が得意な日本人。
今やハリウッドを追い越す勢い。
戦争に負けてもタダでは起き上がらない不屈の精神。
ハリウッド映画は今は衰退してます。
私が凄いなと思うのはベルばらなんですよ。
フランスを舞台に日本の漫画家が描いている事。カッコイイ。
日本の漫画 アニメの基本は手塚治虫でしょう
日本の漫画に文句言ってた人、日本漫画、見てんじゃん。
この令和の時代にまだ、何世紀か前の事、言ってる人いるんだね😅
見なきゃいいじゃん!って思うのは私だけ?
だいたい、ここまで賞賛の声が多いのに非難するべきって意味がわからん。そんなこと言ってる人が非難される立場だって理解してるのかしら?
やはり大人も漫画を読むようになった最初のきっかけは、鉄人28号や鉄腕アトムだと思いますね。
大人向けの劇画もすぐに誕生したけどね
戦前の紙芝居・貸本・乙女詩集なども漫画の原型。
アメコミも70年代はシルモトルームが推していた所為でバンピレラを始めとして結構面白いモノが手に入ったんだけどなァ。コーベンやニーニュ辺りは日本人にも受けていたし……結局X-MENが大売れしたのがヒーロー物一辺倒になる途を決めちゃったな。あの神風みたいなブームが無ければアメコミも方向性模索したかも知れないが、当時は「アメコミ復活!!!」ってんで、そんな懸念は持たなかったんだろね
敗戦のおかげで漫画が発展したというのはどうだろう? 戦時中に規制されたものが元に戻ったというならともかく。浮世絵のような大衆絵画が存在したこと考えればその土台はかなり前からあったといえる。鳥獣戯画に象徴される動物の擬人化、風刺、川柳(絵画ではないが・・・)などにも風刺の土台は見て取れる。宗教的に寛容で、表現に対する規制がさほど厳しくなく自由な気運の中で文化がはぐくまれてきた江戸時代の存在が大きいのでは? ストーリーの多様さ複雑さも江戸時代の読み物の流行、それに挿絵がついてイメージを刺激するといった具合に、絵(漫画)に対す大衆の欲求は大きくなってきたはず。寺子屋を通じで識字率が異常に高かったことも多いに貢献しているだろうし。敗戦だけにこじつけるのはおかしい。
なんといっても、手塚治虫が日本に生まれたことが大きい。彼が活躍し始めたのが戦後の日本だったことがそう見える理由だろう。あらゆるジャンルを描き映画的手法を取り入れて躍動感あふれるコマワリを作り上げ、世界中の文学をも漫画化していた。動画の中で語られていた日本漫画の特徴のすべてが彼によって始まっているといっても過言ではない。
週刊漫画雑誌で多種多様な漫画家さんの作品を読めたのは、今にして思えば幸せだった。
空想科学雑誌なんかでいろいろ想像していたこともあった気がする。
あと、新聞の4コマ漫画とかかな。それにしても半世紀以上経過したのか。
「自由の国アメリカ」の自由って何だろう🤔
生きづらいなぁ…
自由っていうのは制限の中で出来ることって考えるべきだと思うなぁ……
アメリカは縛りが中国並みになってきてる気がする
@@人の子-b6u
縛れてないやつだ…大変だなあ…
突き詰めると、敵対者を打倒して勝ち取る権利ってことなんじゃないかな?
で、逆に言うと、敵がいないと主張するお題目の自由が成り立たなくなるという、無意識の考えから来るのが現在の惨状なのではないかな?
アメリカって実は宗教的にも社会階層的にも人種的にもガチガチに縛られて、全然自由じゃないって海外にバレてきたからなあ。「自由」って帝国主義や貴族、カトリックなんかの支配者からの脱出だったんだけど、いつの間にか自分たちが世界の支配者になり、ガッチガチのプロテスタント的思想に縛られててもまた脱出するわけにもいかず、アガアガしてる人が大半な気がしてます。(LGBTで大揉めしてたり、宗教で政党決まったり、中絶できない州があったり、各地に(NYでさえも)閉鎖的な大規模宗教コミュニティが点在してたり、進化論否定してたり色々)
アメリカの自由は、己の自由(他人は気にしない)
だから、声がデカいとか、チカラがある者以外は
生き辛い
日本はお手軽なエンタメとして漫画が根付いてるし、子供から大人まで幅広いジャンルで購読層を分けた漫画雑誌が充実してる
そしてその中でも競争があって、結果として面白い漫画が次々生み出されていく訳よ
なぜ日本の漫画が大人も読めるかというと、戦後、映画好きな若者が映画を作るのにはまだ貧しくて、安価に自己表現できるツールとして漫画を選らんだからなんだ。
漫画に限らず、多くの物で「市場経済」による淘汰が「より求められる物へ」の方向で働いていて、過剰な思想統制が入った「金太郎飴」(差異が少ない)的なものでは立ち打ち不可能。
絵日記って漫画の練習だったのかもしれない・・・?
漫画は道徳の教科書じゃないんよエンタメなんよ
道徳の授業に使える位、
質の高い漫画もあるよ。
アメコミこそAIに描かせるべきだよな
海外……日本でめっちゃ昔から商売してるハーレクインさんはフランスじゃなくて海外だったのか
後、子供が子供だけで自由に買えると言うのもでかい
バイデンが大統領になってからポリコレ、フェミが大いに活躍したよね。
11月にトランプが再選すればおかしな事象はなくなると思うんだけど。
バイデン再選だとアメリカはエライ事に。
この話題なら貸し本というシステムについての言及は必要だと思う
第二次世界大戦勝利者だったら...手塚治虫はどんな漫画描いていただろう?
トップクラスの漫画はパクリとかないのが日本の漫画のいいとこだよね
人と違う物を、との思いがジャンルの広がりを可能にしたし、読者も漫画を通して知らない世界を知る事が出来る。二次創作で読者が描く側の楽しみも知っているし、即売会なんて市場も存在している。トップから裾野の層の厚さも、漫画が文化と呼ばれる由縁。故に原作者である漫画家には最大限の尊敬を各位には求めたい所。金儲けしか頭にない輩は潰れてどうぞ。
「ちはやふる」の作者 末次由紀さんの作品にトレパクがあった事は本人が認めた
すべての物語はパクリからはじまるのでマルパクリでないならもう独創と言っていいと思う。
人形浄瑠璃→アニメ
歌舞伎→特撮
ポリコレが多様性だとは考えていません。
多様性は人種などといったものだけでなく、個人の個性を尊重するべきものですが、ポリコレは規制する事で「個人が行う事が出来る」事まで規制していますから。
米帝の漫画作家は、何をしてるって感じだよな、一人が良いか、複数で書き繋ぐのが、良いのか?、こればっかはね。画力とかもね。同じなのでも、主要作家と、時代次第で変化ってのは、してないのかなぁって、規制も良し悪しで、販売場所って、リアル店舗だと、きつかろうが、それぐらいは、有るかなぁってね。
日本で大人向けの劇画が発達したのは貸本屋向けの漫画を大人が手軽に読めたからでしょう。さいとうたかおも貸本漫画出身だし
中国や韓国も絵柄がそっくりで英語専門のマンガをだして
アメリカ進出してますね。
少年マンガや少女コミックが大人にも耐えうる作品が多かった故に、それらの読者が大人になっても読み続けた流れもある。
しかし、50年代〜60年代に「貸本屋」とともに登場した大人向けの「劇画」マンガは大人の週刊誌にも掲載されるようになり、「マンガ」は子供向けだけじゃなくなった。
大人の週刊誌に掲載されて、ドラマや映画にもなった有名な作品のひとつに「子連れ狼」がある。
アメリカは一つの作品に全てを押し込めて自由が制限される。日本は多様な作品に散りばめている。同性愛とか半世紀前には普通にあった。
ポリコレ的には日本の漫画はレギュレーションを大きく逸脱している、ズルいって思っていそう。
コマ割りなら遊戯王が凄かった思い出
米国は規制に従ったけど、日本は戦って勝ち取ったからな…
ゴルゴ13を作ったさいとうたかおさんが劇画を作ろうとしたら相当反対されたらしい。
アメリカのことを世界というな!
日本はイデオロギーよりも商業主義だから消費者が雑誌を買ってくれるか?買わないか?の単純な原理から成り立ってる、だからどんなに有名でどんなに人気が有る漫画家でも駄作を創れば見向きもされない、極めてシビアな世界で育んで来たから日本の漫画家は面白いし多用性がある、キャラもアメリカのフェミが批判するけど現実味が無いからウケるのでありアメコミのキャラは劇画タッチだから批判しやすいんだと思う。
日本で漫画業界が発展した理由として、再生紙で週刊雑誌を作った事もあるよね。
ジャンルはありとあらゆるものがあるわいな
介護漫画とかもあるし
イブニングでやってたヘルプマン
天明頃の黄表紙の流行、文化文政頃の合巻本の流行も忘れないで下さい。山東京伝や曲亭馬琴は私の好きな作家です。
伊達に数多の屍を築いているわけじゃないのだな。(クリエイターさん的な意味で)
少年・青年漫画は、どんどん翻訳されているのに、少女漫画はあまり翻訳されてないらしい。里中万智子氏や萩尾望都氏、山岸涼子氏とか!!もっと宣伝して行って良いと思うな。
日本の場合、1万のジャンルがあれば需要はともかく趣味もの含めて儲からなくても1万の作品がでてくる状態なのだが。
欧米は権利を持ってる誰かが勝手にジャンルを10決めて作品にそれを必ず盛り込め!みたいな前提で企画作品化してるっぽいからな。
このコンセプトの時点で面白い作品ができるとは思えんのだがな
実際にはフェミニズムって差別する事になってると思う
18禁作品みたいにポリティカルコネクトフリー(規制なし)シールでも用意して何ら作品の改定なく売ってますコーナーに並べるとかすればいいのだ。
金がないというより物資が無いんだよ。資本家は金は持ってた。アメリカが日本に向けた小麦だって日本は買ってたんだぜ。ただじゃないからな。
おおむね同意だが
「手塚治虫」がスルーされてるのに
違和感を感じました。
別に戦後、子供向けだったワケではないですよ。
有名作品も多々あるので調べてみてくだい
クール・ジャパンバブルもいい加減このままだと弾ける気がするけどね。
漫画等の絵柄はかなり日本的になってる海外の作家も多い
大人が読み始めたんじゃなくて大人になっても読み続けたが正解かと
アメリカとかでもスパイダーマンとかいい作品あるけどねえ。
日本は古くから鳥獣戯画から続いてらけどアメリカはアメコミだからつまらんわな
マリとシンゴはキハラ先生によるLGBTQQIAAPPO2S話なのニャ
女性を女性らしく描けない←ほんとこれもう逆に差別的だろって感じで草
「性的搾取しない為!」てのは分かるけど、女性らしさを搾取する気マンマンなの?て思うし、オタクなんて刺されば女も男も人外も機械なんかにも勝手にエロ(以外にも魅力)感じてにっこりするんよなぁ
小学校の学級文庫に入っていた「火の鳥」全巻のせいで結構な数の生徒の性癖が破壊された記憶が。
手塚ファンの先生による布教か手塚治虫の名前だけで読ますに入れたか知らんが 小3には早すぎるだろうあれは😂
文化庁の役人の皆様へ、「葬送のフリーレン」を潰さないで下さい。
日本の漫画史を語る場合、手塚治虫とトキワ荘に触れないなんてあり得ないだろうな。
作者が自由に作品を書かないと面白い作品はできないだろうに。欧米でそれができないことが驚きだ。