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Приєднався 4 жов 2009
にっぽん集落町並み縦走紀行 第34~最終日
日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行最終章。
縦走紀行開始から10ヶ月、いよいよ最後の地北海道です。初冬の大地を函館から稚内・宗谷岬まで旅の原点に戻って鉄道で移動。復元されたアイヌコタン(集落)や開拓の街を歩きます。道北の町は真っ白な雪景色。日本最北端の地宗谷岬で南の空を仰ぎ、全128ヶ所の足跡を振り返りながら旅を終えます。
縦走紀行開始から10ヶ月、いよいよ最後の地北海道です。初冬の大地を函館から稚内・宗谷岬まで旅の原点に戻って鉄道で移動。復元されたアイヌコタン(集落)や開拓の街を歩きます。道北の町は真っ白な雪景色。日本最北端の地宗谷岬で南の空を仰ぎ、全128ヶ所の足跡を振り返りながら旅を終えます。
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Відео
にっぽん集落町並み縦走紀行 第9~10日
Переглядів 1,1 тис.11 років тому
日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行の第4弾。広島県から瀬戸内海を渡り四国北西部の集落町並みを歩き高松空港まで。第9日広島県では、島根県境に近い八幡原高原の農村集落と三段峡観光や林業で栄えた安芸太田町戸河内、マツダの企業城下町である府中町の工場門前町、そして「いらかぐみ」メンバーの一人で地元在住の孫右衛門さんと夜会。第く10日は船で松山へ渡り、八幡浜、内子町大瀬、最後に別子銅山で栄えた住友の企業城下町新居浜の星越社宅街と東平旧鉱山街を歩きます。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第29~30日
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日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行第12弾。 福島県郡山から東北地方を北上します。まずは、仙台市内から。仙台は東北の中心都市でありますが、旧市街地の広範囲が戦災を受けているので歴史的な町並みが残っていないと思われています。しかし、戦災を免れた町は必ずある。戦災復興の町並みの代表であるバラック街もありました。 そして、いよいよ三陸地方へ歩みを進めます。2011年3月11日の三陸大津波で大きく被害を受けたエリアです。失われてしまった街もありますが、必ず残っているもんもあるはず。残された建物たちは大津波の語り部であり、歴史を継ぐ重要な役割を担っていると思います。震災前に訪れた記録を片手に歴史を継ぐ者たちを確かめるため歩きました。気仙沼にはありましたが、陸前高田はすべてが消滅してしまっていました。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第31~33日
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日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行第13弾。 花巻から東へ向かい三陸地方の釜石・宮古を歩きます。両町は数年前にある行きましたが、その後2011年3月11日に三陸大津波にのまれました。しかし、残された建物が必ずあり、それらが復興した町へ歴史を継ぐ重要な役割を果たすことは、今まで見てきた集落町並みから教えられました。 青森県では津軽の農村や町を、そして青函トンネルをくぐっていよいよ最後の大地北海道へ入ります。函館も昭和9年の大火で中心市街地を失いました。函館山の麓の歴史的町並みを再訪するとともに、大火後に造られた町並みを歩きます。復興後の町は一時期に造られていることで統一感があり当時の特徴がよく表れている。そして、災害を免れた町がその前の歴史を継いでいるのです。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第26~28日
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日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行第11弾。 今回はこの縦走紀行の中でも一番計画に苦労しました。日本海に浮かぶ孤島飛島と高速道路がない南会津を含めた三日間です。第26日早朝に酒田市内を歩き、昭和51年大火を免れた旧市街の町並みを探索。飛島は日帰りで3か所の集落を訪問、孤島ならではの独特な集落形態が見られます。山形盆地へ移動し、山形鉄道途中下車の旅は最上川水運で栄えた長井と荒砥の町を。福島に入って南会津の蔵造り、中門造りの町並みを歩きます。また、それらの間で上山温泉(山形県)、飯坂温泉(福島県)、岩瀬湯本温泉(福島県)といった質の高い温泉町の町並みも探訪。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第24~25日
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日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行、第10弾。 本拠地東京を離れ群馬県から新潟県を経て山形県の酒田まで旅します。第24日は、群馬県の榛名山周辺で、伊香保街道旧野田宿、榛名神社の社家町、第25日は伊香保の温泉街を歩いた後国境を越えて新潟県へ。中越地方では、十日町市の旧松代町、旧川西町の豪雪地帯の集落を、下越へ一気に移動した後、出羽街道の旧猿沢宿、そして山形県に入り庄内平野の港町加茂を歩いて酒田で旅を終えます。真夏の田園風景が美しい旅です。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第22~23日
Переглядів 1,7 тис.11 років тому
日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行の第9弾。 旅も私の本拠地東京に到達しました。今回の旅は、1977年に私が初めて町歩きをした原点の旅「東京めぐり」の当時のコースをトレースしながら、今の町の中に35年前を観察しながら歩きます。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第20~21日
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日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行は、後半戦の第8弾。 第20日は、長野県上諏訪から始まり信州伊那地方の南部(阿智)を旅します。ところが、猛暑のためマイカーの万訪号がオーバーヒート寸前でこれ以上走らせられなくなり、急きょレンタカーにスイッチ。わが集落探訪の原点でもある「天界の村」旧上村下栗を訪れます。やはり日本一の天界の村だ。 第21日は、長野県飯田市の伊那八幡、阿南町新野、愛知県豊根村下黒川、静岡県佐久間町中部・佐久間、ずっと東へ移動し富士山麓へ。山梨県本栖、鳴沢を歩いた後、道志道→甲州街道大垂水峠→中央道→首都高と乗り継いで東京新宿まで走ります。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第17~19日
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日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行の第7弾。 第17日は、北陸道の起点米原JTから石川県方面へ移動し、大聖寺の町を歩きます。そして、炭焼きで栄えた農村東谷、独特の多層養蚕農家が見られる白山麓白峰を散策。白山スーパー林道で岐阜県へ越え世界遺産白川郷を俯瞰します。第18日は高山から野麦峠越えを計画しましたが、豪雨のため断念。安房トンネルで長野県に入り、乗鞍岳の麓奈川村、後立山連邦への登山基地大町を訪れます。松本では白壁の宿に泊まり、北信濃の集落町並みを巡った後、諏訪湖まで南下し上諏訪で終えました。北陸から信州にかけての山岳ルートの旅です。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第15~16日
Переглядів 53812 років тому
日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行の第6弾。 第15日、徳島から紀伊水道を横切るかたちで和歌山へ渡ります。紀伊半島の西側御坊、湯浅を歩いて、そこから山岳都市高野山へ向けて山を上ります。 第16日、奈良県に入り吉野の下市、上市を歩いた後、一気に西へ移動し奈良国境にある竹内街道太子集落(大阪府)を取材、再び奈良県にもどって奈良盆地の環濠集落伊豆七条を訪ねます。そして、滋賀県へと移り旧東海道の宿場町だった水口へ。最後は第7弾の北陸へ備えて米原駅で終わります。 2日で5つの県をまたぐ忙しい旅でしたが、第15日は本当によく雨に降られました。苦労しての撮影です。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第11~14日
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日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行の第5弾。高松港(香川県)から瀬戸内海の男木島、小豆島を歩き、いったん本州の岡山へ。中国山地東部にあたる岡山県美作地方から兵庫県但馬地方にかけて巡った後、京都府の日本海側の集落町並みを経て、再び瀬戸内に戻ります。明石大橋を渡って淡路島の集落を歩いた後、大鳴門橋を渡って四国徳島へ。徳島平野の藍住の藍屋敷の集落を回って徳島市で終えます。1府4県を意外なルートで山里から海里まで。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第5~8日
Переглядів 1,3 тис.12 років тому
日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行の第3弾。 福岡空港から出発し、佐賀県北部の集落町並みを歩いて西へ。長崎県平戸から的山大島へ渡り島の2集落を歩きます。戻って、長崎県大村の武家屋敷町から一気に東へ九州を横断移動。日田の白壁の町並みを見た後、阿蘇九重山麓を経て大分市戸吹へ。門司に出て九州は完結しました。 本州は下関から始まります。山口県では、萩往還の内陸部の町並み、日本海岸の漁村、そして湯治場俵山温泉のレトロな街を歩いて、新山口駅を経て広島駅で終了です。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第3~4日
Переглядів 63412 років тому
日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行の第2弾。 鹿児島県屋久島を一周、その後大隅半島に渡り志布志、桜島の集落を歩いて、開通したばかりの九州新幹線で博多までを旅します。 雨の多い屋久島の集落は、地場で採れる石材による石垣石塀と森林資源を背景にした板壁の民家、志布志は港町として栄えた町並み、桜島は火山灰と戦う集落の姿が見られます。
にっぽん集落町並み縦走紀行 第1~2日
Переглядів 1,8 тис.12 років тому
日本列島最南端から最北端を目指す集落町並み紀行の第1弾。 沖縄県の波照間島、石垣島川平、与那国島の集落を歩きます。 赤瓦とサンゴ礁の石垣や石塀、蒼い海、最南端、最北端、などなど
海界の村を歩く3 礼文・利尻・焼尻・天売 ~集落町並みWalker~
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海界の村を歩く3 礼文・利尻・焼尻・天売 ~集落町並みWalker~
LAST遊里を歩く BEGIN海界の村を歩く IN 沖縄 ~集落町並みWalker~
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LAST遊里を歩く BEGIN海界の村を歩く IN 沖縄 ~集落町並みWalker~
貴重な映像ですね。残っているんですね。。ありがとう🥺
私は24年生まれでしたッ中三の夏新日鉄名古屋に転勤 小佐野中学校は母校です。小川四部落でした❤❤❤
こんにちは、貴重な動画をウpしてくださいましてありがとうございました。住人も知らない(集落が違うと特に)場所が有るので説明の欄にこの集落の旧道を入った所とか詳しい説明を付けて下さると言って見やすくなりますがお願いは出来ませんか?
丸屋履き物店に、大阪から行く予定です。
北一食堂も無くなった。日本橋食堂も無くなった。パチンコ屋も無くなった。志乃やMAXはまだあるのかな? 初めて東京に来て住んだ思い出の北品川です。
鬼束ちひろの曲と合わせてやたら胸にクる動画ですね
10年前の映像‼️ 若いですねぇ。 このころ九州の高速網は、どうでしたか? 東京からジープで、ずっと高速‼️ 今でも息切れしない体力‼️ 映像に写ってる方々、年配ですね。 今はどうなってるんだろ?
中国の領事館を置くなど絶対反対です、!!
誰ですか そんなこと言うのは?許せんです!(住人も知らなかったです)
小佐野駅か懐かしいなあ
かなり昔、ゼームス坂にある女子寮に住んでいました。 駅前に阪急百貨店があった時代です。 当時、駅を出てすぐ左手にあったラーメン屋さんで時々醤油ラーメンと餃子を夕食に頂くのが楽しみでした。 記憶が曖昧ですがゼームス坂の 一本隣に商店街があり、そこの古本屋さんにかなり立ち寄ったと思います。 寮でしっかり夕食は頂けましたが、ご飯のお供で当時はまっていた白菜のキムチ漬を小さいお店で何度も買いました。 歳を取ると意味はないかもしれませんが若い頃の記憶がよみがえります。 動画をありがとうございます。
BGMは誰の歌ですか? とてもいいです。
地元民ですが、震災で街並みがほぼ全て変わってしまったので貴重な映像です。 自分の住んでいる場所の近くも映っていて懐かしい気分になりました!
懐かしいです🤗 私は小佐野社宅で昭和25年に生まれました。 小佐野小、中学校へて鵜住居中学校転向。 父は昔の釜石富士製鐵から大橋鉱山まで往復の(機関士)この線路が仕事場でした。 又、戦時中はビルマのインパール作戦で機関士として物資、人を汽車で運ぶ仕事をしていたので生きて帰れたらしいです。
昔北品川に住んでたんですごく懐かしいです。うp主さんありがとうございます
いつか行ってみたい
こんにちは、海の有れないときに天気予報を見て是非いらしてください。
そう感じます
感動しました。わたくしも各地の山村集落を見て回りましたが、バックの曲がより一層心を高揚させてくれます。 よろしければどなたの曲か教えていただけないでしょうか。
桜坂、神里原界隈、金武新開地等、かつて栄えた飲み屋街でしたね。「夏草や 強者どもが 夢の跡」という俳句を思い出します。ところで、コザ・パラライス通りというのは、諸見百軒通り当たりだったのかな?
我が家の目の前を通ってくれてありがとうございます😊 湘南ナンバーのサンバー懐かしい!笑
nomnomさんの映像とバックミュージックのコンビネーションに毎回感動させられます。歳をとったてことかな?
素晴らしい動画です。私も何度も紀伊山地に足を運びました。ところでこの動画のバックに流れている曲はどなたの曲ですか?涙が出てきました。お教え下さい
素晴らしい記録ですね、どうもありがとうございました。私も秋葉街道をドライブして以来、天空の集落が気になってしかたがないタチです。
阿蘇杖立温泉の階段道は伊香保温泉の急坂階段道を思い出すなあ。 いままで歩いたことがない旅館の並びでした。 いつか撮影に出かけたい。
ここが東京都だとは信じられん。
下栗の里の何倍もの点在集落があるのですね。 紀州を聖地に選んだ弘法大師の意図するところが感じられます。
本州の新潟市では都会と変わらない殺風景さですが、海を渡るとこんなにも美しい集落があるのですね。