Artystka tą piosenką odsłoniła swoje najskrytsze wnętrze. Jakiś czas temu odkryłem ten kawałek. Cudo😍 Chyba to moja najlepsza piosenka! Jest ona smutna, ale przebija z niej lekka nuta nadziei. Słuchając jej łatwiej mi jest poukładać sobie w głowie rzeczy, które wymagają poukładania 😉
Sometimes Like a Motherless Child , (TOKINIHA HAHA NO NAIKO NO YOUNI) Singer: Carmen Maki First released album "Carmen Maki's Midnight Poems: Till the Candles Go Out" (1969) Released February 21, 1969, Label: CBS Sony Japan Lyrics: Shuji Terayama Composed by Michi Tanaka Produced by Shuji Terayama (English translation of the rough meaning of the Japanese lyrics) Sometimes, like a motherless child I want to gaze at the sea alone Sometimes, like a motherless child I want to go on a journey alone But my feelings change quickly. If I really am a motherless child. I would never be able to speak of love to anyone. Sometimes, like a motherless child. I'd like to write long letters. Sometimes, like a motherless child I want to scream out loud and alone But my feelings change so quickly If I really were a motherless child I'd never be able to speak of my love to anyone. /Carmen Maki (Maki Annette Lovelace)/ Maki was born in Kanagawa Japan in 1951. Her father is American and her mother is Japanese. In 1969, age 18, she made her debut as a solo singer in Japan with "Sometimes Like a Child Without a Mother" (lyrics: Shuji Terayama, music: Michiru Tanaka). It suddenly became a million hits, and she participated in NHK's KOHAKU song fes at the end of the year,and she became famous singer in Japan. But next year in 1970, she declared turn to Rock Singer, and next in 1971 she released an album "Carmen Maki / Blues Creation" with "the Blues Creation" led by guitarist Kazuo Takeda. The collaboration ended with the release of only one album. On this album, she made it clear that she was a Rock Singer, not a folk singer. In 1972, she met guitarist Hirofumi Kasuga who was 18 years old at the time and formed "Carmen Maki & OZ". Three years later, they released their first album in 1975, their second "Closed Town" in 1976, "Carmen Maki & OZ III" in 1977, disbanded in October 1977, and released their live show as "Carmen Maki & OZ LAST LIVE" in 1978. The OZ’s first album attracted attention due to Maki's name recognition, singing ability and charisma, and became an unusual million hit for a Japanese rock album of that time.
Yeah the only english comment you’re searching for .
父のない子だった寺山修司が、母のない子が さみしそうにしているのに、憧れる。 だけど心はすぐ変わる。だれにも愛を話せない。
なぜか、暗い曲とカルメン・マキの悲しげな表情がとても好きでした。寺山修司さんの詩は心に染みます。なぜこんな歌が好きなのかな?
本来自分の意思で生まれて来たのではないのだから、ある程度までは生きる必要がある。 悩んだり、考えることは必要だけど死ぬためにするほど価値が有るものではない。 そんなことしたら、皆んな大人になれなくなる。 寧ろ日記のような理想は、突き詰めば死ぬしか到達できることはない。 背泳ぎのように水に任せることと信じることが、生きることなんだから。 娘を持つ父親として笑ってバカにする様なことだけど、案外実際には出来ないかも知れない。 両義的だけど。
意外と小柄(145㎝)な人だったんだな。
全然良いとは思えなかった。やたらと美化されてたけど当時は大学行きたくても行けずに夜間行った人だってたくさんいた。 何で美化されてたのかわからない。
シアンクレールでお茶を飲みながら、生きていてほしかったなと祈ったことを忘れません。
男に振られたのがトリガーだっただけ。太宰治と同じ、どんだけ若者に 悪いトラウマを植え付けたことか!
しょうもない!
僕は「ハタチノゲンテン」と呼んでいたけど僕だけ?
国立国会図書館の蔵書検索は「はたちのげんてん」なので、当時は「はたち」の方が多かったのでしょう。
めちゃくちゃ俗世間の枠内でしか考えられない、他者の身になって想像してみることがない、内省することがなさそうなコメントだらけですね
アイデンティティーがなかなか見つからない時代だった 今の若者はひじょうに実利的である 当時はもっと哲学的に生きていた
30年以上前、何度も読み返した。けど、今はもう内容をほとんど忘れてしまった。幸せに生きているということなのか。
私は昭和39年生まれなので、悦子さんは私が5歳の頃に亡くなっているんですね。 そんな事は全く知らず、12歳頃から死に憧れ、偶然二十歳の原点を読みますます憧れ、小学校卒業までに逝こうと考えていました。 何回も何回も読んだ為、 死を美化し引き込まれそうになったのかも。 考え直して楽しい青春時代を送り、還暦過ぎてまだ生きています。 あの小説はもう捨てました。 憧れも捨てたから、今子供も孫もいるんだと思います。
一つ言えることは、自殺の原因なんて他人がいくら推察しても分からないということです。少なくとも、分かった気になるのは愚かです。
彼女の自死を美化している人より彼女の日記から滲み出る純朴さ、虚無感、誠実さへに慈しみに近い共感を覚える人達の方が圧倒的に多いと思う。だから令和の今でも読み継がれている。ラストの彼女の恐怖に怯えた顔を見ればあの映画が自死を否定し悲しんでいるのは明らかだと私は思う。
😢 私は、今56歳。二十歳になり、今の街に来て就職する前に読みました。映画があることは知ってましたけど、今こうして見ることが出来て良かった。 私も未熟。
事故が起きた昭和44年6月 私も京都に下宿する大学生でした。その当時を知る同世代として、なぜそこまで考えこんでしまったのか、残念でなりません。高野さんは立命館、私は同志社、京都御所をはさんで、すれ違ったことがあったかもしれなかったのに。
なんちゅう救いのないエンディングや 「太陽を盗んだ男」もこんな感じだったな 今だと規制されて描けない表現だけど そんな今がいいのかというと疑問だな 今は先回りされてる閉塞感が凄い
駅員さんがかわいそう 家族はちゃんと賠償したか?
運転手は一生悔む、列車が止まり人生が変わってしまった人もいたかもしれない
ただの犯罪者 大迷惑 鉄道を止めるな!
一部分しか見ちゃいないけど、自殺しようと思うぐらい悩んでいる人がこれを見て、どう受け取るのかが気になります。もう一度立ち直って頑張って生きようと思うでしょうか?
そんな配慮をしなくていい 何でそんなに配慮を求めるんだ? 世の中を息苦しくしている自覚はあるか?
意味がよくからない。どう受け止めようと個人の自由ではあるが、肯定するという考え方には賛同しかねる。
@@孝昭城戸 表現の自由を侵害するな!
@@ubega 影響を受けて死にたいという気持ちを助長させてしまったら、責任がとれるのか?
@@孝昭城戸 誰も責任を取らなくていい 死にたい人には死なせてやればいい 影響を受けるのは元から死にたい奴だけ そして人間は必ず死ぬ
1960年代、多くの若者がマルクスレーニン主義に騙されて共産主義を信奉したが、それは間違いだった。ソ連、中国、北朝鮮の惨状は目に余る。この映画に出て来るアホ学生の言う通りにならなかった日本人は素晴らしいね(笑)
最後びびってて草
なんなん このドラマ?映画? 意味わからんわ
この頃の若いのは無知は当たり前の気持ち悪い馬●が多ったて知ってるわフガフガ田原とかな とんでもなく日本人に迷惑な奴らばっかだったのもな コイツらマジの黒歴史過ぎて草 現役世代には年金問題も有るんでコイツらゲバ棒クソヤロー優先して早よ迎えに来てとっととこのゴミども連れてけつーの
この頃の若いのは無知は当たり前の気持ち悪い馬●が多ったて知ってるわフガフガ田原とかな とんでもなく日本人に迷惑な奴らばっかだったのもな コイツらマジの黒歴史過ぎて草 現役世代には年金問題も有るんでコイツらゲバ棒クソヤロー優先して早よ迎えに来てとっととこのゴミども連れてけつーの
あと半年で二十歳になる頃に観ました。本も読みましただ映画の最後の表情だけが納得できないまま先日70歳になりました。ここ20年ではパラパラとしか読んでませんでしたが、ただ延長雇用も終えたので今度ゆっくり読み返してみます。私にとっても二十歳の原点ですから。
どうしてDVDもビデオもでてないのにアップロードできるのですか?
親御さん達は、これを見てどんな思いだっただろうか…
こんな中二病の迷惑者の家族に配慮する必要なし
10才頃聞いた歌。 悲しい歌で好きでは無かった。でも カルメン・マキ&OZ の変わり様にビックリでした。
昭和23年生まれ 団塊世代です 昭和43年田舎から上京 東亰の私大に入学 大学紛争、盛ん為りし頃 47年に卒業しました ❤カルメン・マキさん代表曲: ❤*時には母のないこのように*を 視聴していると 想わず胸が 刹那く 儚く 哀しく為ります!!! 何故か 遥か遠い昔束の間の内に 通り過ぎてしまった ❤学生時代 (55年前頃) 三畳一間の小さな下宿 (家賃4500円) 一人ぼっちで スタートした頃の 東亰生活や 想い出など 浮かんできます!!!。
まさか立命館からアホの極みのあいつが出るとはw ww
Emotional
これ私十六の時でした、この歌聞く何故、凄く淋しくなってね、怖かった
毎日新聞の論説委員がこの当時の学生運動と関連付けて、紙上でこの曲を批判していました。 この曲の素晴らしさがわからない人はどうしようもない人だ。今、日本がめちゃめちゃになっても何もできない新聞記者のひとりだ。新聞も衰退してるが、なにもできない。そのような人が浅薄な批判をする。
良い歌を聞いてから頭書き
場所は丸太町天神通りGEO円町店から南に入った所ですね 高架化されて当時の面影はありません
Artystka tą piosenką odsłoniła swoje najskrytsze wnętrze. Jakiś czas temu odkryłem ten kawałek. Cudo😍 Chyba to moja najlepsza piosenka! Jest ona smutna, ale przebija z niej lekka nuta nadziei. Słuchając jej łatwiej mi jest poukładać sobie w głowie rzeczy, które wymagają poukładania 😉
平成元年夏頃,母校立命館大学の以学館でこの映画を見ました。18歳です。 それ以来二十歳の原点ファンです。
えっちゃん‼️生きて欲しかった。😢50年経つけど哀しみは変わりません😢
まさか自分の日記が本となり映画となり何年も世の中の人に受け継がれるとは思って書いてはいなかったであろう。
自殺を美化してはいけない。 ツラくて死んでしまいたい人も心に秘めながら泣きながら生きてます。自殺しないからって幸せ、悩んでないとは限らないですもん。
発作的です。
何となく暗いイメージがある歌手&歌ですが、詞をよくよく読めば、胸に熱いものがグッときます。素敵で素晴らしい歌手でした。勿論、歌も。❤️🎵👍
ほんとに母のない子ではなく母のない子のように…という寺山先生らしい芝居っ気だけどとっても素直に美しい声で歌うからほんとに母のない子の悲しさ寂しさが伝わる不思議な名曲だなぁって思います。
Sometimes Like a Motherless Child , (TOKINIHA HAHA NO NAIKO NO YOUNI) Singer: Carmen Maki First released album "Carmen Maki's Midnight Poems: Till the Candles Go Out" (1969) Released February 21, 1969, Label: CBS Sony Japan Lyrics: Shuji Terayama Composed by Michi Tanaka Produced by Shuji Terayama (English translation of the rough meaning of the Japanese lyrics) Sometimes, like a motherless child I want to gaze at the sea alone Sometimes, like a motherless child I want to go on a journey alone But my feelings change quickly. If I really am a motherless child. I would never be able to speak of love to anyone. Sometimes, like a motherless child. I'd like to write long letters. Sometimes, like a motherless child I want to scream out loud and alone But my feelings change so quickly If I really were a motherless child I'd never be able to speak of my love to anyone. /Carmen Maki (Maki Annette Lovelace)/ Maki was born in Kanagawa Japan in 1951. Her father is American and her mother is Japanese. In 1969, age 18, she made her debut as a solo singer in Japan with "Sometimes Like a Child Without a Mother" (lyrics: Shuji Terayama, music: Michiru Tanaka). It suddenly became a million hits, and she participated in NHK's KOHAKU song fes at the end of the year,and she became famous singer in Japan. But next year in 1970, she declared turn to Rock Singer, and next in 1971 she released an album "Carmen Maki / Blues Creation" with "the Blues Creation" led by guitarist Kazuo Takeda. The collaboration ended with the release of only one album. On this album, she made it clear that she was a Rock Singer, not a folk singer. In 1972, she met guitarist Hirofumi Kasuga who was 18 years old at the time and formed "Carmen Maki & OZ". Three years later, they released their first album in 1975, their second "Closed Town" in 1976, "Carmen Maki & OZ III" in 1977, disbanded in October 1977, and released their live show as "Carmen Maki & OZ LAST LIVE" in 1978. The OZ’s first album attracted attention due to Maki's name recognition, singing ability and charisma, and became an unusual million hit for a Japanese rock album of that time.
喉が日本人と違う気がする
タバコ🚬を吸いすぎたんじゃないだろうか?幻覚、妄想、幻聴も有ったかも知れない。何となく進路を決めて何となくフィーリングに突き動かされて生き、何となく死の淵に立ち、救われぬまま、儚い命を終えてしまった悲しい人。冥福を祈ってあげたい美しい女性。
この光は確かに遥か彼方に行ける様に錯覚してしまう
立命の2辰に憧れて入学したというのに。 繊細な魂には、環境が最悪の時代だったのですね。 瞑目。
母の無い子になったなら誰にも愛を話せないのはウソだよ!友達とか職場の人に相談したり出来るよ!と当時の人達は言っていた。寮生だと仲間がいる!賛否両論あった歌です!
ギターを弾いてるのは森山良子と佐良直美じゃないかな。