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仏教の心を語る10 山色清浄心 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 1 開かれたこころ 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 8 今を生きる 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 9 苦を抜き楽を与える 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 7 我深く汝等を敬う 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 5 毒矢のたとえ 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 6 飛ぶ鳥に跡なし 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 4 三つのおごり 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 3 汝自身を知れ 中村元 奈良康明
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仏教の心を語る 2 中道を歩む 中村元 奈良康明
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КОМЕНТАРІ

  • @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun
    @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun 13 днів тому

    南無三宝🙏🪷

  • @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun
    @HiroyukiIto-Singonsyu-Hakuun Місяць тому

    南無釈迦牟尼仏🙏🪷 🔥🐉

  • @user-zx1sm8bg3c
    @user-zx1sm8bg3c 2 місяці тому

    なんてお美しい日本語を話されることでしょう。

  • @talklucky8410
    @talklucky8410 4 місяці тому

    ありがとうございます、人生の指針になります。

  • @user-kk3ep9nq3j
    @user-kk3ep9nq3j 5 місяців тому

    CMの音大きいですね、いい話の途中で、、残念!

    • @user-kk3ep9nq3j
      @user-kk3ep9nq3j 3 місяці тому

      イヤホンしてると辛いです😂

  • @スメラ皇
    @スメラ皇 5 місяців тому

    心を耕し続ける。 反省しない善は、善がいつの間にか悪に乗っ取られる。

  • @スメラ皇
    @スメラ皇 5 місяців тому

    マスクと洗脳と信仰  僧侶が、マスクをしているのは、小さな虫が入ってきて、おもわず噛んで殺してしまうのを防ぐため。 (実践的ベースの意識=実存的) (現在の社会枠では非常識) 現代人は、普遍的認知では、ウイルスとか花粉症とか風邪とかを防ぐためにしようしている。 (概念的ベースの意識=非実存的) (現在の社会枠では常識) つまり、マスクをしている心の深層心理に、何かの信仰という深い意味があるということも考慮することも必要であるが、我々は、浮世に馴染み、浮世に依存し、浮世の驕慢に知らず知らずに現実的には洗脳されているのに、立派な論理で洗脳に対して拒絶反応を示している。 「わたしは洗脳されていない」と認めないことが既に洗脳されていることに気づくか気づかないかが、深いところでの気づきということで、悟りの一部でしょう。また、常識とか非常識に囚われる心の根には、倫理に囚われるからである。 人間としての正しさに囚われれば人は驕る。 実践的に身につけているならば、それは習慣である。 日本は無宗教と卑下されるが、もうすでに頭ではなく生活として身体で覚えている。 欧米化によってネガティブなもので洗脳されている。 とはいっても、いちいち意識する以前に、五感で当たり前すぎて、空気のようなものになっている。 つまり、宗教を超越したところにある宗教が身体で覚えている。意識よりも深い無意識の領域だろう。 しかしながら、例えると、身体で覚えているけど、自転車にずっと乗ってなければ、感覚を取り戻すのにちょっと時間は必要である。それよりも、もっと大切なのが、先ずは自転車に乗るという前向きな意志を呼び起こさないと何も始まらない。

  • @スメラ皇
    @スメラ皇 5 місяців тому

    1988年かぁ~ この時代って何か酷い不良事件があったみたいだな。 私は小学生だったけど、 いつも周りに沢山大人はいるんだけど、 何か常に心の中は苦だったと思う。 そのお陰で、メンタルは、鍛えられたと思う。

  • @スメラ皇
    @スメラ皇 5 місяців тому

    #イデオロギーそのものに驕る #情報そのものに驕る #健康に驕る #正しさに驕る #善悪に驕る

  • @スメラ皇
    @スメラ皇 5 місяців тому

    小さい我=私(わたし) 大きい我=公(おおやけ) 閉ざされたちっぽけな我に囚われれば囚われるほど、心も身も酸欠になってきて呼吸が乱れてインブリード空間(血が濃すぎる)を創り出し、大抵の出口は厳しくて激しいものになる。己にとって近いものほど血が騒ぎ出すみたいなイメージだな。(己とイデオロギーによる人、事、金) 逆に、大きな我になればなるほど、心も身も十分に酸素を取り入れて呼吸が安定してアウトブリード空間(血が薄くなる)を創り出し、大抵の出口は緩くて穏やかなものになる。己にとって遠いものほど血は鎮まるみたいなイメージだな。(己と自然の一部による人、事、金) 愛は実践的に与えるものであり、愛を唱えても、実践的な愛は芽生えない。 つまり、それは稔りあるものではなく形骸的なものである。 つまり抜け殻の愛にエネルギーはない。洗脳されることはあっても身命には響かない。 今の情報化社会全体に言えるよね。 このことはZ世代以降は気づいているんじゃないかな。

  • @スメラ皇
    @スメラ皇 5 місяців тому

    中道の概念に囚われるのではなく、実践の中道を歩むこと 右にも左にも中にも囚われない。 理屈で言えば、極端な左右になってしまったものは、その反転の左右の傾きによって正すが、 極端に傾いたものに、中という概念の正しさを極めても、傾いたものは傾いたままである。 しかし、理屈どおりにならないのは、全てが常に動いているから、秩序化(固定化)されて、その瞬間は安定であり固定だけど、固定だからこそ、いつの間にか気づかぬうちに、どこかにテンションの負荷がかかっていることを無視して、固定に囚われるから、余計に具合が悪い形になる。 それはズバリ、ルールそのものだけど、時代と友に、やはり、花鳥風月から見るものも聞くものも食べるものも嗅ぐものも触るものも変わっていき、更に、その五感と連動している物質は、個体は気体の方向性の自然摂理を変えることはできないわけであり、逆説的に言えば、それは全く変化していないということにはならないわけであり、端的に人間の死生観の世界から考えれば、物質そのものはいつかは消える。まあ、お日様に照らされて、氷が溶けて水になって、それはやがて水蒸気になるみたいな話だな。人間も水分が主(あるじ)で成り立っているようなものだからな。 ルール自体が時代と友に煮詰まってきちゃうと、ぐるりと一周してしまって、ルールがルールに相殺されて、それはあってもなくても意味を成していないことになってしまっていることが多いような気もする。つまり、その形式的意義自体が消滅するようなものだよね。まあ、それは今の組織的な、ありとあらゆる群れた業界全体にいえるかもしれないな。