喋りと目がビートたけしみたいですね。
ピカソは抽象画は描いてません。 そして彼は太陽の塔の一発屋で3流画家です。 視野も狭いです。
スマホを捨て、街に出よう!!!!
ピカソは抽象画は描いてないですよ。全て何かを表した具象絵画です。
若い頃、太郎氏著書の自分の中に毒を持ての影響を受けて周りから嫌われながらもはっきりと意見を言って生きて来ましたが、全く後悔はしておりません。
岡本太郎さんって、本当に凄い人だと思う。 辛い経験を乗り越え、今の僕たちにメッセージを伝えている。 岡本太郎さんのような心強い人間になりたい。
至極真っ当な中に岡本節があって闘いこそが調和を生み出す ぶっ壊す事 爆発する事が芸術だ!と嘆きの先に到達している…今でもそっくり通用する事が述べられていますね。
誰かも同じ事を言っていたが 岡本太郎さん 水木しげるさん それと ビートたけしと言えばいいか 北野武さん 似たところがあると感じる どこってもう顔からして似ていて 共通点もあると思っていて 最初に思うのは なにか上品なものがブッ壊れて 汚れてもニヤついて それに魅力を感じてそう みたいな 乱暴さもまた平気 みたいな しかし そんな雰囲気っていう気がするってだけで 作品は見惚れてしまうほどに美しかったり それは水木しげるさんの絵にも感じたから 泣けるほど美しい絵があったりしたから
8:26 憎まれていい。嫌われてもいい。 相手に不満がられるそれならそれでいい。
🎉いや~、実に素晴らしいビデオを遺して下さって、感謝です!!🥹岡本太郎さん、大好きです!😄常に、常識や権力に挑戦し続けた太郎さんの精神を見習いたいと存じます!!😂🎉🎉🎉
is there a HQ of this video yo?
2025年の大阪万博、現状を太郎が見たら何を思うだろうか
個性を尊重し合うのが調和した社会。
あの人に会いたい 好きな番組です。 公式でコメントできないのが残念でならない。
三十年以上前、高校生だった私の現代国語の先生が、しきりに岡本太郎は天才だと力説していた。(当時は例の「芸術は爆発だ」CMで変なおじさんのイメージが一般人には強かった。) 今考えると、エヴァの使徒、デザイン影響受けてる?。
真の天才は言うこと成すこと全てが違いますね。
この投稿をしてくれたことに感謝してます。
岡本太郎みたいに生きたかった……
生きれるよ。 まだ間に合う
調和とはぶつかり合うこと。 まわりの空気を読むとは正反対だな。
「岡本太郎」ファンの一人です。名前を存じ上げてただけで「太郎コンセプトの神髄」を知ったのは初めてです。今回初めてお聞きした肉声を通して「芸術は爆発だ」はさて於いて「ぶっつかり合いが調和である」に感動しました。「岡本さんの目」がイイですね「画家の目」ってよく言われますが「画家の目」が美の「永遠」を産んでいくんですね。すばらしい目だと思いました。石器時代の壁画とまで言わなくても「ダヴィンチ」「フェルメール」「ルーベンス」「モネ」「ピカソ」達皆さんの「目」も永遠に残りました。音楽の場合「ベートーヴェン」力説の「音はあらゆる啓示にまさる」も、よくぞ残れる「金言」って思いたいですが「音」は空気中に消えてなくなってしまうんですよね(爆笑)でも「譜面が残されてる」なんですが「あれッて黒い玉ですよね(爆笑)」でも是非に及ばずで僕的には「ベート-ヴェン」を支持したいんですよ、いやホント!「でも絵は消えてなくならない(クロマニョン)嗚呼!」(もうじき91歳)
かっこいいわ むしろかっこいいわ
岡本太郎の考え方や価値観が今でもこれからも色褪せない気がする。素晴らしい、僕も岡本太郎を乗り越えたい。
「正反対のものがぶつかり合うことで両方が開く」って止揚(アウフヘーベン)に近いのかな
万博に10歳の時行きました以来一番好きな芸術家です。
気取る感じもないけど自分への自信みたいなパワーを感じます。 言葉もすごく平易なのにそれでいてすごく魅力を感じる。
哲学者にもなれたくらい。 素晴らしい。太郎先生は。
岡本太郎を見た時に今までの人生で湧き上がった事のないような不思議な感情が生まれました。これが爆発なのですね
行動に信念を持てない者が信念のある絵を描けるはずがない て岡本太郎は言いたかったんじゃないかな
なんだこれは!?
『人間は機械の奴隷』既に未来を予言されておられたんですよね。一言一言が胸に刺さります。
人間は機械の奴隷になっている。 ホント、おっしゃる通りです。 会社の求人で用意した製造なんて、ほとんど機会が主役でやってるし 人間はそれをポチっと操作するだけ。 世の中こんなのを製造職人とか製造業務とか言ってしまってる時点で 人間の進歩は進むどころか衰えていると思う。 それをやること自体は悪くはないだろうけど製造業という職種やタグをつけるのはやめてほしい。 紛らわしいし、機械オペレーターのとしてやるのはいいけど… まあ、人間らしさを捨てて、お金のために生きようとした結果がこれなんでしょうね。 便利は良いことばかりではない。 ネットでそれを語ってる人は既に多いかもしれませんが…
本当に先生らしいですね。太陽の塔は高速に乗るとチラッと見れます。初めて高速(チラッと)で見た時は。心がはしゃぎましたよ。先生の絵はいつもワクワクをくれます。今のままではダメだと言われている時があります。いつもありがとう先生❣️
枠の外から中にいる人間を震わすような人だ。 中にいる人は、自分の惨めさ(枠内という意味での)に直面させられるのかもしれない。だから、何とかして彼を落として向き合わないようにする。向き合わねばならない。閉塞感の枠内に答えを探す自分と、ぶち破るその先と。ぶち破ったその先に、真に安定する自分の自己そのものが自由に存在しているのだろう。
こんな格好いい人物、二度と現れない気がする。
あの人に会いたい。 まさにそのとおりだ
いいこと言うなあ
いい歳して、昨日、はじめて先生の書籍を読ませて頂きました。言葉では表現できません。胸をえぐられる様な衝撃というか、感激というか、涙が出ました。この動画のお話している姿を拝見していても何故か涙が出ます。また動画観させて頂きます
今でも横断歩道で信号を待っていたら知らないおじさんが岡本太郎さんのジェスチャーして覗き込む事がある。
ありがとうございました。観れてよかった。
ロックの精神が宿っている
この人が危惧していた問題が今日も解決されていませんね
うるさ
もっと遠慮なく、人とぶつかり合ってみます!生きるための第1歩として!
もう少し顔に笑を湛えてもよくねえかな
九十何パーセントもの人が是非残して欲しいというので 今でも 立っている 手だけあげて 孤独に 永久的に立たされている きっと次に太陽の塔をこの目で見る時は、岡本太郎のこの言葉を思い出すと思う
40〜50代の人は岡村太郎好きな人多いなぁ。。私もなぜか太陽の塔のふちこさんもってるや。
A true genius. RIP.
人の感情ってのはなにか人間が見ている物の 一側面でしかないと思うんだ それを見方を変えれば色んな感情や情景が浮かんでくる いいとか悪いという次元を超えた人間と物事が相対した時の化学反応だと思う 俺たちは人間に生んでくださいと神様に契約書を描いて生まれたわけでもなければ、何をどのように感じるかという内面も選べない、そして時代国家庭などその環境も選べない だから俺らがこの世界で生きて何かを感じて、何者になれなかったからといってそれは俺たちの責任じゃないと思うんだ 俺たちはただ自分の何かを見つめて いつ何が感覚としておりてきてくれるのか それがいいものか悪いものか、かっこいいものか悪いものかすら選べない でもそれはきっと俺たちが現実で生きざる負えない世界の中で抱く個性の必然だと思うんだ だからそれはきっと俺たちそれぞれにとってふさわしい、フィットしたものだと思う そしてそれを待つためにはただ己から目を離さない事だけが条件だと思う なにも髪の毛逆立ててアクセルふかして、うおおおとか気合出してやることではなくて その自分に見えるものの細部を正確に見ようとすることなのかな でも人間は現実の世界で生きざる負えないから、簡単に見えるものを放棄して、見たいものを見ようとする だから自分の存在を証明して他者に戦いを挑んで力を誇示したり、魅力的にふるまって賛同を求める しかしその先には何の証明もない、人間本来の個性もない 虹という存在があって七色あるわけだが、緑と黄いろが明確に分けられないのと同じように 俺らが簡単に使っている喜怒哀楽ってやつは本当に嬉しい とか苦しいとかが存在しているのかと思うんだ 例えば幸せで辛いこともあるし、不幸で嬉しいこともある 甘酸っぱいという言葉はほろ苦いという言葉と同義だが甘いと苦いだけで見たらそれはそう反してる 俺らがこの世で感じる事は本当は俺らが感じたものではなくて、人間が使ってる言葉の限界なんじゃないかと思う 世間で言葉が言葉足る為に具体性を持たなきゃいけないから、そういう物がまるで独立して存在しているかのように使い続けてきた伝統でもっとも共感を集めたものが常識になり その常識の言葉は時代によって変わりうる 僕らは本当に感じる事があるのに常識という奴にそれを明け渡してしまっているのではないかと思うんだ 人間はそういう物の見えない暗い中でただもがいて真実を求めている 人間は生まれて300万年間 現在は70億人 みんな自由という理想を夢見ているがきっと誰一人として手にしたことはない 自由は現在には存在しえないからだ でもみんな見ている 暴力を振るわれて人が涙を流すのは屈した訳でも弱かったからでもない 現実という存在で生きざる負えない人間が自分で選べなかった個性をもち、そして現実に飲み込まれたときに何も見えないのに真実を見ようとする心があったからだと思う それが人によっては怒りであったり悲しみであったりするが、みんなこれじゃないって分かってるんだ本当は 本当にその心が無かったら単純にいてっ!と思って終わると思う これは叫びだと思う俺はここにいるのに、なぜこの現実に本当の俺の時間が存在しないんだって叫びだと思う それは嬉しい悲しいとかを超えた人間がただ持っている魂なのかな だから岡本太郎は現実と俺ら人類が手に入れることのない理想や自由という抽象に引き裂かれたところに人間があるといったのかなと思うんだ 人間の必然ってそういう真実を求める目にあると思うんだ ただ見続けている 見続けているから苦しいのに、人間であるからずっと見ることをやめられない そして何も手元になくて、苦しんでいて、なのにずっと人間は理想を見続けている これほどの強さが人間に眠っていたなんてって思った時にその姿に僕は人間として誇りを感じる 僕は人間ほど誇り高い生き物はいないと思う そして太陽の塔は現実に引き裂かれながらも、現実に己を明け渡さずまっすぐ手にすることのない理想を見つづける一人の男が建てた旗だ 星条旗の歌にこんなのがある 独立戦争中に砦に砲弾が雨のように降り注いで止んだ後、霧が晴れてその砦の上に星条旗が無傷でたっていた それを見た男が感動した そしてこんな歌詞ができた ああ、俺たちの旗は今もはためいているだろうか、勇気ある者の大地に 太陽の塔が勇気ある者の大地にはためいた旗だと思う そして僕は本当に心の底から思う あの旗のはためきは 醜いかもしれない美しいかもしれない弱いかもしれない強いかもしれない理解もされないかもしれない だがあのはためきは本当の俺たち人間の誇りだ
そのアメリカ国歌の解釈、マーガレット・F・パワーズの『Footprint』を思い出しました。
4:25 現代の社会問題でもあるね
むしろ今の方が悪化してるという状態だよな。
彼、好かれるの嫌いよ
喋りと目がビートたけしみたいですね。
ピカソは抽象画は描いてません。 そして彼は太陽の塔の一発屋で3流画家です。 視野も狭いです。
スマホを捨て、街に出よう!!!!
ピカソは抽象画は描いてないですよ。全て何かを表した具象絵画です。
若い頃、太郎氏著書の自分の中に毒を持ての影響を受けて周りから嫌われながらもはっきりと意見を言って生きて来ましたが、全く後悔はしておりません。
岡本太郎さんって、本当に凄い人だと思う。 辛い経験を乗り越え、今の僕たちにメッセージを伝えている。 岡本太郎さんのような心強い人間になりたい。
至極真っ当な中に岡本節があって闘いこそが調和を生み出す ぶっ壊す事 爆発する事が芸術だ!と嘆きの先に到達している…今でもそっくり通用する事が述べられていますね。
誰かも同じ事を言っていたが 岡本太郎さん 水木しげるさん それと ビートたけしと言えばいいか 北野武さん 似たところがあると感じる どこってもう顔からして似ていて 共通点もあると思っていて 最初に思うのは なにか上品なものがブッ壊れて 汚れてもニヤついて それに魅力を感じてそう みたいな 乱暴さもまた平気 みたいな しかし そんな雰囲気っていう気がするってだけで 作品は見惚れてしまうほどに美しかったり それは水木しげるさんの絵にも感じたから 泣けるほど美しい絵があったりしたから
8:26 憎まれていい。嫌われてもいい。 相手に不満がられるそれならそれでいい。
🎉いや~、実に素晴らしいビデオを遺して下さって、感謝です!!🥹岡本太郎さん、大好きです!😄常に、常識や権力に挑戦し続けた太郎さんの精神を見習いたいと存じます!!😂🎉🎉🎉
is there a HQ of this video yo?
2025年の大阪万博、現状を太郎が見たら何を思うだろうか
個性を尊重し合うのが調和した社会。
あの人に会いたい 好きな番組です。 公式でコメントできないのが残念でならない。
三十年以上前、高校生だった私の現代国語の先生が、しきりに岡本太郎は天才だと力説していた。(当時は例の「芸術は爆発だ」CMで変なおじさんのイメージが一般人には強かった。) 今考えると、エヴァの使徒、デザイン影響受けてる?。
真の天才は言うこと成すこと全てが違いますね。
この投稿をしてくれたことに感謝してます。
岡本太郎みたいに生きたかった……
生きれるよ。 まだ間に合う
調和とはぶつかり合うこと。 まわりの空気を読むとは正反対だな。
「岡本太郎」ファンの一人です。名前を存じ上げてただけで「太郎コンセプトの神髄」を知ったのは初めてです。今回初めてお聞きした肉声を通して「芸術は爆発だ」はさて於いて「ぶっつかり合いが調和である」に感動しました。「岡本さんの目」がイイですね「画家の目」ってよく言われますが「画家の目」が美の「永遠」を産んでいくんですね。すばらしい目だと思いました。石器時代の壁画とまで言わなくても「ダヴィンチ」「フェルメール」「ルーベンス」「モネ」「ピカソ」達皆さんの「目」も永遠に残りました。音楽の場合「ベートーヴェン」力説の「音はあらゆる啓示にまさる」も、よくぞ残れる「金言」って思いたいですが「音」は空気中に消えてなくなってしまうんですよね(爆笑)でも「譜面が残されてる」なんですが「あれッて黒い玉ですよね(爆笑)」でも是非に及ばずで僕的には「ベート-ヴェン」を支持したいんですよ、いやホント!「でも絵は消えてなくならない(クロマニョン)嗚呼!」(もうじき91歳)
かっこいいわ むしろかっこいいわ
岡本太郎の考え方や価値観が今でもこれからも色褪せない気がする。素晴らしい、僕も岡本太郎を乗り越えたい。
「正反対のものがぶつかり合うことで両方が開く」って止揚(アウフヘーベン)に近いのかな
万博に10歳の時行きました以来一番好きな芸術家です。
気取る感じもないけど自分への自信みたいなパワーを感じます。 言葉もすごく平易なのにそれでいてすごく魅力を感じる。
哲学者にもなれたくらい。 素晴らしい。太郎先生は。
岡本太郎を見た時に今までの人生で湧き上がった事のないような不思議な感情が生まれました。これが爆発なのですね
行動に信念を持てない者が信念のある絵を描けるはずがない て岡本太郎は言いたかったんじゃないかな
なんだこれは!?
『人間は機械の奴隷』既に未来を予言されておられたんですよね。一言一言が胸に刺さります。
人間は機械の奴隷になっている。 ホント、おっしゃる通りです。 会社の求人で用意した製造なんて、ほとんど機会が主役でやってるし 人間はそれをポチっと操作するだけ。 世の中こんなのを製造職人とか製造業務とか言ってしまってる時点で 人間の進歩は進むどころか衰えていると思う。 それをやること自体は悪くはないだろうけど製造業という職種やタグをつけるのはやめてほしい。 紛らわしいし、機械オペレーターのとしてやるのはいいけど… まあ、人間らしさを捨てて、お金のために生きようとした結果がこれなんでしょうね。 便利は良いことばかりではない。 ネットでそれを語ってる人は既に多いかもしれませんが…
本当に先生らしいですね。太陽の塔は高速に乗るとチラッと見れます。初めて高速(チラッと)で見た時は。心がはしゃぎましたよ。先生の絵はいつもワクワクをくれます。今のままではダメだと言われている時があります。いつもありがとう先生❣️
枠の外から中にいる人間を震わすような人だ。 中にいる人は、自分の惨めさ(枠内という意味での)に直面させられるのかもしれない。だから、何とかして彼を落として向き合わないようにする。向き合わねばならない。閉塞感の枠内に答えを探す自分と、ぶち破るその先と。ぶち破ったその先に、真に安定する自分の自己そのものが自由に存在しているのだろう。
こんな格好いい人物、二度と現れない気がする。
あの人に会いたい。 まさにそのとおりだ
いいこと言うなあ
いい歳して、昨日、はじめて先生の書籍を読ませて頂きました。言葉では表現できません。胸をえぐられる様な衝撃というか、感激というか、涙が出ました。この動画のお話している姿を拝見していても何故か涙が出ます。また動画観させて頂きます
今でも横断歩道で信号を待っていたら知らないおじさんが岡本太郎さんのジェスチャーして覗き込む事がある。
ありがとうございました。観れてよかった。
ロックの精神が宿っている
この人が危惧していた問題が今日も解決されていませんね
うるさ
もっと遠慮なく、人とぶつかり合ってみます!生きるための第1歩として!
もう少し顔に笑を湛えてもよくねえかな
九十何パーセントもの人が是非残して欲しいというので 今でも 立っている 手だけあげて 孤独に 永久的に立たされている きっと次に太陽の塔をこの目で見る時は、岡本太郎のこの言葉を思い出すと思う
40〜50代の人は岡村太郎好きな人多いなぁ。。私もなぜか太陽の塔のふちこさんもってるや。
A true genius. RIP.
人の感情ってのはなにか人間が見ている物の 一側面でしかないと思うんだ それを見方を変えれば色んな感情や情景が浮かんでくる いいとか悪いという次元を超えた人間と物事が相対した時の化学反応だと思う 俺たちは人間に生んでくださいと神様に契約書を描いて生まれたわけでもなければ、何をどのように感じるかという内面も選べない、そして時代国家庭などその環境も選べない だから俺らがこの世界で生きて何かを感じて、何者になれなかったからといってそれは俺たちの責任じゃないと思うんだ 俺たちはただ自分の何かを見つめて いつ何が感覚としておりてきてくれるのか それがいいものか悪いものか、かっこいいものか悪いものかすら選べない でもそれはきっと俺たちが現実で生きざる負えない世界の中で抱く個性の必然だと思うんだ だからそれはきっと俺たちそれぞれにとってふさわしい、フィットしたものだと思う そしてそれを待つためにはただ己から目を離さない事だけが条件だと思う なにも髪の毛逆立ててアクセルふかして、うおおおとか気合出してやることではなくて その自分に見えるものの細部を正確に見ようとすることなのかな でも人間は現実の世界で生きざる負えないから、簡単に見えるものを放棄して、見たいものを見ようとする だから自分の存在を証明して他者に戦いを挑んで力を誇示したり、魅力的にふるまって賛同を求める しかしその先には何の証明もない、人間本来の個性もない 虹という存在があって七色あるわけだが、緑と黄いろが明確に分けられないのと同じように 俺らが簡単に使っている喜怒哀楽ってやつは本当に嬉しい とか苦しいとかが存在しているのかと思うんだ 例えば幸せで辛いこともあるし、不幸で嬉しいこともある 甘酸っぱいという言葉はほろ苦いという言葉と同義だが甘いと苦いだけで見たらそれはそう反してる 俺らがこの世で感じる事は本当は俺らが感じたものではなくて、人間が使ってる言葉の限界なんじゃないかと思う 世間で言葉が言葉足る為に具体性を持たなきゃいけないから、そういう物がまるで独立して存在しているかのように使い続けてきた伝統でもっとも共感を集めたものが常識になり その常識の言葉は時代によって変わりうる 僕らは本当に感じる事があるのに常識という奴にそれを明け渡してしまっているのではないかと思うんだ 人間はそういう物の見えない暗い中でただもがいて真実を求めている 人間は生まれて300万年間 現在は70億人 みんな自由という理想を夢見ているがきっと誰一人として手にしたことはない 自由は現在には存在しえないからだ でもみんな見ている 暴力を振るわれて人が涙を流すのは屈した訳でも弱かったからでもない 現実という存在で生きざる負えない人間が自分で選べなかった個性をもち、そして現実に飲み込まれたときに何も見えないのに真実を見ようとする心があったからだと思う それが人によっては怒りであったり悲しみであったりするが、みんなこれじゃないって分かってるんだ本当は 本当にその心が無かったら単純にいてっ!と思って終わると思う これは叫びだと思う俺はここにいるのに、なぜこの現実に本当の俺の時間が存在しないんだって叫びだと思う それは嬉しい悲しいとかを超えた人間がただ持っている魂なのかな だから岡本太郎は現実と俺ら人類が手に入れることのない理想や自由という抽象に引き裂かれたところに人間があるといったのかなと思うんだ 人間の必然ってそういう真実を求める目にあると思うんだ ただ見続けている 見続けているから苦しいのに、人間であるからずっと見ることをやめられない そして何も手元になくて、苦しんでいて、なのにずっと人間は理想を見続けている これほどの強さが人間に眠っていたなんてって思った時にその姿に僕は人間として誇りを感じる 僕は人間ほど誇り高い生き物はいないと思う そして太陽の塔は現実に引き裂かれながらも、現実に己を明け渡さずまっすぐ手にすることのない理想を見つづける一人の男が建てた旗だ 星条旗の歌にこんなのがある 独立戦争中に砦に砲弾が雨のように降り注いで止んだ後、霧が晴れてその砦の上に星条旗が無傷でたっていた それを見た男が感動した そしてこんな歌詞ができた ああ、俺たちの旗は今もはためいているだろうか、勇気ある者の大地に 太陽の塔が勇気ある者の大地にはためいた旗だと思う そして僕は本当に心の底から思う あの旗のはためきは 醜いかもしれない美しいかもしれない弱いかもしれない強いかもしれない理解もされないかもしれない だがあのはためきは本当の俺たち人間の誇りだ
そのアメリカ国歌の解釈、マーガレット・F・パワーズの『Footprint』を思い出しました。
4:25 現代の社会問題でもあるね
むしろ今の方が悪化してるという状態だよな。
彼、好かれるの嫌いよ