- 523
- 218 336
ネルケ無方
Japan
Приєднався 19 лют 2022
2020年から、大阪を拠点に活躍しています。その前は、兵庫県の安泰寺の住職を務めました。
講演・坐禅等の予定表:bit.ly/2qxD56
Twitter: MuhoNoelke
安泰寺のHP: antaiji.org
活動支援: bit.ly/3JXT7tj
ウィキペディア: bit.ly/3hpStZz
講演・坐禅等の予定表:bit.ly/2qxD56
Twitter: MuhoNoelke
安泰寺のHP: antaiji.org
活動支援: bit.ly/3JXT7tj
ウィキペディア: bit.ly/3hpStZz
精進とは?(『正法眼蔵』「八大人覚」講義③)
2025年1月21日、安泰寺山内のため。
英語の部分は @MuhoZen でご覧になれます。
無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)
正法眼蔵 八大人覚
諸仏は是れ大人(ダイニン)なり、大人の覚知する所なれば、所以(ユエ)に八大人覚と称(ショウ)す。此(コ)の法を覚知するを、涅槃(ネハン)の因と為(ナ)す。我が本師釈迦牟尼仏(ホンシ シャカムニブツ)、入涅槃(ニュウ ネハン)したまひし夜の最後の所説(ショセツ)なり。
一つには少欲(ショウヨク)。彼(カ)の未得(ミトク)の五欲の法の中に於て、広く追求(ツイグ)せざるを、名づけて少欲と為す。
仏の言(ノタマ)はく、
「汝等比丘(ナンダチ ビク)、当(マサ)に知るべし、多欲の人は、多く名利(ミョウリ)を求むるが故に、苦悩も亦(マ)た多し。少欲の人は、求むること無く欲無ければ、則(スナハ)ち此の患ひ無し。直爾(タダチ)に少欲すら尚(ナ)ほ応(マサ)に修習(シュジュウ)すべし。何(イカ)に況(イハ)んや少欲の能(ヨ)く諸(モロモロ)の功徳(クドク)を生ずるをや。少欲の人は、則ち諂曲(テンゴク)して以て人の意(ココロ)を求むること無し。亦復(マ)た諸根(ショコン)の為に牽(ヒ)かれず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然(タンネン)として、憂畏(ウイ)する所なし。事(コト))に触(フ)れて余り有り、常に足らざること無し。少欲有る者は、則ち涅槃(ネハン)有り。是(コ)れを少欲と名づく。」
二つには知足(チソク)。已得(イトク)の法の中に、受取するに限りを以てするを、称して知足と曰(イ)ふ。
仏の言(ノタマ)はく、
「汝等比丘、若(モ)し諸の苦悩を脱せんと欲(ほっ)せば、当(マサ)に知足を観ずべし。知足の法は、即ち是れ富楽安穏(フラク アンノン)の処なり。
知足の人は、地上に臥すと雖(イヘド)も、猶(ナ)ほ安楽(アンラク)なり。不知足(フチソク)の者は、天堂(テンドウ)に処(ショ)すと雖も、亦た意(ココロ)に称(カナ)はず。不知足の者は、富むと雖も而(シカ)も貧し。知足の人は、貧しと雖も而も富めり。不知足の者は、常に五欲の為に牽(ヒ)かれて、知足の者に憐愍(レンミン)せらる。是れを知足と名づく。」
三つには楽寂静(ギョウ ジャクジョウ)。諸(モロモロ)の憒閙(カイニョウ)を離れて、空間(クウゲン)に独処するを、楽寂静と名づく。
仏の言(ノタマ)はく、
「汝等比丘(ナンダチ ビク)、寂静無為(ジャクジョウ ムイ)の安楽(アンラク)を求めんと欲(ホッ)せば、当(マサ)に憒閙(カイニョウ)を離れて独処に間居(ゲンゴ)すべし。
静処(ジョウショ)の人は、帝釈諸天(タイシャク ショテン)の共に敬重(キョウジュウ)する所なり。是の故に、当に己衆他衆(コシュ タシュ)を捨てて、空間に独処し、苦本(クホン)を滅せんことを思うべし。
若(モ)し衆(シュ)を楽(ネガ)ふ者は、則(スナハ)ち衆悩(シュノウ)を受く。譬(タト)へば大樹の衆鳥(シュチョウ)之(コレ)に集まれば、則ち枯折(コセツ)の患(ウレ)ひ有るが如し。
世間の縛著(バクジャク)は衆苦(シュク)に没す。譬へば老象の泥(デイ)に溺(オボ)れて、自ら出づること能(アタ)はざるが如し。是れを遠離(オンリ)と名づく。」
四つには勤精進(ゴン ショウジン)。諸の善法に於て、勤修(ゴンシュ)すること無間(ムゲン)なり、故に精進と云(イ)ふ。精(ショウ)にして雑(ゾウ)ならず、進んで退かず。
仏の言(ノタマ)はく、
「汝等比丘、若(モ)し勤精進せば、則ち事として難き者無し。是の故に汝等、当(マサ)に勤精進すべし。譬(タト)へば少水の常に流るれば、則ち能(ヨ)く石を穿(ウガ)つが如し。
若し行者(ギョウジャ)の心、数数(シバシバ)懈廃(ゲハイ)すれば、譬へば火を鑽(キ)るに、未だ熱からずして而(シカ)も息(ヤ)めば、火を得んと欲(ホッ)すと雖(イヘド)も、火を得べきこと難きが如し。是れを精進と名づく。」
五つには不忘念(フモウネン)。亦(マ)た守正念(シュショウネン)と名づく。法を守って失はざるを、名づけて正念(ショウネン)と為(ナ)す。亦た不忘念と名づく。
仏の言(ナタマ)はく、
「汝等比丘(ナンダチ ビク)、善知識(ゼンチシキ)を求め、善護助(ゼンゴジョ)を求むるは、不忘念に如(シ)くは無し。若(モ)し不忘念ある者は、諸(モロモロ)の煩悩の賊、則(スナハ)ち入ること能(アタ)はず。是の故に汝等、常に当(マサ)に念を摂(オサ)めて心に在(オ)くべし。
若(モ)し念を失する者は、則ち諸の功徳(クドク)を失す。若し念力(ネンリキ)堅強(ケンゴウ)なれば、五欲の賊の中に入ると雖(イヘド)も、為に害せられず。譬へば鎧(ヨロイ)を著(キ)て陣に入れば、則ち畏(オソ)るる所無きが如し。是(コ)れを不忘念と名づく。」
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
#道元 #坐禅 #正法眼蔵
英語の部分は @MuhoZen でご覧になれます。
無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)
百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ)
正法眼蔵 八大人覚
諸仏は是れ大人(ダイニン)なり、大人の覚知する所なれば、所以(ユエ)に八大人覚と称(ショウ)す。此(コ)の法を覚知するを、涅槃(ネハン)の因と為(ナ)す。我が本師釈迦牟尼仏(ホンシ シャカムニブツ)、入涅槃(ニュウ ネハン)したまひし夜の最後の所説(ショセツ)なり。
一つには少欲(ショウヨク)。彼(カ)の未得(ミトク)の五欲の法の中に於て、広く追求(ツイグ)せざるを、名づけて少欲と為す。
仏の言(ノタマ)はく、
「汝等比丘(ナンダチ ビク)、当(マサ)に知るべし、多欲の人は、多く名利(ミョウリ)を求むるが故に、苦悩も亦(マ)た多し。少欲の人は、求むること無く欲無ければ、則(スナハ)ち此の患ひ無し。直爾(タダチ)に少欲すら尚(ナ)ほ応(マサ)に修習(シュジュウ)すべし。何(イカ)に況(イハ)んや少欲の能(ヨ)く諸(モロモロ)の功徳(クドク)を生ずるをや。少欲の人は、則ち諂曲(テンゴク)して以て人の意(ココロ)を求むること無し。亦復(マ)た諸根(ショコン)の為に牽(ヒ)かれず。少欲を行ずる者は、心則ち坦然(タンネン)として、憂畏(ウイ)する所なし。事(コト))に触(フ)れて余り有り、常に足らざること無し。少欲有る者は、則ち涅槃(ネハン)有り。是(コ)れを少欲と名づく。」
二つには知足(チソク)。已得(イトク)の法の中に、受取するに限りを以てするを、称して知足と曰(イ)ふ。
仏の言(ノタマ)はく、
「汝等比丘、若(モ)し諸の苦悩を脱せんと欲(ほっ)せば、当(マサ)に知足を観ずべし。知足の法は、即ち是れ富楽安穏(フラク アンノン)の処なり。
知足の人は、地上に臥すと雖(イヘド)も、猶(ナ)ほ安楽(アンラク)なり。不知足(フチソク)の者は、天堂(テンドウ)に処(ショ)すと雖も、亦た意(ココロ)に称(カナ)はず。不知足の者は、富むと雖も而(シカ)も貧し。知足の人は、貧しと雖も而も富めり。不知足の者は、常に五欲の為に牽(ヒ)かれて、知足の者に憐愍(レンミン)せらる。是れを知足と名づく。」
三つには楽寂静(ギョウ ジャクジョウ)。諸(モロモロ)の憒閙(カイニョウ)を離れて、空間(クウゲン)に独処するを、楽寂静と名づく。
仏の言(ノタマ)はく、
「汝等比丘(ナンダチ ビク)、寂静無為(ジャクジョウ ムイ)の安楽(アンラク)を求めんと欲(ホッ)せば、当(マサ)に憒閙(カイニョウ)を離れて独処に間居(ゲンゴ)すべし。
静処(ジョウショ)の人は、帝釈諸天(タイシャク ショテン)の共に敬重(キョウジュウ)する所なり。是の故に、当に己衆他衆(コシュ タシュ)を捨てて、空間に独処し、苦本(クホン)を滅せんことを思うべし。
若(モ)し衆(シュ)を楽(ネガ)ふ者は、則(スナハ)ち衆悩(シュノウ)を受く。譬(タト)へば大樹の衆鳥(シュチョウ)之(コレ)に集まれば、則ち枯折(コセツ)の患(ウレ)ひ有るが如し。
世間の縛著(バクジャク)は衆苦(シュク)に没す。譬へば老象の泥(デイ)に溺(オボ)れて、自ら出づること能(アタ)はざるが如し。是れを遠離(オンリ)と名づく。」
四つには勤精進(ゴン ショウジン)。諸の善法に於て、勤修(ゴンシュ)すること無間(ムゲン)なり、故に精進と云(イ)ふ。精(ショウ)にして雑(ゾウ)ならず、進んで退かず。
仏の言(ノタマ)はく、
「汝等比丘、若(モ)し勤精進せば、則ち事として難き者無し。是の故に汝等、当(マサ)に勤精進すべし。譬(タト)へば少水の常に流るれば、則ち能(ヨ)く石を穿(ウガ)つが如し。
若し行者(ギョウジャ)の心、数数(シバシバ)懈廃(ゲハイ)すれば、譬へば火を鑽(キ)るに、未だ熱からずして而(シカ)も息(ヤ)めば、火を得んと欲(ホッ)すと雖(イヘド)も、火を得べきこと難きが如し。是れを精進と名づく。」
五つには不忘念(フモウネン)。亦(マ)た守正念(シュショウネン)と名づく。法を守って失はざるを、名づけて正念(ショウネン)と為(ナ)す。亦た不忘念と名づく。
仏の言(ナタマ)はく、
「汝等比丘(ナンダチ ビク)、善知識(ゼンチシキ)を求め、善護助(ゼンゴジョ)を求むるは、不忘念に如(シ)くは無し。若(モ)し不忘念ある者は、諸(モロモロ)の煩悩の賊、則(スナハ)ち入ること能(アタ)はず。是の故に汝等、常に当(マサ)に念を摂(オサ)めて心に在(オ)くべし。
若(モ)し念を失する者は、則ち諸の功徳(クドク)を失す。若し念力(ネンリキ)堅強(ケンゴウ)なれば、五欲の賊の中に入ると雖(イヘド)も、為に害せられず。譬へば鎧(ヨロイ)を著(キ)て陣に入れば、則ち畏(オソ)るる所無きが如し。是(コ)れを不忘念と名づく。」
衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
#道元 #坐禅 #正法眼蔵
Переглядів: 295
Відео
『哲おじさんと学くん』の勉強会40、2025年1月19日
Переглядів 70714 годин тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 次回は2月2日です。 資料:drive.google.com/file/d/1rN2EeF2y9ZWyPMsbsUHvoZiW-zDfenug/view?usp=sharing 詳細情報:muhone.hatenablog.com 永井哲学と仏教について、web春秋でも連載中です:haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974) Chat: 00:14:41浦:永井先生は気軽に「神」という語を色んな意味で使用されるので困惑します😓 00:19:18浦:この1話毎に完結していないのに、「第~話」って表記もややこしいですね。「第~回」の方が適切かと。 00:23:56浦:「映画」より「夢」に例える方が上手くいくのではないでしょうか? 00:25:26火:継続は映画の中にしか存在しないからでは...
『哲おじさんと学くん』の勉強会39、2024年12月22日
Переглядів 300Місяць тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 次回は1月19日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com 永井哲学と仏教について、web春秋でも連載中です:haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974) Chat: 00:20:17 ウ(チャット専): 資料はどこかで見れますか? 00:22:55 imahashiyuuzou: LINEで回っているみたいです。私は参加してないので未見ですね。 00:23:12 火童: 同じく 00:25:17 ウ(チャット専): どなたかLINE参加者方、チャット欄に資料へのリンクを貼って頂ければ幸いです🙏 00:26:13 祐英(Minoda): 先週の資料を使ってます 00:26:21 祐英(Minoda): 新しいものはありません 00:26:39 ウ(チャット専): R...
『哲おじさんと学くん』の勉強会38、2024年12月15日
Переглядів 332Місяць тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 次回は12月22日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com 永井哲学と仏教について、web春秋でも連載中です:haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974) Chat: 00:14:26島:「仏の家」って、「自分」のことでは? 仏が住んでいる家だから。 00:22:51浦:「神の存在論的証明(概念に存在を含むから存在する)」のような詭弁を、永井先生が何故まともに取り上げるのかが疑問です🤔 00:24:25浦:その論法を使えば、 意の概念に存在するという属性を追加すれば、「存在する」と主張できるのではないでしょうか? 00:29:40浦:それにこの「端的に」という永井哲学用語も、意味がよく分かりません。 simply なのか clearly なのか?🤔 00:33:...
『哲おじさんと学くん』の勉強会37、2024年12月8日
Переглядів 293Місяць тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 次回は12月15日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com 資料:drive.google.com/file/d/1EBVqg6Zi64XaWcuh21Zw11X_dbVFSfdX/view?usp=sharing 永井哲学と仏教について、web春秋でも連載中です:haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974) Chat: 00:13:59 島雄(Yu Shima): おはようございます。12月8日は成道会の日ですが、老人にとっては「大東亜戦争」勃発の日として記憶されています。 00:17:31 U(チャット専): 「超出」も「超え出る」と訓読みすれば、まだ意味を取りやすいのではないでしょうか? 00:24:52 U(チャット専): 永井先生の「超出」は、通常の哲学...
『哲おじさんと学くん』の勉強会36、2024年12月1日
Переглядів 337Місяць тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 次回は12月8日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com 資料:drive.google.com/file/d/1aeQDlmNxP8zleo0wK_de-l9PNhBCOIJh/view?usp=sharing 永井哲学と仏教について、web春秋でも連載中です:haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974) Chat: 00:04:13 島雄(Yu Shima): 祐英さんのお地蔵さん、可愛いですね。 00:04:54 Minoda(祐英): ありがとうございます 00:20:00 U(チャット専): 第55話 学のセリフ「概念上の「現実に存在する」に「現実に存在する」ことのすべてを奪われてしまうことになるわけだね。」の「~のすべてを奪われてしまう」の意味がよく分...
小欲知足とは?(『正法眼蔵』「八大人覚」講義②)
Переглядів 4892 місяці тому
2024年11月21日、安泰寺山内のため。 英語の部分は @MuhoZen でご覧になれます。 無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう) 百千万劫難遭遇(ひゃくせんまんごうなんそうぐう) 我今見聞得受持(がこんけんもんとくじゅじ) 願解如来真実義(がんげにょらいしんじつぎ) 正法眼蔵 八大人覚 諸仏は是れ大人(ダイニン)なり、大人の覚知する所なれば、所以(ユエ)に八大人覚と称(ショウ)す。此(コ)の法を覚知するを、涅槃(ネハン)の因と為(ナ)す。我が本師釈迦牟尼仏(ホンシ シャカムニブツ)、入涅槃(ニュウ ネハン)したまひし夜の最後の所説(ショセツ)なり。 一つには少欲(ショウヨク)。彼(カ)の未得(ミトク)の五欲の法の中に於て、広く追求(ツイグ)せざるを、名づけて少欲と為す。 仏の言(ノタマ)はく、 「汝等比丘(ナンダチ ビク)、当(マサ)に知るべし、多欲...
『哲おじさんと学くん』の勉強会35、2024年11月17日
Переглядів 4002 місяці тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 次回は12月1日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com 永井哲学と仏教について、web春秋でも連載中です:haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974) Chat: 00:18:16 島雄(Yu Shima): いきなり質問があります。どなたか、お答えいただければうれしいです。むかし、ある有名なお寺のお坊さんが、仏教は、「われ思う、ゆえにわれあり」でなく、「われあり、ゆえにわれ思う」だと言っておられたのを思い出しました。これはとても大事なことなのか、どうってことはないのか、教えて下さい。 00:22:14 imahashiyuuzou: 55話の最後の方で言っていることと通じているように思いました。概念→存在、じゃなくて、存在→概念、ってことですね。 00:22:...
『哲おじさんと学くん』の勉強会34、2024年11月10日
Переглядів 1862 місяці тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 資料:drive.google.com/file/d/1sXRkVwRaSMVUyd0yb4ZBA_ds_DQhxVBw/view?usp=sharing 次回は11月17日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com 永井哲学と仏教について、web春秋でも連載中です:haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974) Chat: 00:06:53 川口: 大変申し訳ありません。 00:07:25 川口: おはようございます。電車の中ですのでビデオオフで参加します。 00:18:41 Urasaki(チャット専): 本日の資料【要旨】に「時間が経過するには外界で物体が運動しなければならない。」とありますが、それは本のどの部分にあたるのでしょうか? 00:23:49 imah...
『哲おじさんと学くん』の勉強会33、2024年11月3日
Переглядів 3802 місяці тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 資料:drive.google.com/file/d/1EaxHEomdiq6mTsfs78vGc5kNM8Xnjrjp/view?usp=sharing 次回は11月10日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com 永井哲学と仏教について、web春秋でも連載中です:haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974) Chat: 00:16:49 Urasaki(チャット専): 会場での雑談の声が良く聞こえないのが残念です😥 00:27:36 Urasaki(チャット専): p.121の「時間が経過するには外界で物体が運動していなければならない。」ってのが疑問です。そうなのですか?第26話は「計測できない」」ってことですよね?つまり「時計が無ければ時間は経過しない」という...
一坐、二行、三心ーオスナブリュック市で朝坐禅
Переглядів 4492 місяці тому
毎週日曜日、隠し曲輪で一緒にヨガ&坐禅をしませんか? 開催情報:muhone.hatenablog.com/entry/1111/01/01/000000
『哲おじさんと学くん』の勉強会32、2024年10月20日
Переглядів 3913 місяці тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 資料:drive.google.com/file/d/1NmVneRzj-lXc8qEtHprbMbge4Jn0S6aG/view?usp=sharing 次回は11月3日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com 永井哲学と仏教について、web春秋で連載中の「人生というクソゲーを変えるための仏教」(haruaki.shunjusha.co.jp/categories/974)の次回にあたる20回目の一部を紹介します: 20)永井哲学と格闘しようとする僧侶 仏教の狙いは苦しみからの解脱であり、真実の追求ではありません。永井哲学は真実を探究しようとしており、人々の救いなどを目的としません。哲学は言葉あってはじめて成立します。仏教の場合も、言葉は道標として大事な役割を果たしています。しかし、とりわけ禅...
大人の修行とは?(『正法眼蔵』「八大人覚」講義①)
Переглядів 1,2 тис.3 місяці тому
2024年10月16日、安泰寺山内のため。 正法眼蔵 八大人覚 諸仏は是れ大人(ダイニン)なり、大人の覚知する所なれば、所以(ユエ)に八大人覚と称(ショウ)す。此(コ)の法を覚知するを、涅槃(ネハン)の因と為(ナ)す。我が本師釈迦牟尼仏(ホンシ シャカムニブツ)、入涅槃(ニュウ ネハン)したまひし夜の最後の所説(ショセツ)なり。 一つには少欲(ショウヨク)。彼(カ)の未得(ミトク)の五欲の法の中に於て、広く追求(ツイグ)せざるを、名づけて少欲と為す。 仏の言(ノタマ)はく、 「汝等比丘(ナンダチ ビク)、当(マサ)に知るべし、多欲の人は、多く名利(ミョウリ)を求むるが故に、苦悩も亦(マ)た多し。少欲の人は、求むること無く欲無ければ、則(スナハ)ち此の患ひ無し。直爾(タダチ)に少欲すら尚(ナ)ほ応(マサ)に修習(シュジュウ)すべし。何(イカ)に況(イハ)んや少欲の...
『哲おじさんと学くん』の勉強会31、2024年10月13日
Переглядів 3383 місяці тому
『哲おじさんと学くん』の勉強会は毎週日曜日8:10〜より行います。 次回は10月20日です。 詳細情報:muhone.hatenablog.com Chat: 00:22:37 Urasaki(チャット専): そもそも、心が身体の中に入っているように描かれているのがこの図の不適切な点ではないでしょうか?まるで「機械の中の幽霊」みたいな印象を与えてしまうと思います。 00:24:11 imahashiyuuzou: <私>を実体化しちゃってるんですよね。 00:24:20 Urasaki(チャット専): しかも、その心は脳のある頭部では無く、心臓のある胸の辺りに置かれている! 00:26:19 imahashiyuuzou: まあ、頭に描かれていればいい、というものでもないですけどね。 00:26:40 Urasaki(チャット専): 記憶無しで心が入れ替わっても、結局何の変化も無いの...
身・息・心を調える
Переглядів 8463 місяці тому
@CrossPhysiobyDidierHartmann 神戸市御影のクロスフィジオ整体院で4回目の坐禅WSを行いました。今回のテーマは調身・調息・調心でした。とくに呼吸の整え方にフォーカスしました。 講演・坐禅等の予定表:bit.ly/2qxD56 Twitter: MuhoNoelke 活動支援: bit.ly/3JXT7tj クロスフィジオ整体院のウェブサイト www.crossphysio.jp/jp-home/ #坐禅 #瞑想 #座禅会
待って居ました!
お待たせいたしました!
ネルク無方師のような方ばかりいれば絶対戦争なんか起きないですね。
絆 ist Band.
小学生の頃裏山で遊びアケビを食べ裏の畑でキュウリや桑の実を食べ、東京で学び旧ソ連レニングラード・米ボストン留学今は東京のロースクールで学んでます。今月は禅師の〈現成公案〉を読み、今番組を拝聴。ありがとうございます
澤木 興道禅師、 撃ち方やめ。
仏教を宗教としてではなく仏教哲学としてキリスト教やイスラム教の人達に教えてあげて下さい、今世界を不安にしてるのは彼らの宗教の間違いを正して下さい
これだけ深い事を知ってるお坊さんはいない、ので日本より日本以外の世界の人々に教えてあげて欲しい、今世界をおかしくしてるのはキリスト教やイスラム教だから
ブランデンブルク門の風景をバックの朝座禅、中々拝見出来ない処です 。始めて、メールさせて頂きます。 ご著書、心の時代 数々の講演、安泰寺でお子様方のお小さい頃、多くのお弟子さんを育てられた長き年月、現在の大阪でのご活躍をユーチュブで拝見して参りました。その生き方やお人柄に惹かれ 学ばせて頂いております。84歳の後期幸齢者となり、視力も衰えて参りましたので、メールも困難ですが、 これからも講話や坐禅会の様子は拝見させて頂きたいと思います。 安泰寺での奥様や可愛い三人のお子様方、ご不便な事もおありでしたでしょうが、伸び伸びと自然の中で子供時代を過ごされました事は誰にでも出来ない、素晴らしい経験であったと思います。 都会育ちの奥様も ご自分の夢もおありでしたでしょう が、ご住職夫人として、冬の豪雪の中の出産等、三人のお子様を育てられ、芯のお強い、方と敬服しております。お姉ちゃまの恵ちゃんも、良くお手伝いをされていた姿が忘れられません。 今では皆さん都会っ子に成長されておられるのでしょうね🙆 時にはお姿拝見したいです。孫の様な感じが致します 🥰 これからもユーチュブでの講話を楽しみに学ばせて頂きます。 どうぞ御一家、お健やかに、ご多幸をお祈り致しております。 最後までお読み下さり有難う御座いました🙏✨ 感謝
老師…現成公案…から、勉強会37に訪問←ドストエフスキー…罪と罰…のラスコーニエフを思い出しながら、お話しを伺っています。日独露を一度に愉しんで居ます🙏
アルデンテうどんのくだりは笑ってしまいました。
合掌🙏🏼🕯
小欲知足の講義ありがとうごいました。 最近は物価高に伴う生活苦が叫ばれていますが、幸いにも日本に居れば暴動に巻き込まれることもないし今日明日飢え死にするような心配も無いという足りている環境に居ることを見つめる良い機縁になりそうです。
悟りとは自殺することです。
悟りとは自殺することです。
首から上も首から下も自殺したいと思っています。
首から上も首から下も自殺したいと思っています。
合掌🙏🕯
僕は頭でも首より下の身体も自殺したいと思っています。僕は内山老師とネルケ老師の事は尊敬してます。ありがとうございました。とても勉強になりました。
仏道は理解するものではありませんし 事実は人間の知識が及ぶものではありません。 学ぶ、到達するという概念を持った時点で終わりです。 只管打坐その通りなのです。
良く理解できますね・・頭だけですが・・。体感を目指します。76歳福岡在住。 ご老師もごきげんよう、😊😊。
合掌🙏🕯
ネルケ無方ご老師。いいですね。
「世話ができる」ということ、「世話をしすぎ」て伸びないということ。シンプルな話ですが気づくことが多かったです。合掌。
正法眼蔵の講義というと専門用語が多く難解なものというイメージでしたが、ネルケ和尚の講義を聞くと僧侶であるなしに関わらず現代人も共感できる部分がたくさんある書物だという事が分かりました。
ほんとに苦しんでる人の身になってネルケさんが心を込めて悩んでいる人に寄り添いながら話をしてくださっているのがわかりました。 こんなふうに誰かが横にいてこんなふうに話してくれたら救われる命はすごく多いのではないかと思います。 そういう意味でもこの動画は頭に価値があると思いました。 うどんにするかそばにするか。 私も、もし万が一そんな心境になったらこのうどんかそばか、自分に問いかけることができることを願ってます。
🙏
首座法戦式の動画から来ました。そこに意味なんてないけど、ただ座る。
合掌🙏🕯
Inspirational. I am very interested in Buddhism and have been watching your videos to help my study.日本語学習も半分仏教で始まったのです。引き続き、頑張ってください。誠にありがとうございます。
専業主婦です。典座の3つの心を大切に丁寧に生きていきたいです。
必要なものは呼吸
ネルケ無方ご老師、おはようございます。
合掌🙏🕯
素晴らしいお話をありがとうございました。 これから本を読んでみます。 お話を聴いて毎日の生活を丁寧に積み重ねていく支えになりました。
ありがとうございました
掌の置き方・・丹田・・。良いですね。形を正しくすれば、よい坐禅になる。76歳福岡在住。
・・ヨガとの比較は・・不要では・・と思いました・・。永平寺流の正当坐禅を無方老師は説かれていますので。
和尚の講演会を拝聴いたしました
良いですね。・・どこでも坐禅なさる禅師様。東西両ドイツの壁が崩壊し、法律上東ドイツが西ドイツと合併した1990年11月にブランデンブルク門を訪問しました。御老師は大学生でこの近くにおられたのですね。・・因縁を感じます。76歳。
坐禅と痛みについての講話・・良いですね。私が痛い・・から・・痛みになりきる・・ことでしょうか。76歳。
ありがとうございました。・・自動草刈り機がカメラにぶつかっても少しも慌てない禅師様。 76歳、福岡在住。
偉い・・流石禅師様ですね。アウトバーンの騒音も・・小川のせせらぎと同じ。76歳。昔の永平寺参禅者。
瞬きは当然。安全に注意して目が動くのも当然ですね。
合掌🙏🕯
毎回 動画の資料を記して頂きありがとうございます🙏 動画を理解するためにとても重宝しています🙇
お役に立てて嬉しいです。
行雲流水でフットワークが軽いネルケ和尚さま 遠くからハイジが元気よく走ってきそうな素敵な環境での坐禅を届けていただいてありがとうございました。 ペーターが被ってそうな可愛い帽子も良くお似合いです。
アウトバーン高速道路の下で うるさくないですか。
道元さんがおっしゃった『捨つれば手に満ちる』は単に『執着を手放せ』以上の意味があるような感じがしていますが私には正直よくわかりません。私が誤解しているかもしれません。ご指導頂ければ誠に幸いに存じます。
「弁道話」の中の「はなてばてにみてり」ですね。 ua-cam.com/video/BKMuDbgLqIQ/v-deo.html
ネルケ和尚の素敵な法話を聞いた後でも座禅に入る時はまた全てを手放す、ここにZENの在り方の瑞々しさ感じます。
ua-cam.com/video/EYyc_eg5syg/v-deo.htmlsi=kcZF48j8lbKWnu1x
ua-cam.com/video/EYyc_eg5syg/v-deo.htmlsi=kcZF48j8lbKWnu1x
Do I sit "in" or "in front" of the background? In any case, I forgot about it. 🙂🙏