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douyan79
Приєднався 6 січ 2008
別府鉄道廃線時のテレビニュース集
かつて兵庫県加古川市を走っていた別府鉄道。昭和59年1月31日に惜しまれながらもその生涯を終えました。廃線を迎えることになった別府鉄道を特集したニュース番組のクリップです。
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Відео
さようなら別府鉄道
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かつて兵庫県加古川市を走っていた別府鉄道。昭和59年1月31日に惜しまれながらもその生涯を終えました。廃線を迎えることになった別府鉄道の最後の勇姿です。
別府(大分県)?かと思ったら、違ってました。この一号蒸気機関車って、講談社Nゲージパートワークの、定期購入特典のやつに似てる。それにしても営業線ギリギリに立つマニア…。おおらかな時代だな💦
この様な映画 有り難う御座います 今も… あれば 価値ある鉄道と 考えます
昭和60年前後、今みたいな大変珍しい私鉄や国鉄時代の当時の路線もJRグループ発足迄に無くしてしまい、本当に悲しくなりました。その後、隣の高砂線、さらに国鉄時代最後のダイヤ後、播磨港線も廃止したので、播磨の珍しい路線は消えて寂しかったです。
存在を知っていたのに私鉄ということで興味が沸かず行こうともしなかった。 今見たらこんな模型の世界が残っていた事は奇跡だ
その後、同年11月30日限りで国鉄高砂線も廃止に・・・
別府鉄道に銚子電鉄の社長の様なバイタリティがあれば、違っていたかも知れない。
別府鉄道の廃止から41年、山陽電鉄別府駅が特急停車駅に!
いつの時代もラストランの時だけは乗客が殺到するんだな。
別府鉄道は廃止後も会社は存続しタクシーと観光バス専業会社になったが現在はタクシー観光バス部門は別府タクシーに譲渡し不動産管理会社になった
大変貴重な映像 楽しめました🎵。 ありがとうございます😊。
別府鉄道廃止の報を聞き、どうしても行きたかったが遠すぎて行けなかったことが悔やまれます。この動画を見ても、この鉄道には昭和59年とは思えない前時代的な車両と風景が残っていました。社長さんがインタビューに対し何の感傷もなく爽やかに答えているのがとても印象的です。内心は経営者として車両も設備も老朽化し更新する予算もない赤字路線を廃止出来てほっとしていたのでしょう。 このニュースも歴史の一コマになってしまいました。
懐かしい😂 運転手 大垣博明さんもお若い! 平成21年10月にお亡くなりになられて14年、本当に貴重な映像ありがとうございます。😊
但馬とかならともかく、神姫間の加古川で鉄路が廃止されるのは、やっぱりやりきれないです。 高砂線だけでも生き残ってくれたらよかったのに。加古川線みたいに電化されたら、山電独占地域から新快速に流したり、今津南線や東羽衣線みたいな役目を期待できたのではないかと。
時代なんでしょうね
どこから、どこまで走っていたんですか?
Nice railway video, Like!!
駅長殿の配転は後回しなのね・・・😂
多木社長さんっていう名まえですか。2022-10-25視聴。
廃止と言うのに、だいぶ和やかな雰囲気ですね。この動画を見るとつくづくファンの罵声大会にしちゃいけないんだと思う。(もちろん映っているのが全てじゃないだろうけど)
ついに見とれてしまいますね😊
別府鉄が現役な頃から、マンハイム加古川への遊歩道にもなっていた。 キハ101も保存されたが、解体されてしまったのは残念。
昔の鉄道、特にローカル線は貨物輸送が多かったらしい。 旅客はそのついでに乗せてもらうものだったらしい。 しかし貨物輸送の減少や過疎化で人口減りで煽りを受けた鉄道会社は焦っただろうな。 だから近年は、『乗せてやる』から『乗っていただく』に脱皮したところばかりとなったんだろう。
最後の旧国鉄高砂線の廃止にも触れているけれど、今の時代と違っての凄く人件費用を掛けていると、駅員名簿の札の多さと踏切手…手動梃の多さ…何もかも経費の掛けた鉄道経営か?…その分人を雇う雇用場所があった時代だった。
貴重な動画をありがとうございました。 動画タイトルに「高砂線」も入れたほうがよいかもです。 社長さんのインタビューが何か渋くて味があり良かったです。
高砂線、廃止反対運動が盛り上がらなかったって…何か考えさせられました。 地元の人も山電もあるし別に困らんからいいかって感じやったんかな。 自分は2年前まで仕事で高砂に配属されていたので、この動画をもっと早く見つけていればなぁって思いながら観させて頂きました。
当時のマイカー族が廃止に追いやった訳だが、そいつらは今、自動車免許を返上せざるを得ない体たらく。 「時代の流れ」を語るには、あまりにも浅い。
かっこいい
ははぁこの鉄道の社長も多木さんだったんだ 加古川の多木財閥ですかね
母体は多木化学株式会社でした。
計算するとこの社長、明治生まれなんだな・・・
廃止直前の駆け込み需要による利益をどのように使うのかを知りたいな。
撤去費用ですっかり消えるんでないかい
確か、廃止の日に大雪になるんですよね。 滅多に降らない地域なのに。
そうです。大雪でした。覚えています!
貴重な映像を、ありがとうございました。Posted on March28th, 2021.
今はこの跡地の大半は遊歩道になっています。興味のある方は歩いてみて下さい。途中で車両が展示されています。
昭和時代の報道は、昨今の切り貼りではなく、質問と回答というインタビュー内容をそのまま報じているところが、わかりやすい。
らすら瀬は反るらさるはさらしさほさほるしるり
大分の別府かと おもた。笑
かの有名な鮎川哲也「黒いトランク」でもトリックとして使われておるぞ
1日4往復だったっていうのがねぇ、1番の廃止の理由だと思うのだがねぇ…
貨物のおまけだからしゃーない 廃止の理由も「国鉄の車扱貨物削減」だからな
貨物で持ってた会社ですから
@@sunami808 住宅地ですし公共交通としてある程度本数があったら廃線にならなかった可能性があると考えています。(2年経ってもブレない思想)
平成生まれやけど自宅から山陽別府駅までオール廃線跡が通勤路ってのが誇りです。
僕は、播州人ですが、昔この鉄道が、あったこと忘れないです 数十年たちありがとうございました
廃止と言うと客がわんさかと乗るのはいつの時代も同じだな…
かつての別府鉄道は、多木化学の系列会社で、肥料を運ぶ貨物と言われました。土山線は、機関車と貨車や客車で、野口線は気動車で営業しました。土山駅では貨物の取り扱い駅で、山陽本線の快速電車に接続、野口線は終点野口駅で国鉄高砂線に接続する
先日、三江腺が廃止になった時も、終盤にこの映像と同じように鉄ちゃんが殺到したが、鉄ちゃんは日常の旅客になってくれるわけでもなく、意味が無いんだよな。。最期に一時的に乗られても。。 この社長さんもご存命なら110才近いかな。さすがに他界されてるかもしれないな。
同感😅
当時の別府鉄道の社長がインタビューを受けていたけど、このインタビューの時に乗っていた車両(神中鉄道ハ24)が今では相鉄のかしわ台工機所で静態保存されているんだよな。 それと当時の別府鉄道ハフ5とハフ7が連結されて走っていたけど、神中鉄道の車両が三岐鉄道を経てここで現役で走っていた訳でね、これも奇跡的な話ではあったね。
この前年の夏に乗りに行ったときは、お客は自分だけだった
今じゃローカル線では赤字になるわ、利用者が減るから本数減るわ、しまいに廃止になるわ。なんか好きじゃない。
懐かしいです!よく乗りに行きました。うつってるかも?
なんで廃止の時だけたくさん乗るんだろう。 普段から乗ればいいのに
言っても仕方ない。無くなるのが悲しむのは誰もが同じなのにね。
別府鉄道ってめちゃ遅いんやで、車の方が圧倒的に速かったよ。
@@jaju-z5z 乗らないから配線になるのに、配線になる時だけ悲しむのは違うなと思って。
このエリアは山陽電鉄が旅客需要のほとんどを担っており、別府鉄道など貨物輸送がなければとっくに消えてたような路線です むしろ残ってたのが不思議だったと言われる