津村利治
津村利治
  • 196
  • 1 050 494
(195/補遺21) 秩父鉄道急行影森行 クハ6202 車内音
2012年の秩父線熊谷寄居間の音です。平野部の秩鉄は飛ばします。山中のチンタラ走りと違います。西武101系の改造車で山岳勾配にも強い車両です。25mレールが心地良く感じられます。
Переглядів: 64

Відео

(194)聴き比べ EF62の急行信州・EF64の423レ普通松本行
Переглядів 2273 місяці тому
(1)昼下がり大宮駅8番線を発車するEF62信州53号長野行は43系客車中心の編成ですが、1両だけナハ11が入っています。危険防止上ナハ10系級客車は長野寄に連結することとなっていますが、ナハの後ろに重いスハ43やスハフ42が数両入っていたことから問題はないということなのでしょうね。 (2)これも昼下がりの大月駅を発車するEF64牽引中央線昼行長距離普通です。オハ35系中心の編成にわずかながらスハ43が混ざります。気持ち的には座席背もたれに角度のつく43系に乗りたくなりました。が、混雑で背もたれ直角のオハ35に乗ってきました。  どちらも山岳勾配に強い機関車ですが、EF64はB-B-Bの軸配置に対してEF62はC-Cという珍しい軸配置で、通過音に殆ど入らなかったことが悔やまれます。EF62の晩年、新幹線開業後は東海道山陽線に転出して東京から遙か下関へ荷物列車運用に入り、EF61を淘汰...
(193/父の遺した音21) 肥薩線845レ車内音 D51牽引
Переглядів 3235 місяців тому
肥薩線の大畑から矢岳の短縮verです。本務D51にオハユニと貨車が連なって後補機が繋がる様子が走行音から読み取れます。汽笛2声大畑駅を推進運転で発車すると単軸貨車がよくわかります。引き込み線で一旦停止して、いよいよ連続25‰へと向きをかえて加速します。災害により現在は不通区間となりバス代行もないことから、早期の復旧を願います。1971年頃の録音らしいです。写真は吉松所属のD51ですが、当該区間は人吉機関区の集煙装置付き重装備のD51が担当していました。
(192) 聴き比べ 大宮駅の貨物列車(1972年と2012年)
Переглядів 2417 місяців тому
大宮駅通過下り貨物です。①EF15とワム・トラ・タキ・コキなど多彩で楽しい昔の貨物で、締めはヨ。②EF65の1000番台で、①より少しタキとコキが多い区間急行貨物です。ここまで昭和47年です。③EF510の500番台牽引による所謂安中貨物です。④EF65の1000番台によるALLコンテナ。⑤EF66の100番台牽引による倉賀野配給です。少し昭和に近い編成です。以上が平成24年です。最後の無音写真は大宮客貨車区前の写真で、大宮工場に入場待ちするキハ10系とオハ12です。線路自体は音も小さく頑丈になっている感じがします。でもホームを含めた駅全体はさすがに昔の方が静かですね。
(191/父の遺した音20) C53 45(鷹)3シリンダー機 東海道線有火運転
Переглядів 6 тис.9 місяців тому
昭和25年に全廃となったC53 が同36年に復活整備運転された録音とのこと。C53は国産蒸機の中で初の3シリンダー機として製造され、ふつう耳慣れたドラフト音と違い、3拍子?3連符(1拍を3つに分けた)の排気音が聞こえたことに驚かれるかと思います。①臨試2792レ芦屋通過②C53走行音(西宮~甲子園口)③臨試2792レ吹田(操)到着車内音④構内転車と入換と単機出発です。臨試はC53 45(鷹)+スハフ32 マロネフ59 1+スシ28 301+マロテ49 2+マニとの記録です。昭和36年9月20日とありましたが、これも父がどちら様から貰ってきた音なのかわかりませんので、転載はご遠慮ください。
(190/父の遺した音19) 小型機C12の登坂! 中央線・足尾線・明知線
Переглядів 52610 місяців тому
C12型といえば太鼓を叩くような小気味よいドラフトが聴けますが、中央・足尾・明知線ともに勾配区間を感じる音です。①中央西線623レ中津川~落合川の走行音C12 74(中)です。逆向牽引のため力行惰行の差がよくわかります。②足尾線貨物列車で沢入あたりのもの。C12 41とC12 7(髙一)重連で、重そうな鉱石運搬列車に小鳥のさえずりが響きます。③3セクになる前の明知線貨物列車で、阿木~東野の勾配を登ってきます。当時の鳥除けでよく使われた雀おどしが響きます。昭和43年頃との記録
(189/父の遺した音18) 4110型蒸気機関車(美唄)
Переглядів 597Рік тому
国鉄E10型の先祖となる4110型は奥羽線や肥薩線で 務を終えたあと、美唄鉄道で客車や石炭車を牽いて最後の勤めを果たしました。(1)盤の沢駅通過の113レで4144と4122の重連貨物(2)我路~美唄炭山の4122機関室内音ですが、途中省略部分があります。昭和41年9月録音とのメモが残されています。もと音源は不明です。
(188/補遺20)紀勢本線夜行 DF50牽引普通924レ「南紀」車内音 【音声のみ】
Переглядів 1,6 тис.Рік тому
昭和52年3月23日~24日の天王寺発名古屋行です。本編は(49)(95)に加えて荷坂峠越え区間を加えて再編集したものです。当日の編成は阪和線区間EF58 40(竜)/紀勢線区間DF50 5(亀)+オハフ33 169(天カメ)和歌山市~亀山間+スユニ61 24(天リウ)+ナハフ10 13(天リウ)+ナハ10 102(天リウ)+ナハ10 101(天リウ)+ナハフ10 17(天リウ)+オハネ12 58(天シク) オハネフ12 68(天シク)で、B寝台車は天王寺~新宮間の連結です。夜行区間はオハネ12 58にて、昼行区間はオハフ33 169の車内音となります。サムネイルの写真と表示駅名は関係がありません。録音区間;下津‐初島‐箕島‐紀伊宮原‐藤並‐湯浅‐紀伊由良~、南部‐紀伊田辺‐白浜、新宮‐鵜殿‐紀伊井田‐阿田和、紀伊長島~です。荷坂越えでは止まりそうな歩みですが、電気式ディーゼル機関車...
(187/父の遺した音17) 東北本線のD51による奥中山越え
Переглядів 1,2 тис.Рік тому
東京からはるばる青森へ続く東北本線には、いくつかの分水界があり峠越えを余儀なくされていました。この場所は北上川と馬淵川の分水界にあたる峠で、25‰連続勾配を黙々と2台または3台の機関車が協調して(勿論総括制御ではない、人間の手と技によるSLの協働)峠を越える情景が、当たり前のこととして行われてきた場所です。①沼宮内駅を発車する83レ(貨物)です。D51870(尻)+D51307(盛)が牽引する貨物を後部でD5187(盛)が押し上げます。空転もせずにフルスロットルで奮闘する姿に頭が下がります。②特急貨物「きたたから」51レが御堂~奥中山を走ります。D51471(尻)+D51779(盛)+C6014(盛)の牽引です。③臨時急行3109レをC6111(青)が単機で引いています。④非電化複線区間のこの場所は上下列車のすれ違いがありました。遠くでドラフトがきこえているところで目の前をD5164...
(186/父の遺した音16)磐越東線と久大本線のD60型蒸気機関車
Переглядів 604Рік тому
大正12年から昭和初期に製造された9900型(D50に改称)の従輪を2軸化して軽軸重にしたもので、昭和26年より改造が始まった機関車です。磐越東線は郡山機関区、久大本線は大分機関区所属、筑豊本線は直方機関区により運用されたもの。メモには①江田信号所の混合769列車発車②同所の普通列車通過③川前・夏井の貨物通過④大分駅のD60 63普通638列車発車⑤豊後三芳の貨物691列車通過⑥筑豊本線の冷水峠を通過する普通740列車と記録されていました。1968~1970年録音
(185/父の遺した音15) 花輪線 貨384レ  38698(荒)機関車内音
Переглядів 588Рік тому
大正時代の汽笛響く盛岡行貨物列車の赤坂田~竜ヶ森(現 安比高原)間における33‰勾配に取り組む情景です。花輪線の牽引定数の低さにより、38698は後部補機の力を借りながら峠を行きます。途中トンネルを通りますが、力行運転は持続です。トンネルを抜けサミットを越えると絶気合図(08分過ぎ)を出して竜ヶ森駅構内に入ります。昭和の近代機関車と明らかにドラフトが違います。残念ながら途中割愛部分があります。昭和41年7月録音のようです。
(184/父の遺した音14) 呉線のC59
Переглядів 656Рік тому
①急行「安芸」②荷42レ ③普通924レ の音声です。瀬野・八本松経由の線路が敷かれるまでは山陽本線だった呉線はC62とC59が共通運用されたこともある重線路規格の地方線です。 ①急行「安芸」C59 162(糸)の竹原駅発車のシーンです。重厚なドラフトのあとに長大編成の客車が通り抜けていきます。②荷物列車をC59 164(糸)が牽きます。安芸川尻~安登の音声。③区間運転の通勤列車をC59 161(糸)が先導します。ピストン輸送という使命がかけられて、折返し広駅には転車台がないことに加えて時間制約もあり、大きな炭水車をもつC59もC62も逆向き運転となっています。呉~安芸阿賀の通過音で、逆向きに走り去ります。いずれも昭和43年11月との記録がありました。
(183/父の遺した音13) 常磐線C60牽引仙台行221レ車内音
Переглядів 813Рік тому
常磐線普通221レ上野発仙台行の四ツ倉~久ノ浜です。平駅(現在の「いわき」)でのC60連結からブレーキ緩解テストやコンプレッサー音、他機9600やC62などの汽笛が鳴っています。そして四ツ倉駅の発車は一度空転しての発車ですが、長編成の普通列車の速度を高めます。オハフ61と思われる走行音ですが、さすが重軌道の常磐線では、勢い高速走行となっています。最後は同じ区間における下り青森行急行「みちのく」の通過音です。C62牽引列車との記録です。いずれも昭和41年7月と9月の記録とのこと。
(182/父の遺した音12) 小海線C56貨物列車の緩急車内音
Переглядів 515Рік тому
昭和39年頃の小海線で活躍するC56(込)の音です。甲斐小泉~清里の情景で、汽笛二声で発車します。33‰上り勾配で、おそらく空車とはいえ重い長編成の貨物列車は止まりそうなくらいゆっくり歩みを進めます。やがて絶気合図をもって清里駅に進入してゆきます。帰りは、たくさんの高原キャベツを載せて慎重に八ヶ岳を下ることが推察できます。地域産業と輸送の連携が鉄道という資産をとおして感じられます。高原のポニーC56の元気な姿です。
(180/父の遺した音10)羽幌線のD61
Переглядів 1,2 тис.Рік тому
(180/父の遺した音10)羽幌線のD61
(179/父の遺した音9) 上野駅C57・日豊線楠ヶ丘信号場C57
Переглядів 5272 роки тому
(179/父の遺した音9) 上野駅C57・日豊線楠ヶ丘信号場C57
(178/父の遺した音8) C58 高松駅情景と徳島行普通列車・伯備線後補機つき貨物列車
Переглядів 3492 роки тому
(178/父の遺した音8) C58 高松駅情景と徳島行普通列車・伯備線後補機つき貨物列車
(177/父の遺した音7) 松江駅普通列車・滝谷駅重連貨物列車・田川線普通列車 C11型蒸気機関車
Переглядів 4932 роки тому
(177/父の遺した音7) 松江駅普通列車・滝谷駅重連貨物列車・田川線普通列車 C11型蒸気機関車
(176/父の遺した音6) 奥羽線矢立峠のC61
Переглядів 7842 роки тому
(176/父の遺した音6) 奥羽線矢立峠のC61
(175/父の遺した音5)大きい! D52
Переглядів 1,2 тис.2 роки тому
(175/父の遺した音5)大きい! D52
(174/父の遺した音4)八高線高麗川駅の情景 その1
Переглядів 5012 роки тому
(174/父の遺した音4)八高線高麗川駅の情景 その1
(173/父の遺した音3)C61牽引 急行 第2おいらせ 常磐線経由上野行 青森駅発車風景 音声のみ
Переглядів 1,1 тис.2 роки тому
(173/父の遺した音3)C61牽引 急行 第2おいらせ 常磐線経由上野行 青森駅発車風景 音声のみ
(172/補遺19)秩鉄デハ1002【元国鉄クモハ100-140】最終運用の前面展望 動画
Переглядів 2332 роки тому
(172/補遺19)秩鉄デハ1002【元国鉄クモハ100-140】最終運用の前面展望 動画
(171/父の遺した音2) 石北本線 急行 大雪6号  517レ 生田原駅発車情景 本務D51後部補機9600 音声のみ
Переглядів 2,1 тис.2 роки тому
(171/父の遺した音2) 石北本線 急行 大雪6号  517レ 生田原駅発車情景 本務D51後部補機9600 音声のみ
(170/父の遺した音1)花輪線 峠の龍ヶ森駅 8620と気動車 音声のみ
Переглядів 6552 роки тому
(170/父の遺した音1)花輪線 峠の龍ヶ森駅 8620と気動車 音声のみ
(169/補遺18)川越線9624M新習志野行 ◆モハ114ー354車内音 音声のみ
Переглядів 5012 роки тому
(169/補遺18)川越線9624M新習志野行 ◆モハ114ー354車内音 音声のみ
(168∥番外1)保育教材用動画 助け合って運転するきしゃ
Переглядів 5833 роки тому
(168∥番外1)保育教材用動画 助け合って運転するきしゃ
(167∥補遺17)上信電鉄デキ3号 機関車内走行音 復元記念列車 音声のみ
Переглядів 3263 роки тому
(167∥補遺17)上信電鉄デキ3号 機関車内走行音 復元記念列車 音声のみ
(166∥補遺16)千ケヨ 走る! 動画版
Переглядів 1523 роки тому
(166∥補遺16)千ケ 走る! 動画版

КОМЕНТАРІ

  • @さいだいちつのすけ
    @さいだいちつのすけ 11 днів тому

    貴重な音源を聞かせていただき、ありがとうございました。子供の頃に買ったレコードにも同じ時に録音したC5345の音が少し入っていますが、3軸ボギー客車で録音したのでC53の明瞭なチャフが聞こえず、初めて明瞭なC53のチャフを聞かせていただきました。②の本線走行音ではかなり高速で飛ばしていることがわかり、全盛期の「つばめ」と新京阪デイ100との競走時代を彷彿とさせました。他にも当時の本線の電車の吊りかけ音や3軸ボギーのジョイント音、ターンテーブルやC53のコンプレッサー音など、当時を偲ぶ貴重な音源が多数入っていて堪能させていただきました。最初に書いたレコードは今も家にありますが、プレーヤーがないので再生できません。

  • @43433012
    @43433012 24 дні тому

    AGCかけずに固定レベルの録音でダイナミックレンジが広く素晴らしい録音です! 田川線の石炭列車96重連+96後補機で半世紀前の懐かしい光景が思い出されます かすれた汽笛の音 ウイスキーが旨い♪ ありがとうございます感謝感謝です

  • @AKI-xf5dz
    @AKI-xf5dz 28 днів тому

    弁天町で西尾克三郎氏よりお話を伺う機会がありました。 いろいろと苦心されましたが結果が残せたのは良かったと静かに語られました。 スラ―写真は西宮構内の上り待避線ですね。

  • @今西幸司
    @今西幸司 Місяць тому

    懐かしい、あの頃を思いだします。

  • @masas874
    @masas874 2 місяці тому

    とても懐かしい! 子供達の声も輝いていますね。

  • @辻くろしお
    @辻くろしお 3 місяці тому

    車掌の声が昭和って感じがする

  • @信広-q4h
    @信広-q4h 4 місяці тому

    1973年4月号の鉄道ジャーナル誌を未だに保存しており読み返しました。 特集記事は「花咲くみずほの乙女たち」都ホテル博多営業所の食堂車従業員を追跡取材した泣き笑い感動ありの物語です 主な場面場面は押さえてありますが全てモノクロ写真でウェイトレスさんのユニの色は分かりません でもかなり突っ込んだ取材で読み応えありました 当時の僕は高校生でのちに上京してみずほには何度もお世話になりました。 思い出やエピソードは数知れず 何故かしら三段式の頃が懐かしくも興奮した。つい昨日のように蘇る。

  • @Mason58654
    @Mason58654 4 місяці тому

    @0:33 ❤汽笛

  • @user-tabiichiro
    @user-tabiichiro 4 місяці тому

    1:47:42の熊笹の丘を抜けて稚内市街が見えるあたりの汽笛は感動ですね。涙出そうです

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 4 місяці тому

      コメントを有難うございます。c55の時もDD51になっても321レ•317レともに、この汽笛には感じるものがあります。私には最北の街で暮らす人への敬意と挨拶かと勝手に思っています。旅にいざなう旅情を感じます。共有感謝です。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro 4 місяці тому

      @@syouwapoppo 朝から感動させていただいております。ありがとうございます

  • @nagainobuhiko3340
    @nagainobuhiko3340 5 місяців тому

    ゆくっりとした時間の流れを感じるね。いいものを聞かせて貰いました。ありがとうございます。

  • @TK-qf5go
    @TK-qf5go 5 місяців тому

    × キサシ181 ○ キサシ180

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 5 місяців тому

      ご指摘を有難うございました。感謝です。

  • @修一郎大坂
    @修一郎大坂 6 місяців тому

    この録音マイクを炭水車に装備されていたと聞き及んでいました。その為、乗務員の信号確認の指差し確認の声が入っておらずC53の音のみの録音となっていて素晴らしかったです。🎉

  • @山和憲
    @山和憲 6 місяців тому

    大金を払い抽選されて懐かしイベント運行の列車に乗車しても、庶民の生活に密接した定期運行の列車の風情には100%及ばないはずです。無責任な政府に庶民の大切な移動インフラだった国鉄を分断民営化されて、廃線に継ぐ廃線。結果時間短縮、効率化のみが求められ日常を離れ夜行列車で旅する鉄道の味わい深い旅情は全て 失われ味気のない単なる限られた移動手段になりました。客車の通路に新聞紙をひいてまで混み合った夜行急行列車。冷凍みかんにお茶ポット。駅ホー厶で売り子さんに売られてた駅弁の味。もう二度と蘇らない歴史に触れられた素敵な音源ありがとうございました。

  • @Kanten8501
    @Kanten8501 6 місяців тому

    あまりにも貴重な我が国唯一の3気筒蒸気のサウンド、ありがとうございます。 大正から昭和にかけての蒸気模索の時期、ここまで美しい機関車が走っていた事には感動の思いを感じます。

  • @su-san213
    @su-san213 6 місяців тому

    2:15くらいからのスピードが乗ってからのドラフト音がリズミカルで気持ち良すぎる。

  • @南東たたみ
    @南東たたみ 6 місяців тому

    11年振りに本線を走ったC53はこの後牽引した寝台車 食堂車 展望車ともども弁天町の交通科学館に収まり、その後 梅小路へ、せっかく整備されたのだから、もっと走りたかったでしょうね、いつか聞いてみたかった走行音、数十年来の望みが叶いました、ありがとうございます.

  • @kouichisaitou8398
    @kouichisaitou8398 7 місяців тому

    母の実家が仁賀保です。いつも特急いなほで帰省していましたが、おねだりして一度だけ天の川に乗せてもらいました。 興奮して眠れなかったのを思い出します。 その時の切符は今も大事にとってあります。

  • @photo_kyoto830
    @photo_kyoto830 7 місяців тому

    録音機材のデータも公開してほしいです。昭和50年代だったらカセットデンスケかな?テープはクロームテープ? 父上の遺された昭和40年代だったら、オープンリールのUHER4200か、Nagra3あたりだろうか?

  • @猫田-w9j
    @猫田-w9j 7 місяців тому

    スハフ42 502の最終配置は函館ですね 一度乗りました

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 7 місяців тому

      そうでしたか。違う場所で活躍したことが分かったり、再会するのは嬉しいものです。貴重な情報を有難うございました。

  • @mura0618
    @mura0618 7 місяців тому

    素晴らしいです! 旧型客車が全力疾走で駅を通過していく夜行急行の走行音に初めてお目にかかりました。 しかもここまではっきりジョイント音が続くのは他にないのではないでしょうか。 上野駅全盛のころ大学生でした。懐かしさいっぱいです。 配信していただき本当に感謝しています。

  • @ところてん-r5l
    @ところてん-r5l 7 місяців тому

    貴重な動画の配信ありがとうございます! 列車無線での発車のやりとりが、現在の東武鉄道のSL大樹と同じなのと、走行音が電車や気動車より静かなのが印象的でした。

  • @智徳吉川
    @智徳吉川 7 місяців тому

    冬の客車の音って感じがします(^^) 寒さのせいでレールのつなぎ目が広がるのでジョイント音も大きくなりますし、窓やそこかしこがビビリ音したりと懐かしく聞いていました。

  • @kumosukeponsuke
    @kumosukeponsuke 7 місяців тому

    88年に八甲田で青森に行きました。その時、ほとんど寝られずに車窓を見てましたが、たまに聞こえてくる汽笛が今でも忘れられません。音声聴いてて、そうそうこれだって感じ。先日、50を超えて初めて羽越線を通りました。あそこを毎晩走ってたんですよね…

  • @大友悠-p4g
    @大友悠-p4g 8 місяців тому

    国鉄時代の方が圧倒的に良かったな(T^T)

  • @_vvvf
    @_vvvf 8 місяців тому

    客車の後ろに気動車が繋がれている列車の写真は珍しいですね。 風景の思い浮かぶかのような素晴らしい録音を、いつも楽しませていただいております。

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 8 місяців тому

      コメントを有難うございます。私の知る限りでは、東北線の早朝に、盛岡発沼宮内•大館行で好摩まで、客車と気動車の併結運転だったのを憶えています。

    • @_vvvf
      @_vvvf 7 місяців тому

      @@syouwapoppo ご返信ありがとうございます。ほかにも事例があったのですね。気動車のエンジンはアイドリングだったのでしょうか。いろいろと気になることがありますね。

  • @トメオサガ
    @トメオサガ 8 місяців тому

    多分ですがこの編成が翌日の123レだったのかな?

  • @トメオサガ
    @トメオサガ 9 місяців тому

    上りの122レがこの列車の増結用の客車2両回送扱いで上野まで連結してました 122レに乗るとこの回送車でよく遊んでました😅 今だったらかなり不味いですね😰

  • @トメオサガ
    @トメオサガ 9 місяців тому

    列番変えて最終は盛岡行きでしたね。

  • @トメオサガ
    @トメオサガ 9 місяців тому

    50年3月以降は定期運行は宇都宮止まりで 上野までは荷物扱いの48レでしたね けど繁忙期は客扱いもしてました 53年までは

  • @ktk-porippy
    @ktk-porippy 9 місяців тому

    この音を録った時の客車の色って覚えてたりしますか?

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 9 місяців тому

      青色•茶色の混成だったと記憶しています。ただ茶色は2両程度で、盛アオと盛モカです。

  • @dai2asakaze
    @dai2asakaze 9 місяців тому

    このカマは純粋に東海道・山陽本線の それも配属先も限られた機関庫にしか配属されてへんかった C59ですら九州や東北、C62に至っては北海道や常磐でも使われたのに、、、 なんかの雑誌にこの展示運転の一件が出てたけど、後ろの客車が短すぎるから音が出えへんっちゅうて 単弁かけて無理矢理ドラフト音を上げるように機関士が細工したけどタイヤが薄くなってるから脱線せえへんかヒヤヒヤしたらしい 鷹取工場では入念に整備したそうやけどC53が現役バリバリの頃の人がまだおったからできたんやろな

  • @ホバートンボ
    @ホバートンボ 9 місяців тому

    国産唯一の3シリンダー機関車として、97両が製造されましたが、現存するのは45号機のみ。復活記念運転は記録のためでもあったのかな?とも思わせるほど、しっかり録られていますね。

  • @ktk-porippy
    @ktk-porippy 9 місяців тому

    音声使ってもいいですか?

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 9 місяців тому

      このような音質の悪いものでよければ、どうぞご利用下さい。

    • @ktk-porippy
      @ktk-porippy 9 місяців тому

      @@syouwapoppoありがとうございます。一応リンク貼っておきます。ua-cam.com/video/Ez3-b1QJlx4/v-deo.html

    • @ktk-porippy
      @ktk-porippy 9 місяців тому

      @@syouwapoppo ありがとうございます。

  • @古澤秋倖
    @古澤秋倖 9 місяців тому

    三気筒のシリンダー蒸機排出音は中々軽快な感じの音に聴こえます。 因みに、単車でも実は2気筒エンジンは、どことなく突き上げるような力の出方をしていまして、三気筒から四気筒は実に直と言いますか、 出力の割には実にスムーズで、発進接続のしやすい機構だと感じます。ご紹介のC53は、開発当初は試作的な意味合いで調整がむずかしかったようですね。 しかし、御紹介の作品から来るサウンドから、やはり同じ蒸気機関でも、三気筒はスキップリズムのように聞こえて、ボレロのようなイメージもあります。 蒸気機関車のシリンダー数で、唯一のマルチ機構の機関車が、今は整備しきれないのはいささか残念です。やはり、今で言う「ロスト テクノロジー」に なってしまっているのでしょう。 音声は、リールテープ音声でしょうか?(19㎝/sec?位の録音速度かな?)それとも16㎜クラスのフィルムのサウンドトラックでしょうか?いずれにしろ、 当時の製作情熱がうかがい知れ、本当に興味深い作品だと思います。ご紹介ありがとうございます。

  • @cup77jp
    @cup77jp 9 місяців тому

    故郷から東京に出た時、この天の川でした。父がお祝いにA寝台に乗せてくれました。早朝、赤羽で降りて寮に向かったのを覚えています。

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 9 місяців тому

      赤羽下車でしたか。大宮•赤羽•上野と停車して、それでも国電は、4時台の初電の時間帯。さぞかし寒かったことでしょうね。コメントを有難うございました。

  • @KZT00J
    @KZT00J 9 місяців тому

    私も持っています。 “キングレコード:日本の鉄道 C5345の復活 国産3シリンダーの蒸気機関車 西尾克三郎録音”ですね。

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 9 місяців тому

      そうでしたか。出典をご教示くださいまして、有難うございました。C53の厚紙用紙コピーといい、カセットテープとともに大事にしまわれておりました。理由が分かり、よかったです。感謝申し上げます。

  • @CB-bd6tn
    @CB-bd6tn 10 місяців тому

    SL現役時代を知らないから、こんな感じで主要路線走ってたってのに驚きです。

  • @남상철-n4k
    @남상철-n4k 10 місяців тому

    잘 보고 갑니다

  • @EL1France
    @EL1France 10 місяців тому

    Very nice sound !! Lovely !! 😊

  • @はつかり-z4c
    @はつかり-z4c 11 місяців тому

    上野に午前6時前に到着するんですね。この列車だと秋田~酒田~新潟方面から上野に早朝に着くから便利な列車だったんですね。 はやぶさ55号新青森行

  • @はつかり-z4c
    @はつかり-z4c 11 місяців тому

    昔、寝台急行が走っていたんですね。私の地元からだと青森~秋田急行or特急で行き、秋田から乗車になります。 はやぶさ55号新青森行

  • @macchawala3993
    @macchawala3993 11 місяців тому

    夜行列車の旅を2023年にも追体験できるとは本当にありがたいことです。地図を辿りながら在りし夜を夢想しています。

  • @酒井英夫-h9c
    @酒井英夫-h9c 11 місяців тому

    もう少し後の時代ですが上り「越前」が直江津~上野間、EF62が通すと思ったら高崎でEF62を外しEF58に換えていました。と言うことは何の都合か知りませんがEF58の方が平坦線区間では使いやすかったことを意味していますね。その後EF58全廃後はEF62で通したようですが。やはりEF62では平坦線ではきついと思います。ギャ比4.44は貨物用に軸足を置いたEF60譲りですから。東海道の荷物専用列車運用もきつかったでしょうね。EF58は単機で清水峠を越すこともあったようです(12系6連の場合)。使いやすさではEF62より58の方が良かったのでは。なお、この妙高の各停区間の音声は、電化直前の信越線上り各停の走行音とよく似ていました。あの頃は蒸機のダイヤでEF62が牽引したのです。当然各駅で早着しあくびをして発車時間を待っていました。この頃は軽井沢駅構内はED42のため600V給電でしたがEF62は構わず入っていきました。EF62からED42への機関車交換があったのです。なお、この記憶は私の中3林間学校の帰りでした。

  • @酒井英夫-h9c
    @酒井英夫-h9c 11 місяців тому

    この頃すでにEF62が上野まで通していたのですか。多分高崎でEF58に付け替えられていると思うのですが。

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo 11 місяців тому

      時代により変化がありますが、この録音の頃は上下列車とも上野直江津間のスルーでした。コメントを有難うございました。

  • @酒井英夫-h9c
    @酒井英夫-h9c 11 місяців тому

    EF62・63のブロワー音はすごかったですね。その点はEF58は実に静かでした。

  • @HATSUKARI_1M
    @HATSUKARI_1M Рік тому

    私が撮影していたゴオサントー以降は51号は30秒停車、52号は1分のそれぞれ運転停車でした。 共に多客期の楽しみな列車でした。

  • @九郎兵衛土佐屋
    @九郎兵衛土佐屋 Рік тому

    1987年 高校生の時に上野まで行くために、敢えて富山駅からこの523レに乗って、長岡駅で時間調整しながら、急行能登に乗り換えて宿代を節約しながら出かけた頃の鈍行の音声が聞けて懐かしい思いでいっぱいです。 ありがとうございます。

  • @naoto9435
    @naoto9435 Рік тому

    大変つかぬことをお伺い致しますが、加須市で幼児園の職員をされていたことはありませんか?

    • @syouwapoppo
      @syouwapoppo Рік тому

      平成になった頃ですね、保育士でした。今は都区内の幼稚園にいます。

  • @hmshood302
    @hmshood302 Рік тому

    軋む動輪とレールの響が蒸気機関車の何者でもなく、叩きつけるような蒸気音と情景が見えてきますね。

  • @幸宏-x5o
    @幸宏-x5o Рік тому

    臨時列車ですかね?昭和40年までに高崎線の定期普通列車は115系化していたと思うのですが。

    • @トメオサガ
      @トメオサガ 9 місяців тому

      53年10月までは上下2往復、57年11月まで残り1往復残ってましたよ😂

    • @慶太-n7d
      @慶太-n7d 8 місяців тому

      @@トメオサガ53年~57年って丁度支線区でシートピッチ拡大車の近郊型電車に置き換えられていた頃ですよね?東北本線もその類で残ってて、昭和53年に115系1000番台が配置されて置き換えられるまで残り続けていましたね。まぁ、そもそも115系って1000番台登場以前だと、0・300番台って1000・2000・3000番台合わせた製造分の864両と比べたら全然少ない分しか製造されてない所を見たらわかりますが、旧型国電をほとんど置き換えたのはシートピッチ拡大車なんですよね。 主要幹線だと相当早い段階で客車列車に引導を渡していましたが、客レ置き換えに相当苦労していたそうですね。旧国なんか手に付けられない状態で、首都圏でも103系によって所要線区の旧国絶滅には10年以上の歳月をかけてた訳ですから。