#大東市

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  • Опубліковано 11 лип 2024
  • 大阪府の生駒山地北側に連なる飯盛山系と河内湾に挟まれた扇状地には、南北に細長い平地ながら後期旧石器時代から人が住み始め、弥生時代には集落規模も拡大し、生産活動や祭祀が行われていました。
    堂山古墳群はその飯盛山地の西方の尾根に築造された、8基からなる古墳群です。
    この古墳群の所在する地域は、古くから「堂山」と呼ばれ、この古墳群の名称の由来となっています。また、この地には「金の鶏がこの山に埋まっていて正月の朝に鳴く」という伝承が残されています。
    堂山古墳群発見の契機となったのは、昭和44年に大阪府水道部大東浄水池の建設が予定されていたこの地において、地元住民によって遺物が発見されたことです。これを契機に、同年と昭和47年に大阪府教育委員会による発掘調査が行われ、1号墳から出土した甲冑や刀剣などが大阪府指定文化財に指定されました。
    その後、地元住民の要望を背景に、関係者が協議し、平成24年に大東市が史跡として指定し、大阪府広域水道企業団の協力を得て、大東市立堂山古墳群史跡広場が誕生しました。

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