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今日もありがとうございます🙇
ご視聴、コメントありがとうございました。
ありがとうございました。心で感じたものは思わず信じてしまいますからね、仏法を日頃から聴聞して煩悩を知ったり、人間が罪深い存在であることを焦らされたり、因縁果の概念から自分の行いが返ってくるという教えが本当だなと気付かされたりする時もあります。とにかく日頃から聴聞をして、日常生活を冷静になって見直してみると、仏法が伝えていることは、「たしかに本当だな」と思わず信じさせられてしまいます。これが信心決定では無いと思いますが、他の宗教には無さそうな信心のあり方だと思います。改めてありがとうございました。
他の宗教になさそうな信心のあり方、と気付かれるのは有難いことです。
昨日もありがとうございました‼️🍅🤱
「親鸞上人の信心」が特別なものだから息子でも理解できないものが居た。何十年も共に歩んだ息子も高弟も破門しなければならなかった、難しいものですね。蓮如上人は最も親鸞上人の教えを体得したと言われていますが、やはり晩年になって二人の高弟を破門して、歎異抄を秘本にした。一休禅師も認めていたのは蓮如上人一人だけで他の僧は未熟者と思っていたようです。蓮如上人が死の床で「信心決定すれば救済される」と説き続けたそうですが、周囲の弟子の未熟さを感じていたように思われます。「信じる」事は煩悩の働きです、「信じていたのに」という言葉も煩悩の判断です「自力」。「自力」は煩悩の判断に頼る事です、自分の考えだけしか見ていない。親鸞上人の信心を自分勝手に解釈する人ばかりを嘆く蓮如上人の嘆きが聞こえてきそうです。「阿弥陀如来の本願」に従う事を考えていない事は残念です。
そうですね、弥陀の本願の真意を誤解する人を嘆かれたのが親鸞聖人、蓮如上人ですね。
「信心決定」においても「諸行無常」か当てはまるのではないかと言う疑念が有りますが「聴聞」に依って、その心の霧が一瞬にして晴れる事に期待して居ります。
聞即信の一念に晴れます。お聞きください。
重ねて尊い親鸞聖人の御教えに感謝致します。菊谷先生いつも大切なお話と尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。聴聞続けていきます。ありがとうございます。大聖釈迦牟尼世尊の出世本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
ありがとうございます自分が残りの人生食べて行く為に働きますが、その時間以外の時間は出来る限り利他の為に生きたいです今は父は介護が必要で父に寄り添う事に迷いはありません僕が人生を終える時その先には親鸞聖人や亡き母もいます何の不安がありましょうか貴重なお話しありがとうございました
尊いことです。
絶対に裏切らない本当の幸せ!!まさに世界中の人間が一番に何よりも知りたい事です。親鸞聖人の教えは真理で本当の幸福を教えて下さり素晴らしい教えですね。誰もが幼い頃から孤独に悩んで、それだから何かに依存しないと生きていけない状態に成って悩んでいます。
真に拠り所になるものを求めているのが人間だと言えるかと思います。
今日もおはなしありがとうございましたー😊
菊谷さんお話ありがとうございます😊いつも菊谷ルーティンしてます😊毎回、見て応援してます😊南無阿弥陀仏
ありがとうございました。
信じると幸福があるから信仰するのでなく 信仰に幸福を感じることに救いがあります 恵まれない浮かばれない負の気持ちを返上するために信仰するのは欲であり穢れです 個人が幸福に浸る幸福の独占 これも幸福ではありません 幸福をお互いが感じられるところに救いと幸福があります ありがとうございました
菊谷先生こんばんは〜、菊谷先生の動画は面白いので同じ動画を繰り返し見ても効果はありますでしょうか?
素晴らしかった♪
なんで親鸞会の人は信心決定の話になると仏教の専門用語を並べてわざと難しく話してどうすれば信心決定できるのか最終的に言わないのはなぜでしょうか?本当に菊谷さんやほかの方は信心獲得されているんでしょうか?
難しく話してしまい、力不足を反省します。わかりやすく信心決定を伝えられるよう、研鑚してまいります。信心決定は阿弥陀仏の本願を聞く一つです。それでいつも阿弥陀仏の本願をいろいろな角度からお話ししています。
自分を信じる行いをなさい
信じるとはそうあって欲しいという願いです(何回も言いますが)つまり信心決定(信じ事に決定)はありません、居るかいないか解らない阿弥陀仏も信じられないのに、信心決定(妄想)など論外です、摂取、つまり阿弥陀仏が(信じる心)を我々煩悩不足の凡夫共に漏れなくくれるのであれば?仏法など聞く必要ないと思いますが??
弥陀が信心を与えようとされ、私たちを導かれている姿が聞法している姿です
@@byBuddhism( 信じる)とはそうあって欲しいという願いです、つまり幾ら信じ切っていてもその様にはならないのが世の常です)、それ故信心決定などありえません。仏教の話には妄想が多すぎますね。
浄土宗より一歩進んで浄土真宗を開闢された『真』の一字は、千鈞の重みがあり、世界無比たる所以だと思います。浄土真宗は、眺めて有難がる宗教ではなく、受け取って喜び、味わって楽しむ宗教であると思う。
仰る通り、受け取って喜ぶ宗教です。
だから念仏一回でいいのか(笑)
聞く一つです。
信心決定を目指して仏教を聴聞していますが残念ながら決定する前に寿命を迎えた場合、極楽に行けませんか?
はい、信心決定することが肝要です。
厳密に言えば、親鸞の信心は法然上人の信仰体験と異なるのですね!最後に、宇宙の宗教界は阿弥陀の独壇場なのではありませんよ!
親鸞聖人と法然上人の信心は同じです。
@byBuddhism ならば何故、法然を上人と呼び、親鸞を聖人と呼ぶのか?真宗でこの両者の違いはどこから来るのでしょうか?
@@康雄山本-e4w 失礼いたします時代合わせ時代によって変化するのも仏教ではないでしょうか仏教も諸行無常だと感じます
今日もありがとうございます🙇
ご視聴、コメントありがとうございました。
ありがとうございました。
心で感じたものは思わず信じてしまいますからね、仏法を日頃から聴聞して煩悩を知ったり、人間が罪深い存在であることを焦らされたり、因縁果の概念から自分の行いが返ってくるという教えが本当だなと気付かされたりする時もあります。
とにかく日頃から聴聞をして、日常生活を冷静になって見直してみると、仏法が伝えていることは、
「たしかに本当だな」と思わず信じさせられてしまいます。
これが信心決定では無いと思いますが、他の宗教には無さそうな信心のあり方だと思います。
改めてありがとうございました。
他の宗教になさそうな信心のあり方、と気付かれるのは有難いことです。
昨日もありがとうございました‼️🍅🤱
ご視聴、コメントありがとうございました。
「親鸞上人の信心」が特別なものだから息子でも理解できないものが居た。
何十年も共に歩んだ息子も高弟も破門しなければならなかった、難しいものですね。
蓮如上人は最も親鸞上人の教えを体得したと言われていますが、やはり晩年になって二人の高弟を破門して、歎異抄を秘本にした。
一休禅師も認めていたのは蓮如上人一人だけで他の僧は未熟者と思っていたようです。
蓮如上人が死の床で「信心決定すれば救済される」と説き続けたそうですが、周囲の弟子の未熟さを感じていたように思われます。
「信じる」事は煩悩の働きです、「信じていたのに」という言葉も煩悩の判断です「自力」。「自力」は煩悩の判断に頼る事です、自分の考えだけしか見ていない。
親鸞上人の信心を自分勝手に解釈する人ばかりを嘆く蓮如上人の嘆きが聞こえてきそうです。
「阿弥陀如来の本願」に従う事を考えていない事は残念です。
そうですね、弥陀の本願の真意を誤解する人を嘆かれたのが親鸞聖人、蓮如上人ですね。
「信心決定」においても「諸行無常」か当てはまるのではないかと言う疑念が有りますが
「聴聞」に依って、その心の霧が一瞬にして晴れる事に期待して居ります。
聞即信の一念に晴れます。お聞きください。
重ねて尊い親鸞聖人の御教えに感謝致します。菊谷先生いつも大切なお話と尊い有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。聴聞続けていきます。ありがとうございます。大聖釈迦牟尼世尊の出世本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
ご視聴、コメントありがとうございました。
ありがとうございます
自分が残りの人生食べて行く為に働きますが、その時間以外の時間は出来る限り利他の為に生きたいです
今は父は介護が必要で父に寄り添う事に迷いはありません
僕が人生を終える時その先には親鸞聖人や亡き母もいます
何の不安がありましょうか
貴重なお話しありがとうございました
尊いことです。
絶対に裏切らない本当の幸せ!!まさに世界中の人間が一番に何よりも知りたい事です。親鸞聖人の教えは真理で本当の幸福を教えて下さり素晴らしい教えですね。誰もが幼い頃から孤独に悩んで、それだから何かに依存しないと生きていけない状態に成って悩んでいます。
真に拠り所になるものを求めているのが人間だと言えるかと思います。
今日も
おはなしありがとうございましたー😊
ご視聴、コメントありがとうございました。
菊谷さんお話ありがとうございます😊
いつも菊谷ルーティン
してます😊
毎回、見て応援してます😊
南無阿弥陀仏
ご視聴、コメントありがとうございました。
ありがとうございました。
ご視聴、コメントありがとうございました。
信じると幸福があるから信仰するのでなく 信仰に幸福を感じることに救いがあります 恵まれない浮かばれない負の気持ちを返上するために信仰するのは欲であり穢れです 個人が幸福に浸る幸福の独占 これも幸福ではありません 幸福をお互いが感じられるところに救いと幸福があります ありがとうございました
ご視聴、コメントありがとうございました。
菊谷先生こんばんは〜、菊谷先生の動画は面白いので同じ動画を繰り返し見ても効果はありますでしょうか?
素晴らしかった♪
ご視聴、コメントありがとうございました。
なんで親鸞会の人は信心決定の話になると仏教の専門用語を並べてわざと難しく話してどうすれば信心決定できるのか最終的に言わないのはなぜでしょうか?本当に菊谷さんやほかの方は信心獲得されているんでしょうか?
難しく話してしまい、力不足を反省します。わかりやすく信心決定を伝えられるよう、研鑚してまいります。信心決定は阿弥陀仏の本願を聞く一つです。それでいつも阿弥陀仏の本願をいろいろな角度からお話ししています。
自分を信じる行いをなさい
ご視聴、コメントありがとうございました。
信じるとはそうあって欲しいという願いです(何回も言いますが)つまり信心決定(信じ事に決定)はありません、居るかいないか解らない阿弥陀仏も信じられないのに、信心決定(妄想)など論外です、摂取、つまり阿弥陀仏が(信じる心)を我々煩悩不足の凡夫共に漏れなくくれるのであれば?仏法など聞く必要ないと思いますが??
弥陀が信心を与えようとされ、私たちを導かれている姿が聞法している姿です
@@byBuddhism( 信じる)とはそうあって欲しいという願いです、つまり幾ら信じ切っていてもその様にはならないのが世の常です)、それ故信心決定などありえません。仏教の話には妄想が多すぎますね。
浄土宗より一歩進んで浄土真宗を開闢された『真』の一字は、千鈞の重みがあり、世界無比たる所以だと思います。浄土真宗は、眺めて有難がる宗教ではなく、受け取って喜び、味わって楽しむ宗教であると思う。
仰る通り、受け取って喜ぶ宗教です。
だから念仏一回でいいのか(笑)
聞く一つです。
信心決定を目指して仏教を聴聞していますが残念ながら決定する前に寿命を迎えた場合、極楽に行けませんか?
はい、信心決定することが肝要です。
厳密に言えば、親鸞の信心は法然上人の信仰体験と異なるのですね!最後に、宇宙の宗教界は阿弥陀の独壇場なのではありませんよ!
親鸞聖人と法然上人の信心は同じです。
@byBuddhism ならば何故、法然を上人と呼び、親鸞を聖人と呼ぶのか?真宗でこの両者の違いはどこから来るのでしょうか?
@@康雄山本-e4w
失礼いたします
時代合わせ時代によって変化するのも仏教ではないでしょうか
仏教も諸行無常だと感じます