戦前客車 内装色を考えてみました

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  • Опубліковано 19 жов 2024
  • #旧型客車 #内装 #車内
    スハ32系やオハ35系など、戦前戦後で活躍した旧型の客車、その内装の色はいったいどういったものであったのか? 現在保存されている車両や、資料などから往年の色がどんな色であったか考えてみました。
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    What were the interior colors of the Suha 32 series, Oha 35 series, and other old-type passenger cars that were in service before and after World War II? We have tried to find out what colors were used in the past by looking at currently preserved cars and documents.
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    #旧型客車 #内装 #車内

КОМЕНТАРІ • 9

  • @たま-w2j
    @たま-w2j Рік тому

    阪急電車は、そう考えると上手く、電車にその木目調の内装をデザインとして、落とし込んでますよね。

    • @jyariten-zizi
      @jyariten-zizi  Рік тому

      北大阪急行も内装は木目調ですね。アルナ工機製なので阪急と同じなんでしょうね。
      南海も色は明るいですが、よくみると木目調だったように思います。
      サンライズは内装をミサワホームが手掛けていますが、サンライズは本物の木と樹脂を混合したものを使っていて驚きました。
      やっぱり木目調はいいですね。

  • @燕黒車両工房
    @燕黒車両工房 Рік тому

    戦前の列車は資料も少ないのでこうして動画にして頂けるのはとてもありがたい限りです。もう既に作った後ですが、これを参考に内装のリフォームもやってみようと思います(Nゲージのキット客車ですが)

    • @jyariten-zizi
      @jyariten-zizi  Рік тому

      コメントありがとうございます♪
      戦前客車の内装は今では博物館しか参考になるものはありませんから。
      鋼製改造の時の動画は残っていますから、それを参考にしたりとか、
      当時考えられる材料や、コストをどれだけ掛けられたかとか、
      そういう事から想像するしかありませんからね。
      時代考証と言いますか。。。
      展望車の照明の意匠は資料がありますので、そういう所は豪華だったんだと思います。
      1等車だからと言って、外塗りは漆塗りだったそうですが、プルマン社の様に内装材料に桐の木や、マホガニーなんて使っていないでしょう。

  • @EF58
    @EF58 Рік тому

    木の化粧板もさることながら、金属部品の色も悩ましいですね(戦前は「褐色」らしい。塗膜を剥がすと戦後の淡緑の下に錆止めみたいなくすんだオレンジが出てくるそう)。
    由緒ある一等車なのに座り方がだらしない人がいますね…

    • @jyariten-zizi
      @jyariten-zizi  Рік тому +1

      コメントありがとうございます。
      確かに、外板塗装は削ると歴史が出てきますね。
      京都鉄道博物館のマイテ49も尾灯掛けの下の塗装がめくれていて、青大将色がチラリと見えていますし。

  • @nakat7758
    @nakat7758 Рік тому

    復元されたマイテ49の座席のカバー、中途半端なんですよね。
    本来一等室の座席は全体がすっぽり入る純白のカバーが被せられており、流石一等車と思わせる風格がありました。
    ですから復元後のマイテ、なんか安っぽく感じてしまいます。
    まあ、贅沢言っているのは百も承知しているのですが。

    • @jyariten-zizi
      @jyariten-zizi  Рік тому

      @nakat7758さん コメントありがとうございます。
      この客車が製造された1938年ドイツではユダヤ人の迫害が行われていた年で、日本は太平洋戦争勃発の2年前という時代です。
      都心といえども舗装は国道以外は地道ですし、清掃今ほど頻繁ではなかった。感染症も多く衛生状態も今ほどではなかった。
      そういう時代だからこそ、一等にのられる方にはすぐに洗い替えができるカバーがかけられていたわけです。
      戦後になり、日本の衛生状態が良くなるにつれカバーが現代風に変えられたのは自然の成り行きだと思います。

    • @nakat7758
      @nakat7758 Рік тому +1

      ​@jyariten-zizi 様
      ご返信ありがとうございました。
      私も少し気になって資料を見てみたのですが、マイテに関しては青大将になり、つばめとはとが電車化されるまで座席は白のフルカバーだった様です。RM LIBRARY200号と鉄道ファン271号に写真があります。戦後、特ロの枕カバーも今よりずっと長かったのですが、その理由が「ポマードで座席が汚れないため」という説を聞いたことがあります。
      いずれにしましても、内装の資料は数が少なく、探すのに骨が折れます。
      まあ、これが楽しいと言えない事もないのですが