2024年1月21日「わからないを生きる―困難と不可解な時代を生きる」ルカ23:9-43 奥田知志牧師 主日礼拝 東八幡キリスト教会

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  • Опубліковано 4 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 4

  • @フツーの人-r4e
    @フツーの人-r4e 9 місяців тому +6

    主人が5年前にアルツハイマーと診断されました。嘆きもがきました。祈りにならない祈りに対して、心に響く声がありました。「私がそんなに頼りないのか」その時私の不安は、消えました。今は主人とともに毎日祈り、遠方の旅行も楽しめています。この世の富や名誉を捨てる時、霊の財産が与えられる奥義が聖書の教える神様だと、思います。

  • @永松えり子
    @永松えり子 10 місяців тому +5

    ネガティブケイパビリティーの考え、大いに大いに共感です。私事ですが、10代何度も、言葉に尽くせない凄絶ないじめにあい、親を含む周囲からの助けも理解もなく、忘れようとしても、頭から消えることなく生きてきました。もう人生の終盤戦にさしかかり、あの頃のわからない、何故私が?を苦しまずに生きたい。そして少しでも、今、何故?の人達、例えば被災地の人たちに寄り添った生き方がしたい。自身の過去の何故?のとらわれから解放されたいです。カインとアベルの奥田先生の解釈も関西弁楽しく聴かせていただきました。

  • @有里子工藤-p4d
    @有里子工藤-p4d 10 місяців тому +9

    ほんとうに心に響く説教を感謝致します。
    negativ capavility の必要性を、今この日本国内の地震、海外で起こっている戦争等の困難を、どのように考えればよいのか、迷いの中で一つ光の方向が見えたように思えます。誠に有り難うございます。工藤

  • @JesusChrist-fv6dg
    @JesusChrist-fv6dg 10 місяців тому +6

    人間の弱さを説明している説教で良かった。
    人間は1人では生きていけんことがようわかった。
    自己責任なんて言う社会は大変酷い社会だ。
    改めんといけん。