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動画作成ありがとうございます。懐かしさを感じます。自分は82年の高校生の夏休みに初めての北海道を全線完乗を目指して回りました。はぼろ号には乗車しませんでしたが、時刻表に表示のある天売号に乗車しました。増毛行った後に留萌から幌延まで乗車。しかし夏休みで海水浴客が多く確か増結されてましたが留萌→羽幌は混雑でデッキにいました。その後廃止されレンタカーで沿岸を走った時は、なんで廃止になったんだろうと寂しく感じました。また3階建ての大雪号は末端区間で乗りました。なんで札幌から大回りの需要あるのかなんて思いました。今思えば夢のある路線や列車が数多く楽しかったです。
コメントありがとうございます。天売号、いいですね。昼行列車なので、さぞ景色も良かったのではないかと思います。もし、私が天売号に乗っていれば、違った動画になったのかも・・・デッキまで混雑って、今では考えられないですね。現在、沿岸バスも、通学時間帯でも1台で十分なくらの輸送量ですし、羽幌線に致命傷を与えた、沿岸バスの特急「はぼろ」も、外から見ている限り、それほど賑わっているようには見えませんでした。また、宗谷本線を廃止して、天北線と羽幌線が残っていたらどうなっていたのでしょうかね。
初めまして、動画アップありがとうございます。40年前私はバイクで全道を周っていました。当時はATMなんか無くて全国でお金を降ろせる機関は郵便局しかありませんでした。そんな折、祝日に気付かずお金を降ろせないまま羽幌付近で足止めを食らってしまい力昼と築別の駅で寝袋を広げ寝た事があります。力昼駅は目の前が日本海で何時間も眺めていた記憶があります。朝は通学の生徒さんに起こされるような感じで目を覚ましましたが、力昼駅の清掃を任されたのだろう付近のおばさんに「ギャー 出てケー」で慌てて出ていきました^^;その時もう一人ライダーいたなぁw
コメントありがとうございます。今でも、天売島ではお金を下ろせず、ちょっと慌てました・・・。築別の駅とか力昼の駅でずっと海を見ていたというのは、今からすると貴重な経験だと思いますが、当時は時間を持て余してしまったでしょうね。今、駅寝をする人ってどのぐらいいるのでしょうか?今年の9月に宗谷本線の下沼駅で途中下車した時は、駅のノートに泊まって人のメモが残されていましたが・・・
羽幌線を走っていた伝説の急行はぼろ号。石北本線経由の大雪3号、名寄本線経由の紋別を併結した13両編成の急行列車でした。
急行はぼろですが、旧羽幌駅を出るとまるで回送列車のようだったそうです。鉄道ジャーナル誌でルポをされていたときに載っていました。結局この列車は羽幌からの札幌への列車だった。一番混んでいたのは留萌までだったそうであとは下車される一方のようだった。
@@もりわききくお コメントありがとうございます。羽幌で大半が降りました。天塩から先、普通列車になっても良さそうなものですが、なぜ終点まで急行運転だったのでしょうか…現在でも、沿岸バスの特急「はぼろ」に乗った人の話だと、留萌で半数が降りて、羽幌でほぼ全員が降りたようでした。
羽幌線、乗りたかったなぁ。
コメントありがとうございます。もう、覚えている人少なくなってしまいました。羽幌の街に泊まった時に、羽幌線の話をしても知っている人はいませんでした・・・。
懐かしい。稚内までの延長が要望されていました
コメントありがとうございます。スイッチバックが必要ですけれど、ディーゼルカーなら問題無かったですね。宗谷本線よりも、短距離なので、便利だったと思います。
動画作成ありがとうございます。懐かしさを感じます。自分は82年の高校生の夏休みに初めての北海道を全線完乗を目指して回りました。はぼろ号には乗車しませんでしたが、時刻表に表示のある天売号に乗車しました。増毛行った後に留萌から幌延まで乗車。しかし夏休みで海水浴客が多く確か増結されてましたが留萌→羽幌は混雑でデッキにいました。その後廃止されレンタカーで沿岸を走った時は、なんで廃止になったんだろうと寂しく感じました。また3階建ての大雪号は末端区間で乗りました。なんで札幌から大回りの需要あるのかなんて思いました。今思えば夢のある路線や列車が数多く楽しかったです。
コメントありがとうございます。天売号、いいですね。昼行列車なので、さぞ景色も良かったのではないかと思います。もし、私が天売号に乗っていれば、違った動画になったのかも・・・
デッキまで混雑って、今では考えられないですね。現在、沿岸バスも、通学時間帯でも1台で十分なくらの輸送量ですし、羽幌線に致命傷を与えた、沿岸バスの特急「はぼろ」も、外から見ている限り、それほど賑わっているようには見えませんでした。
また、宗谷本線を廃止して、天北線と羽幌線が残っていたらどうなっていたのでしょうかね。
初めまして、動画アップありがとうございます。
40年前私はバイクで全道を周っていました。当時はATMなんか無くて全国でお金を降ろせる機関は郵便局しかありませんでした。
そんな折、祝日に気付かずお金を降ろせないまま羽幌付近で足止めを食らってしまい
力昼と築別の駅で寝袋を広げ寝た事があります。力昼駅は目の前が日本海で何時間も眺めていた記憶があります。
朝は通学の生徒さんに起こされるような感じで目を覚ましましたが、力昼駅の清掃を任されたのだろう付近のおばさんに
「ギャー 出てケー」で慌てて出ていきました^^;その時もう一人ライダーいたなぁw
コメントありがとうございます。今でも、天売島ではお金を下ろせず、ちょっと慌てました・・・。
築別の駅とか力昼の駅でずっと海を見ていたというのは、今からすると貴重な経験だと思いますが、当時は時間を持て余してしまったでしょうね。今、駅寝をする人ってどのぐらいいるのでしょうか?
今年の9月に宗谷本線の下沼駅で途中下車した時は、駅のノートに泊まって人のメモが残されていましたが・・・
羽幌線を走っていた伝説の急行はぼろ号。
石北本線経由の大雪3号、名寄本線経由の紋別を併結した13両編成の急行列車でした。
急行はぼろですが、旧羽幌駅を出るとまるで回送列車のようだったそうです。鉄道ジャーナル誌でルポをされていたときに載っていました。結局この列車は羽幌からの札幌への列車だった。一番混んでいたのは留萌までだったそうであとは下車される一方のようだった。
@@もりわききくお コメントありがとうございます。羽幌で大半が降りました。
天塩から先、普通列車になっても良さそうなものですが、なぜ終点まで急行運転だったのでしょうか…
現在でも、沿岸バスの特急「はぼろ」に乗った人の話だと、留萌で半数が降りて、羽幌でほぼ全員が降りたようでした。
羽幌線、乗りたかったなぁ。
コメントありがとうございます。もう、覚えている人少なくなってしまいました。羽幌の街に泊まった時に、羽幌線の話をしても知っている人はいませんでした・・・。
懐かしい。
稚内までの延長が要望されていました
コメントありがとうございます。
スイッチバックが必要ですけれど、ディーゼルカーなら問題無かったですね。
宗谷本線よりも、短距離なので、便利だったと思います。