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ちょうど今朝、このお話にもまつわる動画撮ったところでして、最近私なりに腑に落ちたのが『自然農(自然系農法)はアート』と認識するのが1番しっくりくるなと。アートなら、表現者それぞれ好きにすれば良いし、求めるものも目指すもの人それぞれでそれで良しなので、多様性を受け入れる考え方にもマッチしてると思ってます^ ^
いいですね。私も「自然系菜園」と改称することにします😄
@@piecefarm まさしく!僕も表現としての空間創りの面が強いです。
確かに、自然農の方々は禁止事項が多いから宗教的になりますね。自然原理主義という側面もありますね。
病み上がりにお疲れ様です😅テーマからズレるかもしれませんが私がこちらのチャンネルが気に入ったのはこの大変な世の中で生きる為の重要な技法だと直感したからです。自然農法の名前如きで細かく指摘するよりもそれぞれ個人が満足出来る作物を育て収穫の喜びに時間を注いだらどうでしょうね😆そーやんさんは自信を持って様々な情報を発信して頂けたら幸いです😊今後も応援します。野菜を超えて雑草を見る時間が増えた宮城県のおばちゃんでした👋
そーやんさん、今回も配信ありがとうございます☺️「自然農とはこういう形でないといけない」とか、どうしてそんなに型にはめたくなっちゃうんでしょうね😅私はそーやんさんが最後に書かれている、その人にとって自然体でできる方法、その人にとって心地よく続けられる方法でやればいいのでは⁉️というのに同感です😊固定観念でガチガチに固まるのではなく、程よく遊び(間)を持ち自分の頭で考えて行動する事は万事に亘って大切だなと思います😊守破離の守より、破離の方が大事だなと...😊他人より自分自身にフォーカス❣️その方が楽しいですよね 🥰では、また次の配信楽しみにしています😊暑い日が続きますので、どうぞご自愛くださいね🥰
そーやんさん、たいへんですねぇ。 私はそーやんさんの考え方に共感します。それしかありません。
自然農をうたう宗教は数多くありますので、一般的に胡散臭く感じることは仕方ないと思います。また肥料や農薬は安全でないというのも非科学的です。目的が異なるだけで、他の農法を批判することに疑問を感じます。
動画拝見しました。守破離について、非常に共感致します。実際、自然農法なんてやらなくても農家の方が作った飯を食ってれば生きていけるのに、誰かが考えた崇高な思想だからと乗っかって、空虚な人間がそれを着込んで社会的ステータスにしたりマウント材料に使う姿勢が気味悪く、相容れない。せめて自然農法を趣味として、エンタメとして個人的に楽しんでほしい。自分がやりたいからやるって思ってて欲しい。
他のサイトでも同じようなことを投稿しましたが、自分の中では、慣行農法と自然農は連続的に繋がっていると考えています。外部から自然に得られるエネルギーは太陽光と二酸化炭素しかないという前提に立った時、それを最大に利用して最大の収穫量を得るために、過去に蓄積された化石資材を最大限に投入して最大収量をを目指すという究極に合理性の高い慣行農法があり、一方で外部からは何も投入しないでエネルギーの最低限の循環の中で得られる収穫だけをもらうというのが自然農だと考えています。作物を収奪する以上、奪われた要素を何かの資材で補充する必要があり、それが「化成肥料」なのか「おぎない」と称する実は化石資材から作られた自然物を材料とする有機肥料なのかの違いでしかない。哲学的、宗教的、無理解な農薬嫌い、自然農を非化学と言う方、いろいろですが、そういったものでは無くて、連続する農のスタイルの中で、自分が何を得るために、何を足枷として、何を許容して、農作業をするかの選択だと思います。私は、無肥料(おぎないはします)、無農薬(すとちゅう水や納豆菌水は使う)、不耕起(管理機も使います)ということで、自分のスタイルは自然農ではなく、自然的菜園と称するようにしています。日本では、一般的な慣行農法の方が早く衰退していき、最大効率を求める慣行農法と自然農に分かれていくのではないかと考えています。(補助金制度がそれを阻害しますが)
自然農にまつわる原則や制限、これが正しいという選民意識?の様な自己満足(敢えて言ってマス😅)突き詰めると自分も危うい感じに向かってしまいそうなので、そーやんさんのこの動画は中庸に立つ意味も含めてありがたく思います✨✨
書き忘れました。自分は家庭菜園3年生の初心者ですが、そーやんさんの野菜と雑草に関する知識をいつも参考にさせて頂いています。メヒシバやスギナばかりの畑だったのが、ハコベやホトケノザも生える土地に変わりました。ありがとうございます。
ものごとには基本となる「型」がありますが、人には個性があり全く同じというわけにはいきません。その型に固執し囚われていては、いつまでたっても、新たな発見はありませんし、何より成長も見込めません。野菜づくりに関しても同じことが言えるかと思います。圃場の土質や気温、畑に関われる時間など環境は人それぞれ異なります。安全で美味しく栄養価の高い野菜を育てる、という基本を忘れず、自然と調和した農法なら「型」は必要であっても、その「型」に拘る必要はないのかなと思います。因みに、自分は草を刈っては株元に敷き、虫は殺さず、落ち葉堆肥や生ゴミ堆肥も使う、自然尊重循環農法だと自負しています。
様々な試みお疲れ様ですセンセーショナルな部分を大々的に発信して実態と乖離している信じる者を集めて生産物ではなく情報で利益を出すこの方式の配信者が多いので悪い意味で新興宗教的だと感じますね精神性を説くだけで実践を伴わない発信者が多い間は宗教的に感じるのは致し方ないですね
確かに胡散臭いイメージあるので「自然農やってます!」とは言いにくいです相手をえらびます😅無農薬/無施肥/不耕起/雑草との共生などが定義に当てはまると思いますが自然農に向いてない土地や土壌環境な場合自然農の状態になるまでは山の土や落ち葉入れたり(土ドーピング!)他有機物入れたり耕起したりして最終的に自然農の状態を目指してるならそれも自然農としとけば良いと思います
文章拝見しました。このような懐疑をずっと持っていたいと思いました。振り返って思うに、驚きや不思議、なんとなくの違和感予感のような感覚に疎遠になると、想定外という不知が不安で、昂じると許せなくもなるようです。今も、依然として自然や人間(自分)自身が想定内に収まらないので、安心したくてなのか、隅々が淫靡に暴力的に抑圧的なってるように感じます。そうなら本当の鬼は自分の頭で、自然農「的」な考え方はヒトにとって不可避ぽいそれらと折り合うための呼吸のようなもの、種々の手段は日輪刃みたいなもの、でしょうか。基本、後追いの存在で試されてるかもと思うと、無限城もかえっていろいろ楽しく思えてきます。
慣行農法も宗教化してます。「たとえ自然環境が破壊されようとも慣行農法を絶対に続けなければならない! 新しい農法なんて絶対に認めない!」と、深く信仰してる人はたくさんいます🌟
野菜自体、これまで人の手が加えられて種が守られてきたものであると思うので人工物だととらえています。自然農のルールを守り抜かなければと思う方々は、野菜作りを愉しむことより、ルールを守り正しさを貫くことを大切に思っているのかなと思います。自然界は厳しく、そして寛大なので、細かなルールを気にするよりも日常で避けられない野菜クズや米ぬかなどを生ゴミに出さずに土に返して、また自分たちの食べるものを育てるというのが自然体な循環だと考えています。育児に飲み込まれて、野菜苗も青々した草たちに飲み込まれてますが😂できる限り刈って敷くを続けて少しずつ多様な草花が増えてきています🍀そーやんさんにはいつも元気をいただいています。ありがとうございます
自然農はもう福岡正信流を支持する人たちに明け渡して半分宗教を含めたものとして確立していくべきだと思うんですよね。我々はあと乗りして勝手に自分の都合のいいように改変してるんですよ、出ていくべきなのは我々で不耕起栽培とか草生栽培を名乗ればいいんです。岡田茂吉流の方はどうするのか問題はありますが、あちらはMOA自然農法という区別化がされてるので大丈夫でしょう。そーやんさんは福岡正信流から見れば破天荒な革命児みたいな人なのに、中立的な立場を装って仲良くみんな好きなようにやろうよと言うのはおかしくないかと考え直して欲しいです。争いのタネを産んでいるのはこっちです。
畑に草はやしてたら村八分になるで。
大丈夫、つべこべ言う老人たちはもうすぐ引退だから
@@pansyu1569 日本中いずこも同じなんですね。そのことに驚きました😲私の祖母👵が「草ば生やしたら、人から笑われるけん」とよく草むしりをしていました。60年ほど前の事です。
@@tidefilm2133そうなんですよね。というか、結局は世代交代が全てを解決してくれるとおもいます。
ちょうど今朝、このお話にもまつわる動画撮ったところでして、最近私なりに腑に落ちたのが
『自然農(自然系農法)はアート』
と認識するのが1番しっくりくるなと。
アートなら、表現者それぞれ好きにすれば良いし、求めるものも目指すもの人それぞれでそれで良しなので、多様性を受け入れる考え方にもマッチしてると思ってます^ ^
いいですね。私も「自然系菜園」と改称することにします😄
@@piecefarm まさしく!僕も表現としての空間創りの面が強いです。
確かに、自然農の方々は禁止事項が多いから宗教的になりますね。自然原理主義という側面もありますね。
病み上がりにお疲れ様です😅
テーマからズレるかもしれませんが私がこちらのチャンネルが気に入ったのはこの大変な世の中で生きる為の重要な技法だと直感したからです。
自然農法の名前如きで細かく指摘するよりもそれぞれ個人が満足出来る作物を育て収穫の喜びに時間を注いだらどうでしょうね😆
そーやんさんは自信を持って様々な情報を発信して頂けたら幸いです😊
今後も応援します。
野菜を超えて雑草を見る時間が増えた宮城県のおばちゃんでした👋
そーやんさん、今回も配信ありがとうございます☺️
「自然農とはこういう形でないといけない」とか、どうしてそんなに型にはめたくなっちゃうんでしょうね😅
私はそーやんさんが最後に書かれている、その人にとって自然体でできる方法、その人にとって心地よく続けられる方法でやればいいのでは⁉️というのに同感です😊
固定観念でガチガチに固まるのではなく、程よく遊び(間)を持ち自分の頭で考えて行動する事は万事に亘って大切だなと思います😊
守破離の守より、破離の方が大事だなと...😊
他人より自分自身にフォーカス❣️
その方が楽しいですよね 🥰
では、また次の配信楽しみにしています😊
暑い日が続きますので、どうぞご自愛くださいね🥰
そーやんさん、たいへんですねぇ。
私はそーやんさんの考え方に共感します。それしかありません。
自然農をうたう宗教は数多くありますので、一般的に胡散臭く感じることは仕方ないと思います。
また肥料や農薬は安全でないというのも非科学的です。目的が異なるだけで、他の農法を批判することに疑問を感じます。
動画拝見しました。守破離について、非常に共感致します。
実際、自然農法なんてやらなくても農家の方が作った飯を食ってれば生きていけるのに、誰かが考えた崇高な思想だからと乗っかって、空虚な人間がそれを着込んで社会的ステータスにしたりマウント材料に使う姿勢が気味悪く、相容れない。
せめて自然農法を趣味として、エンタメとして個人的に楽しんでほしい。自分がやりたいからやるって思ってて欲しい。
他のサイトでも同じようなことを投稿しましたが、
自分の中では、慣行農法と自然農は連続的に繋がっていると考えています。
外部から自然に得られるエネルギーは太陽光と二酸化炭素しかないという前提に立った時、
それを最大に利用して最大の収穫量を得るために、過去に蓄積された化石資材を最大限に投入して最大収量をを目指すという
究極に合理性の高い慣行農法があり、一方で外部からは何も投入しないでエネルギーの最低限の循環の中で得られる収穫だけを
もらうというのが自然農だと考えています。
作物を収奪する以上、奪われた要素を何かの資材で補充する必要があり、それが「化成肥料」なのか「おぎない」と称する実は
化石資材から作られた自然物を材料とする有機肥料なのかの違いでしかない。
哲学的、宗教的、無理解な農薬嫌い、自然農を非化学と言う方、いろいろですが、そういったものでは無くて、
連続する農のスタイルの中で、自分が何を得るために、何を足枷として、何を許容して、農作業をするかの
選択だと思います。
私は、無肥料(おぎないはします)、無農薬(すとちゅう水や納豆菌水は使う)、不耕起(管理機も使います)ということで、
自分のスタイルは自然農ではなく、自然的菜園と称するようにしています。
日本では、一般的な慣行農法の方が早く衰退していき、最大効率を求める慣行農法と自然農に分かれていくのではないかと
考えています。(補助金制度がそれを阻害しますが)
自然農にまつわる原則や制限、これが正しいという選民意識?の様な自己満足(敢えて言ってマス😅)突き詰めると自分も危うい感じに向かってしまいそうなので、そーやんさんのこの動画は中庸に立つ意味も含めてありがたく思います✨✨
書き忘れました。
自分は家庭菜園3年生の初心者ですが、そーやんさんの野菜と雑草に関する知識をいつも参考にさせて頂いています。
メヒシバやスギナばかりの畑だったのが、ハコベやホトケノザも生える土地に変わりました。ありがとうございます。
ものごとには基本となる「型」がありますが、人には個性があり全く同じというわけにはいきません。その型に固執し囚われていては、いつまでたっても、新たな発見はありませんし、何より成長も見込めません。
野菜づくりに関しても同じことが言えるかと思います。圃場の土質や気温、畑に関われる時間など環境は人それぞれ異なります。
安全で美味しく栄養価の高い野菜を育てる、という基本を忘れず、自然と調和した農法なら「型」は必要であっても、その「型」に拘る必要はないのかなと思います。
因みに、自分は草を刈っては株元に敷き、虫は殺さず、落ち葉堆肥や生ゴミ堆肥も使う、自然尊重循環農法だと自負しています。
様々な試みお疲れ様です
センセーショナルな部分を大々的に発信して実態と乖離している
信じる者を集めて生産物ではなく情報で利益を出す
この方式の配信者が多いので悪い意味で新興宗教的だと感じますね
精神性を説くだけで実践を伴わない発信者が多い間は宗教的に感じるのは致し方ないですね
確かに胡散臭いイメージあるので
「自然農やってます!」
とは言いにくいです
相手をえらびます😅
無農薬/無施肥/不耕起/雑草との共生などが定義に当てはまると思いますが
自然農に向いてない土地や土壌環境な場合
自然農の状態になるまでは
山の土や落ち葉入れたり
(土ドーピング!)
他有機物入れたり耕起したりして
最終的に自然農の状態を目指してるならそれも自然農としとけば良いと思います
文章拝見しました。このような懐疑をずっと持っていたいと思いました。
振り返って思うに、驚きや不思議、なんとなくの違和感予感のような感覚に疎遠になると、想定外という不知が不安で、昂じると許せなくもなるようです。
今も、依然として自然や人間(自分)自身が想定内に収まらないので、安心したくてなのか、隅々が淫靡に暴力的に抑圧的なってるように感じます。
そうなら本当の鬼は自分の頭で、自然農「的」な考え方はヒトにとって不可避ぽいそれらと折り合うための呼吸のようなもの、種々の手段は日輪刃みたいなもの、でしょうか。
基本、後追いの存在で試されてるかもと思うと、無限城もかえっていろいろ楽しく思えてきます。
慣行農法も宗教化してます。「たとえ自然環境が破壊されようとも慣行農法を絶対に続けなければならない! 新しい農法なんて絶対に認めない!」と、深く信仰してる人はたくさんいます🌟
野菜自体、これまで人の手が加えられて種が守られてきたものであると思うので人工物だととらえています。自然農のルールを守り抜かなければと思う方々は、野菜作りを愉しむことより、ルールを守り正しさを貫くことを大切に思っているのかなと思います。自然界は厳しく、そして寛大なので、細かなルールを気にするよりも日常で避けられない野菜クズや米ぬかなどを生ゴミに出さずに土に返して、また自分たちの食べるものを育てるというのが自然体な循環だと考えています。育児に飲み込まれて、野菜苗も青々した草たちに飲み込まれてますが😂
できる限り刈って敷くを続けて少しずつ多様な草花が増えてきています🍀そーやんさんにはいつも元気をいただいています。ありがとうございます
自然農はもう福岡正信流を支持する人たちに明け渡して半分宗教を含めたものとして確立していくべきだと思うんですよね。
我々はあと乗りして勝手に自分の都合のいいように改変してるんですよ、出ていくべきなのは我々で不耕起栽培とか草生栽培を名乗ればいいんです。
岡田茂吉流の方はどうするのか問題はありますが、あちらはMOA自然農法という区別化がされてるので大丈夫でしょう。
そーやんさんは福岡正信流から見れば破天荒な革命児みたいな人なのに、中立的な立場を装って仲良くみんな好きなようにやろうよと言うのはおかしくないかと考え直して欲しいです。争いのタネを産んでいるのはこっちです。
畑に草はやしてたら村八分になるで。
大丈夫、つべこべ言う老人たちはもうすぐ引退だから
@@pansyu1569
日本中いずこも同じなんですね。そのことに驚きました😲私の祖母👵が「草ば生やしたら、人から笑われるけん」とよく草むしりをしていました。60年ほど前の事です。
@@pansyu1569
日本中いずこも同じなんですね。そのことに驚きました😲私の祖母👵が「草ば生やしたら、人から笑われるけん」とよく草むしりをしていました。60年ほど前の事です。
@@tidefilm2133
そうなんですよね。というか、結局は世代交代が全てを解決してくれるとおもいます。