牟田口廉也の最期 「遺言」勇将から愚将へ 光と影の人生で遺した言葉【第二次世界大戦】【太平洋戦争】【大東亜戦争】
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- Опубліковано 27 лип 2024
- 遺言 牟田口廉也
大東亜戦争の戦史の中でも、特に悲惨な結果をもたらした作戦の一つが、
悪名名高いインパール作戦です。
7万人を超える将兵の命が犠牲になった
この作戦を指揮した男こそ、牟田口廉也陸軍中将です。
彼の歩んだ道は、戦争の残酷さと人間の残酷さを象徴していると言えるでしょう。
この動画では、牟田口廉也の生涯を紐解き、彼の光と影に迫ります。
狂気と栄光、そして悲劇。
物事には裏表があるということにも気にしながらご覧いただければと思います。
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ビルマ戦線インパール作戦末期兵隊置いてきぼりして逃げた人と聴いてます
前線から400km以上後方に第15軍司令部を構え、芸者遊びにかまけながら、幕僚からも見放されていたので、自身で起案した電文を頻繁に部隊に送り付けて、無謀な督戦を繰り返していました。前線に赴いたなら「置いてきぼり」とも言い得ますが、それにも値しないので、何と評したらいいでしょうね。
いいえ、盧溝橋事件の時から、牟田口は間違っていました。
自分の作戦を間違って無かったと考える前に、多くの軍人、兵士を見殺しにした事を猛省すべきだね!
腐れハゲに未来有る若者を餓死させた罪は重い。末裔が居るなら腹ペコでインパールまで歩かせてみたい!当時の兵士の苦しみを味わうべき
牟田口の『む』も聞きたくないと生き残った兵達は思っているでしょうふざけた奴
戦後祖父から色々と聞かされていましたが自分が大人になりある程度日本社会を理解してくると牟田口氏の行動は決して彼一人の問題ではないと思います。
現代でも中間管理職はと非常に辛い立場で特に上司が悪かったと思う
戦後彼は日本からも切り捨てられ彼一人の責任となったのがよく分かる とは言え多くの部下の命を預かる立場である以上佐藤師団長の様な決断も欲しかったと感じました。
ちなみに特攻の有無の親である大西氏も同じような事で詰腹切らされてるし
牟田口司令官は英雄である、東条首相やボースからの強い要請で実行されインド独立が達成された。これを英雄と言わず何を英雄と言うのか。東京裁判を否定しましょう。植民地解放国家🇯🇵\(^_^)/ジジーより原爆も謝罪させましょう
インパール作戦ばかり取り上げられるが、当初から自己陶酔型のトラブルメーカーだったのがよく分かりました。エリート意識や差別感情が強く、無用ないさかいを招いては、それさえも自己陶酔のネタするという、傍迷惑を糧として生き永らえた生涯でありました。
素晴らしい内容でした。とても考えさせられました。
戦術レベルでは、牟田口氏の言い分にも理はあるかもしれない。
しかし、これほど批判されるのは、戦略レベルで理があると思えない点だと思います。
補給も撤退も厳しい死地に大部隊を展開させて、仮に成功したとしても、その先にこれほどのリスクを負うほどの価値があるビジョンが見えない。
だから、牟田口氏のメンツや精神勝利の為の無謀な博打と批判されるのだと思います。
実際には戦略レベルの判断をするのは、現場指揮官の責任ではなく、本部の責任ですから、スケープゴートにされている牟田口氏にも同情はしますが・・・
まぁ、この「戦術レベルでは優秀でも、戦略を軽視し過ぎて行き詰る」特性は、現代日本人にも、脈々と受け継がれているようなので、すごく良い教訓を残してくれたとは思いますね。
彼が居なかったらインドの独立は成らなかった。
いや、間違ってるから、あれだけの兵士を死なせたんやろ?
歴史上、類を観ない愚将。