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ついに紫式部集からの和歌が出てきたのが嬉しい!道綱母と高階貴子、百人一首53番と54番に並ぶ恋歌の傑作が、ともに死に際の夫の口から詠じられ、愛が輝いた日々を偲ぶのも感動的な描き方でした。史実的な動向と、文学的な要素が混じり合いながらストーリーが進む、ほんと復習と勉強し甲斐のある楽しいドラマですね
1:59 兼家、道隆、親子二代で亡くなる時の演出が同じでしたね。涙をこらえながら、気丈に振る舞う高階貴子に心を打たれました。
今回もわかりやすい家系図と解説ありがとうございます。新さんのファンとしては、たっぷり彼が見られるいい回でした。
私同様、史実を知らない家人がドラマを見ながら、「この症状は糖尿病じゃないかなぁ?」と話していましたが、やはりそうだったのですね。道隆があんなに悪し様にした道兼に、「伊周たちのことを頼む」懇願する様は、後の世にやはり関白まで上り詰めた豊臣秀吉が、長男を切腹させた家康を含む五大老・五奉行に幼い息子の秀頼の後見人を依頼して亡くなったことと似ていますね。どんな権力者も最期の願いは同じなんだなと思いました。
ドラマ内の道隆の最期が、哀れだった。あれだけ権勢を誇っていても、死ぬ時にはなりふり構わず天皇や弟に息子伊周への支持を得ようとする姿に悲哀を感じた。兼家も外祖父として力をふるったのはわずか4年だったので、道隆の最盛期が5年というのが、因縁めいて感じられる。中関白家総出で文書を偽造し伊周の内覧期間を延長しようとした策も不成功に終わるのが、さらに痛々しい。道隆は最期に、仲の良い面々とのあの世での再会を願っていたのは、どこか憎めない気がする。初めに紹介下さった和歌が、史実では朝廷出仕後の気詰まりさ、苦労を詠んだ和歌だったのに、ドラマでは道長との関係として用いられているのは、面白い脚色だと思う。
酔って髷をさらすというのは、今で言うと酔って裸になってしまう人のようなものなんでしょうかね😂
道隆がドラマの最後に詠んだ儀同三伺母の「忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな」中関白家の今後の悲哀を考えればこの和歌の持つ意味が二重に深く感じられるところでこの時代には珍しく本名が高階貴子と残ってるのに道隆の妻でなく儀同三伺母になってるのはなぜですか
百人一首では、男性も身分の高い人については菅原道真→菅家源実朝→鎌倉右大臣という風に作者表記は実名ではありません。当時、身分の高い人の実名を書くのは大変無礼な行為でした。貴子自身は中流貴族の出自ですが、関白の道隆の嫡妻であることから実名を避けたのでしょう。
母は子を以て貴し
今回さわとの仲を修復した手紙が次回まひろを追い詰めるの、小道具使い方が上手いなぁ。
ドラマで道隆が「目が見えない」と言ったことからもしやと思いましたが、的中しました。それはともかく、最早彼に関白の威厳は微塵もありませんでした。あるのはただ、己が一族の行く末を案じうろたえる哀れな男の姿だけでした。
的中もなにも史実ですし😅
道長もずっとあとですが糖尿病で亡くなりますしね食料事情がわるかったのかなと思います
道隆さま、亡くなっちゃいました。兼家パパと同じで、愛する妻の和歌を口ずさみながらの死、ロマンチックでした。道隆さまの死で今後の政局が荒れそう。詮子さまが益々兼家パパに似てきて、ちょっと怖い。道兼、道長の目が点になるのもわかるなぁ。😂
道隆が権力を握ってからの姿が岸田に見えてたまらなかった😂身内の登用、国のお金を使って定子の身の回りを豪華にしたり、、井浦新さんは憎まれ役をさすがだと思うほどでしたが、亡くなる前に酷なことはしないでくれと懇願してる時と亡くなったときはざまぁと思ってしまいました😂
道隆も道兼も糖尿病だったということは遺伝によるⅠ型ですね。今後の展開で道長も症状が現れてくるのでしょうが、壊死が起こっても当時は外科的手術なんて出来なかったですもんね医学的にほぼ知識の無かった時代なので突然目が見えなくなってきたりすれば、誰かから呪詛されていると思ったのは当然なのでしょうねこうなれば晴明に頼るしかないのですから、彼の宮廷内での地位がどんどん確固たる物になっていったのは必然だったのでしょうね
糖尿病は怖いね。疫病と違って、自然治癒はほぼ100%あり得ないし。現代医学の知識があれば、病気と付き合っていけるけど。
ついに紫式部集からの和歌が出てきたのが嬉しい!
道綱母と高階貴子、百人一首53番と54番に並ぶ恋歌の傑作が、ともに死に際の夫の口から詠じられ、愛が輝いた日々を偲ぶのも
感動的な描き方でした。
史実的な動向と、文学的な要素が混じり合いながらストーリーが進む、ほんと復習と勉強し甲斐のある楽しいドラマですね
1:59 兼家、道隆、親子二代で亡くなる時の演出が同じでしたね。涙をこらえながら、気丈に振る舞う高階貴子に心を打たれました。
今回もわかりやすい家系図と解説ありがとうございます。新さんのファンとしては、たっぷり彼が見られるいい回でした。
私同様、史実を知らない家人がドラマを見ながら、
「この症状は糖尿病じゃないかなぁ?」
と話していましたが、やはりそうだったのですね。
道隆があんなに悪し様にした道兼に、
「伊周たちのことを頼む」
懇願する様は、後の世にやはり関白まで上り詰めた豊臣秀吉が、長男を切腹させた家康を含む五大老・五奉行に幼い息子の秀頼の後見人を依頼して亡くなったことと似ていますね。
どんな権力者も最期の願いは同じなんだなと思いました。
ドラマ内の道隆の最期が、哀れだった。あれだけ権勢を誇っていても、死ぬ時にはなりふり構わず天皇や弟に息子伊周への支持を得ようとする姿に悲哀を感じた。兼家も外祖父として力をふるったのはわずか4年だったので、道隆の最盛期が5年というのが、因縁めいて感じられる。中関白家総出で文書を偽造し伊周の内覧期間を延長しようとした策も不成功に終わるのが、さらに痛々しい。道隆は最期に、仲の良い面々とのあの世での再会を願っていたのは、どこか憎めない気がする。
初めに紹介下さった和歌が、史実では朝廷出仕後の気詰まりさ、苦労を詠んだ和歌だったのに、ドラマでは道長との関係として用いられているのは、面白い脚色だと思う。
酔って髷をさらすというのは、今で言うと酔って裸になってしまう人のようなものなんでしょうかね😂
道隆がドラマの最後に詠んだ儀同三伺母の「忘れじの行く末まではかたければ今日を限りの命ともがな」中関白家の今後の悲哀を考えればこの和歌の持つ意味が二重に深く感じられる
ところでこの時代には珍しく本名が高階貴子と残ってるのに道隆の妻でなく儀同三伺母になってるのはなぜですか
百人一首では、男性も身分の高い人については
菅原道真→菅家
源実朝→鎌倉右大臣
という風に作者表記は実名ではありません。当時、身分の高い人の実名を書くのは大変無礼な行為でした。貴子自身は中流貴族の出自ですが、関白の道隆の嫡妻であることから実名を避けたのでしょう。
母は子を以て貴し
今回さわとの仲を修復した手紙が次回まひろを追い詰めるの、小道具使い方が上手いなぁ。
ドラマで道隆が「目が見えない」と言ったことからもしやと思いましたが、的中しました。それはともかく、最早彼に関白の威厳は微塵もありませんでした。あるのはただ、己が一族の行く末を案じうろたえる哀れな男の姿だけでした。
的中もなにも史実ですし😅
道長もずっとあとですが糖尿病で亡くなりますしね
食料事情がわるかったのかなと思います
道隆さま、亡くなっちゃいました。兼家パパと同じで、愛する妻の和歌を口ずさみながらの死、ロマンチックでした。
道隆さまの死で今後の政局が荒れそう。
詮子さまが益々兼家パパに似てきて、ちょっと怖い。道兼、道長の目が点になるのもわかるなぁ。😂
道隆が権力を握ってからの姿が岸田に見えてたまらなかった😂
身内の登用、国のお金を使って定子の身の回りを豪華にしたり、、
井浦新さんは憎まれ役をさすがだと思うほどでしたが、亡くなる前に酷なことはしないでくれと懇願してる時と亡くなったときはざまぁと思ってしまいました😂
道隆も道兼も糖尿病だったということは遺伝によるⅠ型ですね。今後の展開で道長も症状が現れてくるのでしょうが、壊死が起こっても当時は外科的手術なんて出来なかったですもんね
医学的にほぼ知識の無かった時代なので突然目が見えなくなってきたりすれば、誰かから呪詛されていると思ったのは当然なのでしょうね
こうなれば晴明に頼るしかないのですから、彼の宮廷内での地位がどんどん確固たる物になっていったのは必然だったのでしょうね
糖尿病は怖いね。
疫病と違って、自然治癒はほぼ100%あり得ないし。
現代医学の知識があれば、病気と付き合っていけるけど。