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立花宗茂 さすがだな! 戦わずに退けば日本国の恥辱! あなたは日本国の誇りです!
朝鮮出兵は歴史教科書では一言で終わってしまうので、実際の戦いがどう推移したのか良くわかりました。ありがとうございます。武将を見ると名だたる名将オールスター戦で、実は戦国時代で一番面白く、わくわくが止まらないのがこの朝鮮出兵だったりするのではないかと思ってしまいました。何よりも本格的に日本が世界に向けて兵を上げた戦いですからね。今後も更新楽しみにしています。
明との戦闘で活躍するのが…あまり歴史知らない人でも名前は聞いたことがあるだろうけど関ヶ原の戦犯の小早川秀秋だったりする。
碧蹄馆之战有个很有意思的地方三方历史资料记载的都不一样,但是有一点可以确认日本四万人遭遇五千明军并没有吃掉对方还让明军突围足以看出野战日军和明军实力还是相差很大
@@kariglapm8900 那你別用我們的漢字,倭人別用漢字,好惡心
@@kariglapm8900 Google是你家日本人開的?
@@kariglapm8900 還有你爹我是台灣的,用google不違法,井底之蛙
立花宗茂は西国一の武将と言われていたが、本当に強いね。
東の本多忠勝、西の立花宗茂だし、剛勇鎮西の名前は伊達じゃないな。
父親が風神雷神ですからね。宗茂は鬼神といったところか。無双過ぎる。
これだよ、これ!宗茂公無双!ほんとに、大河ドラマの主役になって欲しい。
@ゆっくりIFch 輸送船ボコしただけだね、日本側の大した武将は一人もやられてないただ陸戦でボコボコにした割に海戦では接戦だったのは日本のこの当時の造船技術の低さがうかがえる
@미대 입시생 (정치경향 조금 오른쪽임) 韓国ではファンタジー海戦を映画にまでして洗脳していますねw
立花宗茂の闘志イイね!こういう御仁がいまの日本にも必要。
立花宗茂は長命し、後に島原の乱まで参加している。是非、大河ドラマに!!
流石、剛勇鎮西よ。
@@zetsubourekishi 関ヶ原で領地召し上げ、浪人になってから旧領の領主復帰だからなあ。
碧蹄館の戦いは名称だけは知っていましたが戦闘の詳細をはじめて勉強できました。ナレーションも聞きやすく映像もわかりやすかったです。
隣国に気を使って、戦の詳細を教えないのでしょう。教科書では一行で終わりますw
@@zetsubourekishi 朝鮮出兵個々の戦史が学校で詳しく教授されないのは隣国への忖度というより歴史的な重要度合いが低いからです。局地戦の帰趨は大きな歴史の流れの中では残念ながらさして重要ではないのです。歴史が好きなのに授業で戦国時代や近現代の戦史があまり取り上げられずに残念に感じたものです。また、国民にとって人気がある戦いかどうかも知名度に左右されます。その国の国民にとってプライドをくすぐる偉大な勝利は繰り返しドラマの題材にされたり授業で詳しくとり上げられるものです。例えば我々にとっての元寇や日本海海戦、ロシア人にとっての2つの祖国戦争。中国人にとっての抗日戦争などです。そして韓国にも高句麗が隋の遠征を3度撃破するなど偉大な戦史があります。
ご先祖様強すぎる!日本人に生まれてよかった!
今の日本は糞だからな笑
おいおいご先祖様が虐殺してるのに褒め称えるのは人としてどうなんだ?
@@脳みそスライム 相手はわざわざ日本に船で攻めてきて侵攻してきてるのに受ける側の日本側が虐殺してる?虐殺って言葉の意味調べてこいアホ。
@@ちくしょう-d1b 何いってんだこいつ
@@脳みそスライム 当時は虐殺なんてやってナンボの価値観なんだよ。当時の価値観を今の価値観で語る事の無意味さを理解しよう。
男立花宗茂、日本の誇り!
男山根にも引けをとりません。
この時代の日本軍の武将まじでサムライなんよ死に対して恐怖より死に際に美学を持っているから、やられかけた時毎度挽回しちゃう敵にしたく無い武将ばかり
立花宗茂隊は、この後の李舜臣を討ち取った露梁海戦でも活躍して多数の敵船を分捕ったと言われています。
この戦役では、加藤清正と小西行長が功を争って進軍したイメージでしたが、立花宗茂も相当なものですね!!
@@zetsubourekishi 立花と島津の暴れっぷりは別格でしょうね。小西と加藤は辛抱強く戦ったイメージ。先鋒の快進撃は朝鮮軍が弱すぎた。
ぬ
豊臣秀吉オールスターチームなんだけど他勢に無勢の中ギリギリでいつも大和魂発動で巻き返している日本軍かっこよすぎる
哪里来的寡不敌众,倭军比明军更多
日本の武士の奮戦を教えていただきアリガトウ!! 嬉しくて「涙」です!!!
大友家の陪臣から大名へ。その後、浪人となるも再び大名に復帰。2人の名将を父に持ち、忠義一徹、鎮西無双、NHK大河ドラマの主人公として是非取り上げて欲しい人物だが、某国への配慮から朝鮮の役に触れられないのが痛い。
日本軍素晴らしすぎる!!
面白いですね〜 朝鮮での戦いは聞いたこともなかったので新鮮だ
日本の学校じゃタブーに近い事になってるから教師がざっくりしか教えないし、いろんな国の人が入り交じった現代の学校の教科書に真実はあまり書けないのはあるらしい…
豊臣秀吉の武将がオールスターで朝鮮軍のヘタレ具合が露呈してしまうから日教組は絶対教科書にしたくないんだと思う
立花の緩急の凄さ
映画化希望
そんな詳細な記録が残っているならドキュメンタリー映画として公開してほしいよ。
これ日本のテレビでは放送できんな 朝鮮が負けることは 流せない
たしかに中韓に忖度する朝日や毎日は、流さない
韓国はこの戦いを日本の勝利だと認めてるので、韓国側に関しては問題ないのでは
@@ruou-o7b 한국은 이것을 승리로본다
@@ruou-o7b 意外だわ
反韓もバカだからなぁww
大河とかだと、サラッと流されるからなあ。朝鮮で起きた諸将の軋轢が関ヶ原に繋がるという面もあるのだから、詳しい史実とか知りたいよね。しかし、海を渡った敵地だと、簡単に引けないからか諸将頑張るな、1日で終わった関ヶ原より真剣な感じさえする。
隣国に気を使ってるのがバレバレで、萎えますよね(-_-;)
元就以上とも呼ばれる名将、小早川隆景がいるの凄いな。
まるで飛将のように前線に躍り出て、名刀を振るって勇戦し続け、戦が終わると馬の背まで敵の返り血で汚れ、自ら討ち取った敵将の首を2つ吊るし、抜いた名刀は鞘に戻らない程曲がっていたってエピソードが生々しく宗茂の武勇を示していて好き。
返り血浴びてドロドロだったのにおにぎり頬張ってモグモグ食べてたから、さすがの部下たちも食欲失ったって話がありましたね。
これ歴史で一番好きな戦い!
良いご趣味で(^^♪
日本では無敵だった諸将もかなり押されたりしてて見応えがあるよな。
「異国の兵に侮られるような事は日本武士のする事ではない」今の政治家の枕元に出てぜひ叱咤してほしい。
シェイシェイ茂木に聞かせたい言葉です。
既に買収されてますからw
わかりやすかった☺️
親父の代は犬猿の仲だったであろう小早川と立花がタッグを組んで戦う。そこが面白い。
しかも隆景が宗茂を絶賛するという。どちらも名将。
実父の仇の島津ともね。
碧蹄館の戦いの打ち上げで、黒田長政と立花宗茂が鉄砲と弓について議論している。長政は、これからは鉄砲の時代だ、弓とは威力が違いすぎる、と言いそれに対して宗茂は、ケースバイケースであり熟練の者が扱う弓は精度が高くすぐに次の矢を射ることが出来き手入れも簡単で雨天でも使用できると答えた。そのやり取りを傍で聞いていた宇喜多秀家は、では黒田殿と立花殿で勝負をしてみてはどうか?ということで長政は鉄砲、宗茂は弓を使用して的当てゲームで勝負する事になった。結果は弓の名手の宗茂の勝利であり、感服した長政は愛銃を宗茂に渡し、それに応える形で宗茂も愛用の弓を長政に渡してお互いに讃えた。しかし後の戦いでは東軍と西軍に分かれて敵対の関係になる。
連射出来んかった当時は毛が生えた程度、ポーランドのフサリアや満州八旗を見てると、そらそうだと思う。
この火縄銃ですね。www.muneshige.com/column/03.html
鉄砲とか大砲をよく使ってた立花家だけど、それに固執しないとこが強さなのかも。確か、宗茂は弓術の流派作ってたし。
日置流弓術のことだね。宗茂はこの免許を二つ持っていた。現在の歩兵戦術に通じるような実践的な弓術。なお、宗茂はタイ捨流剣術も免許皆伝だし鉄砲も早合だし何でもできるオールラウンダーって感じ。
石田三成って渡海してたのか、知らんかった。本国でぬっくぬくしてたかと思ってた
秀吉の指揮下でしか戦ったことのない石田、増田、大谷は籠城を主張輝元に代わり毛利を指揮していた隆景は決戦を主張隆景と奉行では格が違う
隆景は家康を警戒してた人だしな。無能ではないからなぁ。
隆景もまた西国のあちらこちらの戦役に従軍し、死闘を繰り返してたからなぁ…
秀吉も重用し、黒田官兵衛も尊敬する戦国の生き字引ですから。
元就死後の毛利家を実質采配してましたし。吉川さんは小早川さんより早死にしちゃったから。
立花宗茂は稀有な人ですね。島津、加藤清正、立花宗茂この3人と戦いたくない。。。
当時の日本武士は世界最強と言われてるが本当だな、
@Di Di 明军对日本野战基本没输过,日军只能靠守城才赢过几场
@@nagareboshi.z 两种情况,一日军固守,二人多打人少还设伏,就看参战总人数就知道明军第一次就4万多人第二次也就7万多,本子每次都是167万左右,我看维基百科说两次加一起本子死伤17万明军死伤3万朝军死伤12万百姓死伤100万,考虑到朝鲜的战斗力,交换比大概一目了然了吧,这还是刚经历战国时代的日军,这要是太平时期不知道啥样
@@nagareboshi.z 还有考虑到朝鲜多山,北军骑兵施展不开,这要是大平原日军更不出来了
笑死,你把奧斯曼土耳其 英國 西班牙放在哪裡?還有碧蹄館日本人以多擊少,傷亡居然還跟明軍一樣,你還好意思吹?
當年陸上最強的是後來的滿清八旗兵,朝鮮兵證明日式鐵砲對八旗盔甲根本無效。
この戦いの後 宗茂公は、多くの兵を損じた事を悲しんだと伝えています。
大谷吉継の慎重論が意外というか、どういう趣旨だったのかな。夜間の山間部の追撃は伏兵の可能性もあるし、敵情が不明瞭だと怖いですね。
朝鮮半島には車輪を作る技術がないとネットで馬鹿にされる通り、実際、荷車が一般的ではなかったんです。これは、搾取され尽くしているため民衆が牛馬を持ってなかったってことなんですね。荷車が現地調達できないとなると、兵士には手に持っていける5-6日分の兵糧しかないわけで、そんな時間で明軍5万を壊滅できるわけがないとする吉継の慎重論は至極まっとうな意見なのです。
防衛戦だと思ってたのに侵攻戦だったかww
明朝が北虜南倭で苦しんで日明戦争にあまり軍費を割けない事情がなんとなく伝わってきました。
この時の日本は世界最強と言われてたらしいですね。…戦は数では無い時代ですね。カッコいい
我之前一直为我的同胞喜欢吹捧自己国家感到十分尴尬,现在看到我完全不必要感觉尴尬,因为日本人比中国人更能意淫
@@陈时-s3p 還世界最強。。。笑死我,奧斯曼土耳其,英國,西班牙表示:??就一場小野戰以多擊少,還被明軍殺個片甲不留,就這還世界最強?一群150cm的武士
全世界の鉄砲の半分が日本にあったんだよ。身長で軍隊の強さは決まらない。グルカだって小柄な人が多い。
@@宮野鑑寿 還鐵炮呢?你知道16世紀主流是大炮火炮戰爭嗎?我大明神機營隨隨便便打爆你,你們有炮嗎?
碧蹄館で大明軍より数倍多い兵力が持ったのに結局甚大たる死傷を被って追撃もできなかった世界最強軍草www
動画ありがとう生きがいです😊
あの、火蓋が切って落とされた的な、キザな言い回ししないのがGOOD👍
立花宗茂の部隊の戦闘力バグってるw
本多忠勝に並ぶ剛勇鎮西と呼ばれる立花宗茂が上官だから兵的にも「殿に恥は欠かせられねぇ!!」って感じに奮起するのかもな。
パラメータ武勇に振り切りすぎ
ホークス並みに育成が有能
絵巻物で立花を太刀花って書いてあるのすき。でもせっかくだから若い頃の統虎がもっと広まって欲しい。
有利な地形に来るまで待って釣野伏せみたいな形で戦った戦だったような。
参考になりました。朝鮮征伐は名前ぐらいしか知りませんから。平壌の戦いが残念でしたが、吊り出し作戦だったのかも知れず、結果的には明軍を撃破しているようですね。敵地なので索敵などが思うようにできなかったのは痛いところです。日本の武将は帰りたいと思っていたのではないでしょうか?
あれ?小西、大友は、居残り?立花宗茂、陣取り上手すぎる。主力毛利軍だから、小早川隆景の意見が通るよね。
自分の領土を増やしたい大名と、そういうわけじゃないという武将とで意見が割れるんだな
あっぱれ日本軍
@@dezhengguo6261 日本で危うかったのは小西行長の第二次平壌決戦くらいだけだったと言われてる。当時の日本軍が明軍自体に恐れを感じたのかな?むしろ明軍は朝鮮王の戦争続行の嘆願を全て無視して日本と講和している。
@@dezhengguo6261 朝鮮は明の属国だったから。戦いたくても明の意向を無視して戦えなかった。当時の朝鮮、中国近辺で一番強い軍はヌルハチの女真だったが、当時の朝鮮国王が女真の救援を断った。
@@村上昌隆-y9q 戦いたくてもって、挑戦とかザコすぎて戦うもクソもないっしょ
宗茂は関ヶ原の帰路、僅かな供回りの同じ西軍だった島津義弘一行と出会して部下たちが今こそ父上の仇を撃つ機会ですぞというのを完全と拒否したというエピソードもあるよ。
実弟の高橋直次の末裔に麻生太郎
我々の祖先の大和魂と勇戦にただただ感服するばかり。そして痛快過ぎる(笑)。
日本戦史・朝鮮役原本の出版年月日 大正13年(1924年)
捏造魂
この戦いで明の精兵は壊滅していますね。慶長の役での三路の戦いで東路軍、中路軍、西路軍がそれぞれ加藤軍、島津軍、小西軍に数で大きく上回りながら大敗したのは、明兵の多くが練度の少ない弱卒だったからかと思います。
明はあくまでも大国、日本軍は強いけれどモンゴルに対陣する明の遼東騎兵に勝てまい。ただ碧蹄館戦場沼地のためは明の騎兵に有利でないだけだ。慶長の役での三路の戦いについては明軍の精鋭はまだ到着してないので、駐在明軍の戦力が足りない。日本軍は良い戦機を捉えたと思う。
@@lawrencewang3989 そうかな?騎兵なんぞ鉄砲で捩じ伏せられやしないか?当時の日本の鉄砲の保有数は世界一。これは公式な記録がある。
@@user-qm7dx9hs5b 騎兵が鉄砲で捩じ伏せられるようになるのは19世紀の話ですね。籠城戦とか陣地戦なら有利な戦いをすることができるでしょうが,野戦になると騎兵の機動力は無視できないです。この時代の鉄砲は連射とかできないんで騎兵に肉薄される展開になればよっぽど火力を集中しないと防ぎようがないでしょう。
碧蹄舘の戦い三成「相手大軍だから籠城」宗茂「勝てるぜ」三成「勝手にしろ。俺は協力しない」宗茂「勝ったぜ」三成「・・・」幸州山城の戦い三成「攻めるぜ」宗茂「堅城だからやめた方がいい」三成「大軍だから負けるわけない」宗茂「そうか、俺は休んでる」三成「大敗したーーーっ」宗茂「・・・」戦下手(三成)と戦上手(宗茂)が明確に分かるエピソード。
石田、大谷、小西等の意見も解りますし立花、小早川の意見も一戦して力を示す事も解る確かに明軍をこの時は退けたのでしょうがそこは朝鮮の地でありますし地続きの明の介入さえされなければ良い訳で戦略的観点からもうまく作用したのではないのでしょうか
ドラマとかコミックスにしてほしい
戦地を知らない勘定奉行は、邪魔だな…西国無双・リアル ケンシロウ『立花公』にはシビレる👏👏 up主様の歴史研究に感謝 🙇
大友家すこ!
立花宗茂の刀なグニャグニャになった件、小早川隆景が立花軍3千は他家の1万に匹敵すると言った件、李如梅の毒矢の脅威など、もうちょっと奮戦した様子もあったらよかった。
李如梅の女真兵と倭兵の評価もかなり気になる
5時間の乱戦で刀は刃毀れ刀身は曲がったので、最後は敵を斬ると言うより鋼の棒で殴り倒すって感じだったんだろうな
立花宗茂の顔かわいそう
最終局面のこの場合、戦場では情報不足の中でも判断を要する事ばかりだけど、立花宗茂の方が小早川隆景より戦場での戦局を見極める能力が高いから、宗茂の言う通り、むしろ追撃した方が良かったようですね。
@@dezhengguo6261 立花宗茂の「追撃」具申は、戦場を離脱した明軍を、援軍が未だ遠いと判断してのこと。実際、この時点では明軍の援軍は未だ遠かったので、宗茂の判断の方が正しかったと述べただけです。敵軍を、援軍と合流する前に潰そうと考えるのは普通ですし。数字の誇大報告は、どの時代でも、どの国でも有りますから、数字は当然相当怪しいでしょう。現代でも、どの国でも公表数字は多くの民衆は簡単に信じますしね。因みに、当時の明が養っていた人口は1億5千万人、日本が1500万人、朝鮮が400万人弱。軍事動員可能数は、その2~3%。当時、海を超えた船の兵員輸送力は、陸続きの移動の輸送力に劣っているので、日本側の軍勢にとってアウェーであり、兵站も不利なので、食糧に困ったのは事実だと思います。先に記述した通り、当時の朝鮮の人口から推察すると、当時の朝鮮は食料豊富な場所ではなく、小氷期も相まって寒くて渇いた平地の少ない厳しい土地だったのは間違いないです。
もったいないよな。戦国史で最も面白いのが朝鮮出兵なのに隣国への配慮でスルーされがちなのって。日本史に与えた影響は確かに少ないけど朝鮮史では一つの時代の転換点になる重大事件なんだけどな。
菊池寛『日本合戦譚』(文春文庫)に詳しい。
総勢4万とか、ちょっと少ない感じもするが、今で言う習志野の空挺部隊の精鋭みたいなんが4万だったんだろうな。こわ〜。
这场战斗来了4000人。开始只有1000。
立花宗茂、最強、小早川隆景
日本人で良かった
こうして見るとやっぱり小西行長と石田三成は戦向きではないな。どちらも参謀などやらずに事務方だけやってれば良かったのに。
もう大河ドラマ決定だろ!立花宗茂…草なぎ剛立花誾千代…黒木華立花道雪…中尾彬高橋紹運…佐藤隆太(ビックモーター)大友宗麟…岸田文雄大友義統…岸田翔太郎
一眼丁真
明方主将李如松能带领2W人追击,一个上午2W人前进80公里。。。。你以为机械化部队?入朝明军3W,李能带2W战败,杨还有兵救援?战后立花宗茂点检战损,其本队只剩1/4.。。。。实际情况是李带了不超过3000人,前锋2000人,后续加入3000人,总数不超过1万人。
立花宗茂、小早川隆景,日本勢勝!台灣國最高!
ホントは、太宰府に主力は長期待機していて秀吉は、スペイン本国や東アジアの状況を見ながら先見隊の彼らを放っていたっつう事で、秀吉死後は、大陸展開の必要無くなったつう話
戦国無双でも朝鮮侵略を入れて欲しかった❗
絶対に韓国が文句いうでしょう。日本は侵略を目論んでいるとか言って。
明の外圧を排する為の足掛りとして朝鮮侵攻して軍事力を削らなかったら関ヶ原で勝って征夷大将軍になれたのは秀吉。しかし、征夷大将軍の仕事って征夷だよなあ…
16世紀後半の武士達は贔屓目抜きに見ても世界最強だったのではないか?戦国でありとあらゆる戦い方を経験している。明軍の兵士達は実戦経験があまりなかったのでは無いだろうか?あくまでも俺の推測なので厳しく突っ込まないでね。
おそらく欧州や中東に太刀打ちできるくらいは強かったと思います(最強レベルくらいかな)まぁ対騎兵の戦術が乏しいというのが弱点ですかね
確かに。大平原で戦うと歩が悪そうだね。山岳地帯ならかなり行けそうだね。そんなところかな?
美代森田 日本は山岳地帯が多いですから内陸に引き込めば対処ができるかもしれませんね
李如松は遼東を警備している精鋭だぞ。ちなみにヌルハチの親の仇の子供
いやそうとは限らん
李如松の軍は4万になってるけどね。戦意喪失とは大軍で負けると起きるが兵的少数ではなかなかおきないと思う。
帮助鲜的援军总共才4万。
参加这场战斗的只有1000人,后面的援军才只有3000。
@@刘蔚-s6s李如松這一仗,親兵家丁死傷大半…對他打擊很大,造成嚴重的心裡影響。他還說日軍有20萬人。😂
コ〜ンギョ〜 コンギョ〜♪
グーイシマンヅ!♪~パンニハムハサムーニダー♪
立花宗茂が籠城戦の危険さを訴えたのは父高橋紹運の事もあったのだろうか?
いや単純にピョンヤンでの勝ち戦で勢いにのる、明の精鋭4万を迎えて籠城したら、包囲されたうえで、ただでさえ陸上の補給路は朝鮮民兵に攻撃され寸断されてたのにさらに彼らを勢いづかせてほぼ補給が出来なくなるからでしょう。一度打って出て打ち破ってから籠城ならまだしも。
どーでもいいけど、立花宗茂公の肖像画、もっとマシなのないのか?
動画中の宗茂公の肖像は、不鮮明なところもありますが、「おおらかで穏やかな人格者」という人となりを連想しやすい、と私は思います。というのは、www.muneshige.com/17dai/vol02.htmlで紹介されている2つの肖像画のうち右の画を柳川の「御花」と「三柱神社」で拝見したことがありまして、「これじゃ殺生関白(豊臣秀次)と似たり寄ったりだ…」と興醒めしたことがあるからです。(宗茂公、ごめんなさい…)
@@村正-e4y さん、ありがとうございます。右側の肖像画は私も見たことがあります。これは、私にとっては宗茂公のイメージ通りでよいと思いますけどね。
鎧からかなり高身長ともわかってるし、良しとしよう。
@@machazard さんご返信ありがとうございます。私の場合、「不鮮明」な画を先に見たため、イメージが固着してしまったからだと思います…余談で恐縮ですが、「御花」付属の史料館では何枚か写真を撮らせていただいたのですが、断トツの撮れ高ナンバーワンは、宗茂公でも、その武具甲冑でもなく、義父道雪公の肖像画でした…ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%3ATachibana_Dosetsu.jpgこの風貌なら「鬼道雪」という異名や「暴れ猿を、鉄扇の一打で撲殺」「雷を一太刀で切り伏せ」てもおかしくはないな、と思いました(笑)長文失礼しました。
@@村正-e4y さん、確かに、豪壮な感じの容貌ですね。肖像画ではないですが、大宰府に行った折、岩屋跡に上ったことがあります。その時は九州の戦国史には詳しくなく、壮絶が戦いがあったらしいくらいにしか意識しておりませんでしたが、後で宗茂公実父の高橋紹運公戦死の地と知りました。
苦戦したなんて教わってないワタシ👍
这数据太扯淡了,碧蹄馆之战李如松加上杨元的援军总共5000人,哪来的伤亡6000。明朝自己记载的明军阵亡总数300多,获取的日军首级数量也才200多,明军的战功需要首级做凭证,需要文官效验,而日本人光靠嘴就行了,动不动消灭明军成千上万的数据太可笑了。
日本以數倍於明軍的兵力,還無法全殲李如松的軍隊,日本人還好意思提,我都替他們感到丟臉....
这个频道里各方军力数字其实基本都捏造的,很低端。每每把明军军力数字扩大N倍,且对明军武将(除了几个重要主帅外)也只字不提,估计压根不了解,就是个历史半吊子的民族主义劣等影片系列,看了笑笑就好,不必当真。
@@XuerLi 虚报战功是日本人的传统艺能了,二战日本战报上也是各种胜利,然后美军轰炸机就到东京了。壬辰战争也是战报上也是各种击破明军成千上万,然后就从鸭绿江转进到庆尚道了,战绩可以虚构,战线可骗不了别人,只能自欺欺人。
明朝和朝鲜的史料都说李如松只是派了查大受3000车队作先锋,被伏击后自己带了1000家丁去救,然后还是被围,杨元带了1000炮兵来支援才脱险。几万日军打伏击最后打成遭遇战,双方杀伤相当,这种战绩放在我国都不好意思提,日本人竟然数字一编吹成大胜。反正他们自己也没史书,张嘴一来随便编。特别是那些被吹成神将的所谓名将这一战打得多丑陋自己都不嫌丢人吗?
@@xlr9143 WW2に関して言えば、いわゆる「大本営発表」は民間人に対する発表であって政府・軍の内部報告ではないよで、なぜか君たちは無条件に信頼しているが、中国の歴史書の数字は馬鹿げたものだらけやん明代でいうならば、土木保で100万の明軍がいるわけがなく、サルフで明軍が20万も総勢でいたとは思えない「明史」を含め、この戦争に関わる中国側の書物の多くが清代に編纂されたこと、清代に文字の獄があったことを理解してるのか?より軍事的な話を言うなら、当時の兵力の記録(双方で)が戦闘員だけでなく輜重に伴う人員を含めているのかは分からないただし日本側に関して言えば、当時の日本で見られる「兵力」の記述は戦闘員だけでなく輜重に伴う人員を含んでいると、現代では考えられてる;そうでなければただの誇張か分かり易く言えば;例えば、最盛期の長曾我部元親は自身が4万の兵力を動員できると言ったが、これを他の世界各地域(特に欧州、中東)で信じられている動員可能兵力と人口との関係と照らし合わせたとき、たかだか四国の領土だけでそれだけの戦闘員を動員できるはずがない(現代では、当時の日本全体の人口は2000万前後だと見積もられている;四国全土の人口は500万にも満たないと考えられている)だから、この動画で出てきた数字を批判するのは結構だが、史書以外にまともな根拠があって批判しろよ?そうでなきゃ中国の主張する中国のWW2での被害規模のように、誰も真剣には信じないよ
米軍と独逸軍と日本軍が世界で最も強い世界最強の軍と言われいる。
逆説めいていますが,この3民族は,殺し合いをまじめに,かつ,徹底的にやるので,勝っても負けても損害が惨々たるものになってしまいます。
還世界最強。。。笑死我,奧斯曼土耳其,英國,西班牙表示:??就一場小野戰以多擊少,還被明軍殺個片甲不留,就這還世界最強?一群150cm的武士,別侮辱美軍和德軍了,你們也配?打打朝鮮這種垃圾的時候威風,碰到大明馬上被打下水
ちょっと違うアメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官兵で構成すれば最強の軍隊という意味。
明军不满饷,满饷不可敌
他の地形で勝った方がおかしいんだけどな笑
北方騎馬民族相手に戦ってる明朝軍が国内線しかやってない戦国武将にボコボコにされる原因はなんだろ?
たまに外敵(騎馬民族)と戦うより国内でガッチガチに争って切磋琢磨してた方が強くても不思議はないかと。
むしろ国内戦しかやってないって戦国時代なんだと思ってるんですか笑当時は世界で1番鉄砲の量が多かったのが日本て言われるくらいですし
歩兵・火器を温存した明軍は騎兵中心の編成となっていたが、碧蹄館の地は騎兵の機動力を活かすことの出来ない狭隘な渓谷であり、かつ前夜よりの雨で泥濘地と化しており。騎馬に不適な戦場であった
李如松が生き延びたのは女真族との歴戦で鍛え上げられた明軍騎兵隊(ほぼ李家の私兵)が中心だったからだ。ほとんどの砲兵と歩兵は平壌に置いてきたはずだから騎兵総数が6000から7000名+輜重隊が14000とみれば20000という総数はおかしくない。(輜重隊を騎兵部隊の2倍程度で済むと計算してだが)そしてこの戦闘後に李如松の騎馬隊3000が見事な退却戦を行って生き残っているから直接戦闘員の死亡者は3000,それに後方にいた輜重隊で逃げ遅れて死んだ奴が3000と見れば明軍6000死亡は別におかしくもない数字だな。
这次战斗明军只来了1000人。加上后面的援军才4000多。
@@刘蔚-s6s 感謝您的建議。 那麼日如松軍有騎兵1000人,運輸兵3000人,總人數是4000人? 還是簡單的說3000個援軍?如果援軍是步兵就需要9000卡車,如果是騎兵就需要6000卡車。12000在以步兵來說,1000騎兵2000運輸兵,3000步兵9000運輸兵就是15000人,戰場上由於高估了敵人,可能被看成將近20000人
@@刘蔚-s6s そんな寡兵しか出さずに負けたのだったら余力があるはずで、あそこまで指揮官李は戦意喪失はしないだろう。つまり戦える自慢の精鋭=主力が壊滅したんだよ。で、「大国」明国にはそのていどの戦力しか動員できなかったの?張子の虎だねえ
@@-msc 骑兵侦察部队不需要 辎重队, 步兵才要辎重,前锋部队3千500人, 后续李如松带了1000人,最后杨元带了1000人,总兵力5500人,明军的任务是侦察,不是决战。没有多少运输兵。日方史料完全是自吹自擂。如果日军大胜,为何不主动进攻
そういえば、秀吉は何でこねーの?
今で言う首相みたいなもんだぞ。行くとしても平定して治安がある程度確保できてからだろう
きゅうしゅうこわい
明軍5千人精鋭対日本オールスター、撃退したが、大勝利とは少し違うと思う
李如松の不参戦は土蛮の侵入もあった
Ano sentode Mingunha gekitaisimasitaga. Minamino chosenrikugunga Kobayakawa takakageno nihhongunwo taosi hukusinsimasita. Chosenrikugunwo haijyosurutame Ukita hideie, Isida Mitunari, Konisi yukinaga, Kuroda nagamasa, Kobayakawa takakagewo hukume nihhongunga subete Seoulkara demasuga. Ukitaya Isida honninmo inochiga kikenna joutaini naruhodo haibokusimasu. Soside nihhongunha Seoulkaka tettaisimasu.
残酷な奴らだ…民間人の鼻を切って墓を作るなんて…謝罪しろ!
他国の強い奴らと闘う事も出来たし、大国に日本の強さを轟かす事が出来たのだから後悔など無い!👍
二女の守護霊様が宗茂さん娘には甘いww宗茂さんはたまたまってよく言ってます
この話きくと、講和して半島ゲットやったのにな
当時の朝鮮半島って稲作すらまともに行われてない未開発エリアで朝鮮全体の石高10万石くらいだから大名みんな朝鮮とかいらねーってなってました朝鮮の主食って腐ったコーリャンとか腐った大根だったし水車すらなかったのは有名笑
明は弱い
明军才1000人 加上后面支援的总共才4000。
完全是胡说八道!
萬曆朝鮮一戰 日軍在野戰碰到明軍基本沒贏過 宇喜多秀家的家臣國富元右衛門拿武士刀砍了明軍三刀都被彈回來 碧蹄館之戰中日本人甚至以多打少反而比明軍傷亡更嚴重你們日本人不會真的以為自己贏了吧?
李如松の率いる部隊が少なかったと思う
立地が悪かった。倭人相手にはもっと重火器を使うべきだった
本部兵馬3,000人 援軍約25000人
これは侵略戦争ですよね
いいえ!朝鮮は道路ですから、通過を邪魔されただけです。
日本側の本隊は九州で酒飲んでるくらいだからな。先遣隊の小西、加藤、その他が既に強し
《明实录》:碧蹄一战我师长驱之气已沮。《明实录》:再遣李如松碧蹄横溃二辱也万斯同著《明史稿·李如松传》中:初,官军捷平壤…及碧蹄败衄,如松气大索。顿兵绝域,师老财匮,海气郁蒸,疫痢甚作。应昌、如松急图休息。沈德符著《万历野获编》:会如松奉征倭之命,先胜于平壤道,后败于碧蹄馆《万历野获编》:后碧蹄馆败归,师遂不振。《官常典节使部》:如松欲遂袭王京大败于碧蹄馆。 南明查继佐著《罪惟录》:提督松轻进逼王京败绩碧蹄馆退保开城明将骆尚志:前日碧蹄之战…而提督轻敌贪功,不带南兵,只率家丁,几死贼手,大败而退,误了一场事。自后畏怯,无前进之心。徐光启:提督李如松不能无内忌。欲立奇功,辄深入。是以有碧蹄之败。谢杰著《虔台倭纂》记载:酋秀吉爱将金甲荧(立花宗茂)煌数数出入于阵,如松弟如梅故善射,稍稍物色金甲酋,比近发一矢毙之。
立花宗茂 さすがだな! 戦わずに退けば日本国の恥辱! あなたは日本国の誇りです!
朝鮮出兵は歴史教科書では一言で終わってしまうので、実際の戦いがどう推移したのか良くわかりました。ありがとうございます。
武将を見ると名だたる名将オールスター戦で、実は戦国時代で一番面白く、わくわくが止まらないのがこの朝鮮出兵だったりするのではないかと思ってしまいました。
何よりも本格的に日本が世界に向けて兵を上げた戦いですからね。
今後も更新楽しみにしています。
明との戦闘で活躍するのが…あまり歴史知らない人でも名前は聞いたことがあるだろうけど関ヶ原の戦犯の小早川秀秋だったりする。
碧蹄馆之战有个很有意思的地方三方历史资料记载的都不一样,但是有一点可以确认日本四万人遭遇五千明军并没有吃掉对方还让明军突围足以看出野战日军和明军实力还是相差很大
@@kariglapm8900 那你別用我們的漢字,倭人別用漢字,好惡心
@@kariglapm8900 Google是你家日本人開的?
@@kariglapm8900 還有你爹我是台灣的,用google不違法,井底之蛙
立花宗茂は西国一の武将と言われていたが、
本当に強いね。
東の本多忠勝、西の立花宗茂だし、剛勇鎮西の名前は伊達じゃないな。
父親が風神雷神ですからね。
宗茂は鬼神といったところか。
無双過ぎる。
これだよ、これ!宗茂公無双!
ほんとに、大河ドラマの主役に
なって欲しい。
@ゆっくりIFch 輸送船ボコしただけだね、日本側の大した武将は一人もやられてない
ただ陸戦でボコボコにした割に海戦では接戦だったのは日本のこの当時の造船技術の低さがうかがえる
@미대 입시생 (정치경향 조금 오른쪽임) 韓国ではファンタジー海戦を映画にまでして洗脳していますねw
立花宗茂の闘志イイね!こういう御仁がいまの日本にも必要。
立花宗茂は長命し、後に島原の乱まで参加している。
是非、大河ドラマに!!
流石、剛勇鎮西よ。
@@zetsubourekishi 関ヶ原で領地召し上げ、浪人になってから旧領の領主復帰だからなあ。
碧蹄館の戦いは名称だけは知っていましたが戦闘の詳細をはじめて勉強できました。
ナレーションも聞きやすく映像もわかりやすかったです。
隣国に気を使って、戦の詳細を教えないのでしょう。
教科書では一行で終わりますw
@@zetsubourekishi 朝鮮出兵個々の戦史が学校で詳しく教授されないのは隣国への忖度というより歴史的な重要度合いが低いからです。
局地戦の帰趨は大きな歴史の流れの中では残念ながらさして重要ではないのです。
歴史が好きなのに授業で戦国時代や近現代の戦史があまり取り上げられずに残念に感じたものです。
また、国民にとって人気がある戦いかどうかも知名度に左右されます。
その国の国民にとってプライドをくすぐる偉大な勝利は繰り返しドラマの題材にされたり授業で詳しくとり上げられるものです。
例えば我々にとっての元寇や日本海海戦、ロシア人にとっての2つの祖国戦争。中国人にとっての抗日戦争などです。
そして韓国にも高句麗が隋の遠征を3度撃破するなど偉大な戦史があります。
ご先祖様強すぎる!
日本人に生まれてよかった!
今の日本は糞だからな笑
おいおいご先祖様が虐殺してるのに褒め称えるのは人としてどうなんだ?
@@脳みそスライム 相手はわざわざ日本に船で攻めてきて侵攻してきてるのに
受ける側の日本側が虐殺してる?
虐殺って言葉の意味調べてこいアホ。
@@ちくしょう-d1b 何いってんだこいつ
@@脳みそスライム 当時は虐殺なんてやってナンボの価値観なんだよ。当時の価値観を今の価値観で語る事の無意味さを理解しよう。
男立花宗茂、日本の誇り!
男山根にも引けをとりません。
この時代の日本軍の武将まじでサムライなんよ死に対して恐怖より死に際に美学を持っているから、やられかけた時毎度挽回しちゃう敵にしたく無い武将ばかり
立花宗茂隊は、この後の李舜臣を討ち取った露梁海戦でも活躍して多数の敵船を分捕ったと言われています。
この戦役では、加藤清正と小西行長が功を争って進軍したイメージでしたが、
立花宗茂も相当なものですね!!
@@zetsubourekishi 立花と島津の暴れっぷりは別格でしょうね。
小西と加藤は辛抱強く戦ったイメージ。先鋒の快進撃は朝鮮軍が弱すぎた。
ぬ
豊臣秀吉オールスターチームなんだけど他勢に無勢の中ギリギリでいつも大和魂発動で巻き返している日本軍かっこよすぎる
哪里来的寡不敌众,倭军比明军更多
日本の武士の奮戦を教えていただきアリガトウ!! 嬉しくて「涙」です!!!
大友家の陪臣から大名へ。その後、浪人となるも再び大名に復帰。2人の名将を父に持ち、忠義一徹、鎮西無双、NHK大河ドラマの主人公として是非取り上げて欲しい人物だが、某国への配慮から朝鮮の役に触れられないのが痛い。
日本軍素晴らしすぎる!!
面白いですね〜 朝鮮での戦いは聞いたこともなかったので新鮮だ
日本の学校じゃタブーに近い事になってるから教師がざっくりしか教えないし、いろんな国の人が入り交じった現代の学校の教科書に真実はあまり書けないのはあるらしい…
豊臣秀吉の武将がオールスターで朝鮮軍のヘタレ具合が露呈してしまうから日教組は絶対教科書にしたくないんだと思う
立花の緩急の凄さ
映画化希望
そんな詳細な記録が残っているならドキュメンタリー映画として公開してほしいよ。
これ日本のテレビでは放送できんな 朝鮮が負けることは 流せない
たしかに中韓に忖度する朝日や毎日は、流さない
韓国はこの戦いを日本の勝利だと認めてるので、韓国側に関しては問題ないのでは
@@ruou-o7b 한국은 이것을 승리로본다
@@ruou-o7b 意外だわ
反韓もバカだからなぁww
大河とかだと、サラッと流されるからなあ。朝鮮で起きた諸将の軋轢が関ヶ原に繋がるという面もあるのだから、詳しい史実とか知りたいよね。しかし、海を渡った敵地だと、簡単に引けないからか諸将頑張るな、1日で終わった関ヶ原より真剣な感じさえする。
隣国に気を使ってるのがバレバレで、萎えますよね(-_-;)
元就以上とも呼ばれる名将、小早川隆景がいるの凄いな。
まるで飛将のように前線に躍り出て、名刀を振るって勇戦し続け、戦が終わると馬の背まで敵の返り血で汚れ、自ら討ち取った敵将の首を2つ吊るし、抜いた名刀は鞘に戻らない程曲がっていたってエピソードが生々しく宗茂の武勇を示していて好き。
返り血浴びてドロドロだったのにおにぎり頬張ってモグモグ食べてたから、さすがの部下たちも食欲失ったって話がありましたね。
これ歴史で一番好きな戦い!
良いご趣味で(^^♪
日本では無敵だった諸将もかなり押されたりしてて見応えがあるよな。
「異国の兵に侮られるような事は日本武士のする事ではない」
今の政治家の枕元に出てぜひ叱咤してほしい。
シェイシェイ茂木に聞かせたい言葉です。
既に買収されてますからw
わかりやすかった☺️
親父の代は犬猿の仲だったであろう小早川と立花がタッグを組んで戦う。
そこが面白い。
しかも隆景が宗茂を絶賛するという。どちらも名将。
実父の仇の島津ともね。
碧蹄館の戦いの打ち上げで、黒田長政と立花宗茂が鉄砲と弓について議論している。
長政は、これからは鉄砲の時代だ、弓とは威力が違いすぎる、と言い
それに対して宗茂は、ケースバイケースであり熟練の者が扱う弓は精度が高くすぐに次の矢を射ることが出来き
手入れも簡単で雨天でも使用できると答えた。
そのやり取りを傍で聞いていた宇喜多秀家は、では黒田殿と立花殿で勝負をしてみてはどうか?
ということで長政は鉄砲、宗茂は弓を使用して的当てゲームで勝負する事になった。
結果は弓の名手の宗茂の勝利であり、感服した長政は愛銃を宗茂に渡し、
それに応える形で宗茂も愛用の弓を長政に渡してお互いに讃えた。
しかし後の戦いでは東軍と西軍に分かれて敵対の関係になる。
連射出来んかった当時は毛が生えた程度、ポーランドのフサリアや満州八旗を見てると、そらそうだと思う。
この火縄銃ですね。
www.muneshige.com/column/03.html
鉄砲とか大砲をよく使ってた立花家だけど、それに固執しないとこが強さなのかも。
確か、宗茂は弓術の流派作ってたし。
日置流弓術のことだね。宗茂はこの免許を二つ持っていた。現在の歩兵戦術に通じるような実践的な弓術。
なお、宗茂はタイ捨流剣術も免許皆伝だし鉄砲も早合だし何でもできるオールラウンダーって感じ。
石田三成って渡海してたのか、知らんかった。
本国でぬっくぬくしてたかと思ってた
秀吉の指揮下でしか戦ったことのない石田、増田、大谷は籠城を主張
輝元に代わり毛利を指揮していた隆景は決戦を主張
隆景と奉行では格が違う
隆景は家康を警戒してた人だしな。無能ではないからなぁ。
隆景もまた西国のあちらこちらの戦役に従軍し、死闘を繰り返してたからなぁ…
秀吉も重用し、黒田官兵衛も尊敬する戦国の生き字引ですから。
元就死後の毛利家を実質采配してましたし。吉川さんは小早川さんより早死にしちゃったから。
立花宗茂は稀有な人ですね。
島津、加藤清正、立花宗茂
この3人と戦いたくない。。。
当時の日本武士は世界最強と言われてるが本当だな、
@Di Di 明军对日本野战基本没输过,日军只能靠守城才赢过几场
@@nagareboshi.z 两种情况,一日军固守,二人多打人少还设伏,就看参战总人数就知道明军第一次就4万多人第二次也就7万多,本子每次都是167万左右,我看维基百科说两次加一起本子死伤17万明军死伤3万朝军死伤12万百姓死伤100万,考虑到朝鲜的战斗力,交换比大概一目了然了吧,这还是刚经历战国时代的日军,这要是太平时期不知道啥样
@@nagareboshi.z 还有考虑到朝鲜多山,北军骑兵施展不开,这要是大平原日军更不出来了
笑死,你把奧斯曼土耳其 英國 西班牙放在哪裡?還有碧蹄館日本人以多擊少,傷亡居然還跟明軍一樣,你還好意思吹?
當年陸上最強的是後來的滿清八旗兵,朝鮮兵證明日式鐵砲對八旗盔甲根本無效。
この戦いの後 宗茂公は、多くの兵を損じた事を悲しんだと伝えています。
大谷吉継の慎重論が意外というか、どういう趣旨だったのかな。
夜間の山間部の追撃は伏兵の可能性もあるし、敵情が不明瞭だと怖いですね。
朝鮮半島には車輪を作る技術がないとネットで馬鹿にされる通り、実際、荷車が一般的ではなかったんです。これは、搾取され尽くしているため民衆が牛馬を持ってなかったってことなんですね。荷車が現地調達できないとなると、兵士には手に持っていける5-6日分の兵糧しかないわけで、そんな時間で明軍5万を壊滅できるわけがないとする吉継の慎重論は至極まっとうな意見なのです。
防衛戦だと思ってたのに侵攻戦だったかww
明朝が北虜南倭で苦しんで日明戦争にあまり軍費を割けない事情がなんとなく伝わってきました。
この時の日本は世界最強と言われてたらしいですね。…戦は数では無い時代ですね。カッコいい
我之前一直为我的同胞喜欢吹捧自己国家感到十分尴尬,现在看到我完全不必要感觉尴尬,因为日本人比中国人更能意淫
@@陈时-s3p 還世界最強。。。笑死我,奧斯曼土耳其,英國,西班牙表示:??就一場小野戰以多擊少,還被明軍殺個片甲不留,就這還世界最強?一群150cm的武士
全世界の鉄砲の半分が日本にあったんだよ。身長で軍隊の強さは決まらない。グルカだって小柄な人が多い。
@@宮野鑑寿 還鐵炮呢?你知道16世紀主流是大炮火炮戰爭嗎?我大明神機營隨隨便便打爆你,你們有炮嗎?
碧蹄館で大明軍より数倍多い兵力が持ったのに結局甚大たる死傷を被って追撃もできなかった世界最強軍草www
動画ありがとう生きがいです😊
あの、火蓋が切って落とされた的な、キザな言い回ししないのがGOOD👍
立花宗茂の部隊の戦闘力バグってるw
本多忠勝に並ぶ剛勇鎮西と呼ばれる立花宗茂が上官だから兵的にも「殿に恥は欠かせられねぇ!!」って感じに奮起するのかもな。
パラメータ武勇に振り切りすぎ
ホークス並みに育成が有能
絵巻物で立花を太刀花って書いてあるのすき。
でもせっかくだから若い頃の統虎がもっと広まって欲しい。
有利な地形に来るまで待って釣野伏せみたいな形で戦った戦だったような。
参考になりました。
朝鮮征伐は名前ぐらいしか知りませんから。
平壌の戦いが残念でしたが、吊り出し作戦だったのかも知れず、結果的には明軍を撃破しているようですね。
敵地なので索敵などが思うようにできなかったのは痛いところです。
日本の武将は帰りたいと思っていたのではないでしょうか?
あれ?小西、大友は、居残り?
立花宗茂、陣取り上手すぎる。
主力毛利軍だから、小早川隆景の意見が通るよね。
自分の領土を増やしたい大名と、そういうわけじゃないという武将とで意見が割れるんだな
あっぱれ日本軍
@@dezhengguo6261 日本で危うかったのは小西行長の第二次平壌決戦くらいだけだったと言われてる。
当時の日本軍が明軍自体に恐れを感じたのかな?むしろ明軍は朝鮮王の戦争続行の嘆願を全て無視して日本と講和している。
@@dezhengguo6261 朝鮮は明の属国だったから。戦いたくても明の意向を無視して戦えなかった。当時の朝鮮、中国近辺で一番強い軍はヌルハチの女真だったが、当時の朝鮮国王が女真の救援を断った。
@@村上昌隆-y9q 戦いたくてもって、挑戦とかザコすぎて戦うもクソもないっしょ
宗茂は関ヶ原の帰路、僅かな供回りの同じ西軍だった島津義弘一行と出会して部下たちが今こそ父上の仇を撃つ機会ですぞというのを完全と拒否したというエピソードもあるよ。
実弟の高橋直次の末裔に麻生太郎
我々の祖先の大和魂と勇戦にただただ感服するばかり。そして痛快過ぎる(笑)。
日本戦史・朝鮮役
原本の出版年月日 大正13年(1924年)
捏造魂
この戦いで明の精兵は壊滅していますね。
慶長の役での三路の戦いで東路軍、中路軍、西路軍がそれぞれ
加藤軍、島津軍、小西軍に数で大きく上回りながら大敗したのは、
明兵の多くが練度の少ない弱卒だったからかと思います。
明はあくまでも大国、日本軍は強いけれどモンゴルに対陣する明の遼東騎兵に勝てまい。ただ碧蹄館戦場沼地のためは明の騎兵に有利でないだけだ。慶長の役での三路の戦いについては明軍の精鋭はまだ到着してないので、駐在明軍の戦力が足りない。日本軍は良い戦機を捉えたと思う。
@@lawrencewang3989 そうかな?騎兵なんぞ鉄砲で捩じ伏せられやしないか?
当時の日本の鉄砲の保有数は世界一。これは公式な記録がある。
@@user-qm7dx9hs5b 騎兵が鉄砲で捩じ伏せられるようになるのは19世紀の話ですね。籠城戦とか陣地戦なら有利な戦いをすることができるでしょうが,野戦になると騎兵の機動力は無視できないです。この時代の鉄砲は連射とかできないんで騎兵に肉薄される展開になればよっぽど火力を集中しないと防ぎようがないでしょう。
碧蹄舘の戦い
三成「相手大軍だから籠城」
宗茂「勝てるぜ」
三成「勝手にしろ。俺は協力しない」
宗茂「勝ったぜ」
三成「・・・」
幸州山城の戦い
三成「攻めるぜ」
宗茂「堅城だからやめた方がいい」
三成「大軍だから負けるわけない」
宗茂「そうか、俺は休んでる」
三成「大敗したーーーっ」
宗茂「・・・」
戦下手(三成)と戦上手(宗茂)が明確に分かるエピソード。
石田、大谷、小西等の意見も
解りますし立花、小早川の意見も
一戦して力を示す事も解る
確かに明軍をこの時は退けたのでしょうがそこは朝鮮の地でありますし
地続きの明の介入さえされなければ良い訳で戦略的観点からもうまく作用したのではないのでしょうか
ドラマとかコミックスにしてほしい
戦地を知らない勘定奉行は、邪魔だな…
西国無双・リアル ケンシロウ『立花公』にはシビレる👏👏
up主様の歴史研究に感謝 🙇
大友家すこ!
立花宗茂の刀なグニャグニャになった件、小早川隆景が立花軍3千は他家の1万に匹敵すると言った件、李如梅の毒矢の脅威など、もうちょっと奮戦した様子もあったらよかった。
李如梅の女真兵と倭兵の評価もかなり気になる
5時間の乱戦で刀は刃毀れ刀身は曲がったので、最後は敵を斬ると言うより鋼の棒で殴り倒すって感じだったんだろうな
立花宗茂の顔かわいそう
最終局面のこの場合、戦場では情報不足の中でも判断を要する事ばかりだけど、立花宗茂の方が小早川隆景より戦場での戦局を見極める能力が高いから、宗茂の言う通り、むしろ追撃した方が良かったようですね。
@@dezhengguo6261 立花宗茂の「追撃」具申は、戦場を離脱した明軍を、援軍が未だ遠いと判断してのこと。
実際、この時点では明軍の援軍は未だ遠かったので、宗茂の判断の方が正しかったと述べただけです。
敵軍を、援軍と合流する前に潰そうと考えるのは普通ですし。
数字の誇大報告は、どの時代でも、どの国でも有りますから、数字は当然相当怪しいでしょう。
現代でも、どの国でも公表数字は多くの民衆は簡単に信じますしね。
因みに、当時の明が養っていた人口は1億5千万人、日本が1500万人、朝鮮が400万人弱。軍事動員可能数は、その2~3%。
当時、海を超えた船の兵員輸送力は、陸続きの移動の輸送力に劣っているので、日本側の軍勢にとってアウェーであり、兵站も不利なので、食糧に困ったのは事実だと思います。
先に記述した通り、当時の朝鮮の人口から推察すると、当時の朝鮮は食料豊富な場所ではなく、小氷期も相まって寒くて渇いた平地の少ない厳しい土地だったのは間違いないです。
もったいないよな。戦国史で最も面白いのが朝鮮出兵なのに隣国への配慮でスルーされがちなのって。
日本史に与えた影響は確かに少ないけど朝鮮史では一つの時代の転換点になる重大事件なんだけどな。
菊池寛『日本合戦譚』(文春文庫)に詳しい。
総勢4万とか、ちょっと少ない感じもするが、今で言う習志野
の空挺部隊の精鋭みたいなんが4万だったんだろうな。こわ〜。
这场战斗来了4000人。开始只有1000。
立花宗茂、最強、小早川隆景
日本人で良かった
こうして見るとやっぱり小西行長と石田三成は戦向きではないな。
どちらも参謀などやらずに事務方だけやってれば良かったのに。
もう大河ドラマ決定だろ!
立花宗茂…草なぎ剛
立花誾千代…黒木華
立花道雪…中尾彬
高橋紹運…佐藤隆太(ビックモーター)
大友宗麟…岸田文雄
大友義統…岸田翔太郎
一眼丁真
明方主将李如松能带领2W人追击,一个上午2W人前进80公里。。。。你以为机械化部队?入朝明军3W,李能带2W战败,杨还有兵救援?战后立花宗茂点检战损,其本队只剩1/4.。。。。实际情况是李带了不超过3000人,前锋2000人,后续加入3000人,总数不超过1万人。
立花宗茂、小早川隆景,日本勢勝!台灣國最高!
ホントは、太宰府に主力は長期待機していて
秀吉は、スペイン本国や東アジアの状況を見ながら
先見隊の彼らを放っていたっつう事で、
秀吉死後は、大陸展開の必要無くなったつう話
戦国無双でも朝鮮侵略を入れて欲しかった❗
絶対に韓国が文句いうでしょう。日本は侵略を目論んでいるとか言って。
明の外圧を排する為の足掛りとして朝鮮侵攻して軍事力を削らなかったら関ヶ原で勝って征夷大将軍になれたのは秀吉。
しかし、征夷大将軍の仕事って征夷だよなあ…
16世紀後半の武士達は贔屓目抜きに見ても世界最強だったのではないか?戦国でありとあらゆる戦い方を経験している。明軍の兵士達は実戦経験があまりなかったのでは無いだろうか?あくまでも俺の推測なので厳しく突っ込まないでね。
おそらく欧州や中東に太刀打ちできるくらいは強かったと思います(最強レベルくらいかな)
まぁ対騎兵の戦術が乏しいというのが弱点ですかね
確かに。大平原で戦うと歩が悪そうだね。山岳地帯ならかなり行けそうだね。そんなところかな?
美代森田 日本は山岳地帯が多いですから内陸に引き込めば対処ができるかもしれませんね
李如松は遼東を警備している精鋭だぞ。ちなみにヌルハチの親の仇の子供
いやそうとは限らん
李如松の軍は4万になってるけどね。戦意喪失とは大軍で負けると起きるが兵的少数ではなかなかおきないと思う。
帮助鲜的援军总共才4万。
参加这场战斗的只有1000人,后面的援军才只有3000。
@@刘蔚-s6s李如松這一仗,親兵家丁死傷大半…對他打擊很大,造成嚴重的心裡影響。
他還說日軍有20萬人。😂
コ〜ンギョ〜 コンギョ〜♪
グーイシマンヅ!♪~パンニハムハサムーニダー♪
立花宗茂が籠城戦の危険さを訴えたのは父高橋紹運の事もあったのだろうか?
いや単純にピョンヤンでの勝ち戦で勢いにのる、明の精鋭4万を迎えて籠城したら、包囲されたうえで、ただでさえ陸上の補給路は朝鮮民兵に攻撃され寸断されてたのにさらに彼らを勢いづかせてほぼ補給が出来なくなるからでしょう。一度打って出て打ち破ってから籠城ならまだしも。
どーでもいいけど、立花宗茂公の肖像画、もっとマシなのないのか?
動画中の宗茂公の肖像は、不鮮明なところもありますが、「おおらかで穏やかな人格者」という人となりを連想しやすい、と私は思います。
というのは、
www.muneshige.com/17dai/vol02.html
で紹介されている2つの肖像画のうち右の画を柳川の「御花」と「三柱神社」で拝見したことがありまして、
「これじゃ殺生関白(豊臣秀次)と似たり寄ったりだ…」と興醒めしたことがあるからです。
(宗茂公、ごめんなさい…)
@@村正-e4y さん、ありがとうございます。右側の肖像画は私も見たことがあります。
これは、私にとっては宗茂公のイメージ通りでよいと思いますけどね。
鎧からかなり高身長ともわかってるし、良しとしよう。
@@machazard さん
ご返信ありがとうございます。
私の場合、「不鮮明」な画を先に見たため、イメージが固着してしまったからだと思います…
余談で恐縮ですが、「御花」付属の史料館では何枚か写真を撮らせていただいたのですが、
断トツの撮れ高ナンバーワンは、宗茂公でも、その武具甲冑でもなく、義父道雪公の肖像画でした…
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E9%81%93%E9%9B%AA#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB%3ATachibana_Dosetsu.jpg
この風貌なら
「鬼道雪」という異名や
「暴れ猿を、鉄扇の一打で撲殺」
「雷を一太刀で切り伏せ」てもおかしくはないな、と思いました(笑)
長文失礼しました。
@@村正-e4y さん、確かに、豪壮な感じの容貌ですね。肖像画ではないですが、大宰府に行った折、岩屋跡に上ったことがあります。その時は九州の戦国史には詳しくなく、壮絶が戦いがあったらしいくらいにしか意識しておりませんでしたが、後で宗茂公実父の高橋紹運公戦死の地と知りました。
苦戦したなんて教わってないワタシ👍
这数据太扯淡了,碧蹄馆之战李如松加上杨元的援军总共5000人,哪来的伤亡6000。明朝自己记载的明军阵亡总数300多,获取的日军首级数量也才200多,明军的战功需要首级做凭证,需要文官效验,而日本人光靠嘴就行了,动不动消灭明军成千上万的数据太可笑了。
日本以數倍於明軍的兵力,還無法全殲李如松的軍隊,日本人還好意思提,我都替他們感到丟臉....
这个频道里各方军力数字其实基本都捏造的,很低端。每每把明军军力数字扩大N倍,且对明军武将(除了几个重要主帅外)也只字不提,估计压根不了解,就是个历史半吊子的民族主义劣等影片系列,看了笑笑就好,不必当真。
@@XuerLi 虚报战功是日本人的传统艺能了,二战日本战报上也是各种胜利,然后美军轰炸机就到东京了。壬辰战争也是战报上也是各种击破明军成千上万,然后就从鸭绿江转进到庆尚道了,战绩可以虚构,战线可骗不了别人,只能自欺欺人。
明朝和朝鲜的史料都说李如松只是派了查大受3000车队作先锋,被伏击后自己带了1000家丁去救,然后还是被围,杨元带了1000炮兵来支援才脱险。几万日军打伏击最后打成遭遇战,双方杀伤相当,这种战绩放在我国都不好意思提,日本人竟然数字一编吹成大胜。反正他们自己也没史书,张嘴一来随便编。特别是那些被吹成神将的所谓名将这一战打得多丑陋自己都不嫌丢人吗?
@@xlr9143
WW2に関して言えば、いわゆる「大本営発表」は民間人に対する発表であって政府・軍の内部報告ではないよ
で、なぜか君たちは無条件に信頼しているが、中国の歴史書の数字は馬鹿げたものだらけやん
明代でいうならば、土木保で100万の明軍がいるわけがなく、サルフで明軍が20万も総勢でいたとは思えない
「明史」を含め、この戦争に関わる中国側の書物の多くが清代に編纂されたこと、清代に文字の獄があったことを理解してるのか?
より軍事的な話を言うなら、当時の兵力の記録(双方で)が戦闘員だけでなく輜重に伴う人員を含めているのかは分からない
ただし日本側に関して言えば、当時の日本で見られる「兵力」の記述は戦闘員だけでなく輜重に伴う人員を含んでいると、現代では考えられてる;そうでなければただの誇張か
分かり易く言えば;例えば、最盛期の長曾我部元親は自身が4万の兵力を動員できると言ったが、これを他の世界各地域(特に欧州、中東)で信じられている動員可能兵力と人口との関係と照らし合わせたとき、たかだか四国の領土だけでそれだけの戦闘員を動員できるはずがない(現代では、当時の日本全体の人口は2000万前後だと見積もられている;四国全土の人口は500万にも満たないと考えられている)
だから、この動画で出てきた数字を批判するのは結構だが、史書以外にまともな根拠があって批判しろよ?
そうでなきゃ中国の主張する中国のWW2での被害規模のように、誰も真剣には信じないよ
米軍と独逸軍と日本軍
が世界で最も強い世界最強の軍と言われいる。
逆説めいていますが,この3民族は,殺し合いをまじめに,かつ,徹底的にやるので,勝っても負けても損害が惨々たるものになってしまいます。
還世界最強。。。笑死我,奧斯曼土耳其,英國,西班牙表示:??就一場小野戰以多擊少,還被明軍殺個片甲不留,就這還世界最強?一群150cm的武士,別侮辱美軍和德軍了,你們也配?打打朝鮮這種垃圾的時候威風,碰到大明馬上被打下水
ちょっと違うアメリカ人の将軍、ドイツ人の将校、日本人の下士官兵で構成すれば最強の軍隊という意味。
明军不满饷,满饷不可敌
他の地形で勝った方がおかしいんだけどな笑
北方騎馬民族相手に戦ってる明朝軍が国内線しかやってない戦国武将にボコボコにされる原因はなんだろ?
たまに外敵(騎馬民族)と戦うより国内でガッチガチに争って切磋琢磨してた方が強くても不思議はないかと。
むしろ国内戦しかやってないって戦国時代なんだと思ってるんですか笑
当時は世界で1番鉄砲の量が多かったのが日本て言われるくらいですし
歩兵・火器を温存した明軍は騎兵中心の編成となっていたが、碧蹄館の地は騎兵の機動力を活かすことの出来ない狭隘な渓谷であり、かつ前夜よりの雨で泥濘地と化しており。騎馬に不適な戦場であった
李如松が生き延びたのは女真族との歴戦で鍛え上げられた明軍騎兵隊(ほぼ李家の私兵)が中心だったからだ。
ほとんどの砲兵と歩兵は平壌に置いてきたはずだから騎兵総数が6000から7000名+輜重隊が14000
とみれば20000という総数はおかしくない。(輜重隊を騎兵部隊の2倍程度で済むと計算してだが)
そしてこの戦闘後に李如松の騎馬隊3000が見事な退却戦を行って生き残っているから直接戦闘員の死亡者は
3000,それに後方にいた輜重隊で逃げ遅れて死んだ奴が3000と見れば明軍6000死亡は別におかしく
もない数字だな。
这次战斗明军只来了1000人。加上后面的援军才4000多。
@@刘蔚-s6s 感謝您的建議。 那麼日如松軍有騎兵1000人,運輸兵3000人,總人數是4000人? 還是簡單的說3000個援軍?如果援軍是步兵就需要9000卡車,如果是騎兵就需要6000卡車。12000在
以步兵來說,1000騎兵2000運輸兵,3000步兵9000運輸兵就是15000人,戰場上由於高估了敵人,可能被看成將近20000人
@@刘蔚-s6s そんな寡兵しか出さずに負けたのだったら余力があるはずで、あそこまで指揮官李は戦意喪失はしないだろう。つまり戦える自慢の精鋭=主力が壊滅したんだよ。で、「大国」明国にはそのていどの戦力しか動員できなかったの?張子の虎だねえ
@@-msc 骑兵侦察部队不需要 辎重队, 步兵才要辎重,前锋部队3千500人, 后续李如松带了1000人,最后杨元带了1000人,总兵力5500人,明军的任务是侦察,不是决战。没有多少运输兵。日方史料完全是自吹自擂。如果日军大胜,为何不主动进攻
そういえば、秀吉は何でこねーの?
今で言う首相みたいなもんだぞ。行くとしても平定して治安がある程度確保できてからだろう
きゅうしゅうこわい
明軍5千人精鋭対日本オールスター、撃退したが、大勝利とは少し違うと思う
李如松の不参戦は土蛮の侵入もあった
Ano sentode Mingunha gekitaisimasitaga. Minamino chosenrikugunga Kobayakawa takakageno nihhongunwo taosi hukusinsimasita. Chosenrikugunwo haijyosurutame Ukita hideie, Isida Mitunari, Konisi yukinaga, Kuroda nagamasa, Kobayakawa takakagewo hukume nihhongunga subete Seoulkara demasuga. Ukitaya Isida honninmo inochiga kikenna joutaini naruhodo haibokusimasu. Soside nihhongunha Seoulkaka tettaisimasu.
残酷な奴らだ…民間人の鼻を切って墓を作るなんて…謝罪しろ!
他国の強い奴らと闘う事も出来たし、大国に日本の強さを轟かす事が出来たのだから後悔など無い!👍
二女の守護霊様が宗茂さん
娘には甘いww
宗茂さんはたまたまって
よく言ってます
この話きくと、講和して半島ゲットやったのにな
当時の朝鮮半島って稲作すらまともに行われてない未開発エリアで朝鮮全体の石高10万石くらいだから大名みんな朝鮮とかいらねーってなってました
朝鮮の主食って腐ったコーリャンとか腐った大根だったし
水車すらなかったのは有名笑
明は弱い
明军才1000人 加上后面支援的总共才4000。
完全是胡说八道!
萬曆朝鮮一戰 日軍在野戰碰到明軍基本沒贏過 宇喜多秀家的家臣國富元右衛門拿武士刀砍了明軍三刀都被彈回來 碧蹄館之戰中日本人甚至以多打少反而比明軍傷亡更嚴重
你們日本人不會真的以為自己贏了吧?
李如松の率いる部隊が少なかったと思う
立地が悪かった。倭人相手にはもっと重火器を使うべきだった
本部兵馬3,000人 援軍約25000人
これは侵略戦争ですよね
いいえ!
朝鮮は道路ですから、通過を邪魔されただけです。
日本戦史・朝鮮役
原本の出版年月日 大正13年(1924年)
日本側の本隊は九州で酒飲んでるくらいだからな。
先遣隊の小西、加藤、その他が既に強し
《明实录》:碧蹄一战我师长驱之气已沮。
《明实录》:再遣李如松碧蹄横溃二辱也
万斯同著《明史稿·李如松传》中:初,官军捷平壤…及碧蹄败衄,如松气大索。顿兵绝域,师老财匮,海气郁蒸,疫痢甚作。应昌、如松急图休息。
沈德符著《万历野获编》:会如松奉征倭之命,先胜于平壤道,后败于碧蹄馆
《万历野获编》:后碧蹄馆败归,师遂不振。
《官常典节使部》:如松欲遂袭王京大败于碧蹄馆。 南明查继佐著《罪惟录》:提督松轻进逼王京败绩碧蹄馆退保开城
明将骆尚志:前日碧蹄之战…而提督轻敌贪功,不带南兵,只率家丁,几死贼手,大败而退,误了一场事。自后畏怯,无前进之心。
徐光启:提督李如松不能无内忌。欲立奇功,辄深入。是以有碧蹄之败。
谢杰著《虔台倭纂》记载:酋秀吉爱将金甲荧(立花宗茂)煌数数出入于阵,如松弟如梅故善射,稍稍物色金甲酋,比近发一矢毙之。