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名と言わずに柱と現して下さい・・・この方達のお陰で今の我々が生きて居られるのですから・・・
今把握いたしました。ご指導いただきありがとうございます。何名ではなく何柱(ばしら)ということですね。※以下Yahoo知恵袋より引用戦死者に限らず「神社に祀られている死者」は神様ですから「何柱」と数えます。普通は「はしら」と読みます。「ひとはしら」「ふたはしら」「みはしら」です。
会館入口の天女の絵は素晴しいです。御霊が天に召されますようにとの願いでしょうね。まだ女性と同衾もした事の無い、穢れ無き少年兵を暖かく抱きしめ、昇天に導いてくれます。
あの絵はほんとに泣きました。特攻隊員の皆さんには天国で幸せになってほしいです。
特攻隊の話がとてもよく分かりました。音楽と解説が合致されて涙が出ます。今のこの平和の世を導いてくださって方を心からお祈りします。私も2回知覧平和会館にいきました。3人の息子の親としてこの会館を訪れると今の世の中でよかったと本当に安堵しました。すばらい編集でありがとうございました
KuniKuniさんいつも応援ありがとうございます。現在の平和の礎となって下さった方々の存在を忘れたくないですよね。平和な世の中で息子さんたちが特攻に行かなくてよかったです。
平均年齢が21.6歳ですか、その若さで死生観の確立が出来ていたことに言葉がありません、私の21歳といえば自分の事だけ考えて回りに対しての感謝もなく過ごしていました、今考えると大変恥ずかしく思います、英霊に感謝します。
真剣にご覧いただきありがとうございます。その若さで天命を国にかけ戦い、散っていった若ものたち。その純粋な心には敬意しかありません。
私の父親も予科練兵ですね~~ただ身体が悪くなり突撃に行けなくなりましたね。大変だった見たいですね!
2022年9月23日一部修正補正しました。「知覧基地からの指令によって鹿屋から特攻隊が出撃した」との記述がについて、視聴者様からのお話により誤りの可能性が指摘されていました。9月23日に知覧特攻平和会館の方に問い合わせた所、「陸軍基地である知覧からの指令で海軍基地の鹿屋から出撃するのは確かにおかしい」との回答を得ました。23日朝現在該当箇所の修正、モザイク処理をおこなっています。ご指摘いただいた視聴者様には改めて感謝申し上げます。KOIKE REPORT 編集部 小池泰弘
鹿児島に出張する度に知覧に必ず行きました遺書を見て人目も憚らず唯涙を流しました
きりやあつちか様鹿児島に出張が頻繁にあるならば私もその度に通うと思います。特に特攻隊員の遺書は本当に泣いてしまいますよね。妻だったり、母親だったり、思いを残すその言葉に嘘はないんですよね。
鹿屋は海軍の基地なので、知覧から鹿屋への指令は間違いだと思います。知覧は陸軍特攻隊では、1番多くの400名以上の戦死者を出していますが、それ以上に、海軍の特攻指令基地であった鹿屋は、鹿屋基地だけで900名程が特攻で命を落とされています。
拙い動画ですが、ご覧いただき誠にありがとうございます。該当部分においては「新編知覧特別攻撃隊」を参考にして書かせていただいております。鹿児島県図書協会が推薦する信頼性のある本で、間違えているとは到底思えません。 しかし、ご指摘くださったように鹿屋は海軍所属の基地で陸軍からの指令で、海軍の鹿屋の部隊が出撃するとは確かに思えません。これらのことから察するにイレギュラーの出撃が鹿屋からあったのかも知れませんね。 いずれにせよ、知覧特攻平和会館に真偽を聞いてみようと思います。完全な間違いであれば該当箇所の音声、映像の部分を隠させていただきます。海軍 鹿屋 908名 串良 363名陸軍 知覧 439名 何かと知覧がピックアップされがちですが、鹿屋の被害も大きいですね。鹿屋航空基地資料館に行った時知覧よりも特攻出撃が多かったことに衝撃を受けました。自分は知覧の撮影をしに行ったのに、寄った鹿屋、串良の方が多かったことに困惑した感じです。自分も知覧は2回行ってますが、やはり特攻=知覧というイメージは強いですね。 このことについてはまたコメント欄で連絡いたしますので、ぜひ確認しに来てください!
@@hop-step-koikeさん。元鹿屋市民ですが知覧は鳥浜トメさんの居た事で特攻隊のイメージ強いです。ですが鹿屋も取材して見て下さい。特にロケット特攻機桜花を出撃させたのは鹿屋だけです。元宿舎だった野里小跡には彼等の息吹が残ってます。偏ったイメージは散った彼等に失礼ですよ。鹿屋は海軍なので陸軍とは違います。陸軍は振武特攻隊。海軍が神風(しんぷう)特攻隊でした。なんか見てて凄い偏った表現なので突っ込ませて頂きます。
零戦太郎様貴重なご意見ありがとうございます。実際に知覧から帰ってきて色々調べていくうちに鹿屋の特攻出撃の多さにびっくりしていまいました。今度特攻の話をする場合は鹿屋をやってみたいと思っています。 鹿屋飛行場のみが桜花を出撃させたのは知りませんでした。教えていただきありがとうございます。 この時代の海軍と陸軍の違いに関してはもっと知っておくべきだと思いました。根本的な大きな違いのところの認識が甘かったです。
@@hop-step-koike さん。鹿屋基地史料館に展示してるニコイチ零戦は墜落するシーンを母親が目撃してます。鹿屋に慰問した帰りに下駄履いて帰りながら空襲が開始され鹿児島湾上空で空戦。火だるまになって落ちる飛行機をグラマンだ!と喜んでたら日の丸の翼の零戦。後年、逝去するまでは荒平沖に零戦が沈んでると述懐してました。>引き揚げ前の昭和59年に母親は逝きましたので引き揚げは知りません。ルーツを拡散したいので書いておきます。
多々間違いはあれど、亡くなられた方々を思う心は素晴らしいです我が祖母宅は鹿屋市に有った海軍笠之原飛行場の目の前とのこと特別攻撃のための兵隊さんを泊めていた兵隊さんはシラミが湧き食べるものも少なかったと聞き及んでいます着替えを庭で煮沸し洗濯していたなど大変な環境だったとの事映画 永遠のゼロを見て「こいはの嘘じゃが(これは嘘だ)」とボソッと言っていたのが記憶に残っている
コメントいただきありがとうございます。参考にしている文献も結構古いので間違いがある場合があります。訂正できるほど知識量がなくて申し訳ございません。お話を聞くと特攻隊で出撃前の物資が恵まれている状況でも大変な状況だったのですね。私たちは特攻隊員は比較的もの(食料)がもらえる立場ではあったと教わっていますが、やはりそう単純ではないのですね。狭い三角兵舎の中でノミシラミに耐えながら祖国のために耐える特攻隊員のみなさまのことを思うと辛いですね。
動画内で 荒木幸雄伍長はあらき ゆきお 伍長です💦名前の読み方があらき さちお伍長と言っており、違っておりましたので 気になってしまいました。💦
あおい様おはようございます。ご指摘いただきありがとうございました。人命特に隊員の方の名前は間違えない様に調べて作りましたが、収録段階で読み間違いをしてしまった様です。英霊の方には申し訳無い気持ちがあります。今後間違った箇所を治すのかリマスター版を作り直すか考えようと思います。コメントいただきありがとうございました。
特攻の話になると、陸軍も海軍もごちゃごちゃです。知覧は陸軍の中では出撃数が1番多いが、海軍基地である鹿屋の方がまだ多い。たしか600くらい。陸軍、海軍合わせて3000。ここの話は陸軍だけ。と思いきや、鹿屋の二式飛行艇が写っていたりと、やっぱり話しがごっちゃです。😢
動画をご覧いただき誠にありがとうございます。具体的なご指摘でとてもありがたく感じています。動画作成時は陸軍、海軍の違いを認識しておらず、ご指摘のとおり境界線が曖昧になっています。大変申し訳ありません。次回特攻隊のお話しを書くときは陸軍、海軍の違いをしっかり把握して誤情報が無いように努めます。コメントいただきありがとうございました😭
知覧、長崎、広島にぜひ行きたい。😿
動画をご覧いただきありがとうございます。知覧にはぜひ行ってください。広島の平和会館とは異なった悲惨さがあります。
今も昔も間違っている、人間は反省してない。😿
素晴らしい動画作成ありがとうございます。動画を否定するものではありません事を先にお断りさせてください。他の方(武田勝彦氏)の動画の中では、一式戦闘機(隼)は、右翼が250キロ爆弾で左翼には燃料の予備タンクが搭載されていると語っておられました。ですが、こちらの動画の内容では、250キロ爆弾を2個搭載と仰られていましたが、こちらもやはり別のコメントでありましたように、鹿児島の文献からの引用と言う事でよろしいのでしょうか?知覧に展示されてある隼戦闘機のレプリカを拝見する限りは、左右で形が違う様に見えます。どちらが正しいのか少し気になりコメントさせていただきました。
コメントありがとうございます。私の参考にした高岡修さん著作の「新編知覧特別攻撃隊」では「250kg爆弾を2個」と記述されています。私も書籍から引用している関係上詳しく書くことはできないのですが、増槽をつけて突撃した特攻機もあれば、爆弾を二つ括り付けて攻撃した機体もあったのかもしれません。事実がどっちにあるのかは今の私にはいえません。私も知覧の隼のレプリカみました。確かに爆弾と増槽でしたね。
後世に伝えたい想いは理解しますが余りにも間違いが多く見る気持ちが失せました
途中までご覧いただきありがとうございました。今後の参考のため間違えている箇所を具体的に言っていただけると助かります。
名と言わずに柱と現して下さい・・・
この方達のお陰で今の我々が生きて居られるのですから・・・
今把握いたしました。ご指導いただきありがとうございます。
何名ではなく何柱(ばしら)ということですね。
※以下Yahoo知恵袋より引用
戦死者に限らず「神社に祀られている死者」は神様ですから「何柱」と数えます。普通は「はしら」と読みます。「ひとはしら」「ふたはしら」「みはしら」です。
会館入口の天女の絵は素晴しいです。
御霊が天に召されますようにとの願いでしょうね。
まだ女性と同衾もした事の無い、穢れ無き少年兵を暖かく抱きしめ、昇天に導いてくれます。
あの絵はほんとに泣きました。
特攻隊員の皆さんには天国で幸せになってほしいです。
特攻隊の話がとてもよく分かりました。音楽と解説が合致されて涙が出ます。
今のこの平和の世を導いてくださって方を心からお祈りします。私も2回知覧平和会館にいきました。
3人の息子の親としてこの会館を訪れると今の世の中でよかったと本当に安堵しました。すばらい編集でありがとうございました
KuniKuniさんいつも応援ありがとうございます。
現在の平和の礎となって下さった方々の存在を忘れたくないですよね。
平和な世の中で息子さんたちが特攻に行かなくてよかったです。
平均年齢が21.6歳ですか、その若さで死生観の確立が出来ていたことに言葉がありません、私の21歳といえば自分の事だけ考えて回りに対しての感謝もなく過ごしていました、今考えると大変恥ずかしく思います、英霊に感謝します。
真剣にご覧いただきありがとうございます。
その若さで天命を国にかけ戦い、散っていった若ものたち。
その純粋な心には敬意しかありません。
私の父親も予科練兵ですね~~ただ身体が悪くなり突撃に行けなくなりましたね。大変だった見たいですね!
2022年9月23日
一部修正補正しました。
「知覧基地からの指令によって鹿屋から特攻隊が出撃した」との記述がについて、視聴者様からのお話により誤りの可能性が指摘されていました。
9月23日に知覧特攻平和会館の方に問い合わせた所、「陸軍基地である知覧からの指令で海軍基地の鹿屋から出撃するのは確かにおかしい」との回答を得ました。
23日朝現在該当箇所の修正、モザイク処理をおこなっています。ご指摘いただいた視聴者様には改めて感謝申し上げます。
KOIKE REPORT 編集部 小池泰弘
鹿児島に出張する度に知覧に必ず行きました
遺書を見て人目も憚らず唯涙を流しました
きりやあつちか様
鹿児島に出張が頻繁にあるならば私もその度に通うと思います。
特に特攻隊員の遺書は本当に泣いてしまいますよね。妻だったり、母親だったり、思いを残すその言葉に嘘はないんですよね。
鹿屋は海軍の基地なので、知覧から鹿屋への指令は間違いだと思います。
知覧は陸軍特攻隊では、1番多くの400名以上の戦死者を出していますが、それ以上に、海軍の特攻指令基地であった鹿屋は、鹿屋基地だけで900名程が特攻で命を落とされています。
拙い動画ですが、ご覧いただき誠にありがとうございます。
該当部分においては「新編知覧特別攻撃隊」を参考にして書かせていただいております。鹿児島県図書協会が推薦する信頼性のある本で、間違えているとは到底思えません。
しかし、ご指摘くださったように鹿屋は海軍所属の基地で陸軍からの指令で、海軍の鹿屋の部隊が出撃するとは確かに思えません。これらのことから察するにイレギュラーの出撃が鹿屋からあったのかも知れませんね。
いずれにせよ、知覧特攻平和会館に真偽を聞いてみようと思います。完全な間違いであれば該当箇所の音声、映像の部分を隠させていただきます。
海軍 鹿屋 908名
串良 363名
陸軍 知覧 439名
何かと知覧がピックアップされがちですが、鹿屋の被害も大きいですね。鹿屋航空基地資料館に行った時知覧よりも特攻出撃が多かったことに衝撃を受けました。自分は知覧の撮影をしに行ったのに、寄った鹿屋、串良の方が多かったことに困惑した感じです。自分も知覧は2回行ってますが、やはり特攻=知覧というイメージは強いですね。
このことについてはまたコメント欄で連絡いたしますので、ぜひ確認しに来てください!
@@hop-step-koikeさん。元鹿屋市民ですが知覧は鳥浜トメさんの居た事で特攻隊のイメージ強いです。
ですが鹿屋も取材して見て下さい。
特にロケット特攻機桜花を出撃させたのは鹿屋だけです。
元宿舎だった野里小跡には彼等の息吹が残ってます。
偏ったイメージは散った彼等に失礼ですよ。
鹿屋は海軍なので陸軍とは違います。
陸軍は振武特攻隊。海軍が神風(しんぷう)特攻隊でした。
なんか見てて凄い偏った表現なので突っ込ませて頂きます。
零戦太郎様
貴重なご意見ありがとうございます。
実際に知覧から帰ってきて色々調べていくうちに鹿屋の特攻出撃の多さにびっくりしていまいました。今度特攻の話をする場合は鹿屋をやってみたいと思っています。
鹿屋飛行場のみが桜花を出撃させたのは知りませんでした。教えていただきありがとうございます。
この時代の海軍と陸軍の違いに関してはもっと知っておくべきだと思いました。根本的な大きな違いのところの認識が甘かったです。
@@hop-step-koike さん。
鹿屋基地史料館に展示してるニコイチ零戦は墜落するシーンを母親が目撃してます。
鹿屋に慰問した帰りに下駄履いて帰りながら空襲が開始され鹿児島湾上空で空戦。
火だるまになって落ちる飛行機をグラマンだ!と喜んでたら日の丸の翼の零戦。
後年、逝去するまでは荒平沖に零戦が沈んでると述懐してました。>引き揚げ前の昭和59年に母親は逝きましたので引き揚げは知りません。
ルーツを拡散したいので書いておきます。
多々間違いはあれど、亡くなられた方々を思う心は素晴らしいです
我が祖母宅は鹿屋市に有った海軍笠之原飛行場の目の前とのこと
特別攻撃のための兵隊さんを泊めていた
兵隊さんはシラミが湧き食べるものも少なかったと聞き及んでいます
着替えを庭で煮沸し洗濯していたなど大変な環境だったとの事
映画 永遠のゼロを見て「こいはの嘘じゃが(これは嘘だ)」とボソッと言っていたのが記憶に残っている
コメントいただきありがとうございます。
参考にしている文献も結構古いので間違いがある場合があります。
訂正できるほど知識量がなくて申し訳ございません。
お話を聞くと特攻隊で出撃前の物資が恵まれている状況でも大変な状況だったのですね。
私たちは特攻隊員は比較的もの(食料)がもらえる立場ではあったと教わっていますが、やはりそう単純ではないのですね。狭い三角兵舎の中でノミシラミに耐えながら祖国のために耐える特攻隊員のみなさまのことを思うと辛いですね。
動画内で 荒木幸雄伍長は
あらき ゆきお 伍長です💦
名前の読み方があらき さちお伍長と言っており、違っておりましたので 気になってしまいました。💦
あおい様
おはようございます。ご指摘いただきありがとうございました。人命特に隊員の方の名前は間違えない様に調べて作りましたが、収録段階で読み間違いをしてしまった様です。英霊の方には申し訳無い気持ちがあります。今後間違った箇所を治すのかリマスター版を作り直すか考えようと思います。コメントいただきありがとうございました。
特攻の話になると、陸軍も海軍もごちゃごちゃです。
知覧は陸軍の中では出撃数が1番多いが、海軍基地である鹿屋の方がまだ多い。たしか600くらい。
陸軍、海軍合わせて3000。ここの話は陸軍だけ。と思いきや、鹿屋の二式飛行艇が写っていたりと、やっぱり話しがごっちゃです。😢
動画をご覧いただき誠にありがとうございます。具体的なご指摘でとてもありがたく感じています。動画作成時は陸軍、海軍の違いを認識しておらず、ご指摘のとおり境界線が曖昧になっています。大変申し訳ありません。次回特攻隊のお話しを書くときは陸軍、海軍の違いをしっかり把握して誤情報が無いように努めます。コメントいただきありがとうございました😭
知覧、長崎、広島にぜひ行きたい。😿
動画をご覧いただきありがとうございます。知覧にはぜひ行ってください。広島の平和会館とは異なった悲惨さがあります。
今も昔も間違っている、人間は反省してない。😿
素晴らしい動画作成ありがとうございます。
動画を否定するものではありません事を先にお断りさせてください。
他の方(武田勝彦氏)の動画の中では、一式戦闘機(隼)は、右翼が250キロ爆弾で左翼には燃料の予備タンクが搭載されていると語っておられました。
ですが、こちらの動画の内容では、250キロ爆弾を2個搭載と仰られていましたが、こちらもやはり別のコメントでありましたように、鹿児島の文献からの引用と言う事でよろしいのでしょうか?
知覧に展示されてある隼戦闘機のレプリカを拝見する限りは、左右で形が違う様に見えます。
どちらが正しいのか少し気になりコメントさせていただきました。
コメントありがとうございます。
私の参考にした高岡修さん著作の「新編知覧特別攻撃隊」では「250kg爆弾を2個」と記述されています。
私も書籍から引用している関係上詳しく書くことはできないのですが、増槽をつけて突撃した特攻機もあれば、爆弾を二つ括り付けて攻撃した機体もあったのかもしれません。事実がどっちにあるのかは今の私にはいえません。
私も知覧の隼のレプリカみました。確かに爆弾と増槽でしたね。
後世に伝えたい想いは理解しますが余りにも間違いが多く見る気持ちが失せました
途中までご覧いただきありがとうございました。今後の参考のため間違えている箇所を具体的に言っていただけると助かります。