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テロップの表記ミスについて(誤)清州駅→(正)清洲駅
子供の頃、毎年夏休みは母の実家に姉と3人でこの特急富士に乗って帰省していました。今はもう祖父は亡くなり、祖母はホームに入ってます。大好きだった大分のおじいちゃんち。家は祖父が亡くなった後に処分されてしまったので、もう2度と帰ることはできません。でも、この動画を見れば、いつでもあの懐かしい夏休みに帰れる気がします。
達 馬場様、こんにちは。コメントありがとうございます。この動画が、子供の頃の懐かしい思い出や、おじい様、おばあ様に思いを寄せる一助になったのであれば幸いです。もう2度と帰ることのないおじい様の家も、こうして、貴方様の心の中に、しっかりと刻まれています。物は無くなっても、心は無くなりません。素敵な思い出は、心の中で、いつまでも生き続けていきます。
慣れない睡眠環境で早く起きてしまうと、外には夜明け前のほぼ知らない風景が流れてる…ってのが醍醐味だった夜行列車
type81様、こんにちは。コメントありがとうございます!わかります、わかります。ふと目が覚めて、窓の外を眺めると、見慣れない景色で、「あれ?どこ走ってるのかなぁ...」って、通過駅の駅標を目で追って、「こんなとこまで来たのかぁ…」っていう、あの感じ。まさに夜行列車の醍醐味でしたね。
ジャストミート🎉表現力が上手です😊
@@syaso あうい
Вцнвещ Ян им кем па цу год со о ее её цикл до Н🚃👍👍👍👍👍👍👍👍👍 де ВК до со до ВК вН до про од все во
これは大袈裟でなく、永遠に残すべき動画です。約16年も前になるんですね。
じゅんちゃん様、こんにちは。コメントありがとうございます!これは大袈裟でなく、コメント、ホントに嬉しいです!ありがとうございます。めっちゃ励みになります!
1966生まれで、小学生時代の卒業文集にブルートレインの運転手になる夢を書きました。それから数十年後、ラスト走行近くになって、さくら号に東京~長崎、はやぶさ号に熊本~東京に乗車しました。夜中の眠った駅や街内をひた走る姿が忘れられません。もう過去のものだなんて(涙)。
hidekun1966様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。私は、ブルートレインの車掌さんに憧れました。まさにhidekun1966様がおっしゃるような、夜中の眠った駅や街をひた走る姿、そういったブルートレインの持つ独特の哀愁感とでも言いましょうか。そういう姿を見れなくなってしまったのは残念でなりません…😢
愛知県在住です。付近の東海道沿線の風景がこの20年でずいぶん変化しました。夜間の風景とはいえ昔の車窓が再び見られるとは思いませんでした。当時両親と見た風景。友達と見た風景。たくさんの思い出がそこにありました。進学のため一人でブルトレに乗って初めて親元を離れたことも思い出しました。感謝の動画です。
ペコリ様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですね~。当時とは、車窓の風景もだいぶ様変わりしました。ご両親、友人との思い出、そして親元を離れた時の記憶。そのひとつひとつの大切なシーンを私の動画で思い出して頂けて光栄です😊
貴重すぎる動画本当に本当にありがとうございます。私は1980年生まれです。鹿児島生まれの両親の帰省で、年1~2回幼い時から高校生くらいまで「富士号」に毎年乗車していました。夏の日の落ちる頃に熱海駅から乗り、朝方、少し長い停車時間の下関だったか門司だったかの駅ホームのうどん屋さんで、父親が家族分のテイクアウトのうどんを必死で買いに行ってくれてました。発車ベルが鳴っても寝台車に現れない父を心配して泣いたのも素敵な思い出です。その父も還暦を待たずに亡くなり、今月私自身も手術や入院を経験し、しばらく布団から動けない状態に…。体に自信が無くなると昔の事が懐かしくなって、やたらと「富士号」のワクワクした車窓を思い出していました。もう二度と見る事は出来ないと思っていたのに、この動画に出会えてとても感動しています。私にとって宝物のような車窓を撮影し、投稿してくださって心からお礼を申し上げます。
ミコト様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、1980年にお生まれということは、私よりも9つほど年下ということですね。私が小学生の頃、同級生のご両親が鹿児島出身で、6年生の夏休みに、一緒に鹿児島に行きました。その時には、やはり寝台特急を利用していきました。懐かしい思い出です。「富士」などの九州ブルトレは、機関車交換で下関、門司で長時間停車するので、お弁当を調達するのには丁度良く、ミコト様のお父様のように、買い出しに出られる方も多かったことでしょう。発車ベルが鳴っても戻って来ないお父様を心配して泣いた…恐らく、別の車両に乗り込んで、車内を歩いて帰ってくるのに時間がかかったのでしょう。微笑ましい光景が目に浮かびます。お父様は還暦を待たずに亡くなり…。私の父も、実は57で亡くなりました。肝臓がんでした。私の父は残念ながら、家族の為にうどんを買い出しに出てくれるような優しい父ではありませんでしたし、正直、仲良くもありませんでした。それでも、亡くなった時にはショックでした。そして、私もミコトさんとは内容は違えど、来年の1月末から入院と手術が決まっています。全身麻酔による大掛かりな手術になるそうです。おそらく3週間程度の入院が必要で、術後も生涯、通院が必要になり、後遺症で神経麻痺が出るかもしれないと言われています。この「富士」を撮影した頃のような、長い旅はできなくなりそうです。ミコト様の症状などはわかりかねますが、少し似たような境遇という事もあり、気になり、長文となり失礼致しました。お互いにこれからの人生、頑張っていけたらいいなぁ…と思っております。
ご丁寧な優しい返信ありがとうございます。何か似たような境遇の方の動画に、似たようなタイミングで出会わせて頂けるとは…。昨晩、富士号の車窓を眺めながら子供の時と同じように電車の音で眠りにつこうと思っていたら、溢れるばかりのブルートレインでのエピソードを思い出して、ほっこりしながらもウルっとしていました。B寝台車のハシゴを横に広げる音や、少し固めのパリッとしたシーツの質感、読書灯のLEDとは違う優しい明かりまで、五感でも覚えているみたいです。まさに発車ベルが鳴り、少し動き出した車内に父がうどんを持ちながら現れたのは、別な車両から乗り込んでのセーフでした。国鉄職員だったので、乗り遅れない謎の自信があったようです。手術、入院を控えておられるとの事(私も全身麻酔で入院含めて1週間で退院出来ました…が、家に戻ってひと月経ちますが、いまだ一日の大半は布団です。なので、「車窓」さんのお気持ちがすごく近くに感じられて…。言葉にできない程の共感が多くて思わず長い返信文書になってしまいました。ごめんなさい。こんなに素敵なものを思い出させてくださる動画をプレゼントしていただいた方の、手術が無事に終わって一日でも早く穏やかでお健やかな日々を過ごされる事を心から心から願っております。本当にありがとうございました。
こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます。そうですか、お父様は、国鉄職員さんだったのですね。その、「国鉄職員」っていう、響き。僕、好きなんですよね😊子供の頃は「車掌」さんに憧れて。もちろん、寝台特急の、それこそ「富士」とか「はやぶさ」とか。当時は、まだJRではなく、国鉄でしたから、国鉄で働く皆さんは、社員や従業員ではなく「職員」と呼ばれていて、それが「特別」な感じがして、その響きに憧れました。B寝台の梯子、読書灯、子供の頃は、そのひとつひとつがカッコ良く見えて、家にもあれが欲しいと思ったものです。ミコト様は、今もお布団の中で過ごされる事が多いということなので、気が滅入ってしまうことも多いと思うのです。不謹慎ですが、せめて寝室がB寝台車みたいになっていたら、気が紛れたかもしれませんね。私は、手術が半年も先ですし、術後がどのようになるのかも現段階では、はっきりしません。それでも、もし、そこそこ健康な状態で復活できることがあれば、夢があります。小さな夢です。それは、何年先になるかわかりませんが、自分の部屋にB寝台2段式を再現することです。もちろん、鉄道廃品などの手配は無理なので、日曜大工でコツコツ作りたいと思っています。でも、めちゃめちゃ不器用だから無理かな…。そんな夢でもないと、手術や入院に対するモチベーションがあがらないので…。返信で長々とスミマセンでした。
それはとっても素敵な夢ですね!そしてB寝台の窓にあたる部分を液晶モニターにして、「車窓」さんの撮影された動画を流せたら、もう最高の空間です!(私もすごく憧れます!)その素敵な夢がぜひ叶ったら良いなぁと心から願って応援しています。お互いに健康でいられたらいいですね。私の宝物になった動画を本当にありがとうございました。
乗れなかった東京〜九州ブルートレイン、動画の貴重さと字幕が入りより楽しみやすくなり嬉しいです。
真ほいみん様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!感謝です!字幕の件、ありがとうございます!そうですか、そうですか。東京~九州のブルトレは乗る事がなかったのですね。私も撮影を始めたタイミングがもう少しはやければ、もっと沢山のブルトレに乗れたのですが…。「乗りたい時には、もういない…。」
飛行機が怖くて東京行くのに二階堂麦焼酎忍ばせお世話になりました携帯電話もない時代景色だけが楽しみな旅路今はベットの上で点滴打ちながら動画を見て懐かしんでるありがとうこの動画
そうですか、そうですか。この年末にベッドで点滴をされているとのことで。病院でしょうか?ご自宅でしょうか?いずれにせよ、その状況から察するに、お体の調子が良くないのですね。どんな症状かは伺い知る事はできませんが、お大事になさって下さい。あまり関係ない話ですが、私は高校の1年生の時に大病というか大怪我というか、そういうことがあって、高校1年の半分を病院で過ごしたことがあります。しかも地元の小さな病院で、それこそ夜はお化けがでそうな…そんな病院でした。それこそ、当時は携帯もスマホもなく、面会も親が昼に30分程度くる以外は、ほとんど誰も来なくて、随分と寂しい思いをしたことをちょっと思い出してしまいました。今、いけだななさんがどのような状況かはわかりませんが、ご快復をお祈り申し上げます。
休みの前日に寝ながら聞いてました、目を閉じたら車内にいる感じが。列車に乗るときのワクワク感は何歳になっても忘れることはなく、むしろ歳を重ねてからの方が強くなっている気がします。今では味わえない何も考えずに長い時間に車窓を眺めたり車内で寝ながら過ごす時間、スピードアップと快適さと引き換えに失ったものは大きいですね。編集お疲れ様でした、ありがとうごさいます。
まーくん様、こんにちは。本当にいつもありがとうございます。感謝です!ワクワク感!まーくんさんから「銀河」でコメントをもらった時にも書いたのですが、この「ワクワク感」って、ほんと他の乗り物では味わえないんですよね。今では旅情ですら簡単に味わえない、そんな時代になってしまいました。
子どもの頃大分の亡祖母の家に行くのに、ブルートレイン富士を使っていました。車内放送のチャイムを聞くだけで懐かしかったです。ご投稿有難うございます。
野田顕彦anod525様、おはようございます。こちらこそ、コメントを頂きありがとうございました。そうですか、そうですか。子供の頃の思い出や、ご祖母様を懐かしむことにこの動画が一助となったのなら嬉しいことです。また、機会がありましたら、いつでも見に来てください。お待ちしております。
20年前に乗ったのを思い出しました😢まだ、富士単独のころでした。もう、懐かしすぎて…ありがとうございます。
万字みると様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。こちらこそご視聴頂き、ありがとうございます。そうですか、そうですか。20年前に、単独走行の頃。「富士」が単独で走行していた頃の末期ですね。そして、その後、「はやぶさ」と併結になり、間もなくして廃止となりましたね。併結になってから廃止までは、あっと言う間の出来事だったように感じます。
東京から大分まで帰省するとき、あえていつも富士で帰っていました。とても懐かしいです ご投稿ありがとう
徒然戦士様、おはようございます。こちらこそ、ご覧頂き、コメント頂き、本当にありがとうございます!東京~大分を直通で走る…今となっては夢のような話です。嘗て、私が小学生の頃は、東京~西鹿児島を日豊線経由で「富士」、鹿児島線経由「はやぶさ」が直通。もし、今の時代に、このような列車が誕生したら、新幹線の開通よりも、話題になるかもしれませんね。
まさに2007年の9月に「富士/はやぶさ」に乗車したので思わずクリックしました!(笑) わたしは「はやぶさ」に乗車して博多まで行きました。博多には翌朝10時位についたような記憶です。喫煙者だったので喫煙車両だった末端のスハネフ14を指定したのですが、その車両の乗客は私含めてわずか2名。平日とはいえ「こりゃ無くなるわなぁ」と思いました。他の車両もガラガラでした。発電エンジンの音が結構うるさかったですが、耳栓を持っていってたので大丈夫でした。当時はまだスマホもそこまで普及していなかったので、JTBの時刻表と車窓を眺めながらのんびり過ごしました。貴重な動画ですね。ありがとうございます。じっくり拝見させていただきます。
KK様、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。同じ2007年9月に乗車されていたのですね。これも何かのご縁でしょう。確かに、この頃の「富士」「はやぶさ」は、空いていましたが、たった2名とは...。私は個室だったので、個室の乗車率がどの位だったのかわからないのですが、そんなに埋まってなかったような気がします。切符も、乗車の3日前位に取ったのですが、それで取れる位ですから、空いていたのでしょうね。晩年、少し元気の無くなっていた「富士」「はやぶさ」でしたが、ホームに入って来る姿は、やっぱり憧れのブルートレインそのものでした。
区間が全く違うとは言え、今のサンライズ号の人気ぶりからは考えられませんね…もう時代が違うんですね…
長編の撮影お疲れ様です。動画のupもありがとうございます。まだ一部しか拝見してませんが全部再生には時間がかかりそうです。いや〜懐かしいですね!以前「フェニックス」の方にもコメント書かせて頂きましたが幼少期〜20代前半まで日豊本線沿線に住んでいたので「富士」は一番想い入れの強い列車です。本編の15:46の行橋駅が地元です。現在は動画の様に高架になってますが1998年頃までは地上駅で国鉄時代の駅には機関区や保線区も併設されていました。確か1978年頃はブルートレインブームでしたね。特急がイラスト入りマークになったのもこの頃で特急大百科などの本なども読んでいました。今も大事に持っています。車窓さんと同世代ですからこの頃は小学生でしたね。小学生時代は485系「にちりん」の他、475系急行、気動車や客車列車も見てましたがいつもこの「富士」はメインでしたね。西鹿児島行き下りはもちろん東京行き上りを見ては「いつか乗ってみたい」「食堂車にも乗ってみたい」と夢を抱いていました。地元の駅は通過していましたが国鉄末期頃から停車駅になりました。地上時代の駅は12両までが最大でしたから13両の長編成はホームからはみ出して停車していました。1990年代のJRになってようやくヒルネで乗車機会が訪れました。通勤で北九州の小倉駅まで通っていたのですが急ぎの時や優雅に着席したい時は「にちりん」に乗ることもありました。当時のJR九州はサービス精神旺盛で25km程の短距離の自由席特急料金は300円でしたから「富士」にも通勤で何度も乗りました。但し「富士」は窓口で立席特急券を申告して購入でした。残念ながら食堂車は1993年に編成から外されましたがそれでも13両?の長い編成でした。営業中の食堂車での食事は末期の「さくら」ではありましたが「富士」では乗れずじまいです。1990年代後半になると大分まで短縮になり、「はやぶさ」と「さくら」が併結になるも「富士」は一部14系になっても長い編成のままでした。2005年に「はやぶさ」と併結になると遂に単独では14系の6両と短い編成になってしまいましたね。寝台利用は2008年の夏でした。車窓さんの本編から約1年後になります。所用で関西に旅行する機会があり夜遅めまで滞在だったので新幹線の最終には間に合わず「はやぶさ+富士」に帰路の京都〜下関まで、最初で最後の唯一の寝台での乗車でした。本来は博多までの予定でしたが山陽本線で先行の貨物列車が踏切事故を起こしてしまい3時間以上の遅れで下関で運転打ち切りに、特急券も払い戻しでした。B寝台でしたがスハネフ14だったので発電用エンジンがかなり耳に残っていました。眠れなかったってほどもありません。この年2008年の12月に所用で大分に行く機会があり博多から小倉まで「ソニック」で、小倉から大分まで「富士」のヒルネで乗り継ぎました。特急券は別途購入になるので割高ですが「今のうちに乗っておかないと」という思いが強かったのでしょう。予感は的中でこの時点では3か月後の廃止はまだ正式発表前でした。この年の寝台もヒルネも発表前でどちらもガラガラでした。ちなみに廃止1か月前は乗り鉄さん方々で混んでいたようです。今や定期の夜行列車もサンライズを残すのみです。いつまでも続くとは思いません。スピード重視の世の中において時間よりも大切なものが夜行列車にはありましたね。長々と長文失礼しました。高評価押させて頂きました。改めて時間がある時に作業用にじっくり楽しませて頂きたいと思います。
1221 NT様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます。雷鳥、ドリームにちりんにも返信コメントを頂き、ありがとうございました。言い訳になるのですが、返信の返信コメントは、「コメント届きましたよ!」みたいなのが表示されないので、どうしても見落とししてしまいます。この場を借りてお詫びします。すみません。さて、「富士」。そうなんですよね。「富士」には立席特急券がありましたね。立席特急券とは言っても、実際、晩年の「富士」の乗車率はひどいものでしたから、余裕で昼寝ができる状態だったことでしょう。行橋であれば、地元を走る寝台列車として、確かに「富士」には思い入れがあるでしょうね。1221 NT様同様、私も小学生の頃はブルトレ全盛期。「富士」と言えば、最長距離運転、24時間以上という「夢の寝台列車」でした。東京から西鹿児島ですからね。今から考えたら凄い列車ですよ。「富士」はブルトレの頂点を極めた列車です。そんな列車が地元を走っているのですからね。しかし、下関での運転打ち切りは残念でしたね。僕が乗車した九州ブルトレでは打ち切りはなかったのですが、東北方面の「あけぼの」では2回、途中で運転打ち切りになったことがあります。これは本当に辛かった...。まぁ、そういうこともあるのが長距離列車の宿命でもありますがね。しかし、いつも本当にご視聴、コメント、そして高評価をありがとうございます。今では乗ることができない列車なので、私の動画で少しでも当時を偲んで頂けたら本当に有難いです。これからもよろしくお願いします。
懐かしいですね。東京から富士号で宇佐駅まで乗っていた頃を思い出します😢この時代はよかったです😢
田中様、こんにちは。コメントありがとうございます。以前、「こだま」や「はやぶさ」にもコメントを頂き、ありがとうございました。以前、はやぶさに頂いたコメントで、「親の田舎が大分県豊後高田市…」とありましたので、そうですよね。「富士」には何度も乗車されているだろうし、思い出深いものがありますよね。この時代は良かった、本当に僕もそう思います。「速さ」と引き換えに「旅情」が失われてしまいました。人間の心の豊かさみたいなものも、どんどん薄らいでいくように感じます。
僕は大分県別府市出身で、富士🗻から見る別府湾の眺めは、最高で感無量です👍😊😊懐かしいなぁ、別府の街並み。動画有り難うございました🙇🙇🙋
山本様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!ドリームにちりんでコメントを頂いた時に大分出身とのことで、コメントを頂きましたね。その際もありがとうございました。大分駅も、この動画の頃とはすっかり様変わりしてしまいましたね。先日、久しぶりに日豊本線を利用しましたが、車窓から眺める別府湾の景色は、今も変わらず美しかったです!
懐かしい!!幼い頃、富士で中津から東京まで往復させてもらったなあ。上りの食堂車でビールを飲んでいる父のつまみのチーズをかじったこと、車内の自販機で買ってもらったブドウの粒入りのグレープジュースをロビーカーで飲んだこと。周りが寝静まった頃に1人で最後尾まで行ってテールライトと流れる景色を眺めたこと。その後、ベッドに戻る途中で車掌さんが車掌室と仮眠用ベッドをこっそり見せてくれたこと。下りの下関(門司?)でホームの立ち食いうどんを買いにホームに降りたこと。ブルートレインの車内の匂いや音は40年近く経った今でも鮮明に覚えている。ありがとうございました✨
SR K様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。中津から東京までとなれば、まぁまぁ長時間の旅です。食堂車のあった時代ですね。一番いい時代です。コメントを読んでいてつくづく感じたのは、寝台列車というのは、子供にとって「アドベンチャー」なのですよね。まぁ、大人になっても車両探索を端から端までしたり、空いてる部屋を覗いて見たり、長時間停車の駅で降りて背伸びをしたり...なんてするので、大人にとっても一緒かもしれませんが。ブルートレインは、乗る前も、乗ってからも、そして降りてからも...興奮冷めやらぬ乗り物ですよね。
東海道本線の線路沿いが実家でした。40年前、毎日何本もブルートレインが家の隣を通過し眺めて、その最終地点に思いを馳せてました。あさかぜ、富士、紀伊、出雲、さくら、みずほ懐かしいですね。ありがとうございます。動画に実家の窓からの風景収まってました。
horihito suzuki様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。そうですか、そうですか。御実家が東海道線沿いですか。かつての東海道・山陽線は、九州ブルトレの大街道でしたからね。中でもhorihito suzuki様が上げていた「紀伊」は、ブルートレインの中では地味だけど個人的には好きな列車でした。子供の頃に憧れたブルートレインは、大人になって、お金も時間も自由にできるようになった頃には、その半数以上が廃止になっていました。もう少し早くビデオカメラを手にすることができたなら、「さくら」や「あさかぜ」も撮影できたのに…と思うと残念でなりません。
@@syaso当時、分厚い時刻表を買ってもらい紀伊勝浦ってどこ?っと。今のように検索アプリもない時代なので乗り継ぎ調べるの大変でしたが、一発で覚えることができましたね。
そうそう、私も子供の頃の愛読書と言えば時刻表でした。子供の頃から地理と漢字だけは得意でしたね。ちなみに、その「紀伊勝浦」。この4文字の駅名が行先幕に入っているだけでカッコよっかたなぁ。「(日豊線経由)西鹿児島」も好きだ。
いつもありがとうございます。見れば見るほど、一度でいいからブルートレインに乗ってみたかったという気持ちが強くなります。
t oonishi様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。ブルートレイに乗る機会がなかったのですね。今となっては、本当に夢のような列車でした。いい時代でしたね。
80年代 当時は中学生くらいでしたが、広島へ帰省する時に、あさかぜ 3号を利用したのを思い出しました。ふじ号 より、東京駅出発時間が遅いのですが、夏は、岡山あたりで日の出となり、美しい早朝の瀬戸内の車窓が拝めましてね。その景色をもう一度見たくて、冬に乗ったら、広島駅まで真っ暗だったことを、広島駅付近の車窓をみて思い出しました。この動画に写っている広島駅は、改装される前の旧1番線ホームで、南口の中央改札 や 当時利用した立ち食いそば屋さんが写っていて、懐かしいです。
hatamoto taikutuotoko様、おはようございます。コメントありがとうございます!以前、急行「みよし」でもコメントを頂き、その節はありがとうございました。急行「みよし」でもコメントを頂いていたので、「広島」と所縁のある方とはお見受けしていましたが、その帰省の際に、「あさかぜ」を利用されていたのですね。広島駅の1番線ホームは改装されたのですね。もう16年も前の映像ですから、色々な風景が様変わりしてしまっているかもしれませんね。
素晴らしい動画をありがとう!寝台列車はあかつき(西鹿児島時代)、なは(電車寝台)、日本海とずいぶんお世話になりました。本当に懐かしいです。寝台列車がなくなった今、暮れゆく街並み、漆黒の闇や夜明けの田畑、山海を疾走する風景は2度と見ることが出来ません。寂しい限りです。そんな私の心の隙間を埋めてくれたこの動画に感謝したいと思います。
kenji Takayama様、おはようございます。コメントありがとうございます!そして暖かいコメントに感謝です。あかつき、なは、日本海…どれも素敵な列車でしたが、みんな我々の前から去っていきました。今、あのブルーの車体を見る事はできなくなり、本当に寂しい限りです。寝台列車とは不思議なもので、同じ車窓を眺めるにしても、通勤電車から眺める車窓と、寝台列車から眺める車窓は異質なものでした。哀愁と言うか、ノスタルジーというか、そういうものを感じずにはいられないものがありました。こういう乗り物が無くなってしまい、鉄道旅行は、以前と比べると、なんとなく薄っぺらなものになり、無機質なものになってしまったように思います。
@@syaso さんありがとうございます😊本当にその通りだと思います!寝台列車のある時代に産まれて良かったと思います。今後も動画を楽しませていただきますm(_ _)m
こちらこそ、わざわざ返信を頂き、ありがとうございます!
私は昔、小学生だった頃 はやぶさを東京から乗り 出水まで乗った記憶を覚えてます。ブルートレイン食堂車もあった時代。。懐かしいですね。
Kita様、おはようございます。コメントありがとうございます!かつての長距離寝台列車や特急列車には、食堂車がついていましたよね。それだけで、非日常的で、ワクワクしたものです。最盛期のブルートレイン時代には、日豊線と鹿児島線経由で、それぞれ東京から西鹿児島まで走っていたのですから、本当にいい時代でした。
私の寝台特急歴は小学生の時に北斗星、中高でサンライズに乗った程度ですが、兵庫県に住んでいる親戚の最寄り駅を通過するのを見たり、自室の電気を消して夜景を楽しんだのは一生の思い出です。今年から社会人になったので、自分の稼ぎでサンライズやウエストエクスプレス銀河に乗るのが楽しみです!余談ですが、当方愛知の岡崎に住んでいるので、今は無き建物や、新しくなって無くなってしまった公園の遊具などのシルエットが見えてとても懐かしい気分になりました。貴重な動画ありがとうございます!!
ボルスター様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。今年から社会人になりましたか。社会人1年目ということで、なかなか大変な事でしょう。「サンライズ」や「WEST銀河」に乗って、気分転換、楽しい鉄道旅行ができるといいですね😊ちなみに、この動画は17年前ですから、愛知の辺りの風景も、今ではだいぶ様変わりしているのでしょうね。
初めまして。ブルートレイン富士の動画ありがとうございます。ブルートレイン富士、そして旧駅舎時代の大分駅、どちらも幼いころの思い出です。カーブ走行中(多分山陽本線区間の岡山~山口)に見えた、朝日に照らされて輝く青い車体がかっこよかったのを覚えています。サンライズも乗りましたが、やはりもう一度あの客車の揺れの中で寝てみたいですね。
3 toremii様、こんにちは。ご視聴、コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。幼い頃の思い出ですか。旧駅舎の大分駅、行かれたことがあるのですかね。今と違って、地上ホームで趣がありました。朝日を浴びて走るブルートレインは、見ているだけでもカッコよく、また同時に、なんとなく哀愁感があって素敵でした。そういう車両、列車って、もしかしたら、今は殆ど走っていないかもしれませんね。あと残ってるのはサンライズ位かなぁ...。
@@syaso 様 返信ありがとうございます。母方の実家が大分でしたもので…当時の大分駅は改札すぐの一番ホームの手前に、地下通路の入り口が大きく口を開けていました。パン屋さんとかの売店もいろいろあってにぎやかな印象がありました。当時乗ったシングルデラックスということもあり、楽しまさせていただきました。たぶん実家にはまだ当時のタオルが残っているかと…。これからも動画投稿、頑張ってください。応援しております。
ありがとうございます!そうでしたか。お母様のご実家が大分でしたか。そうですね、そうですね。僕も覚えてますよ。改札の目の前が1番ホームで、「THE国鉄ターミナル駅」って感じで。あの雰囲気、僕は好きでしたね。私の父方の実家の新潟駅も、かつてはあんな感じでした。大分もすっかり様変わりしましたね。応援ありがとうございます!これからもよろしくお願いいたします!
あー学生時代にこのブルトレ社内販売バイトをやっていたことを思い出して懐かしさがこみ上げてきた😢 お客さんが少なくて楽だったけど、やっぱり夜寝れなくて睡眠不足になる仕事だったな
Shin Chiga様、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。これは珍しい仕事をされていましたね。「北斗星」の動画では、「レストラン」のスタッフさんにコメントを頂いたことがあります。かつての長距離列車には必ず車内販売があって、買う買わないに関係なく、車内販売が回ってくるだけで「旅情」を感じたものです。でも、さすがに寝台列車のスタッフともなると大変ですよね。睡眠不足にもなりますよね。そういった皆さんに支えられて運行していた富士。我々乗客は旅を楽しませてもらっていたのですから、スタッフの皆さんには感謝しかありません。
富士の完全走破映像、素晴らしいです。夜間走行のとき、方向幕や未使用の個室・寝台の灯りが、沿線の建物に反射して幻想的だったことを覚えていますが、その光景までしっかり再現されていますね!
鉄道模型工房オロネ様、こんにちは。コメントありがとうございます!お褒めの言葉を頂き恐縮です。SD画質での撮影ですので、高解像ではありませんが、往時の雰囲気だけでも味わって頂けると嬉しいです。夜行列車の細かい雰囲気のところまで見て頂けてありがたいです。
こちらこそ、ありがとうございます!
17時間!😮
私が子どものころ家族で福岡に、初めて乗ったのがこの寝台特急列車です。懐かしく、その頃を思い出して😂が出てきます。
柿本様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。子供の頃の家族旅行で福岡に行く際に乗車されましたか。子供の頃の寝台列車というのは、本当に格別で、きっと素敵な思い出として残っているのではないでしょうか。私も初めて乗ったのは小学4年生の時で、寝台急行「天の川」でした。あれから40年以上経ちますが、僕の心の中では、今でも忘れる事のできない素敵な思い出になっています。
フラット音が心地よく眠気を誘いますね
サンダーバード様、こんにちは。コメントありがとうございます!フラット音、確かに眠気を誘うんです。撮影中は、できるだけ眠らないようにしているのですが、ついついウトウトしてしまいました(笑)
素晴らしい動画をあげていただきありがとうございます😊 豊橋に停まる唯一の寝台特急でしたね。15年くらい早く生まれてたら、乗りまくったと思います。
勘川様、こんにちは。コメントありがとうございます!先日は「銀河」にもコメントありがとうございました。そうですね。確かに今の「サンライズ」も、豊橋は通過(運転停車はしたかな?)ですから、乗降はできないですもんね。それこそ、「銀河」も豊橋は通過でしたから。ちょっと悔しいですね。
コメントありがとうございます。サンライズは下りは運転停車(上りも?)なので、下りに乗る時は静岡、上りは大阪から乗ってますね。寝台急行銀河は一度も乗れなかったのでタイムマシンがあれば乗りに行きたいですね😆
車内メロディが門司まではオルゴール式、門司以降が電子式でした。どちらも旅情を掻き立てますね。
Kenji Iwamoto様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。編集した本人が、全然、そんな事に気づいていませんでした。しかし、あのオルゴールやチャイムこそが、旅情のシンボル的なものでしたので、聞くことができなくなってしまったのは残念です。最近の特急電車にもチャイムはありますが、寝台列車や客車の音色には到底及びません。
こんばんわ。待ってました。富士号の大分行き。この列車は乗ったことがなかったので、楽しみにしてましたね。広島を過ぎたころからの瀬戸内の夜明けの車窓は最高ですね。
ひろくんひろくん、おはようございます。いつもご視聴、コメントありがとうございます!長年のお付き合いに感謝です。そうそう、この車窓の醍醐味は、やはり広島を過ぎてからなんですよね。夜明けの瀬戸内の夜明けの車窓は格別です。「こんなに素敵な車窓があったのかぁ…」って、当時思ったものです。まぁ、今、近郊型電車に乗って、同じ時間、同じ区間に乗っても、同じ景色は見れるのでしょうが、味わいが違うのでしょうね。
いやあー懐かしい。もう40年ほど前になるが横浜の戸塚に住んでいて大分市に帰省するのに利用しておりました。 17時25分に終業したら速攻で戸塚駅に向かい、前日に用意した旅行バッグをロッカーから取り出し横須賀線(当時はまだ東海道線は戸塚には停車しなかった)で横浜へ、ホームに到着すると缶ビールと崎陽軒のシュウマイ弁当とおつまみを確保して18:30分着の富士を待っていました。 大分へは飛行機もありますが搭乗手続きの時間を考えるとその日の最終便(羽田発)には間に合わないのです。日航機の墜落事故も有ってなおさら飛行機嫌いになりましたし、大分空港から大分市もバスで一時間強ですから翌朝一番早く到着するのが寝台富士なんですよ。 横浜で乗った後は夕食食べて週刊誌読んでのんびりと過ごす、翌朝までゆっくりと寝て下関で10分ほど停車するので立ち食いうどんで腹ごしらえするのがいつものパターンでした。
パソキン様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。40年前。1980年代ですね。この頃は、西鹿児島までだった「富士」も、宮崎止になり、少しづつブルートレインが衰退期に入り始めていた頃かと思います。日航機の墜落が1985年。私は中学2年生でしたが、今でも覚えています。当時はテレビの報道に釘付けでした。飛行機と違い、寝台列車はとてものんびりしていて、時間はかかるものの、夜間高速バスとも違って横になってちゃんと寝る事ができるし、次の日は朝から活動できるなど、意外と時間を有効に活用できるので、便利でした。それと、やっぱり酒とツマミを片手に車窓を眺めらるのが寝台列車の醍醐味でしたね。流れゆく景色を見ながら、色々な事に思いを馳せる時間は、日常のセカセカした時間を忘れる事の出来る「いいひと時」でした。
待ってました! 寝台特急富士!UPありがとうございます!今まで車窓さんのはやぶさや銀河に乗っていましたが、私の所縁がある大分へ乗り換えなしで旅に出れます。
da! yasu様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!以前、「はやぶさ」「銀河」にもコメントを頂きありがとうございました。いつも励みになるコメントを頂けるので有難いです。そうですか、そうですか。大分と所縁があるのですね。私の動画で、大分を偲んで頂けたら嬉しいです。
日豊本線沿線に住んでますが踏切待ちかめんどくせぇなぁって思いながら待ってると富士が現れた時はうぉってなって逆に嬉しさに変わり何かちょっと得した気分になってましたそして最後尾の富士のプレートをしっかり見ようと特に登りは夜だったからぼんやり光るプレートは何か温かみがあり、通り過ぎるその一瞬を見逃すまいと一生懸命目に焼き付けてました
ヤシガニ様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。これは、「踏切あるある」ですね。僕の住んでる徳島は、本数が少ないので、踏切には滅多にひっかからないのに、引っかかった時、「あ~。運が悪い…」と思って、「早く通過しろ!」と思う事があるのですが、私が大好きなキハ40や47が来たら「お~、ラッキー!と思い、マジマジと見てしまいます。そういう心を引き留めるような車両や列車も、本当に少なくなりました。
他の方の鉄道動画で山陽本線岡山以西とか、熱海~豊橋とかでも十分長く、最近作業中によく流しているがこの動画だとそれらがすべて合わさって何日かに分けて見るくらいの超級レベル。車窓さんの夜行列車シリーズの動画は、時が経つとともに一層、鉄道史の貴重な証明となっていくと思う。九州ブルトレは、頭一つ抜け出た定期夜行列車だった。利用客が減ってしまったのは、乗車券等を合わせた料金の高さが主要原因の一つかと思う(いまで言えば格安航空券の3倍以上になるのではないか。サンライズも同様)。欧州のナイトジェットのように、上下分離式が導入できないものか。社会的に環境に対する意識が日本は欧州のレベルではないのが難しいところだが、航空機で積極的にという気には、個人的にはならなくなって来ている。全編テロップ入りナイスだと思いました。遠くのどのあたりを走っているのかが分かり、馴染みのない駅名ならより旅情を感じ、疾走感に拍車がかかるように思います。
Masahito K様、こんにちは。いつもご視聴、コメント、本当にありがとうございます。こちらこそ、いつも気持ちの良いコメントを頂き、有難いです。そしてお褒めの言葉を頂戴し、恐縮です。そうそう、九州ブルトレって、そうなんですよね。頭一つ抜けた感じ。その表現、わかります!昨今、欧州では長距離列車が続々と復活していると聞きます。「観光立国を目指す」とか「脱炭素」とか、国も言うだけでなく、そういった事に絡めて鉄道利用に関して具体的に取り組んでも良いように思います。国としては民間に口出しはできないのかもしれませんが、何かできる事はあるように思います。その中で、寝台列車というものも検討に値すると思うのですが、実際は難しいのかもしれませんね。その他にも、JR貨物に旅客業務をさせるとか、JTBにような旅行会社が車両を保有し、メンテはJRに依頼するとか…そういったアイデアも聞きますが、どれもなかなか一筋縄ではいかないのでしょうね。
もっと前、はやぶさが(当時)西鹿児島行きだった頃、東京から通しで乗ったことがあります。まだ食堂車がありました。鹿児島着いたら雪が降っていたのには驚きましたね。帰りは富士に宮崎からこれまた通しで東京まで乗りました。このようなはやぶさ・富士の形では乗ったことないので新鮮な感じすらします。
砂漠の鷹様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。「富士」全盛期の頃ですね。東京→西鹿児島を全区間とは、これは羨ましい限りです!しかも鹿児島で雪とは、印象的な旅になったことでしょう。僕も西鹿児島まで、全区間乗りたかったなぁ...。
懐かしいですねブルートレイン
谷口様、おはようございます。コメントありがとうございます!子供の頃に憧れだったブルートレイン。大人になって、乗れるようになった頃には、ほとんど廃止になっていました。今となっては「ブルートレイン」という言葉そのものが懐かしい響きですね。
素晴らしい動画を投稿して下さり有り難うございます。ブルートレイン大好きでした。「富士」とてもいいですね。音も静かでゆっくり休めそうです。子供の頃に「はやぶさ」のB寝台に乗ったのが想い出です。確かロビーカーという名の車両があり、ゆったりくつろいだのが想い出です。
Volcano様、おはようございます。コメントありがとうございます!こちらこそ、見て頂けて有難いです。そうですか、そうですか。「はやぶさ」のB寝台に乗られたことがあるのですね。「はやぶさ」と「富士」は兄弟みたいな列車。最後まで一緒でした。「ロビーカー」なんていう響きも、今となっては懐かしいですね。長時間の旅を心豊かに過ごすことができた時代ですね。今となっては懐かしい限りです。
子供の頃、広島へ行く時によく『あさかぜ』に乗ってました。勿論『富士』にも乗ったことがあります。富士だとチョット変な時間に着いちゃうのよね。独特のタタタタタ・・・と聞こえる心地よい走行音が懐かしいですね。夕方東京駅を出る時、通勤帰りの満員電車を車窓から眺めながら飲むビールは最高です。これは大人になって感じましたわ。通過待ちの電車を掻き分けて走る姿は、新幹線にはない在来線の特急ならではの優越感を味わえましたね。今度サンライズに乗って見ようかな。
Cocotan様、おはようございます!コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。「あさかぜ」に乗られてましたか。まだまだブルートレインが東海道、山陽を走っていた時代ですね。おっしゃるように、寝台特急の車内から満員電車を眺める独特の優越感?みたいなのは、なんともいいものです。そうそう、広島と言えば、かつて、ブルートレインが下火となる中でも、一時期はサンライズの車両を使用した「サンライズゆめ」が、臨時ではあるものの、東京~広島(下関)まで運転していた時期もありましたね。同じ区間を、もし、今、「サンライズあさかぜ」の名で臨時でも良いので復活したら、3分以内に完売でしょうね。となれば、徳島のみどりの窓口で買えるはずもなく、私は乗る事はできないでしょうね…😢
いろいろと懐かしですね。東京駅10番線で待ってる間、上の新幹線ホームに滑り込むE2やE1系の各新幹線。甲高いブレーキ音鳴らして滑り込んで居ましたね。そして数分後には再び自己主張強めのインバーター鳴らして出発。そんな中、品川方面から65に引かれやってくる寝台特急、懐かしです。ブルートレイン(客車全般共通ですが)のガツンと軽いショックと共にゆっくり加速していき、寝静まった夜の線路を経過なジョイント音鳴らして走って行くのが印象的でした。日本で定期寝台特急はサンライズのみですが、14系や24系の客車と違い、新しいとはいえ、ベテラン車両の域に来てます。寝台特急って言葉が無くなるのも時間の問題ですね。間違ってブルートレイン復活しないかなぁ……
05hiti様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!そうですね、そうですね。客車の、ガタン…ってなってから、ゆっくりゆっくりと走り出す、あの感じ。そして、静かな車内に響き渡るレールのジョイント音。客車には電車サンライズとは違う味わいがありましたね。客車が消え、ブルートレインも消え、最後に残った寝台特急を冠する「サンライズ」も、恐らくは時間の問題でしょう。日本の時刻表から星のマークが消えてしまうのは、本当に悲しいです。
貴重なビデオありがとうございます。一回青春18きっぷで門司へ行ったことがあり、台風のせいでもっと南へ行かなかった。
Jerry Chin様、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。台風の影響で南の方まで行けませんでしたか。僕も今までに何度も天候のせいで終点まで行くことができなかったことがあります。特に東北や北海道方面は、「雪」が降ると、すぐに止まっちゃうので...。
貴重な映像を有難く拝見しました。駆けっこをしたら数時間で目的地に到着してしまう性能を持つ最新車両のギラギラとしたブレーキディスクを横目に悠然と発車する姿には歴史と貫禄を感じます。利便性第一なのは仕方がないことですが、「旅情」が失われつつある現代は寂しいですね。
新宿・きなこもち様、こんにちは。コメントありがとうございます!お褒めの言葉を頂き恐縮です。まさに東京駅を出る時、左のホームにはギラギラとした足回りの新幹線が止まっています。その横をまず1歩進んで、ちょっと様子を伺い、ふたたびゆっくりと動きだします。このゆっくりと、ゆったりとした出発の仕方に「旅情」を感じ、「あぁ~、素晴らしき客車列車」と思いふける瞬間でありました。今は、そんな気持ちになれる列車も無くなりました。
@@syaso お返事頂き感激しています。発車直後のカクンっとした挙動、乗り去る者と駅に残る側との関係性を惜しむかのような情景だったことを思い起こします。車内放送も自動放送が増え、賛否はあることとは思いますが「人」の香りのある鉄道の存続を願っています。これからも拝見し、時には不躾なコメントをするかもしれませんが宜しくお願い致します。
こちらこそ、ありがとうございます!ちなみに、もちろん、僕は「人」派ですよ!自動放送は味気ない…。車掌の個性が光る「人」の放送の方が、味わいがあります!雑なアナウンスの車掌に当たるとがっかりしますが、丁寧で長いアナウンスだと「当たり!」って喜んだものです。話がそれましたが、こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします!
2008年に名古屋から大分まで富士のA寝台で行き豊肥本線を熊本まで。その日にはやぶさソロで弾丸で帰ってきました。乗らなきゃ絶対後悔すると思ったので衝動的に乗りましたが、子供の頃憧れのA寝台乗れて良かった。ブルートレイン乗るのも最後だなぁと思ったが翌年に日本海にも乗れました😅
イリスレギオン様、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。正解でしたね!乗らなきゃ絶対に後悔します。あとになって、「乗っておけばよかった...」って、そういうの、僕も何度も経験しています。僕も2007年から2008年にかけては、とにかく夜行列車が風前の灯でしたので、「やばい!」と思い、イリスレギオン様同様、「乗らなきゃ後悔」と思い、できるだけ色々な列車に乗るようにしました。結局、この頃に乗った夜行列車は「サンライズ」を除いて、全廃となりましたね。
富士はやぶさ最高ですね〜自分は東海道のブルトレには乗れなかったなので羨ましい限りです編集のレベルもむしろ上がっている気がしますお疲れ様でした
nerner様、こんにちは。改めて「留萌線」へのコメントもありがとうございました。編集の件についてもありがたいお言葉を頂き恐縮です。そうですか、そうですか。東海道のブルトレには乗ることがありませんでしたか。私は、なんとか「富士」「はやぶさ」には乗ることができましたが、その少し前に廃止になった「さくら」や「あさかぜ」に乗れなかったことが今でも悔やまれます...。
1レのさくらやあさかぜは憧れの列車でしたね〜
私が生まれた日(2007年9月20日)には富士まだ走ってたんやなにしてもブルトレ乗ってみたかったなぁ
満月様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!「あけぼの」でコメントを頂いた時に、「ブルトレ世代ではないから運転してるとこを一度も見たことがない」とおっしゃていましたよね。でも、満月さんが生まれたその瞬間には走っていたのですね。もう少しブルートレインが頑張って走り続けていたら、乗ることができたかもしれないと思うと、本当に残念でなりません。一方で、立場は違えど、僕が生まれた時に走っていた列車も、僕が大人になって自由に乗る事ができるようになった時には大半が消えていました。今この時を走る列車も、いずれ消えて行くかと思うと、後悔しないうちに乗っておきたいと思っています。
映像の走行区間が示されていて素晴らしい動画です。永久にブルトレの旅が楽しめる動画ありがとうございます。因みに自分は寝台特急富士のラストランの大分→東京までB個室ソロに乗車しました。
横井勲様、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。ラストラン冨士の大分→東京B個室ソロに乗車されましたか。凄いですね!良くチケット取れましたね!僕はラストランを、ニュースで見ていました。何かひとつの時代が終わったように感じました。
寝台車で帰郷すると田舎が如何に遠いかを実感させられた思い出がある。
おま様、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですね、そうですね。新幹線とか飛行機だと、あっと言う間に到着するので、「はるばる来たなぁ…」っていう、有難みというか、なんというか、そういうものが無くなったように思います。
一瞬だけど以前住んでいたマンションが映り、懐かしさと嬉しさが込み上り、ブルートレインが大好きだったのを思い出しました。ちなみに自分は出雲号を利用してました⤴️田舎が山陰でして👍
Ryosuke様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。以前お住みになっていたマンションが映っていましたか。私も、車窓動画を見ると、自分と所縁のある建物や風景を見て懐かしく思うものです。田舎は山陰ですか。いいですね~。山陰地方。「出雲」も、割と最後の方までブルトレが活躍しました。ブルトレ無き今でも、サンライズが残る路線です。サンライズもそう長くはないと噂されています。それでも少しでも長く走ってもらいたいものです😊
お返事頂きまして、ありがとう御座います。特急出雲号は京都駅でディーゼル機関車DD51に交代して山陰路線を走り、自分は子供の頃、その連結交代する瞬間と余部鉄橋を渡る瞬間が大好きでした。笑
機関車の交換は客車ならではですね。特に、「出雲」は、電気機関車からディーゼル機関車ですから、哀愁感がたっぷりです。そして、やっぱり、山陰本線の一大イベントと言えば、「余部鉄橋」ですね。余部鉄橋は、悲しい過去がありますが、個人的には旧の鉄橋時代が好きでした。
扉が閉まって30秒~1分ほどしてから「ガコっ」としてゆっくりゆっくりと走り出す、ブルトレの良さの一つです。もうこう言うのが体験出来ないんですよね。
totsugeki 24様、こんにちは。いつも定期的にコメントを下さってありがとうございます。それなんですよね。客車独特の風合い。こういうのが旅情を掻き立てるのですが、最近の車両には、こういった旅情を感じさせるものが本当に少なくなりました。
別府市在住です。大学が東京だったので、「富士」はよく利用していました。とても懐かしかったです。ありがとうございました。余談ですが、大阪方面行の「彗星」と言う寝台特急も利用していましたが、B寝台、3段だったんですよね。一番上の3段目に当たった時は、酔ってしまいました(;^_^A。今では懐かしい思い出です。
ryuuza様、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。別府市在住ですか。東京での学生生活で、帰省の際に利用されていたのですかね。何度も利用できたなんて、羨ましい限りです。しかも、「彗星」もですか…。これは、私がビデオを所持するタッチの差で廃止になってしまい、撮影 出来ず終いでした。「彗星」も乗りたかったなぁ...。3段寝台も懐かしいですね。僕も初めて乗った寝台列車は開放B寝台3段でした。懐かしいです。
@@syaso 様、返信ありがとうございます。僕は喫煙者なんですが、当時の寝台列車って、通路に灰皿があって、喫煙できたんですよ。当時は喫煙者も多くて、皆さん利用していましたね。今のご時世では信じられませんよね(笑) それと食堂車で食事をするのも楽しみでした(^^)
そうそう、喫煙できましたよね。僕も元々は喫煙者だったのですが、27歳の頃(今から25年前)に止めました。でも、寝台列車に限らず、あの灰皿の蓋を開閉する時の「カキン」って音が好きでしたね。なんか、旅の音って感じで。食堂車がないんですよね。僕は。食堂車で食べるのは子供の頃の夢だった...。ブルトレの食堂車で食事したって人が本当に羨ましいんですよ。
東海地区に滞在中、東海道線の沿線またはその駅構内にいた時、ブルートレインをよく見かけました。
角田修一様、おはようございます。いつもありがとうございます!かつての東海道本線と言えば、寝台特急街道。最後まで残ったのは富士、はやぶさでしたが、その昔、全盛期は、さくら、みずほ、あさかぜ、紀伊、出雲、はやぶさ、富士、急行銀河と、錚々たるメンバーが走っていましたね😊
臨場感のある音が素晴らしい
pow様、おはようございます。コメントありがとうございます。以前、「銀河」でもコメントを頂き、ありがとうございました。映像はSD画質で古いのですが、音はそれなりに録音できると思いますので、お楽しみ頂けたら良かったです!
寝台列車良いですねぇ🥹貴重な動画が見れて嬉しいです僕は現在20代で当時は列車のことはあまり知らず、幼少期にVHSを鑑賞するのみで今より関心は薄かったですが、今となってはかなり関心を向けており乗り鉄、音鉄、撮り(録り)鉄になっている程です…もっと早く寝台列車の存在を知りたかった…時すでに遅し🥲実際に乗りたかったです🥹なので、唯一現存のサンライズ号には一度は乗ってみたいです🥹
Y T様、こんばんは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。現在20代ですか。いやぁ~、現在50代のおじさんからすると、その若さが羨ましいです(笑)YT様がおっしゃるように、今、唯一の寝台列車はサンライズだけになってしまいました。もし、まだ乗車されていないのであれば、早めの乗車をおススメしたいです。サンライズも、廃止が囁かれて久しいです。いつ、廃止されるかもわかりません。廃止がアナウンスされれば、チケット入手は困難になるでしょう。「いつまでもあると思うなサンライズ」ってやつですね。
@@syaso 様、こんばんは!こちらこそ返信して頂きありがとうございます😌僕は音楽鑑賞も趣味の一つで、親世代の曲、特に80〜90年代が好きで、BUCK-TICK、スピッツの大ファンです笑笑、なので同世代と話が合わないです😂そうですよねぇ、サンライズもだいぶ古くなりましたよねぇ、、おっしゃる通り運行終了になる前に乗っておきたいです🥹今年の8月にいづれも車窓越しでしたが念願のサンライズとトワイライトエクスプレス瑞風が京都へツアーに行く際に見る事が出来て余計に乗りたくなりました✨本当にA寝台シングルデラックスに乗りたいです🫰今年の冬に特急やくもに乗れたのでサンライズにも乗れる事を祈ってます🍀
そうですか、そうですか。いやぁ~、BUCK-TICKって、懐かしいなぁ。「やくも」には、乗ってこられたのですね。それでは、次こそは「サンライズ」ですね!僕も、久しぶりに「サンライズ」に乗りたくなってきたなぁ…。
@@syaso 様母の影響で10歳の時にファンになりました!はい!ちょうど「国鉄色」と「ゆったりやくも」車両に乗れて幸せでした✨サンライズ号のチケットをいわゆる「10時打ち」で取りたいです!🫰🫰できれば往復乗車で😂
39:07 チャイムに哀愁を感じるな30年位前に宮崎→横浜乗車したときはチャイムにも元気があったような
マリオの亀様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうそう、寝台列車の車内放送には、このチャイム。30年位前は、宮崎発着時代ですかね...。羨ましいです!かつては西鹿児島、そして宮崎(南宮崎)、僕が乗車した時には大分と...。段々と距離も短くなり、終いには「はやぶさ」と併結運転。距離も編成も短くなりましたが、それでも今から思えば「夢のような」列車でした。
ものすごく貴重な動画ですね長時間の撮影、編集撮影お疲れさまでした貴重な動画を残してくださりとても感謝です
ふみつき様、おはようございます。コメントありがとうございます!また、嬉しくなるようなお言葉を頂き、こちらこそ感謝です。流石に編集は、少々疲れましたが、動画そのものは回しっぱなしの動画です。そんな動画でも、沢山の方に見て頂き、労いの言葉まで頂けて、恐縮でございます。
疾走感がとてもいいです。車輪のフラット音も心地いい
フクイユウジ様、こんばんは。コメントありがとうございます!以前、はやぶさ、銀河、北陸にもコメントを頂き、ありがとうございました。フラット音は、好みの別れる所でしょうが、私も個人的には好きです。意外と心地よく眠気を誘います。
@syasoさま、フラット音も最初は、寝れないと思いながらも眠気を誘うので不思議ですね。レールのジョイント音も眠気を誘うというのと同じだと思います。
こういう客車の走行音も、今となっては懐かしいものです。そうそう、少し話は逸れますが、ディーゼルのけたたましいエンジン音の走行音も、不思議としばらくすると慣れてきて、あんなに喧しいのに、眠気を誘うから、これまた不思議です。
現在56歳のおっさんです。昭和60年代から地方の旅館に勤めていました。毎月JTBの時刻表が納品されて資料として使っていました。いつも見る東京発の寝台列車の時刻時空間に思いを寄せて見ていました。
B-roba様、こんばんは。コメントありがとうございます!私が今年で53ですから、少し先輩ですね。ご覧頂きありがとうございます!そうなのですね。旅館にお勤めされていたのですね。やはり旅館には時刻表が必須だったのですね。私は、子供の頃から読書と言えば時刻表で、沢山の夢を膨らまして大人になりました。でも、お金も時間も自由に使えるようになった頃には、寝台列車は、ほとんど日本から消えていました…😢
東海道線沿線民だったので、廃止直前、ほんとに物心ついたくらいの幼少期に最寄りの停車駅まで見に連れていってもらった記憶に残っている。一度乗りたかったなぁ。寝台特急に憧れ、生きてりゃ1回くらい乗るかと思っていたが、未だに一度も寝台列車に乗った経験がなく、どんどん廃止されブルトレは全滅、乗るにしても競争率高いサンライズ一択に。富士はやぶさが人生最初で最後に見物したブルトレになるとは思わなかった…
sk様、おはようございます。コメントありがとうございます!以前、「はくたか」にもコメントを頂き、ありがとうございました。そうですか、そうですか。それでも、ブルトレが現役で走る姿を見る事ができたこと自体、すでに、もう貴重な出来事になりつつありますね。「サンライズ」は競争率も高く、繁忙期のチケットは取りにくくなっているようですが、「瀬戸」は比較的取りやすいと思うので、廃止になってしまう前に、是非、サンライズに乗って頂きたいと思います。恐らく、車両の老朽化を理由に、いずれは廃止になると思うので…。
子供の頃、両親の実家のある宮崎に毎年行くのが夏休み最大のイベント。前日の夕方に東京駅で『富士』に乗車して、翌日の午後宮崎駅着。途中関門トンネルを通過する時ワクワクしていた。
濱田様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。そうですか、そうですか。子供の頃、毎夏「富士」に乗ることができたなんて、羨ましい限りです。まだ、宮崎や西鹿児島まで運行していた頃でしょうか?その頃の「富士」は、ブルートレインの頂点を極めていた列車でしたからね。僕の同級生の両親が鹿児島出身で、毎年「富士」や「はやぶさ」で帰省するのを見て、「なんでうちの親は九州出身じゃないんだ!」と思ったものです。そのくせ、上野駅に行くと、「何でうちの親は青森出身じゃないんだ!」と思う次第。しょうがないから、「自分がお金持ちになって、大人になったら、寝台列車に乗りまくってやる!」と思って、大人になったら、その時には、ほとんどの寝台列車は廃止になっていました。
@@syaso当時は関門トンネル通過の際に、車掌さんが車内放送で、その経緯や所要通過時間等の詳細な説明があったので、自然と盛り上がりました。
そうなんですね。そんなサービス放送があったのですね。かつては「北斗星」も、青函トンネルに入る際に青函トンネルの説明があったとか。そういう放送ってテンション上がりますよね。
野暮な質問になってしまうかもしれないのですが、これ個室を予約されて、ビデオカメラを固定されて回し続けられているのですよね。予備バッテリーのことや不測の事態での延着、運転打ち切りなどのリスクもある中で、熱意の多さに脱帽です。
sagradafamilia705様、こんにちは。コメントありがとうございます!以前、「江差線」でもコメントを頂きました。その節はありがとうございました。お察し頂けて恐縮です。当時使用していたVX2100というソニーのビデオカメラは、今のハンディカムなんかに比べるとかなりの大型で、固定するのも苦心しました。一方で、バッテリーは、割と持ちが良く、2個あれば十分でした。特に個室の場合、コンセントがあるので、使用済みのバッテリーを、すぐに充電器で充電すれば、何度も繰り返し使用できたので、個室はその点で重宝しました。それと、おっしゃるように、不測の事態。これで一番やっかいだったのが、遅れると、テープの長さが持たないという事でした。なので、列車が遅れないかどうか…いつも不安でした。加えて、ちょっとでも遅延すると、途中のテープ交換の時間が短くなるので、間に合わない…なんてこともありました。調子に乗って、色々と長々と話してしまいました。スミマセン。
私がよく乗っていたころは、「オハネ25 1000」でした。カセットテープのオーディオ装置では、イマイチヒットしなかった曲がよく選ばれていましたが、富士やはやぶさに乗りながら、一晩中起きていて、音楽を聴けることが楽しかった時代(そういう体力もあった年代)でした。そんなころを思い出しました。
鉄道模型工房オロネ様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!そうですか、そうですか。オーディオ装置ですか。なかなかあの機械を一晩中、フルに活用されていたという方のお話を聞いたことはないので、なかなかの猛者ですね。どんな曲が入っていたのかも気になるところではありますね。
@@syaso様 お返事ありがとうございます。何はともあれ、全区間の映像を撮影されていることに敬服いたします。車窓様の映像を拝見しながら、あの機械で選曲されていた音楽を流して聞くこともあります。ちなみに、1991年~1995年あたりまでの曲は、結構把握しています。 ただ、メロディは覚えていても、曲名がどうしてもわからないものが、和洋ともありますね。ちなみに、選曲は、なぜか北斗星のJR北海道編成と全く同じものでした。はやぶさ、富士、なは、北斗星のオーディオで音楽を録音していたり、セットリストを把握していたりする方がおられることを期待したいです。
(*⌒▽⌒*)ノ 保有しました!時間をかけて視聴します。小学生時代の記憶がまさか再現出来る時代が来たなんて。長時間の撮影に感謝します。
HY MK様、おはようございます。コメントありがとうございます!17時間越えの長編になりますので、ちょこちょこ分割して時間をかけて見て頂けたら嬉しいです!よろしくお願いいたします!
13:15:55 九州ブルトレの朝と言えばこれです。
吉野川様、こんにちは。コメントありがとうございます!いいですよね!このあたりの朝の車窓が九州ブルトレの醍醐味ですよね!
こんにちは。私は幸いもブルートレイに乗れた世代ですが、今の列車好きな子供世代から二十代位の方は、この様な動画を見てなんと思うのか。夏場、早川辺りからの相模湾の夕景を見て旅情にひたり、朝の山陽路の景色、意外に長い寝台ベッドがはね上がってからの車窓など、正に追憶の動画です。小まめに動画に駅間の表示があるのも良いです
中村貴志様、おはようございます。コメントありがとうございます!先日は、「あいづライナー」にもコメントを頂き、ありがとうございました。今の子供世代から20代位までの方は、まさにブルートレインを実際に見たり、乗ったりできなかった世代で、夢のような乗り物なのかもしれませんね。ちょっと違うかもしれませんが、昔の客車の「富士」などに展望車が連結していたり、151系にパーラーカーがあったり、そういったものを本でしか見た事がなかった子供の頃の私は、「あ~、昔は、こんな凄いのが走ってたんだ~」って感じたものに近いのかもしれませんね。
素晴らしい映像をありがとうございます!みなさんのコメントが熱いですね!読んでいて涙が出てきます。今でも愛されているブルートレイン。庶民が普通に利用できる寝台列車。日本はまた貴重な文化を失ったんですね…。
けはえ様、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですね、そうですね。ありがたいことに、私のチャンネルでコメントを下さる方は、心の優しい方が多く、胸を打つコメントを下さる方も多いので、有難いです。「庶民が普通に利用できる寝台列車…」まさに、日本の鉄道の貴重な文化だったように思います。昨今の行き過ぎた合理主義は、鉄道旅行の旅情もさることながら、心の余裕すら失わせてしまっているように思います。
チャンネルサムネの車内販売東海道で消えるそうですね。新幹線食堂車には夢がありました、あの号車だけ照明が違ってて、外から眺めtるだけですが。
Katsumi Takahashi様、続けて本日もコメントを頂きありがとうございます。車内販売が無くなってしまうのは、今の世相を考えれば当然なのでしょうが、旅情という点だけでもって話をすれば、またひとつ鉄道文化が消えてしまう寂しさがそこにはあります。
20年くらい前、九州旅行行く時に、新幹線や飛行機使わずにあえてブルートレイン使ったのが懐かしい。奮発して個室を利用したが、周りに気兼ねせずに長い時間くつろげる…料金はかかるがその分、新幹線や飛行機では味わえない贅沢な気分を満喫できた。もうこうした気分が味わえないなんて、なんか味気ない時代だな…なんて思ってしまう。
ヒストレイン、おはようございます。そうなんですよね...。かつては、移動時間も楽しめるというか、むしろ移動時間の方がテンションがあがるといった旅行がありました。しかし昨今は、寝台列車がなくなったことで、そういった楽しみも減ったように思います。かつては食堂車を連結していて、食事を楽しんだり、機関車の交換などで長時間停車する駅で駅弁を買ったり、そういった楽しみ方もあったのですが、今は乗車前にコンビニで弁当を買って、車内ではスマホを弄って、あっと言う間に現地について…みたいな、味気ないものになったように思います。
夜景が綺麗だ
ごちうさ香風智乃様、おはようございます。コメントありがとうございます!当時はテープで撮影していた時代で、画質が悪くてすみません…。それでも寝台列車から見る夜景は、同じ夜景でも通勤電車から見るのとは味わいや雰囲気が違って見えるから不思議です。
この頃の大分駅ってまだ高架してなかったんですね😮、めちゃ新鮮
鋼の豆腐メンタル様、おはようございます。コメントありがとうございます!あぁ~、やはり、そこ来ましたか。この動画では、大分駅の地上時代を懐かしんでくれる人が多くて、僕も嬉しいです!1番ホームのうどん屋さんや、ミカンベンチがいいんですよね。大分駅に限った話ではありませんが、寝台列車で、終着駅に到着する時、近代的な高架ホームで最後を迎えるよりも、どっしりとした昔ながらの無駄に広くて長いホームに到着する方が、「あぁ~、終着駅に到着した~…」という感じがして好きでした。最近は、どこの駅も高架化して、近代的な無機質な駅ばかりになってしまいました。
This train journey makes me sleep well
親が2009年に富士引退前に当時チケット取ってきて乗せてくれたわ〜↑(富士のおかげで鉄道が好きになっていつかは将来の夢は電車の運転士になるって卒業アルバムに書いた思い出があります)当時小3、あれから15年有言実行しており電車の運転士として乗務しております当時夜中に富士乗車中でたまたま起きたら上り下りの富士はやぶさとすれ違い見れて運転士なるきっかけでした〜!
白い霊夢様、連投ありがとうございます!そうですか、そうですか。それは素晴らしいです。私は子供の頃、「車掌」さんに憧れました。将来は、国鉄に入りたいと願っていたのですが、家庭の事情もあり、夢は叶いませんでした。好きな事を職業にできて、夢を実現できる人って、ほんの一握りだと思います。これからも頑張って下さいね。
カーテンを強制的に閉められるバスでは味わえんこの車窓これが寝台特急の最大の魅力や
ユーロビーター様、こんにちは。コメントありがとうございます。確かに、確かに。寝台列車はカーテン閉めるのも、開けるのも自由ですからね。特に個室は。夜行バスで、何がしんどいって、完全に横になれないのもそうなんですが、暇つぶしに通路に出たり、思いっきり「伸び」ができなかったり…それと飲食するのがちょっと…。まぁ、それでも「夜行バス」は「寝台特急」に比べたら相当安いですし、多様なルートがあるので結構便利で、私もちょこちょこ利用しております。
主さん!兄貴が来ましたよ(笑)さて、今回は昨日のコメントと合わせて突っ込みどころが満載なのですが、とりあえず新たな動画をupして頂いた事に感謝します。東京駅にEF65牽引で入線してきますが、私が知ってる時代は連結面には「出雲」のヘッドマーク付いてた記憶が。それと、私が乗車した時代のA個室は車窓が右側だった気がしますが、それぞれ記憶違いなのかな?日付見ると約一週間で「はやぶさ」に乗車してますし、主さんの体力と経済力には改めて関心させられます。コロタン文庫の本、私も持ってましたよ。ケイブンシャとか、学研系とか、文庫サイズの写真集とか、鉄道に関する雑誌はかなりの数を。鉄道ジャーナルは昭和52年から数年前迄でしたし。20系の個室はレール方向でしたよね。多分、主さんもそれを表現されたかったのかな。私が幼少期に富士号に乗車したのは西鹿児島行きでした。日豊本線はリニア実験線が現役でしたし、宮崎からはDF50が牽引でしたが、これが特急と思えないくらいに遅かった覚えが(笑)出雲は意外と速いので余計にそう感じたかな。ちなみにDD54牽引時代のにも乗った事がありますよ。末期の富士は未乗車です。はやぶさと みずほ はありますが、今から思うと残念ですけど綺麗に録れてるこの動画にて堪能しようと思います。主さんは引きこもり(笑)でしたか。私は今回の連休は久しぶりに近い能登半島へ行ってました。国道156号往復で 800キロ。近い近い。帰った翌日が地震で 驚きましたが。崩れる前の軍艦島は しっかりスマホカメラに収めてあります。
「おぉ!兄貴!久々じゃないっすか!」と、馴れ馴れしい挨拶をしたらどやされそうですが...。さて、今は会社の昼休みに返信しているので、ちょっと不明なのですが、「富士」も、時代と共に編成や形式が変貌しているので、個室の向きも逆だったのかもしれませんね。そうそう、やっぱり兄貴にはバレたかぁ...。その辺のチェックきついよなぁ。そうなのです。「はやぶさ」と「富士」は、ほぼ同じタイミングで乗車しています。この頃は、自営業で、しかも最も仕事が暇な時(事実上の開店休業)でしたので、「乗れるものは今のうちに乗っとけ!」ってなわけで、乗りまくっていた時代です。正直、だいぶ金もなくなりました...。それでも、何れブルートレインは全廃される事がわかっていたので、「今が最後のチャンスかもしれない」と思い、お金は惜しみませんでした。当然、後に金も底を着き、自営業(中古車屋)は廃業し、今の買取店で雇われる身となるわけです...。ケイブンシャの「特急・急行大百科」とコロタンの「ブルートレイン全百科」は、私の子供の頃の愛読書でした。何度も何度も読んで、初代の本はだいぶページが取れてしまいました。あまりに傷んでしまったので、大人になってからヤフオクで買い直しました。今でも時々目を通してますよ。兄貴はGWは能登に行ったのですか!いやぁ~、私も今月中にサンダーバードで和倉温泉へ行こうかなぁ...と企んでいたとこです。せっかく和倉に行くのに、温泉には宿泊せず、金沢に戻って金沢に滞在しながらごそごそ撮影するつもりです。よって観光はゼロです。北陸新幹線の敦賀延伸で在来線特急も激変しそうですから、最後に大阪→和倉を撮影したいと思っています。そうそう、軍艦島っていうから、てっきり「長崎では?」って思って知らべたら、能登にもあったのですね…。しかも、今回の地震で少し崩れたとか…。本来なら、引き潮の時には島の近くまで歩いていけるそうですね。今回の地震で、近くに行くことができなくなったそうで…残念です。しかし往復800kmが近い?無理無理!!僕なんか、神戸まで車で行くのも嫌ですよ。兄貴の方がよっぽどタフガイですよ(笑)
反対側の機関車が付いた状態で入線してきていたんですね!
中田武彦様、おはようございます。ご覧頂き、コメントを下さり、ありがとうございます。京都駅の「なは・あかつき」なども、同様なパターンでしたね😊
懐かしい〜この時の大分駅🤩
水戸様、おはようございます。コメントありがとうございます!この動画では、大分駅の旧ホームを懐かしんでくれる方が多くて、なんか嬉しいです。この頃の大分駅は、国鉄時代の名残を色濃く残す駅舎とホームで、個人的には好きでした。昨今は、どこの駅も近代的な高架ホームになって、綺麗で利便性は高まりましたが、似たり寄ったりで、個々の駅の味わいみたいなのがなくなってしまったように思います。
寝台列車(特にブルートレイン)未だに乗れてないからいつか乗ってみたいなァ…サンライズは引退する前に…
souko🇺🇦様、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。それは是非とも乗っておきたいですね。「サンライズ」も、なんだかんだで結構な年齢です。廃止も噂されてますからね...。いざ、廃止と決まれば、チケットは転売屋も含めて争奪戦で、とてもじゃないけど切符も取れないでしょうから、今のうちに乗っておきたいですね。
@@syaso 様、返信ありがとうございますm(_ _)mそうですね。後々大阪に行きたいとは思ってるので、その帰りに乗れればいいかなぁと思ってます(値段が17000と思った以上に高かったですが…)
そう、高いんですよね。僕もたまにサンライズに乗るのですが、窓口の人に料金言われるとき、「あぁ~ですよね…」ってなります。
20型時代からよく利用 祖父や両親に食堂車ヘ連れて行ってもらうのが楽しみやったな あぁ懐かしい😂
安部様、こんにちは、コメントありがとうございます。20系時代ですか。「走るホテル」はたまた「動くホテル」なんて言われた元祖ブルートレインですね。富士の20系時代を僕は知らなかったのですが、調べてみたら、どうやら1975年の3月改正までは20系だったようですね。という事は、私は4才ですから、記憶にないわけです。余談ですが、私が初めて乗った寝台列車は寝台急行「天の川」で、これは当時オール20系固定編成でした。特急での役目を終え、急行に使用され始めていた20系でしたが、個人的には重厚感があって、24系よりも20系の方がが好きでしたね。
大分が高架化してない珍しい映像ですね!一度でいいから乗ってみたかったな…(廃止された年に生まれた人なので)
もっちーのゆっくり鉄道ch様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。富士の廃止の年生まれですか。という事は、今は中学生ですかね。若い鉄道ファンの方に見てもらえて嬉しいです。そうですね、今は寝台列車は「サンライズ」だけになってしまいました。「富士」や「はやぶさ」のような長距離を走る客車寝台は、今となっては夢のような列車ですね。
私は宮崎在住ですが、彗星号しか乗車したことがないです。一度でいいから富士号に乗りたかった。ちなみに彗星号は広島県福山駅から宮崎県高鍋駅まででした。
松田様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。私なんか、逆に「彗星」とか「明星」とか、乗ったことがなかったので、憧れでしたよ。そうですか、福山から高鍋まで。そういえば、「彗星」っていつ廃止になったのかなぁ…て思って調べたら、2005年10月1日だったのですね。僕がカメラを持って撮影するようになったのが2006年12月だったので、もう少し早く撮影していたら、彗星にも乗ることができたのに…と思うと、残念でなりません。
45年前小学校6年の時に親父と東京〜西鹿児島(現鹿児島中央)まで乗った。今も覚えてる、東京〜下関はEF65―511、4号車オハネ25―125に乗った。確か、この時、食堂車も終点西鹿児島まで連結してたと思う。富士、復活してくれないかな?
そうですか、そうですか。これは実に羨ましいですね。始発から終点まで、当時の「富士」で乗りとおすことができた人は、そんなに多くないと思います。なんせ24時間以上ですからね。私も西鹿児島時代に、全区間乗って見たかったです😢
@@syaso いやあ、こちらこそあの頃を思い出させてくれて感謝❗
通過駅名まで入れていただき感謝してます。おかげで寝過ごし降りそびれがなくなりました(笑)よくよく見ると、新山口ー宇部くらいの間、とんでもなく遠回り線形で、新幹線沿いに来れば1/3くらいの距離で済むのにと。とくに難所らしきものもなくどうしてだろうと、地図をながめてます。宇部線まわりの超遠回り乗車してもいいらしいと、中学生の時、誰かが言ってました。「噓だろう、本当だったとしても、だれがする?」 そりゃそうだね。
aotaakamichi様、おはようございます。続けてコメントを頂きありがとうございます。わざわざ遠回りをする列車と言えば、呉線経由の「安芸」という列車を思い出しますね。個人的には、すごく好きな列車でした。山陽本線をそのまま直進すれば速いのですが、呉線のお客さんの為に呉線を経由するという超絶マニアックな寝台特急だったのですが、需要がイマイチだったのでしょうか。わずか3年の短命で終わってしまった列車です。でも、そういう短命で終わった列車って、逆に心に残るものです。
🌃寝台特急「富士」東京 → 横浜 → 熱海 → 沼津 → 静岡 → 浜松 → 名古屋 → 京都 → 大阪 → 姫路(運転停車) →広島 → 下関 → 門司 → 小倉 → 別府 → 大分 🌰
小倉弘様、おはようございます。とうとう10連投目!! ありがとうございます!寝台特急「富士」の停車駅のご案内、ありがとうございます!
88年に北斗星しか乗った事がないのですがブルトレ世代には貴重な映像です
片羽の妖精様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか。88年の「北斗星」は誕生当時ですよね?一番「北斗星」が華やかだった時代。僕にとっては大いなる憧れでしたよ。それまでは食堂車付き長距離寝台と言えば九州方面だったのが、「北斗星」が登場し、上野から北海道まで直通ですからね。姉が大学の卒業旅行で「北斗星で北海道に行く!」と聞いて、めちゃめちゃ羨ましかったのを今でも覚えています。僕は、その後、だいぶ時を経て「北斗星」に乗ることができましたが、今思えば本当に素敵な列車でした。
車窓様 こんばんわ北斗星が出たばかりの時に たまたま母親が旅行に行くけどどこに行きたいと聞かれて北斗星に乗りたいと答えてしまいましたw 当時はチケット取るのも大変だったみたいで食堂車でフランス料理食べましたが大人だったらロビーカーでビール飲みたかったです 雪まつり終わった直後に行ってー20度だったので顔が痛かったです 札幌でテレビに出る前のすみれラーメン食べて小樽でネタが飛び出てる寿司を食べましたあと乗ったことがあるのはサロンエクスプレスくらいです 瀬戸のヘッドマークも好きで父親によく連れてってもらい見に行ってました
お返事ありがとうございます!そうですか、そうですか。「北斗星」も晩年は、割と簡単にチケットを取ることができましたが、デビュー当時は、それこそなかなかチケットは取れなかったと思いますよ。お母様に感謝ですね!特に食堂車は予約制だったのではないでしょうか?寝台券はゲットできても、食堂車の予約が取れない!なんてこともあったと思うので、食堂車での食事というのも貴重なものです。今やその「食堂車」すら、ほぼ死語ですからね。-20度かぁ…。僕もちょちょこ北海道へは行くのですが、-20度体験はないなぁ…。去年の12月に北見に行ったのですが、その時も激寒で、顔が痛かったですが、-20度ともなれば、激痛でしょね。でも、それを通り越せば神経がマヒして、痛みすら感じないかもしれませんね。サロンエクスプレス、懐かしいですね!僕は乗る事ができなかったのですが、体験会?みたいなのに親に連れて行ってもらいました。記念入場券とか、パンフレットとかをもらって帰ってきました。当時、「カッコいなぁ…乗りたいなぁ…」って思ったものです(笑)
食堂車は当時 予約でたしか一人1~2万はしたかと? サロンエクスプレスは団体の観光列車で東京から神奈川を走ってました 今はもう思い出の車両はNゲージで眺めるくらいです
元々は「富士&はやぶさ」とも西鹿児島(現,鹿児島中央)駅が、始発&終着駅でした。
Kマサヒロ様、おはようございます。コメントありがとうございます。そうそう!元々は「富士」も「はやぶさ」も西鹿児島発着でした。あの頃のブルートレインは輝いていて、トワイライトや北斗星のない時代、憧れの頂点に君臨した双璧でした。
@@syaso さんへ延岡⇔佐伯の「宗太郎越え」は辛かった。w
「宗太郎越え」、確かに、確かに。先日、「にちりんシーガイア」で、宗太郎越えしたのですが、ず~と寝てました...。
3:04:43 おやすみ放送 12:11:04 おはよう放送
タイムスタンプありがとうございます!
いつも旅情を感じさせてもらってます🥲🥲
マンジュシュリー様、おはようございます。コメントありがとうございます!いやぁ~、そうおっしゃって頂けると嬉しいです!ありがとうございます😊
[忙しい人向け]1:00:002:00:003:00:004:00:005:00:006:00:007:00:008:00:009:00:0010:00:0011:00:0012:00:0013:00:0014:00:0015:00:0016:00:0017:00:00
マルハチチャンネル様、こんにちは。本日も「忙しい人向け」のタイムスタンプありがとうございます!
親父が富士の車掌をしてました。大変な勤務だと思います。
水戸のご隠居様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうなんですね。確かに大変なお仕事だったと思います。私は、子供の頃、寝台列車の車掌さんになるのが夢でした。結局、私のその夢は叶いませんでしたが、車掌という仕事は今も私の憧れの仕事です。夜行列車ですから、本当に大変だったと思うのですが、同時に、子供たちの憧れ(大人の私も含めて)の仕事で、とても素敵なお仕事だと思います。色々と車掌の仕事について直接話が聞けるのがちょっと羨ましいですが、苦労話も多かったかも知れませんね。お父様、本当にお疲れさまでした。長らくの勤務、有難うございました。
おぉ、ありがとうございます。17:25:15 大分駅一番ホームで駅弁屋梅の家がやっていたうどん屋がちゃんと写っている。12時間以上なのできちんと飛ばないorz。
masssyy様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。大分駅も高架ホームになって、だいぶ雰囲気が変わりましたね。大きなターミナル駅が、次々と高架駅になって、味わいのあった地上駅の面影がどんどん失われていくような気がします。
ブルートレインは北斗星引退の時に自分がまだ5歳くらいだったから乗れなかったなぁ...
ラプア様、こんにちは。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか…。晩年のブルートレインは、あれよ、あれよと言う間に次々と廃止になって、気づいたら全部無くなってしまいました…😢
当方が初めて乗車したブルートレインが昭和53年1月3日東京18時発の「富士」でした。 「富士」廃止直前の「くたびれた車体」とは異なり、当時客車は「ステンレスの帯も光るピカピカの車体」(オロネ25 9、当時中学1年生の当方には「贅沢」)、けん引機のEF65 1110も前年にEF65 500代から置き換え後の綺麗な車体にけん引されて東京駅を発車。 当時の記憶(印象)ですが、信号機トラブルで当日東京発車40分遅れたものの、遅れを回復、西鹿児島には定時到着。「実乗車時間がダイヤ上の24時間26(24?)分にはならなかった(24時間を切った)こと」、「食堂車で夕食は『牛焼肉定食』、朝食は『和定食』を食べたこと」、「岡山辺りまでは眠れなかったこと」、「西に行くにしたがって、運転が荒くなること(発車、停止時の衝撃が大きい)」、「厚狭駅構内に留置されていたナシ20」、「下関(EF81 304)、門司(ED76 85)、宮崎(DF50 561)での機関車交換」、「昼を過ぎたガラガラの車内は『何となく重たい空気』(B寝台)と感じたこと」、「宮崎のリニア試験線」、「宮崎からけん引のDF50」くらいしか記憶になく、今回の動画を拝見し「もっと、風景をじっくり見ておけばよかった」と後悔しています。 「はやぶさ」でも西鹿児島まで乗車したことが数回有りますが、一夜を明かした夜行列車、昼過ぎまで乗車することは「若干苦痛かな…」(個人的見解)と感じました(「トワイライトエクスプレス」であれば「違う」かもしれませんが…)。 A個室備え付けの「ヘッドマーク付きタオル」は手元に今でも残っています。 長文で申し訳有りません。
H Kobayashi様、おはようございます。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。中学1年生の時に「オロネ25」ですか。これはかなり羨ましいですね。昭和53年と言えば、ブルトレブーム全盛期の頃です。僕は、ブルトレに乗る機会がまったくなかったので、東京や上野に、その姿を見に行くこと位しかできませんでした。しかし、中学1年生の時の記憶で、そこまで覚えていらっしゃるという事は、むしろ凄い事です。余程、印象に残ったのでしょうね。「西に行くにしたがって、運転が荒くなる…」、「昼を過ぎたガラガラの車内は『何となく重たい空気』(B寝台)」というのは、晩年の「富士」や「はやぶさ」でも、なんとなく、そんな雰囲気はありました。ひとつの時代を築いたブルートレイン。長い鉄道の歴史の中で輝いていたのは、ほんの僅かな時間だったかもしれません。その時代を過ごすことができたことは、本当に良かったと思います。今の時代の子供たちは、ブルートレインに乗る事も、見る事もできないのですから。
回答有難うございます。 2000年頃までは毎年九州へ旅行していましたが、帰りはブルートレイン(ソロ)を利用していました(はやぶさ、富士、あかつき、なは)。その度に「九州ブルトレの凋落ぶり」を目にしました。東京発着の列車に於いては「食堂車の営業中止(売店化、車内販売のみ)」になった段階で「帰りも飛行機」と考えましたが、上りに於いては静岡で積み込まれる「出来たての幕の内弁当」を朝食で食べるのが「楽しみの1つ」でした(当時、車内販売の方が前夜に予約を取っていました)。しかし、「車内販売も打ち切られた段階」(下りは朝方のみ営業は有った?)で九州ブルトレの利用をやめ、旅行先も北海道へ変えました。 東京発着の九州ブルトレは「佐世保さくら」、「長崎みずほ」を除き、全て乗車しました。後日、機会が有れば「はやぶさ」の動画のコメント欄に記させて頂ければと思います。 「九州ブルトレの思い出」は当方にとっては「記せばキリが有りません」。
そうですか、そうですか。九州ブルトレは、ブルートレインの全盛期には、物凄い数の列車が走っていましたよね。中でも、「富士」「はやぶさ」は、その頂点に君臨する2大巨頭と言って良かったと思います。「富士」なんか、24時間超でしたからね。(H Kobayashi様は、遅延からの回復で24時間切ってしまったみたいですが…)鉄道旅行の醍醐味のひとつが、食堂車だったと思います。僕は、残念ながら、九州ブルトレの食堂車を利用することはできなかったので、羨ましい限りです。食堂車、車内販売、駅弁、客車独特の走行音、到着時や発車時の揺れ…そういった、鉄道旅行の旅情は、すっかり失われてしまいました。
富士や はやぶさ…良いですね!目的地でなくてももう乗ること自体が目的ですよね。走っていれば…リニアなんかには旅情もクソも無いでしょう。私は幼少期に東海道線沿線近くで過ごしていたのでとても懐かしい。線路脇には汚物が落ちていたり…。いや〜素晴らしい動画、本当にありがとうございますm(_ _)m
Ryu s様、こんにちは。先日は「トワイライト」に引き続きコメント頂きありがとうございます。そう、そう。今、走っていれば、乗る事自体が目的だったでしょうね。寝台列車もサンライズを除いて全廃し、長距離の在来線特急も激減し、旅情を感じる鉄道の旅は失われつつあります。一方で、驚愕の値段で豪勢な旅を演出するクルーズトレインが活況を呈しているようです。現代は「旅情」ですら、金を払わないと味わえない時代に突入したのかもしれませんね。
あくまで移動手段なのがいいですね。ビジネスマン、カップル、子供連れのファミリー、老夫婦、鉄道オタクの青年等々色んな人間模様があって好きです。クルーズトレインに旅情はあまり感じないです。タイタニックが豪華クルーズ船だったらドラマもあったもんじゃないですから。あと、学生でもバイト頑張ればロイヤルやシングルデラックスに乗れたのが良かったですね。
寝台特急富士 日豊本線経由東京→西鹿児島24時間26分ブルートレインブームの時が懐かしいですね。東京→大分になった時には寂しかったですね。富士はやぶさの最後の運転日に見送りに行きましたが、車輛はボロボロでした。
digitalzanmai様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうそう、僕らブルトレ世代にとって「富士」は東京~西鹿児島の24時間超えのイメージが強いですよね。コロタン文庫の「ブルートレイン全百科」を読んで、夢ばかり膨らましていました。そして、いざ、乗れるような大人になり、時間とお金に余裕ができた時には廃止目前で、車両もボロボロ、距離も短くなり、「はやぶさ」と併結。子供の頃に憧れた「富士」の姿とは遠くかけ離れたものになっていましたが、それでも、あの子供の頃に憧れた「富士」の個室に乗ることができただけでも私は幸せ者かもしれません。
富士!待ってました。
스루키さん、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!お待たせいたしました!やっぱりブルートレインの代表選手と言えば「富士」「はやぶさ」ですからね。見てもらえたら嬉しいです!
小学生の頃に夢見て「大人になったらね」と言われ続けた列車 大人になった今...
S M様、おはようございます。コメントありがとうございます!そうですか、そうですか…。私も「大人になったらね」と親に言われて育った一人でした。でも、私は、大人になって、自分の時間とお金が自由にできるようになった時、辛うじてブルートレインが残っていたので、何とか乗る事ができました。乗る事が叶わなかった方に比べたら本当に幸せ者だと思います。
@@syaso syaso様 現役当時乗っておられたことは本当に羨ましい限りです。富士はやぶさは小学生の頃に無くなってしまい、それからあっという間に北斗星まで消えてしまいましたね。今も夜行列車ではサンライズ等ありますが、やはり私のあこがれはEF66が牽引する東海道のブルトレです。この動画で当時の空気を感じさせていただいています。
下手な字でも一生懸命書いた手紙と誰でも書けるメールでは頂いた時の嬉しさに違いがあるのと似てますね。
横浜ー佐伯間をよく使ってたなぁ。何か買って乗らないと途中で買うチャンス無いからたいてい崎陽軒のシウマイ買って乗り込んでた。
蛮場晩様、こんにちは。コメントありがとうございます。そうですか、そうですか。横浜だけに崎陽軒ですね。確かに、下関までは長時間停車がないので、乗車前に買いこまないと飢えちゃいますよね。特に晩年は、車内販売も食堂車もありませんでしたからね。しかし、佐伯までとは、まだまだ富士が宮崎や鹿児島方面まで走っていた頃ですかね。私は大分行しか乗ったことがないので、羨ましい限りでございます。
記録を見たら、2007年はまだ銀河が残っていたので、カマはしんがりについての牽引でしたね。翌年から、富士はやぶさだけになり、17時過ぎに来て、東京駅で機関車の付け替えをしてましたね。この頃、ど平日の富士は恐ろしいくらいにスカスカで、最後尾は客0人とかも当然でした。なくなるまえに3回ほど乗りましたが、ノーマルのB寝台が懐かしいです。
川勝様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!そうそう、途中から機関車付け替えをやるようになってましたね。東京駅に撮影に行ったときに、「あれ?以前と違うパターンやなぁ…」って思った記憶があります。こちらのコメントで、KK様もおっしゃていましたが、車両に2名しか乗ってない...なんて状態だったようですね。
今では新幹線もよい旅ですが、寝台もなかなか夜の雰囲気もでて、新幹線もよいですが、よるも大人っぽい旅です。新幹線では、あたみの帰り道大量のあたみ温泉まんじゅう10箱も周囲へのお知り合いのお土産に考えています。ほか現地名物など自分ばかり遊んで悪いので、お土産くらいは渡します。
綺菜子きなこ様、続けてコメントありがとうございます。現在は、寝台列車は廃止されてしまっているので、新幹線でしか行く事はできないでしょうが、せっかくの旅行なので、楽しめると良いですね。僕は、あちこち旅行に行くのですが、いつもお土産を買わないので、上司に「お土産くらい買ってこい!」と言われることがあります。僕もたまには綺菜子きなこさんを見習って、お土産を会社のみんなに買ってかえらなくてはいけませんね。
私は子どもの頃からブルートレインに憧れていたけれど、鉄道好きもスポーティーなマイカーに熱中すれば、乗ることも忘れてしまい、とうとう「富士/はやぶさ」になった時の14系ばかり12両編成時代にしか乗ったことがありません。私が乗ったのはA個室とBソロだけ。A寝台個室の四角い窓のスペースほどしか前後が無い意外な狭さは風景を見るには首をほぼ真横に向けるので具合良くなく、洗面台が邪魔で、こんなもの個室にあってもしょうがないと思ったけど、あれは、個室だからこそゆっくり化粧できる女性向きですね。逆に、男一人ならB寝台ソロの方が広く快適に感じたものでした。B寝台車両は平日だったせいか1両に一人いるかいないかで、ソロ個室よりも対面4人分のスペースが独占できるようなガラ空き状態なら、こっちにも乗っておくべきでした。こんなに空いていれば廃止されるはずだ..と実感しましたよ。夜行列車あるあるで、老朽化して上下の揺れも激しかったけど、なにより外を眺めて眠れません この動画はよく撮ってあり感心します。それに熊本行き動画にはなかった、タイムスタンプがあって、今どこを走っているか解るので、懐かしさと旅情を感じられ、またこれを環境映像としてパソコン作業の脇に流しておくのもいいなぁと思っています。「必要性のあった時代」のブルートレインは、格安飛行機や新幹線や高速バスで廃れていったけれど、特別な高級トレインよりも「庶民が乗れる旅情あるゆっくりした時間を過ごす列車」が今では最高にさりげない贅沢ですね。
音楽チャンネル様、おはようございます。コメントありがとうございます!わたしも音楽チャンネル様ともしかしたら似たような感じかもしれません。私は3歳の頃から鉄道が好きで、近所の子や、同級生からは「電車キ〇ガイ」などと揶揄されることもありましたが、中学生から高校生になるにつれて、車が好きになり、中でもR30鉄仮面に憧れて、車好きになりました。それでも「三つ子の魂百まで」とは言ったもので、社会人になり、35歳を超えた頃、やはり鉄道熱が戻ってきて、子供の頃に憧れた「ブルートレイン」に全部乗ろう!と決めて、撮影を始めたのです。もちろん、車が好きになったとは言え、鉄道も好きでしたので、それまでも鉄道は乗っていたのですが、撮影をしようと決めたのは、この時でした。しかし時はすでに遅し。「あさかぜ」や「さくら」すら廃止になっていたので、撮影できたのはほんの少しの列車でした。その時撮影した動画が、今、こうして、皆様にご覧いただいて、当時を思い出したり、家にいながら乗車体験をしていただけたら、何より幸いです。「富士」にはタイムスタンプを入れているのですが、タイムスタンプの入っていない動画に関しては、今後、動画を再編集して、テロップの表示とタイムスタンプを導入したいと思っています。それらの作業は、随分と先になるかもしれませんが、末永くお付き合いのほど、よろしくお願いします。
@@syaso さま、お返事ありがとうございます。書き捨てばかりで今頃見返して返信遅れてすみません。わたしと同世代かもしれませんね。わたしは中古のダブルX~ST162セリカ~62年型ソアラ..というようにGT4が買えない、63年型ソアラではない、サーフも2400ディーゼルターボという中途半端😅、せいぜい弄ったのはFFセリカくらいでした。それでヒールトゥは当たり前にやってましたよw30代は写真仕事で花と自然など風景ばかり撮りに出て、上高地から北アルプスへ通って尾根縦走するほど憑りつかれてました。たまにJRのちくまを利用したり、鳥取へ行く時にだいせんに乗ったくらいでした。当然、撮影仕事は車移動なので、それ以前の 20代の国鉄時代に「信州ワイド周遊券」と「北陸ワイド周遊券」で周遊区間内の夜行車内での仮眠したり駅で寝たりという、今ではありえない気まま旅をしにフラ~と仕事を辞めた時などに出かけました。当時は12系ちくまはもちろん、中央西線の普通で客車をEF64が牽いたり、碓氷峠も国鉄色の183系あずさとEF63+62などがあたりまえで、北陸も旧客車や気動車の宝庫でした。583系が急行きたぐに国鉄色で、特急ならヘッドマークあるはずがまっしろ画面、絵柄は後で出来たのでしょう。JRになって419系は食パンどころか赤いので小豆パンでしたね。冬の吹雪の親知らずあたりを、あんなカベツラで風圧に逆行して走るパワーに感心しましたよ。wまた、高校生~学生時代に、今でいう「撮り鉄」友人と歩いてメガネ橋と熊野平信号所へ行き撮影もして、現地の鉄道マニア爺さんがトンネルを歩いて移動する😱のでついて行って横川付近まで行ってしまうという(爺さんは貨物ダイヤも知っていて友人が行くので私はビビリながらついて行く)悪い事もやったり、飯田線にはED62やら旧国電と86系が同時に存在したり、友人は「もうすぐ消えるから」と熱心に撮っていましたが、わたしは写真芸術やネイチャーフォトを目指していた青年時代で、国鉄が消えるとかブルートレインが消えるなんて思ってもおらず、しっかり記録しておけばよかったと後悔しています。小学5年から、HOゲージ鉄道模型&撮り鉄でしたが、高価な鉄道模型なんかペーパーキット作りがせいぜいで子ども時代にお金が届かず、撮るにしても名古屋駅や自転車で行ける沿線沿いでしたが、今となってはつまらないカットでも貴重な写真ですね。皮肉なもので写真を仕事にすれば鉄道から離れ、いまごろ後悔するなんて....昭和の終りころの国鉄を懐かしんで、こういう動画を別のチャンネルで「鉄道遺構」としてたくさん保存しています。 思い出ジジイみたいで長くなってごめんなさい😂
テロップの表記ミスについて
(誤)清州駅→(正)清洲駅
子供の頃、毎年夏休みは母の実家に姉と3人でこの特急富士に乗って帰省していました。今はもう祖父は亡くなり、祖母はホームに入ってます。大好きだった大分のおじいちゃんち。家は祖父が亡くなった後に処分されてしまったので、もう2度と帰ることはできません。
でも、この動画を見れば、いつでもあの懐かしい夏休みに帰れる気がします。
達 馬場様、こんにちは。コメントありがとうございます。
この動画が、子供の頃の懐かしい思い出や、おじい様、おばあ様に思いを寄せる一助になったのであれば幸いです。
もう2度と帰ることのないおじい様の家も、こうして、貴方様の心の中に、しっかりと刻まれています。
物は無くなっても、心は無くなりません。
素敵な思い出は、心の中で、いつまでも生き続けていきます。
慣れない睡眠環境で早く起きてしまうと、外には夜明け前のほぼ知らない風景が流れてる…ってのが醍醐味だった夜行列車
type81様、こんにちは。コメントありがとうございます!
わかります、わかります。
ふと目が覚めて、窓の外を眺めると、見慣れない景色で、「あれ?どこ走ってるのかなぁ...」って、通過駅の駅標を目で追って、「こんなとこまで来たのかぁ…」っていう、あの感じ。
まさに夜行列車の醍醐味でしたね。
ジャストミート🎉表現力が上手です😊
@@syaso あうい
Вцнвещ Ян им кем па цу год со о ее её цикл до Н🚃👍👍👍👍👍👍👍👍👍 де ВК до со до ВК вН до про од все во
これは大袈裟でなく、永遠に残すべき動画です。
約16年も前になるんですね。
じゅんちゃん様、こんにちは。コメントありがとうございます!
これは大袈裟でなく、コメント、ホントに嬉しいです!
ありがとうございます。めっちゃ励みになります!
1966生まれで、小学生時代の卒業文集にブルートレインの運転手になる夢を書きました。それから数十年後、ラスト走行近くになって、さくら号に東京~長崎、はやぶさ号に熊本~東京に乗車しました。夜中の眠った駅や街内をひた走る姿が忘れられません。もう過去のものだなんて(涙)。
hidekun1966様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
私は、ブルートレインの車掌さんに憧れました。
まさにhidekun1966様がおっしゃるような、夜中の眠った駅や街をひた走る姿、そういったブルートレインの持つ独特の哀愁感とでも言いましょうか。
そういう姿を見れなくなってしまったのは残念でなりません…😢
愛知県在住です。付近の東海道沿線の風景がこの20年でずいぶん変化しました。夜間の風景とはいえ昔の車窓が再び見られるとは思いませんでした。当時両親と見た風景。友達と見た風景。たくさんの思い出がそこにありました。
進学のため一人でブルトレに乗って初めて親元を離れたことも思い出しました。感謝の動画です。
ペコリ様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですね~。
当時とは、車窓の風景もだいぶ様変わりしました。
ご両親、友人との思い出、そして親元を離れた時の記憶。
そのひとつひとつの大切なシーンを私の動画で思い出して頂けて光栄です😊
貴重すぎる動画本当に本当にありがとうございます。
私は1980年生まれです。
鹿児島生まれの両親の帰省で、年1~2回幼い時から高校生くらいまで「富士号」に毎年乗車していました。
夏の日の落ちる頃に熱海駅から乗り、朝方、少し長い停車時間の下関だったか門司だったかの駅ホームのうどん屋さんで、父親が家族分のテイクアウトのうどんを必死で買いに行ってくれてました。発車ベルが鳴っても寝台車に現れない父を心配して泣いたのも素敵な思い出です。
その父も還暦を待たずに亡くなり、今月私自身も手術や入院を経験し、しばらく布団から動けない状態に…。体に自信が無くなると昔の事が懐かしくなって、やたらと「富士号」のワクワクした車窓を思い出していました。
もう二度と見る事は出来ないと思っていたのに、この動画に出会えてとても感動しています。
私にとって宝物のような車窓を撮影し、投稿してくださって心からお礼を申し上げます。
ミコト様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、1980年にお生まれということは、私よりも9つほど年下ということですね。
私が小学生の頃、同級生のご両親が鹿児島出身で、6年生の夏休みに、一緒に鹿児島に行きました。
その時には、やはり寝台特急を利用していきました。懐かしい思い出です。
「富士」などの九州ブルトレは、機関車交換で下関、門司で長時間停車するので、お弁当を調達するのには丁度良く、ミコト様のお父様のように、買い出しに出られる方も多かったことでしょう。
発車ベルが鳴っても戻って来ないお父様を心配して泣いた…恐らく、別の車両に乗り込んで、車内を歩いて帰ってくるのに時間がかかったのでしょう。微笑ましい光景が目に浮かびます。
お父様は還暦を待たずに亡くなり…。
私の父も、実は57で亡くなりました。肝臓がんでした。
私の父は残念ながら、家族の為にうどんを買い出しに出てくれるような優しい父ではありませんでしたし、正直、仲良くもありませんでした。
それでも、亡くなった時にはショックでした。
そして、私もミコトさんとは内容は違えど、来年の1月末から入院と手術が決まっています。
全身麻酔による大掛かりな手術になるそうです。
おそらく3週間程度の入院が必要で、術後も生涯、通院が必要になり、後遺症で神経麻痺が出るかもしれないと言われています。
この「富士」を撮影した頃のような、長い旅はできなくなりそうです。
ミコト様の症状などはわかりかねますが、少し似たような境遇という事もあり、気になり、長文となり失礼致しました。
お互いにこれからの人生、頑張っていけたらいいなぁ…と思っております。
ご丁寧な優しい返信ありがとうございます。
何か似たような境遇の方の動画に、似たようなタイミングで出会わせて頂けるとは…。
昨晩、富士号の車窓を眺めながら子供の時と同じように電車の音で眠りにつこうと思っていたら、溢れるばかりのブルートレインでのエピソードを思い出して、ほっこりしながらもウルっとしていました。
B寝台車のハシゴを横に広げる音や、少し固めのパリッとしたシーツの質感、読書灯のLEDとは違う優しい明かりまで、五感でも覚えているみたいです。
まさに発車ベルが鳴り、少し動き出した車内に父がうどんを持ちながら現れたのは、別な車両から乗り込んでのセーフでした。国鉄職員だったので、乗り遅れない謎の自信があったようです。
手術、入院を控えておられるとの事(私も全身麻酔で入院含めて1週間で退院出来ました…が、家に戻ってひと月経ちますが、いまだ一日の大半は布団です。なので、「車窓」さんのお気持ちがすごく近くに感じられて…。言葉にできない程の共感が多くて思わず長い返信文書になってしまいました。ごめんなさい。
こんなに素敵なものを思い出させてくださる動画をプレゼントしていただいた方の、手術が無事に終わって一日でも早く穏やかでお健やかな日々を過ごされる事を心から心から願っております。
本当にありがとうございました。
こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます。
そうですか、お父様は、国鉄職員さんだったのですね。
その、「国鉄職員」っていう、響き。僕、好きなんですよね😊
子供の頃は「車掌」さんに憧れて。もちろん、寝台特急の、それこそ「富士」とか「はやぶさ」とか。
当時は、まだJRではなく、国鉄でしたから、国鉄で働く皆さんは、社員や従業員ではなく「職員」と呼ばれていて、それが「特別」な感じがして、その響きに憧れました。
B寝台の梯子、読書灯、子供の頃は、そのひとつひとつがカッコ良く見えて、家にもあれが欲しいと思ったものです。
ミコト様は、今もお布団の中で過ごされる事が多いということなので、気が滅入ってしまうことも多いと思うのです。
不謹慎ですが、せめて寝室がB寝台車みたいになっていたら、気が紛れたかもしれませんね。
私は、手術が半年も先ですし、術後がどのようになるのかも現段階では、はっきりしません。
それでも、もし、そこそこ健康な状態で復活できることがあれば、夢があります。
小さな夢です。
それは、何年先になるかわかりませんが、自分の部屋にB寝台2段式を再現することです。
もちろん、鉄道廃品などの手配は無理なので、日曜大工でコツコツ作りたいと思っています。
でも、めちゃめちゃ不器用だから無理かな…。
そんな夢でもないと、手術や入院に対するモチベーションがあがらないので…。
返信で長々とスミマセンでした。
それはとっても素敵な夢ですね!そしてB寝台の窓にあたる部分を液晶モニターにして、「車窓」さんの撮影された動画を流せたら、もう最高の空間です!
(私もすごく憧れます!)
その素敵な夢がぜひ叶ったら良いなぁと心から願って応援しています。
お互いに健康でいられたらいいですね。
私の宝物になった動画を本当にありがとうございました。
乗れなかった東京〜九州ブルートレイン、動画の貴重さと字幕が入りより楽しみやすくなり嬉しいです。
真ほいみん様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!感謝です!
字幕の件、ありがとうございます!
そうですか、そうですか。東京~九州のブルトレは乗る事がなかったのですね。
私も撮影を始めたタイミングがもう少しはやければ、もっと沢山のブルトレに乗れたのですが…。
「乗りたい時には、もういない…。」
飛行機が怖くて東京行くのに二階堂麦焼酎忍ばせお世話になりました携帯電話もない時代景色だけが楽しみな旅路今はベットの上で点滴打ちながら動画を見て懐かしんでるありがとうこの動画
そうですか、そうですか。この年末にベッドで点滴をされているとのことで。
病院でしょうか?ご自宅でしょうか?
いずれにせよ、その状況から察するに、お体の調子が良くないのですね。
どんな症状かは伺い知る事はできませんが、お大事になさって下さい。
あまり関係ない話ですが、私は高校の1年生の時に大病というか大怪我というか、そういうことがあって、高校1年の半分を病院で過ごしたことがあります。
しかも地元の小さな病院で、それこそ夜はお化けがでそうな…そんな病院でした。
それこそ、当時は携帯もスマホもなく、面会も親が昼に30分程度くる以外は、ほとんど誰も来なくて、随分と寂しい思いをしたことをちょっと思い出してしまいました。
今、いけだななさんがどのような状況かはわかりませんが、ご快復をお祈り申し上げます。
休みの前日に寝ながら聞いてました、目を閉じたら車内にいる感じが。列車に乗るときのワクワク感は何歳になっても忘れることはなく、むしろ歳を重ねてからの方が強くなっている気がします。今では味わえない何も考えずに長い時間に車窓を眺めたり車内で寝ながら過ごす時間、スピードアップと快適さと引き換えに失ったものは大きいですね。編集お疲れ様でした、ありがとうごさいます。
まーくん様、こんにちは。本当にいつもありがとうございます。感謝です!
ワクワク感!まーくんさんから「銀河」でコメントをもらった時にも書いたのですが、この「ワクワク感」って、ほんと他の乗り物では味わえないんですよね。
今では旅情ですら簡単に味わえない、そんな時代になってしまいました。
子どもの頃大分の亡祖母の家に行くのに、ブルートレイン富士を使っていました。車内放送のチャイムを聞くだけで懐かしかったです。ご投稿有難うございます。
野田顕彦anod525様、おはようございます。
こちらこそ、コメントを頂きありがとうございました。
そうですか、そうですか。
子供の頃の思い出や、ご祖母様を懐かしむことにこの動画が一助となったのなら嬉しいことです。
また、機会がありましたら、いつでも見に来てください。お待ちしております。
20年前に乗ったのを思い出しました😢
まだ、富士単独のころでした。
もう、懐かしすぎて…
ありがとうございます。
万字みると様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。
こちらこそご視聴頂き、ありがとうございます。
そうですか、そうですか。20年前に、単独走行の頃。
「富士」が単独で走行していた頃の末期ですね。
そして、その後、「はやぶさ」と併結になり、間もなくして廃止となりましたね。
併結になってから廃止までは、あっと言う間の出来事だったように感じます。
東京から大分まで帰省するとき、あえていつも富士で帰っていました。とても懐かしいです ご投稿ありがとう
徒然戦士様、おはようございます。
こちらこそ、ご覧頂き、コメント頂き、本当にありがとうございます!
東京~大分を直通で走る…今となっては夢のような話です。
嘗て、私が小学生の頃は、東京~西鹿児島を日豊線経由で「富士」、鹿児島線経由「はやぶさ」が直通。
もし、今の時代に、このような列車が誕生したら、新幹線の開通よりも、話題になるかもしれませんね。
まさに2007年の9月に「富士/はやぶさ」に乗車したので思わずクリックしました!(笑) わたしは「はやぶさ」に乗車して博多まで行きました。博多には翌朝10時位についたような記憶です。喫煙者だったので喫煙車両だった末端のスハネフ14を指定したのですが、その車両の乗客は私含めてわずか2名。平日とはいえ「こりゃ無くなるわなぁ」と思いました。他の車両もガラガラでした。発電エンジンの音が結構うるさかったですが、耳栓を持っていってたので大丈夫でした。当時はまだスマホもそこまで普及していなかったので、JTBの時刻表と車窓を眺めながらのんびり過ごしました。貴重な動画ですね。ありがとうございます。じっくり拝見させていただきます。
KK様、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。同じ2007年9月に乗車されていたのですね。これも何かのご縁でしょう。
確かに、この頃の「富士」「はやぶさ」は、空いていましたが、たった2名とは...。
私は個室だったので、個室の乗車率がどの位だったのかわからないのですが、そんなに埋まってなかったような気がします。
切符も、乗車の3日前位に取ったのですが、それで取れる位ですから、空いていたのでしょうね。
晩年、少し元気の無くなっていた「富士」「はやぶさ」でしたが、ホームに入って来る姿は、やっぱり憧れのブルートレインそのものでした。
区間が全く違うとは言え、今のサンライズ号の人気ぶりからは考えられませんね…
もう時代が違うんですね…
長編の撮影お疲れ様です。動画のupもありがとうございます。まだ一部しか拝見してませんが全部再生には時間がかかりそうです。
いや〜懐かしいですね!
以前「フェニックス」の方にもコメント書かせて頂きましたが幼少期〜20代前半まで日豊本線沿線に住んでいたので「富士」は一番想い入れの強い列車です。
本編の15:46の行橋駅が地元です。現在は動画の様に高架になってますが1998年頃までは地上駅で国鉄時代の駅には機関区や保線区も併設されていました。確か1978年頃はブルートレインブームでしたね。特急がイラスト入りマークになったのもこの頃で特急大百科などの本なども読んでいました。今も大事に持っています。車窓さんと同世代ですからこの頃は小学生でしたね。
小学生時代は485系「にちりん」の他、475系急行、気動車や客車列車も見てましたがいつもこの「富士」はメインでしたね。西鹿児島行き下りはもちろん東京行き上りを見ては「いつか乗ってみたい」「食堂車にも乗ってみたい」と夢を抱いていました。
地元の駅は通過していましたが国鉄末期頃から停車駅になりました。地上時代の駅は12両までが最大でしたから13両の長編成はホームからはみ出して停車していました。
1990年代のJRになってようやくヒルネで乗車機会が訪れました。通勤で北九州の小倉駅まで通っていたのですが急ぎの時や優雅に着席したい時は「にちりん」に乗ることもありました。当時のJR九州はサービス精神旺盛で25km程の短距離の自由席特急料金は300円でしたから「富士」にも通勤で何度も乗りました。但し「富士」は窓口で立席特急券を申告して購入でした。残念ながら食堂車は1993年に編成から外されましたがそれでも13両?の長い編成でした。営業中の食堂車での食事は末期の「さくら」ではありましたが「富士」では乗れずじまいです。
1990年代後半になると大分まで短縮になり、「はやぶさ」と「さくら」が併結になるも「富士」は一部14系になっても長い編成のままでした。2005年に「はやぶさ」と併結になると遂に単独では14系の6両と短い編成になってしまいましたね。
寝台利用は2008年の夏でした。車窓さんの本編から約1年後になります。
所用で関西に旅行する機会があり夜遅めまで滞在だったので新幹線の最終には間に合わず「はやぶさ+富士」に帰路の京都〜下関まで、最初で最後の唯一の寝台での乗車でした。本来は博多までの予定でしたが山陽本線で先行の貨物列車が踏切事故を起こしてしまい3時間以上の遅れで下関で運転打ち切りに、特急券も払い戻しでした。
B寝台でしたがスハネフ14だったので発電用エンジンがかなり耳に残っていました。眠れなかったってほどもありません。
この年2008年の12月に所用で大分に行く機会があり博多から小倉まで「ソニック」で、小倉から大分まで「富士」のヒルネで乗り継ぎました。特急券は別途購入になるので割高ですが「今のうちに乗っておかないと」という思いが強かったのでしょう。予感は的中でこの時点では3か月後の廃止はまだ正式発表前でした。この年の寝台もヒルネも発表前でどちらもガラガラでした。ちなみに廃止1か月前は乗り鉄さん方々で混んでいたようです。
今や定期の夜行列車もサンライズを残すのみです。いつまでも続くとは思いません。スピード重視の世の中において時間よりも大切なものが夜行列車にはありましたね。
長々と長文失礼しました。
高評価押させて頂きました。改めて時間がある時に作業用にじっくり楽しませて頂きたいと思います。
1221 NT様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます。
雷鳥、ドリームにちりんにも返信コメントを頂き、ありがとうございました。
言い訳になるのですが、返信の返信コメントは、「コメント届きましたよ!」みたいなのが表示されないので、どうしても見落とししてしまいます。
この場を借りてお詫びします。すみません。
さて、「富士」。そうなんですよね。「富士」には立席特急券がありましたね。
立席特急券とは言っても、実際、晩年の「富士」の乗車率はひどいものでしたから、余裕で昼寝ができる状態だったことでしょう。
行橋であれば、地元を走る寝台列車として、確かに「富士」には思い入れがあるでしょうね。
1221 NT様同様、私も小学生の頃はブルトレ全盛期。
「富士」と言えば、最長距離運転、24時間以上という「夢の寝台列車」でした。
東京から西鹿児島ですからね。今から考えたら凄い列車ですよ。
「富士」はブルトレの頂点を極めた列車です。そんな列車が地元を走っているのですからね。
しかし、下関での運転打ち切りは残念でしたね。
僕が乗車した九州ブルトレでは打ち切りはなかったのですが、東北方面の「あけぼの」では2回、途中で運転打ち切りになったことがあります。これは本当に辛かった...。
まぁ、そういうこともあるのが長距離列車の宿命でもありますがね。
しかし、いつも本当にご視聴、コメント、そして高評価をありがとうございます。
今では乗ることができない列車なので、私の動画で少しでも当時を偲んで頂けたら本当に有難いです。
これからもよろしくお願いします。
懐かしいですね。東京から富士号で宇佐駅まで乗っていた頃を思い出します😢この時代はよかったです😢
田中様、こんにちは。コメントありがとうございます。
以前、「こだま」や「はやぶさ」にもコメントを頂き、ありがとうございました。
以前、はやぶさに頂いたコメントで、「親の田舎が大分県豊後高田市…」とありましたので、そうですよね。
「富士」には何度も乗車されているだろうし、思い出深いものがありますよね。
この時代は良かった、本当に僕もそう思います。
「速さ」と引き換えに「旅情」が失われてしまいました。
人間の心の豊かさみたいなものも、どんどん薄らいでいくように感じます。
僕は大分県別府市出身で、富士🗻から見る別府湾の眺めは、最高で感無量です👍😊😊懐かしいなぁ、別府の街並み。動画有り難うございました🙇🙇🙋
山本様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!
ドリームにちりんでコメントを頂いた時に大分出身とのことで、コメントを頂きましたね。
その際もありがとうございました。
大分駅も、この動画の頃とはすっかり様変わりしてしまいましたね。
先日、久しぶりに日豊本線を利用しましたが、車窓から眺める別府湾の景色は、今も変わらず美しかったです!
懐かしい!!幼い頃、富士で中津から東京まで往復させてもらったなあ。上りの食堂車でビールを飲んでいる父のつまみのチーズをかじったこと、車内の自販機で買ってもらったブドウの粒入りのグレープジュースをロビーカーで飲んだこと。周りが寝静まった頃に1人で最後尾まで行ってテールライトと流れる景色を眺めたこと。その後、ベッドに戻る途中で車掌さんが車掌室と仮眠用ベッドをこっそり見せてくれたこと。下りの下関(門司?)でホームの立ち食いうどんを買いにホームに降りたこと。ブルートレインの車内の匂いや音は40年近く経った今でも鮮明に覚えている。ありがとうございました✨
SR K様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。中津から東京までとなれば、まぁまぁ長時間の旅です。
食堂車のあった時代ですね。一番いい時代です。
コメントを読んでいてつくづく感じたのは、寝台列車というのは、子供にとって「アドベンチャー」なのですよね。
まぁ、大人になっても車両探索を端から端までしたり、空いてる部屋を覗いて見たり、長時間停車の駅で降りて背伸びをしたり...なんてするので、大人にとっても一緒かもしれませんが。
ブルートレインは、乗る前も、乗ってからも、そして降りてからも...興奮冷めやらぬ乗り物ですよね。
東海道本線の線路沿いが実家でした。40年前、毎日何本もブルートレインが家の隣を通過し眺めて、その最終地点に思いを馳せてました。あさかぜ、富士、紀伊、出雲、さくら、みずほ懐かしいですね。
ありがとうございます。動画に実家の窓からの風景収まってました。
horihito suzuki様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。
そうですか、そうですか。御実家が東海道線沿いですか。
かつての東海道・山陽線は、九州ブルトレの大街道でしたからね。
中でもhorihito suzuki様が上げていた「紀伊」は、ブルートレインの中では地味だけど個人的には好きな列車でした。
子供の頃に憧れたブルートレインは、大人になって、お金も時間も自由にできるようになった頃には、その半数以上が廃止になっていました。
もう少し早くビデオカメラを手にすることができたなら、「さくら」や「あさかぜ」も撮影できたのに…と思うと残念でなりません。
@@syaso当時、分厚い時刻表を買ってもらい紀伊勝浦ってどこ?っと。今のように検索アプリもない時代なので乗り継ぎ調べるの大変でしたが、一発で覚えることができましたね。
そうそう、私も子供の頃の愛読書と言えば時刻表でした。
子供の頃から地理と漢字だけは得意でしたね。
ちなみに、その「紀伊勝浦」。
この4文字の駅名が行先幕に入っているだけでカッコよっかたなぁ。「(日豊線経由)西鹿児島」も好きだ。
いつもありがとうございます。見れば見るほど、一度でいいからブルートレインに乗ってみたかったという気持ちが強くなります。
t oonishi様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。ブルートレイに乗る機会がなかったのですね。
今となっては、本当に夢のような列車でした。いい時代でしたね。
80年代 当時は中学生くらいでしたが、広島へ帰省する時に、あさかぜ 3号を利用したのを思い出しました。
ふじ号 より、東京駅出発時間が遅いのですが、夏は、岡山あたりで日の出となり、美しい早朝の瀬戸内の車窓が拝めましてね。その景色をもう一度見たくて、冬に乗ったら、広島駅まで真っ暗だったことを、広島駅付近の車窓をみて思い出しました。
この動画に写っている広島駅は、改装される前の旧1番線ホームで、南口の中央改札 や 当時利用した立ち食いそば屋さんが写っていて、懐かしいです。
hatamoto taikutuotoko様、おはようございます。コメントありがとうございます!
以前、急行「みよし」でもコメントを頂き、その節はありがとうございました。
急行「みよし」でもコメントを頂いていたので、「広島」と所縁のある方とはお見受けしていましたが、その帰省の際に、「あさかぜ」を利用されていたのですね。
広島駅の1番線ホームは改装されたのですね。
もう16年も前の映像ですから、色々な風景が様変わりしてしまっているかもしれませんね。
素晴らしい動画をありがとう!
寝台列車はあかつき(西鹿児島時代)、なは(電車寝台)、日本海とずいぶんお世話になりました。本当に懐かしいです。
寝台列車がなくなった今、
暮れゆく街並み、漆黒の闇や夜明けの田畑、山海を疾走する風景は2度と見ることが出来ません。
寂しい限りです。そんな私の心の隙間を埋めてくれたこの動画に感謝したいと思います。
kenji Takayama様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そして暖かいコメントに感謝です。
あかつき、なは、日本海…どれも素敵な列車でしたが、みんな我々の前から去っていきました。
今、あのブルーの車体を見る事はできなくなり、本当に寂しい限りです。
寝台列車とは不思議なもので、同じ車窓を眺めるにしても、通勤電車から眺める車窓と、寝台列車から眺める車窓は異質なものでした。
哀愁と言うか、ノスタルジーというか、そういうものを感じずにはいられないものがありました。
こういう乗り物が無くなってしまい、鉄道旅行は、以前と比べると、なんとなく薄っぺらなものになり、無機質なものになってしまったように思います。
@@syaso さん
ありがとうございます😊
本当にその通りだと思います!
寝台列車のある時代に産まれて良かったと思います。
今後も動画を楽しませていただきますm(_ _)m
こちらこそ、わざわざ返信を頂き、ありがとうございます!
私は昔、小学生だった頃 はやぶさを東京から乗り 出水まで乗った記憶を覚えてます。ブルートレイン食堂車もあった時代。。懐かしいですね。
Kita様、おはようございます。コメントありがとうございます!
かつての長距離寝台列車や特急列車には、食堂車がついていましたよね。
それだけで、非日常的で、ワクワクしたものです。
最盛期のブルートレイン時代には、日豊線と鹿児島線経由で、それぞれ東京から西鹿児島まで走っていたのですから、本当にいい時代でした。
私の寝台特急歴は小学生の時に北斗星、中高でサンライズに乗った程度ですが、兵庫県に住んでいる親戚の最寄り駅を通過するのを見たり、自室の電気を消して夜景を楽しんだのは一生の思い出です。今年から社会人になったので、自分の稼ぎでサンライズやウエストエクスプレス銀河に乗るのが楽しみです!
余談ですが、当方愛知の岡崎に住んでいるので、今は無き建物や、新しくなって無くなってしまった公園の遊具などのシルエットが見えてとても懐かしい気分になりました。貴重な動画ありがとうございます!!
ボルスター様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。今年から社会人になりましたか。
社会人1年目ということで、なかなか大変な事でしょう。
「サンライズ」や「WEST銀河」に乗って、気分転換、楽しい鉄道旅行ができるといいですね😊
ちなみに、この動画は17年前ですから、愛知の辺りの風景も、今ではだいぶ様変わりしているのでしょうね。
初めまして。ブルートレイン富士の動画ありがとうございます。
ブルートレイン富士、そして旧駅舎時代の大分駅、どちらも幼いころの思い出です。
カーブ走行中(多分山陽本線区間の岡山~山口)に見えた、朝日に照らされて輝く青い車体がかっこよかったのを覚えています。
サンライズも乗りましたが、やはりもう一度あの客車の揺れの中で寝てみたいですね。
3 toremii様、こんにちは。ご視聴、コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。幼い頃の思い出ですか。旧駅舎の大分駅、行かれたことがあるのですかね。
今と違って、地上ホームで趣がありました。
朝日を浴びて走るブルートレインは、見ているだけでもカッコよく、また同時に、なんとなく哀愁感があって素敵でした。
そういう車両、列車って、もしかしたら、今は殆ど走っていないかもしれませんね。
あと残ってるのはサンライズ位かなぁ...。
@@syaso 様 返信ありがとうございます。
母方の実家が大分でしたもので…
当時の大分駅は改札すぐの一番ホームの手前に、地下通路の入り口が大きく口を開けていました。パン屋さんとかの売店もいろいろあってにぎやかな印象がありました。
当時乗ったシングルデラックスということもあり、楽しまさせていただきました。たぶん実家にはまだ当時のタオルが残っているかと…。
これからも動画投稿、頑張ってください。応援しております。
ありがとうございます!そうでしたか。お母様のご実家が大分でしたか。
そうですね、そうですね。僕も覚えてますよ。改札の目の前が1番ホームで、「THE国鉄ターミナル駅」って感じで。
あの雰囲気、僕は好きでしたね。
私の父方の実家の新潟駅も、かつてはあんな感じでした。
大分もすっかり様変わりしましたね。
応援ありがとうございます!これからもよろしくお願いいたします!
あー学生時代にこのブルトレ社内販売バイトをやっていたことを思い出して懐かしさがこみ上げてきた😢 お客さんが少なくて楽だったけど、やっぱり夜寝れなくて睡眠不足になる仕事だったな
Shin Chiga様、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。これは珍しい仕事をされていましたね。
「北斗星」の動画では、「レストラン」のスタッフさんにコメントを頂いたことがあります。
かつての長距離列車には必ず車内販売があって、買う買わないに関係なく、車内販売が回ってくるだけで「旅情」を感じたものです。
でも、さすがに寝台列車のスタッフともなると大変ですよね。睡眠不足にもなりますよね。
そういった皆さんに支えられて運行していた富士。
我々乗客は旅を楽しませてもらっていたのですから、スタッフの皆さんには感謝しかありません。
富士の完全走破映像、素晴らしいです。夜間走行のとき、方向幕や未使用の個室・寝台の灯りが、沿線の建物に反射して幻想的だったことを覚えていますが、その光景までしっかり再現されていますね!
鉄道模型工房オロネ様、こんにちは。コメントありがとうございます!
お褒めの言葉を頂き恐縮です。
SD画質での撮影ですので、高解像ではありませんが、往時の雰囲気だけでも味わって頂けると嬉しいです。
夜行列車の細かい雰囲気のところまで見て頂けてありがたいです。
こちらこそ、ありがとうございます!
17時間!😮
私が子どものころ家族で福岡に、初めて乗ったのがこの寝台特急列車です。懐かしく、その頃を思い出して😂が出てきます。
柿本様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。子供の頃の家族旅行で福岡に行く際に乗車されましたか。
子供の頃の寝台列車というのは、本当に格別で、きっと素敵な思い出として残っているのではないでしょうか。
私も初めて乗ったのは小学4年生の時で、寝台急行「天の川」でした。
あれから40年以上経ちますが、僕の心の中では、今でも忘れる事のできない素敵な思い出になっています。
フラット音が心地よく眠気を誘いますね
サンダーバード様、こんにちは。コメントありがとうございます!
フラット音、確かに眠気を誘うんです。
撮影中は、できるだけ眠らないようにしているのですが、ついついウトウトしてしまいました(笑)
素晴らしい動画をあげていただきありがとうございます😊 豊橋に停まる唯一の寝台特急でしたね。15年くらい早く生まれてたら、乗りまくったと思います。
勘川様、こんにちは。コメントありがとうございます!
先日は「銀河」にもコメントありがとうございました。
そうですね。確かに今の「サンライズ」も、豊橋は通過(運転停車はしたかな?)ですから、乗降はできないですもんね。それこそ、「銀河」も豊橋は通過でしたから。ちょっと悔しいですね。
コメントありがとうございます。サンライズは下りは運転停車(上りも?)なので、下りに乗る時は静岡、上りは大阪から乗ってますね。寝台急行銀河は一度も乗れなかったのでタイムマシンがあれば乗りに行きたいですね😆
車内メロディが門司まではオルゴール式、門司以降が電子式でした。
どちらも旅情を掻き立てますね。
Kenji Iwamoto様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
編集した本人が、全然、そんな事に気づいていませんでした。
しかし、あのオルゴールやチャイムこそが、旅情のシンボル的なものでしたので、聞くことができなくなってしまったのは残念です。
最近の特急電車にもチャイムはありますが、寝台列車や客車の音色には到底及びません。
こんばんわ。待ってました。富士号の大分行き。この列車は乗ったことがなかったので、楽しみにしてましたね。広島を過ぎたころからの瀬戸内の夜明けの車窓は最高ですね。
ひろくんひろくん、おはようございます。いつもご視聴、コメントありがとうございます!
長年のお付き合いに感謝です。
そうそう、この車窓の醍醐味は、やはり広島を過ぎてからなんですよね。
夜明けの瀬戸内の夜明けの車窓は格別です。
「こんなに素敵な車窓があったのかぁ…」って、当時思ったものです。
まぁ、今、近郊型電車に乗って、同じ時間、同じ区間に乗っても、同じ景色は見れるのでしょうが、味わいが違うのでしょうね。
いやあー懐かしい。もう40年ほど前になるが横浜の戸塚に住んでいて大分市に帰省するのに利用しておりました。
17時25分に終業したら速攻で戸塚駅に向かい、前日に用意した旅行バッグをロッカーから取り出し横須賀線(当時はまだ東海道線は戸塚には停車しなかった)で横浜へ、ホームに到着すると缶ビールと崎陽軒のシュウマイ弁当とおつまみを確保して18:30分着の富士を待っていました。
大分へは飛行機もありますが搭乗手続きの時間を考えるとその日の最終便(羽田発)には間に合わないのです。日航機の墜落事故も有ってなおさら飛行機嫌いになりましたし、大分空港から大分市もバスで一時間強ですから翌朝一番早く到着するのが寝台富士なんですよ。
横浜で乗った後は夕食食べて週刊誌読んでのんびりと過ごす、翌朝までゆっくりと寝て下関で10分ほど停車するので立ち食いうどんで腹ごしらえするのがいつものパターンでした。
パソキン様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。40年前。1980年代ですね。
この頃は、西鹿児島までだった「富士」も、宮崎止になり、少しづつブルートレインが衰退期に入り始めていた頃かと思います。
日航機の墜落が1985年。私は中学2年生でしたが、今でも覚えています。
当時はテレビの報道に釘付けでした。
飛行機と違い、寝台列車はとてものんびりしていて、時間はかかるものの、夜間高速バスとも違って横になってちゃんと寝る事ができるし、次の日は朝から活動できるなど、意外と時間を有効に活用できるので、便利でした。
それと、やっぱり酒とツマミを片手に車窓を眺めらるのが寝台列車の醍醐味でしたね。
流れゆく景色を見ながら、色々な事に思いを馳せる時間は、日常のセカセカした時間を忘れる事の出来る「いいひと時」でした。
待ってました!
寝台特急富士!
UPありがとうございます!
今まで車窓さんのはやぶさや銀河に乗っていましたが、
私の所縁がある大分へ乗り換えなしで旅に出れます。
da! yasu様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!
以前、「はやぶさ」「銀河」にもコメントを頂きありがとうございました。
いつも励みになるコメントを頂けるので有難いです。
そうですか、そうですか。大分と所縁があるのですね。
私の動画で、大分を偲んで頂けたら嬉しいです。
日豊本線沿線に住んでますが踏切待ちかめんどくせぇなぁって思いながら待ってると富士が現れた時はうぉってなって逆に嬉しさに変わり何かちょっと得した気分になってました
そして最後尾の富士のプレートをしっかり見ようと
特に登りは夜だったからぼんやり光るプレートは何か温かみがあり、通り過ぎるその一瞬を見逃すまいと一生懸命目に焼き付けてました
ヤシガニ様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。
これは、「踏切あるある」ですね。
僕の住んでる徳島は、本数が少ないので、踏切には滅多にひっかからないのに、引っかかった時、「あ~。運が悪い…」と思って、「早く通過しろ!」と思う事があるのですが、私が大好きなキハ40や47が来たら「お~、ラッキー!と思い、マジマジと見てしまいます。
そういう心を引き留めるような車両や列車も、本当に少なくなりました。
他の方の鉄道動画で山陽本線岡山以西とか、熱海~豊橋とかでも十分長く、最近作業中によく流しているが
この動画だとそれらがすべて合わさって何日かに分けて見るくらいの超級レベル。
車窓さんの夜行列車シリーズの動画は、時が経つとともに一層、鉄道史の貴重な証明となっていくと思う。
九州ブルトレは、頭一つ抜け出た定期夜行列車だった。
利用客が減ってしまったのは、乗車券等を合わせた料金の高さが主要原因の一つかと思う
(いまで言えば格安航空券の3倍以上になるのではないか。サンライズも同様)。
欧州のナイトジェットのように、上下分離式が導入できないものか。
社会的に環境に対する意識が日本は欧州のレベルではないのが難しいところだが、
航空機で積極的にという気には、個人的にはならなくなって来ている。
全編テロップ入りナイスだと思いました。
遠くのどのあたりを走っているのかが分かり、馴染みのない駅名ならより旅情を感じ、
疾走感に拍車がかかるように思います。
Masahito K様、こんにちは。いつもご視聴、コメント、本当にありがとうございます。
こちらこそ、いつも気持ちの良いコメントを頂き、有難いです。
そしてお褒めの言葉を頂戴し、恐縮です。
そうそう、九州ブルトレって、そうなんですよね。頭一つ抜けた感じ。
その表現、わかります!
昨今、欧州では長距離列車が続々と復活していると聞きます。
「観光立国を目指す」とか「脱炭素」とか、国も言うだけでなく、そういった事に絡めて鉄道利用に関して具体的に取り組んでも良いように思います。
国としては民間に口出しはできないのかもしれませんが、何かできる事はあるように思います。
その中で、寝台列車というものも検討に値すると思うのですが、実際は難しいのかもしれませんね。
その他にも、JR貨物に旅客業務をさせるとか、JTBにような旅行会社が車両を保有し、メンテはJRに依頼するとか…そういったアイデアも聞きますが、どれもなかなか一筋縄ではいかないのでしょうね。
もっと前、はやぶさが(当時)西鹿児島行きだった頃、東京から通しで乗ったことがあります。まだ食堂車がありました。鹿児島着いたら雪が降っていたのには驚きましたね。
帰りは富士に宮崎からこれまた通しで東京まで乗りました。
このようなはやぶさ・富士の形では乗ったことないので新鮮な感じすらします。
砂漠の鷹様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
「富士」全盛期の頃ですね。
東京→西鹿児島を全区間とは、これは羨ましい限りです!
しかも鹿児島で雪とは、印象的な旅になったことでしょう。
僕も西鹿児島まで、全区間乗りたかったなぁ...。
懐かしいですねブルートレイン
谷口様、おはようございます。コメントありがとうございます!
子供の頃に憧れだったブルートレイン。
大人になって、乗れるようになった頃には、ほとんど廃止になっていました。
今となっては「ブルートレイン」という言葉そのものが懐かしい響きですね。
素晴らしい動画を投稿して下さり有り難うございます。ブルートレイン大好きでした。「富士」とてもいいですね。音も静かでゆっくり休めそうです。
子供の頃に「はやぶさ」のB寝台に乗ったのが想い出です。確かロビーカーという名の車両があり、ゆったりくつろいだのが想い出です。
Volcano様、おはようございます。コメントありがとうございます!
こちらこそ、見て頂けて有難いです。
そうですか、そうですか。「はやぶさ」のB寝台に乗られたことがあるのですね。
「はやぶさ」と「富士」は兄弟みたいな列車。最後まで一緒でした。
「ロビーカー」なんていう響きも、今となっては懐かしいですね。
長時間の旅を心豊かに過ごすことができた時代ですね。今となっては懐かしい限りです。
子供の頃、広島へ行く時によく『あさかぜ』に乗ってました。勿論『富士』にも乗ったことがあります。富士だとチョット変な時間に着いちゃうのよね。独特のタタタタタ・・・と聞こえる心地よい走行音が懐かしいですね。夕方東京駅を出る時、通勤帰りの満員電車を車窓から眺めながら飲むビールは最高です。これは大人になって感じましたわ。通過待ちの電車を掻き分けて走る姿は、新幹線にはない在来線の特急ならではの優越感を味わえましたね。今度サンライズに乗って見ようかな。
Cocotan様、おはようございます!コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。「あさかぜ」に乗られてましたか。
まだまだブルートレインが東海道、山陽を走っていた時代ですね。
おっしゃるように、寝台特急の車内から満員電車を眺める独特の優越感?みたいなのは、なんともいいものです。
そうそう、広島と言えば、かつて、ブルートレインが下火となる中でも、一時期はサンライズの車両を使用した「サンライズゆめ」が、臨時ではあるものの、東京~広島(下関)まで運転していた時期もありましたね。
同じ区間を、もし、今、「サンライズあさかぜ」の名で臨時でも良いので復活したら、3分以内に完売でしょうね。
となれば、徳島のみどりの窓口で買えるはずもなく、私は乗る事はできないでしょうね…😢
いろいろと懐かしですね。
東京駅10番線で待ってる間、上の新幹線ホームに滑り込むE2やE1系の各新幹線。
甲高いブレーキ音鳴らして滑り込んで居ましたね。
そして数分後には再び自己主張強めのインバーター鳴らして出発。
そんな中、品川方面から65に引かれやってくる寝台特急、懐かしです。
ブルートレイン(客車全般共通ですが)のガツンと軽いショックと共にゆっくり加速していき、寝静まった夜の線路を経過なジョイント音鳴らして走って行くのが印象的でした。
日本で定期寝台特急はサンライズのみですが、14系や24系の客車と違い、新しいとはいえ、ベテラン車両の域に来てます。
寝台特急って言葉が無くなるのも時間の問題ですね。
間違ってブルートレイン復活しないかなぁ……
05hiti様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!
そうですね、そうですね。
客車の、ガタン…ってなってから、ゆっくりゆっくりと走り出す、あの感じ。
そして、静かな車内に響き渡るレールのジョイント音。
客車には電車サンライズとは違う味わいがありましたね。
客車が消え、ブルートレインも消え、最後に残った寝台特急を冠する「サンライズ」も、恐らくは時間の問題でしょう。
日本の時刻表から星のマークが消えてしまうのは、本当に悲しいです。
貴重なビデオありがとうございます。一回青春18きっぷで門司へ行ったことがあり、台風のせいでもっと南へ行かなかった。
Jerry Chin様、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。台風の影響で南の方まで行けませんでしたか。
僕も今までに何度も天候のせいで終点まで行くことができなかったことがあります。
特に東北や北海道方面は、「雪」が降ると、すぐに止まっちゃうので...。
貴重な映像を有難く拝見しました。
駆けっこをしたら数時間で目的地に到着してしまう性能を持つ最新車両のギラギラとしたブレーキディスクを横目に悠然と発車する姿には歴史と貫禄を感じます。
利便性第一なのは仕方がないことですが、「旅情」が失われつつある現代は寂しいですね。
新宿・きなこもち様、こんにちは。コメントありがとうございます!
お褒めの言葉を頂き恐縮です。
まさに東京駅を出る時、左のホームにはギラギラとした足回りの新幹線が止まっています。
その横をまず1歩進んで、ちょっと様子を伺い、ふたたびゆっくりと動きだします。
このゆっくりと、ゆったりとした出発の仕方に「旅情」を感じ、「あぁ~、素晴らしき客車列車」と思いふける瞬間でありました。
今は、そんな気持ちになれる列車も無くなりました。
@@syaso お返事頂き感激しています。
発車直後のカクンっとした挙動、乗り去る者と駅に残る側との関係性を惜しむかのような情景だったことを思い起こします。
車内放送も自動放送が増え、賛否はあることとは思いますが「人」の香りのある鉄道の存続を願っています。
これからも拝見し、時には不躾なコメントをするかもしれませんが宜しくお願い致します。
こちらこそ、ありがとうございます!
ちなみに、もちろん、僕は「人」派ですよ!
自動放送は味気ない…。車掌の個性が光る「人」の放送の方が、味わいがあります!
雑なアナウンスの車掌に当たるとがっかりしますが、丁寧で長いアナウンスだと「当たり!」って喜んだものです。
話がそれましたが、こちらこそ、これからもよろしくお願いいたします!
2008年に名古屋から大分まで富士のA寝台で行き豊肥本線を熊本まで。その日にはやぶさソロで弾丸で帰ってきました。乗らなきゃ絶対後悔すると思ったので衝動的に乗りましたが、子供の頃憧れのA寝台乗れて良かった。ブルートレイン乗るのも最後だなぁと思ったが翌年に日本海にも乗れました😅
イリスレギオン様、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。正解でしたね!乗らなきゃ絶対に後悔します。
あとになって、「乗っておけばよかった...」って、そういうの、僕も何度も経験しています。
僕も2007年から2008年にかけては、とにかく夜行列車が風前の灯でしたので、「やばい!」と思い、イリスレギオン様同様、「乗らなきゃ後悔」と思い、できるだけ色々な列車に乗るようにしました。
結局、この頃に乗った夜行列車は「サンライズ」を除いて、全廃となりましたね。
富士はやぶさ最高ですね〜
自分は東海道のブルトレには乗れなかったなので羨ましい限りです
編集のレベルもむしろ上がっている気がします
お疲れ様でした
nerner様、こんにちは。改めて「留萌線」へのコメントもありがとうございました。
編集の件についてもありがたいお言葉を頂き恐縮です。
そうですか、そうですか。東海道のブルトレには乗ることがありませんでしたか。
私は、なんとか「富士」「はやぶさ」には乗ることができましたが、その少し前に廃止になった「さくら」や「あさかぜ」に乗れなかったことが今でも悔やまれます...。
1レのさくらやあさかぜは憧れの列車でしたね〜
私が生まれた日(2007年9月20日)には富士まだ走ってたんやな
にしてもブルトレ乗ってみたかったなぁ
満月様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!
「あけぼの」でコメントを頂いた時に、「ブルトレ世代ではないから運転してるとこを一度も見たことがない」とおっしゃていましたよね。
でも、満月さんが生まれたその瞬間には走っていたのですね。
もう少しブルートレインが頑張って走り続けていたら、乗ることができたかもしれないと思うと、本当に残念でなりません。
一方で、立場は違えど、僕が生まれた時に走っていた列車も、僕が大人になって自由に乗る事ができるようになった時には大半が消えていました。
今この時を走る列車も、いずれ消えて行くかと思うと、後悔しないうちに乗っておきたいと思っています。
映像の走行区間が示されていて素晴らしい動画です。永久にブルトレの旅が楽しめる動画ありがとうございます。因みに自分は寝台特急富士のラストランの大分→東京までB個室ソロに乗車しました。
横井勲様、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。ラストラン冨士の大分→東京B個室ソロに乗車されましたか。
凄いですね!良くチケット取れましたね!
僕はラストランを、ニュースで見ていました。何かひとつの時代が終わったように感じました。
寝台車で帰郷すると田舎が如何に遠いかを実感させられた思い出がある。
おま様、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですね、そうですね。新幹線とか飛行機だと、あっと言う間に到着するので、「はるばる来たなぁ…」っていう、有難みというか、なんというか、そういうものが無くなったように思います。
一瞬だけど以前住んでいたマンションが映り、懐かしさと嬉しさが込み上り、ブルートレインが大好きだったのを思い出しました。
ちなみに自分は出雲号を利用してました⤴️
田舎が山陰でして👍
Ryosuke様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
以前お住みになっていたマンションが映っていましたか。
私も、車窓動画を見ると、自分と所縁のある建物や風景を見て懐かしく思うものです。
田舎は山陰ですか。
いいですね~。山陰地方。
「出雲」も、割と最後の方までブルトレが活躍しました。
ブルトレ無き今でも、サンライズが残る路線です。
サンライズもそう長くはないと噂されています。
それでも少しでも長く走ってもらいたいものです😊
お返事頂きまして、ありがとう御座います。
特急出雲号は京都駅でディーゼル機関車DD51に交代して山陰路線を走り、自分は子供の頃、その連結交代する瞬間と余部鉄橋を渡る瞬間が大好きでした。笑
機関車の交換は客車ならではですね。
特に、「出雲」は、電気機関車からディーゼル機関車ですから、哀愁感がたっぷりです。
そして、やっぱり、山陰本線の一大イベントと言えば、「
余部鉄橋」ですね。
余部鉄橋は、悲しい過去がありますが、個人的には旧の鉄橋時代が好きでした。
扉が閉まって30秒~1分ほどしてから「ガコっ」としてゆっくりゆっくりと走り出す、ブルトレの良さの一つです。もうこう言うのが体験出来ないんですよね。
totsugeki 24様、こんにちは。いつも定期的にコメントを下さってありがとうございます。
それなんですよね。客車独特の風合い。
こういうのが旅情を掻き立てるのですが、最近の車両には、こういった旅情を感じさせるものが本当に少なくなりました。
別府市在住です。大学が東京だったので、「富士」はよく利用していました。とても懐かしかったです。ありがとうございました。
余談ですが、大阪方面行の「彗星」と言う寝台特急も利用していましたが、B寝台、3段だったんですよね。一番上の3段目に当たった時は、酔ってしまいました(;^_^A。今では懐かしい思い出です。
ryuuza様、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。別府市在住ですか。
東京での学生生活で、帰省の際に利用されていたのですかね。
何度も利用できたなんて、羨ましい限りです。
しかも、「彗星」もですか…。
これは、私がビデオを所持するタッチの差で廃止になってしまい、撮影 出来ず終いでした。
「彗星」も乗りたかったなぁ...。
3段寝台も懐かしいですね。僕も初めて乗った寝台列車は開放B寝台3段でした。懐かしいです。
@@syaso 様、返信ありがとうございます。僕は喫煙者なんですが、当時の寝台列車って、通路に灰皿があって、喫煙できたんですよ。当時は喫煙者も多くて、皆さん利用していましたね。今のご時世では信じられませんよね(笑) それと食堂車で食事をするのも楽しみでした(^^)
そうそう、喫煙できましたよね。僕も元々は喫煙者だったのですが、27歳の頃(今から25年前)に止めました。
でも、寝台列車に限らず、あの灰皿の蓋を開閉する時の「カキン」って音が好きでしたね。
なんか、旅の音って感じで。
食堂車がないんですよね。僕は。食堂車で食べるのは子供の頃の夢だった...。
ブルトレの食堂車で食事したって人が本当に羨ましいんですよ。
東海地区に滞在中、東海道線の沿線またはその駅構内にいた時、ブルートレインをよく見かけました。
角田修一様、おはようございます。いつもありがとうございます!
かつての東海道本線と言えば、寝台特急街道。
最後まで残ったのは富士、はやぶさでしたが、その昔、全盛期は、さくら、みずほ、あさかぜ、紀伊、出雲、はやぶさ、富士、急行銀河と、錚々たるメンバーが走っていましたね😊
臨場感のある音が素晴らしい
pow様、おはようございます。コメントありがとうございます。
以前、「銀河」でもコメントを頂き、ありがとうございました。
映像はSD画質で古いのですが、音はそれなりに録音できると思いますので、お楽しみ頂けたら良かったです!
寝台列車良いですねぇ🥹貴重な動画が見れて嬉しいです
僕は現在20代で当時は列車のことはあまり知らず、幼少期にVHSを鑑賞するのみで今より関心は薄かったですが、今となってはかなり関心を向けており乗り鉄、音鉄、撮り(録り)鉄になっている程です…もっと早く寝台列車の存在を知りたかった…時すでに遅し🥲実際に乗りたかったです🥹なので、唯一現存のサンライズ号には一度は乗ってみたいです🥹
Y T様、こんばんは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。現在20代ですか。いやぁ~、現在50代のおじさんからすると、その若さが羨ましいです(笑)
YT様がおっしゃるように、今、唯一の寝台列車はサンライズだけになってしまいました。
もし、まだ乗車されていないのであれば、早めの乗車をおススメしたいです。
サンライズも、廃止が囁かれて久しいです。いつ、廃止されるかもわかりません。
廃止がアナウンスされれば、チケット入手は困難になるでしょう。
「いつまでもあると思うなサンライズ」ってやつですね。
@@syaso 様、こんばんは!こちらこそ返信して頂きありがとうございます😌
僕は音楽鑑賞も趣味の一つで、親世代の曲、特に80〜90年代が好きで、BUCK-TICK、スピッツの大ファンです笑笑、なので同世代と話が合わないです😂
そうですよねぇ、サンライズもだいぶ古くなりましたよねぇ、、おっしゃる通り運行終了になる前に乗っておきたいです🥹今年の8月にいづれも車窓越しでしたが念願のサンライズとトワイライトエクスプレス瑞風が京都へツアーに行く際に見る事が出来て余計に乗りたくなりました✨本当にA寝台シングルデラックスに乗りたいです🫰今年の冬に特急やくもに乗れたのでサンライズにも乗れる事を祈ってます🍀
そうですか、そうですか。
いやぁ~、BUCK-TICKって、懐かしいなぁ。
「やくも」には、乗ってこられたのですね。
それでは、次こそは「サンライズ」ですね!
僕も、久しぶりに「サンライズ」に乗りたくなってきたなぁ…。
@@syaso 様
母の影響で10歳の時にファンになりました!
はい!ちょうど「国鉄色」と「ゆったりやくも」車両に乗れて幸せでした✨
サンライズ号のチケットをいわゆる「10時打ち」で取りたいです!🫰🫰できれば往復乗車で😂
39:07 チャイムに哀愁を感じるな
30年位前に宮崎→横浜乗車したときはチャイムにも元気があったような
マリオの亀様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうそう、寝台列車の車内放送には、このチャイム。
30年位前は、宮崎発着時代ですかね...。羨ましいです!
かつては西鹿児島、そして宮崎(南宮崎)、僕が乗車した時には大分と...。
段々と距離も短くなり、終いには「はやぶさ」と併結運転。
距離も編成も短くなりましたが、それでも今から思えば「夢のような」列車でした。
ものすごく貴重な動画ですね
長時間の撮影、編集撮影お疲れさまでした
貴重な動画を残してくださりとても感謝です
ふみつき様、おはようございます。コメントありがとうございます!
また、嬉しくなるようなお言葉を頂き、こちらこそ感謝です。
流石に編集は、少々疲れましたが、動画そのものは回しっぱなしの動画です。
そんな動画でも、沢山の方に見て頂き、労いの言葉まで頂けて、恐縮でございます。
疾走感がとてもいいです。車輪のフラット音も心地いい
フクイユウジ様、こんばんは。コメントありがとうございます!
以前、はやぶさ、銀河、北陸にもコメントを頂き、ありがとうございました。
フラット音は、好みの別れる所でしょうが、私も個人的には好きです。
意外と心地よく眠気を誘います。
@syasoさま、フラット音も最初は、寝れないと思いながらも眠気を誘うので不思議ですね。
レールのジョイント音も眠気を誘うというのと同じだと思います。
こういう客車の走行音も、今となっては懐かしいものです。
そうそう、少し話は逸れますが、ディーゼルのけたたましいエンジン音の走行音も、不思議としばらくすると慣れてきて、あんなに喧しいのに、眠気を誘うから、これまた不思議です。
現在56歳のおっさんです。
昭和60年代から地方の旅館に勤めていました。
毎月JTBの時刻表が納品されて資料として使っていました。
いつも見る東京発の寝台列車の時刻時空間に思いを寄せて見ていました。
B-roba様、こんばんは。コメントありがとうございます!
私が今年で53ですから、少し先輩ですね。ご覧頂きありがとうございます!
そうなのですね。旅館にお勤めされていたのですね。
やはり旅館には時刻表が必須だったのですね。
私は、子供の頃から読書と言えば時刻表で、沢山の夢を膨らまして大人になりました。
でも、お金も時間も自由に使えるようになった頃には、寝台列車は、ほとんど日本から消えていました…😢
東海道線沿線民だったので、廃止直前、ほんとに物心ついたくらいの幼少期に最寄りの停車駅まで見に連れていってもらった記憶に残っている。一度乗りたかったなぁ。寝台特急に憧れ、生きてりゃ1回くらい乗るかと思っていたが、未だに一度も寝台列車に乗った経験がなく、どんどん廃止されブルトレは全滅、乗るにしても競争率高いサンライズ一択に。富士はやぶさが人生最初で最後に見物したブルトレになるとは思わなかった…
sk様、おはようございます。コメントありがとうございます!
以前、「はくたか」にもコメントを頂き、ありがとうございました。
そうですか、そうですか。
それでも、ブルトレが現役で走る姿を見る事ができたこと自体、すでに、もう貴重な出来事になりつつありますね。
「サンライズ」は競争率も高く、繁忙期のチケットは取りにくくなっているようですが、「瀬戸」は比較的取りやすいと思うので、廃止になってしまう前に、是非、サンライズに乗って頂きたいと思います。
恐らく、車両の老朽化を理由に、いずれは廃止になると思うので…。
子供の頃、両親の実家のある宮崎に毎年行くのが夏休み最大のイベント。前日の夕方に東京駅で『富士』に乗車して、翌日の午後宮崎駅着。途中関門トンネルを通過する時ワクワクしていた。
濱田様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。
そうですか、そうですか。子供の頃、毎夏「富士」に乗ることができたなんて、羨ましい限りです。
まだ、宮崎や西鹿児島まで運行していた頃でしょうか?
その頃の「富士」は、ブルートレインの頂点を極めていた列車でしたからね。
僕の同級生の両親が鹿児島出身で、毎年「富士」や「はやぶさ」で帰省するのを見て、「なんでうちの親は九州出身じゃないんだ!」と思ったものです。
そのくせ、上野駅に行くと、「何でうちの親は青森出身じゃないんだ!」と思う次第。
しょうがないから、「自分がお金持ちになって、大人になったら、寝台列車に乗りまくってやる!」と思って、大人になったら、その時には、ほとんどの寝台列車は廃止になっていました。
@@syaso当時は関門トンネル通過の際に、車掌さんが車内放送で、その経緯や所要通過時間等の詳細な説明があったので、自然と盛り上がりました。
そうなんですね。そんなサービス放送があったのですね。
かつては「北斗星」も、青函トンネルに入る際に青函トンネルの説明があったとか。
そういう放送ってテンション上がりますよね。
野暮な質問になってしまうかもしれないのですが、これ個室を予約されて、ビデオカメラを固定されて回し続けられているのですよね。予備バッテリーのことや不測の事態での延着、運転打ち切りなどのリスクもある中で、熱意の多さに脱帽です。
sagradafamilia705様、こんにちは。コメントありがとうございます!
以前、「江差線」でもコメントを頂きました。その節はありがとうございました。
お察し頂けて恐縮です。
当時使用していたVX2100というソニーのビデオカメラは、今のハンディカムなんかに比べるとかなりの大型で、固定するのも苦心しました。
一方で、バッテリーは、割と持ちが良く、2個あれば十分でした。
特に個室の場合、コンセントがあるので、使用済みのバッテリーを、すぐに充電器で充電すれば、何度も繰り返し使用できたので、個室はその点で重宝しました。
それと、おっしゃるように、不測の事態。
これで一番やっかいだったのが、遅れると、テープの長さが持たないという事でした。
なので、列車が遅れないかどうか…いつも不安でした。
加えて、ちょっとでも遅延すると、途中のテープ交換の時間が短くなるので、間に合わない…なんてこともありました。
調子に乗って、色々と長々と話してしまいました。
スミマセン。
私がよく乗っていたころは、「オハネ25 1000」でした。カセットテープのオーディオ装置では、イマイチヒットしなかった曲がよく選ばれていましたが、富士やはやぶさに乗りながら、一晩中起きていて、音楽を聴けることが楽しかった時代(そういう体力もあった年代)でした。そんなころを思い出しました。
鉄道模型工房オロネ様、こんにちは。いつもコメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。オーディオ装置ですか。
なかなかあの機械を一晩中、フルに活用されていたという方のお話を聞いたことはないので、なかなかの猛者ですね。
どんな曲が入っていたのかも気になるところではありますね。
@@syaso様 お返事ありがとうございます。何はともあれ、全区間の映像を撮影されていることに敬服いたします。車窓様の映像を拝見しながら、あの機械で選曲されていた音楽を流して聞くこともあります。ちなみに、1991年~1995年あたりまでの曲は、結構把握しています。 ただ、メロディは覚えていても、曲名がどうしてもわからないものが、和洋ともありますね。ちなみに、選曲は、なぜか北斗星のJR北海道編成と全く同じものでした。はやぶさ、富士、なは、北斗星のオーディオで音楽を録音していたり、セットリストを把握していたりする方がおられることを期待したいです。
(*⌒▽⌒*)ノ 保有しました!
時間をかけて視聴します。
小学生時代の記憶がまさか再現出来る時代が来たなんて。
長時間の撮影に感謝します。
HY MK様、おはようございます。コメントありがとうございます!
17時間越えの長編になりますので、ちょこちょこ分割して時間をかけて見て頂けたら嬉しいです!
よろしくお願いいたします!
13:15:55 九州ブルトレの朝と言えばこれです。
吉野川様、こんにちは。コメントありがとうございます!
いいですよね!このあたりの朝の車窓が九州ブルトレの醍醐味ですよね!
こんにちは。私は幸いもブルートレイに乗れた世代ですが、今の列車好きな子供世代から二十代位の方は、この様な動画を見てなんと思うのか。夏場、早川辺りからの相模湾の夕景を見て旅情にひたり、朝の山陽路の景色、意外に長い寝台ベッドがはね上がってからの車窓など、正に追憶の動画です。小まめに動画に駅間の表示があるのも良いです
中村貴志様、おはようございます。コメントありがとうございます!
先日は、「あいづライナー」にもコメントを頂き、ありがとうございました。
今の子供世代から20代位までの方は、まさにブルートレインを実際に見たり、乗ったりできなかった世代で、夢のような乗り物なのかもしれませんね。
ちょっと違うかもしれませんが、昔の客車の「富士」などに展望車が連結していたり、151系にパーラーカーがあったり、そういったものを本でしか見た事がなかった子供の頃の私は、「あ~、昔は、こんな凄いのが走ってたんだ~」って感じたものに近いのかもしれませんね。
素晴らしい映像をありがとうございます!
みなさんのコメントが熱いですね!
読んでいて涙が出てきます。
今でも愛されているブルートレイン。
庶民が普通に利用できる寝台列車。
日本はまた貴重な文化を失ったんですね…。
けはえ様、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですね、そうですね。
ありがたいことに、私のチャンネルでコメントを下さる方は、心の優しい方が多く、胸を打つコメントを下さる方も多いので、有難いです。
「庶民が普通に利用できる寝台列車…」
まさに、日本の鉄道の貴重な文化だったように思います。
昨今の行き過ぎた合理主義は、鉄道旅行の旅情もさることながら、心の余裕すら失わせてしまっているように思います。
チャンネルサムネの車内販売東海道で消えるそうですね。新幹線食堂車には夢がありました、あの号車だけ照明が違ってて、外から眺めtるだけですが。
Katsumi Takahashi様、続けて本日もコメントを頂きありがとうございます。
車内販売が無くなってしまうのは、今の世相を考えれば当然なのでしょうが、旅情という点だけでもって話をすれば、またひとつ鉄道文化が消えてしまう寂しさがそこにはあります。
20年くらい前、九州旅行行く時に、新幹線や飛行機使わずにあえてブルートレイン使ったのが懐かしい。奮発して個室を利用したが、周りに気兼ねせずに長い時間くつろげる…料金はかかるがその分、新幹線や飛行機では味わえない贅沢な気分を満喫できた。もうこうした気分が味わえないなんて、なんか味気ない時代だな…なんて思ってしまう。
ヒストレイン、おはようございます。
そうなんですよね...。かつては、移動時間も楽しめるというか、むしろ移動時間の方がテンションがあがるといった旅行がありました。
しかし昨今は、寝台列車がなくなったことで、そういった楽しみも減ったように思います。
かつては食堂車を連結していて、食事を楽しんだり、機関車の交換などで長時間停車する駅で駅弁を買ったり、そういった楽しみ方もあったのですが、今は乗車前にコンビニで弁当を買って、車内ではスマホを弄って、あっと言う間に現地について…みたいな、味気ないものになったように思います。
夜景が綺麗だ
ごちうさ香風智乃様、おはようございます。コメントありがとうございます!
当時はテープで撮影していた時代で、画質が悪くてすみません…。
それでも寝台列車から見る夜景は、同じ夜景でも通勤電車から見るのとは味わいや雰囲気が違って見えるから不思議です。
この頃の大分駅ってまだ高架してなかったんですね😮、めちゃ新鮮
鋼の豆腐メンタル様、おはようございます。コメントありがとうございます!
あぁ~、やはり、そこ来ましたか。
この動画では、大分駅の地上時代を懐かしんでくれる人が多くて、僕も嬉しいです!
1番ホームのうどん屋さんや、ミカンベンチがいいんですよね。
大分駅に限った話ではありませんが、寝台列車で、終着駅に到着する時、近代的な高架ホームで最後を迎えるよりも、どっしりとした昔ながらの無駄に広くて長いホームに到着する方が、「あぁ~、終着駅に到着した~…」という感じがして好きでした。
最近は、どこの駅も高架化して、近代的な無機質な駅ばかりになってしまいました。
This train journey makes me sleep well
親が2009年に富士引退前に当時チケット取ってきて乗せてくれたわ〜
↑(富士のおかげで鉄道が好きになっていつかは将来の夢は電車の運転士になるって卒業アルバムに書いた思い出があります)
当時小3、あれから15年有言実行しており電車の運転士として乗務しております
当時夜中に富士乗車中でたまたま起きたら上り下りの富士はやぶさとすれ違い見れて運転士なるきっかけでした〜!
白い霊夢様、連投ありがとうございます!
そうですか、そうですか。それは素晴らしいです。
私は子供の頃、「車掌」さんに憧れました。
将来は、国鉄に入りたいと願っていたのですが、家庭の事情もあり、夢は叶いませんでした。
好きな事を職業にできて、夢を実現できる人って、ほんの一握りだと思います。
これからも頑張って下さいね。
カーテンを強制的に閉められるバスでは味わえんこの車窓
これが寝台特急の最大の魅力や
ユーロビーター様、こんにちは。コメントありがとうございます。
確かに、確かに。寝台列車はカーテン閉めるのも、開けるのも自由ですからね。特に個室は。
夜行バスで、何がしんどいって、完全に横になれないのもそうなんですが、暇つぶしに通路に出たり、思いっきり「伸び」ができなかったり…それと飲食するのがちょっと…。
まぁ、それでも「夜行バス」は「寝台特急」に比べたら相当安いですし、多様なルートがあるので結構便利で、私もちょこちょこ利用しております。
主さん!兄貴が来ましたよ(笑)
さて、今回は昨日のコメントと合わせて突っ込みどころが満載なのですが、とりあえず新たな動画をupして頂いた事に感謝します。
東京駅にEF65牽引で入線してきますが、私が知ってる時代は連結面には「出雲」のヘッドマーク付いてた記憶が。
それと、私が乗車した時代のA個室は車窓が右側だった気がしますが、それぞれ記憶違いなのかな?
日付見ると約一週間で「はやぶさ」に乗車してますし、主さんの体力と経済力には改めて関心させられます。
コロタン文庫の本、私も持ってましたよ。ケイブンシャとか、学研系とか、文庫サイズの写真集とか、鉄道に関する雑誌はかなりの数を。鉄道ジャーナルは昭和52年から数年前迄でしたし。
20系の個室はレール方向でしたよね。多分、主さんもそれを表現されたかったのかな。
私が幼少期に富士号に乗車したのは西鹿児島行きでした。日豊本線はリニア実験線が現役でしたし、宮崎からはDF50が牽引でしたが、これが特急と思えないくらいに遅かった覚えが(笑)
出雲は意外と速いので余計にそう感じたかな。ちなみにDD54牽引時代のにも乗った事がありますよ。
末期の富士は未乗車です。はやぶさと みずほ はありますが、今から思うと残念ですけど綺麗に録れてるこの動画にて堪能しようと思います。
主さんは引きこもり(笑)でしたか。
私は今回の連休は久しぶりに近い能登半島へ行ってました。国道156号往復で 800キロ。近い近い。
帰った翌日が地震で 驚きましたが。
崩れる前の軍艦島は しっかりスマホカメラに収めてあります。
「おぉ!兄貴!久々じゃないっすか!」と、馴れ馴れしい挨拶をしたらどやされそうですが...。
さて、今は会社の昼休みに返信しているので、ちょっと不明なのですが、「富士」も、時代と共に編成や形式が変貌しているので、個室の向きも逆だったのかもしれませんね。
そうそう、やっぱり兄貴にはバレたかぁ...。その辺のチェックきついよなぁ。
そうなのです。「はやぶさ」と「富士」は、ほぼ同じタイミングで乗車しています。
この頃は、自営業で、しかも最も仕事が暇な時(事実上の開店休業)でしたので、「乗れるものは今のうちに乗っとけ!」ってなわけで、乗りまくっていた時代です。
正直、だいぶ金もなくなりました...。
それでも、何れブルートレインは全廃される事がわかっていたので、「今が最後のチャンスかもしれない」と思い、お金は惜しみませんでした。
当然、後に金も底を着き、自営業(中古車屋)は廃業し、今の買取店で雇われる身となるわけです...。
ケイブンシャの「特急・急行大百科」とコロタンの「ブルートレイン全百科」は、私の子供の頃の愛読書でした。
何度も何度も読んで、初代の本はだいぶページが取れてしまいました。
あまりに傷んでしまったので、大人になってからヤフオクで買い直しました。
今でも時々目を通してますよ。
兄貴はGWは能登に行ったのですか!
いやぁ~、私も今月中にサンダーバードで和倉温泉へ行こうかなぁ...と企んでいたとこです。
せっかく和倉に行くのに、温泉には宿泊せず、金沢に戻って金沢に滞在しながらごそごそ撮影するつもりです。
よって観光はゼロです。
北陸新幹線の敦賀延伸で在来線特急も激変しそうですから、最後に大阪→和倉を撮影したいと思っています。
そうそう、軍艦島っていうから、てっきり「長崎では?」って思って知らべたら、能登にもあったのですね…。
しかも、今回の地震で少し崩れたとか…。
本来なら、引き潮の時には島の近くまで歩いていけるそうですね。
今回の地震で、近くに行くことができなくなったそうで…残念です。
しかし往復800kmが近い?無理無理!!
僕なんか、神戸まで車で行くのも嫌ですよ。
兄貴の方がよっぽどタフガイですよ(笑)
反対側の機関車が付いた状態で入線してきていたんですね!
中田武彦様、おはようございます。ご覧頂き、コメントを下さり、ありがとうございます。
京都駅の「なは・あかつき」なども、同様なパターンでしたね😊
懐かしい〜この時の大分駅🤩
水戸様、おはようございます。コメントありがとうございます!
この動画では、大分駅の旧ホームを懐かしんでくれる方が多くて、なんか嬉しいです。
この頃の大分駅は、国鉄時代の名残を色濃く残す駅舎とホームで、個人的には好きでした。
昨今は、どこの駅も近代的な高架ホームになって、綺麗で利便性は高まりましたが、似たり寄ったりで、個々の駅の味わいみたいなのがなくなってしまったように思います。
寝台列車(特にブルートレイン)未だに乗れてないからいつか乗ってみたいなァ…
サンライズは引退する前に…
souko🇺🇦様、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。それは是非とも乗っておきたいですね。
「サンライズ」も、なんだかんだで結構な年齢です。廃止も噂されてますからね...。
いざ、廃止と決まれば、チケットは転売屋も含めて争奪戦で、とてもじゃないけど切符も取れないでしょうから、今のうちに乗っておきたいですね。
@@syaso 様、返信ありがとうございますm(_ _)m
そうですね。後々大阪に行きたいとは思ってるので、その帰りに乗れればいいかなぁと思ってます(値段が17000と思った以上に高かったですが…)
そう、高いんですよね。
僕もたまにサンライズに乗るのですが、窓口の人に料金言われるとき、「あぁ~ですよね…」ってなります。
20型時代からよく利用 祖父や両親に食堂車ヘ連れて行ってもらうのが楽しみやったな あぁ懐かしい😂
安部様、こんにちは、コメントありがとうございます。
20系時代ですか。「走るホテル」はたまた「動くホテル」なんて言われた元祖ブルートレインですね。
富士の20系時代を僕は知らなかったのですが、調べてみたら、どうやら1975年の3月改正までは20系だったようですね。
という事は、私は4才ですから、記憶にないわけです。
余談ですが、私が初めて乗った寝台列車は寝台急行「天の川」で、これは当時オール20系固定編成でした。
特急での役目を終え、急行に使用され始めていた20系でしたが、個人的には重厚感があって、24系よりも20系の方がが好きでしたね。
大分が高架化してない珍しい映像ですね!一度でいいから乗ってみたかったな…(廃止された年に生まれた人なので)
もっちーのゆっくり鉄道ch様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。富士の廃止の年生まれですか。
という事は、今は中学生ですかね。若い鉄道ファンの方に見てもらえて嬉しいです。
そうですね、今は寝台列車は「サンライズ」だけになってしまいました。
「富士」や「はやぶさ」のような長距離を走る客車寝台は、今となっては夢のような列車ですね。
私は宮崎在住ですが、彗星号しか乗車したことがないです。一度でいいから富士号に乗りたかった。ちなみに彗星号は広島県福山駅から宮崎県高鍋駅まででした。
松田様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。私なんか、逆に「彗星」とか「明星」とか、乗ったことがなかったので、憧れでしたよ。
そうですか、福山から高鍋まで。
そういえば、「彗星」っていつ廃止になったのかなぁ…て思って調べたら、2005年10月1日だったのですね。
僕がカメラを持って撮影するようになったのが2006年12月だったので、もう少し早く撮影していたら、彗星にも乗ることができたのに…と思うと、残念でなりません。
45年前小学校6年の時に親父と東京〜西鹿児島(現鹿児島中央)まで乗った。今も覚えてる、東京〜下関はEF65―511、4号車オハネ25―125に乗った。確か、この時、食堂車も終点西鹿児島まで連結してたと思う。富士、復活してくれないかな?
そうですか、そうですか。これは実に羨ましいですね。
始発から終点まで、当時の「富士」で乗りとおすことができた人は、そんなに多くないと思います。
なんせ24時間以上ですからね。
私も西鹿児島時代に、全区間乗って見たかったです😢
@@syaso いやあ、こちらこそあの頃を思い出させてくれて感謝❗
通過駅名まで入れていただき感謝してます。おかげで寝過ごし降りそびれがなくなりました(笑)よくよく見ると、新山口ー宇部くらいの間、とんでもなく遠回り線形で、新幹線沿いに来れば1/3くらいの距離で済むのにと。とくに難所らしきものもなくどうしてだろうと、地図をながめてます。宇部線まわりの超遠回り乗車してもいいらしいと、中学生の時、誰かが言ってました。「噓だろう、本当だったとしても、だれがする?」 そりゃそうだね。
aotaakamichi様、おはようございます。続けてコメントを頂きありがとうございます。
わざわざ遠回りをする列車と言えば、呉線経由の「安芸」という列車を思い出しますね。
個人的には、すごく好きな列車でした。
山陽本線をそのまま直進すれば速いのですが、呉線のお客さんの為に呉線を経由するという超絶マニアックな寝台特急だったのですが、需要がイマイチだったのでしょうか。わずか3年の短命で終わってしまった列車です。
でも、そういう短命で終わった列車って、逆に心に残るものです。
🌃寝台特急「富士」東京 → 横浜 → 熱海 → 沼津 → 静岡 → 浜松 → 名古屋 → 京都 → 大阪 → 姫路(運転停車) →広島 → 下関 → 門司 → 小倉 → 別府 → 大分 🌰
小倉弘様、おはようございます。とうとう10連投目!! ありがとうございます!
寝台特急「富士」の停車駅のご案内、ありがとうございます!
88年に北斗星しか乗った事がないのですがブルトレ世代には貴重な映像です
片羽の妖精様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか。
88年の「北斗星」は誕生当時ですよね?一番「北斗星」が華やかだった時代。僕にとっては大いなる憧れでしたよ。
それまでは食堂車付き長距離寝台と言えば九州方面だったのが、「北斗星」が登場し、上野から北海道まで直通ですからね。
姉が大学の卒業旅行で「北斗星で北海道に行く!」と聞いて、めちゃめちゃ羨ましかったのを今でも覚えています。
僕は、その後、だいぶ時を経て「北斗星」に乗ることができましたが、今思えば本当に素敵な列車でした。
車窓様 こんばんわ
北斗星が出たばかりの時に たまたま母親が旅行に行くけどどこに行きたいと聞かれて北斗星に乗りたいと答えてしまいましたw 当時はチケット取るのも大変だったみたいで食堂車でフランス料理食べましたが大人だったらロビーカーでビール飲みたかったです 雪まつり終わった直後に行ってー20度だったので顔が痛かったです 札幌でテレビに出る前のすみれラーメン食べて小樽でネタが飛び出てる寿司を食べました
あと乗ったことがあるのはサロンエクスプレスくらいです 瀬戸のヘッドマークも好きで父親によく連れてってもらい見に行ってました
お返事ありがとうございます!
そうですか、そうですか。「北斗星」も晩年は、割と簡単にチケットを取ることができましたが、デビュー当時は、それこそなかなかチケットは取れなかったと思いますよ。お母様に感謝ですね!
特に食堂車は予約制だったのではないでしょうか?寝台券はゲットできても、食堂車の予約が取れない!なんてこともあったと思うので、食堂車での食事というのも貴重なものです。今やその「食堂車」すら、ほぼ死語ですからね。
-20度かぁ…。僕もちょちょこ北海道へは行くのですが、-20度体験はないなぁ…。
去年の12月に北見に行ったのですが、その時も激寒で、顔が痛かったですが、-20度ともなれば、激痛でしょね。でも、それを通り越せば神経がマヒして、痛みすら感じないかもしれませんね。
サロンエクスプレス、懐かしいですね!僕は乗る事ができなかったのですが、体験会?みたいなのに親に連れて行ってもらいました。記念入場券とか、パンフレットとかをもらって帰ってきました。
当時、「カッコいなぁ…乗りたいなぁ…」って思ったものです(笑)
食堂車は当時 予約でたしか一人1~2万はしたかと? サロンエクスプレスは団体の観光列車で東京から神奈川を走ってました
今はもう思い出の車両はNゲージで眺めるくらいです
元々は「富士&はやぶさ」とも西鹿児島(現,鹿児島中央)駅が、始発&終着駅でした。
Kマサヒロ様、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうそう!元々は「富士」も「はやぶさ」も西鹿児島発着でした。
あの頃のブルートレインは輝いていて、トワイライトや北斗星のない時代、憧れの頂点に君臨した双璧でした。
@@syaso さんへ
延岡⇔佐伯の「宗太郎越え」は辛かった。w
「宗太郎越え」、確かに、確かに。
先日、「にちりんシーガイア」で、宗太郎越えしたのですが、ず~と寝てました...。
3:04:43 おやすみ放送
12:11:04 おはよう放送
タイムスタンプありがとうございます!
いつも旅情を感じさせてもらってます🥲🥲
マンジュシュリー様、おはようございます。コメントありがとうございます!
いやぁ~、そうおっしゃって頂けると嬉しいです!
ありがとうございます😊
[忙しい人向け]
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マルハチチャンネル様、こんにちは。本日も「忙しい人向け」のタイムスタンプありがとうございます!
親父が富士の車掌をしてました。
大変な勤務だと思います。
水戸のご隠居様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうなんですね。確かに大変なお仕事だったと思います。
私は、子供の頃、寝台列車の車掌さんになるのが夢でした。
結局、私のその夢は叶いませんでしたが、車掌という仕事は今も私の憧れの仕事です。
夜行列車ですから、本当に大変だったと思うのですが、同時に、子供たちの憧れ(大人の私も含めて)の仕事で、とても素敵なお仕事だと思います。
色々と車掌の仕事について直接話が聞けるのがちょっと羨ましいですが、苦労話も多かったかも知れませんね。
お父様、本当にお疲れさまでした。長らくの勤務、有難うございました。
おぉ、ありがとうございます。
17:25:15 大分駅一番ホームで駅弁屋梅の家がやっていたうどん屋がちゃんと写っている。
12時間以上なのできちんと飛ばないorz。
masssyy様、こんにちは。コメントを頂きありがとうございます。
大分駅も高架ホームになって、だいぶ雰囲気が変わりましたね。
大きなターミナル駅が、次々と高架駅になって、味わいのあった地上駅の面影がどんどん失われていくような気がします。
ブルートレインは北斗星引退の時に自分がまだ5歳くらいだったから乗れなかったなぁ...
ラプア様、こんにちは。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか…。
晩年のブルートレインは、あれよ、あれよと言う間に次々と廃止になって、気づいたら全部無くなってしまいました…😢
当方が初めて乗車したブルートレインが昭和53年1月3日東京18時発の「富士」でした。
「富士」廃止直前の「くたびれた車体」とは異なり、当時客車は「ステンレスの帯も光るピカピカの車体」(オロネ25 9、当時中学1年生の当方には「贅沢」)、けん引機のEF65 1110も前年にEF65 500代から置き換え後の綺麗な車体にけん引されて東京駅を発車。
当時の記憶(印象)ですが、信号機トラブルで当日東京発車40分遅れたものの、遅れを回復、西鹿児島には定時到着。「実乗車時間がダイヤ上の24時間26(24?)分にはならなかった(24時間を切った)こと」、「食堂車で夕食は『牛焼肉定食』、朝食は『和定食』を食べたこと」、「岡山辺りまでは眠れなかったこと」、「西に行くにしたがって、運転が荒くなること(発車、停止時の衝撃が大きい)」、「厚狭駅構内に留置されていたナシ20」、「下関(EF81 304)、門司(ED76 85)、宮崎(DF50 561)での機関車交換」、「昼を過ぎたガラガラの車内は『何となく重たい空気』(B寝台)と感じたこと」、「宮崎のリニア試験線」、「宮崎からけん引のDF50」くらいしか記憶になく、今回の動画を拝見し「もっと、風景をじっくり見ておけばよかった」と後悔しています。
「はやぶさ」でも西鹿児島まで乗車したことが数回有りますが、一夜を明かした夜行列車、昼過ぎまで乗車することは「若干苦痛かな…」(個人的見解)と感じました(「トワイライトエクスプレス」であれば「違う」かもしれませんが…)。
A個室備え付けの「ヘッドマーク付きタオル」は手元に今でも残っています。
長文で申し訳有りません。
H Kobayashi様、おはようございます。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。中学1年生の時に「オロネ25」ですか。
これはかなり羨ましいですね。
昭和53年と言えば、ブルトレブーム全盛期の頃です。
僕は、ブルトレに乗る機会がまったくなかったので、東京や上野に、その姿を見に行くこと位しかできませんでした。
しかし、中学1年生の時の記憶で、そこまで覚えていらっしゃるという事は、むしろ凄い事です。
余程、印象に残ったのでしょうね。
「西に行くにしたがって、運転が荒くなる…」、「昼を過ぎたガラガラの車内は『何となく重たい空気』(B寝台)」というのは、晩年の「富士」や「はやぶさ」でも、なんとなく、そんな雰囲気はありました。
ひとつの時代を築いたブルートレイン。
長い鉄道の歴史の中で輝いていたのは、ほんの僅かな時間だったかもしれません。
その時代を過ごすことができたことは、本当に良かったと思います。
今の時代の子供たちは、ブルートレインに乗る事も、見る事もできないのですから。
回答有難うございます。
2000年頃までは毎年九州へ旅行していましたが、帰りはブルートレイン(ソロ)を利用していました(はやぶさ、富士、あかつき、なは)。その度に「九州ブルトレの凋落ぶり」を目にしました。東京発着の列車に於いては「食堂車の営業中止(売店化、車内販売のみ)」になった段階で「帰りも飛行機」と考えましたが、上りに於いては静岡で積み込まれる「出来たての幕の内弁当」を朝食で食べるのが「楽しみの1つ」でした(当時、車内販売の方が前夜に予約を取っていました)。しかし、「車内販売も打ち切られた段階」(下りは朝方のみ営業は有った?)で九州ブルトレの利用をやめ、旅行先も北海道へ変えました。
東京発着の九州ブルトレは「佐世保さくら」、「長崎みずほ」を除き、全て乗車しました。後日、機会が有れば「はやぶさ」の動画のコメント欄に記させて頂ければと思います。
「九州ブルトレの思い出」は当方にとっては「記せばキリが有りません」。
そうですか、そうですか。
九州ブルトレは、ブルートレインの全盛期には、物凄い数の列車が走っていましたよね。
中でも、「富士」「はやぶさ」は、その頂点に君臨する2大巨頭と言って良かったと思います。
「富士」なんか、24時間超でしたからね。
(H Kobayashi様は、遅延からの回復で24時間切ってしまったみたいですが…)
鉄道旅行の醍醐味のひとつが、食堂車だったと思います。
僕は、残念ながら、九州ブルトレの食堂車を利用することはできなかったので、羨ましい限りです。
食堂車、車内販売、駅弁、客車独特の走行音、到着時や発車時の揺れ…
そういった、鉄道旅行の旅情は、すっかり失われてしまいました。
富士や はやぶさ…良いですね!
目的地でなくてももう乗ること自体が目的ですよね。走っていれば…
リニアなんかには旅情もクソも無いでしょう。
私は幼少期に東海道線沿線近くで過ごしていたのでとても懐かしい。
線路脇には汚物が落ちていたり…。
いや〜素晴らしい動画、本当にありがとうございますm(_ _)m
Ryu s様、こんにちは。先日は「トワイライト」に引き続きコメント頂きありがとうございます。
そう、そう。今、走っていれば、乗る事自体が目的だったでしょうね。
寝台列車もサンライズを除いて全廃し、長距離の在来線特急も激減し、旅情を感じる鉄道の旅は失われつつあります。
一方で、驚愕の値段で豪勢な旅を演出するクルーズトレインが活況を呈しているようです。
現代は「旅情」ですら、金を払わないと味わえない時代に突入したのかもしれませんね。
あくまで移動手段なのがいいですね。
ビジネスマン、カップル、子供連れのファミリー、老夫婦、鉄道オタクの青年等々色んな人間模様があって好きです。
クルーズトレインに旅情はあまり感じないです。
タイタニックが豪華クルーズ船だったらドラマもあったもんじゃないですから。
あと、学生でもバイト頑張ればロイヤルやシングルデラックスに乗れたのが良かったですね。
寝台特急富士 日豊本線経由
東京→西鹿児島
24時間26分
ブルートレインブームの時が懐かしいですね。
東京→大分になった時には寂しかったですね。
富士はやぶさの最後の運転日に見送りに行きましたが、
車輛はボロボロでした。
digitalzanmai様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうそう、僕らブルトレ世代にとって「富士」は東京~西鹿児島の24時間超えのイメージが強いですよね。
コロタン文庫の「ブルートレイン全百科」を読んで、夢ばかり膨らましていました。
そして、いざ、乗れるような大人になり、時間とお金に余裕ができた時には廃止目前で、車両もボロボロ、距離も短くなり、「はやぶさ」と併結。
子供の頃に憧れた「富士」の姿とは遠くかけ離れたものになっていましたが、それでも、あの子供の頃に憧れた「富士」の個室に乗ることができただけでも私は幸せ者かもしれません。
富士!待ってました。
스루키さん、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!
お待たせいたしました!
やっぱりブルートレインの代表選手と言えば「富士」「はやぶさ」ですからね。
見てもらえたら嬉しいです!
小学生の頃に夢見て「大人になったらね」と言われ続けた列車 大人になった今...
S M様、おはようございます。コメントありがとうございます!
そうですか、そうですか…。
私も「大人になったらね」と親に言われて育った一人でした。
でも、私は、大人になって、自分の時間とお金が自由にできるようになった時、辛うじてブルートレインが残っていたので、何とか乗る事ができました。
乗る事が叶わなかった方に比べたら本当に幸せ者だと思います。
@@syaso syaso様 現役当時乗っておられたことは本当に羨ましい限りです。富士はやぶさは小学生の頃に無くなってしまい、それからあっという間に北斗星まで消えてしまいましたね。今も夜行列車ではサンライズ等ありますが、やはり私のあこがれはEF66が牽引する東海道のブルトレです。この動画で当時の空気を感じさせていただいています。
下手な字でも一生懸命書いた手紙と誰でも書けるメールでは頂いた時の嬉しさに違いがあるのと似てますね。
横浜ー佐伯間をよく使ってたなぁ。
何か買って乗らないと途中で買うチャンス無いからたいてい崎陽軒のシウマイ買って乗り込んでた。
蛮場晩様、こんにちは。コメントありがとうございます。
そうですか、そうですか。横浜だけに崎陽軒ですね。
確かに、下関までは長時間停車がないので、乗車前に買いこまないと飢えちゃいますよね。
特に晩年は、車内販売も食堂車もありませんでしたからね。
しかし、佐伯までとは、まだまだ富士が宮崎や鹿児島方面まで走っていた頃ですかね。
私は大分行しか乗ったことがないので、羨ましい限りでございます。
記録を見たら、2007年はまだ銀河が残っていたので、カマはしんがりについての牽引でしたね。
翌年から、富士はやぶさだけになり、17時過ぎに来て、東京駅で機関車の付け替えをしてましたね。
この頃、ど平日の富士は恐ろしいくらいにスカスカで、最後尾は客0人とかも当然でした。なくなるまえに3回ほど乗りましたが、ノーマルのB寝台が懐かしいです。
川勝様、こんにちは。いつもご視聴、コメントありがとうございます!
そうそう、途中から機関車付け替えをやるようになってましたね。
東京駅に撮影に行ったときに、「あれ?以前と違うパターンやなぁ…」って思った記憶があります。
こちらのコメントで、KK様もおっしゃていましたが、車両に2名しか乗ってない...なんて状態だったようですね。
今では新幹線もよい旅ですが、寝台もなかなか夜の雰囲気もでて、新幹線もよいですが、よるも大人っぽい旅です。新幹線では、あたみの帰り道大量のあたみ温泉まんじゅう10箱も周囲へのお知り合いのお土産に考えています。ほか現地名物など自分ばかり遊んで悪いので、お土産くらいは渡します。
綺菜子きなこ様、続けてコメントありがとうございます。
現在は、寝台列車は廃止されてしまっているので、新幹線でしか行く事はできないでしょうが、せっかくの旅行なので、楽しめると良いですね。
僕は、あちこち旅行に行くのですが、いつもお土産を買わないので、上司に「お土産くらい買ってこい!」と言われることがあります。
僕もたまには綺菜子きなこさんを見習って、お土産を会社のみんなに買ってかえらなくてはいけませんね。
私は子どもの頃からブルートレインに憧れていたけれど、鉄道好きもスポーティーなマイカーに熱中すれば、乗ることも忘れてしまい、とうとう「富士/はやぶさ」になった時の14系ばかり12両編成時代にしか乗ったことがありません。
私が乗ったのはA個室とBソロだけ。A寝台個室の四角い窓のスペースほどしか前後が無い意外な狭さは風景を見るには首をほぼ真横に向けるので具合良くなく、洗面台が邪魔で、こんなもの個室にあってもしょうがないと思ったけど、あれは、個室だからこそゆっくり化粧できる女性向きですね。
逆に、男一人ならB寝台ソロの方が広く快適に感じたものでした。
B寝台車両は平日だったせいか1両に一人いるかいないかで、ソロ個室よりも対面4人分のスペースが独占できるようなガラ空き状態なら、こっちにも乗っておくべきでした。こんなに空いていれば廃止されるはずだ..と実感しましたよ。
夜行列車あるあるで、老朽化して上下の揺れも激しかったけど、なにより外を眺めて眠れません
この動画はよく撮ってあり感心します。それに熊本行き動画にはなかった、タイムスタンプがあって、今どこを走っているか解るので、懐かしさと旅情を感じられ、またこれを環境映像としてパソコン作業の脇に流しておくのもいいなぁと思っています。
「必要性のあった時代」のブルートレインは、格安飛行機や新幹線や高速バスで廃れていったけれど、特別な高級トレインよりも「庶民が乗れる旅情あるゆっくりした時間を過ごす列車」が今では最高にさりげない贅沢ですね。
音楽チャンネル様、おはようございます。コメントありがとうございます!
わたしも音楽チャンネル様ともしかしたら似たような感じかもしれません。
私は3歳の頃から鉄道が好きで、近所の子や、同級生からは「電車キ〇ガイ」などと揶揄されることもありましたが、中学生から高校生になるにつれて、車が好きになり、中でもR30鉄仮面に憧れて、車好きになりました。
それでも「三つ子の魂百まで」とは言ったもので、社会人になり、35歳を超えた頃、やはり鉄道熱が戻ってきて、子供の頃に憧れた「ブルートレイン」に全部乗ろう!と決めて、撮影を始めたのです。
もちろん、車が好きになったとは言え、鉄道も好きでしたので、それまでも鉄道は乗っていたのですが、撮影をしようと決めたのは、この時でした。
しかし時はすでに遅し。
「あさかぜ」や「さくら」すら廃止になっていたので、撮影できたのはほんの少しの列車でした。
その時撮影した動画が、今、こうして、皆様にご覧いただいて、当時を思い出したり、家にいながら乗車体験をしていただけたら、何より幸いです。
「富士」にはタイムスタンプを入れているのですが、タイムスタンプの入っていない動画に関しては、今後、動画を再編集して、テロップの表示とタイムスタンプを導入したいと思っています。
それらの作業は、随分と先になるかもしれませんが、末永くお付き合いのほど、よろしくお願いします。
@@syaso さま、お返事ありがとうございます。書き捨てばかりで今頃見返して返信遅れてすみません。
わたしと同世代かもしれませんね。わたしは中古のダブルX~ST162セリカ~62年型ソアラ..というようにGT4が買えない、63年型ソアラではない、サーフも2400ディーゼルターボという中途半端😅、せいぜい弄ったのはFFセリカくらいでした。それでヒールトゥは当たり前にやってましたよw
30代は写真仕事で花と自然など風景ばかり撮りに出て、上高地から北アルプスへ通って尾根縦走するほど憑りつかれてました。たまにJRのちくまを利用したり、鳥取へ行く時にだいせんに乗ったくらいでした。
当然、撮影仕事は車移動なので、それ以前の 20代の国鉄時代に「信州ワイド周遊券」と「北陸ワイド周遊券」で周遊区間内の夜行車内での仮眠したり駅で寝たりという、今ではありえない気まま旅をしにフラ~と仕事を辞めた時などに出かけました。当時は12系ちくまはもちろん、中央西線の普通で客車をEF64が牽いたり、碓氷峠も国鉄色の183系あずさとEF63+62などがあたりまえで、北陸も旧客車や気動車の宝庫でした。583系が急行きたぐに国鉄色で、特急ならヘッドマークあるはずがまっしろ画面、絵柄は後で出来たのでしょう。JRになって419系は食パンどころか赤いので小豆パンでしたね。冬の吹雪の親知らずあたりを、あんなカベツラで風圧に逆行して走るパワーに感心しましたよ。w
また、高校生~学生時代に、今でいう「撮り鉄」友人と歩いてメガネ橋と熊野平信号所へ行き撮影もして、現地の鉄道マニア爺さんがトンネルを歩いて移動する😱のでついて行って横川付近まで行ってしまうという(爺さんは貨物ダイヤも知っていて友人が行くので私はビビリながらついて行く)悪い事もやったり、飯田線にはED62やら旧国電と86系が同時に存在したり、友人は「もうすぐ消えるから」と熱心に撮っていましたが、わたしは写真芸術やネイチャーフォトを目指していた青年時代で、国鉄が消えるとかブルートレインが消えるなんて思ってもおらず、しっかり記録しておけばよかったと後悔しています。
小学5年から、HOゲージ鉄道模型&撮り鉄でしたが、高価な鉄道模型なんかペーパーキット作りがせいぜいで子ども時代にお金が届かず、撮るにしても名古屋駅や自転車で行ける沿線沿いでしたが、今となってはつまらないカットでも貴重な写真ですね。皮肉なもので写真を仕事にすれば鉄道から離れ、いまごろ後悔するなんて....
昭和の終りころの国鉄を懐かしんで、こういう動画を別のチャンネルで「鉄道遺構」としてたくさん保存しています。 思い出ジジイみたいで長くなってごめんなさい😂