Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
確かに昔は動画でも言っていたように三田方面の方は宝塚で阪急に乗り換えていたように思いますね。昔は阪急宝塚駅は賑わっていましたが宝塚ファミリーランドが無くなってからは駅も街も寂しくなったものです。コロナ禍もありまだまだ色々影響がありそうですね
今更的な内容です。阪急はもうJRと速さの争いからは各線止めており利便性重視にしています。宝塚線も宝塚ー梅田を重要視せず能勢電との利便性、梅田ー川西能勢口の利便性を重要視しています。宝塚ー梅田は速さを求める人はJRを利用するでしょうし阪急がJRと争う気があるなら朝宝塚ー梅田の特急を走らせるでしょう。
阪急宝塚線沿線生まれ育ちです。阪急がどう?JRがどう?というよりも、宝塚の街自体が大きく変わってしまいましたね。ファミリーランドやブレーブスが無くなるなんて、私の子供の頃には考えられなかったことです。JR優勢は、福知山線が電化され沿線人口が増えたこともありますが、ファミリーランドが無くなった宝塚は、歌劇に無縁の私には、別の街になってしまった印象が強いです。
かつての阪急宝塚線沿線は、梅田まで30分足らずなのに、車も少なくて本当に閑静な良い街でしたね。今や山の上まで住宅地が出来て、まるで別の街になってしまった。
あの有名な大事故があっても取り返せなかった時点で相当苦しいでしょうね…。
あの事故で阪急も減速運行に移り、池田迄各駅に止まるのが急行。
宝塚〜大阪方面の輸送は国鉄時代の大半で単線非電化の区間があったJRの方が伸び代が大きく、最高速度が速くて駅数も少ない特性を活かして有利になったと思います。阪急はJRが宝塚〜大阪方面の輸送で優勢になると、JRではカバーしきれない豊中・能勢方面に重点を置いて差別化を図る流れという印象です。
宝塚線はあの事故による影響で若干抑えているでしょうが、国鉄時代は1時間に1本列車が来るだけだった路線が電化によって大きく変わりましたね。
宝塚までの電化だった当時構内はひっそりとしており、発車まで時間のあるイエローの103系が回送か? と思えるほど車内が無人で停まっていたものです。それより先行する福知山方面からのDD51にけん引された旧型客車の普通列車が機関車のポーッという汽笛とともに駅に滑り込んだものです。そして自動ドアではない旧型客車がドアを開けたままガッタンゴットンと大阪に向けて走って大都市近郊なのに汽車の旅になったものでした。
@@douga9996 さま。その旧型客車で通勤していた時期がありましたよ。阪急の倍くらい時間はかかりましたが。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 阪急には「おんぼろ汽車、びんぼう汽車の福知山線やーい」とバカにされ、それでも旧型客車たちは「そんなの気にせずけっとん、忘れてしまうよけっとん」と走っていたのでしょう。
@@douga9996 さま。なんか勝負にすらなってなかったような(笑)
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN ですのでDD51は「ガリガリ、ゴーゴー」といつも怒っていました(笑)先輩のC11などは「ぷっすんぷっすん・・しゃくだしゃくだしゃくだ・・・」と怒っていたようですが・・
宝塚駅利用者です。今でこそあの事故で減速ダイヤになりましたが、JRの丹波路快速の登場で宝塚~大阪間約20分。かなりインパクトがありましたよ。当時の阪急は34,5分くらいでしたから。このタイミングでJRに移りました。以降、あの事故で遅くなっても大阪はJR利用です。221系の120km/hは激揺れでしたが。
71歳の神戸市民です。1975年にJR(旧国鉄)尼崎駅近くの機械メーカーに入社しました。その頃は尼崎駅はど田舎の駅状態でした。木造駅舎で豪雨だと駅横の連絡通路が浸水する。臭い 汚ない、とても大阪市の直ぐ隣の街の感じで無かった。其れが阪神淡路震災後の1999年 平成11年に駅周辺が再開発リニューアルされて、JR駅と福知山線も便利でスマートに成った。今の尼崎の若い人達にあの昔の駅や周辺の商店街を見せたら…「何処の 田舎や?」と言うだろうな。JR尼崎駅北のアミング商業地域が開業したのは 平成11年(1999年)11月11日です。この時から「臭い 汚ない ど田舎」の尼崎駅周辺が 一等地に成って…JR が 阪急 を 抜いたのです。尼崎駅北の高層マンションやホテルや商業地域…私が若い頃は…本当に臭い~ きったない~だけど…安い モッチャリした町でしたよ。
路線の形状もあるでしょうね。福知山線が直線主体に見えるくらい阪急宝塚線はカーブ多いですから。古い市街を縫って走っているから改善できないし、阪急は辛いところかと。
小林一三が箕面有馬急行開業にあたり参拝客目当てで寺社の門前近くに駅を設けるべく不自然な線形になったのが時代が変わって高速化の足かせになったんでしょう。清荒神~売布神社~中山観音や曽根~服部天神~庄内は土地に余裕がなく高架化すら不可能な状態ですし。
あれだけ駅の数が多いとね。JRの1駅間に2つも駅があったら勝負にならないと思う。山側に住宅地が出来ても、新しい住民は阪急に愛着は無いだろうし。
駅間が短くて駅数が多いことは強みでもあり弱点でもあると思います
うちの地元は、阪急山本駅とJR中山寺駅の中間で植木の三大産地ということもあって緑豊かだったんですが、たしかにJRが改良するに連れて周辺の田畑が住居や商業施設に変わって、住民が増えていきましたね。山陰地方との連絡線でしかなかった福知山線のまわりはおのずから人家などまばらでしたが、それが幸いしたのか最近は急激に乗降客が増えました。
直接は関係ない話ですが、古くから住んでいるわれわれは、梅田は贅沢品をおめかしして買いに行くところ、歓楽街は池田もしくは伊丹(列車の本数がないに等しかったのと健脚な人が多かったのて徒歩で向かわれていた。帰りはハイヤー)という位置づけでしたね。宝塚方面に向かう人は殆どいませんでした。そちらは川面の人が多かったのではないでしょうか。小浜は昔からの宿場町でしたし。
阪急ユーザーやったけど、梅田方面ゆき乗ってても十三で1/3くらいの人が降りていってた。梅田以外の阪急沿線の中の流動も結構あるのやと思う。
ある程度住み分けができているてことか
梅田には今津線に乗って北口乗換やろなぁ。
乗り換えするくらいならJRでいいかってなっちゃう。
十三での乗り換えは時間帯によっては大学生の比率が高そうですね。京都線沿線から神戸線の関学、神大や宝塚線の阪大なんてかなりいそうですし。
@@schimitch3277 さん沿線に大学や研究施設も多いし、それに付随する就業場所もあるしで、沿線内の流動が他の私鉄沿線に比べて多い印象ですを
地元民です。阪急がJRに押されているという実感は正直ないですね。というのも宝塚市民で宝塚駅を最寄り駅とする人は意外に少なく、宝塚駅の利用の多くは三田方面〜今津線方面の乗り継ぎなんですよ。中山寺と中山観音にしても、中山寺駅の南側(伊丹市荒牧付近)が未開の地だったのが住宅開発が進み、一方で中山観音駅の北側(中山台エリア)は高齢化が進んで鉄道利用が減った、というのが主な理由で、阪急からJRにシフトしたとは言えないです。
阪急の高架化後、立派な阪急宝塚駅に対して、なんだかショボいJR宝塚駅舎だったのが、物凄い綺麗な駅舎に代わりましたね。阪急を意識したのでしょうが・・・。JR宝塚線の時刻表も、以前は中山寺駅や宝塚駅は特別仕様になっていて、他の駅の時刻表と扱いが違ったことが記憶にあります。(一説にはJR西の幹部が中山に住んでいたからだ、という話もありましたが)。ただ、やっぱり宝塚に似合う電車はマルーン色の電車な気がします。これは理屈ではなく感情の問題になりますが・・・。宝塚駅から花のみちを通って大劇場まで向かう時のワクワク感、これはやっぱりJR宝塚駅ではなく、阪急宝塚駅起点でないと、と言う気がします。
宝塚歌劇団+宝塚劇場+阪急は解る(宝塚歌劇団を観劇しに行った人にしか解らない)
宝塚ファミリーランドへいくために昔は何度も利用しましたが閉園されてからは宝塚線自体利用する機会がなくなりました、京都線沿線住民としては当時の宝塚線の電車はのろく感じた事を覚えています、動画を拝見して数十年ぶりに行ってみたくなりました。
もはや豊中と箕面が主役やからな安いから阪急使うけど豊中から各停って急行の意味
空港利用客の誘導とかその内各停は日中豊中折返しになるかもだけど、蛍池対京阪神の速達便は絶対に必要
家からは阪急の駅のほうが近いけど、電気代ケチってるのか夏場の冷房が弱く満員電車であの車内温度はないわ~、それに急行が蛍池と豊中に止まるようになってギュウギュウづめになるし、梅田駅から大阪駅まで歩くのが面倒やし、6か月定期が安く宝塚沿線は定期を大阪で区切って別の方面の2重定期にするとさらに安くなるので、結局JRに変更しました。
JRが阪急を乗降客数で逆転したと言っても、ただ単に三田方面の客が宝塚で阪急に乗り換えており、その数が増えたのが要因でしょ。三田方面って以外と大阪ではなく、阪神間の会社に勤めている人が多い。実際、電車に乗っていても宝塚で結構乗客が入れ替わるぞ
阪急に乗り換えるので阪急の利用者も増やすこととなり、逆転の要因にはなり得ないと思います。
地元では無敵の強さでJRを蹴散らしていた大手私鉄が後で優位をひっくり返されるのはあり得る話。名鉄もそうだった。複数の都市圏を持つ広範なネットワークの利便性や真っ直ぐな線形による高速運転などJRには私鉄が逆立ちしても勝てない国鉄譲りの潜在的な力がある。かつて私鉄が優勢だったのは長距離輸送優先で近郊輸送に熱心でなかった国鉄流経営の間隙を突いた作戦が成功しただけであり、条件を揃えてガチンコでやり合ったらインフラの差で勝負にならない。
阪急宝塚は神戸に行くとき、JR宝塚は大阪に行くときと使い分けている人が多いですね。また中山寺については快速停車開始の影響でしょう。川西能勢口からはJRの競合がないため、阪急がそこに注力するのは致し方ないですね。
中山寺駅は国鉄時代はあってもなくてもいいような、なんなら信号所でもいいような扱いの駅でした。趣味的に魅力が乏しく写真すらあまり残っていない。上下合わせて1・2時間に6〜8本のうち1本停まるか止まらないかという駅でした。駅舎は北向きにしかなく、貨物取扱があったときは沿線の農家への肥料の運搬や苗木の出荷などが主でした。ですから、逆に周りを開発する余地が十分にあったということです。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN中山寺駅は元々は伊丹の駐屯地への分岐のところについでに作られたのでしょうか。
@@nais5866 さま。中山寺駅は阪鶴鉄道時代に池田駅(現川西池田駅)から宝塚駅まで部分開業したとき設置されたと資料にありました。中山寺駅からは、川辺郡長尾村鴻池(現伊丹市北野)にあった旧大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠(現在は住宅地)と、川辺郡長尾村野里(現宝塚市野里)にあった野里兵器廠(現在の陸上自衛隊山本宿舎)に向けて専用線が敷設されていたことがありましたが、それは戦時中に作られたものなので、そのついでに中山寺駅が設置されたのではありません。これはむかし祖父や父親に直接確認したことがあります。乗降客が少なかったのは単に人家の少ない田畑の真ん中に駅があっただけなのです。余談ですが、阪鶴鉄道時代に川西池田駅と中山寺駅の間の山本地区に、花卉類の出荷のため臨時に花畑仮停車場が設置されたことがあることを、古老から聞いたことがあります。
前にもコメントしたような気がしますが、やはり中心駅シリーズもニコニコにアップして頂けると嬉しいです…。
まあ、何と言ってもJRのほうが路線の長さ及び施設規模の大きさで何かと阪急をはじめとする関西などの私鉄群より優位な立ち位置にあるわけなので、JRの大攻勢に打ち勝つには生半可な企業努力ではとても覚束ないものと見なければならないと思います。
尼崎脱線事故の影響でJRから阪急に移った人はいないのかな
非定期客と学生は阪急利用が多いはず。一方で通勤定期券は割引率の関係でJRの方が約9000円も安い(宝塚~JR大阪/阪急大阪梅田間の6ヶ月定期の場合)ので、通勤客を阪急が奪還するのはなかなか厳しいのでは。
いる人はいるよ✋🚃
事故以前から阪急に乗り換えてました 笑笑🙋
阪急宝塚線は一時期、特急を運行(日生エクスプレス、通勤特急を除く)するも失敗に終わった。これが決定打となってJRに抜かれた、という印象が強い。福知山線は、JR西日本の中興の祖ともいうべき井出正敬が特に注力した路線であり、その代償として、あの脱線事故を誘発したわけだが、脱線後も福知山線の利用は堅調。私は星田からちょくちょく宝塚、三田方面を利用したが、運賃は高いのだが、朝夕の時間帯だと、新三田方面まで直通運転するので、乗り換えなしで行けるから非常に便利。
台風の時、阪急、阪神、山陽は動いていました。jRは早くから運休していました。
阪急宝塚本線は、梅田~宝塚の対抗だけを考慮すればいいのではない。特に、5駅も連続して中間主要駅(豊中~川西能勢口)があり、さらに川西能勢口~宝塚間はカーブも多くて通過したところで大した所要時間の短縮も望めない。そして、前記の中間主要駅(豊中~川西能勢口)から、宝塚へ向かう乗客流動が皆無に等しい以上、川西能勢口以北での速達化も意味をなさない。
北摂ニュータウン建設で三田市の人口が急激に増加してJR が福知山線を便利にした結果でしょうね。
分かり易い説明ありがとうございます❤。元々福知山線は、戦前は舞鶴と大阪間の軍事物質等を運ぶためで、周辺のことを考慮するのは、国鉄から民営化されてからだと思います。
育ちが川西市で川西池田駅や川西能勢口駅より南側で高校を卒業する頃まで住んでました。この頃の国鉄福知山線は単線非電化ローカル線で梅田に行くのは阪急一択でした。ディーゼル特急はまつかぜが一日数往復してたのを覚えています。そこからすると現在の福知山線は複線電化の大阪近郊路線です。まぁ、国鉄があまりにもポンコツ経営をしていたので阪急独占状態だったように思いましたね。
「座りたいから各停でいいので、宝塚まで」とおもっても、そんな電車はない。梅田起点の場合、各停か急行かの選択肢は客にはなく、どちらかしかえらべない。しかも、どちらも混んでいる。これでは客もはなれる。でも、JRも今後はどうか? 三田の人口は減ってるし、西宮名塩の快速停車で「はあー?」と思ったのもつかの間。中山寺まで快速止めて、普通減便対策で区間快速が設定されたが、止まらないのは3駅のみ。これでは「特に客の少ない駅だけ止まりません」で、実質普通だ。そのJRも、神戸電鉄ほどではないが、客に見限られ、じわじわ神姫バスに客をとられていることに気づいてるのだろうか?阪急に圧勝などといつまてわ受かれていられるかな?
JRもこの宝塚では逆転に成功したけど全体としては厳しいよね私鉄だって利用者が湯水のように増えていく首都圏と違って関西は何処も利用者数の減少に苦しんでる中、阪急だけは堅調に北摂需要の恩恵を受けていると思ってたけどね阪急よ、お前もか という感じですかね
非電化時代の国鉄福知山線はどちらかというと大阪と山陰方面を結ぶためのバイパス路線的な役割の方が強かったようですね。近距離輸送の列車より特急「まつかぜ」や急行「丹波」など対山陰優等列車のイメージの方が強かったとか。また旧型客車による普通列車も福知山線内で完結する列車だけでなく福知山から山陰本線に乗り入れる列車もあったらしいです。気動車による普通列車は篠山口止まりの列車もあったらしいですけど。梅田と宝塚間近距離輸送に特化し福知山線にはない電車による快適な乗車空間を提供できた阪急にはかなわなかったのも当然で。ただ、福知山線大阪-宝塚間もJR宝塚線という路線愛称を付けて電化しJR東西線とも乗り入れ開始で阪急のアドバンテージも段々少なくなっていった…と。
中山寺駅近隣に昔から住んでいるものとして補足。おっしゃられているとおり電化前はまず優等列車しか走っていませんでしたね。気動車の普通列車と言われるもののほとんどが篠山口発着の快速列車なのでもちろん停車するわけもなく、利用するためには宝塚駅か川西池田駅へ1時間に1本停まるか止まらないかという客車列車を待って乗り換えるしかなく、そんな交通機関をいったい誰が利用するのか?というような状態でしたよ。駅前に東屋のような雑貨屋が1軒だけあるような状態でした。中山寺へは交通量が多くて狭い国道の脇を通って数十分歩いて向かう感じでした。もちろん国鉄を使う方はまずいなかったですね。もちろん今は違いますよ。ただ電化当時は客車列車とちがって編成長が半分近くに短くなったので、猛烈に混雑していた時期がありましたけど。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 大阪↔篠山口の気動車快速列車は朝夕2本のみで、あとは1本/HのDD51の旧型客車でしたのので、1日の17本のダイヤはあり、宝塚部分電化後は、この倍はありましたね。
@@Ил62 さま。記憶違いがあったらすみませんが、たしかに8両編成の気動車が朝に大阪方面に走っていたのを見た記憶はありますね。三田方面に帰るときは4両ずつに分割して走ってた記憶もあります。ちかくの中学校に在籍してましたんで、あさ「まつかぜ」が通過する前に学校前の踏切を通らないと遅刻だった思い出も。三田に畑を借りていたときは、中山寺で客車に乗って宝塚で4両編成のキハ17形とキハ26形を混結した気動車に乗り換えていたんですよ。親にはこれが三田先につくという説明だったんで言われたとおりにしてましたね。これが中山寺は止まらなかったので快速だと思ってましたよ。あとはキハ58形の気動車しか見たことがなかったですよ。あのときは止まらなかったから乗った記憶も興味もなかったですね。電化したときは確かに本数が増えて、通勤のときに試しに乗りましたが、編成長が逆に短くなっていてすごい満員状態だったので乗るのをやめました。
宝塚市民ですが国鉄時代は1度も乗車経験無かったですね。JRになってから乗車しました。確かに最近はJRの乗客増えましたね。時代的に時間を買う向きがJRに乗客を奪われる要因ですね。阪急が乗客を増やすには西宮ガーデンズのような集客力のある商業施設を沿線に増やす方向ですね。阪急の基本では!
ど田舎ローカル路線だった福知山線を都市近郊ベッドタウン路線の宝塚線に変えたJRの作戦勝ち
国鉄当時の考え方は「途中の各駅を私鉄が細かく拾い、それをターミナルで国鉄が長距離高速輸送する」だから駅そのものが少ない。
うーん。阪急が苦戦している、JRに取って代わられていると言うわけでは必ずしもないような。事実、乗降人員も阪急からJRに移ったというよりも阪急は昔から変わらず、JRが伸びているというだけかなと。JRが沿線開発して本数を増やしたのは近年になってからなので、沿線住民が増えて利用者が増えるのはある種当然。80年代から90年代にかけて西宮名塩のニュータウン建設などもされましたし。むしろ、JRはラッシュ時は大阪より先片町線などに直通しかなり通学通勤の需要を拾えること、宝塚止まりではなく三田以遠の需要もあるのに阪急に競合されていること(宝塚はベッドタウンであって降りる駅ではないので乗降人員では利用者数は測れないが)自体がJRの競争率の低さを表しているような気もしてしまいます。
JRが開発した物件もありますが多くは他社だと思います。
JRと路線が競合している私鉄は、皆苦労しているみたいです。
宝塚市の中山の方に住んでますが急いで行く人はJR、安いから阪急という感じで浸透してる気がします
京都行くときは直通かつほぼワンコインで行けるのが魅力的ですね、正直それ以外の用途では乗る機会殆どないですけど
駅利用者数のパイが増えているため、国鉄民営化前と比べて阪急利用者が減ったわけではなさそうですね。名古屋以下の都市圏と比べて自動車の利用が少ないのが好影響。想像ですが、国鉄民営化前に国策で福知山線沿線にニュータウンが作られたこと、旧国鉄の各鉄道管理局に骨のある人間がいたこともあるためか、国鉄時代に福知山線のテコ入れがなされたことから民営化早々輸送力増強の骨格が作れたのがJR優位の理由に思えます。
福知山の線単線時代に通学 通勤で不便で泣かされてましたね宝塚で阪急に乗り換えてました阪急は利便性も良かったし福知山線が電化に成っても尼崎脱帽事故以降も阪急に乗り換えてます恐怖心で!!※阪神大震災の時にJRが阪急の振替輸送しなかったとー※脱線事故の時に阪急がJRを助けたエピソード「人の振り見て我がふり直せ」新聞かな!見た事が~自分も そぉー思ってますよJRファンさんゴメンネ
むしろ今は住み分けがうまくできていると思う
JRはしょっちゅう何かの理由で遅延が起きるから阪急使いますけどね
宝塚市は、実は人が住める部分の面積が意外に小さく、多くは秘境めいた山地なんだ。
小中高と阪急沿線で育った当方にとって心境複雑です。梅田🏬,宝塚🎡など楽しい思い出もある。非電化単線の国鉄福知山線は試合放棄だった
JRも苦しそうなので、阪急だけではないと思います。
私は、スピ-トがあり揺れやすい狭軌のJRよりも、広軌を比較的ゆっくり走る阪急のほうが好きだな。
もはや阪急阪神ホールディングスは鉄道会社とはいえない。もはやあまり競争も意識していないと思う。
御多分に洩れず、阪急も不動産に注力するようになり、今津線・宝塚南口駅そば(旧宝塚ホテル跡地)に、武庫川町のジオタワーに次ぐツインのタワーマンションを建設中です。まだ歌劇の需要は衰えず、「これからは毎日、歌劇三昧」と、定年退職の夫と宝塚に移り住む傾向が続いているようです。見るからに、宝塚駅周辺はマンションが林立しております。
この動画のテーマとは離れますが、13:20の207系の種別表示も早速フルカラーLEDに更新されているではないですかぁ!
大阪方面からJR乗ると、宝塚から一気に乗ってくる印象JR宝塚の利用客数の増加は大阪方面が増えた以上に三田方面が増えたからでは?あと、JR宝塚線は電車特定区間に含まれないので、三田方面から梅田に行く場合に宝塚から阪急に乗り換えるというのは運賃面でも結構大きな差になる
三田や名塩から宝塚で降りる人はそのまま阪急に乗り換えるので、阪急の利用増にも寄与します。大阪に通勤する人は2区間定期もあるので、そのままJRだと思います。定期はJRの方が安いですし。大阪より三宮、今津や西宮北口周辺の利用者ではないでしょうか。
三田方面から梅田・新大阪へ行くには、住んでる場所によっては神姫バスが使える。居住地から新三田駅や三田駅へバスか神戸電鉄で行ってからJRに乗るより、最初から最後までバスにした方が、普通運賃も通勤定期も安くなる。必ず座れてリクライニングするしコンセントも各席にある。三田地元の人と関学通学の人しか使わないが、区間運転含めて平日50便程度あるよ。
宝塚沿線住民やけどなにか?
宝塚線は、土地が安い(要するにややこしいエリア)に駅を造ったため、結果としてカーブだらけでスピードが出せない、と聞いたことがある。梅田ー宝塚の場合、西宮北口で乗り換える、神戸線・今津線経由のほうが早いと聞いたことがある。
まー阪急って財務状況みてると、阪神の潤沢な利益で投資して稼ぐ手段を得てる感じだよな。
私自身は湘南民でしたが、親戚が仁川に住んでいたので、子ども時代は夏休みや冬休みによく宝塚へ遊びに行きました。大阪市内の御堂筋線沿線にあった祖母の家から宝塚行くのは当然梅田から阪急と決まっていたし、宝塚行くとなれば脳内では阪急のイメージしかないのですが、実態はそんなことになってたんですね…実は夫の姉が宝塚住みなので近年もよく行きますが、クルマでしか行かないもんだから今はJRが主流だとは知りませんでした。福知山線が都会化してたんですね、驚きです。
16:08 普通運賃と6ヶ月定期の比較表ですか?
1か月通勤定期でもおおよそは、阪急は40倍で11,600円、JRは30倍で9,900円とJRが優位になりますね。
阪急は川西能勢口〜梅田間を雲雀丘花屋敷始発で本数増やしてるので、この区間で稼ぐ感じなんでしょうね。確かに宝塚や中山から乗るとなるとJRの方が速いし、川西は能勢電利用者かどうかでどっちか選択出来るし、一昔前には特急なんかを走らせたりしてみてたけど、今のダイヤが妥当なんだと思う。
阪急電鉄が複々線化出来てたら、時間短縮出来たかもね
8000系トップナンバー、昔は宝塚線を走っていたのか。神戸線と宝塚線って電車のサイズが違うからどっちかの線に乗り入れできないと聞いたような・・・
神戸線・宝塚線は同じサイズですが、京都線は地下鉄乗り入れの関係で神宝線より30センチほど車幅が大きい為、神宝線には乗り入れが出来ません。
@@binko10450cmも違わないと思います。10cmくらいではなかったでしょうか。
そうですね…誤ってますm(_ _)m型式が、+300なので勘違いしてましたm(_ _)mご指摘、ありがとうございます。
阪急は、川西能勢口から宝塚まで時間がかかりすぎる。普通を宝塚までやって、急行は、川西能勢口から宝塚まで各駅で止めないで中山観音寺と雲雀丘花屋敷だけにとめるべき。雲雀丘花屋敷で先行普通を後からの急行乗り換え駅にしてしまうのどうでしょう。川西能勢口は、ホームが足りないのでそれでいかがですか?
ってよりどうあがいてもJRには勝てないからローカル輸送に徹してる。京成千葉線みたいなもの。
1年、中山に住んでましたが、中山より山本の方が利用者が多かったように思います。今は阪急バスも中山寺を無視できなく中山台方面もJRに止まるようになったと思います。
それに近いのが、かつての快速急行ですよね。JRと阪急、使い分けてましたけど、普通が宝塚まで行かなくなり、急行は実態として準急。緩急接続は想定されたおらず、使う駅によって乗る電車は必然的な限定され、しかも全て混んでるとなれば、JRの各停が快適ですよ。JRは駅が少ないから、阪急の快速急行相当ですから。
阪急は三田方面に行かんから三田行くためにはJR乗らんとあかんねんな
阪急は最大の禁じ手、今津線特急を運転するべきこれなら丹波路快速には勝てないが普通に勝てるだろう子供の頃、福知山線の普通列車に乗り遅れた時に西宮北口まで神戸線特急で西宮北口から今津線普通で宝塚駅まで行くと乗り遅れた福知山線普通列車に余裕で間に合った思い出だ。
特急を復活させると緩急接続が増えて代償として途中駅と梅田までの所要時間が増加してしまい、阪急のみしか利用できない旅客から不平が出てきそうです。並行区間の優等列車が止まらない駅ではJRへ流れるでしょう。
@@おっさん28号-g7s 宝塚線じゃなくて神戸線経由の今津線特急を設定しろと言ってますが
今津線で停めるなら、甲東園と仁川とあとどこでしょうね?関学出身なんで^^;)ただ「西北に停らない(停れない)」列車を阪急が積極的に作りたがるかな?って感は拭えないです。神戸線特急ですら西北で半分は乗り降りするのに( °_° )
今津線の北行きの門戸厄神から宝塚南口までのホームが6両対応のはず
ただでさえラッシュ時遅延多くて十三乗り換え失敗しやすい神戸線のダイヤをさらに過密にするのは辞めてくれ…2分遅れるだけで乗り換え失敗するんじゃ…(沿線民並感)
阪急のホームを号線で案内するならJRものりばで案内してほしかったな
阪急はいずれは雲雀丘花屋敷か川西を境にして運行を分けるでしょう。今でさえ、ひばり以西は朝ラッシュで8〜9分間隔、夕方10分間隔(つまり日中と同じ)になる仕打ちで、不便だけどこれでも大した混雑率にはなってない。事実、朝の川西始発の通特、夜の雲雀止まりの急行が設定されてだいぶ経ちますが、これが序章になる。推測ですが手始めに日中ダイヤから分けて、朝夕まで完全に運行を分けるのはだいぶ先の話になるでしょうけど。
国鉄福知山線があれだから阪急宝塚線は対抗策をする必要が無く、神戸線や京都線のような高規格化やスピードアップ化やサービスアップを怠り続け、長年放置し続けていた、その長年のツケですな。もう阪急は日中の8両急行の宝塚発着を辞めて8両急行は雲雀丘花屋敷発着に変えたほうがいいんじゃないのか?宝塚~雲雀丘花屋敷は今津南線や甲陽線みたいに3両ワンマン運転にすりゃいいと思う。
宝塚市のイメージも落ちてるし、仕方ないかな
前市長の後援会長が選挙公約は「何もしないこと」と言ってたくらいだから、仕方がない
そういや、阪神との統合も震災の後だったかな。銀行とかの合併は銀行業界の自業自得だけど。
危機にもかかわらず阪神を買い取る余力があるんですね。
阪神の尼宝線がいまでいうBRTみたいでした。
余力で買い取ったというか、村上ファンドの影響で阪神が買収をかけられた、元々JR西日本に対抗する為に経営統合は模索していたと思うけどある意味村上ファンドのおかげで阪急民、阪神民とも違和感なく経営統合を実行できたとも言えるだろうね(事実と異なる部分が多いと思うけどざっとこんな感じかと)
逆でしょ?
ベッドタウンの飽和状態の地域と未だ開発中の地域との差と言う事で阪急やJRの差では無いと思うけど?地域に住んでいれば良くわかると思うけど?
JR福知山線だけは乗りたくないな
宝塚市民としては、JRは駅間離れてて使いづらい。運転見合わせの際に仕方なくJRを使うくらいかな。五、六分早いくらいで大した事無いやん。基本、駅まで遠いからJRは使わない。炎上覚悟で言うけど川西能勢口迄に降りる乗客は急行に乗らないで欲しい。豊中なんか梅田から10分くらいやから普通に乗ってくれませんか。終点に近い我々は、座れずに迷惑なので。昔みたいに庄内や曽根で普通電車を追い抜かすダイヤに戻した方が良いと思いますよ。あと、阪急の冷房は本当に効かない。他社線の弱冷車よりも冷えが悪いと思う。勝ってるのシートの座り心地だけやん(TT)早さを重視って乗り換えしてもたかが数分しか変わらんねんから乗り換え無しの方が楽やん。ジジイの私としては、楽な方を取ります。
JRの恩恵は全く得られない豊中市民なので、ほとんど認識がなかった。
宝塚のファンで、よく利用しているけど、利用者も多い感じがするけど。
今津線はJR関係ないから需要が全く別かな、問題は福知山線と宝塚本線であって
阪急宝塚は特急と急行、普通の意味を考え直さないと!川西から梅田まで座われてシート座席とかつくればよい!例えば
阪急=96(黒)期。最終的に裁判所の命令(退学無効)に逆らい校舎への立ち入りを拒否する、反社会的行為=法に基づく命令を拒否は反社企業と言われてもしょうがない。大企業の傘下の音楽学校があれほど狂っていたとは・・・はぁ。。。(溜息)本裁判で負けそうになったら、和解して、ほとんど通学してないのに卒業証明の書類を渡すという無茶振り・・・96期和解から数年後、実家のCATVのネット接続がKDDI系からアイテック阪急阪神に変更→裁判所命令拒否だけでなく被害者を踏みにじり加害者をスターにした反社企業だから解約すると言って解約→フレッツ光にした。阪急阪神ホールディングスは解体して、セクターごとに入札させて近鉄や京阪などに売り飛ばして消去すべきでは?解体すべき理由→駅構内や車両への落書き→通報する。と書いてあるが→警察・検察は刑事罰や民事損害賠償を命令できない→裁判所の命令や判決。自分に都合のよい時だけ司法の世話になる駄目な反社企業。
宝塚は福知山線の大事故でJR西日本の泥塗りでいまは阪急が有利やろ✋🚃
そもそもあのダサいマルーンに乗りたくない
近鉄よりはマシ
阪急はマル−ンを一時期変更を考えた事があつたみたいだが沿線の方々が反対署名が多く集まった為現状維持になった 又JRは宝塚線と神戸線 京都線ではÀTSが違う方式の為私はスピードより安全な運転をしている阪急のほうが良いと思います
@@治夫並JR宝塚線はどこより安全と思います。70キロ制限で事故が起きなかったカーブを60キロに下げていますし。
阪急ブレーブスをオリックスに身売りしたあたりも阪急は楽ではなかった。宝塚を売却検討されてたからな。さすがに宝塚売却せずブレーブス身売りだったが
養子の公平さんが宝塚ヲタでブレーブスか、どっちか売れと三和銀行から言われてブレーブスを売ったという噂。
確かに昔は動画でも言っていたように三田方面の方は宝塚で阪急に乗り換えていたように思いますね。昔は阪急宝塚駅は賑わっていましたが宝塚ファミリーランドが無くなってからは駅も街も寂しくなったものです。
コロナ禍もありまだまだ色々影響がありそうですね
今更的な内容です。
阪急はもうJRと速さの争いからは各線止めており利便性重視にしています。宝塚線も宝塚ー梅田を重要視せず能勢電との利便性、梅田ー川西能勢口の利便性を重要視しています。宝塚ー梅田は速さを求める人はJRを利用するでしょうし
阪急がJRと争う気があるなら朝宝塚ー梅田の特急を走らせるでしょう。
阪急宝塚線沿線生まれ育ちです。
阪急がどう?JRがどう?というよりも、宝塚の街自体が大きく変わってしまいましたね。
ファミリーランドやブレーブスが無くなるなんて、私の子供の頃には考えられなかったことです。
JR優勢は、福知山線が電化され沿線人口が増えたこともありますが、ファミリーランドが無くなった宝塚は、歌劇に無縁の私には、別の街になってしまった印象が強いです。
かつての阪急宝塚線沿線は、梅田まで30分足らずなのに、車も少なくて本当に閑静な良い街でしたね。今や山の上まで住宅地が出来て、まるで別の街になってしまった。
あの有名な大事故があっても取り返せなかった時点で相当苦しいでしょうね…。
あの事故で阪急も減速運行に移り、池田迄各駅に止まるのが急行。
宝塚〜大阪方面の輸送は国鉄時代の大半で単線非電化の区間があったJRの方が伸び代が大きく、最高速度が速くて駅数も少ない特性を活かして有利になったと思います。
阪急はJRが宝塚〜大阪方面の輸送で優勢になると、JRではカバーしきれない豊中・能勢方面に重点を置いて差別化を図る流れという印象です。
宝塚線はあの事故による影響で若干抑えているでしょうが、国鉄時代は1時間に1本列車が来るだけだった路線が電化によって大きく変わりましたね。
宝塚までの電化だった当時構内はひっそりとしており、発車まで時間のあるイエローの103系が回送か? と思えるほど車内が無人で停まっていたものです。それより先行する福知山方面からのDD51にけん引された旧型客車の普通列車が機関車のポーッという汽笛とともに駅に滑り込んだものです。そして自動ドアではない旧型客車がドアを開けたままガッタンゴットンと大阪に向けて走って大都市近郊なのに汽車の旅になったものでした。
@@douga9996 さま。その旧型客車で通勤していた時期がありましたよ。阪急の倍くらい時間はかかりましたが。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN 阪急には「おんぼろ汽車、びんぼう汽車の福知山線やーい」とバカにされ、それでも旧型客車たちは「そんなの気にせずけっとん、忘れてしまうよけっとん」と走っていたのでしょう。
@@douga9996 さま。なんか勝負にすらなってなかったような(笑)
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN ですのでDD51は「ガリガリ、ゴーゴー」といつも怒っていました(笑)先輩のC11などは「ぷっすんぷっすん・・しゃくだしゃくだしゃくだ・・・」と怒っていたようですが・・
宝塚駅利用者です。
今でこそあの事故で減速ダイヤになりましたが、JRの丹波路快速の登場で宝塚~大阪間約20分。かなりインパクトがありましたよ。
当時の阪急は34,5分くらいでしたから。
このタイミングでJRに移りました。以降、あの事故で遅くなっても大阪はJR利用です。
221系の120km/hは激揺れでしたが。
71歳の神戸市民です。1975年にJR(旧国鉄)尼崎駅近くの機械メーカーに入社しました。その頃は尼崎駅はど田舎の駅状態でした。木造駅舎で豪雨だと駅横の連絡通路が浸水する。臭い 汚ない、とても大阪市の直ぐ隣の街の感じで無かった。其れが阪神淡路震災後の1999年 平成11年に駅周辺が再開発リニューアルされて、JR駅と福知山線も便利でスマートに成った。今の尼崎の若い人達にあの昔の駅や周辺の商店街を見せたら…
「何処の 田舎や?」と言うだろうな。JR尼崎駅北の
アミング商業地域が開業したのは 平成11年(1999年)
11月11日です。この時から
「臭い 汚ない ど田舎」の
尼崎駅周辺が 一等地に成って…JR が 阪急 を 抜いた
のです。尼崎駅北の高層マンションやホテルや商業地域…私が若い頃は…本当に
臭い~ きったない~
だけど…安い モッチャリした町でしたよ。
路線の形状もあるでしょうね。福知山線が直線主体に見えるくらい阪急宝塚線はカーブ多いですから。古い市街を縫って走っているから改善できないし、阪急は辛いところかと。
小林一三が箕面有馬急行開業にあたり参拝客目当てで寺社の門前近くに駅を設けるべく不自然な線形になったのが
時代が変わって高速化の足かせになったんでしょう。
清荒神~売布神社~中山観音や曽根~服部天神~庄内は土地に余裕がなく高架化すら不可能な状態ですし。
あれだけ駅の数が多いとね。JRの1駅間に2つも駅があったら勝負にならないと思う。山側に住宅地が出来ても、新しい住民は阪急に愛着は無いだろうし。
駅間が短くて駅数が多いことは強みでもあり弱点でもあると思います
うちの地元は、阪急山本駅とJR中山寺駅の中間で植木の三大産地ということもあって緑豊かだったんですが、たしかにJRが改良するに連れて周辺の田畑が住居や商業施設に変わって、住民が増えていきましたね。山陰地方との連絡線でしかなかった福知山線のまわりはおのずから人家などまばらでしたが、それが幸いしたのか最近は急激に乗降客が増えました。
直接は関係ない話ですが、古くから住んでいるわれわれは、梅田は贅沢品をおめかしして買いに行くところ、歓楽街は池田もしくは伊丹(列車の本数がないに等しかったのと健脚な人が多かったのて徒歩で向かわれていた。帰りはハイヤー)という位置づけでしたね。宝塚方面に向かう人は殆どいませんでした。そちらは川面の人が多かったのではないでしょうか。小浜は昔からの宿場町でしたし。
阪急ユーザーやったけど、梅田方面ゆき乗ってても十三で1/3くらいの人が降りていってた。
梅田以外の阪急沿線の中の流動も結構あるのやと思う。
ある程度住み分けができているてことか
梅田には今津線に乗って北口乗換やろなぁ。
乗り換えするくらいならJRでいいかってなっちゃう。
十三での乗り換えは時間帯によっては大学生の比率が高そうですね。京都線沿線から神戸線の関学、神大や宝塚線の阪大なんてかなりいそうですし。
@@schimitch3277 さん
沿線に大学や研究施設も多いし、それに付随する就業場所もあるしで、沿線内の流動が他の私鉄沿線に比べて多い印象ですを
地元民です。阪急がJRに押されているという実感は正直ないですね。というのも宝塚市民で宝塚駅を最寄り駅とする人は意外に少なく、宝塚駅の利用の多くは三田方面〜今津線方面の乗り継ぎなんですよ。
中山寺と中山観音にしても、中山寺駅の南側(伊丹市荒牧付近)が未開の地だったのが住宅開発が進み、一方で中山観音駅の北側(中山台エリア)は高齢化が進んで鉄道利用が減った、というのが主な理由で、阪急からJRにシフトしたとは言えないです。
阪急の高架化後、立派な阪急宝塚駅に対して、なんだかショボいJR宝塚駅舎だったのが、物凄い綺麗な駅舎に代わりましたね。阪急を意識したのでしょうが・・・。
JR宝塚線の時刻表も、以前は中山寺駅や宝塚駅は特別仕様になっていて、他の駅の時刻表と扱いが違ったことが記憶にあります。(一説にはJR西の幹部が中山に住んでいたからだ、という話もありましたが)。
ただ、やっぱり宝塚に似合う電車はマルーン色の電車な気がします。これは理屈ではなく感情の問題になりますが・・・。
宝塚駅から花のみちを通って大劇場まで向かう時のワクワク感、これはやっぱりJR宝塚駅ではなく、阪急宝塚駅起点でないと、と言う気がします。
宝塚歌劇団+宝塚劇場+阪急は解る(宝塚歌劇団を観劇しに行った人にしか解らない)
宝塚ファミリーランドへいくために昔は何度も利用しましたが閉園されてからは宝塚線自体利用する機会がなくなりました、
京都線沿線住民としては当時の宝塚線の電車はのろく感じた事を覚えています、
動画を拝見して数十年ぶりに行ってみたくなりました。
もはや豊中と箕面が主役やからな
安いから阪急使うけど豊中から各停って急行の意味
空港利用客の誘導とか
その内各停は日中豊中折返しになるかもだけど、蛍池対京阪神の速達便は絶対に必要
家からは阪急の駅のほうが近いけど、電気代ケチってるのか夏場の冷房が弱く満員電車であの車内温度はないわ~、それに急行が蛍池と豊中に止まるようになってギュウギュウづめになるし、梅田駅から大阪駅まで歩くのが面倒やし、6か月定期が安く宝塚沿線は定期を大阪で区切って別の方面の2重定期にするとさらに安くなるので、結局JRに変更しました。
JRが阪急を乗降客数で逆転したと言っても、ただ単に三田方面の客が宝塚で阪急に乗り換えており、その数が増えたのが要因でしょ。
三田方面って以外と大阪ではなく、阪神間の会社に勤めている人が多い。
実際、電車に乗っていても宝塚で結構乗客が入れ替わるぞ
阪急に乗り換えるので阪急の利用者も増やすこととなり、逆転の要因にはなり得ないと思います。
地元では無敵の強さでJRを蹴散らしていた大手私鉄が
後で優位をひっくり返されるのはあり得る話。名鉄も
そうだった。複数の都市圏を持つ広範なネットワーク
の利便性や真っ直ぐな線形による高速運転などJRには
私鉄が逆立ちしても勝てない国鉄譲りの潜在的な力が
ある。かつて私鉄が優勢だったのは長距離輸送優先で
近郊輸送に熱心でなかった国鉄流経営の間隙を突いた
作戦が成功しただけであり、条件を揃えてガチンコで
やり合ったらインフラの差で勝負にならない。
阪急宝塚は神戸に行くとき、JR宝塚は大阪に行くときと使い分けている人が多いですね。また中山寺については快速停車開始の影響でしょう。
川西能勢口からはJRの競合がないため、阪急がそこに注力するのは致し方ないですね。
中山寺駅は国鉄時代はあってもなくてもいいような、なんなら信号所でもいいような扱いの駅でした。趣味的に魅力が乏しく写真すらあまり残っていない。上下合わせて1・2時間に6〜8本のうち1本停まるか止まらないかという駅でした。駅舎は北向きにしかなく、貨物取扱があったときは沿線の農家への肥料の運搬や苗木の出荷などが主でした。
ですから、逆に周りを開発する余地が十分にあったということです。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN中山寺駅は元々は伊丹の駐屯地への分岐のところについでに作られたのでしょうか。
@@nais5866 さま。中山寺駅は阪鶴鉄道時代に池田駅(現川西池田駅)から宝塚駅まで部分開業したとき設置されたと資料にありました。中山寺駅からは、川辺郡長尾村鴻池(現伊丹市北野)にあった旧大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠(現在は住宅地)と、川辺郡長尾村野里(現宝塚市野里)にあった野里兵器廠(現在の陸上自衛隊山本宿舎)に向けて専用線が敷設されていたことがありましたが、それは戦時中に作られたものなので、そのついでに中山寺駅が設置されたのではありません。これはむかし祖父や父親に直接確認したことがあります。乗降客が少なかったのは単に人家の少ない田畑の真ん中に駅があっただけなのです。
余談ですが、阪鶴鉄道時代に川西池田駅と中山寺駅の間の山本地区に、花卉類の出荷のため臨時に花畑仮停車場が設置されたことがあることを、古老から聞いたことがあります。
前にもコメントしたような気がしますが、やはり中心駅シリーズもニコニコにアップして頂けると嬉しいです…。
まあ、何と言ってもJRのほうが路線の長さ及び施設規模の大きさで何かと阪急をはじめとする関西などの私鉄群より優位な立ち位置にあるわけなので、JRの大攻勢に打ち勝つには生半可な企業努力ではとても覚束ないものと見なければならないと思います。
尼崎脱線事故の影響でJRから阪急に移った人はいないのかな
非定期客と学生は阪急利用が多いはず。一方で通勤定期券は割引率の関係でJRの方が約9000円も安い(宝塚~JR大阪/阪急大阪梅田間の6ヶ月定期の場合)ので、通勤客を阪急が奪還するのはなかなか厳しいのでは。
いる人はいるよ✋🚃
事故以前から阪急に乗り換えてました 笑笑🙋
阪急宝塚線は一時期、特急を運行(日生エクスプレス、通勤特急を除く)するも失敗に終わった。これが決定打となってJRに抜かれた、という印象が強い。福知山線は、JR西日本の中興の祖ともいうべき井出正敬が特に注力した路線であり、その代償として、あの脱線事故を誘発したわけだが、脱線後も福知山線の利用は堅調。私は星田からちょくちょく宝塚、三田方面を利用したが、運賃は高いのだが、朝夕の時間帯だと、新三田方面まで直通運転するので、乗り換えなしで行けるから非常に便利。
台風の時、阪急、阪神、山陽は動いていました。jRは早くから運休していました。
阪急宝塚本線は、梅田~宝塚の対抗だけを考慮すればいいのではない。
特に、5駅も連続して中間主要駅(豊中~川西能勢口)があり、さらに川西能勢口~宝塚間はカーブも多くて
通過したところで大した所要時間の短縮も望めない。
そして、前記の中間主要駅(豊中~川西能勢口)から、宝塚へ向かう乗客流動が皆無に等しい以上、
川西能勢口以北での速達化も意味をなさない。
北摂ニュータウン建設で三田市の人口が急激に増加してJR が福知山線を便利にした結果でしょうね。
分かり易い説明ありがとうございます❤。元々福知山線は、戦前は舞鶴と大阪間の軍事物質等を運ぶためで、周辺のことを考慮するのは、国鉄から民営化されてからだと思います。
育ちが川西市で川西池田駅や川西能勢口駅より南側で高校を卒業する頃まで住んでました。この頃の国鉄福知山線は単線非電化ローカル線で梅田に行くのは阪急一択でした。ディーゼル特急はまつかぜが一日数往復してたのを覚えています。そこからすると現在の福知山線は複線電化の大阪近郊路線です。まぁ、国鉄があまりにもポンコツ経営をしていたので阪急独占状態だったように思いましたね。
「座りたいから各停でいいので、宝塚まで」とおもっても、そんな電車はない。梅田起点の場合、各停か急行かの選択肢は客にはなく、どちらかしかえらべない。しかも、どちらも混んでいる。これでは客もはなれる。
でも、JRも今後はどうか? 三田の人口は減ってるし、西宮名塩の快速停車で「はあー?」と思ったのもつかの間。中山寺まで快速止めて、普通減便対策で区間快速が設定されたが、止まらないのは3駅のみ。これでは「特に客の少ない駅だけ止まりません」で、実質普通だ。
そのJRも、神戸電鉄ほどではないが、客に見限られ、じわじわ神姫バスに客をとられていることに気づいてるのだろうか?
阪急に圧勝などといつまてわ受かれていられるかな?
JRもこの宝塚では逆転に成功したけど全体としては厳しいよね
私鉄だって利用者が湯水のように増えていく首都圏と違って関西は何処も利用者数の減少に苦しんでる中、阪急だけは堅調に北摂需要の恩恵を受けていると思ってたけどね
阪急よ、お前もか
という感じですかね
非電化時代の国鉄福知山線はどちらかというと大阪と山陰方面を結ぶためのバイパス路線的な役割の方が強かったようですね。近距離輸送の列車より特急「まつかぜ」や急行「丹波」など対山陰優等列車のイメージの方が強かったとか。また旧型客車による普通列車も福知山線内で完結する列車だけでなく福知山から山陰本線に乗り入れる列車もあったらしいです。気動車による普通列車は篠山口止まりの列車もあったらしいですけど。
梅田と宝塚間近距離輸送に特化し福知山線にはない電車による快適な乗車空間を提供できた阪急にはかなわなかったのも当然で。ただ、福知山線大阪-宝塚間もJR宝塚線という路線愛称を付けて電化しJR東西線とも乗り入れ開始で阪急のアドバンテージも段々少なくなっていった…と。
中山寺駅近隣に昔から住んでいるものとして補足。おっしゃられているとおり電化前はまず優等列車しか走っていませんでしたね。気動車の普通列車と言われるもののほとんどが篠山口発着の快速列車なのでもちろん停車するわけもなく、利用するためには宝塚駅か川西池田駅へ1時間に1本停まるか止まらないかという客車列車を待って乗り換えるしかなく、そんな交通機関をいったい誰が利用するのか?というような状態でしたよ。駅前に東屋のような雑貨屋が1軒だけあるような状態でした。中山寺へは交通量が多くて狭い国道の脇を通って数十分歩いて向かう感じでした。もちろん国鉄を使う方はまずいなかったですね。
もちろん今は違いますよ。ただ電化当時は客車列車とちがって編成長が半分近くに短くなったので、猛烈に混雑していた時期がありましたけど。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN
大阪↔篠山口の気動車快速列車は朝夕2本のみで、あとは1本/HのDD51の旧型客車でしたのので、1日の17本のダイヤはあり、宝塚部分電化後は、この倍はありましたね。
@@Ил62 さま。記憶違いがあったらすみませんが、たしかに8両編成の気動車が朝に大阪方面に走っていたのを見た記憶はありますね。三田方面に帰るときは4両ずつに分割して走ってた記憶もあります。ちかくの中学校に在籍してましたんで、あさ「まつかぜ」が通過する前に学校前の踏切を通らないと遅刻だった思い出も。
三田に畑を借りていたときは、中山寺で客車に乗って宝塚で4両編成のキハ17形とキハ26形を混結した気動車に乗り換えていたんですよ。親にはこれが三田先につくという説明だったんで言われたとおりにしてましたね。これが中山寺は止まらなかったので快速だと思ってましたよ。
あとはキハ58形の気動車しか見たことがなかったですよ。あのときは止まらなかったから乗った記憶も興味もなかったですね。
電化したときは確かに本数が増えて、通勤のときに試しに乗りましたが、編成長が逆に短くなっていてすごい満員状態だったので乗るのをやめました。
宝塚市民ですが国鉄時代は1度も乗車経験無かったですね。JRになってから乗車しました。
確かに最近はJRの乗客増えましたね。
時代的に時間を買う向きがJRに乗客を奪われる要因ですね。
阪急が乗客を増やすには西宮ガーデンズのような集客力のある商業施設を沿線に増やす方向ですね。
阪急の基本では!
ど田舎ローカル路線だった福知山線を
都市近郊ベッドタウン路線の宝塚線に変えたJRの作戦勝ち
国鉄当時の考え方は「途中の各駅を私鉄が細かく拾い、それをターミナルで国鉄が長距離高速輸送する」だから駅そのものが少ない。
うーん。
阪急が苦戦している、JRに取って代わられていると言うわけでは必ずしもないような。
事実、乗降人員も阪急からJRに移ったというよりも阪急は昔から変わらず、JRが伸びているというだけかなと。
JRが沿線開発して本数を増やしたのは近年になってからなので、沿線住民が増えて利用者が増えるのはある種当然。80年代から90年代にかけて西宮名塩のニュータウン建設などもされましたし。
むしろ、JRはラッシュ時は大阪より先片町線などに直通しかなり通学通勤の需要を拾えること、宝塚止まりではなく三田以遠の需要もあるのに阪急に競合されていること(宝塚はベッドタウンであって降りる駅ではないので乗降人員では利用者数は測れないが)自体がJRの競争率の低さを表しているような気もしてしまいます。
JRが開発した物件もありますが多くは他社だと思います。
JRと路線が競合している私鉄は、皆苦労しているみたいです。
宝塚市の中山の方に住んでますが
急いで行く人はJR、安いから阪急という感じで
浸透してる気がします
京都行くときは直通かつほぼワンコインで行けるのが魅力的ですね、正直それ以外の用途では乗る機会殆どないですけど
駅利用者数のパイが増えているため、国鉄民営化前と比べて阪急利用者が減ったわけではなさそうですね。名古屋以下の都市圏と比べて自動車の利用が少ないのが好影響。
想像ですが、国鉄民営化前に国策で福知山線沿線にニュータウンが作られたこと、旧国鉄の各鉄道管理局に骨のある人間がいたこともあるためか、国鉄時代に福知山線のテコ入れがなされたことから民営化早々輸送力増強の骨格が作れたのがJR優位の理由に思えます。
福知山の線単線時代に通学 通勤で不便で泣かされてましたね
宝塚で阪急に乗り換えてました阪急は利便性も良かったし
福知山線が電化に成っても尼崎脱帽事故以降も阪急に乗り換えてます
恐怖心で!!
※阪神大震災の時にJRが阪急の振替輸送しなかったとー
※脱線事故の時に阪急がJRを助けたエピソード
「人の振り見て我がふり直せ」新聞かな!見た事が~自分も そぉー思ってますよ
JRファンさんゴメンネ
むしろ今は住み分けがうまくできていると思う
JRはしょっちゅう何かの理由で遅延が起きるから阪急使いますけどね
宝塚市は、実は人が住める部分の面積が意外に小さく、多くは秘境めいた山地なんだ。
小中高と阪急沿線で育った当方にとって心境複雑です。
梅田🏬,宝塚🎡など楽しい思い出もある。非電化単線の国鉄福知山線は試合放棄だった
JRも苦しそうなので、阪急だけではないと思います。
私は、スピ-トがあり揺れやすい狭軌のJRよりも、広軌を比較的ゆっくり走る阪急のほうが好きだな。
もはや阪急阪神ホールディングスは鉄道会社とはいえない。もはやあまり競争も意識していないと思う。
御多分に洩れず、阪急も不動産に注力するようになり、今津線・宝塚南口駅そば(旧宝塚ホテル跡地)に、武庫川町のジオタワーに次ぐツインのタワーマンションを建設中です。
まだ歌劇の需要は衰えず、「これからは毎日、歌劇三昧」と、定年退職の夫と宝塚に移り住む傾向が続いているようです。見るからに、宝塚駅周辺はマンションが林立しております。
この動画のテーマとは離れますが、13:20の207系の種別表示も早速フルカラーLEDに更新されているではないですかぁ!
大阪方面からJR乗ると、宝塚から一気に乗ってくる印象
JR宝塚の利用客数の増加は大阪方面が増えた以上に三田方面が増えたからでは?
あと、JR宝塚線は電車特定区間に含まれないので、
三田方面から梅田に行く場合に宝塚から阪急に乗り換えるというのは運賃面でも結構大きな差になる
三田や名塩から宝塚で降りる人はそのまま阪急に乗り換えるので、阪急の利用増にも寄与します。
大阪に通勤する人は2区間定期もあるので、そのままJRだと思います。定期はJRの方が安いですし。
大阪より三宮、今津や西宮北口周辺の利用者ではないでしょうか。
三田方面から梅田・新大阪へ行くには、住んでる場所によっては神姫バスが使える。居住地から新三田駅や三田駅へバスか神戸電鉄で行ってからJRに乗るより、最初から最後までバスにした方が、普通運賃も通勤定期も安くなる。必ず座れてリクライニングするしコンセントも各席にある。三田地元の人と関学通学の人しか使わないが、区間運転含めて平日50便程度あるよ。
宝塚沿線住民やけどなにか?
宝塚線は、土地が安い(要するにややこしいエリア)に駅を造ったため、結果としてカーブだらけでスピードが出せない、と聞いたことがある。
梅田ー宝塚の場合、西宮北口で乗り換える、神戸線・今津線経由のほうが早いと聞いたことがある。
まー阪急って財務状況みてると、阪神の潤沢な利益で投資して稼ぐ手段を得てる感じだよな。
私自身は湘南民でしたが、親戚が仁川に住んでいたので、子ども時代は夏休みや冬休みによく宝塚へ遊びに行きました。大阪市内の御堂筋線沿線にあった祖母の家から宝塚行くのは当然梅田から阪急と決まっていたし、宝塚行くとなれば脳内では阪急のイメージしかないのですが、実態はそんなことになってたんですね…
実は夫の姉が宝塚住みなので近年もよく行きますが、クルマでしか行かないもんだから今はJRが主流だとは知りませんでした。福知山線が都会化してたんですね、驚きです。
16:08 普通運賃と6ヶ月定期の比較表ですか?
1か月通勤定期でもおおよそは、阪急は40倍で11,600円、JRは30倍で9,900円とJRが優位になりますね。
阪急は川西能勢口〜梅田間を雲雀丘花屋敷始発で本数増やしてるので、この区間で稼ぐ感じなんでしょうね。
確かに宝塚や中山から乗るとなるとJRの方が速いし、川西は能勢電利用者かどうかでどっちか選択出来るし、一昔前には特急なんかを走らせたりしてみてたけど、今のダイヤが妥当なんだと思う。
阪急電鉄が複々線化出来てたら、時間短縮出来たかもね
8000系トップナンバー、昔は宝塚線を走っていたのか。神戸線と宝塚線って電車のサイズが違うからどっちかの線に乗り入れできないと聞いたような・・・
神戸線・宝塚線は同じサイズですが、京都線は地下鉄乗り入れの関係で神宝線より30センチほど車幅が大きい為、神宝線には乗り入れが出来ません。
@@binko10450cmも違わないと思います。10cmくらいではなかったでしょうか。
そうですね…誤ってますm(_ _)m
型式が、+300なので勘違いしてましたm(_ _)m
ご指摘、ありがとうございます。
阪急は、川西能勢口から宝塚まで時間がかかりすぎる。普通を宝塚までやって、急行は、川西能勢口から宝塚まで各駅で止めないで中山観音寺と雲雀丘花屋敷だけにとめるべき。雲雀丘花屋敷で先行普通を後からの急行乗り換え駅にしてしまうのどうでしょう。川西能勢口は、ホームが足りないのでそれでいかがですか?
ってよりどうあがいてもJRには勝てないからローカル輸送に徹してる。
京成千葉線みたいなもの。
1年、中山に住んでましたが、中山より山本の方が利用者が多かったように思います。
今は阪急バスも中山寺を無視できなく中山台方面もJRに止まるようになったと思います。
それに近いのが、かつての快速急行ですよね。
JRと阪急、使い分けてましたけど、普通が宝塚まで行かなくなり、急行は実態として準急。緩急接続は想定されたおらず、使う駅によって乗る電車は必然的な限定され、しかも全て混んでるとなれば、JRの各停が快適ですよ。JRは駅が少ないから、阪急の快速急行相当ですから。
阪急は三田方面に行かんから三田行くためにはJR乗らんとあかんねんな
阪急は最大の禁じ手、今津線特急を運転するべき
これなら丹波路快速には勝てないが普通に勝てるだろう
子供の頃、福知山線の普通列車に乗り遅れた時に西宮北口まで神戸線特急で
西宮北口から今津線普通で宝塚駅まで行くと乗り遅れた福知山線普通列車に余裕で間に合った思い出だ。
特急を復活させると緩急接続が増えて代償として途中駅と梅田までの所要時間が増加してしまい、阪急のみしか利用できない旅客から不平が出てきそうです。並行区間の優等列車が止まらない駅ではJRへ流れるでしょう。
@@おっさん28号-g7s
宝塚線じゃなくて神戸線経由の今津線特急を設定しろと言ってますが
今津線で停めるなら、甲東園と仁川とあとどこでしょうね?関学出身なんで^^;)
ただ「西北に停らない(停れない)」列車を阪急が積極的に作りたがるかな?って感は拭えないです。神戸線特急ですら西北で半分は乗り降りするのに( °_° )
今津線の北行きの門戸厄神から宝塚南口までのホームが6両対応のはず
ただでさえラッシュ時遅延多くて十三乗り換え失敗しやすい神戸線のダイヤをさらに過密にするのは辞めてくれ…2分遅れるだけで乗り換え失敗するんじゃ…(沿線民並感)
阪急のホームを号線で案内するならJRものりばで案内してほしかったな
阪急はいずれは雲雀丘花屋敷か川西を境にして運行を分けるでしょう。今でさえ、ひばり以西は朝ラッシュで8〜9分間隔、夕方10分間隔(つまり日中と同じ)になる仕打ちで、不便だけどこれでも大した混雑率にはなってない。事実、朝の川西始発の通特、夜の雲雀止まりの急行が設定されてだいぶ経ちますが、これが序章になる。推測ですが手始めに日中ダイヤから分けて、朝夕まで完全に運行を分けるのはだいぶ先の話になるでしょうけど。
国鉄福知山線があれだから阪急宝塚線は対抗策をする必要が無く、神戸線や京都線のような高規格化やスピードアップ化やサービスアップを怠り続け、長年放置し続けていた、その長年のツケですな。
もう阪急は日中の8両急行の宝塚発着を辞めて8両急行は雲雀丘花屋敷発着に変えたほうがいいんじゃないのか?宝塚~雲雀丘花屋敷は今津南線や甲陽線みたいに3両ワンマン運転にすりゃいいと思う。
宝塚市のイメージも落ちてるし、仕方ないかな
前市長の後援会長が選挙公約は「何もしないこと」と言ってたくらいだから、仕方がない
そういや、阪神との統合も震災の後だったかな。
銀行とかの合併は銀行業界の自業自得だけど。
危機にもかかわらず阪神を買い取る余力があるんですね。
阪神の尼宝線がいまでいうBRTみたいでした。
余力で買い取ったというか、村上ファンドの影響で阪神が買収をかけられた、元々JR西日本に対抗する為に経営統合は模索していたと思うけどある意味村上ファンドのおかげで阪急民、阪神民とも違和感なく経営統合を実行できたとも言えるだろうね
(事実と異なる部分が多いと思うけどざっとこんな感じかと)
逆でしょ?
ベッドタウンの飽和状態の地域と未だ開発中の地域との差と言う事で阪急やJRの差では無いと思うけど?
地域に住んでいれば良くわかると思うけど?
JR福知山線だけは乗りたくないな
宝塚市民としては、JRは駅間離れてて使いづらい。運転見合わせの際に仕方なくJRを使うくらいかな。
五、六分早いくらいで大した事無いやん。
基本、駅まで遠いからJRは使わない。
炎上覚悟で言うけど川西能勢口迄に降りる乗客は急行に乗らないで欲しい。
豊中なんか梅田から10分くらいやから普通に乗ってくれませんか。
終点に近い我々は、座れずに迷惑なので。
昔みたいに庄内や曽根で普通電車を追い抜かすダイヤに戻した方が良いと思いますよ。
あと、阪急の冷房は本当に効かない。
他社線の弱冷車よりも冷えが悪いと思う。
勝ってるのシートの座り心地だけやん(TT)
早さを重視って乗り換えしてもたかが数分しか変わらんねんから乗り換え無しの方が楽やん。
ジジイの私としては、楽な方を取ります。
JRの恩恵は全く得られない豊中市民なので、ほとんど認識がなかった。
宝塚のファンで、よく利用しているけど、利用者も多い感じがするけど。
今津線はJR関係ないから需要が全く別かな、問題は福知山線と宝塚本線であって
阪急宝塚は特急と急行、普通の意味を考え直さないと!
川西から梅田まで座われてシート座席とかつくればよい!
例えば
阪急=96(黒)期。最終的に裁判所の命令(退学無効)に逆らい校舎への立ち入りを拒否する、反社会的行為=法に基づく命令を拒否は反社企業と言われてもしょうがない。
大企業の傘下の音楽学校があれほど狂っていたとは・・・はぁ。。。(溜息)
本裁判で負けそうになったら、和解して、ほとんど通学してないのに卒業証明の書類を渡すという無茶振り・・・
96期和解から数年後、実家のCATVのネット接続がKDDI系からアイテック阪急阪神に変更→裁判所命令拒否だけでなく被害者を踏みにじり加害者をスターにした反社企業
だから解約すると言って解約→フレッツ光にした。
阪急阪神ホールディングスは解体して、セクターごとに入札させて近鉄や京阪などに売り飛ばして消去すべきでは?
解体すべき理由→駅構内や車両への落書き→通報する。と書いてあるが→警察・検察は刑事罰や民事損害賠償を命令できない→裁判所の命令や判決。
自分に都合のよい時だけ司法の世話になる駄目な反社企業。
宝塚は福知山線の大事故でJR西日本の泥塗りでいまは阪急が有利やろ✋🚃
そもそもあのダサいマルーンに乗りたくない
近鉄よりはマシ
阪急はマル−ンを一時期変更を考えた事があつたみたいだが沿線の方々が反対署名が多く集まった為現状維持になった 又JRは宝塚線と神戸線 京都線ではÀTSが違う方式の為私はスピードより安全な運転をしている阪急のほうが良いと思います
@@治夫並JR宝塚線はどこより安全と思います。70キロ制限で事故が起きなかったカーブを60キロに下げていますし。
阪急ブレーブスをオリックスに身売りしたあたりも阪急は楽ではなかった。宝塚を売却検討されてたからな。さすがに宝塚売却せずブレーブス身売りだったが
養子の公平さんが宝塚ヲタでブレーブスか、どっちか売れと三和銀行から言われてブレーブスを売ったという噂。