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小台駅の映像は本当に懐かしい!小さい頃はパチンコ屋が3件あったなー
いつもご視聴、コメントありがとうございます。小台辺りの風景も、随分変わりましたよね。
都電は7500形未更新がデザイン的には大好きです。更新車体のデザインはあまり好みではないんですが、プラットホーム嵩上げ以降の更新で冷房装備されて夏場の利用が快適になりましたね。早稲田電停のポイント方向はいつ頃変更されたんでしょうか?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。昔の都電時代の車輛デザインは私も全て好きです。早稲田電停のポイント方向の変更時期というか、そもそも変更があったことも生憎私は知りませんでした。
退院したら、もう一度乗りたいな ❤
いつもご視聴、コメントありがとうございます。入院されているのでしょうか。お大事にしてください。
懐かしい映像ありがとうございます。初めて都電に乗ったのは町屋から荒川遊園までで当時は小学4年で当時10才でした。当時は京成線、都電も非冷房車ばかりでした。町屋駅前も当時から凄く綺麗になった。自分は当時から東武日光線沿線で吊り掛けの電車も多く走っていて東武線から吊り掛け電車がなくなり友人も寂しがっていたところ!都内にまだ吊り掛けの電車が走っていると教えてやり連れて行きました。その当時は吊り掛け車も都電に残っていたので!三ノ輪橋ー早稲田を往復しましたね!ここ最近、都電に乗ってないから!たまには行こうかと思ってます。貴重な映像ありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。関東, 東京に限らず、吊り掛け電車は大手私鉄から消えた後も、路面電車にはけっこう残っていましたよね。それが今では多くの路線で消滅し、残っているのは僅かになってしまいました。ただまあ、吊り掛けでなかったとしても、路面電車の存在にはホッとするところがありますし、前面展望は楽しいものですよね。
いつもなつかしい動画ありがとうございます。7514は江戸東京たてもの園で、学園号の7504は都電おもいで広場で静態保存されています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。学園号7504が保存されているのは知ってましたが、7514号も保存されており、それがなんと江戸東京たてもの園の展示車輛だったとは気付きませんでした。
6152は荒川遊園、5501は思い出広場、7506は池之端公園です。
7001は車庫内動態保存です。
西ヶ原四丁目の交差点先踏切前で停止しているのは、踏切手前の信号機が「✖」現示で踏切の遮断機がまだ下りていない状態だからですね(本当はもうちょっと手前で停止してないと、遮断機が下りて信号機の現示が「T」で進行可になったことが確認できないと思いますがw)。荒川区役所前の踏切でもよく同じことが起こります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動画内での私の疑問に対してご教示いただき恐縮です。同じ状況になる箇所が他にもあるのですね。
そうか、山手線の103系って昭和で終わりだったんだ😮大塚駅前のホープ軒が健在!飛鳥山の1球さんと黄色い7000の続行?運用、モノコックバス…昭和ですね😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。山手線はイメージカラーこそ変わりませんが、車輛は当時から何代も変わっていますね。
88年だと、7500形更新が最新形の頃だったのでは?結構好きな形だったんですが、意外と短命でしたね。
懐かしい映像、ありがとうございます🎵 都電の無い大田区で生まれ育った私にとって、憧れでした❤️個人的には、三ノ輪橋界隈の風景が大好きです😆💕
いつもご視聴、コメントありがとうございます。三ノ輪橋付近の風景、良いですよね。当時映像が少しありますので、別の機会に動画にするつもりです。荒川線の沿線風景はそれぞれ魅力的ですが、私は大塚駅前や飛鳥山付近も好きですね。
7514は現在、江戸東京たてもの園に保存されています。車内に入ることもできます。都立小金井公園の一角になります。塗色は黄色に赤帯で動画に写っているものとほぼ同じです。すでにコメントされている方もいらっしゃいました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。都電車輛が置かれてから、わりと直ぐの時期に「たてもの園」を訪れて電車の車内に入って座席にも座りましたが、当時それが7514号であるとは意識していませんでした。それから歳月を経て、本動画を編集する際に7514号の消息が気になったのですが、なんと同一車輛だったという訳ですね。貴殿及び他の方からのコメントで事実を教えていただき、ちょっと驚いております。
懐かしい音ですね。単に吊り掛け式というだけでなく『7000・7500形』の懐かしい歯車音です。2:52 嘗てはこの右カーブの所で 高田馬場駅へ向かう15系統と分岐していました。4:03 おっと!危ない!『あるかない せんろはでんしゃが とおるみち 東京都交通局』ですよ。『鬼子母神前』付近はドラマ『水もれ甲介』の舞台となった所。記憶違いでなければ5:20 7500形とすれ違った直後の橋梁下に『三ツ森工業所(甲介3兄妹の自宅)』として撮影に使われた 工務店がありました。下りでは 坂に任せて結構 飛ばしますが 上りではちょっと苦しそう。その気になれば王子駅前手前の66.7‰も上り下り出来るのに。7:45 鉄骨の太い柱の架線柱は 昔は更に高くて 送電線と兼用となっていました。オリジナの形態は8:42や 荒川車庫前電停の所に映ってる形の物です。建てられたのは明治時代で 電力供給も行っていた『王子電車』時代の物です。13:12 この辺りが 66.7‰だった筈。ガードを潜った先は 昭和47年まで 27系統(三ノ輪橋↔赤羽)の線路が続いていました。13:52 都電の折り返し用の渡り線は『スプリングポイント』なのがわかります。14:34 ここにも専用軌道にオリジナルの送電線兼用架線柱が並び 荒川線が『郊外電車の成れの果て』なのがわかるシーンですね。珍しく 蘊蓄を並べてしまいましたが『荒川線』を外から観たのは久し振りだったもので どうかご勘弁を🙇💦今回も 堪能させていただきました😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。貴重な情報が満載の蘊蓄、いつも楽しく読ませていただいてますよ。言及されているドラマは存じ上げておりませんが、荒川線の沿線はいろいろ映画やドラマの舞台となっていますよね。例えば秋吉久美子主演の「妹」では、赤帯時代の7000形(勿論更新前)が行き来していたのが印象に残っています。飛鳥山の勾配はかなり急だなとは思っていましたが、まさか碓氷峠並みとは思いませんでした。開業時の王子電軌が東京市電・都電の路線網に組み込まれ、更に荒川線としてここだけ残った訳ですが、都電全盛期は私にとっては生まれる少し前なので、その光景を目にするのは叶わぬものでした。昭和40年代でも路線はそこそこ残っていたようですが、神奈川県の小学生だったので東京までの「遠征」はちょっと叶いませんでした。
4:01軽い気持ちで軌道に入るのもまた昭和の光景だったのでしょうね😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ここに関しては、軽い気持ちではちょっと立ち入りにくい場所のような気が(笑)
冷房改造直後の7000形は行先が白幕でしたが、のちに青幕に交換されました。白幕冷房改造は貴重です。大塚駅前に着く前に都営バスがいますが、これは都02グリーンライナー(大塚駅~錦糸町駅)です。都02は都電の代替路線でもあります。ただ都02乙(池袋駅西口~東京ドームシティ・一ツ橋)はまだ都市新バスになってませんでした。荒川車庫に保存されてた7514(78年のワンマン化前に廃車されたため高床化されず)は廃車後ずっと放置されてたので赤帯が残ってましたが、江戸東京たてもの園で保存されるのを機に再塗装も実施されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。車輛の種々の更新時期がずれた際に、その組合わせとして「希少な期間」が生じる場合がよくありますが、都電7000形では行先幕変更と冷房化がそれに相当したのですね。電車だけでなく都バスにもお詳しいのですね。バス路線は路面電車と違って「目に見えない」ですし何より複雑過ぎて、ちょっと興味はありますが私はとうてい手が出ません。他の方のコメントへも返しましたが、私は、たてもの園に展示されていて乗り込んだこともある「都電」と荒川車庫で荒れるがままに放置されていた(ように見えた)7514号のそれぞれを認識していたものの、それらが同一車輛だったことはこの動画を公開してコメントで教えていただくまで全く気付きませんでした。奇麗に塗装し直され、黄色の色味が「濃く」なっていたことも、気付けなかった要因だったと思います。
7500形の更新車って、意外にも短命だったんですよね。当時の都電の更新計画が修繕から新車投入による代替に変更になったからですが、結局は部内の意見により7000形を大規模修繕して体質改善されました。手動制御、緩め込めブレーキの都電、VVVFインバータ制御に電気指令式ブレーキになり、時代の変革を感じます。ちなみに、8:09のところの一旦停止ですが、この時期は踏切遮断完了のT信号を確認せずとも、先の踏切遮断灯の点滅を見計らってノッチを入れていたようで、そのため、T信号先の踏切で一旦停止していました。この扱いは、滝野川一丁目での踏切未遮断による踏切事故を起こしてから禁止となり、現在ではT信号確認するまでノッチを入れてはいけないルールが徹底されているようです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この映像の撮影当時は予想できませんでしたが、仰るように更新7500形よりも更新7000形の方が長く活躍するかたちになりましたね。一旦停止の件は理由が判らなかったのですが、解説いただいたような状況だったのですね。
荒川区はいいところですよ~🎉さくらトラムよりやっぱり荒川線がしっくりきます🎉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。今では車輛も入れ替わり、それぞれカラフルになっていますが、この路線はやはり「都電荒川線」ですよね。
この頃、都電荒川線を走る電車の大多数が7000形と7500形でしたね!現在は全て新型車両に置き換えられ、7000形も7500形も現役車は1両も存在しませんが、本当に時代は変わりますね!
いつもご視聴、コメントありがとうございます当時の7000形や7500形は車体が新造だったので、私的には「新しい車輛」という認識でしたが、それらが全て引退して久しく、随分と月日が経った訳ですね。
ガキの頃浅草に住んでたから歩いて三ノ輪橋に行って吊り掛けを楽しみながらブクロや早稲田そして尾久の車庫をまったり見てからの歩い東北本線の尾久迄行って尾久車両センターに居る車両を眺めるって事をしてたのを思い出したよ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。子供時代の行動半径とは思えないほど広く、また深いですね。
楽しくも懐かしい記憶だよ
車体載せ替えの7000型を初めて見たのは夕刻でした。間隔の狭い2灯の前照灯、近付いてくると大きな一枚窓が目に入って、未来の電車みたいだと思ったものです。27・32系統だった時代は運行間隔も割と開いていて、沿線住民が線路を歩いて移動するなんていうことは日常茶飯事でした。ただ、変なところを踏んでしまうと踏切警報機が作動してしまうので要注意。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。8000形という例外はありましたが、都電の車輛は丸みを帯びた車体ばかりでしたので、直線基調のスマートな7000形更新車を初めて見られた際に「未来の電車」と思われたのもよく解かります。荒川線として統合される前の2系統時代の方が運行間隔が空いていたとは意外です。(逆かと思っていました)
いつも貴重な動画をありがとうございます。早稲田停留所は他の路線が廃止された直後は三ノ輪方面に向かって左側の道路は無く、ちょうど路肩に線路を引いた様な状態だったっけ。簡単なホームがあってそこから乗り降りしてましたね。車掌の名人芸と言うか安全性無視と言うか、最後の客がステップに乗った途端に「チンチン」と信鈴を鳴すと、ドアが完全に閉まる前に運転士はすぐに力行を入れて走り出す。(自動ドアなので車掌がスイッチを“閉”にしても若干のラグタイムがあり、バスのようにインターロックはありません。)スゲーと言うか、客が転んだらどうするとか思っていました。この路線、実現性はともかく、延伸計画は一応あるみたいですね。知ってるのは、三ノ輪橋から北千住迄の計画です。個人的には、早稲田停留所から川沿いを飯田橋駅迄延伸したらどうかと思っているのですが。早稲田~大塚駅前間の利用率が今ひとつなので、良いんじや無いかな。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。「客がステップに乗った途端に見切り発車」は想像しただけで面白い(いや危険w)ですね。延伸計画があるとは知りませんでしたが、それにしても「三ノ輪橋」から「北千住」までというのは随分距離がありますね。「南千住」までならすぐですが。あと貴殿の延伸プランも良いですね!「飯田橋」までがもし無理でも、せめて「江戸川橋」まで延伸されれば地下鉄との乗り換えが可能になりますし。
早稲田駅のホームが今とは違いますね。都電は早稲田〜大塚駅前間のアップダウンが好きで、たまに乗ってます。激混みの車内、ムチャする撮り鉄さん、鳴り響くチンチン音… 当時も今も変わりませんなぁ😅※ 京成の赤電懐かしいですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。荒川線のアップダウンは、たしかに面白いですよね。京成電車も、もっとちゃんと撮っておけばよかったと後悔してます。
都電、市電、◯電(その地方での呼び方)みんなに親しまれた、交通機関だね。😢
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そうですね!路面電車以外まで広げれば 銚電、江ノ電、叡電、嵐電、琴電、広電、・・・まだまだあるでしょうね。
『27三ノ輪~赤羽』と『32荒川車庫前~早稲田』をm(__)m統合させた路線m(__)m
いつもご視聴、コメントありがとうございます。他の大都市とは異なり、都電は全廃にならなかったのが、せめてもの救いですね。
①🏢帰宅時にギスギスした京浜東北線(の車内)から都電に乗り換えるとホッとする💕…とは知人の感想②20年程昔だが近所の👵(当時95歳)は若い頃滝野川に住んでいたらしく王電(王子電気軌道)と呼んでいた.名称はシンプルに限る.(さくらトラムは👎)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。混んだ幹線から路面電車や小私鉄に乗り換えた際のホッとする気持ち、よく解ります。往時を知るお年寄りが「王電」と呼んでいたという話も良いですね。世田谷線を「玉電」と呼び続けているのと同じですね。
この頃は、7000形への冷房改造が始まった時代で、ほとんどが、まだ非冷房車&黄色🟨ベースの旧塗色でしたね。そして今度は足回りの更新が施されて7700形になりましたが、そのうちの1両をアイボリー色に緑色🟩ベースの冷房車カラーに復刻塗装がされたらいいなと思ってます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。7700形の復刻カラー、いいですね! 本動画の時代の「新・旧」塗色の両方実現してくれたら嬉しいです。
@@昭和電車チャンネル 様。黄色🟨に青帯🟦の非冷房車カラーは7000形の引退前に7022号車が復刻塗装されましたね。それから、動画📹の撮影時期が失念された場合は、周囲に映っている🚙、特にタクシー🚕やバス🚌の型式・年式から割り出すのも一つの方法ですよ。
撮り鉄ってこの頃から危険な撮影やってたのか…
むしろ今より多いのでは?鉄道会社も何も言わなかったので大きな問題にはなってなかったのかもしれませんが
いつもご視聴、コメントありがとうございます。「学習院下」近くの「崖の下の線路わき」は、間違いなく鉄道事業者の敷地でしょうから、今ならかなり問題になるでしょうね。
SLブームの1970年代前半は皆で線路敷に平然と入ってました。安全管理が適当だったので容認されていたのでしょうか。
小台駅の映像は本当に懐かしい!小さい頃はパチンコ屋が3件あったなー
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
小台辺りの風景も、随分変わりましたよね。
都電は7500形未更新がデザイン的には大好きです。
更新車体のデザインはあまり好みではないんですが、プラットホーム嵩上げ以降の更新で冷房装備されて夏場の利用が快適になりましたね。
早稲田電停のポイント方向はいつ頃変更されたんでしょうか?
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
昔の都電時代の車輛デザインは私も全て好きです。早稲田電停のポイント方向の変更時期というか、そもそも変更があったことも生憎私は知りませんでした。
退院したら、もう一度乗りたいな ❤
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
入院されているのでしょうか。お大事にしてください。
懐かしい映像ありがとうございます。
初めて都電に乗ったのは町屋から荒川遊園までで当時は小学4年で当時10才でした。
当時は京成線、都電も非冷房車ばかりでした。
町屋駅前も当時から凄く綺麗になった。
自分は当時から東武日光線沿線で吊り掛けの電車も多く走っていて東武線から吊り掛け電車がなくなり友人も寂しがっていたところ!
都内にまだ吊り掛けの電車が走っていると教えてやり連れて行きました。その当時は吊り掛け車も都電に残っていたので!
三ノ輪橋ー早稲田を往復しましたね!
ここ最近、都電に乗ってないから!たまには行こうかと思ってます。
貴重な映像ありがとうございます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
関東, 東京に限らず、吊り掛け電車は大手私鉄から消えた後も、路面電車にはけっこう残っていましたよね。それが今では多くの路線で消滅し、残っているのは僅かになってしまいました。ただまあ、吊り掛けでなかったとしても、路面電車の存在にはホッとするところがありますし、前面展望は楽しいものですよね。
いつもなつかしい動画ありがとうございます。7514は江戸東京たてもの園で、学園号の7504は都電おもいで広場で静態保存されています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
学園号7504が保存されているのは知ってましたが、7514号も保存されており、それがなんと江戸東京たてもの園の展示車輛だったとは気付きませんでした。
6152は荒川遊園、5501は思い出広場、7506は池之端公園です。
7001は車庫内動態保存です。
西ヶ原四丁目の交差点先踏切前で停止しているのは、踏切手前の信号機が「✖」現示で
踏切の遮断機がまだ下りていない状態だからですね(本当はもうちょっと手前で停止してないと、
遮断機が下りて信号機の現示が「T」で進行可になったことが確認できないと思いますがw)。
荒川区役所前の踏切でもよく同じことが起こります。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動画内での私の疑問に対してご教示いただき恐縮です。同じ状況になる箇所が他にもあるのですね。
そうか、山手線の103系って昭和で終わりだったんだ😮大塚駅前のホープ軒が健在!飛鳥山の1球さんと黄色い7000の続行?運用、モノコックバス…昭和ですね😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
山手線はイメージカラーこそ変わりませんが、車輛は当時から何代も変わっていますね。
88年だと、7500形更新が最新形の頃だったのでは?結構好きな形だったんですが、意外と短命でしたね。
懐かしい映像、ありがとうございます🎵 都電の無い大田区で生まれ育った私にとって、憧れでした❤️
個人的には、三ノ輪橋界隈の風景が大好きです😆💕
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
三ノ輪橋付近の風景、良いですよね。当時映像が少しありますので、別の機会に動画にするつもりです。荒川線の沿線風景はそれぞれ魅力的ですが、私は大塚駅前や飛鳥山付近も好きですね。
7514は現在、江戸東京たてもの園に保存されています。車内に入ることもできます。都立小金井公園の一角になります。塗色は黄色に赤帯で動画に写っているものとほぼ同じです。すでにコメントされている方もいらっしゃいました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
都電車輛が置かれてから、わりと直ぐの時期に「たてもの園」を訪れて電車の車内に入って座席にも座りましたが、当時それが7514号であるとは意識していませんでした。それから歳月を経て、本動画を編集する際に7514号の消息が気になったのですが、なんと同一車輛だったという訳ですね。貴殿及び他の方からのコメントで事実を教えていただき、ちょっと驚いております。
懐かしい音ですね。単に吊り掛け式というだけでなく『7000・7500形』の懐かしい歯車音です。
2:52 嘗てはこの右カーブの所で 高田馬場駅へ向かう15系統と分岐していました。
4:03 おっと!危ない!『あるかない せんろはでんしゃが とおるみち 東京都交通局』ですよ。
『鬼子母神前』付近はドラマ『水もれ甲介』の舞台となった所。
記憶違いでなければ5:20 7500形とすれ違った直後の橋梁下に『三ツ森工業所(甲介3兄妹の自宅)』として撮影に使われた 工務店がありました。
下りでは 坂に任せて結構 飛ばしますが 上りではちょっと苦しそう。その気になれば王子駅前手前の66.7‰も上り下り出来るのに。
7:45 鉄骨の太い柱の架線柱は 昔は更に高くて 送電線と兼用となっていました。
オリジナの形態は8:42や 荒川車庫前電停の所に映ってる形の物です。
建てられたのは明治時代で 電力供給も行っていた『王子電車』時代の物です。
13:12 この辺りが 66.7‰だった筈。ガードを潜った先は 昭和47年まで 27系統(三ノ輪橋↔赤羽)の線路が続いていました。
13:52 都電の折り返し用の渡り線は『スプリングポイント』なのがわかります。
14:34 ここにも専用軌道にオリジナルの送電線兼用架線柱が並び 荒川線が『郊外電車の成れの果て』なのがわかるシーンですね。
珍しく 蘊蓄を並べてしまいましたが『荒川線』を外から観たのは久し振りだったもので どうかご勘弁を🙇💦
今回も 堪能させていただきました😊
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
貴重な情報が満載の蘊蓄、いつも楽しく読ませていただいてますよ。言及されているドラマは存じ上げておりませんが、荒川線の沿線はいろいろ映画やドラマの舞台となっていますよね。例えば秋吉久美子主演の「妹」では、赤帯時代の7000形(勿論更新前)が行き来していたのが印象に残っています。飛鳥山の勾配はかなり急だなとは思っていましたが、まさか碓氷峠並みとは思いませんでした。開業時の王子電軌が東京市電・都電の路線網に組み込まれ、更に荒川線としてここだけ残った訳ですが、都電全盛期は私にとっては生まれる少し前なので、その光景を目にするのは叶わぬものでした。昭和40年代でも路線はそこそこ残っていたようですが、神奈川県の小学生だったので東京までの「遠征」はちょっと叶いませんでした。
4:01
軽い気持ちで軌道に入るのもまた昭和の光景だったのでしょうね😅
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ここに関しては、軽い気持ちではちょっと立ち入りにくい場所のような気が(笑)
冷房改造直後の7000形は行先が白幕でしたが、のちに青幕に交換されました。白幕冷房改造は貴重です。
大塚駅前に着く前に都営バスがいますが、これは都02グリーンライナー(大塚駅~錦糸町駅)です。都02は都電の代替路線でもあります。ただ都02乙(池袋駅西口~東京ドームシティ・一ツ橋)はまだ都市新バスになってませんでした。
荒川車庫に保存されてた7514(78年のワンマン化前に廃車されたため高床化されず)は廃車後ずっと放置されてたので赤帯が残ってましたが、江戸東京たてもの園で保存されるのを機に再塗装も実施されました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
車輛の種々の更新時期がずれた際に、その組合わせとして「希少な期間」が生じる場合がよくありますが、都電7000形では行先幕変更と冷房化がそれに相当したのですね。電車だけでなく都バスにもお詳しいのですね。バス路線は路面電車と違って「目に見えない」ですし何より複雑過ぎて、ちょっと興味はありますが私はとうてい手が出ません。他の方のコメントへも返しましたが、私は、たてもの園に展示されていて乗り込んだこともある「都電」と荒川車庫で荒れるがままに放置されていた(ように見えた)7514号のそれぞれを認識していたものの、それらが同一車輛だったことはこの動画を公開してコメントで教えていただくまで全く気付きませんでした。奇麗に塗装し直され、黄色の色味が「濃く」なっていたことも、気付けなかった要因だったと思います。
7500形の更新車って、意外にも短命だったんですよね。当時の都電の更新計画が修繕から新車投入による代替に変更になったからですが、結局は部内の意見により7000形を大規模修繕して体質改善されました。
手動制御、緩め込めブレーキの都電、VVVFインバータ制御に電気指令式ブレーキになり、時代の変革を感じます。
ちなみに、8:09のところの一旦停止ですが、この時期は踏切遮断完了のT信号を確認せずとも、先の踏切遮断灯の点滅を見計らってノッチを入れていたようで、そのため、T信号先の踏切で一旦停止していました。この扱いは、滝野川一丁目での踏切未遮断による踏切事故を起こしてから禁止となり、現在ではT信号確認するまでノッチを入れてはいけないルールが徹底されているようです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この映像の撮影当時は予想できませんでしたが、仰るように更新7500形よりも更新7000形の方が長く活躍するかたちになりましたね。一旦停止の件は理由が判らなかったのですが、解説いただいたような状況だったのですね。
荒川区はいいところですよ~🎉さくらトラムよりやっぱり荒川線がしっくりきます🎉
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
今では車輛も入れ替わり、それぞれカラフルになっていますが、この路線はやはり「都電荒川線」ですよね。
この頃、都電荒川線を走る電車の大多数が7000形と7500形でしたね!現在は全て新型車両に置き換えられ、7000形も7500形も現役車は1両も存在しませんが、本当に時代は変わりますね!
いつもご視聴、コメントありがとうございます
当時の7000形や7500形は車体が新造だったので、私的には「新しい車輛」という認識でしたが、それらが全て引退して久しく、随分と月日が経った訳ですね。
ガキの頃浅草に住んでたから歩いて三ノ輪橋に行って吊り掛けを楽しみながらブクロや早稲田そして尾久の車庫をまったり見てからの歩い東北本線の尾久迄行って尾久車両センターに居る車両を眺めるって事をしてたのを思い出したよ
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
子供時代の行動半径とは思えないほど広く、また深いですね。
楽しくも懐かしい記憶だよ
車体載せ替えの7000型を初めて見たのは夕刻でした。間隔の狭い2灯の前照灯、近付いてくると大きな一枚窓が目に入って、未来の電車みたいだと思ったものです。
27・32系統だった時代は運行間隔も割と開いていて、沿線住民が線路を歩いて移動するなんていうことは日常茶飯事でした。ただ、変なところを踏んでしまうと踏切警報機が作動してしまうので要注意。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
8000形という例外はありましたが、都電の車輛は丸みを帯びた車体ばかりでしたので、直線基調のスマートな7000形更新車を初めて見られた際に「未来の電車」と思われたのもよく解かります。荒川線として統合される前の2系統時代の方が運行間隔が空いていたとは意外です。(逆かと思っていました)
いつも貴重な動画をありがとうございます。早稲田停留所は他の路線が廃止された直後は三ノ輪方面に向かって左側の道路は無く、ちょうど路肩に線路を引いた様な状態だったっけ。簡単なホームがあってそこから乗り降りしてましたね。車掌の名人芸と言うか安全性無視と言うか、最後の客がステップに乗った途端に「チンチン」と信鈴を鳴すと、ドアが完全に閉まる前に運転士はすぐに力行を入れて走り出す。(自動ドアなので車掌がスイッチを“閉”にしても若干のラグタイムがあり、バスのようにインターロックはありません。)
スゲーと言うか、客が転んだらどうするとか思っていました。
この路線、実現性はともかく、延伸計画は一応あるみたいですね。
知ってるのは、三ノ輪橋から北千住迄の計画です。個人的には、早稲田停留所から川沿いを飯田橋駅迄延伸したらどうかと思っているのですが。早稲田~大塚駅前間の利用率が今ひとつなので、良いんじや無いかな。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
「客がステップに乗った途端に見切り発車」は想像しただけで面白い(いや危険w)ですね。延伸計画があるとは知りませんでしたが、それにしても「三ノ輪橋」から「北千住」までというのは随分距離がありますね。「南千住」までならすぐですが。あと貴殿の延伸プランも良いですね!「飯田橋」までがもし無理でも、せめて「江戸川橋」まで延伸されれば地下鉄との乗り換えが可能になりますし。
早稲田駅のホームが今とは違いますね。都電は早稲田〜大塚駅前間のアップダウンが好きで、たまに乗ってます。激混みの車内、ムチャする撮り鉄さん、鳴り響くチンチン音… 当時も今も変わりませんなぁ😅
※ 京成の赤電懐かしいですね
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
荒川線のアップダウンは、たしかに面白いですよね。京成電車も、もっとちゃんと撮っておけばよかったと後悔してます。
都電、市電、◯電(その地方での呼び方)
みんなに親しまれた、交通機関だね。😢
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そうですね!路面電車以外まで広げれば 銚電、江ノ電、叡電、嵐電、琴電、広電、・・・まだまだあるでしょうね。
『27三ノ輪~赤羽』と『32荒川車庫前~早稲田』をm(__)m統合させた路線m(__)m
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
他の大都市とは異なり、都電は全廃にならなかったのが、せめてもの救いですね。
①🏢帰宅時にギスギスした京浜東北線(の車内)から都電に乗り換えるとホッとする💕…とは知人の感想②20年程昔だが近所の👵(当時95歳)は若い頃滝野川に住んでいたらしく王電(王子電気軌道)と呼んでいた.名称はシンプルに限る.(さくらトラムは👎)
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
混んだ幹線から路面電車や小私鉄に乗り換えた際のホッとする気持ち、よく解ります。往時を知るお年寄りが「王電」と呼んでいたという話も良いですね。世田谷線を「玉電」と呼び続けているのと同じですね。
この頃は、7000形への冷房改造が始まった時代で、ほとんどが、まだ非冷房車&黄色🟨ベースの旧塗色でしたね。そして今度は足回りの更新が施されて7700形になりましたが、そのうちの1両をアイボリー色に緑色🟩ベースの冷房車カラーに復刻塗装がされたらいいなと思ってます。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
7700形の復刻カラー、いいですね! 本動画の時代の「新・旧」塗色の両方実現してくれたら嬉しいです。
@@昭和電車チャンネル 様。黄色🟨に青帯🟦の非冷房車カラーは7000形の引退前に7022号車が復刻塗装されましたね。それから、動画📹の撮影時期が失念された場合は、周囲に映っている🚙、特にタクシー🚕やバス🚌の型式・年式から割り出すのも一つの方法ですよ。
撮り鉄ってこの頃から危険な撮影やってたのか…
むしろ今より多いのでは?鉄道会社も何も言わなかったので大きな問題にはなってなかったのかもしれませんが
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
「学習院下」近くの「崖の下の線路わき」は、間違いなく鉄道事業者の敷地でしょうから、今ならかなり問題になるでしょうね。
SLブームの1970年代前半は皆で線路敷に平然と入ってました。安全管理が適当だったので容認されていたのでしょうか。