猿と渦の奇妙な関係(裏編) サルタヒコ 邪馬壹国阿波説をレポート

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  • Опубліковано 8 січ 2025

КОМЕНТАРІ •

  • @ourdogs.R.wagayanoinutachi
    @ourdogs.R.wagayanoinutachi Місяць тому +2

    温故知新、素晴らしい、ありがとうございます

  • @ANYA-channel
    @ANYA-channel Місяць тому +3

    これは、すごい考察力ですね!

    • @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok
      @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok  Місяць тому

      ありがとうございます。
      最近、YAMAPを使って、天孫降臨のルートを調べていました。

  • @タオッチ真ん中っ子は優柔不

    佐那河内村出身の者です。佐那河内村の名東郡は、今でこそ一郡一村ですがかつては今の徳島市や国府も名東郡だったと聞いて育ったので、伊で勢いがあったから伊勢にはなるほどと思いました。

    • @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok
      @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok  Місяць тому +1

      ご視聴いただきありがとうございます。佐那河内村は徳島県の中でも歴史深い場所ですね。

  • @mizuironeko18
    @mizuironeko18 Місяць тому +2

    サルタヒコ、天照大神、面白かったです👍次回も楽しみにしてます😄

    • @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok
      @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok  Місяць тому +1

      ありがとうございます😊
      猿田彦珈琲はサルタヒコが好きだったのかな😊

  • @海坊主-w4l
    @海坊主-w4l Місяць тому +3

    いつ見ても参考になります。山伏吉祥院は轟神社宮司の祖先になります。

    • @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok
      @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok  Місяць тому +2

      ご視聴いただきありがとうございます。
      浅川の情報ありがとうございます。
      轟神社は近くまでは行っているのですが、訪問することが出来なかったので、次回、海陽町に行く事があれば行ってみたいです。

    • @海坊主-w4l
      @海坊主-w4l Місяць тому +1

      @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok
      宮司の家は浅川です😄

  • @KM-hs8fu
    @KM-hs8fu Місяць тому +2

    中年たけしさんのフィールドワーク、レポートは映像もそうですがリアリスティック過ぎて現実感がすごいですね😅
    名称や地勢などから鑑みても阿波の整合性の高さが伺えます。
    猿田彦とはつまり佐田、狭田、狭長田彦ということでしょうか。
    佐(サ)の彦という意味?
    猿田の「る」はオオヒルメの「ル」と同じく「の」の意味なんでしょうかね?
    (確かにサルタヒコと動物の猿が結びつきません)
    あと沖縄のサダル神とサルタ彦が語感や属性が似すぎてて同一系統としか思えないですね。
    愛媛県西端も佐田岬がありますね。サルタヒコと関係があるのでしょうか?
    海陽町の 御崎神社の数の多さにびっくりです。
    御崎(ミサキ、岬、御先、先、)も「サ」としての意味を持っていると思われますね。
    猿田彦=積羽八重事代主という説もありますよね。
    事代主も大神としての属性を持っていますし(恵比寿大神)、大国主曰く
    「事代主神が先頭に立てば国津神たちはみな事代主神に従って天津神に背かないだろう。」とも言わしめる大人物ですね。
    そんな事代主の兄弟には阿遅鉏高日子根神がおり、別称は「迦毛大御神」ですね。
    これはちょっと天津神>国津神という単純な構図では無さそうですねm(_ _)m

    • @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok
      @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok  Місяць тому +2

      ご視聴いただきありがとうございます。
      次回は事代主にチャレンジしてみようかなと思います。
      猿田彦にチャレンジした時、調べていたらと事代主と同一神?
      三輪高宮家の系図にあるようで、調べるほど古代史の沼にはまっている感じです。
      佐田岬半島は日本一細長い半島で、陸の孤島と呼ばれていたようで、魏志倭人伝に出てくる帯方郡の使者はこの半島を目印に四国まで航海してきたと思います。
      地名や土地の名前の由来は5大要素があるようで、地形・地勢、象徴的なもの、人名、合成地名、新しい地名。
      佐田岬もサルタヒコと関係しているのかもしれません。
      阿南市椿泊にも佐田神社がありますので、ここも何かサルタヒコに関係しているのかとも思いました。

  • @macyslime
    @macyslime Місяць тому +2

    色々な所で祀られる猿田彦神、とても勉強になりました。
    那佐半島は稲佐(委那佐?)の小浜に突き立てたツルギのように見えますよね。
    また、天鳥船神を天夷鳥命・阿波伎閉委奈佐毘古命と同神とする系図もあるとwikipediaで見ましたので
    かつては那佐湾を見下ろす山に鎮座されていた和奈佐意富曽神社と合わせて海部との繋がりが本当にあるような気がしてきます。

    • @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok
      @Takeshi-no-yuruicamp-de-Ok  Місяць тому +1

      ご視聴いただきありがとうございます。
      和奈佐意富曹神社も謎が多すぎて元々どこに鎮座されていたのか?
      御祭神はどの神様になるのか。
      機会があれば考察してみたいです。