I wish that Wonderful Love Again (1971) Ano Subarashii Ai o Mou Ichido. (TO BE TOGETHER AGAIN) Two former members of the Folk Crusaders released a record on April 5, 1971 Lyrics: Osamu Kitayama (ex-Folk Crusaders) Composed by Kazuhiko Kato (ex-Folk Crusaders, ex-Sadistic Mika Band) (English translation of the rough meaning of the Japanese lyrics) Since the day, We swore to love each other with our lives We've been nurturing wonderful memories Back then, We saw the same flower and said it was just as beautiful But now, Our hearts and minds no longer communicate I wish we could have that wonderful love again I wish we could have that wonderful love again Back then, When we sang the song of “the red dragonfly” together Even now, The sky hasn't changed at all The two of us who ran after the sunset that time But now Our hearts and minds no longer communicate I wish we could have that wonderful love again I wish we could have that wonderful love again Now,I'm alone in a wide open field My tears are flowing without my knowing it Even if the same wind blows as it did then The two of us who said then our feelings would never change But now Our hearts and minds no longer communicate I wish we could have that wonderful love again I wish we could have that wonderful love again No. 10 weekly in 1971 (original Confidence Japan chart) No. 46 on the 1971 All-Japan Annual Chart (〃)
こんな凄いメンバーでのあの素晴らしい愛をもう一度はこうせつのサマーピクニックつま恋ですね。最高でした。加藤さん最後のステージでしたね。
この曲は私が学生時代に音楽の授業で習った曲ですが、今でも名曲だと思います。その名曲を残して、加藤和彦さんは天国へ旅立ってしまいました。でも坂崎さんや他の歌手の人達が歌っていく事で、この曲は甦るのだなと思います。あんなに良い曲を作曲した加藤さんが亡くなられた事は今でも信じられないけど、曲は残っていくし、今でも坂崎さんが他の歌手の人達と歌い続けているから、それは良い事なのかなと思います。その坂崎さんは今年の4月で60歳になりました。今は元気でいるから安心しているけど、坂崎さんやALFEEがなくなったら、私は凄く落ち込んでしまうと思います。これから先坂崎さんや他のメンバーが何年生きられるか分からないけど、私は応援していきます。
ちなみに加藤和彦さんが亡くなられる前に活動していた和幸(かずこう)というユニットのメンバーがALFEEの坂崎幸之助さんです。
@@user-takako344 和幸、良いユニットだったのに、二枚だけでああいうことになって、むちゃくちゃ残念です。orz
加藤和彦さんの曲作りはほかの人が真似できないと、思いますがさらにすごいのはきたやまおさむさんが作詞したことだと思います。いまだに語り継がれる作品がたくさんあったということでしょうか?
正しく、青春の歌です。未だに同窓会ではこの歌で盛り上がります。
でもね、加藤さん、早すぎだよ!もっと俺達の青春を歌って欲しかった!
どうにかなるさ。
0:43 坂崎さん「ちょっと何か元気がなかった気がした」その1ヶ月後に加藤さん亡くなる。ステージできるほどの体力はあったのに…。先月会った親を想い出している。
自宅近くで行われていた野外イベント。あの時、行っていればよかったなって思う・・・。
『和幸』のコンサートも行ったし、CDも購入しました。今、こうやってみると、加藤さんの声をまだ生で聴きたかったなって思います。
ぼくはこのつま恋があった町で生まれ育って、つま恋の近くの高校に通った。 けれどもコンサートを見る機会はなかった。 フォークルが突然現れたのは、上京した年だったし、つま恋ができたのは、それよりもっと後だった。
涙が出ました。
今日、映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を観てきました。
加藤和彦さん、「あの素晴らしい愛をもう一度」という曲を、ありがとうございました。
いま、あらためて聞き直しました。
ただただ涙が流れてきました。
ありがとうございました😊
ご冥福をお祈りいたします。
そうそうたるメンバー
全ての人が
心がひとつになり
大合唱
これこそ
あの素晴らしい愛を
もう一度~🙆
北山修、はしだのりひこの三人でもやって欲しかったな。
老いは人の感性を失わす。アーテイストにとっては耐え難い、死にたいと思う人もいるのだろうな。
和幸のアルバムは出て直ぐに買ったよ😃映像が残る時代が僕は嬉しく思うが、変な動画も残ってしまう😭
心が通ってない昔の人と昔の歌うたうって、精神的にこたえたんでしょうかね。
すばらしい
誰も その人の 心の闇は 分からない。亡くなった時が その人の 寿命だったんだと思い 諦めるしかない。仕方ない。
加藤さん、こういうステージにしたくなかったのかもしれない。。。あくまで勝手な推測ですが。だって、この曲の歌詞とこのステージの雰囲気、全然合っていない。
戦争を知らない子供たちならわかるけど。。
まったく同感です
「あの素晴らしい〜」演奏直前の松山某との会話がそれを如実に物語ってます
動画があったら観てください。心が痛くなります・・・
この頃のトノバンの活動を観るにつれ、大丈夫かなと心配していた矢先でした
多くの人達に愛されている歌は、たとえそれが悲しい詞であっても、特にこうして皆で口ずさむと元気が出て来るもんです。この観衆やステージの上のミュージシャン達の愛情は加藤さんには伝わらなかったみたいですね。彼の“心の病”はもうどうしようもない所まで行ってしまっていて、こんなにも素晴らしい大きな愛を感じる余裕さえ無かったのでしょうね。残念な事です。
わかんないね。なんで?
登山家の植村直己と加藤和彦だけは死んでったのを悔む。合掌。
最後まで生きなあかん。生きて答えを見つける。難しくて見つからんでも別にいい。生きてたら別にいい。途中で死を選んだらやっぱりあかん。最後まで生きんとあかん。答えは生き抜いて悩んで明らかになって行くのかもしれない。だから最後まで生きなあかん。
改めて拝見するこの動画、また、涙が出ます。。。このコロナ禍、加藤さん歌声、まだ、たくさん聴きたかったです。
加藤和彦みたいな天才がお金で困って鬱でってのがショックだったな当時。。浪費家でわがままだったかもしれないけど、この国はこういう人が大切にされないんだなって色々考えたよ。
やりたいことが無くなったんじゃない。
やりたいことがあっちの仲間とあるんだよ。
精神科医の北山修さんにとって親友の加藤さんの鬱病を助けられなかったことが残念がっていた。その話の中で、"joint atention"の話をしていた。今日、私たちはスマホばかり向いて、実世界で同じものに向き合えることがなくなって、心の問題が生まれているという。
attention
その心の問題を解決してくれるのが歌だったんです。だれもがどこでも自然に口ずさみ歌っていた、夢と希望を与えてくれた歌が、いつしかカラオケの道具となり商品化されてしまったことに加藤さんは嫌気がさしていたのでしょうか。
なんて若い歌声なんだろう!
まだまだやる事は無かったんでしょうか?
改めてこの映像を拝見すると、そう思わずにいられません。
加藤さんの死からもう随分となりますが、
ご冥福をお祈りさせて頂きました。
動画UPありがとうございました。
坂崎幸之助さんってちょっと地味で、いつも裏方みたいなポジションだけど、こういうまともな人がいるおかげで周囲が盛り上がるのって凄いと思います。
他のメンバーがまともでは無いみたいな。
坂崎さんの音楽知識とギターテクニックは秀逸です。色んなミュージシャンの歌マネもすごいです。それが縁でフォークル加入でした。大瀧詠一さんにも気に入られてましたね。
坂崎さん器用な方ですもんね。
いやいや、この時点では関係ない。
SNSの難しいとこかな?
てか素直にコメ主はまともな人と言うワードが浮かびあがったのしょうね?余り責めないで寛容したら如何でしょうか、本人が他のミュージシャンがまともじゃ無いなんて一言も言ってないんですから。楽しく行きましょうよ😚
やっぱり加藤和彦さんは天才だな。
確かに加藤和彦さん元気がないようにみえる。なにかひとり浮いて見えるのは寂しいね。大勢でコラボで歌うのはあんまり好きでなかったのかな。加藤さんの死を無駄にせず自分なりにそこから何かを学びたい
新しいもの、カッコいいもの、おしゃれなものが大好きな人で、頻繁にライブする人じゃなかったよね。でも、ミカエラバンドは本当に楽しそうだった
洋楽ばかり聞いてきたけど、日本の歌手も負けてない。これからはこっちだな。
懐かしい歌を聞いてます坂崎さんの誰とでも組めるハーモニーも素晴らしいので頭が下がります
日本フォーク史の生き字引
南こうせつとはまるで兄弟みたい。声も酷似してる
加藤さんの全盛だった1970~1980年頃は、フォーク、ニューミュージック、歌謡曲、演歌など、歌が生活の一部とも言える時代でした。加藤さんの遺書に時代が歌を必要としなくなった趣旨のことが書かれていましたが、それはまさに真実を言い当てているのかと。誰もがどこでも自然に口ずさんで歌っていた歌が、いつしかカラオケなどストレス解消的な道具に用いられ商品化してしまったことに加藤さんは嫌気がさしていたのでしょうか。
学生時代、夏休みの東北旅行中、混雑した列車で、誰かがこの歌を歌い出し、大合唱になったことを思い出しました。
忘れられない青春の1頁ですね。
素敵な想い出、うらやましいです。
この1ヶ月後に死ぬって言い方、なんか嫌です。😔
俺も
私も
全くもって失礼極まりない言い方ですね。
同じく
気持ちはそうだけど、たんに現実。
安井かずみが亡くなってからの彼は脱け殻みたいでした
このライブ参加していました。何時までも忘れられないシーンです。
この動画の出演者すごい。あの素晴らしい愛は、私の中学時代の思い出の曲です。
間違いなく、日本のフォーク、ロックをけん引してきた人です。楽器に関しても、マーチンD-45や、フライングVを、中学生だった私に、教えてくれた人です。敬意、尊敬の念を込めて、バカヤローと言わせていただきます。
坂崎さんは偉大だよ。ももクロを支えてくれてありがとうございます。
加藤さん確かに元気無いよな、覇気も感じない具合悪かったンだろうなとにかく残念だね
「(最近の若者には)もう(自分の)音楽が要らないんだ」という悩み方をしてらした、とか?
必要とされなければ死んでしまう人の不思議というコトを感じますねえー、、、合掌。
加藤さんもムッシュも、もう居ないし、山本さんも療養中とか?……寂しいけど歌は輝き続けますね😹
この中には挫折した人は一人もいない!みんな大好き感謝。坂崎さん有難う。心に染みる。
しかし、すごすぎるな、昭和時代にとって、あの素晴らしいあの時代をもう一度と叫びたいね!
ほんとに惜しい‥
素敵なupをありがとうございます。
昭和のフォークソングを作ってくれた方だと言っても過言ではないかな。加藤さんありがとう。
作ってない
フォークの名曲、この曲は人を勇気づけます。我に帰れる最高の曲です
あの素晴らしい愛をもう一度、加藤さんの思いではないでしょうか?
このステージをテレビ放送したものを録画してあります。
加藤和彦さんに、聞くことは出来ないけど、でもやっぱり「どうして、どんな思いがあったんですか」って聞きたい気持ちでいっぱいです。
でも、良い曲をたくさん作ってくれて、ありがとうございましたと言いたいです。
夕焼けの中ずーっと長い道を歩いていくような、素晴らしいサウンドですね!
確か、加藤和彦さんの遺書には、「もう、人生でやることがなくなった」と。それと死は、イコールで結ばれるとは、思わないけど。
加藤和彦のお別れコンサートになりましたね。坂崎さん,森山良子ちゃんノリノリのイルカさんつま恋に泊るたびポスター写真なっかしく見ています。
旅行で軽井沢プリンスの前を通ると、この景色を最後に見ていたのかなぁって感慨深いです。
既に鬼籍に入られている方もいる…寂しいけど、こうやって次の世代に素晴らしい歌を継承していって欲しい
10月の第三土曜日だったかな?熊本のビジホでテレビつけたらいきなり加藤さんの訃報で驚いたのを今でも覚えてます。
この曲、わたしが小学校ぐらいの時一時期テレビで流れてました。懐かしいです。
かまやつひろしさん、加藤和彦さんの、ご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
サディスティックミカバンドから音楽の歴史を勉強する感じで今ここに辿り着きました。
坂崎幸之助さん、自宅が我が家近くにあります。大きい方ですよ。だから、加藤和彦さんも大柄だと思います。
あの素晴らしい 時代を もう一度
そうか、、ムッシュもこの時は居た🤦🏻♂️
やっぱり、自殺って病気や事故で死ぬより悲しいよ。
坂崎さんがラジオでも仰ってたけど、加藤さんこの頃にはいつ頃この世を去ろうと心に決めてたそうだ。
死んだこと自体より死のうと思ったことが悲しくて辛いな
福知山線の電車事故で亡くなった人達は自殺した人より悲しく無いのかな。
@@tydeentetuota5514そっちの話題になった時は、「こっちの方が悲しくてやりきれない」と言えば良い。たいこ持ちはお座敷を使い分ける。
松山千春が参加してるのですね。驚きです。
加藤和彦さんの作られた楽曲→♯あの素晴らしい愛をもう一度♯は、昭和フォーク🎸の最高傑作ですね。間違いなく昭和フォーク🎸グランプリ曲でした。
令和の時代になっても輝き続ける昭和の名曲ですね。
加藤和彦さんのご冥福をお祈り致します。ありがとう加藤さん
加藤和彦さん
同じ苗字同じ誕生日の私にとって偉大なる人生の先輩であり私の師と仰ぐ吉田拓郎さんの良き友だと思ってます。
まだまだ新譜を聴かせてほしかったですよね
私も同じ苗字同じ誕生日なんですよ主さんのおっしゃる通りもっと素敵な新譜を聴かせてほしかったですね合掌
かずみさんの所へいかれたのかしら…
さみしくてさみしくて
憧れのお二人でした。
お洒落でアグレッシブで
まるで別世界の人達でしたよ。
でも大好きでした。
ご冥福をお祈りします…
そうですね!
とても、素敵なお二人でしたから
かずみ夫人が、呼んだのかも知れません。
今まで、こんな動画があるなんて知らなかった。
遠い昔の話しなんで正確には思い出せませんが、フォークルの再結成とミカバンドの再結成Liveは近い年数で行われたと記憶してます。それぞれのグループのファン・加藤和彦のファンに最後のご挨拶をして逝かれたんだと当時は思いました。
この日、この会場にいました。
加藤さんが亡くなった・・・仕方ないですよね病気だったんだから!
あの素晴しい愛をもう一度、一生忘れません、妻恋こんさ〜と🎉
残されたメンバー、いつまでもお元気で❗️
大滝詠一さんの死に様は家族団らんでポックリ逝ってまさに『幸せな結末』だけど殿ヴァンは…(ノД`)シクシク
加藤さん、何故荒野をめざさなかったの…涙。
そりゃ作詞は五木寛之だかなあ
加藤さん、明らかに表情が固いな。疲れちゃってたのかな。
この映像観せて頂き、なんとも言えない複雑で不思議な感じが込み上げてきます。
加藤さんから伝わる、すでに魂が抜けているかの様な虚脱感、虚無感、それでいて後光が差すような穏やかな仏様の様な 微笑み‥
切なさ、やるせなさ、だけでは無い感覚です。
だから結果、加藤さんロスな私的には切ないながらも、この映像観れて 良かったです。
ありがとうございます。
ノブはボクサー
私もそう思います。
最後の1年前くらいに六本木の明治屋で買い物をされているのをお見かけしました。 ニュースで知りショックでした。
この曲を最初に聴いたのが小学3年という世代なんですが、牧歌的な曲調と悲痛な歌詞の違和感が最初から拭えず、どうも苦手だった。
メロディは文句無しに素晴らしいんだけど。
今でも、どう聴いたらいいか、解釈が分からない曲です。
加藤さんて元々、金持ちのええとこのボンボンやったんでしょう。若い頃に成功して地位や名声や富みを築き上げて、老後を余裕で送れたと思いますが...凡人には考えられぬさまざまな苦悩や葛藤があったのでしょうね...。自殺するような人って感受性が優れすぎてるんでしょうね。
合掌。
I wish that Wonderful Love Again (1971) Ano Subarashii Ai o Mou Ichido. (TO BE TOGETHER AGAIN)
Two former members of the Folk Crusaders released a record on April 5, 1971
Lyrics: Osamu Kitayama (ex-Folk Crusaders) Composed by Kazuhiko Kato (ex-Folk Crusaders, ex-Sadistic Mika Band)
(English translation of the rough meaning of the Japanese lyrics)
Since the day,
We swore to love each other with our lives
We've been nurturing wonderful memories
Back then,
We saw the same flower and said it was just as beautiful
But now,
Our hearts and minds no longer communicate
I wish we could have that wonderful love again
I wish we could have that wonderful love again
Back then,
When we sang the song of “the red dragonfly” together
Even now,
The sky hasn't changed at all
The two of us who ran after the sunset that time
But now
Our hearts and minds no longer communicate
I wish we could have that wonderful love again
I wish we could have that wonderful love again
Now,I'm alone in a wide open field
My tears are flowing without my knowing it
Even if the same wind blows as it did then
The two of us who said then our feelings would never change
But now
Our hearts and minds no longer communicate
I wish we could have that wonderful love again
I wish we could have that wonderful love again
No. 10 weekly in 1971 (original Confidence Japan chart)
No. 46 on the 1971 All-Japan Annual Chart (〃)
精神科医の親友でも、止められないことだったのかなあ。
北山氏は御著書は数多あるようだが、臨床医としてはどうなんだろうね?(^^)、名医じゃないかもよ
@@高田勝之-n4f なんでそう失礼な言い方するのですか。お医者さんはあくまでも治療のお助けする立場
であり、直るかどうかは本人次第なのですよ。
@@やともき いやいや、外科医や眼科医と同じく、精神科医も治療の腕が悪けりゃダメでしょ?、後、日本では精神科における精神分析療法は結局普及しなかったね?
泣けてくる
もう一度ステージが見たいものです
物凄いメンバー
『つま恋』無くなっちまったな。
坂崎さん、これからも、ますます歌い続けて下さいね~☘️🎶
この歌聴くとウキウキします❤
下っ手くそなギター🎸掻き鳴らしてたガキんちょ青春時代だった😊
メッチャ👍イィ~
歌って、最高‼️
加藤和彦さん!大好きでした。妻籠、合歓の郷、行きました、今もこの歌を聴いて涙💧が止まりません、天国で安らかに;先に逝かれた奥様と又歌を合掌🙏
初めてギターを買い、この曲を弾けたらかっこいいな!というのがそのときの気持ちです。それからは毎日3フィンガーの練習にあけくれていました。今加藤和彦さんの最後のステージを見て本当に複雑でで残念です。またギターをひきはじめましたが、まず声がでないのです。でもがんばりたいです。
最後の加藤さんの笑顔、、、
俺がこの「あのすばらしい愛をもう一度」を聞いたのは高二の頃だった。
あの時も、今もそう思う時がある。
中々埋まらない溝って有るもんだね。
期待だけを背負ってはいるんだけどね。
最後に南こうせつさんの呼びかけで歌う時に加藤さんが坂崎さんを盛んに隣の席にさそっているのがとても心に残っています。
このつま恋のコンサート行きました。加藤和彦さんがイムジン河を歌ってくれたり、子供のころテレビで見てた人を目の前で見られて感動したことハッキリと覚えています。
1ヶ月後亡くなったのをニュースで知りとてもショックでした。
加藤和彦さんは本当に残念です
私は基本ロックですが、今もこの人の曲は聞きます。
歌い継がれる曲があります。
坂崎幸之助がフォークル再結成解散コンサートで北山修に「こぶのないらくだ」を、歌い継がれない歌です😁。と話しますが、こぶのないらくだは良いです😁。
どんな思いで家を出て長野に行ってホテルに入ったんだろう。
もう楽になれると思って頑張っていったんだろうか
涙が出たよ…。ToT
加藤さん、最晩年は鬱だったとか・・・私は辛うじて乗り越えましたが、自分も鬱だった経験を共有させてください。
老人性鬱だとか解説は色々あるとは思います。
ただ、言えるのは、鬱はつらいと言う事。
患者本人が理屈で説明できることはなくて、調子が悪い時はただ沈むしかないのです。
薬が効いたりすれば楽になるときはあるけど、何の理由もなくポジティブシンキングができなくなって、訳もなく居なくなりたいと思う時もあります。
幸い私は妻の支えで何とか乗り越えられて、20年近くの歳を重ねられましたけれど。。。
真相は闇の中ですが、加藤さんの調子が悪かった時、運悪くたまたま周囲に誰も居ないバッドタイミングだったのかも知れません。
良いも悪いもありません、残された我々は、ただそっと加藤さんの作品を聞いてあげたら良いと思うのです。
同じグループの北山修さんは
京大の精神科医でしたね…
無念です…。
@@桜吹雪-c1vいやいや、北山氏は九州大学大学院教授-現在は名誉教授、白鴎大学長😮
唯、卒業医学部は京都府医大!
加藤さんの曲に勇気づけられてなんとか生きてこれました。本当にありがとうございます。
加藤和彦さんは北山さんのバディだったはずなのに、加藤さんを亡くした北山さんの心を思うとやりきれません。でも、北山さんは、ピエロの唄を伝えてください。
あの世に行っちまったぜぃ。悲しい。ドラムは古澤良次郎じゃないよね。
なぜ、なぜ死ぬの?