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この時代の武将の中で一番好きなのが新田義貞です。もっと評価してもらいたい人物です。
新田義貞縁の者です。ありがとうございます✨
正月から伊東先生の番組見れてうれしいですありがとうございます。
湊川の戦いは楠木正成が大きく取り上げられますが、最初足利尊氏の罠に引っかかったとはいえその後奮戦した新田義貞の事が少し忘れられている気がします。策を巡らしたり、人の心を掴むという点では劣る人物かもしれませんが、良くも悪くも真っ直ぐな人という印象が強いですね。
足利との戦で敗走する途中、大雨により流された橋を架けなおすために足止めされ、足利軍が迫るなか、地元の人たちも困ってると作り直した橋を壊ずそのままにした話を聞いたことがあります。公人としての感覚をもつ稀なる大将だと思い、好きな人物の一人です。
群馬の誇りです🙇
正月も配信してくれてありがとう😊
加来先生が居なくなって、攻めた歴史番組から、無難な歴史番組になってしまった。伊東先生は大好きですし、最高の番組です。ただ、たまには加来先生のこぼれ噺も聞きたくなる
伊東先生のご見解、大変参考になり、感動します。ありがとうございました。 12:06
楠木正成は、新田義貞を韓信になぞらえて高評価しています。愚直ではあったけど、戦上手でした。うちの祖先は足利尊氏に臣従。
新田義貞のイメージ、俳優の根津甚八さん。w
最初はショーケンだった
そうなんですよね。この年【2024(令和6)年閏年】...。1月1日月曜日.元日明けて...。『2024(令和6)年度』...。4月1日月曜日.新学年...。過ぎて、しばらくなだけに...。思い切って、振り返ってみたくなってしまったもの...。(以降の大変長々とした文面で、失礼ではありますけど...。)時折...。思い浮かんでしまうもの...。あの1989年が明けて...。1月7日土曜日をもっての"昭和64年"すなわち「昭和時代」の終焉...。1月8日日曜日からの"平成元年"すなわち「平成時代」の幕開けから...。約2年後...。まだまだ、かの昭和時代の太平洋戦争当時の「皇国史観」の弊害の一端...。尾を引いてしまっている最中...。後醍醐天皇君臨の南朝を「正統」...。楠木正成を「忠臣」「軍神」「英雄」...。足利尊氏を「朝敵」「逆賊」「国賊」...。との見方の余波の下...。「本格的禁忌解禁第1作目」として...。あの1991(平成3)年1月6日から12月8日まで全49回放送...。吉川英治『私本太平記』原作.池端俊策チーフ脚本.佐藤幹夫チーフ演出.NHK大河ドラマ第29作目『太平記』...。本当にここまで...。いろいろな成り行きが...。じっくりとたどってみること...。2月12日日曜日放送.第7回「悲恋」中盤前後...。足利邸を後にするショーケンこと萩原健一演じる新田義貞と、所用から戻った主人公・足利高氏(のちの尊氏)[ 真田広之 ]...。束の間のやりとりと別れ...。となったものの...。当時の持病だった真珠腫性中耳炎悪化による、ショーケン途中降板...。その急場凌ぎとして...。あの1980(昭和55)年4月26日土曜日より公開。黒澤明監督. 黒澤明.井手雅人.共同脚本. 黒澤明.田中友幸.共同製作. フランシス・フォード・コッポラ. ジョージ・ルーカス. 外国版プロデューサー・東宝.20世紀フォックス.配給映画『影武者』での直接共演以来...。のちの映画やドラマの共演での親交を深めた根津甚八の代役抜擢...。1991(平成3)年4月21日日曜日放送...。『太平記』第16回「隠岐配流」...。久々の高氏との再会の義貞...。まさに、先の東北遠征での筆舌しがたい辛苦あっての、違和感ないままで...。こうして迎えることになった...。あの5月26日日曜日放送...。第21回「京都攻略」中盤...。高氏率いる軍勢の京都・六波羅探題陥落の反面...。軍勢集結難儀あっての不安ながら...。幕府使者斬り捨ての勢いのまま...。新田義貞...。上野国・生品明神での、見切り発車同然の軍勢挙兵...。途上にて、高氏嫡男・千寿王(のちの義詮)を"錦の御旗"としての軍勢増強...。この苦悩と葛藤ながらの進撃を経て...。続いての6月2日日曜日放送...。第22回「鎌倉炎上」...。新田義貞率いる軍勢が、鎌倉幕府第14代執権・北条高時(片岡鶴太郎)総大将の鎌倉攻めの決定打...。あの"決定的瞬間"に至るまで...。つい二人を重ね合わせるかのような不可思議な夢見心地に...。ショーケンが「狂信」ならば...。根津甚八は「実直」...。といったところかも...。
こうして...。1991(平成3)年6月9日日曜日放送...。第29作目『太平記』第23回「凱旋」...。さる1333年6月11日(元弘3年5月22日)...。鎌倉陥落となっての鎌倉幕府滅亡...。となったものの...。無情にも、鎌倉では...。千寿王の名の下の集結との足利方に与する勢力...。元来の無位無官(一説では、かの鎌倉幕府初代将軍・源頼朝に側女を差し出さなかったゆえの冷遇???)新田方に与する勢力...。微妙な軋轢の絶えないままの統治体制...。高氏正室・登子(沢口靖子)...。新田家重臣・岩松経家(赤塚真人)...。双方からので執り成しでの辛うじて均衡も虚しく...。7月28日日曜日放送...。第30回「悲劇の皇子」...。かの北条高時遺児・時行挙兵...。中先代の乱勃発...。1335年8月11日(建武2年7月22日)...。岩松経家、参戦早々討死...。完全均衡崩壊...。となってしまったのでしょうね。以上...。大変長々と...。失礼いたしました。
今回の教訓のなかで「確実に勝つ道を選ぶ」は、どうしても感情がはいってしまい嫌いな人を避けてしまいがちですが、目的達成のために、寛容な気持ちを持つ努力が欠かせないと気付きました。また、これまで稲村ヶ崎の戦いの新田軍の勝利に゙疑問がありましたが、わかってよかったです。
横山まさみちの漫画「太平記」のような常に純粋でフェアを貫き戦地での略奪や狼藉は厳禁、戦でも非戦闘員を巻き添えにしなかったとか。
新田義貞 個人的には根津甚八さんを思い出します。。
ってか根津さん(もしくはショーケン)しか義貞演じてませんしね。
この動画を見てしまったらとても13日まで待ちきれません><
無位無冠であった新田一族にとって『左中将』の位階を貰えたことは義貞にとって、さぞや誇らしい事だったでしょうね。やっと足利一門に近づく事が出来たと万感胸に迫る思いだったやに思う。
今では正一位と足利尊氏より上という
明けましておめでとうございます。いつも分かりやすい解説ありがとうございます。お二人のやりとりも好きです!今年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
かっこいい😎🫶🫶👍👍最後が一番かっこいい
太田道灌殿を是非やってほしいですね
新田義兼・足利義兼「逆だったかもしれねぇ」
個人的には足利尊氏よりも大好き
どこまでも一流の軍人であって、政が不得手。時の権力に翻弄されて、あえなく滅亡した悲運の武将
本編の配信を見逃してしまった、、、、このころの歴史は勝者が残したものか争いを外から眺めていた御公家さんが残したものですよね。勝った足利からしたら自分たちを上げるためには下げるターゲットであったろうし、御公家さんからしたら見下す東えびすでしかなかったでしょうからね。だから誇張されて貶められていた可能性はありますね。
原澤将監道長子孫です。義貞公が取り上げられ嬉しいです。
伊東先生、湘南のサーファーだったんだ( ´∀` )意外
高度な専門知識がないとわからない。全編をUA-camで配信してほしい。
大河始まるとその登場人物扱うの多いけど平安はあまり勝ち負けないので楠木とか新田なのかな。
近世、近代だと最高の英雄は楠木正成だけど、その次が豊臣秀吉あるいは新田義貞かくらいの人気よ。明治天皇は楠木正成ファンだったけど、子供の頃は新田義貞ファンだったらしい。侍従に賊をやらせて「賊を討て!」みたいなごっこ遊びをしていたらしい。「なげ入れしつるぎの光あらはれて千尋の海も陸となりぬる」 明治天皇御製
新田義貞と足利義詮は共に信長型戦略脳を持つ武将。戦略的に戦えるので共闘はスムーズ。戦機を逃さず一気に鎌倉を滅ぼす。父親と同じ気質を持つ信忠が勝頼を一気に攻略したのも同じ気質からくる能力です。古い体制を壊し新しい体制に移行する時には、この行動気質の人材が世に躍り出て時代を先駆することが必要です。北条時政が出て義時に、信長が出て秀吉・家康対峙で家康に、義貞が出て後醍醐帝・尊氏対峙で尊氏にのように。義貞がいなければ簡単には鎌倉は落ちなかった。鎌倉後は家康型戦略脳を共に持つ後醍醐帝と尊氏の対峙は長きに渡ったが、天皇親政は時代にそぐわず尊氏の武家政権へ。同じように豊臣と徳川の対峙も長きに渡った。信長型戦略脳を持つ者の死は偶然に起こる例が多々見られる。義貞は少数の時の遭遇戦で命を落とした。信長・信忠・大村益次郎・伊藤博文など。義貞が生きて闘将の正成と後醍醐帝を支えておれば尊氏は簡単に政権の目処を立てられず混迷し、次の信長型行動気質を持つ義詮が、創業型の戦いを今一度やり直すことになっただろう。そうなっても続く義満が家康型なので足利政権は成立しただろう。早く死すとも義貞は古い政権を倒し歴史的重要な役割を十分に果たした。
貴重なコメント、ありがとうございました。
新田氏が源氏の嫡流と言うのは違います。あくまでも足利氏が嫡流です。なぜなら山名氏や里見氏などの新田氏の分家筋は足利傘下なのに新田本家だけが源氏嫡流だと自負していたようです。
新田が足利一門だった・・・が本当なら辻褄が合うんだ!
伊東先生、あんまり質問に答えてくれてないような気がする。
今回は良かった。コンサルや教訓は入れないで戦術や戦略を毎回解説できるとよい。
この時代の武将の中で一番好きなのが新田義貞です。もっと評価してもらいたい人物です。
新田義貞縁の者です。
ありがとうございます✨
正月から伊東先生の番組見れてうれしいです
ありがとうございます。
湊川の戦いは楠木正成が大きく取り上げられますが、最初足利尊氏の罠に引っかかったとはいえその後奮戦した新田義貞の事が少し忘れられている気がします。
策を巡らしたり、人の心を掴むという点では劣る人物かもしれませんが、良くも悪くも真っ直ぐな人という印象が強いですね。
足利との戦で敗走する途中、大雨により流された橋を架けなおすために足止めされ、足利軍が迫るなか、地元の人たちも困ってると作り直した橋を壊ずそのままにした話を聞いたことがあります。公人としての感覚をもつ稀なる大将だと思い、好きな人物の一人です。
群馬の誇りです🙇
正月も配信してくれて
ありがとう😊
加来先生が居なくなって、攻めた歴史番組から、無難な歴史番組になってしまった。伊東先生は大好きですし、最高の番組です。ただ、たまには加来先生のこぼれ噺も聞きたくなる
伊東先生のご見解、大変参考になり、感動します。
ありがとうございました。 12:06
楠木正成は、新田義貞を韓信になぞらえて高評価しています。
愚直ではあったけど、戦上手でした。うちの祖先は足利尊氏に臣従。
新田義貞のイメージ、俳優の根津甚八さん。w
最初はショーケンだった
そうなんですよね。
この年【2024(令和6)年閏年】...。
1月1日月曜日.元日明けて...。
『2024(令和6)年度』...。
4月1日月曜日.新学年...。
過ぎて、しばらくなだけに...。
思い切って、振り返ってみたくなってしまったもの...。
(以降の大変長々とした文面で、失礼ではありますけど...。)
時折...。
思い浮かんでしまうもの...。
あの1989年が明けて...。
1月7日土曜日をもっての"昭和64年"すなわち「昭和時代」の終焉...。
1月8日日曜日からの"平成元年"すなわち「平成時代」の幕開けから...。
約2年後...。
まだまだ、かの昭和時代の太平洋戦争当時の「皇国史観」の弊害の一端...。
尾を引いてしまっている最中...。
後醍醐天皇君臨の南朝を「正統」...。
楠木正成を「忠臣」「軍神」「英雄」...。
足利尊氏を「朝敵」「逆賊」「国賊」...。
との見方の余波の下...。
「本格的禁忌解禁第1作目」として...。
あの1991(平成3)年1月6日から12月8日まで全49回放送...。
吉川英治『私本太平記』原作.池端俊策チーフ脚本.佐藤幹夫チーフ演出.NHK大河ドラマ第29作目『太平記』...。
本当にここまで...。
いろいろな成り行きが...。
じっくりとたどってみること...。
2月12日日曜日放送.第7回「悲恋」中盤前後...。
足利邸を後にするショーケンこと萩原健一演じる新田義貞と、所用から戻った主人公・足利高氏(のちの尊氏)[ 真田広之 ]...。
束の間のやりとりと別れ...。
となったものの...。
当時の持病だった真珠腫性中耳炎悪化による、ショーケン途中降板...。
その急場凌ぎとして...。
あの1980(昭和55)年4月26日土曜日より公開。黒澤明監督. 黒澤明.井手雅人.共同脚本. 黒澤明.田中友幸.共同製作. フランシス・フォード・コッポラ. ジョージ・ルーカス. 外国版プロデューサー・東宝.20世紀フォックス.配給映画『影武者』での直接共演以来...。
のちの映画やドラマの共演での親交を深めた根津甚八の代役抜擢...。
1991(平成3)年4月21日日曜日放送...。
『太平記』第16回「隠岐配流」...。
久々の高氏との再会の義貞...。
まさに、先の東北遠征での筆舌しがたい辛苦あっての、違和感ないままで...。
こうして迎えることになった...。
あの5月26日日曜日放送...。
第21回「京都攻略」中盤...。
高氏率いる軍勢の京都・六波羅探題陥落の反面...。
軍勢集結難儀あっての不安ながら...。
幕府使者斬り捨ての勢いのまま...。
新田義貞...。
上野国・生品明神での、見切り発車同然の軍勢挙兵...。
途上にて、高氏嫡男・千寿王(のちの義詮)を"錦の御旗"としての軍勢増強...。
この苦悩と葛藤ながらの進撃を経て...。
続いての6月2日日曜日放送...。
第22回「鎌倉炎上」...。
新田義貞率いる軍勢が、鎌倉幕府第14代執権・北条高時(片岡鶴太郎)総大将の鎌倉攻めの決定打...。
あの"決定的瞬間"に至るまで...。
つい二人を重ね合わせるかのような不可思議な夢見心地に...。
ショーケンが「狂信」ならば...。
根津甚八は「実直」...。
といったところかも...。
こうして...。
1991(平成3)年6月9日日曜日放送...。
第29作目『太平記』第23回「凱旋」...。
さる1333年6月11日(元弘3年5月22日)...。
鎌倉陥落となっての鎌倉幕府滅亡...。
となったものの...。
無情にも、鎌倉では...。
千寿王の名の下の集結との足利方に与する勢力...。
元来の無位無官(一説では、かの鎌倉幕府初代将軍・源頼朝に側女を差し出さなかったゆえの冷遇???)新田方に与する勢力...。
微妙な軋轢の絶えないままの統治体制...。
高氏正室・登子(沢口靖子)...。
新田家重臣・岩松経家(赤塚真人)...。
双方からので執り成しでの辛うじて均衡も虚しく...。
7月28日日曜日放送...。
第30回「悲劇の皇子」...。
かの北条高時遺児・時行挙兵...。
中先代の乱勃発...。
1335年8月11日(建武2年7月22日)...。
岩松経家、参戦早々討死...。
完全均衡崩壊...。
となってしまったのでしょうね。
以上...。
大変長々と...。
失礼いたしました。
今回の教訓のなかで「確実に勝つ道を選ぶ」は、どうしても感情がはいってしまい嫌いな人を避けてしまいがちですが、目的達成のために、寛容な気持ちを持つ努力が欠かせないと気付きました。
また、これまで稲村ヶ崎の戦いの新田軍の勝利に゙疑問がありましたが、わかってよかったです。
横山まさみちの漫画「太平記」のような常に純粋でフェアを貫き戦地での略奪や狼藉は厳禁、戦でも非戦闘員を巻き添えにしなかったとか。
新田義貞 個人的には根津甚八さんを思い出します。。
ってか根津さん(もしくはショーケン)しか義貞演じてませんしね。
この動画を見てしまったらとても13日まで待ちきれません><
無位無冠であった新田一族にとって『左中将』の位階を貰えたことは義貞にとって、さぞや誇らしい事だったでしょうね。
やっと足利一門に近づく事が出来たと万感胸に迫る思いだったやに思う。
今では正一位と足利尊氏より上という
明けましておめでとうございます。いつも分かりやすい解説ありがとうございます。お二人のやりとりも好きです!今年も引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
かっこいい😎🫶🫶👍👍最後が一番かっこいい
太田道灌殿を是非やってほしいですね
新田義兼・足利義兼「逆だったかもしれねぇ」
個人的には足利尊氏よりも大好き
どこまでも一流の軍人であって、政が不得手。時の権力に翻弄されて、あえなく滅亡した悲運の武将
本編の配信を見逃してしまった、、、、
このころの歴史は勝者が残したものか争いを外から眺めていた御公家さんが残したものですよね。
勝った足利からしたら自分たちを上げるためには下げるターゲットであったろうし、御公家さんからしたら見下す東えびすでしかなかったでしょうからね。
だから誇張されて貶められていた可能性はありますね。
原澤将監道長子孫です。
義貞公が取り上げられ嬉しいです。
伊東先生、湘南のサーファーだったんだ( ´∀` )意外
高度な専門知識がないとわからない。全編をUA-camで配信してほしい。
大河始まるとその登場人物扱うの多いけど平安はあまり勝ち負けないので楠木とか新田なのかな。
近世、近代だと最高の英雄は楠木正成だけど、その次が豊臣秀吉あるいは新田義貞かくらいの人気よ。
明治天皇は楠木正成ファンだったけど、子供の頃は新田義貞ファンだったらしい。
侍従に賊をやらせて「賊を討て!」みたいなごっこ遊びをしていたらしい。
「なげ入れしつるぎの光あらはれて千尋の海も陸となりぬる」 明治天皇御製
新田義貞と足利義詮は共に信長型戦略脳を持つ武将。戦略的に戦えるので共闘はスムーズ。
戦機を逃さず一気に鎌倉を滅ぼす。
父親と同じ気質を持つ信忠が勝頼を一気に攻略したのも同じ気質からくる能力です。
古い体制を壊し新しい体制に移行する時には、この行動気質の人材が世に躍り出て時代を
先駆することが必要です。
北条時政が出て義時に、信長が出て秀吉・家康対峙で家康に、義貞が出て後醍醐帝・尊氏
対峙で尊氏にのように。
義貞がいなければ簡単には鎌倉は落ちなかった。
鎌倉後は家康型戦略脳を共に持つ後醍醐帝と尊氏の対峙は長きに渡ったが、天皇親政は時代
にそぐわず尊氏の武家政権へ。
同じように豊臣と徳川の対峙も長きに渡った。
信長型戦略脳を持つ者の死は偶然に起こる例が多々見られる。
義貞は少数の時の遭遇戦で命を落とした。
信長・信忠・大村益次郎・伊藤博文など。
義貞が生きて闘将の正成と後醍醐帝を支えておれば尊氏は簡単に政権の目処を立てられず
混迷し、次の信長型行動気質を持つ義詮が、創業型の戦いを今一度やり直すことになった
だろう。そうなっても続く義満が家康型なので足利政権は成立しただろう。
早く死すとも義貞は古い政権を倒し歴史的重要な役割を十分に果たした。
貴重なコメント、ありがとうございました。
新田氏が源氏の嫡流と言うのは違います。あくまでも足利氏が嫡流です。
なぜなら山名氏や里見氏などの新田氏の分家筋は足利傘下なのに新田本家だけが源氏嫡流だと自負していたようです。
新田が足利一門だった・・・が本当なら辻褄が合うんだ!
伊東先生、あんまり質問に答えてくれてないような気がする。
今回は良かった。コンサルや教訓は入れないで戦術や戦略を毎回解説できるとよい。