定子の敦康親王の出産と彰子の入内
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- Опубліковано 5 вер 2024
- #大河ドラマ #平安時代 #解説
※概要
長保元年、定子の懐妊がわかってから、敦康親王を出産するまでの道長が行った嫌がらせの数々をご紹介しています。
2024年、NHK大河ドラマ「光る君へ」解説動画です。
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きりゅうさんのお話をうかがって今年の大河ドラマを見ると、「清少納言の思いが千年の時を超えて21世紀の日本人へ伝わった!」と感じます。感慨深いです。
清少納言含め女房達、身だしなみいい加減だったんだね。中宮様にお仕えするのを誇りに思うなら自分達も身だしなみを整えなさいよ。自分達がだらしないのに、平生昌に逆恨みするのはお門違いだと思いました。
やっぱりきりゅうさんの解説は格別。「語り」そのものがもはや芸として確立してはる。
とても切なくなるお話しでした😢でも、きりゅうさんどんなお話しでも立板に水の如く話される、すごいです♪🤩
きりゅうさん
平安時代からやってきた記者のようで😊
いつも臨場感あふれたお話。
楽しすぎます!!❤
すばらしいきりゅうさんの語りでした😊
ドラマとかしましの解説で、もうどれほど定子の立場がつらいものだったのか、しみじみわかりました。貴族社会に総スカンの中で、よく定子も清少納言も耐えました😢
おまけで、平惟中、生昌兄弟の心根を教えてもらえて本当に嬉しいです😊
清少納言が定子中宮賛美をする背景を知ると、『枕草子』が、より立体的に奥深くなりますね。清少納言の意地もあったとは思いますが、やはり素晴らしいお人柄を伝えたいという思いだったのでしょうね。
きりゅうさんのお話教科書に載らなくても先生が話してくれるだけで歴史や古文に関心を持つ生徒が増えるでしょうね
定子ちゃんへの嫌がらせの話を聞いてもっとブラック道長になるのかなと思っていましたが、絶妙なラインで耐えてますよね、これからブラック化が進んでいくのか…まひろと見守ります☺︎
@@kk-uc4wt ともすると、ブラックな面が、クローズアップされて描かれやすいお話ですが、脚本のせいなのか、それを、さらっと演じておられる柄本佑さんの演技の成せる技なのか.素晴らしいと思う。
@@user-xm1vs6zt3u 私はお芝居の力が大きいと思います。変な例えですが、芸人のクロちゃんのアウトな発言もイケボで吹き替えるとセーフに聞こえますしw
清少納言の中宮定子様への愛の深さに泣けます。これから枕草子を読むときに泣きそうです。
今回もとっても興味深い内容で、体感的に5分ぐらいで見終わってしまいました。ありがとうございます。清少納言に思いを馳せると、涙が出そうになります。それはそうと、過去動画も同時進行で見ているのですが、お三人共皆様がどんどんお綺麗になられていて、今回は思わず見とれてしまいました。お肌も本当にお綺麗ですね。羨ましいです。七夕の絵もとても素敵でした
自分の子でなくとも一緒に育てようと言う宣孝は、結婚前から薄々道長との仲を知っていた。だから妊娠が発覚しても驚きはしただろうが、当時の結婚観も一夫一婦制ではないので、緩やかに受け入れる気持ちがあったのかもしれない。まひろと道長の関係を自分の出世に役立てようとする宣孝の意図をいう説もあるが、私にはそこまで考えていないように思われる。この妊娠に対してのいとさんの対応が、神だった!何があろうとまひろに寄り添うというまるで母親のような説得をし、とても頼りがいがあってさらに好きになった。いとさんにとっては、まひろも彼女の弟も子供同様な感覚があるのだろう。
一夫一婦の考え方はそもそもキリスト教の文化で、それにどっぷり浸かっていた西洋の価値観なんですよ。明治までは普通に妾を持っている実力者がゴロゴロいたんですよ。
@@user-gb3ow9um3u さん 明治の元勲はじめ江戸時代のまでの将軍、天皇も含め、子孫を多く残すことが家の繁栄のため必要で、最重要課題だったということはありますね。
松方正義は明治天皇に子供が何人いるのかと問われて、即答できずに後日調査結果を回答したそうです🤣🤣🤣
@@user-gb3ow9um3u さん それは、すごい!😆😅
>出世に役立てようとする宣孝の意図 ←私もゼロではないにしても比重は低いと考えます。結婚の際、言葉で説得しその後行動で示したわけですからそれはもう愛でしょう。もし、ただの不実な男ならその場の口先だけでこじれるはず
きりゅうさんのお話を聞いて枕草子の上辺しか理解していない事を知りました。
裏事情を知っていると深い内容であった事が良く分かりました。
いつの時代も出産は大変だけど、その中でも大変な出産だったんですね。
一条天皇も気苦労が多くて大変そうだと思いました。
きりゅうさん、この服似合ってます👍
きりゅうさんの教えた大江匡衡をしっかり覚えてる、さすがラットさん。
平惟仲も源俊賢も、中関白家から道長に上手く乗り換えましたよね。他の公卿に嫌われても、中宮に仕えたい様な人はいないですよね。
彰子入内の屏風に歌を詠まない実資に、ネチネチ皮肉言ってる道長はブラックでした。
定子に皇子が生まれた時は、道長焦ったでしょうね。一生で1番胃の痛む思いをしたんじゃないでしょうか?
高校時代、古文の授業で『大臣生昌が家に』の段を読んだ、内容が、当時女子高生定子推しの私にはツラかった…生昌が嫌いになった😢『職の御曹司におわしますころ』も何だかツラかった😢
きりゅうさんのこの動画を見終えるまえは、“生昌”や“職の御曹司”はストレス単語でしたが、今は、穏やかな気持で生昌や職の御曹司を見ることが出来ます。🐨🌿
知る、という事は、良い事ですね。ありがとうございます。また、次回も楽しみにしています。
定子様の葬儀にすら参列しなかった高階家メンバーに比べて、惟仲&生昌兄弟は頑張ったと思うのです (`・ω・´)
きりゅうさんの解説がないと枕草子は全然理解できないですね💦
物語の特性上注釈もあまり入れられないし。
かしましチャンネルのお陰で本当賢くなった気分です笑
学者の大江匡衡の話を聞いて、ドラマでは越前にいる、為時パパを思い出しました✨ 平安の学者も色々ですね。世渡り上手そうな匡衡と、10年無職だった為時パパ... 生き方の問題なので、どちらが良いと言うことでもなく😌
今回の動画の定子様の第二子出産の件を聴いて、清少納言が宿下がりをした屋敷の格や設えを事細かに描かなかったのは、清少納言が中宮定子への為だけに全身全霊を傾けて綴った『枕草子』に、怨み辛み等は 絶対に載せない!定子様を悲しませる様な事柄は載せない!という清少納言の矜持も あったんでしょうかねぇ😢
そう思うと泣きそうです😢
性格が歪んでいる私は、
みすぼらしい屋敷で中宮が出産する事を書かない清少納言はただプライドが高いなー
という感想でしたがラットさんは愛を感じたんですね 反省😅
確かに自分達がピエロになって中宮様を立てるのは愛だし本当に定子さんと清少納言の関係が分かりますね😊
定子さんの出産の加持祈祷はショボかったんですね😳
その後のまひろの出産が更にショボかったので豪華に見えました😆が訳あり中宮だからで、そうでなければもっと盛大だったんですね
まひろ家のせいで逆効果だったかも😅
ドラマではちょっとずつブラック道長が見え隠れしてきていますね
これから世代交代されて新キャラが出て来るかな
また次回も楽しみにしております❤
毎回盛りだくさんの内容で聴きごたえがあり、楽しみにしています🙂✨
宇治の別荘って、あの平等院鳳凰堂ですね。ついこの前行きました。鷺がうなぎのようなものを捕まえて食べていました😅
きりゅうさんの解説は楽しみながら理解が深まるのでありがたいです👍
個人的に平惟仲さんを最初に記憶したのは宣孝さんに促された為時さんが東三条殿に自分の推薦願いを届けに行った際に、外で応対した家司さんだった時だと思います。
あの特徴的な細いお髭はインパクトありました。
あの兼家さんの家司さんが務まるくらいなのでとても優秀な人という印象ですし、現在は公卿に出世しているのも納得です。
『よく知ってる』史実で、複数の創作物を読んで知ったつもりになってる私だったりしますが、きりゅうさんの解説・読み解きが素晴らし過ぎて、新たな知見を得られてます。ありがたすぎる🙏😭❤
正直なところ清少納言はあまり好きではなかったし、かと言って紫式部もう〜ん?だったのですが(両者の作品の素晴らしさは別)今期大河のおかげ、そしてきりゅうさんの素晴らしい読み解き解説のおかげで、めちゃくちゃハマってます!
定子が平生昌邸へ行くとき、公卿たちが行列に付いて行ってたとしても、全員が入れないくらいの狭い家だったのですね。満足な おもてなしもできないから平生昌にとっては来てくれなくてむしろ良かった。女房たちもみっともない姿を公卿たちに見られなくてよかった。
道長の意地悪は定子が中宮になった時から始まっていて中宮別当だったのに指揮をとらなくて女房たちが混乱して遅れた、
史実に残されたものだけでも酷い扱いですが残されていない中にもあったんじゃないかと疑ってしまいます
側に仕えた清少納言は道長、公達の思惑も全部見ていたでしょうし
「枕草子」を抹殺されず残すために
闇の部分、権力者やおバカの伊周の部分などカットせざるを得なかったのではないでしょうか
それこそが「闇 の部分」だと思います
枕草子にはおかしきことだけ書くでしたね❤
定子との思い出を楽しんでいて良いです。
出産で夫やお父さんが腰支えするなんて今時の出産みたい❤
道雅のお話もしてほしいです🙋百人一首に選ばれている中々の大恋愛をしているようなので…
いつもありがとうございますきりゅう様のお話のおかげで、大河が、奥深くたのしむこかあできます。❤😊😊
酷い家だったらしいですが、寧ろそんな家しか提供されなかった定子の状況というのを改めて分かりました
それだけやっぱり公卿達に反発かってたんですね
ラストに説明されてた豪華な出産は今後彰子がやるのかな?
きりゅうさん、髪型もスッキリまとめて色気ありますし、ネックレスも白くて爽やか、フワッとしたブラウスも素敵です。
大きな出来事なのに、あっちには書いてあるのにこっちには書かれていない!という謎は、一次資料を色々読むとままあることなのかもしれませんが、書かれた背景や書いた人のことを知れば知るほど、その「敢えて記録に残されなかった」理由がわかって楽しいです😊当時の記録を読む上での大事な視点を教えていただきました。
下手な説明ですみません😅
そういう意味で、小右記は貴重なんでしょうね。
@@user-gb3ow9um3u様
おっしゃる通りだと思います。道長が我が世の春を謳歌していたこの時代に、だれにも阿らずに淡々と記録を残しているんですから本当に貴重ですよね。
基準になる小右記があってこそ、同じ時代を色んな立場から見て書かれた記録の面白さがわかるんですね。
ご返信いただき、ありがとうございます😊
髪さえ切らなけば、良かったのでしょうか、道隆も亡くなったので、髪を切ってなかったとしても扱いとしては落とされるのか
今回の大河ときりゅうさんの解説のおかげで枕草子に対する理解度がグッと上がりました。
知識って、本当に宝ですよね…。ありがとうございます😊
道綱くん、史実でも癒し系なんですね〜弟に誘われてのこのこ遊びに行っちゃうの可愛い
状況がすっかり変わってしまっても、香炉峰の雪のエピソードの時から全く変わることなく心だけは落ちぶれない定子様は、中の関白家唯一の人格者ですね。清少納言が推すだけにことはありますね。
七夕の絵本素敵です✨
あと今日のきりゅうさんのファッションが夏らしくて素敵です💓
きりゅうさん、オシャレ〜♪*( ̄∇ ̄)*
まひろの出産の時は乙丸たちのインチキ読経だった演出は、さらに下級でショボイと言う意味だったのか、と納得😅
配信ありがとうございます😊
定子を罵詈雑言で批判し広めた
大江の妻は赤染衛門で夫婦仲も
良かったみたいですね
その赤染衛門は栄華物語を書いた
とされていますがその栄華物語は
道長を中心に一族の栄華を書いていますが一方で、定子のことは
褒めたり同情的に書くことはあっても決して悪く書いていなく
中関白家も悲哀に書かれるという
矛盾めいた特徴があります
定子以外にも全体を通して読むと矛盾してない?と読める部分が
見え隠れしてます
この矛盾を通して当時の貴族たちの本音などが垣間見えるようです
定子ちゃんの出産の時はお兄ちゃんズだけで、なんとも心淋しい感じでした
是非彰子ちゃんの出産の様子を是非取り上げて欲しいです
僧侶の読経ドンドコドンドコ〜ものの怪がうつった憑巫の叫び声きぇぇ・・・・ととても出産出来るBGMではない様子を是非に❤
敦康親王誕生の裏のあれこれ話面白かったです。中宮の出産なのに誰も快く屋敷を提供してくれなかったというのは悲しいですね。いろいろやらかしが多かった家だし、強い後ろ盾もいないとはいえ辛いなあ
やっぱ権力がないとひとはついてこんのだな わたしもこれからは左大臣をめざしたいとおもいます
動画のかしまし娘さん、noteの青江さん 光る君への知識・感想としての両横綱の感あり。
行成くんの努力のお蔭で~定子さん(お移り)の行列に時光と実資を同行させることが出来て、なんとか体裁を整えられて良かったですね😃同日に【宇治遊覧】をぶつける道長の嫌がらせに~参加したのが斉信と道綱だけだったのと=公卿の多くが日和したとはいえ=ここは引き分けですね😃行成くん、グッジョブです❗行成の板挟みの苦悩を描くのに絶好の「事件」なのに、スッポリとカットされたのは少し残念でした💦それまでの役者さんの表情演技にその一端は現われていましたが🙂
さらに敦康親王誕生時に道長から『嫌がらせパート2』をブツけられる定子サイドの屈辱は・・・同情に堪えません😢でも雄々しく気を張る【定子&清少納言】は、やはり敗者かもしれませんが、それ故に「美しい」ですね。それだけに凋落を招いた兄伊周の「しでかし」に今更ながら「喝」を入れたくなります👊でも反省の無い演技をする役者さんもさすがです😁
確かに、歴史的には敗者である定子清少納言ですが、だからこそその無念を秘めながら直接的に描かれていない”枕草子”が現在まで伝えられていることを思うと、彼女達の思いはしっかり継承され現代の私達に共感と哀れの気持ちを告げていて、すごいなあ!と感じます。
@@cancan5892 さん~定子さん&清少納言には失礼かもしれませんが、私は「滅びの美学」には非常に惹かれます。素晴らしい美点や長所がありながら「欠点・やらかし」を持ち合わせて脱落する芸術家タイプの場合もあれば、運命に翻弄されて退場を余儀なくされる場合など・・・アン・ハッピーエンドとも言えそうですが、「かつての栄光は麗しかった!」でもあるわけですね。きりゅうサン解説によって「枕草子」の裏事情が~否、清少納言の本意が度々語られて、勉強になりますね❗
今、まさに枕草子を読んでいます。現代語訳つきのものです。ふつうに笑える話として読んでしまいましたがそんな裏事情があったとは…
もう一度読み直そうと思いました。
お話面白かったです。登場した貴族のなかで唯一肝が据わってきちんと自分の場所で戦っていたのは清少納言だけだったんですね
きりゅうさんの解説があると、字づらでしかなかった歴史が立体的になって、色まで着いてくる感じで本当に楽しい。
それにしても定子ちゃんが気の毒です。あの時髪を切らなければもっと違ってたのかなぁ。
大石静さんは、道長は今後も闇落ちしないと宣言されているそうです。そうすると道長の傲慢さを詠んだ歌と言われている望月の歌は NHKの新解釈が出るのでしょうね。楽しみ。
今回は、嘘っぱちばかりで、時代考証どうなってるんだ!!と感じています。長年の大河ドラマ的には、史実を捻じ曲げすぎです。
@@user-tx9ii6qt2b そうですね。まひろと道長の関係に関しては、第 1回目からドラマとして見ないとけないですね。
今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗光る君へでは定子さん公卿たちに嫌われてるなと思えるぐらいですが史実ではもっと酷かったんですね。定子さんかわいそう
道長と差をつけられていく定子も清少納言もかわいそうです。
そんな中でも定子への愛を出す清少納言、泣けます。
伊周や隆家は何の力も無かったのですか?自分の屋敷も無かったのですか?
ドラマでは立派な身形で元気そうでしたが~
当時の出産って、あんなに真っ白な着物や寝具で、画面では全く汚れてはいなかったんですが😅汚れたら全部すぐに取り替えたり、産後はすぐ捨てていたんですか?
赤ん坊含めて7日間はそのままです。もちろん汚れたら取り替えます。
という事は、出産用の着物などはかなり大量に準備していたのですね。返答ありがとうございます😊
昔からの清少納言推しで、高畑充希が好きな私は、定子様推しでございます〜
ここまで解説を聞いて漸く道長の腹黒さを理解。ドラマはそこまで描かないので。
きりゅう先生、ブラウス素敵です✨お肌もピカピカお美しくて羨ましいです✨✨✨私は夏バテ❓️梅雨バテ❓️ヘロヘロに成っております😅💦
清少納言の想いは、現代までつながって居るんですね!
清少納言をより深く知ることが出来ました。
有り難う御座います(*^^*)✨✨✨
きりゅうさんのお話を聴いてると
平 惟仲さんも明日は我が身と思いながら
生き馬の目を抜く貴族社会で生きてきた強者
一見冷酷に見える平惟仲さんは
定子さんのお葬式を行ってるから
心根がとても優しい人なんでしょうね
あと最後に荒三位こと藤原道雅の名が出て嬉しかったです
定子出産の場面では小さな門で ひどい目にあった清少納言が 生昌に文句を言うと 身分相応の門にしたのです と言われ、門だけは大きく作った人もいますよ とやりこめるシーンがあります。中国の故事を引用しているらしいのですが 機会があれば解説してほしいです。それにしても清少納言の美意識は素晴らしいですね。本当にいい女です。
定子ちゃんは、髪切らなきゃよかったのにね。
いつも、配信をして頂きまして、どうもありがとうございます。
関係が無い話ですけれども、ふと思ったのですが、まひろちゃんの旦那様の宣孝さんの事を「殿」と呼んでいましたけれども、為時パパが越前から帰って来た場合、為時パパは何と呼ばれるのでしょうか?。「大殿」になるのでしょうか?。それとも、屋敷を別に構えて、「殿」のままなのでしょうか?。
あ、わたしも気になってます❤
行成君不憫
定子(ていし=歴史の方です)が、髪を切って、
内裏へは入れない状況であったにもかかわらず、
一帝二后として、今までの呼称より上(?)のような、
皇后にしたのなぜだったのでしょう?
皇后と認めるのなら、そのような処遇があってもいいのでは?
もちろん実家が、力を失ったことが、大きく響いているのでしょうが、
この際定子自らの出家したという意思がどう扱われていたのでしょうか。
(髪さえ切ったりしなかったら・・・とずっと思っているのですが)
伊周とか隆家の屋敷で出産しなかったのはなぜでしょうか?
二人はこのとき官位がなかったからでしょうね
ありがとうございました😊納得です
@@kashimashi_rekishi_ch 高階明順の屋敷を使わなかったのはなぜでしょう?
やはり、今も昔も同じ、顔色を伺って、仕事ですよね😅
道長、相当焦ってたんですね〜。いじめは良くないし定子は可哀想だと思うけど、道隆も相当身内びいきしてたからな…。死ななければ中野関白家の権力独占は加速してたと思うから、美化するのは身内だからかなと思ってしまう🤔
いつも楽しく拝見してます。
きりゅうさんのお話は本当に面白くて、歴史ってこういうふうに解釈するんだ!と知りました。
彰子さん今回の入内も無表情でしたけど、一条天皇との対面シーンはなんか惚れてるっぽい感じしたんですよね、歴史を知る我々はこれから定子がなくなり、のちに一条天皇も彰子さんを愛したのを知ってますけど、今のところまだ彰子さんに興味がなさそうの一条天皇を見ると、これからの彰子さんが心配になる。
道長が、紫式部に彰子の出産を詳しく記せと命じて、式部は日記にどれだけ豪勢だったかを書いたそうですね。きっとドラマでその様子が描かれて視聴者はその比較をしてまた定子さまを思い出し泣くのでしょうね。
4〜5話前だったか、F4から道長が抜きん出た後に源俊賢が加わって4人で話していた時
他の3人が道長についていくとか、負けたとか言っている中、
斉信だけは無言を通したので、
まだ一発逆転を狙っているのかなと思ったのですが
深読みしすぎですかね
歴史上は道長におもねっているようですし
帝は甥、中宮は姪、若い甥と姪がそんなに愛し合っているのにそこまで嫌がらせするなんて何様って思ってしまいます。
まだ30代だと思うのですが、それだけ威圧感のある人だったのかなと感じます。
今回のドラマで定子様を皇后にして、彰子様を中宮にする、という話がありましたが、皇后の位が空いたなら、そこへ彰子様を入れるのではダメなのでしょうか?
七夕のイラスト
メインは織り姫星
彦星は、「男」というだけで名前も無い
天頂に輝く織り姫星を子ども2人と共に見上げている、本来の七夕に近いイラストですね
蝉が鳴いたので、もう梅雨明け☀ですね
伊周が京に戻ったと密告したのは、まだ播磨にいた伊周と丹波にいた隆家のやりとりを、隆家の面倒を看ていた平生昌の甥っ子が道長に密告したとも言われていますね。
だから平生昌自身は、清少納言たち定子の女官にディスられながらも、最初から最後まで恩義があった道隆の娘定子に尽くした忠義者だった説もありますよね。
きりゅうさん、とってもおしゃれで素敵です💛 厳しい目を向ける人もいますがやっぱり私は清少納言と中宮定子の関係性が好きですね。尊いです。千年たった今でも中宮定子を好きな人はたくさんいるのですから、清少納言の思いは叶ったと言っていいと思います。ところで定子様が亡くなって清少納言たちが宮中を去って後に貴族たちが定子サロンを懐かしみ賞賛して、彰子サロンを酷評したのは本心では同情する気持ちがあったとかいうことはないのでしょうか?
内裏の火事を定子中宮のせいと噂を流した大江…道長への忖度…
ところで内裏の火事の出火原因って、なんだったんだろう…?と気になってきた…😨
ずっと疑問に思っていることがあります。
1000年前の御堂関白記や権記、小右記などの日記が今の時代にも残っているのがすごいなぁと思ってますが、どのような経緯で残っているのか知りたいです。
子孫の方が代々保存していたのか?発掘されたとか?
道長の書いた御堂関白記が世界遺産になっているとの事ですが、その経緯も知りたいです!宜しくお願いします。
京都には平安時代の藤原家から続く公家(公卿)冷泉家が今も続いています。冷泉家では今でも十二単を着て歌を詠むなどの行事をつづけてます。また、明治時代に天皇に就いて東京に移り住んだ元公家の人々は、近衛伯爵など爵位を得て、政治の中枢で活躍しています。つまり、平安時代の文化的資料は天皇家が続いてきたので現代まで守られる素地があったと考えます。
奈良の高野山で道長自筆の資料が最近見つかったニュースもありましたよ!
「がんじがらめ」って漢字で
「雁字搦」って書くんだ!驚き😮
中宮定子の読み方が「さだこ」というのに異説はないんでしょうか
徳川和子が入内するときに、宮中では濁音は忌避されたので、読み方を かずこ から まさこ に変えたという話がありますが、それは後世の話で平安期には問題なかったのでしょうか?
ちょっと調べたら定子と書いて「やすこ」「またこ」「つらこ」などとも読めるようなので、そっちを主張する説はないのかな、とか、
最近気になってます。
定子にいろんな読み方があるんですね。サダコはなにかピンときませんよね。
でも私は、そもそも定子などの名前は、位階とかのための書類記載に用いられるもので、普段の呼称ではなかったのだから、案外、ご本人や周りの人も、読み方は分からなかったのでは?と思っています。
昭和のころの皇室アルバムでも、宮さま方は○○宮さまと呼ばれていて、○仁さまとか○子とは呼ばれてなかったし…
赤染右衛門の旦那さんもドラマに出て欲しい〜😊
ボンクラ道綱🤣
今、酒井順子さん著の枕草子を読んでいるのですが、ちょうど平生昌のとこ読んでました〜(^o^)
枕草子には職御曹司にも公卿達が来て華やかな様子が描かれてるらしいのですが(当方勉強して無いので実際は不明ですが)その公卿達も出産の際に屋敷は提供しなかったという事でしょうか?
ドラマでも公任さんが笛を吹いてましたが…
ガチに豪華な妃の出産シーンは、彰子ちゃん初産の時に、ドラマでも見れそうですね!
なんといっても舞台は土御門殿・・・まひろが女房として、紫式部日記に
詳細に書き残してくれてますし🤭
とても楽しみです
枕草子の裏話、実は…というのを知ると、権力闘争は切実なのだとつくづく思います
「入内をぶつけるか」とあっさり言ってましたが、熟慮した段取りもあり、道長は賢い人だったんですね
枕草子に、「器の小さき人、心の狭き人、云々」と反撃文を書いてやればよかったのに
定子さんの出産がしょぼいと言われると、まひろさんの立場がなくなりそう
いとさんも乙丸さんも他、みんな百人力で頑張ったということですよね
定子と清少納言は不遇の扱いを受けても心豊かで雅なのが
見ていて優しく悲しい気持ちになります
きりゅうさんの解説を聞いて枕草子の読み取り方が変わってきます
兼家の血を受け継ぐ道長が
ブラック道長にならない事を願います
平安時代の上級貴族、結構ストレス溜まりますね。。。
なるほどー、弓でトラブルおこした2人が鳴弦かぁー、と思ってたのですが、お兄ちゃんしかやってくれる人いなかったんですね
道長は定子に対して傲慢とか、嫌がらせとか言うけど、それは矮小化した見方だと思います。
道長にとってはそれも政治なのだと思うのですが。
女性に対して、あれはやりすぎ、器が小さいと昭和時代の学者が書いた本にはありました。
長徳の変、花山法皇の牛車が射られたのは斉信の屋敷の門の外。
門の中には牛車は入らなかったのでしょうか。斉信の父は太政大臣為光。
門が小さいとは思えないので四の君の寝所に近い小さい門から出入りしていたから
牛車は門外で待っていた。というところでしょうか。
規則でがんじがらめな天皇。。。それでもなぜ天皇は自分の息子を、愛する女性が産んだ息子を天皇にしたがるのか???
藤原彰子の女御にする宣旨文は伝わらないが
書式は一定しているので想像は可能だ。
しかし、上卿、伝宣者、奉者が不明なので作れない。
尤も、口宣案の作成は可能なので試みた。
長保元年十一月七日 宣旨
從三位藤原朝臣彰子
宜爲女御
藏人頭右大辨藤原行成奉
それにしても、この時期には、藤原実資の小右記、藤原道長の御堂関白記、
藤原行成の権記といった日記類が現存しているものの、いずれもこの女御の宣旨文を
掲載していないのは残念だ。
道長なりのことなんだけど定子ちゃんには最悪(;´∀`)でも、どちらもわるくないんですよね。
平生昌は門を四脚門に作り替えたという記録は無くて、清少納言が定子のみじめさを知られたくなくて嘘をついた、という説もあるそうですね。中宮太夫を放り出した惟仲といい、この兄弟はひどいですねえ。
冷たいかもしれないけれど定子と一条天皇ってラブロマンスとては素晴らしいしすごい純愛だけど現実的には非常識で嫌われるのも当然ですよね。定子は判官贔屓と清少納言の定子賛美で悲劇のヒロインになっているけど父が死んで2日で参内したり、兄と弟を自ら匿ったり、衝動的に出家したりしていて直情的で後先考えられない人と言わざるをえないと思います。学はあっても行動が愚かというか。また、定子は権力欲がないとも思えないです。天皇を断りきれなかったとも言われますけど髪切ったなら本当に仏門に入って仕舞えばよかったのにそうせずに天皇に応じてるのは中関白家の復興を狙ってたというしかないでしょう。決して悲劇のヒロインとはいえません。結果、貴族の顰蹙買って自分や子を助けてくれる人を自ら減らしたわけですが。
中関白家ってことごとく自業自得ですね。枕草子も忠義の証であるでしょうがプロパガンダともいえますね。
個人的に道長は嫌がらせをしてはいるけど単なる権力闘争の勝者。彰子も最終的に絶大な権力を手にしただけだと思います。それだけで悪く言われることもありますけど、権力闘争に負けた挙句、墓穴掘った定子含む中関白家の人々にそこまで同情の余地はないと思います。
このコメントを見るまで、定子はただただ可哀想で、なんなら定子→善、彰子→悪みたいにとても薄い浅はかな認識でした。でも、このコメントを読んで認識が変わりました。冷静な反対意見って大事だと思いました。
@@user-ie2mm5ks8n 定子は兄や弟、天皇に振り回されたという意味では可哀想な人ですが、きりゅうさんが度々仰っているように平安時代の女性は弱々しいだけではないという面が定子にもあったということだと思います。
@@yayoia8017 コメントありがとうございます。広い視野で見ていかなきゃと痛感しました。なので、彰子の事も色眼鏡で見るんじゃなくきちんと良い所を発見して行こうと思います。
何だか私のメンバーシップの引き落としが出来なかったみたいで、申し訳ございませんでした。以前にも有ったのかしら?全くいい加減で申し訳ないです😢今、無事に更新されました。ごめんなさいm(_ _)m
多めに入れとけって話ですよね💦今後は気を付けます(´TωT`)
もし藤原道隆(井浦新さん)が長生きしていたら中関白家が栄えていたでしょうし🌸
さらに中宮・定子に第1皇子敦康親王が誕生しましたから,敦康親王が天皇に即位していた可能性も大✨でしたね。
詮子(吉田羊さん)は円融天皇からあまり愛されませんでしたが父・兼家という偉大な後見がいた為に一条天皇は即位できましたが,定子は一条天皇から寵愛され💕第1皇子を生んだけど母方の後見の弱さの為に敦康親王は天皇になることはできませんでした,
こう思うと詮子と定子は対照的な天皇家の嫁姑ですよね🤔
道長の腹黒さが見えてきましたね~政治てきな事でしょうが、よほど定子様が怖いのですね、もともと個人的に嫌いですが、政治てきでもやり過ぎですがまぁ~ドラマですからね~千年前の時代何が本当か定かわかりませんね~でも源氏物語は物語としては大好きです😅
道長と公卿の宇治遊覧か定子出産かは、京都の「ぶぶち茶でもどうどすか?」精神の萌芽を感じます。平氏の伊周密告事件は、彼はその頃まだ中関白家に同情し、伊周の帰郷をサポートしようと動いたら、わかってしまい平氏は悪くない説も、あるようですよ。私も男社会の嫉妬の渦中に居たので(権力ない人が活躍すると嫌がらせする、この場合出家して天皇の側にいるのはまかりならない定子)ので綿々と続く男の器の小ささ(ある意味可愛い?)がわかります。でも道長は嫌いになれません。あれ?
実際の道長は結構腹黒い権力者のようですね。ちょっと失望。
ドラマでは分からないが、道長の惨めさも描いて欲しい。
この嫌がらせを見ている一条帝は彰子を完全ガン無視したが、定子が亡くなり、代用品品の御匣殿も亡くなった。淋しい独り身の男、すでに8年たっ ているし、源氏物語に釣られてお渡り、据え膳彰子をつい頂いた。妊娠しやすい年齢の彰子はポンポンと続けて皇子さま出産。一条帝は種が弱いが、畑彰子は頑強な身体、
一条帝がその気があればまだまだ子が生まれていただろうから相当体調不良だったのか、お渡りが途絶えた。と思われる。彰子が一条帝に恋して、それが、実って妊娠出産したとしたいんだろうが、子を出産したからと言って、夫婦関係の愛情があったかは?だ。彰子は一条帝が最後は毛嫌いした人物の娘。一条帝に
彰子を気に入ってその気があればまだまだ子が生まれていただろうから、御役御免とばかりお渡りを辞めたんでしょ。まして一条帝の辞世をそばで聞いていた彰子は賢いからこの辞世は私に宛てたものではない。これは亡き定子皇后宛てたものだと気付いたと思われる。彰子の気持ちは本人に聞かないとわからないが、さほど辛くなかったと思われる。なんせ、鉄の心臓の持ち主だから。