【ゆっくり解説】新説でついに判明!?日本史上最大の謎『本能寺の変』の真実
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- Опубліковано 8 лют 2025
- #ゆっくり解説 #ゆっくり歴史解説 #日本史
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四国説の詳細が知りたかった。
パワハラは無かった説もありますよね。
比較的信憑性が高いといわれる川角太閤記には、「信長から光秀に、軍勢を点検するから、西国へ向かう前に軍勢を連れて本能寺に来い、という
命令が来た」という記載があります。これが事実であれば、謀反の動機はともかく、明智軍が抵抗なく本能寺まで来たことは理解できますね。
最新の説である長宗我部元親救援説が無い。やり直し。
本能寺の変の10日程前に秀吉と堺衆が結託して四国の三好を援助する方針に切り替えるように信長に働きかけて信長の方針が長曾我部バックアップから三好援助になった。一方の光秀と一部公家は終始長曾我部援護派だった。 堺衆は三好と仲が良く、堺の経済力を重視した秀吉は三好との同盟を望んでいて甥の秀次も三好に養子に出している。 光秀は長曾我部援護から三好援護に切り替わった10日前の信長の決断に慌てた様子が当時の公家の日記から伺える。 明らかにこれが(すべての要因にないにしても)本能寺の変につながったと考えられるし文書も最近、見つかった。 ところがこの動画のようにいまだにこういう定説から抜け出せないままに語る人も多い。これは四国を現代の価値観から過少に見下してしまうというところがあるため。そもそもが室町時代は四国が大きく関わっていていたという事実。 ともかくもどうして未だに四国説を無視してこんな動画作っているのか・・・
信長外交が長宗我部から三好にチェンジしたと言う事は、光秀が秀吉との出世争いで1つ大きく負けた事を意味しますね。実は備中高松城の水攻めも同じく秀吉vs光秀の出世争いに大きく影響し、光秀の心を大きく揺さぶった可能性があります。信長は世間では西洋趣味だったと思われていますが、実は大変な中国史好きで安土城天守閣最上階の間の襖絵は孔子とその弟子十人(孔門十哲)だったと伝えられています。そして特に信長が知伯と趙襄子の争いという物語が好きだったと言う説もあります。信長が妹婿の浅井長政の頭蓋骨を泊濃にして酒宴の見世物にしたと言うのも、この物語から取った物だった可能性が高いです。そして秀吉が備中高松城で行った水攻め…コレこそ、この知伯と趙襄子の戦いからパクった物でした。もし明智光秀が世言われているようなインテリで博学な人物ならば、その衝撃は如何ばかりだったでしょう。まさか本当にソレをやってのけるなんて、しかも信長は大喜びで大切な客である家康をほったらかして「早速見に行こう」なんて言いだす始末。光秀は立て続けに出世のライバル秀吉に叩きのめされたワケです。光秀に残された数少ない逆転の1手、その1つが自分自身が信長を討って自らトップに立つ事だった。まあコレはさすがに考えすぎカモ知れませんが、秀吉に立て続けに出し抜かれた事が少なからず光秀の心境に影響を与えていた可能性は充分あると思います。
新説とは・・・
新説ではなく既存の説ばかりです。説得力がピンキリの説を同列で語っています。いささか説の選択が恣意的です。
また、所々現在の常識で考えており、当時の常識を考慮していません。
譲位を要求は当時の常識から考えるとそれほど奇抜ではありません。
行幸御殿として清涼殿に類似したものを建てたという説の説明がありません。
家臣の定義が難しいですね。譜代と外様では織田家に対する距離感が全然違っていたでしょう。光秀は幕臣でしたから信長とは同格だという意識があり、将軍代理に協力しているだけという認識だったかもしれません。そんな彼を信長が完全な家臣扱いしたらカチンとくるでしょう。
織田家の譜代とされている武将の中にも、守護大名の一族や家臣、幕府の直臣である国集もかなりいたはずで、彼らが心の中でどう考えていたかはわかりません。
新説:フルアーマー弥助が急に暴れだして本能寺に蓄えてた火薬が爆発
記録に残る説話の少なからぬ部分が江戸時代の講談師による創作で、それを歴史資料として組み立てられた通説というものが真実とかけ離れていると想像する事は難しくないでしょう。しかし新説もまた根拠の部分は同じくらい希薄なわけで、結局通説がベースになってしまう堂々巡り…。
既存の説にしても、家督はすでに信忠に継がれているわけで、信長・信忠親子というような表現が皆無だったので、申し訳ないがゼロ点です。
畿内周辺に居たのは、四国方面軍の信孝と丹羽長秀だけ。そして信長と信忠を同時に討てるというのがとても重要だったと思う。もし仮に信忠が安土や岐阜に居たら、やらなかったと思う。この奇跡のようなタイミングが神のお告げくらいに思ったとしても不思議はないけど…ネェ〜。
私は、ユキムラチャンネルの朝廷黒幕説が一番しっくりくる。
個人的には、大河ドラマの麒麟がくるで、光秀が主人公だから、朝廷黒幕説とかやるかな?と期待してたけど、スゲェ普通でガッカリした。
大衆心理の怨恨とか勝負とか、変わらぬものですね。もっと大きな自然の作用・力学が、在る気がするし、結局、その不可思議さに平和を託するしかありませんね。
全然新説じゃなかった
こういうサムネ詐欺みたいなことは本当にやめたほうがいい。別に教養として通説を解説するならそれでいいじゃないか。
新説でついに判明!?みたいな煽りをするならちゃんと新説を勉強してほしいし、それをやらずに無責任な言葉を使うならあまりにも不誠実だよ。
こういうことを繰り返していると視聴者を失望させるだけなので一時的に視聴者は増えるかも知れないがセブンイレブンの上げ底弁当みたいに信用を失い登録者は減る。
諸説あるけど 陰謀論で片づけられるから 真実は闇の中 ただタイミングとか気の迷いとか 偶然が重なった結果なのかな・・・運も実力のうち
新説というよりは、既存説ですね、詳細で面白い流れでした。 光秀=天海僧正説(徳川家康共謀説)もあるし、興味は尽きないですね。
解説者の声を変えている為非常に聞きづらい普通に話して下さい
今回の動画の本能寺の変とは少し離れますが、私は家康は光秀から命を救われたと思っています。その証拠が徳川幕府3代と4代将軍の乳母を明智からだしていることです。織田に謀反したという意味で犯罪人である明智から将軍にとって最も大切な乳母を採用するなど絶対に有りえません。あまりこのことに触れる方がいないのが長年の疑問です。どうして明智から将軍にとって最も大切な乳母を採用したのか、答えられる方がいましたら、どうか教えていただけませんでしょうか!
新説は…?
失礼ながら...私個人的には俗説と陰謀論のオンパレードで頭が痛くなりました。あしからず
どこに新説があった?
「山崎の戦い」の際光秀は筒井順慶にも協力を乞うたが、順慶は洞ヶ峠まで兵を移動するも日和見に撤し、これが「洞ヶ峠を決め込む」の由来になったと言われている。個人的には「本能寺の変」の原因は『逆説の日本史』で有名な井沢元彦氏が唱える「光秀魔が差した」説(野心説に近いか)を推す。
6月2日は沢城みゆきの誕生日です
マリリンモンローも確かそう
タイトルが大袈裟、この内容のどこが新説?
こんな動画作ってると視聴者が逃げて行くよ
新説❓ 何処❓🤭
所司代の村井貞勝のおかしな動きをうまく説明できてるのは今のところ「信忠を担いだ家臣団のクーデター説」しか見たことがないなあ。
単独説ではめちゃくちゃ変。
どこら辺が変なん?
@ 単独説であれば信長と信忠を可能な限り速やかに殺すことが目標ですが、であれば本能寺の目の前にあった所司代(貞勝の私邸)は真っ先に包囲殲滅するはず、という点ですね。
寵臣であった村井貞勝が妨害に来ることは明らかですから。
実際、信忠の元に向かってますしね。明智軍はそれを許してるのだから謎です。
貞勝が当初具足もつけずに、軍令違反を犯し本能寺を包囲し槍のカバーを外してさえいる明智軍のいるところへ「走り出でて」いるのも奇妙です。
京に向かう道中も20人程度は目につくもの全員切り捨ててたらしいし、相当張り詰めてたはずです。
@@matukawatositane 単独説なら本能寺の目の前にあった所司代(村井貞勝の私邸)を包囲・攻撃していないのが変。
可能な限り速やかに信長と信忠を殺さなければならないし、所司代に手心を加えたわけもないですから。
貞勝も貞勝で、なぜか軍令にそむいて京にいて本能寺を包囲し、槍のカバーを外している明智軍に対して、具足もつけずに「走り出でて」喧嘩(喧嘩?)を仲裁しようとしている。
他のおかしな点についてはその時だけの事情で特別な何かがあったのだ、と納得できるかもしれませんが
明智軍が所司代を攻撃しない理由はまったくなく、貞勝においてはある程度の事情を知っていたとしか思えません。
@ むしろ単独説だからこそ村井貞勝を明智が無視した説ない?
京に信長信忠親子が偶然少ない手勢でいたからこそ起きたのが本能寺の変
計画性のへったくれも無いからこそ村井貞勝は無視されたと
@@matukawatositane 信忠のもとへ向かう貞勝を結果的に見過ごしてさえいるわけですから、ありえないと思いますね…
凡将ならともかく明智光秀ですから。
イエズス会だよ
こんにちは
新説??どこが??時間返して!
スレタイ詐欺
信長が~と終始語られてるけど、この時は既に信忠に家督を譲った後なので織田信忠の戦なんだよね。だからこそ信長は兵力を持っていなかった訳だし。
信長は実力主義で光秀や秀吉を重用したが信忠は織田家の血統により織田家を継いだだけなので譜代の家臣重視の政治に方向転換を図っていた。
当然それには光秀も秀吉も危機感を持っていたので毛利攻めの大軍を手に入れた秀吉は謀反を決意、毛利と和睦し京に兵を戻し始めていた。
毛利攻めが進まない事に苛立つ信忠は光秀に秀吉への援軍を命じるが秀吉謀反の情報を掴んだ光秀は多勢の秀吉軍との衝突を避け京に戻った、と考えると中国大返しの謎も矛盾無く説明できるのだよね。
本能寺の変の動機で歴史家が提唱している通説って所謂、信長を"悪"、光秀を"善"であることを大前提にしているので違和感が強いんですよね。
信長は超絶ブラック企業のワンマンパワハラ社長っていうのは否定のしようが無いですが、光秀も大概な気がします。
案外、幕府の幕臣、信長の重臣として権力者を間近に見てきたので自分もそうなりたいって思っただけなのかもしれない。
バカ殿として伝わっていて、本能寺の変の後に安土城放火したなど言われる信長次男の信雄だけど
現在の織田家はその子孫なわけだから、神戸信孝が切腹されて織田家存続のために愚者を演じてた可能性もあるのかね
信雄は本能寺の変より昔からバカ殿だったので、愚者を演じてた可能性は無いと思う。
新説どこにもありませんけど😮
誰でも考えること一緒ということかな
秀吉は正親町天皇の実子みたいですよ。だから信長を裏切ったみたいです。光秀はイヤイヤみたいですよ。飛鳥昭雄さんからの情報です。
さすが飛鳥昭雄
専門の研究者でもない人間の埃のかぶったような説を真に受けちゃうのか(困惑
ーコメです