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最近、徳島が神話起源との話にとてもワクワクしてのめり込んでおります。私も徳島出身です。実家に帰省し、徳島を回ってみたいと思います。実家は元もと神社でしたが、今では近所の神社の脇社として祀られています。残念なことに、今では何も残っていません。しかし、実家の荒れ果てていたご神木を綺麗にしてお祀りしましたら、不思議なことがおきました。夜中じゅう、太鼓の音が鳴り響いたのです。喜び祝福の祝い太鼓です。翌朝、カメラで写真をとりましたら、はっきりと大黒様のお姿が写っておられました。その後は肉眼でもはっきりとお姿を拝見することができました。大黒様は阿波の実家のご神木に現れるほど、地元と深いご縁があったのです。それにしても、神様は今でも日本を守るお気持ちを持ち続けていらっしゃるのは、ありがたいことです。
発掘予算が奈良と九州並みに阿波に積まれたら、他は消し飛ぶようなもんがゴロゴロ出てくるんやろな🤣🤣
阿波は不思議ですね 四国は記紀に国産み以降出て来ない事を謎に感じてました
待ってました✨👏👏👏👏勉強になります📚📖
面白くて一気に全ての動画を見てしまいました。説明文の作り方に非の打ち所がなくナレーションも心地良い。何より内容が説得力の塊で、日本神話・邪馬台国等古代日本史の謎が全て解決した気持ちになりました。このチャンネルに出会えたことは、こうして人生初のコメントを上げるくらいに幸運に感じています。これからも動画のアップを楽しみにしています。
嬉しいコメントありがとうございます。
配信ありがとうございました!👍️阿波人ですが柰佐湾と海部のつながり小さい頃から不思議に思ってましたが今回繋がりました❗凄いですよね‼️和柰佐意富曽神社❕☝️今回初めて知りました!考察感心、しきりです❗今後も期待しています!ありがと😉👍️🎶うございました!👍️👊😆🎵!!(*≧∇≦)ノ
なんと懐かしい同郷人の名前が! ここで紹介されている「粟嶋史」は国会図書館デジタルコレクションで読めますね。他にも、有名な「道は阿波より始まる その2、その3」や「阿波志」「鴨島町誌」などが読めます。ありがたいですね。
たいへん興味深い動画の作成と配信、ありがとうございます。思わす一気に全部見てしまいました。神々の名を冠した神社の多さはもちろんですが、魏志倭人伝を無理なく解析された位置関係の解説には、畿内説や九州説の学者先生も、きっと苦い思いをされていることと存じます。さて私は今大阪在住ですが、父の出身は宮崎県の高千穂で、祖父が顕在だった頃はよく、実家のある久士布流多気の中腹や、そのすぐそばに鎮座されます槵觸神社の境内で遊んだものです。周囲には、神々にまつわる場所や名前があふれており、地元の宮司の話によると、我が家の祖先は江戸時代まで、高千穂一帯の神社の神職や地侍であったとのことなので、そのルーツにちょっとした誇りも感じております。そんな私ですが、貴チャンネルを拝見し、すっかり邪馬台国阿波説のファンになってしまいました。高千穂在住の親戚には夜神楽の舞手もおり、その舞の見事さは鬼気迫るものがあるのですが、高千穂は天孫降臨の地であると、私も信じておりましたし、何より地元の人たちにとっては、天孫降臨の地が阿波に確定してしまうことは、恐らくいろんな意味で打撃になるだろうなと感じるがゆえに、ちょっと貴動画を見るように勧める気持ちが起きないでおります。まぁまだ確定してはいない訳ですが。ところで、ちょっと不思議に思ったのですが、この夜神楽の縁起では、平安末期から鎌倉時代にかけて成立したと言われています。その歴史は約800年ほどです。江戸時代には、神社の社殿か神楽殿において、人々が舞を奉納していたそうです。また、社伝によれば、三毛入野命が神籬を建てて祖神の日向三代とその配偶神を祀ったのに創まり、三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、後に三毛入野命他の十社大明神を配祀、垂仁天皇の時代に初めて社殿を創建したと伝える。とWikiにあるように、歴史は相当古いようです。もっとも、明治以前、古来「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などと称されて来たともありますし、『延喜式神名帳』の記載はないそうなので、そこは少し残念なのですが、いずれにせよこの地が由緒あるものということだけは確かに思えます。そうなると、明治政府が長州や薩摩に近い場所に神話の原点を持ってきたかったという説は、全否定はしませんが、それよりももっと古い時代に大和政権の規模の大きさを示す目的かなにかで、神話の適地を探したものではなかろうか?あるいは九州の勢力を統治する際に神秘的な場所を神域として使った?または、地元の豪族が自分たちの由緒の正統性を語るために創造した?という考えがいろいろ浮かんできました。とはいえ、大和政権の指示だった場合、神武の東征の出発点が九州であるメリットがあまりしっくりこないのですが。もしかしたら、藤原側のルーツが九州にあるのでしょうか?最後に高千穂町にある天岩戸神社の天安河原には行かれたことがありますか?天照大神が岩屋に籠られた際、八百万の神々が対策を相談した場所とされている岩屋ですが、長年そう信じられてきた人々の念が籠っているのでしょう。なんともいえぬ神秘的な空気が漂っています。私は子供のころ宇和島で育ったこともあり、阿波が日本の始まりでOKなのですが、この高千穂との関係性も含めて、古代の謎が解き明かされていくことを望んでいます。今後とものご活躍を期待申し上げております。長文失礼いたしました。
コメントありがとうございます。明治政府云々より、神話伝承の多く残る宮崎と島根、丹後は動画を見て頂いてるので、当仮説をご理解してもらってると思いますが、阿波邪馬台国が重要拠点と考えて早くから進出し阿波人が治めていたと考えています。なので貴殿がおっしゃるように宮崎などは古くからの神話伝承が有るのは当然と考えています。ただ当説では、宮崎、出雲、丹後の人達の大元は、阿波出身だった事になってしまいますが・・💦
①の動画(22分30秒付近)で大嘗祭の食材について言及されてましたが、まさしく大宜都比売の役割でしたなぁ。
とても魅力的な声をしていらっしゃいますね。「外宮」は一般に「げくう」と読みます。
前にも指摘されました、変換ソフトなのですいません。
新しい説ありがとうございます。是非広めて下さい。より多くの情報を収集して理論体系化して下さい。
沖縄本島最北端の国頭村には、「安田(アダ)」「伊部(イブ)」「安波(アハ)」など、阿波や忌部氏を連想する地名があります。屋久島にも「安房」の地名があることから、忌部氏は九州から島づたいに沖縄にも来ていたのでしょうか。沖縄県の考察もぜひ、よろしくお願いいたします。
先日のコメントからアワメ様の話をコメント動画取り上げて頂きありがとうございます。私は神奈川県の横浜市に住む者ですが、川崎市に麻生区というのがあり月読神社があります。麻=忌部氏という事で地名も阿波の地名がコピーされています。何処かで取り上げて頂けたら嬉しいです。
続きです。オオゲツヒメの末裔に粟飯原氏が居て神山町出身らしいのですが、その粟飯原氏が月読神社を奉っており、伊勢原市と川崎市に月読神社があるのはその理由です。月読神社の近くには粟木御嶽神社があります。
式内社なら説得力あるんでしょうが、式内社ではありませんが麻生区の忌部氏が朝廷に麻を治めていたのは記録として残ってるようです。
卑弥呼(大日孁貴)の後を継いだ臺與が豊受大御神だと思います。
まだまだ勉強不足ですがおかげさまですっかり阿波にはまり楽しい日々を送ってます(^^)オオゲツヒメ=阿波国が気になって上一宮大粟神社を参拝しました。神殿の向きを確認したら北東を向いていてそれは八倉比賣神社もしくは大麻比古神社の方向でした。さらに延長すると丹後半島に行き着きます。神殿の向きに何か意味があるんじゃないかと勝手にはしゃいでます(^^)ちなみに八倉比賣神社の神殿は眉山カントリーの方向を向いてました。折角だから西照神社にも足を伸ばしました。罰当たりかもしれませんがご祭神の月讀命に少し違和感ありました。海を任せられた素戔嗚尊だと見張り役としてすっきりするのですが。本殿はイザナミ神社を向いてましたし(素戔嗚尊はイザナミのところに行きたいとイザナギに懇願したとか)。
いつも納得しながら視聴を楽しんでいます。大陸側で当て字をした卑弥呼を、天照大神としてお祀りしたとして、13歳?の後継者、イヨ・トヨは神話には登場しないのか? と思っていたら、豊受大神、それはもしかして!
😅
豊受大神はたぶん、同じ字ですが、豊玉姫の後継者トヨさんではなく、饒速日のお母さんの方の社稷神とされる栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)のことだろうと思います。
@@nihontaro9様へ 知識と知性、羨ましいです。 これとは別のことですけど、箸墓の言い伝えは、出産の際、箸(当時の棒状の器具)で胎児をかき出していたとの説も聞いたことがあるのですが、あの最古級にして巨大な古墳に見合うだけの、偉業・業績が伝えられていないのは不思議ですし、専門家の方々の言及も少ないような気がしています。
@@Tom-e5o-u3x 様コメント有難うございます。箸墓古墳は、規模の大きさからして、重きを置かれていないような扱いですが、実際は軽んじているわけではなく、実のところ誰も被葬者が分からない。というところだと思います。大市墓のある場所は、太田氏関連のお墓の場所なので、やはりモモソ姫さんの可能性が大きいのではないかと思います。江戸時代の頃の大改修により方墳部は建て増しされたようですが、元々は円墳であったようです。また、卑弥呼は、天照大神で、後継トヨさんが、豊受大神という見方も、面白いお話ですね。
@@nihontaro9 様 ご丁寧にありがとうございました! 元々が 円墳だったとは驚きです。魏志倭人伝にも・・ 文章が長くなってしまいました。時間のある時に読んで下さい。 私の妄想で申し訳ないのですが、① 飛鳥の新生日本としては、かつて大陸側より格下(酷い当て字も含めて)とされた事は、断じて認められない。阿波での痕跡を徹底的に消し去って、大和へ移転した。ヒミコの墓も移し替えたかもしれない(円墳)。或いは、内宮・外宮の形で トヨとともに神格化して伊勢に祀った。 ② ANYA channel さんは、邪馬台国の主体は渡来人とお考え? かなと感じていますが、私は 言(日本)語 の成り立ちと、DNA(Y 染色体)の比率を考え合わせると、それは、絶対 あり得ないと妄想します! 縄文前期に巨大噴火があった事を、現在人は過小評価し過ぎだと思います。海洋縄文人の一部が 長江河口域に逃れ現地で混血が起こった。水田稲作の発展の時代と重なるものを感じます。古代、彼らも倭人と呼ばれていた記録があるそうです。 我・私・我ら・輪・和み・仲良し・戦をしない・手を取り合う繋がり・大きな輪→沖縄・大きな輪→大和国→中国で言うところの〈倭〉国。 ヒミコのヒも、太陽・日・火・光・輝くもの暖かいもの。姫(ヒメ)巫女 説もありますが。次に、古代日本に於いても、誰の子であるか、父方母方の流れはどうか、これは現代以上に重要だった筈です。天皇家の男系は南九州(縄文系 ハプロ D.C)から始まって、東へ移られたとの伝えは正しいと思います。渡来人(ハプロ O2 後代の O3は別系統)の稲作民は、元々 倭人との混血だった人達も含め、安定的なお米によって人口大爆発を起こした。にも関わらず、現代に於いても 男系ハプロ D が 3〜4 割を占めている事。古代の農民達が 農具を手に大挙して大海へ乗り出したとは思えず、導いた海洋民がいたと考える方が自然。渡来後 人口爆発が起きた。そして古代日本語も複雑化していった。 長文、失礼しました。あくまでも 妄想です。
ありがとうございます
なるほど、石の採取に八幡宮の爆破。。。いやいや石は他にもいっぱいあるでしょ。
徳島県海部郡に産まれ育ちました。町村合併の時も昔からある海部という地名は残したいと意見があり、今なら納得できます。鞆浦や海南など昔から色んな場所と地名が重なってるなぁと思ってましたが、たぶん徳島の方が後付けだと思ってました。宍喰の八阪神社もこんな田舎の小さな神社が日本三大祇園の一つである事を疑問に思ってましたが、なんか納得できそうです。徳島県の皆さん もっともっと阿波をアピールしていきましょう😊
ANYAさん。存じてました。大正解です。
まだまだ続きますw SEIJIさんも、なにか阿波の情報や、逸話があれば、書き込んでください。動画で紹介させていただきます。
「阿波枳閇委奈佐比古命」は、通常は「あわきへわなさひこのみこと」と読みますが、個人的には、「あわきへ い なさ比古命」で、「いなさ」ではないかと考えています!「い」→「わ」に変わったのは、時代とともに い国→わ国(いめんと同じ音を嫌って)→ヤマト国なのかなと妄想しています。また、大宜津比売の娘には「乙子狭姫」がいて、「狭姫」とも言われますね。益田市乙子町にある佐毘売山神社ゆかりの伝説です。「狭」という文字は、國狹槌尊(日本書紀)にも付けられていたり、天照大神は、天狹田・長田を神田としていたことからも、国(もしくは地域名、開発した土地という意味か?)につけられた名前かなと考えています。また、宗像三女神の一神、市寸嶋比売命の別名として依毘売命にもついています。(稲霊が宿る姫)「狭」は今も気になっている漢字です。そしてもう一つ。「岡」です。徳島では岡上神社(岡の宮)に豊受比売が鎮座しています。ここから「岡の道」が始まったと妄想しています。
記紀の島生みで淡路が最初に誕生し、阿波を含む四国が後で生まれたという話に昔から疑問を抱いていました。淡路の意味は「阿波への道」なので明らかに阿波が先にありました。なので阿波は島生みより前からあった、あるいは国生みの「淡島」であり、淡路の後に生まれた「四国」は阿波を含まない現在の四国地域を指すのではないかと漠然と考えていました。ですが、このチャンネルを拝見し、島生みを阿波から勢力圏が広がっていった過程と考えた時にはじめて合点がいきました。
崇神天皇の実在性も怪しい。天照大神を何故宮中から出されたのか不思議だ。
豊受大神は、大宜津比売であり、素戔嗚(アマテラス)の奥さんであると思います。
天女の足跡は知ることは出来ないは誤りかと思います。一語一音一義、カタカムナが鍵となり、超古代神々音名によって全世界との繋がりを知ることが出来ますね。言葉は音であり音はそのまま意味でもある事を知れば知る程、外国語も一つに繋がっている輪であると思えてなりません。
い伊以・神に祈りを捧げる・ここからろ呂路・脊髄で繋がっているは波八・波・斜め・奴・ドゥに耳尓・皇子の尊称・多・2つの太陽ほ本保・根本へ反へ・ト止都・何かの物語なのかな?伊から始まったと言いたげな(笑)天岩戸は、阿賀太郎坊宮がベースかな?聖徳太子の10萬8千枚の瓦の話。古代阿波文明→近江伊勢遺跡→大和嫁ぎ→伊賀(遊部)→淡路から→阿波(忌部に分岐)かな?古代阿波文明の空き地に移住した人は、融合したのか?
最初にできた島、「オノコロ島」は淡路島ではなく、福岡の「能古島」のこと。
伊勢神宮の内宮はないくうとちゃんと読んでらっしゃるのに、外宮はげぐうと読むのは何故なんですか?ただ単に音声ソフトの問題?それともあえてそう読ませてるんですか?
すいません、ソフトです。気を付けます
@@ANYA-channel そうなんですね^ ^実はげぐうと読むのが本来の読み方なのかなと思ったんで聞いてみただけなんで問題はないですよ。
ニギハヤヒがニニギの兄? 神々の系図をご紹介頂けるとありがたいです。
先代旧事記では、そう解釈できます。
@@ANYA-channel ありがとうございます。
阿波-淡路島-播磨-氷上回廊(標高差100m未満で瀬戸内海から日本海へ)-丹後 が移動ルート考えるのが普通と思いますが???
丹後への最短安全ルートは、おっしゃる通りと思います。しかし、神社や伝承などの逸話や痕跡から推測したら、船で移動していると思うんです。次回動画でもそのへんの事を触れています。
神様の御名はお働きです。^_^多くの神々様の御名が有りますのは、造物主はお一人方(主の大神様)で、その神様の一個性(お働き)が御名になっているからです。^_^
天よりトの世を受けたトヨウケ、諱は四母音男子名タマキネ…娘は三母音女子名諱イサコでイサナミ…後世に真実を…。😄記紀原本ホツマツタヱより
ホツマツタエを読まれる事をお勧めします。
動画㊴です
@@ANYA-channel 動画39にもトヨウケ神がイザナミの父で、アマテル神の育ての親だという説明はないですね。
「あわ」という言葉が、徳島の阿波という地名で無ければ、全ての論拠が失われるという危うさもありますね。いえ、余りの阿波原理主義への冗談です。
日本の神話伝承は本当にどこにでも同じようなものがいっぱいあります。神話や歴史は勝者の書き物なので、勝者の伝承が日本全国に伝播したと考えれば、もし阿波が統治していたのであれば、たしかに全て阿波の話になりますね
@@ANYA-channel私は阿波と聞くとこのフレーズが頭を過ぎりますね‥粟と稗に黍‥粟(阿波)と稗(比延)に黍(吉備)古代の穀物と地名の関係性奈良は楢でドングリの木ですよね。栃木で栃の実。何か食い物以外に、この地域には古代で接点があったと考えるのは憶測でしょうか?
ANYAさんの解説?では「あ」〜「わ」でしたよね。「あ」「ん」でも良いような。笑だから阿吽かな?すみません、酔ってます。なでしこも勝って、地元も勝ったもんで…
もっと勉強してコメント読み上げてもらえるようにがんばります!
伊勢は続日本紀などの古い表記では「伊世」と記されていた記録もありますが伊世なら「イヨ」とも読めますね『だから何だよ?!』と言われても困るのですがw
最近、徳島が神話起源との話にとてもワクワクしてのめり込んでおります。私も徳島出身です。実家に帰省し、徳島を回ってみたいと思います。実家は元もと神社でしたが、今では近所の神社の脇社として祀られています。残念なことに、今では何も残っていません。しかし、実家の荒れ果てていたご神木を綺麗にしてお祀りしましたら、不思議なことがおきました。夜中じゅう、太鼓の音が鳴り響いたのです。喜び祝福の祝い太鼓です。翌朝、カメラで写真をとりましたら、はっきりと大黒様のお姿が写っておられました。その後は肉眼でもはっきりとお姿を拝見することができました。
大黒様は阿波の実家のご神木に現れるほど、地元と深いご縁があったのです。
それにしても、神様は今でも日本を守るお気持ちを持ち続けていらっしゃるのは、ありがたいことです。
発掘予算が奈良と九州並みに阿波に積まれたら、他は消し飛ぶようなもんがゴロゴロ出てくるんやろな🤣🤣
阿波は不思議ですね
四国は記紀に国産み以降出て来ない事を謎に感じてました
待ってました✨👏👏👏👏
勉強になります📚📖
面白くて一気に全ての動画を見てしまいました。
説明文の作り方に非の打ち所がなくナレーションも心地良い。何より内容が説得力の塊で、日本神話・邪馬台国等古代日本史の謎が全て解決した気持ちになりました。
このチャンネルに出会えたことは、こうして人生初のコメントを上げるくらいに幸運に感じています。
これからも動画のアップを楽しみにしています。
嬉しいコメントありがとうございます。
配信ありがとうございました!👍️阿波人ですが柰佐湾と海部のつながり小さい頃から不思議に思ってましたが今回繋がりました❗凄いですよね‼️和柰佐意富曽神社❕☝️今回初めて知りました!考察感心、しきりです❗今後も期待しています!ありがと😉👍️🎶うございました!👍️👊😆🎵!!(*≧∇≦)ノ
なんと懐かしい同郷人の名前が! ここで紹介されている「粟嶋史」は国会図書館デジタルコレクションで読めますね。
他にも、有名な「道は阿波より始まる その2、その3」や「阿波志」「鴨島町誌」などが読めます。ありがたいですね。
たいへん興味深い動画の作成と配信、ありがとうございます。思わす一気に全部見てしまいました。
神々の名を冠した神社の多さはもちろんですが、魏志倭人伝を無理なく解析された位置関係の解説には、畿内説や九州説の学者先生も、きっと苦い思いをされていることと存じます。
さて私は今大阪在住ですが、父の出身は宮崎県の高千穂で、祖父が顕在だった頃はよく、実家のある久士布流多気の中腹や、そのすぐそばに鎮座されます槵觸神社の境内で遊んだものです。
周囲には、神々にまつわる場所や名前があふれており、地元の宮司の話によると、我が家の祖先は江戸時代まで、高千穂一帯の神社の神職や地侍であったとのことなので、そのルーツにちょっとした誇りも感じております。
そんな私ですが、貴チャンネルを拝見し、すっかり邪馬台国阿波説のファンになってしまいました。
高千穂在住の親戚には夜神楽の舞手もおり、その舞の見事さは鬼気迫るものがあるのですが、高千穂は天孫降臨の地であると、私も信じておりましたし、何より地元の人たちにとっては、天孫降臨の地が阿波に確定してしまうことは、恐らくいろんな意味で打撃になるだろうなと感じるがゆえに、ちょっと貴動画を見るように勧める気持ちが起きないでおります。まぁまだ確定してはいない訳ですが。
ところで、ちょっと不思議に思ったのですが、この夜神楽の縁起では、平安末期から鎌倉時代にかけて成立したと言われています。その歴史は約800年ほどです。江戸時代には、神社の社殿か神楽殿において、人々が舞を奉納していたそうです。また、社伝によれば、三毛入野命が神籬を建てて祖神の日向三代とその配偶神を祀ったのに創まり、三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、後に三毛入野命他の十社大明神を配祀、垂仁天皇の時代に初めて社殿を創建したと伝える。とWikiにあるように、歴史は相当古いようです。もっとも、明治以前、古来「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などと称されて来たともありますし、『延喜式神名帳』の記載はないそうなので、そこは少し残念なのですが、いずれにせよこの地が由緒あるものということだけは確かに思えます。
そうなると、明治政府が長州や薩摩に近い場所に神話の原点を持ってきたかったという説は、全否定はしませんが、それよりももっと古い時代に大和政権の規模の大きさを示す目的かなにかで、神話の適地を探したものではなかろうか?あるいは九州の勢力を統治する際に神秘的な場所を神域として使った?または、地元の豪族が自分たちの由緒の正統性を語るために創造した?という考えがいろいろ浮かんできました。とはいえ、大和政権の指示だった場合、神武の東征の出発点が九州であるメリットがあまりしっくりこないのですが。もしかしたら、藤原側のルーツが九州にあるのでしょうか?
最後に高千穂町にある天岩戸神社の天安河原には行かれたことがありますか?天照大神が岩屋に籠られた際、八百万の神々が対策を相談した場所とされている岩屋ですが、長年そう信じられてきた人々の念が籠っているのでしょう。なんともいえぬ神秘的な空気が漂っています。私は子供のころ宇和島で育ったこともあり、阿波が日本の始まりでOKなのですが、この高千穂との関係性も含めて、古代の謎が解き明かされていくことを望んでいます。
今後とものご活躍を期待申し上げております。
長文失礼いたしました。
コメントありがとうございます。
明治政府云々より、神話伝承の多く残る宮崎と島根、丹後は動画を見て頂いてるので、当仮説をご理解してもらってると思いますが、阿波邪馬台国が重要拠点と考えて早くから進出し
阿波人が治めていたと考えています。なので貴殿がおっしゃるように宮崎などは古くからの神話伝承が有るのは当然と考えています。ただ当説では、宮崎、出雲、丹後の人達の大元は、阿波出身だった事になってしまいますが・・💦
①の動画(22分30秒付近)で大嘗祭の食材について言及されてましたが、まさしく大宜都比売の役割でしたなぁ。
とても魅力的な声をしていらっしゃいますね。
「外宮」は一般に「げくう」と読みます。
前にも指摘されました、変換ソフトなのですいません。
新しい説ありがとうございます。是非広めて下さい。より多くの情報を収集して理論体系化して下さい。
沖縄本島最北端の国頭村には、「安田(アダ)」「伊部(イブ)」「安波(アハ)」など、阿波や忌部氏を連想する地名があります。屋久島にも「安房」の地名があることから、忌部氏は九州から島づたいに沖縄にも来ていたのでしょうか。沖縄県の考察もぜひ、よろしくお願いいたします。
先日のコメントからアワメ様の話をコメント動画取り上げて頂きありがとうございます。私は神奈川県の横浜市に住む者ですが、川崎市に麻生区というのがあり月読神社があります。麻=忌部氏という事で地名も阿波の地名がコピーされています。何処かで取り上げて頂けたら嬉しいです。
続きです。オオゲツヒメの末裔に粟飯原氏が居て神山町出身らしいのですが、その粟飯原氏が月読神社を奉っており、伊勢原市と川崎市に月読神社があるのはその理由です。月読神社の近くには粟木御嶽神社があります。
式内社なら説得力あるんでしょうが、式内社ではありませんが麻生区の忌部氏が朝廷に麻を治めていたのは記録として残ってるようです。
卑弥呼(大日孁貴)の後を継いだ臺與が豊受大御神だと思います。
まだまだ勉強不足ですがおかげさまですっかり阿波にはまり楽しい日々を送ってます(^^)オオゲツヒメ=阿波国が気になって上一宮大粟神社を参拝しました。神殿の向きを確認したら北東を向いていてそれは八倉比賣神社もしくは大麻比古神社の方向でした。さらに延長すると丹後半島に行き着きます。神殿の向きに何か意味があるんじゃないかと勝手にはしゃいでます(^^)ちなみに八倉比賣神社の神殿は眉山カントリーの方向を向いてました。
折角だから西照神社にも足を伸ばしました。罰当たりかもしれませんがご祭神の月讀命に少し違和感ありました。海を任せられた素戔嗚尊だと見張り役としてすっきりするのですが。本殿はイザナミ神社を向いてましたし(素戔嗚尊はイザナミのところに行きたいとイザナギに懇願したとか)。
いつも納得しながら視聴を楽しんでいます。大陸側で当て字をした卑弥呼を、天照大神としてお祀りしたとして、13歳?の後継者、イヨ・トヨは神話には登場しないのか? と思っていたら、豊受大神、それはもしかして!
😅
豊受大神はたぶん、同じ字ですが、豊玉姫の後継者トヨさんではなく、饒速日のお母さんの方の社稷神とされる栲幡千千姫命(たくはたちぢひめのみこと)のことだろうと思います。
@@nihontaro9様へ 知識と知性、羨ましいです。 これとは別のことですけど、箸墓の言い伝えは、出産の際、箸(当時の棒状の器具)で胎児をかき出していたとの説も聞いたことがあるのですが、あの最古級にして巨大な古墳に見合うだけの、偉業・業績が伝えられていないのは不思議ですし、専門家の方々の言及も少ないような気がしています。
@@Tom-e5o-u3x 様
コメント有難うございます。
箸墓古墳は、規模の大きさからして、重きを置かれていないような扱いですが、実際は軽んじているわけではなく、実のところ誰も被葬者が分からない。というところだと思います。大市墓のある場所は、太田氏関連のお墓の場所なので、やはりモモソ姫さんの可能性が大きいのではないかと思います。江戸時代の頃の大改修により方墳部は建て増しされたようですが、元々は円墳であったようです。
また、卑弥呼は、天照大神で、後継トヨさんが、豊受大神という見方も、面白いお話ですね。
@@nihontaro9 様 ご丁寧にありがとうございました! 元々が 円墳だったとは驚きです。魏志倭人伝にも・・ 文章が長くなってしまいました。時間のある時に読んで下さい。 私の妄想で申し訳ないのですが、① 飛鳥の新生日本としては、かつて大陸側より格下(酷い当て字も含めて)とされた事は、断じて認められない。阿波での痕跡を徹底的に消し去って、大和へ移転した。ヒミコの墓も移し替えたかもしれない(円墳)。或いは、内宮・外宮の形で トヨとともに神格化して伊勢に祀った。 ② ANYA channel さんは、邪馬台国の主体は渡来人とお考え? かなと感じていますが、私は 言(日本)語 の成り立ちと、DNA(Y 染色体)の比率を考え合わせると、それは、絶対 あり得ないと妄想します! 縄文前期に巨大噴火があった事を、現在人は過小評価し過ぎだと思います。海洋縄文人の一部が 長江河口域に逃れ現地で混血が起こった。水田稲作の発展の時代と重なるものを感じます。古代、彼らも倭人と呼ばれていた記録があるそうです。 我・私・我ら・輪・和み・仲良し・戦をしない・手を取り合う繋がり・大きな輪→沖縄・大きな輪→大和国→中国で言うところの〈倭〉国。 ヒミコのヒも、太陽・日・火・光・輝くもの暖かいもの。姫(ヒメ)巫女 説もありますが。次に、古代日本に於いても、誰の子であるか、父方母方の流れはどうか、これは現代以上に重要だった筈です。天皇家の男系は南九州(縄文系 ハプロ D.C)から始まって、東へ移られたとの伝えは正しいと思います。渡来人(ハプロ O2 後代の O3は別系統)の稲作民は、元々 倭人との混血だった人達も含め、安定的なお米によって人口大爆発を起こした。にも関わらず、現代に於いても 男系ハプロ D が 3〜4 割を占めている事。古代の農民達が 農具を手に大挙して大海へ乗り出したとは思えず、導いた海洋民がいたと考える方が自然。渡来後 人口爆発が起きた。そして古代日本語も複雑化していった。 長文、失礼しました。あくまでも 妄想です。
ありがとうございます
なるほど、石の採取に八幡宮の爆破。。。いやいや石は他にもいっぱいあるでしょ。
徳島県海部郡に産まれ育ちました。町村合併の時も昔からある海部という地名は残したいと意見があり、今なら納得できます。
鞆浦や海南など昔から色んな場所と地名が重なってるなぁと思ってましたが、たぶん徳島の方が後付けだと思ってました。
宍喰の八阪神社もこんな田舎の小さな神社が日本三大祇園の一つである事を疑問に思ってましたが、なんか納得できそうです。
徳島県の皆さん もっともっと阿波をアピールしていきましょう😊
ANYAさん。存じてました。大正解です。
まだまだ続きますw SEIJIさんも、なにか阿波の情報や、逸話があれば、書き込んでください。動画で紹介させていただきます。
「阿波枳閇委奈佐比古命」は、通常は「あわきへわなさひこのみこと」と読みますが、個人的には、「あわきへ い なさ比古命」で、「いなさ」ではないかと考えています!
「い」→「わ」に変わったのは、時代とともに い国→わ国(いめんと同じ音を嫌って)→ヤマト国なのかなと妄想しています。
また、大宜津比売の娘には「乙子狭姫」がいて、「狭姫」とも言われますね。
益田市乙子町にある佐毘売山神社ゆかりの伝説です。
「狭」という文字は、國狹槌尊(日本書紀)にも付けられていたり、天照大神は、天狹田・長田を神田としていたことからも、国(もしくは地域名、開発した土地という意味か?)につけられた名前かなと考えています。
また、宗像三女神の一神、市寸嶋比売命の別名として依毘売命にもついています。(稲霊が宿る姫)
「狭」は今も気になっている漢字です。
そしてもう一つ。「岡」です。
徳島では岡上神社(岡の宮)に豊受比売が鎮座しています。ここから「岡の道」が始まったと妄想しています。
記紀の島生みで淡路が最初に誕生し、阿波を含む四国が後で生まれたという話に昔から疑問を抱いていました。淡路の意味は「阿波への道」なので明らかに阿波が先にありました。なので阿波は島生みより前からあった、あるいは国生みの「淡島」であり、淡路の後に生まれた「四国」は阿波を含まない現在の四国地域を指すのではないかと漠然と考えていました。ですが、このチャンネルを拝見し、島生みを阿波から勢力圏が広がっていった過程と考えた時にはじめて合点がいきました。
崇神天皇の実在性も怪しい。天照大神を何故宮中から出されたのか不思議だ。
豊受大神は、大宜津比売であり、素戔嗚(アマテラス)の奥さんであると思います。
天女の足跡は知ることは出来ないは誤りかと思います。一語一音一義、カタカムナが鍵となり、超古代神々音名によって全世界との繋がりを知ることが出来ますね。言葉は音であり音はそのまま意味でもある事を知れば知る程、外国語も一つに繋がっている輪であると思えてなりません。
い伊以・神に祈りを捧げる・ここから
ろ呂路・脊髄で繋がっている
は波八・波・斜め・奴・ドゥ
に耳尓・皇子の尊称・多・2つの太陽
ほ本保・根本
へ反へ・
ト止都・
何かの物語なのかな?伊から始まったと言いたげな(笑)
天岩戸は、阿賀太郎坊宮がベースかな?聖徳太子の10萬8千枚の瓦の話。
古代阿波文明→近江伊勢遺跡→大和嫁ぎ→伊賀(遊部)→淡路から→阿波(忌部に分岐)かな?
古代阿波文明の空き地に移住した人は、融合したのか?
最初にできた島、「オノコロ島」は淡路島ではなく、福岡の「能古島」のこと。
伊勢神宮の内宮はないくうとちゃんと読んでらっしゃるのに、外宮はげぐうと読むのは何故なんですか?
ただ単に音声ソフトの問題?それともあえてそう読ませてるんですか?
すいません、ソフトです。気を付けます
@@ANYA-channel
そうなんですね^ ^
実はげぐうと読むのが本来の読み方なのかなと思ったんで聞いてみただけなんで問題はないですよ。
ニギハヤヒがニニギの兄? 神々の系図をご紹介頂けるとありがたいです。
先代旧事記では、そう解釈できます。
@@ANYA-channel
ありがとうございます。
阿波-淡路島-播磨-氷上回廊(標高差100m未満で瀬戸内海から日本海へ)-丹後 が移動ルート考えるのが普通と思いますが???
丹後への最短安全ルートは、おっしゃる通りと
思います。しかし、神社や伝承などの逸話や痕跡から推測したら、船で移動していると思うんです。
次回動画でもそのへんの事を触れています。
神様の御名はお働きです。^_^
多くの神々様の御名が有りますのは、造物主はお一人方(主の大神様)で、その神様の一個性(お働き)が御名になっているからです。^_^
天よりトの世を受けたトヨウケ、諱は四母音男子名タマキネ…娘は三母音女子名諱イサコでイサナミ…後世に真実を…。😄記紀原本ホツマツタヱより
ホツマツタエを読まれる事をお勧めします。
動画㊴です
@@ANYA-channel 動画39にもトヨウケ神がイザナミの父で、アマテル神の育ての親だという説明はないですね。
「あわ」という言葉が、徳島の阿波という地名で無ければ、全ての論拠が失われるという危うさもありますね。
いえ、余りの阿波原理主義への冗談です。
日本の神話伝承は本当にどこにでも同じようなものがいっぱいあります。神話や歴史は勝者の書き物なので、勝者の伝承が日本全国に伝播したと考えれば、もし阿波が統治していたのであれば、たしかに全て阿波の話になりますね
@@ANYA-channel
私は阿波と聞くとこのフレーズが頭を過ぎりますね‥
粟と稗に黍‥
粟(阿波)と稗(比延)に黍(吉備)
古代の穀物と地名の関係性
奈良は楢でドングリの木ですよね。
栃木で栃の実。
何か食い物以外に、この地域には古代で接点があったと考えるのは憶測でしょうか?
ANYAさんの解説?では「あ」〜「わ」でしたよね。
「あ」「ん」でも良いような。笑
だから阿吽かな?
すみません、酔ってます。
なでしこも勝って、地元も勝ったもんで…
もっと勉強してコメント読み上げてもらえるようにがんばります!
伊勢は続日本紀などの古い表記では「伊世」と記されていた記録もありますが
伊世なら「イヨ」とも読めますね
『だから何だよ?!』と言われても困るのですがw