池口恵観大僧正 西安・大興善寺 第百弐回 焼八千枚護摩供 (後半)

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  • Опубліковано 19 лис 2024
  • 大興善寺八千枚護摩行後の挨拶
     八千枚護摩行は真言密教の行の中でも、最も厳しいと言われる行でございまして、ひとりの真言行者が一生のうちに一度か二度、成満できればいいとされている苦行でございます。私はこれまで百一回成満しておりまして、日本では「炎の行者」と呼ばれているのでございます。
     本日は百二回目の八千枚護摩行でしたが、百二回のうち二回を、ここ大興善寺で成満させていただいたことになります。最初にここで八千枚護摩行を勤めましたのは、今から八年前の西暦二〇〇七年九月のことでした。当時は、界明法師がまだご健在で、多くの信者さんを集めてくださいました。そして、中国ではおそらく、唐の時代以来、約千二百年ぶりに行われる八千枚護摩行を、多くの信者さんとともに大歓迎していただいたのでございます。
     その折、八千枚護摩行が終わった後、私は地元の信者さんたちに十重二十重(とえはたえ)に取り囲まれたのでございます。そして私は、その方々の感動の涙の奥に、仏さまを求める気持ちがあることを、強く感じたのでございます。私は、私が西安で護摩行を勤めることによって、中国の皆さまの仏さまに対する敬愛の気持ちがよみがえり、それがひいては中国人民の幸せにつながることになると、そのとき確信致したのでございます。
     もともと本日私がご披露致しました八千枚護摩行の修法は、九世紀に真言密教の祖師、弘法大師空海が密教を求めて、ここ長安に留学し、当時密教第七祖だった青龍寺の恵果阿闍梨から、密教のすべてを学び受け継いで、密教第八祖となって日本に持ち帰ったものでございます。その意味では、私の八千枚護摩行は、恵果阿闍梨や、ここ大興善寺を拠点に中国での密教布教に邁進された、密教第六祖の不空三蔵法師の修法を継承していると考えることができるのでございます。
     つまり、私が大興善寺で八千枚護摩行を勤めさせていただくのは、千二百年前に日本に密教という、当時の最新仏教を教えていただいた御礼であり、感謝の気持ちがあるのでございます。言ってみれば、私は千二百年の時空を超えて、八千枚護摩行を中国に「里帰り」させたのでございます。
     西安の皆さま方がこんなに喜んでくださるのなら、私は毎年でも来て、護摩行の心を皆さま方に感得していただきたいと思うのでございますが、この十年間、日中関係は思わぬ悪化の方向に動き始めました。戦後、日中両国国民がここまで悪化したのは初めてだと思います。
     そこにはさまざまな要因がございますが、弘法大師空海は「背暗向明」ということを説いておられます。「国家も個人も暗いことには背を向け、明るさに向かって進もう」ということでございます。たしかに日中間にさまざまな問題が横たわっているのは事実でございます。その対立点にばかり執着していたのでは、両国は幸せになれません。相手の弱みをことさら言挙げするのではなく、未来志向の日中関係を築かねばなりません。
     日本は中国が随、唐の時代、多くの制度や文化を中国から採り入れ、その後もさまざまな仏教を中国に学びました。また、鑑真和上をはじめ多くの仏教家が日本に渡り、為政者たちのアドバイザー役を勤めてくださいました。歴史的に日本と中国は対立していた時代より、親しく交流していた時代の方が、遙かに長いのではないかと思います。
     
    日中両国民は、仏教、儒教、道教といった「心の根っこ」を共有しています。それを長期的な展望を持って覚醒させていけば、必ずや日中両国は世界平和に貢献できるパートナーになれるはずでございます。
     要は、私たち国民同士の心の通い合いが大切です。私はいのちが続く限り、護摩行の炎を輝かせながら、日中友好を祈念し、日中友好に邁進してまいる所存です。皆さま、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。本日はありがとうございました。
                                合掌
    西暦二〇一五年七月三日
    高野山真言宗伝燈大阿闍梨
    百萬枚護摩成満行者
    高野山別格本山清浄心院住職
    大僧正 池口恵観

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