Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
泉田の打ち方がカッコ良すぎる
泉田、つつみカッコイイ!あこがれの選手
工大マッチポイントのサイドアウトの場面aパスから泉田へのシャーはコンビミスではなく泉田が自分に上がってこないと思って助走途中でやめてるよね、あれちゃんと打って決めれてたら試合にも勝てたかもしれない畑野先生が言う当たり前のことを当たり前にってそう言うことだと思う
12:23 線審の息ぴったり
全てのセットで工大福井が圧倒してたけどやっぱり工大福井あるあるで1.3セットの大事な所でミスが続いてもたな…インハイの崇徳戦もそんな感じで負けてたしでも久しぶりに強い工大福井が見れてよかった!福井県民として嬉しい限り
俺も福井県民!来年堤君と1年生の山本君に注目です、個人的に自分の先輩が来年3年せやから出てほしいな〜 リベロやってるはずです
常勝チームはそーゆーミスがないんだよね。。
平田のサーブがなかったら鎮西20点も取れずに落としてたよね
8:21 最高到達点もっと高そうだけどなぁ
330cm
「舛本は天才でうちには天才はいない」ってのが素人にはよくわからん。本当にそうなのか。泉田とかすごくいい選手に見えるけど。そもそも優れた選手に天才とか言い出すの大げさな気がする。バレーに天才とかない気がするんだよな。結局、運動神経が良い、ってだけのことでは。
単なる謙遜かもしれませんね😌
それ言い出したらバレーにってかスポーツ全般天才とかないってことになるじゃん
@@vtv6911 無かったら困るんですか?
@@大阪セレナ あ、それは納得なのね。スポーツに天才とかないじゃなくバレーにって言ってるからバレーに限定してるのかと思った。あとそれならなんとなく言いたいことはわかるね。化物とかは分かるけど天才に違和感あるなあって思うことはよくある
@@vtv6911 天才っていう言葉と、それが持ってる機能に対して嫌悪感と、対抗意識を持ってます。それはまず第一に隠蔽的な言葉だということ。それともう一つは、無責任だということ。例えば舛本がなぜあんなにスパイクがうまく打てるのかということは、遺伝子と環境の「固有的な」連携があるわけです。この連携の仕方の詳細は遡及的には見いだせない。因果関係が複雑すぎるんです。だから判明しない。私が思うに、だから「天才だ」ということにしてるわけです。そしてこういう考えは、実は教育の敵だと思います。条件がうまく揃えば「誰でも」舛本のように打てる、と考えるのが教育の使命だと思うんですね。そう思いませんか?
谷口太った?
泉田の打ち方がカッコ良すぎる
泉田、つつみカッコイイ!あこがれの選手
工大マッチポイントのサイドアウトの場面aパスから泉田へのシャーはコンビミスではなく泉田が自分に上がってこないと思って助走途中でやめてるよね、あれちゃんと打って決めれてたら試合にも勝てたかもしれない畑野先生が言う当たり前のことを当たり前にってそう言うことだと思う
12:23
線審の息ぴったり
全てのセットで工大福井が圧倒してたけどやっぱり工大福井あるあるで1.3セットの大事な所でミスが続いてもたな…インハイの崇徳戦もそんな感じで負けてたし
でも久しぶりに強い工大福井が見れてよかった!福井県民として嬉しい限り
俺も福井県民!来年堤君と1年生の山本君に注目です、個人的に自分の先輩が来年3年せやから出てほしいな〜 リベロやってるはずです
常勝チームはそーゆーミスがないんだよね。。
平田のサーブがなかったら鎮西20点も取れずに落としてたよね
8:21 最高到達点もっと高そうだけどなぁ
330cm
「舛本は天才でうちには天才はいない」ってのが素人にはよくわからん。本当にそうなのか。泉田とかすごくいい選手に見えるけど。そもそも優れた選手に天才とか言い出すの大げさな気がする。バレーに天才とかない気がするんだよな。結局、運動神経が良い、ってだけのことでは。
単なる謙遜かもしれませんね😌
それ言い出したらバレーにってかスポーツ全般天才とかないってことになるじゃん
@@vtv6911 無かったら困るんですか?
@@大阪セレナ あ、それは納得なのね。スポーツに天才とかないじゃなくバレーにって言ってるからバレーに限定してるのかと思った。
あとそれならなんとなく言いたいことはわかるね。化物とかは分かるけど天才に違和感あるなあって思うことはよくある
@@vtv6911 天才っていう言葉と、それが持ってる機能に対して嫌悪感と、対抗意識を持ってます。それはまず第一に隠蔽的な言葉だということ。それともう一つは、無責任だということ。例えば舛本がなぜあんなにスパイクがうまく打てるのかということは、遺伝子と環境の「固有的な」連携があるわけです。この連携の仕方の詳細は遡及的には見いだせない。因果関係が複雑すぎるんです。だから判明しない。私が思うに、だから「天才だ」ということにしてるわけです。そしてこういう考えは、実は教育の敵だと思います。条件がうまく揃えば「誰でも」舛本のように打てる、と考えるのが教育の使命だと思うんですね。そう思いませんか?
谷口太った?