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難しいけど、哲学って面白い。何となくでも理解出来る楽しさがある
哲学を学ぶことが一番幸福になれると思う。病んで自殺する人とか、とかく知ってたら立ち直ってたのかなっとかいつも思う。
んー!!たしかに!!いつも自殺ということばを口にする友人がいて、どうしたらその子の考え方を変えれるだろうかとよく考えていました。哲学を学ぶって良い方法ですね。
義務教育で漢文とかの代わりに扱ってほしい
そう簡単に思うのは、哲学を学んで不幸になる人を知らないからです。この世には、知らなかったほうが良かったと思うことが山ほどあるのです。
何も考えずに本能に生きる人のほうが自由に生きてないでスカ?世の中の細部まで見えてしまう人のほうが思い悩むことが多いと思うマス.
3回連続で見て ようやくわかったような気がします。他人からどう思われているかということも 自分が作り出しているもの。その割合が大きくならないようにするには 「自分はこうだー!」という信念を持てばいい。そして 他人もそうであっていいということを認める。そうすれば 何ごとも自分の思うように捉えられるようになっていく ということかな🤔
5:10の対自存在の「存在以前に本質が決められている」これ反対じゃないですか実存は本質に先立つ=「本質以前に存在が決められている」だと思います自分もあってるか不安なのでコメントお願いします
表示ミスでしょう。
自分が自由かどうか❓と感じるのは自分次第ですね🎉そして自由には責任が伴うとよく言いますがその点も腑に落ちました‼️深い解説すごく面白かったです✨
「哲学は世界を解釈しているだけだ。問題は世界を解釈するのではなく、作り変えることだ」と言ったマルクスの言葉が好きですね。ハイデガーの世界内存在、現存在としての自己・・ヤスパース、メルロポンティ、フッサールの現象学、結局は「観念の遊び」って感じでした。
「観念の遊び」を中学生でもわかる様に説明してください!
哲学って不思議だなと思いました。結論で言いたいことは、何も哲学しないと辿り着けない結論ではないと思うのですが、なぜ哲学するのかなぁとわざわざ他人の結論を読み解くのことで、模索しようとするのは遠回りな気もしました。が、昔からあるので何か指示される理由があるのではと思いますが
自分の思うように自分ができるのは自由ではありません。自分に縛られているからです。まずは自分から自分を解き放ってやりましょう。
実存主義 私が何であるかではなくわたしがものをどのように捉えたいかによって自分を定義する。
素晴らしい解説で、もっと聴きたいとなりました。
分かりやすい解説でした。自他ズレ、承認欲求がいかにややこしいものか考えさせられました。何十年も前から現代人と同じ様な悩みを持っていたんですね
自分の「したいこと」も「したくないこと」も「想像もできないこと」も、できてこそ自由です。もし自由になりたいのならば、自分の「思い」から自分を解放してやりましょう。
ただ、それは精神的な意味合いで個人だけにフォーカスした自由であり、一般的な人々の言う自由になりたいというのは、物理的にも他意的にも強制力を行使できるようになりたいという意味なので、絶え間なく摩擦を生み争うしかないですよね。
考えても自由などはない、自由とは何でも自分でやると言う事。
なんか想像していたより内容が高尚だった。なんというか、自由というのは主体的であることだと思う。例えば利他的行動であっても主体的であれば自由。主体性が失われると不自由。
当たり前の事なのですが、わざわざ他人に理解、話す事か?と、思ってました。其れが『哲学』なのですね✨日本では、余りに仏教が意識しないほど浸透していますので、逆にとても面倒ですね❗(責任が無いため⁉️)
これすごく面白い。例も分かりやすいし倫理で習った時より遥かにサルトルの考えを理解出来た。本も読みたい!!
👼🏻動画の導入部で「難しい」と語られていたので、自分には理解が難しいのかと思ったのだけれど、普段考えている事ばかりだったので、不思議なことにとても簡単に理解ができました。たぶん教養太郎さんがきちんと理解しているからだと思う。ありがとうございます。✨
すごく腑に落ちました。サイコー😂
これめちゃくちゃ面白い!他人の目は頭の中にしかないっていうのをうまく説明していくとこうなるのかサルトルにもわかりやすい説明を作成してくださった主にも感謝🙏
あるアメリカ人が、自分が大切だと思っている言葉「free」の意味する日本語を刺青しました。その日本語は「無料」でした。「自由」という言葉は英語の「free」とは微妙に異なるように思います。この著作で「自由」の意味で使われている原語は何でしょうか?「私はピアノをfreeに弾ける」という文と「私はピアノを自由に弾ける」とは意味が異なります。前者は「ピアノを弾くのに誰かの許可を得たり、料金を支払う必要がない」という意味で、後者は「どんなむづかしい曲でも弾ける程の高い技量を持っている」という意味です。ピアノの高い技量を獲得するためには練習が必要であるように、「自分の思うがまま生きて行ける(自由)」ためには修練や修行が必要だということになります。この点についてサルトルはどのように考えているのでしょうか?
我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように
BGM無し、自分は好きです。のんびりと自分の時間の中ですお話を伺うことができるので。
竿太郎さん、いつも貴重なご意見ありがとうございます。これから制作する動画はBGMなしで作ってますね!
つまり自分の住処で自分の子供を育てている間がすんげぇ自由ということでしょうか?共感込みで考えると 私はとりあえずはのぞみませんが 間違っていたらごめんなさいですが
とってもわかりやすかったです。二日酔いのあたまにバシバシ入ってきました。わかりやすい説明動画作ってくださりありがとうございます。
アインシュタインが研究所に置き傘をした。 雨に備えて。 雨が降ったのに傘をささずにびしょ濡れになって帰った。 なんで置き傘を使わないのか?って聞いた人に、アインシュタインは応えた「 そんなことをしたら、置き傘がなくなってしまうじゃないか! 」・・・・・そういうことですか? 違いますか? もうちょっとァほでも解るように教えて下さいm(_ _)m。
聴きやすい声ですね!もっと聞きたいと思ったのでチャンネル登録しました。もう少し音量が大きいとありがたいです(*^^*)
長文失礼します。結局、対他存在を意識するならば「善く生きる」ことしかないと言ってるのでしょうか?これを批判した思想はイギリス系の思想になるのでしょうか。是非そのような思想家がいたら教えていただきたいです。
対他存在を意識する原因は、他人ではなく「自分に思い当たる節がある」からである。そのため、対他存在を対自存在に変えるためには「自分の行為への反省を通して自分の正義に恥じない行為を自分がする」しかない。これが議論の骨子だとおもうので、善悪とか客観的な概念ではなく、自分を誇れる生き方をしているか、だけだと思いますよ
悪人でも自分の考えに疑いが無く悪い事をしまくっても自信満々に生きてるヤツいるよね
自由とは基本的にに社会的なものだ。社会的に自由とは責任を取らなくていいものは自由だ。責任を取らなくていいのは何故か?それはそれが正しい事ならば責任を取らなくていいから自由に行動できる。要するにこの社会において常に言動には責任が伴うのだ。だからサルトルは自由の刑に処されていると言っている。しかしみんなが正しいと認められている事ならばそれをやっても責任は伴わないから自由気ままにできる。自由とは正しい事ならば責任が伴わないから自由にできる、ただそれだけのことだ。だから自由であるためには正しいとは何か?つまり絶対善が分からなければ本当の自由にはなれないのだ。自由とは勝手気ままにできる事。何故勝手気ままにできるのか。それは正しい事ならば責任が伴わないからだ。
すみません、noteのリンクありますか?概要欄に見当たらないです
誰かから何かを強制されたことによる自由では無いことは、対他存在との関連でどのように考えられるのでしょうか?
考えることは、誰もが自由だ、囚人でさへ自由だ。だが、行動の自由は、他者との兼ね合いがあるから、難しい。
PS4の「戦国無双」のキャラ前田慶次に「人間は本来自由なのさ。ただテメエのケツをふけるかどうかってだけだがな。」と言う台詞があります。サルトルの思想はよくわかりませんがこの台詞に近いかと思います。
構造主義のサルトル批判の講義希望。
なんだ~哲学って自分自身を他者の目や考えで観るって事だったのかな?
物理、熱力学では、温度とか圧力と言う言葉がある。多体系で成り立つ概念だよね。人間社会には、変な言葉が沢山ある。自由もそうだし、正義だとか道徳なんてのもある。はて、何人いれば成り立つ概念かねえ???少なくとも無人島に上陸して、ただ一人生きる人間には全く通用しないよね。正義なんてのが一番怪しい!!!
人間社会に生きる私たちが無人島で成り立つ概念でこの社会を生きることも、これまた違う気がします。
他人の存在に悩んでない人間の実存はどうやって保障するの
色即是空ってことでしょ?
だってネ🐭 猿トル!
サルトルの愛人がサガン! 笑笑笑
宗教は自由からの逃避なんだ。
「本質」って言い方が分かり難くしてる気がする単に「特徴」ぐらいではダメなん?
★ざっくり日常語でまとめ「残念ながらあなたは自由だ」→自己選択、自己責任「即自存在」→変化しない本質「対自存在」→主観、自己評価「対他存在」→自分の推測による客観、他人の目を推測/利用した自己評価猿採るさんは、アラフィフになれば誰でも気付く事を難解にし過ぎだよ
小泉構文は、存在と本質だった!?
よく分かりませんが、最後のところで言っているのは、「他人がどう思おうが気にするな」ということ?何故に存在から説明するのかわからない。存在は前提でいいのでは?と思うのは私だけだろうか?(←これが対他存在?)
旧エヴァのTVシリーズやサードインパクトはこれやってるだけなんよね
@@Sirius-r7h それ、いつ頃かの監督のインタビューでそんなつもりはなかったけどウルトラマンだったんだと周りから言われて気づいた、といってたので実はそうでもないみたいなんですよね
観念ほど猥褻なものは無い。存在と無より ジャンポール・サルトル
NieRからきますた
流石ロンパリ
対峙存在とか対他存在とかサルトルが用いた言葉を使わないで、具体的な言葉及び例えを使えば、話はもう少し理解しやすくなると思います。なぜなら、言葉の定義にその都度変換しなくとも良いからです。あえて難しい言葉を使う意味が良くわかりませんが、サルトル知ってるよ!実存主義のサルトルね!なんて、知ったかぶっても、本質が理解及び体感出来なければ、ほとんど役に立ちません。いかがでしょうか?
コメントありがとうございます。まさにそこは難しいところでした。難しい言葉を知った方が新しい知識を得た感触があるかと思いそのままにしたんですが、確かに難しい言葉を使わない方が体に入ってくると思います。次回からは、日常で聞いたことのある言葉以外はできるだけ使わず解説していこうと思います。ありがとうございます!
素敵な動画ありがとうございます!後ろに小さくBGMがあると聴きやすいです!
世界は自分だけのものでは無いが、自分のもの。
サルトル、目が可笑しい! 笑笑笑
考え方のスイッチしただけで変わらない環境もあるよ。川で産み落とされ母親が死んでしまったらその子は自由ですか?ここで言われてる自由は世間で実質的不自由を嘆いていてる人の求めている自由とは本質的に異なるね。適用範囲が狭すぎやしないかな。
何からも解放されて完全な自由を得たが故に選択肢が広がりすぎて不自由になるっていうパラドックスもあるよ。(ミヒャエル・エンデの自由の監獄による)
彼曰く我々は自由の奴隷だって言って納得した(´・ω・)y-~
この傘は仕掛け銃だの場合はどうなんだろう。やはり銃という用途で作られたと言う意味?
傘の中に忍ばせた銃という生産目的じゃない?
西洋哲学に自由とは、宗教や社会制度とつながった概念なので、日本人(東洋的な)ものとは異なり、やっぱり理解できないです。
この説明だと、終始他者の目、評価を基準として構想しているが、それでは生涯自由には成れない。まず自他を分けてから、考えるべきでは?。自分は他者の付属物ではないのが基本。
猿を捕まえるのが、上手だったらしい? 笑笑笑
音量がめっちゃ小さい
私個人の感想ですが!自由とは、あの人と本当は付き合いたかった!本当はあの人と友達になりたかったとか!本当はあの店に行きたかったとか、他人の意見を気にせず!本当にやりたい事をやる事が自由に繋がるじゃないですかね(´ω`)
多分過去と云う過ぎ去った時空への希望敵観測と感じます。付き合っているいまこそ自由だと私はおもいます。付き合っていたかもしれないや友達だったかもしれないだと未練が含まれ自由の外です。自由をもとめて明確な表現があったのでないでしょうか⁈表現をしなかったそこには自由が欠落しています。結論はべつですから相手の自由もありますよね。...自由とは孤独といいます。一期一会
全てのルールは意味がないな
音が小さいです(>_
残念だが私には、ただただ理屈っぽいようにしか感じられない、有りのままの心理でいいのでは?
眞子さんと小室圭さんとの婚姻にこの論理を当てはめるとどうなりますか。他人である国民の大多数に批判されているのですが、他者の目を気にすることのない自由を謳歌すればそれで問題なく済むのでしょうか。血税が絡む場合が指摘されますが、どのように論理を修正すべきなのでしょうか。現実に照らし合わせると、誰もが納得できる論理構成になっているのでしょうか。納得があられない場合でも崇高な論理であれば問題ないとするならば、難解な論理ではなく、この論理は一般適用できないことになり、例えるならば微分方程式の特解だけを求めているように思えますがどうでしょうか。
昔からサルトルってくだらないなあ、、、と思っておったのですが、今回このすばらしいご解説でサルトルの「哲学」の卑小性の理由がわかりました。ありがとうございます。サルトルの思念の範囲というのはフランスのプチブルがカフェでつぶやいているたわごとの話題と変わらないと思った。
神イエス様の云う自由とは、状況不利な、立場の者達へに、対する千差万別判断し、考慮する事なのです。
難しいけど、哲学って面白い。
何となくでも理解出来る楽しさがある
哲学を学ぶことが一番幸福になれると思う。
病んで自殺する人とか、とかく知ってたら立ち直ってたのかなっとかいつも思う。
んー!!たしかに!!
いつも自殺ということばを口にする友人がいて、どうしたらその子の考え方を変えれるだろうかとよく考えていました。哲学を学ぶって良い方法ですね。
義務教育で漢文とかの代わりに扱ってほしい
そう簡単に思うのは、哲学を学んで不幸になる人を知らないからです。
この世には、知らなかったほうが良かったと思うことが山ほどあるのです。
何も考えずに本能に生きる人のほうが自由に生きてないでスカ?
世の中の細部まで見えてしまう人のほうが思い悩むことが多いと思うマス.
3回連続で見て ようやくわかったような気がします。
他人からどう思われているかということも 自分が作り出しているもの。その割合が大きくならないようにするには 「自分はこうだー!」という信念を持てばいい。
そして 他人もそうであっていいということを認める。
そうすれば 何ごとも自分の思うように捉えられるようになっていく ということかな🤔
5:10の対自存在の「存在以前に本質が決められている」これ反対じゃないですか
実存は本質に先立つ=「本質以前に存在が決められている」だと思います
自分もあってるか不安なのでコメントお願いします
表示ミスでしょう。
自分が自由かどうか❓と感じるのは自分次第ですね🎉そして自由には責任が伴うとよく言いますがその点も腑に落ちました‼️深い解説すごく面白かったです✨
「哲学は世界を解釈しているだけだ。問題は世界を解釈するのではなく、作り変えることだ」と言ったマルクスの言葉が好きですね。ハイデガーの世界内存在、現存在としての自己・・ヤスパース、メルロポンティ、フッサールの現象学、結局は「観念の遊び」って感じでした。
「観念の遊び」を中学生でもわかる様に説明してください!
哲学って不思議だなと思いました。
結論で言いたいことは、何も哲学しないと辿り着けない結論ではないと思うのですが、なぜ哲学するのかなぁと
わざわざ他人の結論を読み解くのことで、模索しようとするのは遠回りな気もしました。
が、昔からあるので何か指示される理由があるのではと思いますが
自分の思うように自分ができるのは自由ではありません。自分に縛られているからです。
まずは自分から自分を解き放ってやりましょう。
実存主義 私が何であるかではなくわたしがものをどのように捉えたいかによって自分を定義する。
素晴らしい解説で、もっと聴きたいとなりました。
分かりやすい解説でした。
自他ズレ、承認欲求がいかにややこしいものか考えさせられました。
何十年も前から現代人と同じ様な悩みを持っていたんですね
自分の「したいこと」も「したくないこと」も「想像もできないこと」も、
できてこそ自由です。
もし自由になりたいのならば、自分の「思い」から自分を解放してやりましょう。
ただ、それは精神的な意味合いで個人だけにフォーカスした自由であり、一般的な人々の言う自由になりたいというのは、物理的にも他意的にも強制力を行使できるようになりたいという意味なので、絶え間なく摩擦を生み争うしかないですよね。
考えても自由などはない、自由とは何でも自分でやると言う事。
なんか想像していたより内容が高尚だった。
なんというか、自由というのは主体的であることだと思う。例えば利他的行動であっても主体的であれば自由。主体性が失われると不自由。
当たり前の事なのですが、わざわざ他人に理解、話す事か?と、思ってました。其れが『哲学』なのですね✨日本では、余りに仏教が意識しないほど浸透していますので、逆にとても面倒ですね❗(責任が無いため⁉️)
これすごく面白い。例も分かりやすいし倫理で習った時より遥かにサルトルの考えを理解出来た。本も読みたい!!
👼🏻動画の導入部で「難しい」と語られていたので、自分には理解が難しいのかと思ったのだけれど、
普段考えている事ばかりだったので、不思議なことにとても簡単に理解ができました。
たぶん教養太郎さんがきちんと理解しているからだと思う。
ありがとうございます。✨
すごく腑に落ちました。サイコー😂
これめちゃくちゃ面白い!
他人の目は頭の中にしかないっていうのをうまく説明していくとこうなるのか
サルトルにもわかりやすい説明を作成してくださった主にも感謝🙏
あるアメリカ人が、自分が大切だと思っている言葉「free」の意味する日本語を刺青しました。その日本語は「無料」でした。「自由」という言葉は英語の「free」とは微妙に異なるように思います。この著作で「自由」の意味で使われている原語は何でしょうか?
「私はピアノをfreeに弾ける」という文と「私はピアノを自由に弾ける」とは意味が異なります。前者は「ピアノを弾くのに誰かの許可を得たり、料金を支払う必要がない」という意味で、後者は「どんなむづかしい曲でも弾ける程の高い技量を持っている」という意味です。ピアノの高い技量を獲得するためには練習が必要であるように、「自分の思うがまま生きて行ける(自由)」ためには修練や修行が必要だということになります。この点についてサルトルはどのように考えているのでしょうか?
我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。
彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように
BGM無し、自分は好きです。のんびりと自分の時間の中ですお話を伺うことができるので。
竿太郎さん、いつも貴重なご意見ありがとうございます。これから制作する動画はBGMなしで作ってますね!
つまり自分の住処で自分の子供を育てている間がすんげぇ自由ということでしょうか?共感込みで考えると 私はとりあえずはのぞみませんが 間違っていたらごめんなさいですが
とってもわかりやすかったです。二日酔いのあたまにバシバシ入ってきました。わかりやすい説明動画作ってくださりありがとうございます。
アインシュタインが研究所に置き傘をした。 雨に備えて。 雨が降ったのに傘をささずにびしょ濡れになって帰った。 なんで置き傘を使わないのか?って聞いた人に、アインシュタインは応えた「 そんなことをしたら、置き傘がなくなってしまうじゃないか! 」・・・・・そういうことですか? 違いますか? もうちょっとァほでも解るように教えて下さいm(_ _)m。
聴きやすい声ですね!
もっと聞きたいと思ったのでチャンネル登録しました。
もう少し音量が大きいとありがたいです(*^^*)
長文失礼します。
結局、対他存在を意識するならば「善く生きる」ことしかないと言ってるのでしょうか?
これを批判した思想はイギリス系の思想になるのでしょうか。
是非そのような思想家がいたら教えていただきたいです。
対他存在を意識する原因は、他人ではなく「自分に思い当たる節がある」からである。そのため、対他存在を対自存在に変えるためには「自分の行為への反省を通して自分の正義に恥じない行為を自分がする」しかない。
これが議論の骨子だとおもうので、善悪とか客観的な概念ではなく、自分を誇れる生き方をしているか、だけだと思いますよ
悪人でも自分の考えに疑いが無く
悪い事をしまくっても自信満々に生きてるヤツいるよね
自由とは基本的にに社会的なものだ。社会的に自由とは責任を取らなくていいものは自由だ。責任を取らなくていいのは何故か?それはそれが正しい事ならば責任を取らなくていいから自由に行動できる。要するにこの社会において常に言動には責任が伴うのだ。だからサルトルは自由の刑に処されていると言っている。しかしみんなが正しいと認められている事ならばそれをやっても責任は伴わないから自由気ままにできる。自由とは正しい事ならば責任が伴わないから自由にできる、ただそれだけのことだ。だから自由であるためには正しいとは何か?つまり絶対善が分からなければ本当の自由にはなれないのだ。自由とは勝手気ままにできる事。何故勝手気ままにできるのか。それは正しい事ならば責任が伴わないからだ。
すみません、noteのリンクありますか?概要欄に見当たらないです
誰かから何かを強制されたことによる自由では無いことは、対他存在との関連でどのように考えられるのでしょうか?
考えることは、誰もが自由だ、囚人でさへ自由だ。だが、行動の自由は、他者との兼ね合いがあるから、難しい。
PS4の「戦国無双」のキャラ前田慶次に「人間は本来自由なのさ。ただテメエのケツをふけるかどうかってだけだがな。」と言う台詞があります。サルトルの思想はよくわかりませんがこの台詞に近いかと思います。
構造主義のサルトル批判の講義希望。
なんだ~哲学って自分自身を他者の目や考えで観るって事だったのかな?
物理、熱力学では、温度とか圧力と言う言葉がある。多体系で成り立つ概念だよね。人間社会には、変な言葉が沢山ある。自由もそうだし、正義だとか道徳なんてのもある。はて、何人いれば成り立つ概念かねえ???少なくとも無人島に上陸して、ただ一人生きる人間には全く通用しないよね。正義なんてのが一番怪しい!!!
人間社会に生きる私たちが無人島で成り立つ概念でこの社会を生きることも、これまた違う気がします。
他人の存在に悩んでない人間の実存はどうやって保障するの
色即是空ってことでしょ?
だってネ🐭 猿トル!
サルトルの愛人がサガン! 笑笑笑
宗教は自由からの逃避なんだ。
「本質」って言い方が分かり難くしてる気がする
単に「特徴」ぐらいではダメなん?
★ざっくり日常語でまとめ
「残念ながらあなたは自由だ」
→自己選択、自己責任
「即自存在」
→変化しない本質
「対自存在」
→主観、自己評価
「対他存在」
→自分の推測による客観、他人の目を推測/利用した自己評価
猿採るさんは、アラフィフになれば誰でも気付く事を難解にし過ぎだよ
小泉構文は、存在と本質だった!?
よく分かりませんが、最後のところで言っているのは、「他人がどう思おうが気にするな」ということ?
何故に存在から説明するのかわからない。
存在は前提でいいのでは?と思うのは私だけだろうか?(←これが対他存在?)
旧エヴァのTVシリーズやサードインパクトはこれやってるだけなんよね
@@Sirius-r7h それ、いつ頃かの監督のインタビューでそんなつもりはなかったけどウルトラマンだったんだと周りから言われて気づいた、といってたので実はそうでもないみたいなんですよね
観念ほど猥褻なものは無い。存在と無より ジャンポール・サルトル
NieRからきますた
流石ロンパリ
対峙存在とか対他存在とかサルトルが用いた言葉を使わないで、具体的な言葉及び例えを使えば、話はもう少し理解しやすくなると思います。なぜなら、言葉の定義にその都度変換しなくとも良いからです。
あえて難しい言葉を使う意味が良くわかりませんが、
サルトル知ってるよ!実存主義のサルトルね!なんて、知ったかぶっても、本質が理解及び体感出来なければ、ほとんど役に立ちません。
いかがでしょうか?
コメントありがとうございます。
まさにそこは難しいところでした。難しい言葉を知った方が新しい知識を得た感触があるかと思いそのままにしたんですが、確かに難しい言葉を使わない方が体に入ってくると思います。次回からは、日常で聞いたことのある言葉以外はできるだけ使わず解説していこうと思います。
ありがとうございます!
素敵な動画ありがとうございます!後ろに小さくBGMがあると聴きやすいです!
世界は自分だけのものでは無いが、自分のもの。
サルトル、目が可笑しい! 笑笑笑
考え方のスイッチしただけで変わらない環境もあるよ。川で産み落とされ母親が死んでしまったらその子は自由ですか?
ここで言われてる自由は世間で実質的不自由を嘆いていてる人の求めている自由とは本質的に異なるね。適用範囲が狭すぎやしないかな。
何からも解放されて完全な自由を得たが故に選択肢が広がりすぎて不自由になるっていうパラドックスもあるよ。(ミヒャエル・エンデの自由の監獄による)
彼曰く我々は自由の奴隷だって言って納得した(´・ω・)y-~
この傘は仕掛け銃だの場合はどうなんだろう。やはり銃という用途で作られたと言う意味?
傘の中に忍ばせた銃という生産目的じゃない?
西洋哲学に自由とは、宗教や社会制度とつながった概念なので、日本人(東洋的な)ものとは異なり、やっぱり理解できないです。
この説明だと、終始他者の目、評価を基準として構想しているが、それでは生涯自由には成れない。まず自他を分けてから、考えるべきでは?。自分は他者の付属物ではないのが基本。
猿を捕まえるのが、上手だったらしい? 笑笑笑
音量がめっちゃ小さい
私個人の感想ですが!自由とは、あの人と本当は付き合いたかった!本当はあの人と友達になりたかったとか!本当はあの店に行きたかったとか、他人の意見を気にせず!本当にやりたい事をやる事が自由に繋がるじゃないですかね(´ω`)
多分過去と云う過ぎ去った時空への希望敵観測と感じます。付き合っているいまこそ自由だと私はおもいます。付き合っていたかもしれないや友達だったかもしれないだと未練が含まれ自由の外です。自由をもとめて明確な表現があったのでないでしょうか⁈表現をしなかったそこには自由が欠落しています。結論はべつですから相手の自由もありますよね。...自由とは孤独といいます。一期一会
全てのルールは意味がないな
音が小さいです(>_
残念だが私には、ただただ理屈っぽいようにしか感じられない、有りのままの心理でいいのでは?
眞子さんと小室圭さんとの婚姻にこの論理を当てはめるとどうなりますか。他人である国民の大多数に批判されているのですが、他者の目を気にすることのない自由を謳歌すればそれで問題なく済むのでしょうか。血税が絡む場合が指摘されますが、どのように論理を修正すべきなのでしょうか。
現実に照らし合わせると、誰もが納得できる論理構成になっているのでしょうか。納得があられない場合でも崇高な論理であれば問題ないとするならば、難解な論理ではなく、この論理は一般適用できないことになり、例えるならば微分方程式の特解だけを求めているように思えますがどうでしょうか。
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神イエス様の云う自由とは、状況不利な、立場の者達へに、対する千差万別判断し、考慮する事なのです。