Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
セガはファンを楽しませた事だけは失敗しなかったよね。
熱い思いは日本一
外野も楽しませてくれたからなー。
セガファンだけでしたが。楽しんだのは。日本人の殆どは、ドリームキャストに、夢は見えていなかったと思います。
サターンのソフトが使えないことが敗因ドリームキャストで、サーターンのソフトで遊べれば、お得感が出たのにそれをしなかった。プレステは、ちゃんと使えたからお得感があった。
サターンは電池切れたらデータ消えて外部も接触悪くてセーブが不安定なイメージDCで外部パーツ買い足してもいいから動けばサターン本体の代わりになったかな年末商戦の品薄の他に狂ったペンギンとかゴジラとか対戦モードもないバーチャしか無かったし処理速度上がってサクサクのサターン遊べたら良かったな
ホントこれ頑張ってお金貯めてクッソ高い初代サターン買った中学生に互換性なしはあまりにも非情だったここからセガが嫌いになった
まったく同感…でもシェンムーのサターン版の試作のグラフィックはショボすぎだった。
サターンの設計から失敗してた。ポリゴン専用機にしてればまだやりやすかったと思われる。
まあPS2は勝つべくして勝ったって所はあるそれ故に3で大爆発したんだけど
当時の勤め先で、ドリキャス向けの部品を作っていたけど、専用ICチップの生産数が毎朝連絡が有り、それに合わせて生産していた。全然歩留まりが良くならずイライラしていた。
いや、本当こうゆう当時に現場の話が一番好きです!ありがとうございます!!大変だったとは思いますが、お疲れ様でした。
セガはCMにイメージキャラを持ってきてハードをPRしたけど、PS側はソフトのCMをバンバン打ったあのハードがいいと思うより、あのソフト遊びたいと思わせた方が勝ったんだな
今も昔も、ハードではなくソフトで選びますからね。
ドリキャスを当時やって、しみじみ感じたこと。「ネット対戦は中毒性があって恐ろしい」これを2000年初頭に体験できてよかった。
まずドリームキャストでやってみたいって思えるソフトがなかったっていうのもあるけど・サターンのコントローラーが良かっただけにDCのコントローラーはなんか受け付けなかった・サターンのソフトが遊べなかった・PS2がDVD対応させたことでPS1のソフトも遊べる上にDVDのソフトも見れるPS2の方が遥かに得に見えるようになったっていうのがねぇ…。そもそもWindowsCEをベースにしたからソフト会社が開発しやすいってことアピールしてたのに、それが全く生かされてないっていうのがなんともはや…。
自分はpsoとかのオンラインゲーム目的で買ったな、家庭用ゲーム機でネットが出来るって画期的だった今でももうオンラインゲームしかしてないな(ff14
コントローラーに関して同感ですね。ビジュアルメモリもすぐ電池切れで表示が消えるし。
セガに勤務していた友人が言ってました。「黒いネズミと黄色いネズミは人気者なのに、なぜ青いネズミの人気はイマイチなのか・・・」
黒わからない
@@morikumi 様ネズミーランドのアレですw
その理由を中の社員が理解できていない時点でもう無理だったんだと思う。
基本的にセガって自分たちのやりたい事しか見えてないから技術力は世界トップクラスでもマネジメントが絶望的に下手くそ。仮に何かの間違えでドリームキャストが売れてたとしても絶対どこかで行き詰って生産打ち切りになってたと思う。長年PSO2とesのプレイヤーとしてセガと関わってきたけど、セガタワーの失敗から何も学んでないな~という感想。昔テレビでゲームギアの開発部がインタビューされた時に「電池が1時間しか持たないという問題があった」という発言に「え?じゃあなんで作ったんですか?」とテレビスタッフがツッコミんだんだけど、「どうしても作りたかったw」って回答にセガの全てが詰まってると思う。
マネジメントできる人間を雇用すればいいと思うんだけど、しないということはそれに気づいていないのか、やっているけどマネジメントしている人間をサポートするどころか足を引っ張っている人間がいてうまくいっていないのか、どちらかでしょう。
もう「セーガーーーーーー!!!」のあの声浮かぶわ
湯川専務を前面に出し過ぎたってのもあるんじゃない?ドリキャスの初期パッケージは湯川専務の写真がほぼ全面を埋め尽くしていて、店頭で手に取った時ガッカリしたもん。消費者が店に行ったとき、真っ先に目に入ってくるのはパッケージ。それを湯川専務の写真だらけにしちゃったら、ドリキャスの良さなんて伝わらない。セガは昔から、宣伝の仕方が下手くそだった気がする。サターンもドリキャスも、決して悪いハードじゃないのにね。
セガサターンの頃からハードは高コストで無理な値下げで赤字だしサターンが中途半端に売れたのが一番の痛手だな、埋没コストを意識するべきだった
思えばこの頃からだなセガが面白くて尖ったゲームを辞めて偉い人が考えた売れそうなゲームを作り始めたのは
悲しい
いくら品薄でも欲しい人は欲しがるから、やっぱりソフトの充実と期待感の違いだよなぁライバルが強すぎた
集中して遊べる年齢の時にPSOをあそべたことには本当に感謝している。凄く画期的だったしめちゃ面白かった。
ただしサーバー落ちたらロストだけは許せねえ
悲しいことに「セガ、家庭用ゲーム機から撤退」でセガの株価が上がったのが・・・市場は好意的に捉えたとゆうこと(汗)個人的にはVGA出力に標準対応(ケーブルは別売りですが)していたのがポイントでしたPCモニターでバーチャロンオラタリオタングラムを表示してご満悦でした(笑)
赤字の元がなくなる ⇒ 企業の収益が増える ⇒ 企業価値が向上する⇒ 株価が上昇する株式市場は冷徹に数字しか見ていません。現在でもよくある話です。
プレステ2はDVDが再生できたけどドリームキャストはできなかった。こういうものはハードは同時代の技術で開発するのであとは企画と営業力、ソフトの蓄積で勝敗は決まる、ドリームキャストは無理筋だった。セガはあの時点で家庭用ゲーム機撤退を考えるべきだった。
ドリームキャストが発売日の当初に出荷台数が全然少なかったのはNECが供給していた、3Dグラフィックチップの「POWER VR-Q2」という半導体の歩留まりが凄まじく悪く(噂では生産したPOWER VR-Q2のうち、まともに使えたのが10%程度だった)その為、初回出荷台数は10万台ちょっ3だったんですよ。バーチャファイター3tbや、電脳戦機バーチャロン~オラトリオ・タングラム~、セガラリー2、アウトトリガーなど、アーケードのセガリアンだった私には、かけがえのないゲームマシンですよ。PSOも12,000時間以上遊んだし懐かしいなぁ・・・。
@5891 maron 要は不良品が多かったということです。
例えセガが半導体開発に成功してもPS2には負けていたと思います。PS2の凄さは当時VHSからの置き換えが進みつつあったDVDの視聴が可能であったこと。家電メーカーの力を活かしたソニーの強さがPS2の人気に繋がったと思います。
確かちょうどマトリックスのDVDが発売され、更に各映画のDVD化が進んだ。ゲームも出来るし、映画も見れる。これが決定打。しょぼいネット対戦しか出来ないのは、強みが全くなかった。
しかもドリキャスは壊れやすかったように思いますね。
そんなに壊れやすくはなかったぞ
まぁゲーム機大戦でも語られてたね、DVDのことは。
ドリームキャストは聞いたところによると、プレステの出鼻を挫こうとしてかえってそれが裏目に出たとも言われてるらしい。“急いては事を仕損じる”
サターンのゲームパッドが優秀だったからDCのパッドは大きく重くレスポンスもイマイチ。ヴィジュアルメモリー用電池は消耗が早いわで、ソフトの少なさもさることながら操作系が退化した印象を受けたのが残念だったな。常時接続が当たり前ではなく一般家庭ではダイアルアップが主流だったこの時代に料金負担してまでネットを一般人に体験させたSEGAは漢気有るけど、まだ早過ぎた。
セガって本当に色々と惜しい会社なんだよなあ毎回時代を先取りしているのはいいけどそれを使いきれないというかユーザーがついていけなかったというか噛み合えば天下はとれたかもしれない会社だったと思う
新規参入するためのハードルが低いからとかの理由で、2000年代からしばらく美少女ゲームメーカーの新規開発専用ハードになっていたイメージが強い。
カプコンが結構ドリキャスの肩を持ってくれてた印象。当初バイオハザードコードベロニカはドリキャス専売!って三上さんも言ってたし。(あとで完全版がPS2で出たけど)パワーストーンとかPS2に出さなかったあたり、カプコンのセガに頑張ってほしい感が伝わってた。サターンでは全くソフト供給しなかったナムコがソウルキャリバー出してくれたり。ドリキャスはPS2に勝てずとも、もっと食いついていくのかと思ってたわ。。PS2のDVDプレイヤーとしての機能。PSのソフトもプレイ可能のインパクトが強すぎたね。PS2のプロモーションにFF8使ってたり、FFの続編はPS2に決まってますよって空気もあったし。当時のFFはハードをけん引するブランド力あったからなあ。。
半導体の問題も、最初からつまずいたことも問題だけど、DVDにしなかったのが痛かったと思う。PS2はDVDデッキとしても当時は安かったしね。その辺りでも差が付いたのでしょう。
煽るだけ煽っておきながら初期出荷数の少なさでこけたのと、おっしゃるようにDVDではなくGDなる謎の独自規格だったのがだめですよね。
他にもPS2はPS1の互換があったけど、ドリキャスはサターンの互換なかったですね。
@@islander058 互換機能は新作ゲームソフト普及の阻害要因になる、ってのは、任天堂やセガは既に結論ついてたのでつけなかっただけでしょう。ソニーもPS3でようやく互換戦略の失敗を認めてましたよね。任天堂は釣った魚を逃さないための撒き餌として互換機能をつけることもありますが、戦略的にやってますね。それと、DVD機能についてはゲームの競合がDVD(映画)なんだからつけるわけないですね。ソニーはどっちが売れても良いからつけただけで、ゲーマー目線ではむしろ有害な機能です。
@@xanlyll 様 その結果、SONYはゲーム市場をシュリンクさせましたね。
@@xanlyll つまり互換性やDVD普及などの拒絶というゲーム売り手の都合ばかりを優先して、一般ユーザのニーズや利便性を軽視した事が敗因だということね。当時の社長は半導体やボトルネックを語っているが、顧客第一を忘れて俺様商売の姿勢が真の原因であることに気付けないのが最大の失敗要因だったのかも。
ギレンの野望ジオンの系譜DC版が激早すぎて旧ハードとの性能差を感じられたのが一番の思い出
PS版はバグ持ちだしね
ロードとセーブに関してはかなり完成されたハードだったと思う、18禁ソフトほしかったな
セガのハードはメガCDにセガサターン、ドリームキャストは本当に故障が多かったなあ。メガドライブはやたら頑丈だったのにねえ。
周りがファミコン派の中、SEGAの歴代ハードを全て買って「いつかSEGAの時代が」と思ったのですが‥‥。コードベロニカで感動したのが最後だったなぁ。
セガマークⅡとかありましたねぇ……
サターンのガングリフォン死ぬほどやったなあ
自分もマークIIIから全てのハードを持ってました。そして実はドリームキャスト以後も家庭用ハード発売の計画があったそうです。当時セガに勤めていた方から聞いたので、おそらく間違いありません。その話を聞いてから次こそSEGAの時代と発売を首を長くして待っていたのですが・・・
そしてSEGA押しアニメ始まった!!「異世界おじさん」
ソニーとニンテンドーという最強巨人に対して勇者セガは真っ向勝負を挑んで玉砕した印象当時はメガドラやドリキャス、サターンで遊び、今でもセガが一番好きなメーカーだ😃
うーん年末商戦の計算違いが最大の原因と語っているけどそれは現象の表面に過ぎないと思うなあサードパーティの取り込みとソフトの充実に失敗したのが最大の原因でしょうDCには結局キラーソフトが無いままだった子供にとってはハードのスペックだのオンライン機能だのよりも「ドリームキャスト買って何を遊べるの?」っていうのが一番大きいそれにまだブロードバンドが本格的に普及する前でインターネット環境自体が一般的ではなかった充実したラインナップとキラーソフトに加えてDVDも見られて下位互換機能も持ってるPS2に到底対抗出来るもんじゃなかったよね個人的にはPS2のスタイリッシュなデザインと比べてDCのコントローラーや本体の野暮ったさもなんだかなあと思っていたなあ
セガの嫌な所は新型機が出てくる度にこれまでのソフトが全く使えない事だと思う。その点プレステ2は1のソフトが使えたので全くドリームキャストに興味ありませんでした
まあ、互換性ないのがダメでしたね。ドリームキャスト自体ネット回線とか先を行っているのにこれがダメな面ですね。
うちのドリキャスはサイキックフォース専用マシンとして今も現役
半導体調達が上手くいって初動をクリアしたところで、DVDが見れてドラクエとFFの新作がが確実視されている上に、PS1のソフトや周辺機器も使えるPS2が控えてるとあっては、ジリ貧は目に見えていましたよ。ドリキャス自体も史上最高と謳われたサターンパッドを捨てて、新開発したパッドのアナログスティックが凸型のため使い辛かったり、LRボタンがアナログのみのため6ボタン格闘に向いていなかったり、ビジュアルメモリの容量がクソ少ないうえにゲームがヘボかったり、開発陣何考えてるの?って短所が目白押しでしたからね。
殆ど、同意します。因みに今でもセガサターンのパットは世界一ィィィィ!
サターンパッドはゲーム界の伝説です!!
未だにパソコン用のパッドにサターンタイプあるからねぇ
何でマルコン参考にするかなメガドラからセガのボタンは3連のABCが基本でいいのにメモリーに画面はいらんしコントローラーに挿す必要もないVM1個分の区画の縛りで後に4台分の画面無し出てもVM1台容量の切り替えで管理がややこしいかつての天の声バンクみたいだ勝敗はは準備段階で決まってた
全面的に同意この動画では「良ハードなのに最初のボタンの掛け違いを取り返せずに沈んだ」というストーリーだけを強調してるけどドリームキャスト自体に問題が沢山あったことを全く取り上げていないし結局は遊びたいソフトが沢山供給されているかが全てということにも触れていないゲームで遊びたい子供にとってハードなんて所詮はただの箱なんだから
かって食品製造に携わっていましたが出だしで躓いた新商品はうまくいったためしがありませんでした。商機というものはホントに大事であると実感しました。
ドリキャスはゲームやってる人が作ったから経営的な部分が優先されなくて失敗したプレステはその逆
プレステかサターンか、の時代に私の弟は「絶対サターンを買う!」と言い張ってたのですが、ジャンプでFF7の広告が大々的に発表された途端、「やっぱりプレステを」と手のひら返ししてましたからね。結局、消費者にとって重要なのはハードの性能より、欲しいソフトがあるかどうか。その点、セガは任天堂やソニーに比べてサードパーティが充実していなかったですよね。セガの元社長の方は年末商戦の失敗が敗因だと考えてるようですが、もしもFF7かドラクエ7がサターンかドリキャスで発売されてたら、継続的に売り上げを伸ばしていたと私は思いますよ。ゲーム機の売り上げは自社努力だけでは限界があって、いかに連携・協力してソフトを出してくれる他の企業がいるかが重要だと思いますよ。セガが三顧の礼でエニックスorスクウェア詣でをしてたら、世の中違ってたんじゃないかな……
セガもドリキャスも好きだけど半導体不足による機会損失にシェンムーの開発費の高騰でセガが傾いたイメージだしこの頃になるとバーチャファイターの人気も落ち着いてしまって(3tb)鉄拳に追い抜かれたあとは独自規格のGD-ROMもかなぁ
ドリームキャストはメモリーカード(ヴィジュアルメモリ電池必須)いがいは良かったが ぐるぐる温泉は死ぬほどやったな ポケステの完成度が完璧すぎた
セガの前の据え置き機の姿三四郎をモチーフにしたセガサターンしろーが忘れられない。Unforgettable!!
どうでも良い話だがせがた三四郎のイメージ画が最初から藤岡弘だったのは内緒な
昔から“仕込みが8割”と言われている事実。
ぐるぐる温泉は死ぬほどやりました。インターネット対戦の楽しさを教えてくれた名機だと今でも思っています。プロバイダーも確か立ち上げてて、イサオネットだったかな?いままでで一番の素晴らしいゲーム機だったと今でも思ってます
一度の失敗を立て直せないのならハードスケジュールが成功していても次に何か失敗して同じような結果になっただろう。セガの弱点は失敗を絶ちなおす余剰能力が乏しかったことだと思う。シナリオを一本しか用意できずあらゆる局面を想定できない企業体質だったんだろうな。ファンタシースターオンラインはいいゲームだったよ。最後は1万円で本体販売してたね。
ドリキャスって普通に性能悪かったよ。買ってまもなくディスクの読み込みが悪くなり、本体を180度逆にしてプレイしてた人は多いんじゃないかな。あとローディング音がでかい。そしてコントローラーの性能の悪さ。特に十字キーは終わっていて、真下にいれてるつもりでも斜め下に入力される。ナイフクレアがくるくる回っているのは見苦しすぎた。この問題はドリキャスの売りのひとつ格闘ゲームにも影響があり、純正コントローラーで格闘ゲームなんて考えられなかった。そしてビジュアルメモリの性能はいいが、それをコントローラーに差すのがいただけない。子供はもちろん大人でもコントローラーが重すぎて長時間プレイできない。なによりもCDというのが致命的だと思う。PSO2が出たとして、オンラインゲームでCD4枚組にでもするつもりだったのか。おそらくセガには、性能はあとでスーパー32Xのように拡張媒体を出せばどうとでもなる、逆にまた金儲けできるぞとでも思っていたのではないか。コントローラーの性能にしても、派生コントローラーが売れるからいいだろって感じがする。セガっていまだに頭が硬く昭和な人がトップなんだろうなあ。だからこそ龍が如くというようなゲームが生まれたとも言えるけどね。ソフト会社でいいと思います。ハード会社になるには痒いところがわかってなさすぎる。
突貫工事だけど〆のソフトとしてサクラ大戦の大神編を自社ハードで完結させたのとめちゃくちゃなセガガガ出したのは評価してる最期にゲーマーに意地を見せてくれたな…と
サクラ大戦4恋せよ乙女ですね帝都巴里歌劇団でますね。
とりま急いで制作しましたが纏まってましたね。
因みにドリキャスのCPUの委託製造元であった、日立製作所とセガの関係がハード(半導体)の設計段階からあんまり良くなかったみたいで歩留まりが悪く納期に間に合わなかったのは、発売当時秋葉原のどのPCショップでも噂されておりました。それでも、当時はパソコンもWindows98かつCPU230~430MHzの時代で流石にドリキャスのCPU200MHzは遅くて重かったですね。それに画像処理における内臓メモリーの容量が少ないのも、故障の原因を作っていたのかも。更には、ソフト面に於いてセガサターンとの互換性を持たせなかったのも、致命的でしたね。
全く同感!同じくリアタイでドリキャスユーザーだったからその流れは本当にわかるわ!セガガガの真のEDまでのあのゲームと終わり方は全セガユーザーにとっての最後の禊又はイニシエーションだったなと(笑)
制作期間が1年しかなかったからストーリーとかは短かったけど遊びやすかった。
SEGAってタイミングが合わない会社ってイメージ強いな。半導体もそうだけど、やろうとしてる事が未来先取りって感じで現状のニーズに沿っていないというか、理解されにくいマニアック感が否めない。
特撮会社に例えたらピープロと被りますね任天堂が円谷プロならSONYは東映と例えたらわかりやすいです。
PS2のビジネスが完璧すぎて、トドメが刺されちゃったイメージ。でもドリキャスが一番ゲームに夢を見れて楽しかった
前のモデルの姿三四郎をモチーフにしたセガサターンシローの藤岡弘、が印象的でした。ドリキャス販売終了後からかなり経っていとこがセガサミーに入社したんだよね。auを蹴ってた。その従姉妹が今どうなってるのか知らない。
セガは消費者に対し、革新性に直接投資させようとする高踏的な姿勢を取りながらも、アーケードを主として家庭用を従とする固定観念を決して捨てようとしない保守性が、双方の長所を打ち消し合っている企業という印象がある。その点アーケードに足がかりがなく早々に撤退した玩具メーカーの任天堂と、最初から家電メーカーであったソニーが勝ち残ったのは、理の必然だったのだろう。
プロレスゲームのジャイアントグラムは、自分が作ったオリジナルプロレスラーをビジュアルメモリーを通してゲームセンターに持ち運びできたのが当時斬新だったなあ。
感覚的に思うだけだから、説明は出来ないけど個人的には半導体云々の問題じゃなかったんじゃないかな…一瞬優位に立つ事はあったかもしれないけど、どっちにしてもやられて撤退する事になってた気がする。
PS2発売前の最後の年末年始に発売することを至上命題にしなければ最悪のケースは避けられた可能性が高い。実働部隊の問題ではなく経営判断の誤り。
当時セガがハード開発販売辞めます!って言った瞬間株がストップ高になったのを見て腐ってもセガなんだなと思った。当時から言われてたけどセガのやることは10年早すぎるんだよ。
前代のサターンのコントローラーでさえ、ABCXYZの6ボタンもあって操作の自由度も高かったってのに、ドリキャスに至ってはコントローラーのボタンがABXYの4ボタンに減ったせいで操作の自由度が激減したせいなのも、売れなかった原因だったんだよ
ドリキャスは自滅しただけで、PSと勝負にすらなってなかったよ・・・。PS2の販売台数は未だに更新されないギネス記録なんだから。実家のTVに最初に繋がったゲーム機はSG-2000だっただけに、セガがハードから撤退したのはイラっとした。高望みしすぎて、ビジネス規模を勘違いし、湯水のように開発費を突っ込んで回収できない事業戦略を許可した湯川専務が憎かった。
今はSwitchがPS2の売り上げに迫ろうとしているとか。それとも、もう超したかな?
コントローラーのトリガー部分がぶっ壊れて何度も自分で修理したのはいい思い出。一番強度が必要な部分のヒンジの部分に全く気を使ってないという(笑)何ともセガらしい設計。肝心なところをあまり重視してないセガ。そこがいい。自分で直してでも遊びたかった。キカイオーとか。
「ぐるぐる温泉」と「PSO」のコンボで昼夜逆転廃人コースでした。 ドリキャス、ありがとうございました。
dreamcastって名称は、 wikiなどには「dream(夢)をbroadcast(広く伝える)」とか書いてあるけど、当時の主な意味合いとしては、本体開発の強力なキャスティングを売りにしてのオールスターで作られたマシンだぞみたいな意味あいが込められてたんだよ。OSがwindowsCE改でサターンで失敗した開発の困難さが克服されているとか、ハード面でもCPUやグラフィックエンジンなど、日立、NEC、とかが共同開発してたりとかね。失敗は、供給がどうこうとかは実際はあんまり関係なくて、結局は、口コミとかの客の反応なんだと思うよ。やっぱ最大の失敗はDVDにできなかったこと。それに尽きる。当時はDVDは出始めた時期でゲーマーに限らず、DVDハード持ってる家庭は殆どなかったのでそこがどうなるかに広く注目が集まってた。そんな中で、ドリキャスにはDVD実装無し、発売後の1~2年内に発売されるPS2にはメディア再生可能なDVDが実装されるというのが雑誌情報や口コミで多く知られてたからそれでドリキャス本体の売り上げもサードパーティのゲーム開発も低迷した。要するに、元からのSEGA派以外の層に受け入れてもらえなかったんだよ。
ジェットセットラジオ、ソニックアドベンチャー、シェンムー、エターナルアルカディア……革新的なソフトや尖った魅力を持つソフトがたくさんあるいいゲーム機だったと思う……願わくば、もう一度この頃のSEGAに戻ってきてほしい………
「またGAMEハードメーカー始めるわ」SEGA(中華企業)←こうはならないで欲しい。
GD-ROMドライブの耐久性も問題ですね。
ドリキャスの失敗はコントローラーひたすらにコントローラー
すばらしい動画だった。最後まで見入ってしまった。
当時の経営陣の胆力凄すぎですね。部外者が見ても青ざめる狂気の沙汰です。
今思うと湯川専務の写真入りの箱はやはりインパクトがあった。のちに降格のCMまでやってたのだ。ハード的には自社アーケード基盤と共用化などアーケード、家庭用共にソフト展開をするものと思っていた。「シェンムー」というソフトもアーケードの開発者が制作するという期待が高まった。が、しかし世の中はプレステムード一色で花咲くことはなかった。
ソウルキャリバーをやるために買ったな。ファミ通レビューで40点満点だったからめちゃくちゃおもしろかった。
ハードの機能も大切だが結局は遊びたいソフトがあるかどうか。ドリキャスはラインナップが少なすぎたんだよなぁ
セガラリー ぐるぐる温泉で 通信対戦の面白さを 教えてもらいました 毎晩 セガラリーしていたのが 懐かしい
ドリキャスは日本国内のインターネット接続がまだ普及し切ってない状態だったのが痛かった。正に早すぎた一手だったと思う。スクウェアとエニックスの合併前に両社がPS陣営に行ったのも痛かった。
セガってずっとそうなんですよね。
ドリキャスの初期はハードが売ってない、ハードが買えるようになるとソフトが無い 初動が悲惨だったもんな 実際ソフトが出だしてから買ったしVGA出力、PCモニター環境だとその他のハードとは比べられない綺麗な画像でしたね ツインスティックとパッドは何回壊したことか
晩年はドリカスっていわれてた。
我が家の現役最新ハードが紹介されて嬉しい
クレイジータクシーもジェットセットラジオも面白かった。ゲームキューブだけどモンキーボールも面白かった。あの頃のセガはわりと好き。
プレステ2が強過ぎたとも言えます。勝ちすぎだソニーはゲーム会社になりその後のプレステ3は地獄でした。
PS2と同じくブルーレイの普及を目的に販売戦略を練られてたのがネックだったんじゃ?鳴り物入りのCPUがメモリとグラフィックチップとの連携が複雑で、マルチプラットフォームのソフトの一部は、カタログスペックの劣る箱〇の方が滑らかで快適に動作してたからね。
良いゲーム機でした。パソコンが高くてインターネットに触れることが簡単に出来なかった時代に気軽に出来て楽しかった。全国に同じ趣味の人と繋がれたり出来たし楽しかった。
普通にインターネットしていた気がしますけどあの時分はホームページ作るのも流行ってましたけど
おつかれさまでしたー! なるほどなー!当時、ドリームキャストを買おう買おうとおもってて、いつのまにか価格が改訂されてて、そしていつのまにか、店頭からなくなってたなー。。
ドラクエとFFをプレステに取られている時点で負け戦は確定していた。
これが真理だと思う。当時小学生の頃周りでは、発売前からセガサターン派として公言し貫いたのは私1人。一方大多数の日和見・様子見していた人達はFFがプレステで発売されると分かるや否や、急に旗色を変えプレステ派一色に染まっていった。(私自身セガサターン派として公言し貫いた、とは言いつつもプレステは最後まで買わなかったもののFFだけは友達から本体ごと借りてやった)失敗した要因を半導体が〜とか色々と述べられているが、それは開発側や外部から見た側の分析や想像・印象に過ぎず当時まさに販売ターゲットとされていた現場?の人間(の内の1人に過ぎないが)からすると「セガサターンとプレステの勝敗を分けた要因」は「プレステだけFFが販売され、サターンでは発売されない」という情報が出回った事、これが9割だと思う(ドラクエに関しては記憶が無いのでおそらくFFより後だったのだろうと思う)つまりセガサターンとプレステで決着し『負けハードメーカー』の烙印を多くのユーザーに最初から押されているという初期条件(✳︎)のもと、ドリームキャストvsプレステ2筆頭とした他ハード、をしたところで「(ドラクエ&)FFが取られている」という最大の敗因を同じように繰り返し+上記✳︎の初期条件も加えられては、いくら先行販売しようとも当然プレステ2の情報位は既に出ていたし、また負け戦となってしまうであろうなんて非常に想像に易い。もしも、『FFがセガサターンだけで発売』となっていれば当時大多数の日和見・様子見だったユーザー達はセガサターンに流れ、結果は…
@@くりんとんあいぱっど そうでしたね。FFの発売がプレステからと情報が出たときにゲーム雑誌で「プレステの勝ちだな」という記事を読んだ記憶が甦りました。
シーマンとかサカツクとか面白かったけどなぁ。斬新なゲーム作らせたらSEGAが1番だと思ってます。
ドリームキャストは 個人的な意見で、モデムを辞めて メモリを32メガバイトにするべきだったと思うメガドライブ、サターンの資産を使わなかったのも敗因だとドリームキャストでしか 出来ないゲームほど 魅力が高まるシンプルに ゲーム機で勝負するべきだと思いますパワーVRが 充分供給されても、ソフト開発が追い付いて無かったかとPS2が発売されて無いのに、無理な値下げ過去の資産を活かすべきだった
小難しく考えずともサターンの時からPSにスクウェアとエニックス取られて勝負は決まってたと思う多くの人がその2社がどのゲーム機に付くかを静観して2社が付いたPSを買ってた任天堂ですらどうしようもないくらい当時のスクウェアとエニックスの影響力は凄まじかったんだよ
セガマニアの間でどうしてスクエアはセガにソフトを出してくれないの、セガが嫌いなのとか言う話がありました、スクエアはサターン、ドリームキャストでは作りたいと思えるソフトが無かったとコメントしてました。
今じゃ(ソニーも加えて)見る影も無いって感じですが
ドリームキャストを発売日に買って、暫くして1万円値引きにはドン引きしました。ドリキャスの開発遅延は知っていましたが、下がった時に終わったと思いました。
風来のシレン外伝アスカ、シーマン、バイオコードベロニカ、マーブルVSカプコン2いろいろなゲームソフトにハマれて個人的には名機だった。まあ周りのクラスメイトはPS2発売されたらそっち買うからドリキャスは安くなったらでいいやとか言ってたし、やはりSONYの牙城は厚かったんよね・・。
ドリキャスはあれだったけど、ナオミは天寿を全うした基盤だった、基本的な事は間違ってなかったと思うでも、どっかがズレてダメになったプロジェクトとして残ったと思う石の歩留まりが良くなかったとは聞いた
NEC製PowerVR2チップの歩留まりが悪かったようです
ドリキャスは人類が手にするには早すぎたハードだったんだよっ!!ホント未来に生きていたハードだったと思う
人類じゃないよ。日本がネット後進国だっただけ。
日本人は、RPGゲームが好きですから。ドラクエもファイナルファンタジーも出せなかったのは、かなり厳しいでしょうね。
サターン互換、DVD再生、これに尽きる
SEGAといえばゲームギアという携帯機も当時では高いスペックだった。サターン共にもっと高い評価与えていいと思う。スパロボfはPSとどちらがいいといえばサターンだし
ゲームギアは電池消費量もすごく高かったですね。あと、カラー液晶も非常に見づらいシロモノ。当時の技術で頑張ったのは分かる、でも高い評価を与えられる性能だったかと言われると……もう少し待ってゲームボーイカラー程度で済む電池消費量と、もっと見やすいカラー画面がないと流石に。どうしても色物ハードとしての評価になってしまうでしょう。
湯川専務のCMは好きではなかった。自虐笑いがイマイチで、自分が作った物に対してプライドは無いのかなって疑問だった。ソニーとの正面からの戦う事なく、奇策に逃げたセガに共感できなかった。
セガサターンでしか出来ないゲームもあったが、ドリームキャストではあまりたくさんのゲームは発売されなかった。セガの看板作品のサクラ大戦もプレステ2でやるようになったり、同じくセガから1980年代からずっと北斗の拳のゲームを自分達のハードで出していたのに、プレステ2でセガエイジズ2500で出さざるをえないなど、ハード面ではいいこと無く、とりあえず今は北斗の拳レジェンズリバイブが看板作品ぽい。
大ヒットするソフトが付いてくれないと任天堂ですら傾いたという事実を考えないわけにはいかないだろう😑
「ソニックアドベンチャー」と「ぼくドラえもん」にめちゃくちゃハマってました。
ドリキャスはファン音などが五月蠅いとか色々あるけど個人的にはリセットボタンがなかった事が不便だった
DCはバーチャロンとギガウィングの為に買いました。シェンムは本編よりミニゲームばっかりやってクリアせず終了
失敗の最大の要因?>サターンとのソフト互換性を切り捨てた事だよ。で、そこをわからず上層部が「ドリキャス最大の要因は「グラフィック用半導体が云々」」って分析しちゃってる所・・・それが失敗の最大の要因。で、もう一つ>上記の内容のコメを書くと、必ず所謂クリエイターな方々や、自称業界通のユーザーから、うp主の取り上げた情報とよく似た反論が来る。・・・こんなクリエイターやユーザー(と、その主張)を生み出し、流布してしまったのもドリキャス&セガの失敗の最大の要因。業界と企業の主張をそのまま受け売りし、あたかもそれが正しく、知的な考えや振る舞いだと思うのは危険。・・・事の本質はもっとベタで下衆なモノだよ。そういった方々には、GBとGBA、GBAとDS、PS1とPS2は何故ソフトの互換性を持っているのか・・・そこをもうちょっと考えて欲しいですね。
@aruteoso >セガサターンの互換性もそうですけどDVDではなく>GD-ROMとMIL-CDを採用したことも裏目に出ましたよね。>PS2はDVDプレーヤーでもあってゲーム機ではない>使い方を提案したことがドリームキャストに>とっては不利に働いてますこれ致命的に痛いですよ。当時DVD再生機は5-6万円するのにPS2はゲーム機能付きで4万弱で出したものだから、ゲーマー以外の一般ユーザーもこぞって購入してわずか3日で100万台を超える大ヒットとなり、そこで勝負が決まりました
セガサターンはPSと比べて複雑な設計で、コスト削減が難しいハードでした。それが理由でPSと価格競争ができなかった事がSS失敗原因の一つなので、そのSSと互換性を維持して安価に高性能なハードをつくる事は当時の技術では不可能でした。サターン自体が大赤字で家庭用ゲーム機からの撤退か背水の陣での再挑戦かという状況で、再挑戦にあたってサターンとの互換を諦めることは必須条件でした。SFCやPS4など、互換性がなくても成功しているハードは成功してるので、「うまくいかなかった理由」としては兎も角、「失敗の最大の要因」とするのは違うと思います。
@@koagura_fix 返信ありがとうございます。・・・業界通なユーザーな方のようなので、不勉強な私に一つ教えて頂けますか?・・・白サターンについて、どのような見識と見解をお持ちですか?・・・確か販売価格を大幅に安くし、PSと同価格帯か、下回った価格の品だったと記憶してますが?
私は当然ながらセガの関係者ではなく、各種インタビューで拝見した情報の総合です、という前提の上で、凄く長くなってしまい申し訳ないですが、私見を…SS/DCについて話す際は、PSの存在が常に付き纏います。SSは、メガドライブの次のゲーム機として、高度な2D処理チップを搭載した最高の2D性能を持つゲーム機として設計されました。(カプコンの格闘ゲームなどで威力を発揮していましたね)バーチャファイターを出したセガにも関わらず、SSはもともと3Dを扱うことはあまり想定されてなかったのです。ところが、発売が近づく頃、ソニーが3Dに特化したゲーム機で参入するという、PSの情報が入ってきました。既にSSは完成間近で、予定していた2D処理チップとの兼ね合いでさらに3D処理チップを追加することは出来ませんでした。なんとか方法はないかと検討した結果、本来1つの予定だったCPUを2つに増やし、ソフトウェアの力技でなんとかする事になりました。元々当時のゲーム機用として最高峰のCPUだったのに、それが2つです。そんな訳で、セガサターンは元々非常に高コストなゲーム機でした。PSは非常に設計が優れており、バージョンアップを重ねてどんどんコストダウンしていき、1000万台を超える頃には黒字が出ている状況でした。ただでさえ高コストだったSSは、対抗して同程度まで販売価格を下げざる負えませんでした。白サターンは、アクセスランプやその他色々省いて、なんとかコストダウンを模索したモデルチェンジでしたが、CPUという根本的な部分でコストが下がらないので、あまり大きな効果はなかったようです。PS/SSが双方約20,000円で販売されていた1996年当時、SONYはそれで黒字でしたが、白サターンは1台辺り約10,000円の赤字が出ていたそうです。セガサターンとの互換性を維持するためには、上記の高コストなCPU・2D処理チップを引き継ぐ事が必須となり、PSとの価格競争には絶対に勝てない事になります。また、セガは日本よりもアメリカで売れるメーカーでしたが、セガサターンはアメリカでほとんど売れませんでした。そんな訳で、セガは互換性を諦めました。DCは、セガサターンに対するセガの反省を活かして・シンプルな設計でコストダウンしやすい作りにする・高性能な3Dチップを積んで、サードパーティでも開発しやすいライブラリを整備するといった作りになっています。まあ、散々既出の通り、3Dチップの調達不足でまず躓くんですけどね…私も当時はSSとの互換性がなかったのに怒った一人です。ただ、後になって色々な状況を知ると、その事自体は仕方が無かったのかな、と思います。長文でスイマセン、回答になっていますでしょうか?
すいません、長々した返信も書きましたが、シンプルにご質問頂いた事だけ答えると白サターンは、セガがPSに徐々に引き離されつつある状況で焦って、同価格帯で勝負するために1台売るたびに10,000円赤字が出るという無茶なビジネスモデルで売った商品です。ソニーは優れた設計により、PSを20,000円で売っても黒字を出し、その黒字でしっかりCMを投入し、結果としてシェア争いを制しました。
まさに早すぎた名機今では当たり前の機能(ネット対戦、DLCなど)を数々搭載していた夢のマシンセガは本当に十年早いんだよなぁ😅
まさに結城晶の「10年早いんだよ!!」を具現化したゲーム機
スタートダッシュさえつまづかなければ、まだセガがハードを作っている世界線があったかもしれない…
色んな意味で伝説のハードであり、物凄いスケールのしくじりをやったゲーム史に残るハード
当時を振り返ると 本体が単純に高かった 本体のデザインが他のメーカーの感じをパク・・・・インスパイアしすぎて いい所合わせてみました的な悪くは無いんだけど新しくは無かった 半導体がどうこう言って本体すくないとか言ってたけど、本体自体は普通に店頭に置いてあった 売り切れでは無かったな都会はどうか知らないけど地方では個人PCを持ってたりインターネットに繋いでいる家庭が現在に比べるとはるかに少なかったスマホが普及している現代 当時はガラケーが主流だった つまり 出す時代が速すぎたSEGAが最先端行き過ぎて周りの家庭が追いついてないので ゲームの為にネットを繋ぐ時代ではなかったどんなにネット系のコンテンツを作っても無駄だったな 悪くは無いのだが・・・・ドリキャスを進化させたら初代XBOXみたいな感じかな X箱の時代(PS3くらい)でギリ、ネット環境の普及が整いつつあった結論 ドリキャスは 出るのが速すぎた 最先端行き過ぎて時代(家庭)が追いついてなかった でもガンコンとビジュアルメモリーのセットはかっこよかった
サクラ大戦4のためにドリキャス買ったな後ないからリアル麻雀買ったらアーケードと遜色なかったのは驚いたね。後このゲームは服を着ないがあるからよかったな。なまじセガサターンのリアル麻雀見てからのあの酷いグラフィックが別次元でしたね。お嬢さま特急とかセガサターンのものを移植できなかったのかな?纏い組とかセガサターンはソフトかなり多かったのに。
ミニセガサターンとかミニドリキャスとか出してくれんかな。。
おそらく「せめて、ドラゴンクエストⅤやⅧのドリキャス版が登場していたら…」と思った方々も多かっただろうね。
dcはnaomi互換だからハードは優秀よnaomiはアケでは結構長く使われてたしな、やっぱりサードパーティの抱え込み戦略とpower vrの量を押さえられなかったのがねmdで回転拡大縮小機能をhw搭載してれば未来違ってた感もある
今思うと、凄いハードだったけど、CMとかみても全然伝わってこなかった。CMで世間に広まったのは湯川専務だけだったなぁ
その専務はその後常務に降格しましたとさ……
@@ナガレ2 その降格でさえCMでネタにされたのはちょっとかわいそうだった
セガのハードは出来が良いものが多かったのは事実だと思います。SSも2Dでは最強でしたしDCも後の時代を考えると早すぎた名機と言えるでしょう。ただ、販売においての惨敗っぷりを見るに、まともなマーケティング調査や原価計算をしているのかとか会社経営としては色々と疑問があります。SSについては3Dの時代が来るというのに2D重視で設計していましたし、そのせいでスクウェアのスペック要求に応えられず、FFシリーズは3Dが優秀なPSでリリースする事になりました。また、SS・DC共通で言える事ですが設計が複雑すぎて結果的にコストアップや納期遅れに繋がってしまっています。これは設計部署のマスターベーションに過ぎないですし、それにGOサインを出した上層部にも問題があるでしょう。ちなみにセガサミーは正確に言えばサミーによるセガ買収です。大量に残ったDC用のチップ類はサミーのパチスロ機に使用されました。
セガも任天堂もSONYに勝てない理由は、参入してるゲームメーカーっしょ。映像のちびっこが言ってた「カセットがない」の一言に尽きる。本体の性能が良かろうと遊ぶゲームを造るソフトメーカーが参入してくれないと売れない
ドリキャスは大好きなハードだったけど、ギャルゲーの移植が頻発し始めた時に終焉を悟った
終焉ってよりも、終焉後のリユース的な立ち位置でしたねドリキャスはOSにWINDOWS CEを搭載しててPC由来のギャルゲーなどの移植が容易な部分があって最後の灯みたいに移植が多かったですね
早々と市場から消えていったPC-FXとか、まさにそんな感じでしたね…。
メガドラからセガ通してきたがチューチューロケット買ってあららと思ってそのあたりで卒業したかな丁度ピーク過ぎて終焉の下り坂転がりだした頃なのでセガガガとかエターナルアルカディアは未プレイ
セガはファンを楽しませた事だけは失敗しなかったよね。
熱い思いは日本一
外野も楽しませてくれたからなー。
セガファンだけでしたが。楽しんだのは。日本人の殆どは、ドリームキャストに、夢は見えていなかったと思います。
サターンのソフトが使えないことが敗因
ドリームキャストで、サーターンのソフトで遊べれば、お得感が出たのにそれをしなかった。
プレステは、ちゃんと使えたからお得感があった。
サターンは電池切れたらデータ消えて外部も接触悪くてセーブが不安定なイメージ
DCで外部パーツ買い足してもいいから動けばサターン本体の代わりになったかな
年末商戦の品薄の他に狂ったペンギンとかゴジラとか対戦モードもないバーチャしか無かったし
処理速度上がってサクサクのサターン遊べたら良かったな
ホントこれ
頑張ってお金貯めてクッソ高い初代サターン買った中学生に
互換性なしはあまりにも非情だった
ここからセガが嫌いになった
まったく同感…でもシェンムーのサターン版の試作のグラフィックはショボすぎだった。
サターンの設計から失敗してた。
ポリゴン専用機にしてればまだやりやすかったと思われる。
まあPS2は勝つべくして勝ったって所はある
それ故に3で大爆発したんだけど
当時の勤め先で、ドリキャス向けの部品を作っていたけど、専用ICチップの生産数が毎朝連絡が有り、それに合わせて生産していた。全然歩留まりが良くならずイライラしていた。
いや、本当こうゆう当時に現場の話が一番好きです!
ありがとうございます!!
大変だったとは思いますが、お疲れ様でした。
セガはCMにイメージキャラを持ってきてハードをPRしたけど、PS側はソフトのCMをバンバン打った
あのハードがいいと思うより、あのソフト遊びたいと思わせた方が勝ったんだな
今も昔も、ハードではなくソフトで選びますからね。
ドリキャスを当時やって、しみじみ感じたこと。
「ネット対戦は中毒性があって恐ろしい」
これを2000年初頭に体験できてよかった。
まずドリームキャストでやってみたいって思えるソフトがなかったっていうのもあるけど
・サターンのコントローラーが良かっただけにDCのコントローラーはなんか受け付けなかった
・サターンのソフトが遊べなかった
・PS2がDVD対応させたことでPS1のソフトも遊べる上にDVDのソフトも見れるPS2の方が遥かに得に見えるようになった
っていうのがねぇ…。
そもそもWindowsCEをベースにしたからソフト会社が開発しやすいってことアピールしてたのに、それが全く生かされてないっていうのがなんともはや…。
自分はpsoとかのオンラインゲーム目的で買ったな、家庭用ゲーム機でネットが出来るって画期的だった
今でももうオンラインゲームしかしてないな(ff14
コントローラーに関して同感ですね。ビジュアルメモリもすぐ電池切れで表示が消えるし。
セガに勤務していた友人が言ってました。
「黒いネズミと黄色いネズミは人気者なのに、なぜ青いネズミの人気はイマイチなのか・・・」
黒わからない
@@morikumi 様
ネズミーランドのアレですw
その理由を中の社員が理解できていない時点でもう無理だったんだと思う。
基本的にセガって自分たちのやりたい事しか見えてないから技術力は世界トップクラスでもマネジメントが絶望的に下手くそ。仮に何かの間違えでドリームキャストが売れてたとしても絶対どこかで行き詰って生産打ち切りになってたと思う。
長年PSO2とesのプレイヤーとしてセガと関わってきたけど、セガタワーの失敗から何も学んでないな~という感想。
昔テレビでゲームギアの開発部がインタビューされた時に「電池が1時間しか持たないという問題があった」という発言に「え?じゃあなんで作ったんですか?」とテレビスタッフがツッコミんだんだけど、「どうしても作りたかったw」って回答にセガの全てが詰まってると思う。
マネジメントできる人間を雇用すればいいと思うんだけど、しないということは
それに気づいていないのか、やっているけどマネジメントしている人間をサポートするどころか
足を引っ張っている人間がいてうまくいっていないのか、どちらかでしょう。
もう「セーガーーーーーー!!!」のあの声浮かぶわ
湯川専務を前面に出し過ぎたってのもあるんじゃない?
ドリキャスの初期パッケージは湯川専務の写真がほぼ全面を埋め尽くしていて、店頭で手に取った時ガッカリしたもん。
消費者が店に行ったとき、真っ先に目に入ってくるのはパッケージ。
それを湯川専務の写真だらけにしちゃったら、ドリキャスの良さなんて伝わらない。
セガは昔から、宣伝の仕方が下手くそだった気がする。
サターンもドリキャスも、決して悪いハードじゃないのにね。
セガサターンの頃からハードは高コストで無理な値下げで赤字だし
サターンが中途半端に売れたのが一番の痛手だな、埋没コストを意識するべきだった
思えばこの頃からだな
セガが面白くて尖ったゲームを辞めて偉い人が考えた売れそうなゲームを作り始めたのは
悲しい
いくら品薄でも欲しい人は欲しがるから、やっぱりソフトの充実と期待感の違いだよなぁ
ライバルが強すぎた
集中して遊べる年齢の時にPSOをあそべたことには本当に感謝している。凄く画期的だったしめちゃ面白かった。
ただしサーバー落ちたらロストだけは許せねえ
悲しいことに「セガ、家庭用ゲーム機から撤退」でセガの株価が上がったのが・・・市場は好意的に捉えたとゆうこと(汗)
個人的にはVGA出力に標準対応(ケーブルは別売りですが)していたのがポイントでした
PCモニターでバーチャロンオラタリオタングラムを表示してご満悦でした(笑)
赤字の元がなくなる ⇒ 企業の収益が増える ⇒ 企業価値が向上する
⇒ 株価が上昇する
株式市場は冷徹に数字しか見ていません。
現在でもよくある話です。
プレステ2はDVDが再生できたけどドリームキャストはできなかった。こういうものはハードは同時代の技術で開発するのであとは企画と営業力、ソフトの蓄積で勝敗は決まる、ドリームキャストは無理筋だった。セガはあの時点で家庭用ゲーム機撤退を考えるべきだった。
ドリームキャストが発売日の当初に出荷台数が全然少なかったのは
NECが供給していた、3Dグラフィックチップの「POWER VR-Q2」という半導体の歩留まりが凄まじく悪く
(噂では生産したPOWER VR-Q2のうち、まともに使えたのが10%程度だった)
その為、初回出荷台数は10万台ちょっ3だったんですよ。
バーチャファイター3tbや、電脳戦機バーチャロン~オラトリオ・タングラム~、セガラリー2、アウトトリガーなど、アーケードのセガリアンだった私には、かけがえのないゲームマシンですよ。
PSOも12,000時間以上遊んだし
懐かしいなぁ・・・。
@5891 maron 要は不良品が多かったということです。
例えセガが半導体開発に成功してもPS2には負けていたと思います。PS2の凄さは当時VHSからの置き換えが進みつつあったDVDの視聴が可能であったこと。家電メーカーの力を活かしたソニーの強さがPS2の人気に繋がったと思います。
確かちょうどマトリックスのDVDが発売され、更に各映画のDVD化が進んだ。
ゲームも出来るし、映画も見れる。これが決定打。
しょぼいネット対戦しか出来ないのは、強みが全くなかった。
しかもドリキャスは壊れやすかったように思いますね。
そんなに壊れやすくはなかったぞ
まぁゲーム機大戦でも語られてたね、DVDのことは。
ドリームキャストは聞いたところによると、プレステの出鼻を挫こうとしてかえってそれが裏目に出たとも言われてるらしい。“急いては事を仕損じる”
サターンのゲームパッドが優秀だったからDCのパッドは大きく重くレスポンスもイマイチ。
ヴィジュアルメモリー用電池は消耗が早いわで、ソフトの少なさもさることながら操作系が退化した印象を受けたのが残念だったな。
常時接続が当たり前ではなく一般家庭ではダイアルアップが主流だったこの時代に料金負担してまでネットを一般人に体験させたSEGAは漢気有るけど、
まだ早過ぎた。
セガって本当に色々と惜しい会社なんだよなあ
毎回時代を先取りしているのはいいけどそれを使いきれないというか
ユーザーがついていけなかったというか
噛み合えば天下はとれたかもしれない会社だったと思う
新規参入するためのハードルが低いからとかの理由で、2000年代からしばらく美少女ゲームメーカーの新規開発専用ハードになっていたイメージが強い。
カプコンが結構ドリキャスの肩を持ってくれてた印象。
当初バイオハザードコードベロニカはドリキャス専売!って三上さんも言ってたし。(あとで完全版がPS2で出たけど)
パワーストーンとかPS2に出さなかったあたり、カプコンのセガに頑張ってほしい感が伝わってた。
サターンでは全くソフト供給しなかったナムコがソウルキャリバー出してくれたり。
ドリキャスはPS2に勝てずとも、もっと食いついていくのかと思ってたわ。。
PS2のDVDプレイヤーとしての機能。PSのソフトもプレイ可能のインパクトが強すぎたね。
PS2のプロモーションにFF8使ってたり、FFの続編はPS2に決まってますよって空気もあったし。
当時のFFはハードをけん引するブランド力あったからなあ。。
半導体の問題も、最初からつまずいたことも問題だけど、DVDにしなかったのが痛かったと思う。
PS2はDVDデッキとしても当時は安かったしね。
その辺りでも差が付いたのでしょう。
煽るだけ煽っておきながら初期出荷数の少なさでこけたのと、おっしゃるようにDVDではなくGDなる謎の独自規格だったのがだめですよね。
他にもPS2はPS1の互換があったけど、ドリキャスはサターンの互換なかったですね。
@@islander058 互換機能は新作ゲームソフト普及の阻害要因になる、ってのは、任天堂やセガは既に結論ついてたのでつけなかっただけでしょう。ソニーもPS3でようやく互換戦略の失敗を認めてましたよね。
任天堂は釣った魚を逃さないための撒き餌として互換機能をつけることもありますが、戦略的にやってますね。
それと、DVD機能についてはゲームの競合がDVD(映画)なんだからつけるわけないですね。ソニーはどっちが売れても良いからつけただけで、ゲーマー目線ではむしろ有害な機能です。
@@xanlyll 様 その結果、SONYはゲーム市場をシュリンクさせましたね。
@@xanlyll つまり互換性やDVD普及などの拒絶というゲーム売り手の都合ばかりを優先して、一般ユーザのニーズや利便性を軽視した事が敗因だということね。
当時の社長は半導体やボトルネックを語っているが、顧客第一を忘れて俺様商売の姿勢が真の原因であることに気付けないのが最大の失敗要因だったのかも。
ギレンの野望ジオンの系譜DC版が激早すぎて旧ハードとの性能差を感じられたのが一番の思い出
PS版はバグ持ちだしね
ロードとセーブに関してはかなり完成されたハードだったと思う、18禁ソフトほしかったな
セガのハードはメガCDにセガサターン、ドリームキャストは本当に故障が多かったなあ。メガドライブはやたら頑丈だったのにねえ。
周りがファミコン派の中、SEGAの歴代ハードを全て買って「いつかSEGAの時代が」と思ったのですが‥‥。コードベロニカで感動したのが最後だったなぁ。
セガマークⅡとかありましたねぇ……
サターンのガングリフォン死ぬほどやったなあ
自分もマークIIIから全てのハードを持ってました。そして実はドリームキャスト以後も家庭用ハード発売の計画があったそうです。当時セガに勤めていた方から聞いたので、おそらく間違いありません。その話を聞いてから次こそSEGAの時代と発売を首を長くして待っていたのですが・・・
そしてSEGA押しアニメ始まった!!
「異世界おじさん」
ソニーとニンテンドーという最強巨人に対して
勇者セガは真っ向勝負を挑んで玉砕した印象
当時はメガドラやドリキャス、サターンで遊び、今でもセガが一番好きなメーカーだ😃
うーん年末商戦の計算違いが最大の原因と語っているけどそれは現象の表面に過ぎないと思うなあ
サードパーティの取り込みとソフトの充実に失敗したのが最大の原因でしょう
DCには結局キラーソフトが無いままだった
子供にとってはハードのスペックだのオンライン機能だのよりも「ドリームキャスト買って何を遊べるの?」っていうのが一番大きい
それにまだブロードバンドが本格的に普及する前でインターネット環境自体が一般的ではなかった
充実したラインナップとキラーソフトに加えてDVDも見られて下位互換機能も持ってるPS2に到底対抗出来るもんじゃなかったよね
個人的にはPS2のスタイリッシュなデザインと比べてDCのコントローラーや本体の野暮ったさもなんだかなあと思っていたなあ
セガの嫌な所は新型機が出てくる度にこれまでのソフトが全く使えない事だと思う。その点プレステ2は1のソフトが使えたので全くドリームキャストに興味ありませんでした
まあ、互換性ないのがダメでしたね。
ドリームキャスト自体ネット回線とか先を行っているのにこれがダメな面ですね。
うちのドリキャスはサイキックフォース専用マシンとして今も現役
半導体調達が上手くいって初動をクリアしたところで、DVDが見れてドラクエとFFの新作がが確実視されている上に、PS1のソフトや周辺機器も使えるPS2が控えてるとあっては、ジリ貧は目に見えていましたよ。ドリキャス自体も史上最高と謳われたサターンパッドを捨てて、新開発したパッドのアナログスティックが凸型のため使い辛かったり、LRボタンがアナログのみのため6ボタン格闘に向いていなかったり、ビジュアルメモリの容量がクソ少ないうえにゲームがヘボかったり、開発陣何考えてるの?って短所が目白押しでしたからね。
殆ど、同意します。
因みに今でもセガサターンのパットは世界一ィィィィ!
サターンパッドはゲーム界の伝説です!!
未だにパソコン用のパッドに
サターンタイプあるからねぇ
何でマルコン参考にするかな
メガドラからセガのボタンは3連のABCが基本でいいのに
メモリーに画面はいらんしコントローラーに挿す必要もない
VM1個分の区画の縛りで後に4台分の画面無し出てもVM1台容量の切り替えで管理がややこしい
かつての天の声バンクみたいだ
勝敗はは準備段階で決まってた
全面的に同意
この動画では「良ハードなのに最初のボタンの掛け違いを取り返せずに沈んだ」というストーリーだけを強調してるけど
ドリームキャスト自体に問題が沢山あったことを全く取り上げていないし
結局は遊びたいソフトが沢山供給されているかが全てということにも触れていない
ゲームで遊びたい子供にとってハードなんて所詮はただの箱なんだから
かって食品製造に携わっていましたが出だしで躓いた新商品はうまくいったためしがありませんでした。
商機というものはホントに大事であると実感しました。
ドリキャスはゲームやってる人が作ったから経営的な部分が優先されなくて失敗した
プレステはその逆
プレステかサターンか、の時代に私の弟は「絶対サターンを買う!」と言い張ってたのですが、
ジャンプでFF7の広告が大々的に発表された途端、「やっぱりプレステを」
と手のひら返ししてましたからね。
結局、消費者にとって重要なのはハードの性能より、欲しいソフトがあるかどうか。
その点、セガは任天堂やソニーに比べてサードパーティが充実していなかったですよね。
セガの元社長の方は年末商戦の失敗が敗因だと考えてるようですが、もしもFF7かドラクエ7が
サターンかドリキャスで発売されてたら、継続的に売り上げを伸ばしていたと私は思いますよ。
ゲーム機の売り上げは自社努力だけでは限界があって、いかに連携・協力して
ソフトを出してくれる他の企業がいるかが重要だと思いますよ。
セガが三顧の礼でエニックスorスクウェア詣でをしてたら、世の中違ってたんじゃないかな……
セガもドリキャスも好きだけど
半導体不足による機会損失にシェンムーの開発費の高騰でセガが傾いたイメージだし
この頃になるとバーチャファイターの人気も落ち着いてしまって(3tb)鉄拳に追い抜かれた
あとは独自規格のGD-ROMもかなぁ
ドリームキャストはメモリーカード(ヴィジュアルメモリ電池必須)いがいは良かったが ぐるぐる温泉は死ぬほどやったな ポケステの完成度が完璧すぎた
セガの前の据え置き機の姿三四郎をモチーフにしたセガサターンしろーが忘れられない。Unforgettable!!
どうでも良い話だが
せがた三四郎のイメージ画が最初から藤岡弘だったのは内緒な
昔から“仕込みが8割”と言われている事実。
ぐるぐる温泉は死ぬほどやりました。
インターネット対戦の楽しさを教えてくれた名機だと今でも思っています。
プロバイダーも確か立ち上げてて、イサオネットだったかな?
いままでで一番の素晴らしいゲーム機だったと今でも思ってます
一度の失敗を立て直せないのならハードスケジュールが成功していても次に何か失敗して同じような結果になっただろう。セガの弱点は失敗を絶ちなおす余剰能力が乏しかったことだと思う。シナリオを一本しか用意できずあらゆる局面を想定できない企業体質だったんだろうな。
ファンタシースターオンラインはいいゲームだったよ。最後は1万円で本体販売してたね。
ドリキャスって普通に性能悪かったよ。
買ってまもなくディスクの読み込みが悪くなり、本体を180度逆にしてプレイしてた人は多いんじゃないかな。あとローディング音がでかい。
そしてコントローラーの性能の悪さ。特に十字キーは終わっていて、真下にいれてるつもりでも斜め下に入力される。ナイフクレアがくるくる回っているのは見苦しすぎた。
この問題はドリキャスの売りのひとつ格闘ゲームにも影響があり、純正コントローラーで格闘ゲームなんて考えられなかった。
そしてビジュアルメモリの性能はいいが、それをコントローラーに差すのがいただけない。子供はもちろん大人でもコントローラーが重すぎて長時間プレイできない。
なによりもCDというのが致命的だと思う。PSO2が出たとして、オンラインゲームでCD4枚組にでもするつもりだったのか。
おそらくセガには、性能はあとでスーパー32Xのように拡張媒体を出せばどうとでもなる、逆にまた金儲けできるぞとでも思っていたのではないか。
コントローラーの性能にしても、派生コントローラーが売れるからいいだろって感じがする。
セガっていまだに頭が硬く昭和な人がトップなんだろうなあ。だからこそ龍が如くというようなゲームが生まれたとも言えるけどね。
ソフト会社でいいと思います。ハード会社になるには痒いところがわかってなさすぎる。
突貫工事だけど
〆のソフトとして
サクラ大戦の大神編を自社ハードで完結させたのと
めちゃくちゃなセガガガ出したのは
評価してる
最期にゲーマーに意地を見せてくれたな…と
サクラ大戦4恋せよ乙女ですね帝都巴里歌劇団でますね。
とりま急いで制作しましたが纏まってましたね。
因みにドリキャスのCPUの委託製造元であった、日立製作所とセガの関係がハード(半導体)の設計段階からあんまり良くなかったみたいで歩留まりが悪く納期に間に合わなかったのは、発売当時秋葉原のどのPCショップでも噂されておりました。
それでも、当時はパソコンもWindows98かつCPU230~430MHzの時代で流石にドリキャスのCPU200MHzは遅くて重かったですね。それに画像処理における内臓メモリーの容量が少ないのも、故障の原因を作っていたのかも。更には、ソフト面に於いてセガサターンとの互換性を持たせなかったのも、致命的でしたね。
全く同感!同じくリアタイでドリキャスユーザーだったからその流れは本当にわかるわ!
セガガガの真のEDまでのあのゲームと終わり方は全セガユーザーにとっての最後の
禊又はイニシエーションだったなと(笑)
制作期間が1年しかなかったからストーリーとかは短かったけど遊びやすかった。
SEGAってタイミングが合わない会社ってイメージ強いな。半導体もそうだけど、やろうとしてる事が未来先取りって感じで現状のニーズに沿っていないというか、理解されにくいマニアック感が否めない。
特撮会社に例えたらピープロと被りますね
任天堂が円谷プロならSONYは東映と例えたらわかりやすいです。
PS2のビジネスが完璧すぎて、トドメが刺されちゃったイメージ。
でもドリキャスが一番ゲームに夢を見れて楽しかった
前のモデルの姿三四郎をモチーフにしたセガサターンシローの藤岡弘、が印象的でした。ドリキャス販売終了後からかなり経っていとこがセガサミーに入社したんだよね。auを蹴ってた。その従姉妹が今どうなってるのか知らない。
セガは消費者に対し、革新性に直接投資させようとする高踏的な姿勢を取りながらも、アーケードを主として家庭用を従とする固定観念を決して捨てようとしない保守性が、双方の長所を打ち消し合っている企業という印象がある。
その点アーケードに足がかりがなく早々に撤退した玩具メーカーの任天堂と、最初から家電メーカーであったソニーが勝ち残ったのは、理の必然だったのだろう。
プロレスゲームのジャイアントグラムは、自分が作ったオリジナルプロレスラーをビジュアルメモリーを通してゲームセンターに持ち運びできたのが当時斬新だったなあ。
感覚的に思うだけだから、説明は出来ないけど個人的には半導体云々の問題じゃなかったんじゃないかな…
一瞬優位に立つ事はあったかもしれないけど、どっちにしてもやられて撤退する事になってた気がする。
PS2発売前の最後の年末年始に発売することを至上命題にしなければ最悪のケースは避けられた可能性が高い。
実働部隊の問題ではなく経営判断の誤り。
当時セガがハード開発販売辞めます!って言った瞬間株がストップ高になったのを見て腐ってもセガなんだなと思った。
当時から言われてたけどセガのやることは10年早すぎるんだよ。
前代のサターンのコントローラーでさえ、ABCXYZの6ボタンもあって操作の自由度も高かったってのに、
ドリキャスに至ってはコントローラーのボタンがABXYの4ボタンに減ったせいで操作の自由度が激減したせいなのも、売れなかった原因だったんだよ
ドリキャスは自滅しただけで、PSと勝負にすらなってなかったよ・・・。PS2の販売台数は未だに更新されないギネス記録なんだから。
実家のTVに最初に繋がったゲーム機はSG-2000だっただけに、セガがハードから撤退したのはイラっとした。
高望みしすぎて、ビジネス規模を勘違いし、湯水のように開発費を突っ込んで回収できない事業戦略を許可した湯川専務が憎かった。
今はSwitchがPS2の売り上げに迫ろうとしているとか。それとも、もう超したかな?
コントローラーのトリガー部分がぶっ壊れて何度も自分で修理したのはいい思い出。一番強度が必要な部分のヒンジの部分に全く気を使ってないという(笑)何ともセガらしい設計。肝心なところをあまり重視してないセガ。そこがいい。自分で直してでも遊びたかった。キカイオーとか。
「ぐるぐる温泉」と「PSO」のコンボで昼夜逆転廃人コースでした。 ドリキャス、ありがとうございました。
dreamcastって名称は、 wikiなどには「dream(夢)をbroadcast(広く伝える)」とか書いてあるけど、当時の主な意味合いとしては、本体開発の強力なキャスティングを売りにしてのオールスターで作られたマシンだぞみたいな意味あいが込められてたんだよ。OSがwindowsCE改でサターンで失敗した開発の困難さが克服されているとか、ハード面でもCPUやグラフィックエンジンなど、日立、NEC、とかが共同開発してたりとかね。
失敗は、供給がどうこうとかは実際はあんまり関係なくて、結局は、口コミとかの客の反応なんだと思うよ。
やっぱ最大の失敗はDVDにできなかったこと。それに尽きる。当時はDVDは出始めた時期でゲーマーに限らず、DVDハード持ってる家庭は殆どなかったのでそこがどうなるかに広く注目が集まってた。そんな中で、ドリキャスにはDVD実装無し、発売後の1~2年内に発売されるPS2にはメディア再生可能なDVDが実装されるというのが雑誌情報や口コミで多く知られてたからそれでドリキャス本体の売り上げもサードパーティのゲーム開発も低迷した。要するに、元からのSEGA派以外の層に受け入れてもらえなかったんだよ。
ジェットセットラジオ、ソニックアドベンチャー、シェンムー、エターナルアルカディア……革新的なソフトや尖った魅力を持つソフトがたくさんあるいいゲーム機だったと思う……願わくば、もう一度この頃のSEGAに戻ってきてほしい………
「またGAMEハードメーカー始めるわ」SEGA(中華企業)←こうはならないで欲しい。
GD-ROMドライブの耐久性も問題ですね。
ドリキャスの失敗はコントローラー
ひたすらにコントローラー
すばらしい動画だった。最後まで見入ってしまった。
当時の経営陣の胆力凄すぎですね。部外者が見ても青ざめる狂気の沙汰です。
今思うと湯川専務の写真入りの箱はやはりインパクトがあった。のちに降格のCMまでやってたのだ。ハード的には自社アーケード基盤と共用化などアーケード、家庭用共にソフト展開をするものと思っていた。「シェンムー」というソフトもアーケードの開発者が制作するという期待が高まった。が、しかし世の中はプレステムード一色で花咲くことはなかった。
ソウルキャリバーをやるために買ったな。ファミ通レビューで40点満点だったからめちゃくちゃおもしろかった。
ハードの機能も大切だが結局は遊びたいソフトがあるかどうか。
ドリキャスはラインナップが少なすぎたんだよなぁ
セガラリー ぐるぐる温泉で 通信対戦の面白さを 教えてもらいました 毎晩 セガラリーしていたのが 懐かしい
ドリキャスは日本国内のインターネット接続がまだ普及し切ってない状態だったのが痛かった。
正に早すぎた一手だったと思う。
スクウェアとエニックスの合併前に
両社がPS陣営に行ったのも痛かった。
セガってずっとそうなんですよね。
ドリキャスの初期はハードが売ってない、ハードが買えるようになるとソフトが無い 初動が悲惨だったもんな 実際ソフトが出だしてから買ったし
VGA出力、PCモニター環境だとその他のハードとは比べられない綺麗な画像でしたね ツインスティックとパッドは何回壊したことか
晩年はドリカスっていわれてた。
我が家の現役最新ハードが紹介されて嬉しい
クレイジータクシーもジェットセットラジオも面白かった。
ゲームキューブだけどモンキーボールも面白かった。
あの頃のセガはわりと好き。
プレステ2が強過ぎたとも言えます。勝ちすぎだソニーはゲーム会社になりその後のプレステ3は地獄でした。
PS2と同じくブルーレイの普及を目的に販売戦略を練られてたのがネックだったんじゃ?
鳴り物入りのCPUがメモリとグラフィックチップとの連携が複雑で、マルチプラットフォームのソフトの一部は、カタログスペックの劣る箱〇の方が滑らかで快適に動作してたからね。
良いゲーム機でした。
パソコンが高くてインターネットに触れることが簡単に出来なかった時代に
気軽に出来て楽しかった。全国に同じ趣味の人と繋がれたり出来たし楽しかった。
普通にインターネットしていた気がしますけど
あの時分はホームページ作るのも流行ってましたけど
おつかれさまでしたー! なるほどなー!
当時、ドリームキャストを買おう買おうとおもってて、いつのまにか価格が改訂されてて、そしていつのまにか、店頭からなくなってたなー。。
ドラクエとFFをプレステに取られている時点で負け戦は確定していた。
これが真理だと思う。
当時小学生の頃周りでは、発売前からセガサターン派として公言し貫いたのは私1人。
一方大多数の日和見・様子見していた人達はFFがプレステで発売されると分かるや否や、急に旗色を変えプレステ派一色に染まっていった。
(私自身セガサターン派として公言し貫いた、とは言いつつもプレステは最後まで買わなかったもののFFだけは友達から本体ごと借りてやった)
失敗した要因を半導体が〜とか色々と述べられているが、それは開発側や外部から見た側の分析や想像・印象に過ぎず
当時まさに販売ターゲットとされていた現場?の人間(の内の1人に過ぎないが)からすると
「セガサターンとプレステの勝敗を分けた要因」は「プレステだけFFが販売され、サターンでは発売されない」という情報が出回った事、これが9割だと思う
(ドラクエに関しては記憶が無いのでおそらくFFより後だったのだろうと思う)
つまりセガサターンとプレステで決着し『負けハードメーカー』の烙印を多くのユーザーに最初から押されているという初期条件(✳︎)のもと、
ドリームキャストvsプレステ2筆頭とした他ハード、をしたところで
「(ドラクエ&)FFが取られている」という最大の敗因を同じように繰り返し+上記✳︎の初期条件も加えられては、いくら先行販売しようとも当然プレステ2の情報位は既に出ていたし、また負け戦となってしまうであろうなんて非常に想像に易い。
もしも、『FFがセガサターンだけで発売』となっていれば当時大多数の日和見・様子見だったユーザー達はセガサターンに流れ、結果は…
@@くりんとんあいぱっど
そうでしたね。
FFの発売がプレステから
と情報が出たときにゲーム雑誌で「プレステの勝ちだな」
という記事を読んだ記憶が甦りました。
シーマンとかサカツクとか面白かったけどなぁ。斬新なゲーム作らせたらSEGAが1番だと思ってます。
ドリームキャストは 個人的な意見で、
モデムを辞めて メモリを32メガバイトにするべきだったと思う
メガドライブ、サターンの資産を使わなかったのも敗因だと
ドリームキャストでしか 出来ないゲームほど 魅力が高まる
シンプルに ゲーム機で勝負するべきだと思います
パワーVRが 充分供給されても、
ソフト開発が追い付いて無かったかと
PS2が発売されて無いのに、
無理な値下げ
過去の資産を活かすべきだった
小難しく考えずともサターンの時からPSにスクウェアとエニックス取られて勝負は決まってたと思う
多くの人がその2社がどのゲーム機に付くかを静観して2社が付いたPSを買ってた
任天堂ですらどうしようもないくらい当時のスクウェアとエニックスの影響力は凄まじかったんだよ
セガマニアの間でどうしてスクエアはセガにソフトを出してくれないの、セガが嫌いなのとか言う話がありました、スクエアはサターン、ドリームキャストでは作りたいと思えるソフトが無かったとコメントしてました。
今じゃ(ソニーも加えて)見る影も無いって感じですが
ドリームキャストを発売日に買って、暫くして1万円値引きにはドン引きしました。ドリキャスの開発遅延は知っていましたが、下がった時に終わったと思いました。
風来のシレン外伝アスカ、シーマン、バイオコードベロニカ、マーブルVSカプコン2
いろいろなゲームソフトにハマれて個人的には名機だった。
まあ周りのクラスメイトはPS2発売されたらそっち買うから
ドリキャスは安くなったらでいいやとか言ってたし、
やはりSONYの牙城は厚かったんよね・・。
ドリキャスはあれだったけど、ナオミは天寿を全うした基盤だった、基本的な事は間違ってなかったと思う
でも、どっかがズレてダメになったプロジェクトとして残ったと思う
石の歩留まりが良くなかったとは聞いた
NEC製PowerVR2チップの歩留まりが悪かったようです
ドリキャスは人類が手にするには早すぎたハードだったんだよっ!!
ホント未来に生きていたハードだったと思う
人類じゃないよ。
日本がネット後進国だっただけ。
日本人は、RPGゲームが好きですから。ドラクエもファイナルファンタジーも出せなかったのは、かなり厳しいでしょうね。
サターン互換、DVD再生、これに尽きる
SEGAといえばゲームギアという携帯機も当時では高いスペックだった。サターン共にもっと高い評価与えていいと思う。スパロボfはPSとどちらがいいといえばサターンだし
ゲームギアは電池消費量もすごく高かったですね。あと、カラー液晶も非常に見づらいシロモノ。
当時の技術で頑張ったのは分かる、でも高い評価を与えられる性能だったかと言われると……もう少し待ってゲームボーイカラー程度で済む電池消費量と、もっと見やすいカラー画面がないと流石に。どうしても色物ハードとしての評価になってしまうでしょう。
湯川専務のCMは好きではなかった。
自虐笑いがイマイチで、自分が作った物に対してプライドは無いのかなって疑問だった。
ソニーとの正面からの戦う事なく、奇策に逃げたセガに共感できなかった。
セガサターンでしか出来ないゲームもあったが、ドリームキャストではあまりたくさんのゲームは発売されなかった。セガの看板作品のサクラ大戦もプレステ2でやるようになったり、同じくセガから1980年代からずっと北斗の拳のゲームを自分達のハードで出していたのに、プレステ2でセガエイジズ2500で出さざるをえないなど、ハード面ではいいこと無く、とりあえず今は北斗の拳レジェンズリバイブが看板作品ぽい。
大ヒットするソフトが付いてくれないと任天堂ですら傾いたという事実を考えないわけにはいかないだろう😑
「ソニックアドベンチャー」と「ぼくドラえもん」にめちゃくちゃハマってました。
ドリキャスはファン音などが五月蠅いとか色々あるけど
個人的にはリセットボタンがなかった事が不便だった
DCはバーチャロンとギガウィングの為に買いました。
シェンムは本編よりミニゲームばっかりやってクリアせず終了
失敗の最大の要因?>サターンとのソフト互換性を切り捨てた事だよ。
で、そこをわからず上層部が「ドリキャス最大の要因は「グラフィック用半導体が云々」」って分析しちゃってる所・・・それが失敗の最大の要因。
で、もう一つ>上記の内容のコメを書くと、必ず所謂クリエイターな方々や、自称業界通のユーザーから、うp主の取り上げた情報とよく似た反論が来る。
・・・こんなクリエイターやユーザー(と、その主張)を生み出し、流布してしまったのもドリキャス&セガの失敗の最大の要因。
業界と企業の主張をそのまま受け売りし、あたかもそれが正しく、知的な考えや振る舞いだと思うのは危険。
・・・事の本質はもっとベタで下衆なモノだよ。
そういった方々には、GBとGBA、GBAとDS、PS1とPS2は何故ソフトの互換性を持っているのか・・・そこをもうちょっと考えて欲しいですね。
@aruteoso
>セガサターンの互換性もそうですけどDVDではなく
>GD-ROMとMIL-CDを採用したことも裏目に出ましたよね。
>PS2はDVDプレーヤーでもあってゲーム機ではない
>使い方を提案したことがドリームキャストに
>とっては不利に働いてます
これ致命的に痛いですよ。当時DVD再生機は5-6万円
するのにPS2はゲーム機能付きで4万弱で出したもの
だから、ゲーマー以外の一般ユーザーもこぞって
購入してわずか3日で100万台を超える大ヒットと
なり、そこで勝負が決まりました
セガサターンはPSと比べて複雑な設計で、コスト削減が難しいハードでした。
それが理由でPSと価格競争ができなかった事がSS失敗原因の一つなので、
そのSSと互換性を維持して安価に高性能なハードをつくる事は当時の技術では不可能でした。
サターン自体が大赤字で家庭用ゲーム機からの撤退か背水の陣での再挑戦かという状況で、
再挑戦にあたってサターンとの互換を諦めることは必須条件でした。
SFCやPS4など、互換性がなくても成功しているハードは成功してるので、
「うまくいかなかった理由」としては兎も角、「失敗の最大の要因」とするのは違うと思います。
@@koagura_fix 返信ありがとうございます。
・・・業界通なユーザーな方のようなので、不勉強な私に一つ教えて頂けますか?
・・・白サターンについて、どのような見識と見解をお持ちですか?
・・・確か販売価格を大幅に安くし、PSと同価格帯か、下回った価格の品だったと記憶してますが?
私は当然ながらセガの関係者ではなく、各種インタビューで拝見した情報の総合です、という前提の上で、凄く長くなってしまい申し訳ないですが、私見を…
SS/DCについて話す際は、PSの存在が常に付き纏います。
SSは、メガドライブの次のゲーム機として、高度な2D処理チップを搭載した最高の2D性能を持つゲーム機として設計されました。(カプコンの格闘ゲームなどで威力を発揮していましたね)
バーチャファイターを出したセガにも関わらず、SSはもともと3Dを扱うことはあまり想定されてなかったのです。
ところが、発売が近づく頃、ソニーが3Dに特化したゲーム機で参入するという、PSの情報が入ってきました。
既にSSは完成間近で、予定していた2D処理チップとの兼ね合いでさらに3D処理チップを追加することは出来ませんでした。なんとか方法はないかと検討した結果、本来1つの予定だったCPUを2つに増やし、ソフトウェアの力技でなんとかする事になりました。
元々当時のゲーム機用として最高峰のCPUだったのに、それが2つです。
そんな訳で、セガサターンは元々非常に高コストなゲーム機でした。
PSは非常に設計が優れており、バージョンアップを重ねてどんどんコストダウンしていき、
1000万台を超える頃には黒字が出ている状況でした。
ただでさえ高コストだったSSは、対抗して同程度まで販売価格を下げざる負えませんでした。
白サターンは、アクセスランプやその他色々省いて、なんとかコストダウンを模索したモデルチェンジでしたが、CPUという根本的な部分でコストが下がらないので、あまり大きな効果はなかったようです。
PS/SSが双方約20,000円で販売されていた1996年当時、SONYはそれで黒字でしたが、白サターンは1台辺り約10,000円の赤字が出ていたそうです。
セガサターンとの互換性を維持するためには、
上記の高コストなCPU・2D処理チップを引き継ぐ事が必須となり、PSとの価格競争には絶対に勝てない事になります。
また、セガは日本よりもアメリカで売れるメーカーでしたが、セガサターンはアメリカでほとんど売れませんでした。
そんな訳で、セガは互換性を諦めました。
DCは、セガサターンに対するセガの反省を活かして
・シンプルな設計でコストダウンしやすい作りにする
・高性能な3Dチップを積んで、サードパーティでも開発しやすいライブラリを整備する
といった作りになっています。
まあ、散々既出の通り、3Dチップの調達不足でまず躓くんですけどね…
私も当時はSSとの互換性がなかったのに怒った一人です。
ただ、後になって色々な状況を知ると、その事自体は仕方が無かったのかな、と思います。
長文でスイマセン、回答になっていますでしょうか?
すいません、長々した返信も書きましたが、シンプルにご質問頂いた事だけ答えると
白サターンは、セガがPSに徐々に引き離されつつある状況で焦って、
同価格帯で勝負するために1台売るたびに10,000円赤字が出るという
無茶なビジネスモデルで売った商品です。
ソニーは優れた設計により、PSを20,000円で売っても黒字を出し、
その黒字でしっかりCMを投入し、結果としてシェア争いを制しました。
まさに早すぎた名機
今では当たり前の機能(ネット対戦、DLCなど)を数々搭載していた夢のマシン
セガは本当に十年早いんだよなぁ😅
まさに結城晶の「10年早いんだよ!!」を具現化したゲーム機
スタートダッシュさえつまづかなければ、まだセガがハードを作っている世界線があったかもしれない…
色んな意味で伝説のハードであり、物凄いスケールのしくじりをやったゲーム史に残るハード
当時を振り返ると 本体が単純に高かった 本体のデザインが他のメーカーの感じをパク・・・・インスパイアしすぎて いい所合わせてみました的な
悪くは無いんだけど新しくは無かった 半導体がどうこう言って本体すくないとか言ってたけど、本体自体は普通に店頭に置いてあった 売り切れでは無かったな
都会はどうか知らないけど地方では個人PCを持ってたりインターネットに繋いでいる家庭が現在に比べるとはるかに少なかった
スマホが普及している現代 当時はガラケーが主流だった つまり 出す時代が速すぎた
SEGAが最先端行き過ぎて周りの家庭が追いついてないので ゲームの為にネットを繋ぐ時代ではなかった
どんなにネット系のコンテンツを作っても無駄だったな 悪くは無いのだが・・・・
ドリキャスを進化させたら初代XBOXみたいな感じかな X箱の時代(PS3くらい)でギリ、ネット環境の普及が整いつつあった
結論 ドリキャスは 出るのが速すぎた 最先端行き過ぎて時代(家庭)が追いついてなかった でもガンコンとビジュアルメモリーのセットはかっこよかった
サクラ大戦4のためにドリキャス買ったな後ないからリアル麻雀買ったらアーケードと遜色なかったのは驚いたね。後このゲームは服を着ないがあるからよかったな。なまじセガサターンのリアル麻雀見てからのあの酷いグラフィックが別次元でしたね。お嬢さま特急とかセガサターンのものを移植できなかったのかな?纏い組とかセガサターンはソフトかなり多かったのに。
ミニセガサターンとかミニドリキャスとか出してくれんかな。。
おそらく「せめて、ドラゴンクエストⅤやⅧのドリキャス版が登場していたら…」と思った方々も多かっただろうね。
dcはnaomi互換だからハードは優秀よ
naomiはアケでは結構長く使われてたしな、やっぱりサードパーティの抱え込み戦略とpower vrの量を押さえられなかったのがね
mdで回転拡大縮小機能をhw搭載してれば未来違ってた感もある
今思うと、凄いハードだったけど、CMとかみても全然伝わってこなかった。CMで世間に広まったのは湯川専務だけだったなぁ
その専務はその後常務に降格しましたとさ……
@@ナガレ2 その降格でさえCMでネタにされたのはちょっとかわいそうだった
セガのハードは出来が良いものが多かったのは事実だと思います。
SSも2Dでは最強でしたしDCも後の時代を考えると早すぎた名機と言えるでしょう。
ただ、販売においての惨敗っぷりを見るに、まともなマーケティング調査や原価計算をしているのかとか会社経営としては色々と疑問があります。
SSについては3Dの時代が来るというのに2D重視で設計していましたし、そのせいでスクウェアのスペック要求に応えられず、FFシリーズは3Dが優秀なPSでリリースする事になりました。
また、SS・DC共通で言える事ですが設計が複雑すぎて結果的にコストアップや納期遅れに繋がってしまっています。
これは設計部署のマスターベーションに過ぎないですし、それにGOサインを出した上層部にも問題があるでしょう。
ちなみにセガサミーは正確に言えばサミーによるセガ買収です。
大量に残ったDC用のチップ類はサミーのパチスロ機に使用されました。
セガも任天堂もSONYに勝てない理由は、参入してるゲームメーカーっしょ。
映像のちびっこが言ってた「カセットがない」の一言に尽きる。
本体の性能が良かろうと遊ぶゲームを造るソフトメーカーが参入してくれないと売れない
ドリキャスは大好きなハードだったけど、ギャルゲーの移植が頻発し始めた時に終焉を悟った
終焉ってよりも、終焉後のリユース的な立ち位置でしたね
ドリキャスはOSにWINDOWS CEを搭載してて
PC由来のギャルゲーなどの移植が容易な部分があって
最後の灯みたいに移植が多かったですね
早々と市場から消えていったPC-FXとか、まさにそんな感じでしたね…。
メガドラからセガ通してきたがチューチューロケット買ってあららと思ってそのあたりで卒業したかな
丁度ピーク過ぎて終焉の下り坂転がりだした頃
なのでセガガガとかエターナルアルカディアは未プレイ