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※マイクの不調で少しエコー気味の音声となっております。予めご了承ください。(映像設定が先週は調子悪かったですが、そっちは解消しました)
道長に対するまひろの呼び方が三郎から「道長さま」に変わることで、まひろの「三郎」に対する淡い恋の終わりを示唆しているように感じました。三郎に対する純粋な「思慕」から道長に対する「忠節」というか、「役に立ちたい」という方向に考えがシフトしていっているという感じでしょうか。後に「源氏物語」の創作で道長の宮中工作を支えることへの布石と考えてもよいかもしれません。また、「苦手なもの」「嫌いなもの」という点を軸にすると今回は理解しやすいと感じました。源倫子とまひろ、道長の「苦手なもの」が描かれた今回。苦手なものは苦手なままでいましょうという倫子に対比し、道長は後半、苦手であった「漢詩」に向き合い、最後にはまひろへ自作の詩を送りました。これまでおざなりにしていた「教養」というものに対する道長なりの挑戦とも取れるかと思います。源倫子と道長の価値観の違いが描かれているのはこの後の二人の関係を示唆しているのかもしれません。ただ、今回でまひろと倫子が恋敵という風にはならなそうだと感じました(まひろの道長に対する感情が純粋な「思慕」から変わってきているので)そして父親を嫌いながら、自分の意志を通すためにあえて父に似ていく詮子。そのうえで多分無自覚に兼家と同じことを道長に言ってくる詮子が怖いですね。左大臣家への婿入りを兼家から聞かされた時は上の空気味だった道長。詮子に同じことを言われて急に自覚が湧いたのか、この出来事が漢詩の会に出る決心をさせたのかも?当初出る気が無かった漢詩の会に、なぜ道長が出ようと決心したのか劇中で全く語られないので、この辺りの解釈は難しいです。そして初対面一発目でおそらくまひろから苦手に思われたききょう(清少納言)。斉信は「おもしれー女」と評するのに対し、公任が「いや、ねーわ」と返すのも印象的。また余談として、公任の詩に「貞観の治」が引用されましたね。2年前の大河「鎌倉殿の13人」の成長著しい金剛こと北条泰時の愛読書として登場した「貞観政要」を思い起こします。「鎌倉殿」と「光る君へ」は時代的結節点が多いので、対にして考えると二作品に対する理解がより深まっていくと思います。ただ、貞観の治は皇帝による徳治主義の理想を評したものなので、今の「光る君へ」で描かれる藤原氏中心の治世に対する引用としては不適当に感じます。たぶん公任も多少皮肉を込めて引用している気がしますね。一応、ながらで見ている層にも配慮しているとは思いますが、今回の大河は脚本難易度が高いです。鎌倉殿以来、久々に台詞の一字一句聞き逃さないよう集中して観ておりますw
二人の才女のマルチミーニングのまひろとVS倫子について、私も感じた。倫子が ”書物を読むのが苦手”と言ったのに対し、まひろは”楽に生きるのが苦手”と返す。さらに倫子は”苦手を克服するのも大変”と続ける。倫子の言葉は、まひろのように文字通りの意味ではなく、言外の意味を含んでいるようだ。倫子はおそらく読書がそれほど苦手ではなく、話題の発端として述べ、その後の言葉を導き出すためのように感じた。”苦手を克服するのも大変”というセリフは、別の場面の彼女の言葉”内裏でのお仕事は鈍いくらいでないと”というセリフと連動している。後にまひろは宮仕えを始めるが、周りにうまく溶け込めず苦労する彼女のことをまるで予言しているようだった。そして、倫子の言葉はある意味真理であり、少々のことには動じず無視できるくらいの太っ腹な対処法でなければ、宮中では暮らしていけない。鈍いというのは、感じないのではなく、敢えてそれに気づかぬふりをしてやり過ごせる処し方が大切ということだ。まひろよりはるかに世慣れた倫子は、そういう意味でまひろと対立軸となっていると思う。
倫子サロンでのまひろの失態を「オタクが布教に失敗した」…爆笑しました。ききょうと倫子はコミュ力の才女という視点、納得です。まひろと道長、私も「史実とかどーでもいいから」派です!
漢詩の会はそれを提案した道隆の妻である貴子が「漢詩には俺を選ぶ物の思いがでる」といっていたように若き4人の貴公子の志が見事に表現されていたと思います。 藤原行成は君と別れた季節がまた巡るが君がくれた銀の盃は送り主が立派なので敢えて薦める人もいないと詠み,天から才能を授けられながら自分の力を発揮できずにいる寂しさを表しました。 藤原斉信は,酒を早くつがないと花が散ってしまうと詠み,自分が名を成すことに焦っているようすを表しました。また,ご丁寧にその歌を読む前だけ,清少納言(ウイカ様)のインサートで今後の関係の伏線としました。 道長については,どんな素晴らしい下賜の酒があっても君以外と誰と飲もうかと,まひろにまひろへの思いを隠しもせず,思いの丈をまっすぐにぶちまけました。むしろ,これだけの文化人がいながら誰も訝しむ者がいなかったのが不思議なくらいです。(ひょっとして,それほど道長の漢詩の差異がなかった設定なのでしょうか?) また,君が紡いだ菊花の詩というのが,歴史的なネタバレになりますが,紫式部の尽力で姫が天皇家の寵愛を受けることを視させているのではと思いました。 藤原公任については詩の前に道隆のインサートが入り,今回の漢詩の会が公任を懐柔することが目的であったことが示され,唯一公任の詩にのみ道隆が応えることで,公任の力を認め,懐柔に成功しました。 この場面は,若き公家の一人ひとりの紹介に十分な時間が割かれました。ある意味俳優名解説こそが適任であるようにも感じられる場面だったように思いました。 また,この場面が「文化」が政争に有効な力があることを示しており,今後の一条天皇の嫁選びに文化の力が大きな影響力を及ぼすことの伏線になっていると思いました。
ヤギシタさん解説ありがとうございます。冒頭の挨拶が素晴らしいです。ドラマ ドラマだよ。うんそう 歴史ドラマなの。解説のおかげでめっちゃ楽しめています。
ききょうが「まひろさんはお疲れだったのかしら」というセリフがありました。彼女はまひろが本気を出せばもっとすごいだろうと評価していると思いました。
ファーストサマーウイカさんは元々小劇場の舞台女優で、アイドルグループを経て数多くのドラマや映画に出演されています。私自身が拝見したのは一部ですが、「おちょやん」「凪のお暇」「ファーストペンギン」「恋です!ヤンキー君と白杖ガール」などで、とても印象深い素敵な演技をされていました。途中でバラエティでの人気が先行したようですが、満を持しての大河ドラマ出演と行った感が強いです。因みに(今回知った知識ですが)、VANの石津祥介氏の曾姪孫でいらっしゃるのだそうです。本作での活躍が楽しみな俳優さんのお一人ですね。
「史実とかいいから、お前ら付き合っちゃえよ。」ウンウン!3組の二人の才女に気づいていませんでしたが、納得です。倫子さんの仕切り力、すごい。明るく、軽く、振舞っているけど、どれだけ頭をフル回転しているのでしょう。まひろに、肩の力を抜いたら、とアドバイスしていましたが、常人ならあの仕切りをするのに疲労困憊しそうです。まひろの恋敵、と思えば複雑な気持ちですが、道長はいい人と結婚しますね。ききょうは、まひろに会ってウキウキに見えました。(美しいお庭には、桔梗の花が咲いていました。)貴子さんも、ききょうの振る舞いを肯定的に見ていましたね。強烈な父に対抗する詮子さんも含めて、女性が活躍する気配が見えていますね。
道長の漢詩は、オリジナルじゃなく中国の詩人の作品でしたね。苦手とはいえ良い詩は覚えてたのねー🎉当時の貴族の教養すごい、と思いました。
いよいよ道長の婿入りが近づいてきたようですね。道長が倫子のところへ通うときの手引きは赤染衛門あたりがその役割を担うんだろうと思いますが、そんなときのまひろの心情を想像すると切ないですね。また、倫子は、まひろと道長の思いを知ってか知らずか、ちゃかり道長への歌をまひろに代筆させたりなんかしないよね、とかってに心配しています。源氏物語にも、男への返歌を側付の女官などが代筆するエピソードがあったかと思います。
道長の漢詩が読まれている時のまひろの(控えめだけれど)照れくさいような嬉しいような表情が可愛かったです。「もしかして私のこと?」って思いながら聞いているような。だからその後に読まれた公任の漢詩は耳に入っていなかったのかと思いました。感想を求められてちょっと焦ったようにも見えました。最後に道長の文を読んだ時も同じように控えめに嬉しさを表していましたね。ところであの文を運んできたのが直秀の仲間のようなことをまひろの従者のカラテカの矢部さんが言っていましたが、直秀たちは盗みに入っていたし…どゆこと?ってなりました。まさか文も盗んだとか?理解力に限界があるのでわからなかったです😅
こんにちは。初めてコメントさせていただきます。いつも楽しく拝見しています。二人の才女、対にするなら「倫子と貴子」かなと思いました。貴子はヤギシタさん仰る通りですし、倫子に関しては、まひろと2人の廊下のシーンでまひろに「苦手は苦手ということで」とまひろの全てを受け入れるわよ、とメッセージを出してます。まひろの心もしっかりキープ。この後の歴史見ても、仰るようにまひろと関わりを深める倫子、それは歴史上のききょうと貴子の関係と同じですよね。二組の「二人の才女」かなと。個人的には、詮子女御はまだ本領発揮出来ていないのかなと思いました。情報不足で左大臣と父の関係が変わったことも分かっていないし、道長が政治的考えを持ち始めて動き始めたことも気づいてない。だから視聴者から見ると父親と同じことを言って少し滑稽にさえ思えてしまいました。左大臣からすると板挟みのようでラッキーにも挟まれなかった(セーフ)といった感じでしょうか。道長の和歌ですが、いくらティーンエイジャーのラブレターとはいえ「本歌取りが過ぎる」と思いました(笑)。頑張ったけれど、オリジナルを半分くらい出せるようなちゃんとしたラブレターはまだできないのかな、そもそも和歌も苦手かな(笑)と思って面白かったです。長文失礼しました。ききょうさんのモノマネも見てみたい、かもしれません。(*^^)v
ききょうがまひろに対してマウントをとった後の、高階貴子の含みのある笑み。ききょうを定子の家庭教師にする伏線と思いました。
本編始まってすぐまひろと道長はそれぞれ父のことを思ったり政治のことを飲み込んで成長してきた感じがしました。前回もお互いに自分のせいでちやはが死んだと思っている演出で、そこは今後も同じような思いや成長をしていくのかなーと想像しています
父兼家に「道兼は道隆と道長が表の道を歩むための道具として考える」と言われた後,月明かりを背景として歩く道長と闇を背景に歩む道兼が退治する場面,演出的にもシビれました。道兼がまひろの母を殺した件に触れると,道長が「兄上には泥をかぶっていただくてはなりません」と兄は日陰者として報われないこと宣言し,やり込めたかと思わせました。 その上で。道兼が「父上のためならいくらでも泥をかぶる」と自分の立場を受け入れた上で,「俺たちの陰は同じ方向を向いている。それは一族の闇だ」と言わせました。 泥をかぶらせて自分の手は汚さずとも,その恩恵にあずかる物は同じ罪を背負うのだという今後の兼家家の行く末を暗示する台詞にはシビれました。 また,形は違えど同じ闇を共有するという意味で,詮子と兼家が道長に婿入りを勧めることや互いに思い合いながら近づけないまひろと道長などを想起させたのは凄いと思いました。
約束の月についてですが,前回より月が満ちてきているようです。有名な望月の歌が二人の絶頂を表すことになるのでしょうか。また,今回のヤギシタさんの解説を通して思ったのですが,第7回の予告編を見て思ってのですが,まひろ=玉鬘,道長=蛍の宮,直秀=髭黒の大将のような気がしました。当然すべてがそのまあに話が流れるわけではないでしょうが…
ファーストサマーウイカさんが演じる「ききょう」の衣の模様が「桔梗唐草」でした。ファーストサマーウイカさんのおばあさまの伯父様は、🇺🇸👔アイビーファッションを日本に広めた石津謙介さんなので、「桔梗唐草」はオマージュなのかな?と思いました。
最後に道長が送った和歌はそのままの意味はもちろん、「身分違い」というハードル(神の井垣)さえも乗り越えてあなたに会いたい、という溢れんばかりの道長の気持ちを表しているのかなと思いました一方でまひろは、道長に対する気持ちを抑えているのか、諦めたのか……わからないけれど、形はどうあれ幸せになってほしい(できるならまひろと道長が結ばれてほしい)と思いました。道長は倫子と結婚するので(史実)あり得なさそうだけど…
いつも楽しく拝見しています。道長からまひろへのラブレター本来であれば、漢詩ではなく和歌なのでしょうがそこは漢籍への知識の深いまひろへのラブレターなので、敢えて漢詩のラブレターだったのでは?と思いました。詮子が国母として力を持つべく動き出しましたね、女性ながらこれから兼家譲りの政治力を発揮するのでしょうか。。。ドキドキしますねー。
来週、道長、まひろ、倫子の3人が顔合わせですね。現時点で倫子は道長とまひろのことは何も知らないけど、結婚後に知ることになるのかしら?と思うとドキドキしますね。左大臣家の和歌の会で、まひろが浮いてしまうのが気の毒です。私もオタクで世間知らずな箱入り娘タイプだったから、ああいう風に小馬鹿にされた苦い思い出は何度かあります。でも、時が経つにつれ、段々対処法も分かってくる筈だから、まひろちゃん頑張れーと思いました。なお、清少納言は、紫式部より4,5歳は上で、あの道隆の漢詩の会の時は既に結婚し子供もいたらしいから、その人生経験がある分落ち着いているんじゃないか、って他の解説チャンネルで言っていて納得しました。
道隆の若者を懐柔する信仰宗教の布教のような発言がとても怖かったのと、行成が登場するたびに道長の力になる行動が友情ではなく愛情なのかなと気になります。そして今回の大河は対比効果がふんだんに使われていて、登場人物の設定がわかりやすいです。1話から遵子と詮子、右大臣と左大臣、詮子と貴子、ききょうとまひろ、義懐と道隆、公任と斉信etc対比の差を表す中で道長とまひろに関しては離れていても同じ行動や同じ角度の映像だったり相手を思っている行動などが一緒ということが多く2人の想いやる距離が近い様子が強く印象に残るなと感じます。
「史実関係なく付き合っちゃえよ」ですか笑まあ、紫式部のことを道長の妾と書いた書物もありますし(その記述は後世過ぎて真実味が乏しいとされていますが)、主人が家に仕えている女房たちに手を出すのが当たり前のようだった当時(光源氏も葵の上の侍女をはじめ、乳兄弟やなんやかんや、手をつけまくってます)、紫式部と道長も男女の関係だったと考える人も少なくないので、もしかしたら付き合うことこそが史実通りかもしれませんね。さて、これこそ史実ではないであろう、後の清少納言と紫式部の邂逅(貴族の姫君は男性に顔を見せることはタブーだった当時、宮仕えすることで男性とやり取りしなくてはいけないことを清少納言は「枕草子」で嘆いているのに、扇すら持たずに公達の会合に参加している)。ドラマでは既に大人の吉高由里子さんがまひろを演じているけど、当時はまだ10代くらいだったはず。2人とも生年が不明なため不正確ながら、清少納言は一回りくらい年長だったと言われているので、「こんな子どもに負けてられない!」と躍起になったのかもしれませんね。ききょうは垂らし髪なのに対してまひろは結んでいることで年令差を表したのかもしれませんが、それだけでは清少納言のほうが年上だよ、ということはわかりにくいですね…。史実では清少納言と紫式部が直接会ったことはなかったと思うけど、ここで対面させた意味。もちろん、古典のスーパースター同士の共演というお祭りもあるでしょうけど、もしかすると近い将来、ききょうが「枕草子」でまひろの夫のことを笑いものにするのは、今回の邂逅を思い出してことさらディスったのかもしれないと思いました。それはまひろへの単なる悪口ではなく、「さあ、このメッセージをあなたはどう受け取る?」という挑戦かも。その結果、「紫式部日記」で散々貶されてしまうわけですが。
水に月が映える道長が重なり映る月は満月🌕 欠けたる事も無しと思えば、を想起させます
平安時代に男から女に送る文は必ず和歌だったように思います。(源氏物語読んでそう思いました)漢詩は当時男のものだったと思うので。
平安時代に男から女に送る文(ふみ)は必ず和歌だったように思います。(源氏物語読んでそう思いました)漢詩は当時男のものだったと思うので女性には送らないと思います。そして文をもらった女性も和歌で返歌するのが礼儀?だったように思います。
この時代の人は血が濃くて…遠縁だったり知り合いだったり兄弟であっても母が違ったり
藤原道隆と高階高子夫妻(ともに漢詩得意)娘定子も漢詩得意に育つ→ 後宮で清少納言や女房たちも機智に富んだ会話で若い貴族を惹きつけるサロンを作る。藤原道長と倫子夫妻(頭いいが 漢詩不得意、本を読むのは苦手)娘彰子は真面目だが漢詩の教養は与えられず育つ→式部は漢詩得意だが陰キャ。女房たちはいいところのお嬢さんだが面白みがないので若い貴族はあまり来ない。貴子と倫子2人の才女の家庭教育と未来の後宮サロンの雰囲気も予測されている気がします。
倫子侮れないに同意(ᵔᴥᵔ)思ったよりしたたかですね道長がまひろより倫子を選ぶ事になる理由の布石かと思いました。まひろとおなじ性格なら違いは家柄だけになりますから。
倫子は猫を抱いていたり、猫を追いかけて殿方の前に姿をさらしてしまったりで、女三の宮を彷彿とさせます。そして、周囲からの勧めがある身分的に釣り合いのとれる最初の北の方という面では葵の上のようでもあります。葵の上と女三の宮は光源氏の北の方でありながら、源氏には永遠の憧れの女性がいて、愛されなかった女性(葵の上は最終的には心を通わせますが)。倫子は愛されない北の方になるということかな?と推測しています。
@@user-さわ 同意。それでも倫子はかしこく鈍感なふりをして正妻として君臨していくのではないでしょうか。
詮子が父顔負けの計略家の一面を覗かせた。父に対する信頼を既に失っている彼女は、源雅信に毒の件を打ち明け、父と違う力が欲しい、末永く自分と東宮の力になれと強引に迫る。雅信も渋々承知し、倫子と道長の婚姻へと結びついて行く要因となった。詮子は自ら認めているように父に似た性質を持ち、兼家ファミリーの特性である策謀の申し子のようだった。道隆と道長が積極的に提携し始めた。聡明な妻貴子の提案で開催された漢詩の会でそれぞれの性格が、上手く描写された。まひろとききょうの差異を対比させ、若きエリート達の詩に性格が表れていた。道長は密かにまひろへの思いを仮託し、公任は唐の太宗の治世と現在の帝の御代を重ねて太平の世であると詠み、皆の称賛を受ける。桔梗が気にいっていた斉信は、急いで出世したいという願望、逸る気持ちに満ちていた。彼は花を自身の出世に例え、時の経つ速さを案じ焦る気持ちになっている自身の心情を歌った。ドラマ前半、妹の立場を利用し天皇へ働きかけ、出世したいと願っている場面と重なり、彼の執着の強さを表していた。
蜻蛉日記を書いた藤原寧子さんは才女に入らない?
ききょう役は虻川美穂子さんでも面白かったと思います。
※マイクの不調で少しエコー気味の音声となっております。予めご了承ください。(映像設定が先週は調子悪かったですが、そっちは解消しました)
道長に対するまひろの呼び方が三郎から「道長さま」に変わることで、
まひろの「三郎」に対する淡い恋の終わりを示唆しているように感じました。
三郎に対する純粋な「思慕」から道長に対する「忠節」というか、
「役に立ちたい」という方向に考えがシフトしていっているという感じでしょうか。
後に「源氏物語」の創作で道長の宮中工作を支えることへの布石と考えてもよいかもしれません。
また、「苦手なもの」「嫌いなもの」という点を軸にすると今回は理解しやすいと感じました。
源倫子とまひろ、道長の「苦手なもの」が描かれた今回。
苦手なものは苦手なままでいましょうという倫子に対比し、
道長は後半、苦手であった「漢詩」に向き合い、
最後にはまひろへ自作の詩を送りました。
これまでおざなりにしていた「教養」というものに対する道長なりの挑戦とも取れるかと思います。
源倫子と道長の価値観の違いが描かれているのはこの後の二人の関係を示唆しているのかもしれません。
ただ、今回でまひろと倫子が恋敵という風にはならなそうだと感じました
(まひろの道長に対する感情が純粋な「思慕」から変わってきているので)
そして父親を嫌いながら、自分の意志を通すためにあえて父に似ていく詮子。
そのうえで多分無自覚に兼家と同じことを道長に言ってくる詮子が怖いですね。
左大臣家への婿入りを兼家から聞かされた時は上の空気味だった道長。
詮子に同じことを言われて急に自覚が湧いたのか、この出来事が漢詩の会に出る決心をさせたのかも?
当初出る気が無かった漢詩の会に、なぜ道長が出ようと決心したのか劇中で全く語られないので、
この辺りの解釈は難しいです。
そして初対面一発目でおそらくまひろから苦手に思われたききょう(清少納言)。
斉信は「おもしれー女」と評するのに対し、公任が「いや、ねーわ」と返すのも印象的。
また余談として、公任の詩に「貞観の治」が引用されましたね。
2年前の大河「鎌倉殿の13人」の成長著しい金剛こと北条泰時の愛読書として登場した「貞観政要」を思い起こします。
「鎌倉殿」と「光る君へ」は時代的結節点が多いので、対にして考えると二作品に対する理解がより深まっていくと思います。
ただ、貞観の治は皇帝による徳治主義の理想を評したものなので、
今の「光る君へ」で描かれる藤原氏中心の治世に対する引用としては不適当に感じます。
たぶん公任も多少皮肉を込めて引用している気がしますね。
一応、ながらで見ている層にも配慮しているとは思いますが、
今回の大河は脚本難易度が高いです。鎌倉殿以来、久々に台詞の一字一句聞き逃さないよう集中して観ておりますw
二人の才女のマルチミーニングのまひろとVS倫子について、私も感じた。倫子が ”書物を読むのが苦手”と言ったのに対し、まひろは”楽に生きるのが苦手”と返す。さらに倫子は”苦手を克服するのも大変”と続ける。倫子の言葉は、まひろのように文字通りの意味ではなく、言外の意味を含んでいるようだ。倫子はおそらく読書がそれほど苦手ではなく、話題の発端として述べ、その後の言葉を導き出すためのように感じた。”苦手を克服するのも大変”というセリフは、別の場面の彼女の言葉”内裏でのお仕事は鈍いくらいでないと”というセリフと連動している。後にまひろは宮仕えを始めるが、周りにうまく溶け込めず苦労する彼女のことをまるで予言しているようだった。そして、倫子の言葉はある意味真理であり、少々のことには動じず無視できるくらいの太っ腹な対処法でなければ、宮中では暮らしていけない。鈍いというのは、感じないのではなく、敢えてそれに気づかぬふりをしてやり過ごせる処し方が大切ということだ。まひろよりはるかに世慣れた倫子は、そういう意味でまひろと対立軸となっていると思う。
倫子サロンでのまひろの失態を「オタクが布教に失敗した」…爆笑しました。ききょうと倫子はコミュ力の才女という視点、納得です。まひろと道長、私も「史実とかどーでもいいから」派です!
漢詩の会はそれを提案した道隆の妻である貴子が「漢詩には俺を選ぶ物の思いがでる」といっていたように若き4人の貴公子の志が見事に表現されていたと思います。
藤原行成は君と別れた季節がまた巡るが君がくれた銀の盃は送り主が立派なので敢えて薦める人もいないと詠み,天から才能を授けられながら自分の力を発揮できずにいる寂しさを表しました。
藤原斉信は,酒を早くつがないと花が散ってしまうと詠み,自分が名を成すことに焦っているようすを表しました。また,ご丁寧にその歌を読む前だけ,清少納言(ウイカ様)のインサートで今後の関係の伏線としました。
道長については,どんな素晴らしい下賜の酒があっても君以外と誰と飲もうかと,まひろにまひろへの思いを隠しもせず,思いの丈をまっすぐにぶちまけました。むしろ,これだけの文化人がいながら誰も訝しむ者がいなかったのが不思議なくらいです。(ひょっとして,それほど道長の漢詩の差異がなかった設定なのでしょうか?)
また,君が紡いだ菊花の詩というのが,歴史的なネタバレになりますが,紫式部の尽力で姫が天皇家の寵愛を受けることを視させているのではと思いました。
藤原公任については詩の前に道隆のインサートが入り,今回の漢詩の会が公任を懐柔することが目的であったことが示され,唯一公任の詩にのみ道隆が応えることで,公任の力を認め,懐柔に成功しました。
この場面は,若き公家の一人ひとりの紹介に十分な時間が割かれました。ある意味俳優名解説こそが適任であるようにも感じられる場面だったように思いました。
また,この場面が「文化」が政争に有効な力があることを示しており,今後の一条天皇の嫁選びに文化の力が大きな影響力を及ぼすことの伏線になっていると思いました。
ヤギシタさん解説ありがとうございます。
冒頭の挨拶が素晴らしいです。
ドラマ ドラマだよ。うんそう 歴史ドラマなの。
解説のおかげでめっちゃ楽しめています。
ききょうが「まひろさんはお疲れだったのかしら」というセリフがありました。彼女はまひろが本気を出せばもっとすごいだろうと評価していると思いました。
ファーストサマーウイカさんは元々小劇場の舞台女優で、アイドルグループを経て数多くのドラマや映画に出演されています。
私自身が拝見したのは一部ですが、「おちょやん」「凪のお暇」「ファーストペンギン」「恋です!ヤンキー君と白杖ガール」などで、とても印象深い素敵な演技をされていました。
途中でバラエティでの人気が先行したようですが、満を持しての大河ドラマ出演と行った感が強いです。
因みに(今回知った知識ですが)、VANの石津祥介氏の曾姪孫でいらっしゃるのだそうです。
本作での活躍が楽しみな俳優さんのお一人ですね。
「史実とかいいから、お前ら付き合っちゃえよ。」ウンウン!
3組の二人の才女に気づいていませんでしたが、納得です。
倫子さんの仕切り力、すごい。明るく、軽く、振舞っているけど、どれだけ頭をフル回転しているのでしょう。
まひろに、肩の力を抜いたら、とアドバイスしていましたが、常人ならあの仕切りをするのに疲労困憊しそうです。
まひろの恋敵、と思えば複雑な気持ちですが、道長はいい人と結婚しますね。
ききょうは、まひろに会ってウキウキに見えました。
(美しいお庭には、桔梗の花が咲いていました。)
貴子さんも、ききょうの振る舞いを肯定的に見ていましたね。
強烈な父に対抗する詮子さんも含めて、女性が活躍する気配が見えていますね。
道長の漢詩は、オリジナルじゃなく中国の詩人の作品でしたね。
苦手とはいえ良い詩は覚えてたのねー🎉当時の貴族の教養すごい、と思いました。
いよいよ道長の婿入りが近づいてきたようですね。
道長が倫子のところへ通うときの手引きは赤染衛門あたりがその役割を担うんだろうと思いますが、そんなときのまひろの心情を想像すると切ないですね。
また、倫子は、まひろと道長の思いを知ってか知らずか、ちゃかり道長への歌をまひろに代筆させたりなんかしないよね、とかってに心配しています。
源氏物語にも、男への返歌を側付の女官などが代筆するエピソードがあったかと思います。
道長の漢詩が読まれている時のまひろの(控えめだけれど)照れくさいような嬉しいような表情が可愛かったです。
「もしかして私のこと?」って思いながら聞いているような。だからその後に読まれた公任の漢詩は耳に入っていなかったのかと思いました。感想を求められてちょっと焦ったようにも見えました。
最後に道長の文を読んだ時も同じように控えめに嬉しさを表していましたね。ところであの文を運んできたのが直秀の仲間のようなことをまひろの従者のカラテカの矢部さんが言っていましたが、直秀たちは盗みに入っていたし…どゆこと?ってなりました。
まさか文も盗んだとか?
理解力に限界があるのでわからなかったです😅
こんにちは。初めてコメントさせていただきます。いつも楽しく拝見しています。
二人の才女、対にするなら「倫子と貴子」かなと思いました。貴子はヤギシタさん仰る通りですし、倫子に関しては、まひろと2人の廊下のシーンでまひろに「苦手は苦手ということで」とまひろの全てを受け入れるわよ、とメッセージを出してます。まひろの心もしっかりキープ。この後の歴史見ても、仰るようにまひろと関わりを深める倫子、それは歴史上のききょうと貴子の関係と同じですよね。二組の「二人の才女」かなと。個人的には、詮子女御はまだ本領発揮出来ていないのかなと思いました。情報不足で左大臣と父の関係が変わったことも分かっていないし、道長が政治的考えを持ち始めて動き始めたことも気づいてない。だから視聴者から見ると父親と同じことを言って少し滑稽にさえ思えてしまいました。左大臣からすると板挟みのようでラッキーにも挟まれなかった(セーフ)といった感じでしょうか。
道長の和歌ですが、いくらティーンエイジャーのラブレターとはいえ「本歌取りが過ぎる」と思いました(笑)。頑張ったけれど、オリジナルを半分くらい出せるようなちゃんとしたラブレターはまだできないのかな、そもそも和歌も苦手かな(笑)と思って面白かったです。
長文失礼しました。ききょうさんのモノマネも見てみたい、かもしれません。(*^^)v
ききょうがまひろに対してマウントをとった後の、高階貴子の含みのある笑み。ききょうを定子の家庭教師にする伏線と思いました。
本編始まってすぐまひろと道長はそれぞれ父のことを思ったり政治のことを飲み込んで成長してきた感じがしました。前回もお互いに自分のせいでちやはが死んだと思っている演出で、そこは今後も同じような思いや成長をしていくのかなーと想像しています
父兼家に「道兼は道隆と道長が表の道を歩むための道具として考える」と言われた後,月明かりを背景として歩く道長と闇を背景に歩む道兼が退治する場面,演出的にもシビれました。道兼がまひろの母を殺した件に触れると,道長が「兄上には泥をかぶっていただくてはなりません」と兄は日陰者として報われないこと宣言し,やり込めたかと思わせました。
その上で。道兼が「父上のためならいくらでも泥をかぶる」と自分の立場を受け入れた上で,「俺たちの陰は同じ方向を向いている。それは一族の闇だ」と言わせました。
泥をかぶらせて自分の手は汚さずとも,その恩恵にあずかる物は同じ罪を背負うのだという今後の兼家家の行く末を暗示する台詞にはシビれました。
また,形は違えど同じ闇を共有するという意味で,詮子と兼家が道長に婿入りを勧めることや互いに思い合いながら近づけないまひろと道長などを想起させたのは凄いと思いました。
約束の月についてですが,前回より月が満ちてきているようです。
有名な望月の歌が二人の絶頂を表すことになるのでしょうか。
また,今回のヤギシタさんの解説を通して思ったのですが,第7回の予告編を見て思ってのですが,まひろ=玉鬘,道長=蛍の宮,直秀=髭黒の大将のような気がしました。当然すべてがそのまあに話が流れるわけではないでしょうが…
ファーストサマーウイカさんが演じる「ききょう」の衣の模様が「桔梗唐草」でした。
ファーストサマーウイカさんのおばあさまの伯父様は、
🇺🇸👔アイビーファッションを日本に広めた石津謙介さんなので、
「桔梗唐草」はオマージュなのかな?と思いました。
最後に道長が送った和歌はそのままの意味はもちろん、「身分違い」というハードル(神の井垣)さえも乗り越えてあなたに会いたい、という溢れんばかりの道長の気持ちを表しているのかなと思いました
一方でまひろは、道長に対する気持ちを抑えているのか、諦めたのか……
わからないけれど、形はどうあれ幸せになってほしい(できるならまひろと道長が結ばれてほしい)と思いました。
道長は倫子と結婚するので(史実)あり得なさそうだけど…
いつも楽しく拝見しています。道長からまひろへのラブレター本来であれば、漢詩ではなく和歌なのでしょうがそこは漢籍への知識の深いまひろへのラブレターなので、敢えて漢詩のラブレターだったのでは?と思いました。
詮子が国母として力を持つべく動き出しましたね、女性ながらこれから兼家譲りの政治力を発揮するのでしょうか。。。ドキドキしますねー。
来週、道長、まひろ、倫子の3人が顔合わせですね。現時点で倫子は道長とまひろのことは何も知らないけど、結婚後に知ることになるのかしら?と思うとドキドキしますね。
左大臣家の和歌の会で、まひろが浮いてしまうのが気の毒です。私もオタクで世間知らずな箱入り娘タイプだったから、ああいう風に小馬鹿にされた苦い思い出は何度かあります。
でも、時が経つにつれ、段々対処法も分かってくる筈だから、まひろちゃん頑張れーと思いました。
なお、清少納言は、紫式部より4,5歳は上で、あの道隆の漢詩の会の時は既に結婚し子供もいたらしいから、その人生経験がある分落ち着いているんじゃないか、って他の解説チャンネルで言っていて納得しました。
道隆の若者を懐柔する信仰宗教の布教のような発言がとても怖かったのと、行成が登場するたびに道長の力になる行動が友情ではなく愛情なのかなと気になります。
そして今回の大河は対比効果がふんだんに使われていて、登場人物の設定がわかりやすいです。
1話から遵子と詮子、右大臣と左大臣、詮子と貴子、ききょうとまひろ、義懐と道隆、公任と斉信etc
対比の差を表す中で道長とまひろに関しては離れていても同じ行動や同じ角度の映像だったり相手を思っている行動などが一緒ということが多く2人の想いやる距離が近い様子が強く印象に残るなと感じます。
「史実関係なく付き合っちゃえよ」ですか笑
まあ、紫式部のことを道長の妾と書いた書物もありますし(その記述は後世過ぎて真実味が乏しいとされていますが)、主人が家に仕えている女房たちに手を出すのが当たり前のようだった当時(光源氏も葵の上の侍女をはじめ、乳兄弟やなんやかんや、手をつけまくってます)、紫式部と道長も男女の関係だったと考える人も少なくないので、もしかしたら付き合うことこそが史実通りかもしれませんね。
さて、これこそ史実ではないであろう、後の清少納言と紫式部の邂逅(貴族の姫君は男性に顔を見せることはタブーだった当時、宮仕えすることで男性とやり取りしなくてはいけないことを清少納言は「枕草子」で嘆いているのに、扇すら持たずに公達の会合に参加している)。
ドラマでは既に大人の吉高由里子さんがまひろを演じているけど、当時はまだ10代くらいだったはず。
2人とも生年が不明なため不正確ながら、清少納言は一回りくらい年長だったと言われているので、「こんな子どもに負けてられない!」と躍起になったのかもしれませんね。
ききょうは垂らし髪なのに対してまひろは結んでいることで年令差を表したのかもしれませんが、それだけでは清少納言のほうが年上だよ、ということはわかりにくいですね…。
史実では清少納言と紫式部が直接会ったことはなかったと思うけど、ここで対面させた意味。
もちろん、古典のスーパースター同士の共演というお祭りもあるでしょうけど、もしかすると近い将来、ききょうが「枕草子」でまひろの夫のことを笑いものにするのは、今回の邂逅を思い出してことさらディスったのかもしれないと思いました。
それはまひろへの単なる悪口ではなく、「さあ、このメッセージをあなたはどう受け取る?」という挑戦かも。
その結果、「紫式部日記」で散々貶されてしまうわけですが。
水に月が映える
道長が重なり映る
月は満月🌕
欠けたる事も無しと思えば、
を想起させます
平安時代に男から女に送る文は必ず和歌だったように思います。(源氏物語読んでそう思いました)
漢詩は当時男のものだったと思うので。
平安時代に男から女に送る文(ふみ)は必ず和歌だったように思います。(源氏物語読んでそう思いました)
漢詩は当時男のものだったと思うので女性には送らないと思います。
そして文をもらった女性も和歌で返歌するのが礼儀?だったように思います。
この時代の人は血が濃くて…
遠縁だったり知り合いだったり兄弟であっても母が違ったり
藤原道隆と高階高子夫妻(ともに漢詩得意)娘定子も漢詩得意に育つ→ 後宮で清少納言や女房たちも機智に富んだ会話で若い貴族を惹きつけるサロンを作る。
藤原道長と倫子夫妻(頭いいが 漢詩不得意、本を読むのは苦手)娘彰子は真面目だが漢詩の教養は与えられず育つ→式部は漢詩得意だが陰キャ。女房たちはいいところのお嬢さんだが面白みがないので若い貴族はあまり来ない。貴子と倫子2人の才女の家庭教育と未来の後宮サロンの雰囲気も予測されている気がします。
倫子侮れないに同意(ᵔᴥᵔ)
思ったよりしたたかですね
道長がまひろより倫子を選ぶ事になる理由の布石かと思いました。
まひろとおなじ性格なら違いは家柄だけになりますから。
倫子は猫を抱いていたり、猫を追いかけて殿方の前に姿をさらしてしまったりで、女三の宮を彷彿とさせます。
そして、周囲からの勧めがある身分的に釣り合いのとれる最初の北の方という面では葵の上のようでもあります。
葵の上と女三の宮は光源氏の北の方でありながら、源氏には永遠の憧れの女性がいて、愛されなかった女性(葵の上は最終的には心を通わせますが)。
倫子は愛されない北の方になるということかな?と推測しています。
@@user-さわ 同意。それでも倫子はかしこく鈍感なふりをして正妻として君臨していくのではないでしょうか。
詮子が父顔負けの計略家の一面を覗かせた。父に対する信頼を既に失っている彼女は、源雅信に毒の件を打ち明け、父と違う力が欲しい、末永く自分と東宮の力になれと強引に迫る。雅信も渋々承知し、倫子と道長の婚姻へと結びついて行く要因となった。詮子は自ら認めているように父に似た性質を持ち、兼家ファミリーの特性である策謀の申し子のようだった。
道隆と道長が積極的に提携し始めた。聡明な妻貴子の提案で開催された漢詩の会でそれぞれの性格が、上手く描写された。まひろとききょうの差異を対比させ、若きエリート達の詩に性格が表れていた。道長は密かにまひろへの思いを仮託し、公任は唐の太宗の治世と現在の帝の御代を重ねて太平の世であると詠み、皆の称賛を受ける。桔梗が気にいっていた斉信は、急いで出世したいという願望、逸る気持ちに満ちていた。彼は花を自身の出世に例え、時の経つ速さを案じ焦る気持ちになっている自身の心情を歌った。ドラマ前半、妹の立場を利用し天皇へ働きかけ、出世したいと願っている場面と重なり、彼の執着の強さを表していた。
蜻蛉日記を書いた藤原寧子さんは才女に入らない?
ききょう役は虻川美穂子さんでも面白かったと思います。