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カフカ自身は悲劇ではなく喜劇として執筆したらしいですね。変身を友人たちにまえに朗読しているときに吹き出してしまってマジメに読めとたしなめられたとか笑
そうですね その逸話、知ってます。笑いがこみあげて押さえられなかったそうですね(笑)喜劇こそ悲劇的かもしれないですね
悲劇こそ喜劇。あまりにも用意されたがごとく哀れな出来事に見舞われ狂喜乱舞して卒倒する人間を見ていると面白おかしくて堪らない。
@@萩原-b7t すべては パロディですよね。はたから見た途端に滑稽と悲惨。
「城」でKが助手の2人の顔を見分けられず、それに対して助手が「他の人は見分けられますよ」て返したところただのギャグかなと思ってたのですが確かに目線を変えて見ると結構恐ろしいです。
ギャグ的シーンも、真剣な流れが ちょっとだけずれた世界として見ると おそろしい啓示になりますね
先日、グスタフ ヤノーホという人の「カフカとの対話」を開いてみたのですがカフカは彼に、「人は、どうあっても書かねばならぬものだけを、書かねばなりません」と言ったそうです。古莊さんのお説、ホロコーストの予知夢ではなかったか、、、を聞いて共感しました。あたかも炭鉱のカナリヤのように、真の文学者に神が与えた預言のようです。
カフカの頃の作家は 書くか死ぬか、で書いてた人が多いように思いますそうした作品と現代日本の作品は比較対象にすらならないでしょうね
アメリカは挫折しました。不条理ではないから惹きつけられなかったです。何故か考えてみたら、子供から見たら大人の世界はまるで理解できない、これから理解していく世界です。だから不条理感が際立たないのかなと、昔考えたことを思い出しました。私は「城」が好きです。未完でも内容的に終わりが無いので未完で良いと思います。高橋義孝訳が良いです。「魔の山」も高橋義孝訳で読みました。多和田葉子が魔の山を訳したらどうなってしまうのだろうと思います。
ありがとうございます。なるほどですね。納得です。城は未完だからこそ逆に魅力が出るというほんとに稀有な作品ですね。多和田葉子の文体で、魔の山だと成立しない気が(笑)マンは作風構成は王道的ですからね
カフカ自身は悲劇ではなく喜劇として執筆したらしいですね。変身を友人たちにまえに朗読しているときに吹き出してしまってマジメに読めとたしなめられたとか笑
そうですね その逸話、知ってます。笑いがこみあげて押さえられなかったそうですね(笑)喜劇こそ悲劇的かもしれないですね
悲劇こそ喜劇。あまりにも用意されたがごとく哀れな出来事に見舞われ狂喜乱舞して卒倒する人間を見ていると面白おかしくて堪らない。
@@萩原-b7t すべては パロディですよね。はたから見た途端に滑稽と悲惨。
「城」でKが助手の2人の顔を見分けられず、それに対して助手が「他の人は見分けられますよ」て返したところただのギャグかなと思ってたのですが確かに目線を変えて見ると結構恐ろしいです。
ギャグ的シーンも、真剣な流れが ちょっとだけずれた世界として見ると おそろしい啓示になりますね
先日、グスタフ ヤノーホという人の「カフカとの対話」を開いてみたのですがカフカは彼に、
「人は、どうあっても書かねばならぬものだけを、書かねばなりません」と言ったそうです。
古莊さんのお説、ホロコーストの予知夢ではなかったか、、、を聞いて共感しました。
あたかも炭鉱のカナリヤのように、真の文学者に神が与えた預言のようです。
カフカの頃の作家は 書くか死ぬか、で書いてた人が多いように思います
そうした作品と現代日本の作品は比較対象にすらならないでしょうね
アメリカは挫折しました。不条理ではないから惹きつけられなかったです。何故か考えてみたら、子供から見たら大人の世界はまるで理解できない、これから理解していく世界です。だから不条理感が際立たないのかなと、昔考えたことを思い出しました。私は「城」が好きです。未完でも内容的に終わりが無いので未完で良いと思います。高橋義孝訳が良いです。「魔の山」も高橋義孝訳で読みました。多和田葉子が魔の山を訳したらどうなってしまうのだろうと思います。
ありがとうございます。
なるほどですね。納得です。
城は未完だからこそ逆に魅力が出るというほんとに稀有な作品ですね。
多和田葉子の文体で、魔の山だと成立しない気が(笑)マンは作風構成は王道的ですからね