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下館は、筑西市
当時結城に住んでました😊ありがとうございます。
あずき色の電車や、EF80と思われる機関車が牽く客車列車、再開発前の下館駅北口…遠くなった幼少期を思い出して、涙が出そうになりました。冒頭の字幕に「昭和53年に放送…」と出ていました。この時代、たった1往復ながらも、急行「つくばね」が水戸線内と上野を乗り換え無しで結び、ほとんどの列車が水戸や勝田まで運転、朝夕には真岡線から小山へ直通する列車も…。この頃までが水戸線が華やかだった時代かもしれません。水郡線の場面では、元準急型の気動車が登場、中には2等車の格下げ車と思われる車両が見られ、驚きました。「急行奥久慈号を利用して…」というナレーションに、時代を感じ、水郡線もまた、この頃が「最後の花」だったのかな…と、何となく切なくなる思いで拝見しました。
昔のカメラマンって、いいアングルで撮るよね。すごく丁寧。
あー懐かしいですね♪赤電もキハ22もボンネットタイプの特急ひたちも、みーんな懐かしいです。急行つくばねも奥久慈も今は無くなりました。映像アップ、ありがとうございました♪
旧型客車、懐かしいなあ。あの頃はドアが開けっ放しのまま走ってて、しかも常磐線区間ではかなりの速度で爆走するからドアの前では風が舞ってて、トイレ行くときに怖かった子供時代の記憶が残ってる。
昔の袋田の滝、懐かしい。トンネル無くて、滝の真下まで細い道がありました。
見てみたかかった。
2:40普通列車で機動車客車走ってたの懐かしい
45年ほど前に、この画像に残る水戸駅前にいたはずです。この気持を上手く文字に置き換えられないこと事がもどかしい。貴重な画像をありがとうございました。
5:01 信号所内で何人もの職員が転てつテコを動かしている姿が見えます。全てが人力の時代…
この水戸線経由で、急行「つくばね」号が帝都・上野より、東北線(JR宇都宮線)の小山駅手前の短絡線を経て走ってたし、さらには夏の海水浴臨時列車「かわらご」号が、武州・大宮より常磐線の常陸多賀まで走ってました。
間々田駅に停まる、唯一の急行でした。小山駅手前の貨物線経由で、直接、水戸線に入っていました。河原子号海水浴電車も、夏休みの良き思い出です。
「大目玉」の顔にはなぜか分からないが親しみが持てた。
最初期の低運転台車(この頃からリタイア開始し、代わってシートピッチ改良車が投入)も出てきてました。
その大目玉の白熱電球が、照度を落とすと、ボワンと朧月の様なオレンジの何とも言えない味わいの色となりました。シールドビームや、今のLEDではとても出ない風情です。
懐かしいです。水郡線も、ずいぶん変わりましたね。特急ひたち、ボンネット。懐かしいです。
貴重な映像をありがとうございます!カラー+音声なんて感動しました。
国鉄車両が当たり前の時代か〜羨ましい
6:32磐越東線「解せぬ」
よく気が付いた!
この頃の下館懐かしいです。この電車で高校に通っていました。筑西になったそうですが下館のほうが力強い印象がありますね。下館祭り。稲荷町通り、関東の大阪などかつては大変な賑わいでした。筑波山へ行ける筑波鉄道とかもありましたね。
「ひたち」にもサシが連結されてるかな?「特別」急行列車の時代。1:27頃に織ってる結城紬は常陽銀行のマークのような。
この頃は水戸線にまだ旧客列車が走っていたんですよね、幼心に早く水戸線に乗りたいと思っていました。でも一人で出歩けるようになった頃には全部が電車でした…
有名な鬼怒川の鉄橋ですね10系客車が混じってます
この動画は水戸鉄道管理局監修ですかね。下館駅風景で左側に見える国鉄真岡線のタラコのDC、上菅谷に進入する急行色DCの脇に見える常陸太田行?のツートンカラーのキハ30。水戸線も水郡線も支線の扱いですが、そこから分かれる支線の小さな車両達を眺めるのも鉄道ファンの楽しみだった。鉄道ファンとしては良い時代だったな。
水郡線といえば、西村京太郎の「みちのく殺意の旅」(土ワイのトラベルミステリーでは「みちのく湯けむり殺意の旅」)を思い出す。
鉄道ファンとしては、今となってはあずき色の丸みを帯びた401系は良かったなぁと思います。ただ、国鉄は手入れが悪く、あずき色が白っちゃけていたから印象が悪かったし、お客としてみると台車が古く、席のクッションがバネなので乗り心地も悪かった。結局、ほめているのかけなしているのか分からなくなりました^^;
当時はクーラーなど無く、真夏は暑くて虫は入るし、辛かったですね。
都内の大学まで通っていた昭和の終わり頃、この中距離電車で最寄り駅の松戸から上野まで乗ったってけど、車内のタバコと便所の臭い、ぐれた親父のカップ酒の臭いが充満していたなぁ。すげ~参ったけど、今思うと懐かしい❗(笑)
まさか水戸線に赤電カラーが帰って来たとは…………………。
昭和53年だと中学1年でした。真岡線はよく利用してましたよ。水郡線は親戚が沿線に居たので遊びに行く時によく使いました。懐かしい映像に当時が走馬灯のように浮かんで来ました。
水戸線に昨日乗りました、E501系でした。水戸線と言う名前ですが、一部を除いて友部止まりなんですよね。
水戸駅が駅ビルのない昔の駅舎だね。
小さいですが、これでも駅ビルです。正確には大衆駅?ボロくて陰気臭くて雰囲気が嫌いだったと聞いたことがあります
ありがとうございました。私は、結城市民です(^-^)産まれて、一年後の映像です(^-^)
赤電だ!懐かしいなぁ…
懐かしのあずき色時代ですね😃
0:47 おだばやし駅⁉️
先日の台風19号の影響で、福島県内と茨城県内の一部区間の橋が流失し、全区間不通になっているが、復旧には時期や金も相当かかるし、全国的に人口減少も進んでいるから、勿論復旧してほしいが、多くの客が乗らないと、赤字が膨らむだけだから、最悪廃止になってしまうのかな?そうなると困るなぁ。
キハ26や一般色のキハ30系 懐かしい
真岡線は、真岡鐵道です。勝田は、ひたちなか市です。
「日本三大稲荷」に笠間稲荷?こう言うのって、大抵3番目が見解分かれるんだよな。伏見稲荷と豊川稲荷は確定だろうけど。
伏見は稲荷総本社だから間違いないけど、残り2社は地域によって変わるので豊川は確定ではない。
豊川稲荷は確定だよ
客車の揺れが激しい!
国鉄制作ですか?貴重ですね。
この手のトピック映画は、鉄道ジャーナル社が手がけてたそうです。
時間がかかっても不便でも新幹線が無い時代の方が日本らしさがあったのかな…。
日本らしさなんて変わりゆくものですよ。
ナレーターの声が、117の時報と似てる
郡山に繋がらなかったら、水太線、水田線になってたのかな?
恐らく太田線ですね!元々太田鉄道って会社が発足して、開通した路線なので!あ!上映中でも話してますね笑
信号所がある
結城氏康の名字由来でしょうか。
結城秀康ではないでしょうか?
音声低すぎ
下館は、筑西市
当時結城に住んでました😊
ありがとうございます。
あずき色の電車や、EF80と思われる機関車が牽く客車列車、再開発前の下館駅北口…
遠くなった幼少期を思い出して、涙が出そうになりました。
冒頭の字幕に「昭和53年に放送…」と出ていました。この時代、たった1往復ながらも、急行「つくばね」が水戸線内と上野を乗り換え無しで結び、ほとんどの列車が水戸や勝田まで運転、朝夕には真岡線から小山へ直通する列車も…。この頃までが水戸線が華やかだった時代かもしれません。
水郡線の場面では、元準急型の気動車が登場、中には2等車の格下げ車と思われる車両が見られ、驚きました。「急行奥久慈号を利用して…」というナレーションに、時代を感じ、水郡線もまた、この頃が「最後の花」だったのかな…と、何となく切なくなる思いで拝見しました。
昔のカメラマンって、いいアングルで撮るよね。すごく丁寧。
あー懐かしいですね♪
赤電もキハ22もボンネットタイプの特急ひたちも、みーんな懐かしいです。
急行つくばねも奥久慈も今は無くなりました。映像アップ、ありがとうございました♪
旧型客車、懐かしいなあ。
あの頃はドアが開けっ放しのまま走ってて、しかも常磐線区間ではかなりの速度で爆走するからドアの前では風が舞ってて、トイレ行くときに怖かった子供時代の記憶が残ってる。
昔の袋田の滝、懐かしい。トンネル無くて、滝の真下まで細い道がありました。
見てみたかかった。
2:40普通列車で機動車客車走ってたの懐かしい
45年ほど前に、この画像に残る水戸駅前にいたはずです。この気持を上手く文字に置き換えられないこと事がもどかしい。貴重な画像をありがとうございました。
5:01 信号所内で何人もの職員が転てつテコを動かしている姿が見えます。
全てが人力の時代…
この水戸線経由で、急行「つくばね」号が帝都・上野より、東北線(JR宇都宮線)の小山駅手前の短絡線を経て走ってたし、さらには夏の海水浴臨時列車「かわらご」号が、武州・大宮より常磐線の常陸多賀まで走ってました。
間々田駅に停まる、唯一の急行でした。
小山駅手前の貨物線経由で、直接、水戸線に入っていました。
河原子号海水浴電車も、夏休みの良き思い出です。
「大目玉」の顔にはなぜか分からないが親しみが持てた。
最初期の低運転台車(この頃からリタイア開始し、代わってシートピッチ改良車が投入)も出てきてました。
その大目玉の白熱電球が、照度を落とすと、ボワンと朧月の様なオレンジの何とも言えない味わいの色となりました。
シールドビームや、今のLEDではとても出ない風情です。
懐かしいです。
水郡線も、ずいぶん変わりましたね。
特急ひたち、ボンネット。
懐かしいです。
貴重な映像をありがとうございます!カラー+音声なんて感動しました。
国鉄車両が当たり前の時代か〜
羨ましい
6:32磐越東線「解せぬ」
よく気が付いた!
この頃の下館懐かしいです。この電車で高校に通っていました。筑西になったそうですが下館のほうが力強い印象がありますね。下館祭り。稲荷町通り、関東の大阪などかつては大変な賑わいでした。筑波山へ行ける筑波鉄道とかもありましたね。
「ひたち」にもサシが連結されてるかな?「特別」急行列車の時代。
1:27頃に織ってる結城紬は常陽銀行のマークのような。
この頃は水戸線にまだ旧客列車が走っていたんですよね、幼心に早く水戸線に乗りたいと思っていました。でも一人で出歩けるようになった頃には全部が電車でした…
有名な鬼怒川の鉄橋ですね
10系客車が混じってます
この動画は水戸鉄道管理局監修ですかね。下館駅風景で左側に見える国鉄真岡線のタラコのDC、上菅谷に進入する急行色DCの脇に見える常陸太田行?のツートンカラーのキハ30。水戸線も水郡線も支線の扱いですが、そこから分かれる支線の小さな車両達を眺めるのも鉄道ファンの楽しみだった。鉄道ファンとしては良い時代だったな。
水郡線といえば、西村京太郎の「みちのく殺意の旅」(土ワイのトラベルミステリーでは「みちのく湯けむり殺意の旅」)を思い出す。
鉄道ファンとしては、今となってはあずき色の丸みを帯びた401系は良かったなぁと思います。ただ、国鉄は手入れが悪く、あずき色が白っちゃけていたから印象が悪かったし、お客としてみると台車が古く、席のクッションがバネなので乗り心地も悪かった。結局、ほめているのかけなしているのか分からなくなりました^^;
当時はクーラーなど無く、真夏は暑くて虫は入るし、辛かったですね。
都内の大学まで通っていた昭和の終わり頃、この中距離電車で最寄り駅の松戸から上野まで乗ったってけど、車内のタバコと便所の臭い、ぐれた親父のカップ酒の臭いが充満していたなぁ。
すげ~参ったけど、今思うと懐かしい❗(笑)
まさか水戸線に赤電カラーが帰って来たとは…………………。
昭和53年だと中学1年でした。真岡線はよく利用してましたよ。水郡線は親戚が沿線に居たので遊びに行く時によく使いました。懐かしい映像に当時が走馬灯のように浮かんで来ました。
水戸線に昨日乗りました、E501系でした。
水戸線と言う名前ですが、一部を除いて友部止まりなんですよね。
水戸駅が駅ビルのない昔の駅舎だね。
小さいですが、これでも駅ビルです。正確には大衆駅?
ボロくて陰気臭くて雰囲気が嫌いだったと聞いたことがあります
ありがとうございました。私は、結城市民です(^-^)
産まれて、一年後の映像です(^-^)
赤電だ!懐かしいなぁ…
懐かしのあずき色時代ですね😃
0:47 おだばやし駅⁉️
先日の台風19号の影響で、福島県内と茨城県内の一部区間の橋が流失し、全区間不通になっているが、復旧には時期や金も相当かかるし、全国的に人口減少も進んでいるから、勿論復旧してほしいが、多くの客が乗らないと、赤字が膨らむだけだから、最悪廃止になってしまうのかな?
そうなると困るなぁ。
キハ26や一般色のキハ30系 懐かしい
真岡線は、真岡鐵道です。
勝田は、ひたちなか市です。
「日本三大稲荷」に笠間稲荷?
こう言うのって、大抵3番目が見解分かれるんだよな。
伏見稲荷と豊川稲荷は確定だろうけど。
伏見は稲荷総本社だから間違いないけど、残り2社は地域によって変わるので豊川は確定ではない。
豊川稲荷は確定だよ
客車の揺れが激しい!
国鉄制作ですか?貴重ですね。
この手のトピック映画は、鉄道ジャーナル社が手がけてたそうです。
時間がかかっても不便でも新幹線が無い時代の方が日本らしさがあったのかな…。
日本らしさなんて変わりゆくものですよ。
ナレーターの声が、117の時報と似てる
郡山に繋がらなかったら、水太線、水田線になってたのかな?
恐らく太田線ですね!
元々太田鉄道って会社が発足して、開通した路線なので!あ!上映中でも話してますね笑
信号所がある
結城氏康の名字由来でしょうか。
結城秀康ではないでしょうか?
音声低すぎ